http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」  p103(未定稿)


神々の歳時記  4月後半2 但し方位による

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●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起
の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版 http://
www.omatsuri.com/link/linkvex.html
及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-4月」より一部引用・転載させて頂きました。

■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記
には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の
詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。

4月後半2 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★


4/18  

                  ▼08一粒万倍日。
花祭・・・・・・・熊野堂(宮城県)で4/18〜20日。 
■弥彦神社(新潟・弥彦村)の大々神楽・夜神楽は姫神様の例祭。

川越観音祭(簓御子舞)・・・・・・・妙智院観音寺(埼玉県川越市)では災魔降伏のためつくられた簓獅子と呼ばれる
三頭立ての獅子舞が出る。

観音祭・・・・・・・法福寺(富山県や宇奈月町)は此の行事に際し、奉納の稚児舞(無形文化財)。 
開帳・・・・・・・耶呑寺(石川県小松市)。 
■静岡・小国神社祭。

■07福井・糸埼寺の・・・・・・・石舞台で奉納される仏舞=福井市の糸崎寺で。奈良時代から福井市糸崎町の37戸と糸
崎寺に代々受け継いで来た。此の祭りは2年に一度の伝統行事。国指定重要無形民俗文化財の「仏舞(ほとけまい)」
が18日、同寺で営まれた。県内外から約四百人が訪れ、伝統文化を堪能した。

仏舞は756(天平勝宝8)年、仏教の布教活動で中国の唐僧が来日し、中国で修行した土地と似た景勝を見つけ、千手
観世音菩薩像や天女が現れたとされ、それを祝う舞として伝承されている。町の習わしでは生まれた時、寺の近くに湧
き出る清水の産湯に浸かった男子だけが舞いを奉納できる。

糸崎町の住人約40人が石造りの舞台で、雅楽に合わせ、三部構成に分かれた舞を披露。金色の面を着け、黒の法衣
を身にまとった舞仏らがゆらりゆらりと体を動かし、繊細に喜びを表現した。鉾(ほこ)俳句会福井支部員ら約20人とと
もに訪れた田中芳実さん(80)=同市布施田町=は「心を耕しにきた。

優雅で柔らかな舞を楽しみ、一句を詠めた」と満足げ。糸崎仏舞保存会長の水間博美さん(63)は「(ほぼ完全に奈良
時代の文化が残る)仏舞は全国でも珍しい。いつまでも後世に伝えたい」と話していた(以上07年4月19日の朝日、及び
中日新聞より引用)。

■08川上祭(さんやれ祭)【滋賀県今津町】
花供養・・・・・・鞍馬寺(京都市左京区)で4/18〜22日、花供養の法要として稚児の練行列・舞楽などが奉演される。
鎮花祭の一種。

■京都・吉田神社祭。

追儺会(宝寺鬼燻)・・・・・・・宝積寺(京都府大山崎町)では参詣者に華の矢と餅を授ける。
■07蟹満寺の蟹供養・・・・・・・京都・木津川市の蟹満寺では蛇から救ったと言う蟹を供養する。

■07-08天理教・教祖誕生祭。

■06-07-08鎮花祭(くすり祭)・・・・・・奈良・桜井市の大神(おおみわ)神社の末社の祭り。薬の神様に薬草を供えて祈祷す
る神事。第10代崇神天皇の御代に疫病が蔓延したので、心配された天皇の夢枕に大物主命がお立ちになって、「私を
当地に祭れ」とのお告げがあり、同社が祭られた事に由来する伝統ある祭りである。

■06弘法大師・旧「正御影供」・・・・・・06年のこの日、高野山の奥の院と御影堂で行われる。弘法大師の命日(旧暦3
/21)の法要。空海は讃岐の善通(佐伯田公)と玉依姫(仏母院)との間に生まれて幼名を佐伯真魚と言い、無名の僧
として長安に渡って恵果から密教を授かり、短期間で帰国してしまった。このため京には入れられず四国を旅した。

その後、嵯峨天皇の時に怨霊封じによって「薬子の変」を鎮めた功により、国家鎮護の寺として東寺を賜ったが、彼は
即身成仏品にある通り、俗界を離れて山中修行の場を求めて高野山・三宝院を天皇から賜った。因みに山麓の九度
山・慈尊院は空海の母・仏母院の寺だった。

練供養・・・・・・・誕生寺(岡山県久米南町)の法然上人御両親追恩会で、二十五菩薩来迎・稚児行列がある。
★08牛深ハイヤ祭(〜20日:例年4月第三土曜〜日曜日)【熊本県天草市】

★07-08発明の日。
★s17/4/18、ドゥーリットル隊が本土初空襲。6/5にはミッドウェー海戦。s18/4/18、山本五十六戦死。













 
4/19


御忌会<法然忌>(浄土宗)。  
★08人間将棋(4月第三土曜〜日曜日)【山形県天童市、舞鶴山】

六道念仏・・・・・・・米山寺(群馬県)。 
■07-08古川祭起し太鼓(〜20日)【岐阜県飛騨市古川】

白山比神社の春季法要だったか・・・・・・イザナギ・イザナミの神娘、またはイザナミ自身とも見られる菊理媛神を
祭り、加賀の国一ノ宮としての例祭は現在5/6(同項を参照)である。だがそれでは色々矛盾するので此処で検証す
る。白山には三ヶ所の馬場があった。

現代人に馬場と言えば競馬場を連想するが、本来の馬場とは神のミサキ、つまり御前を意味した。此処では登山道で
ある。そうした事から先の加賀が一番有名となったが、其の外に越前と美濃があり、其の一つが勝山市の平泉寺でし
た。此処は白山修験の中心地としてかつては六千坊を擁したが明治から白山神社となった。

其れに対して岐阜県・白鳥町の長滝寺があって、かつては中宮と呼ばれたが今は白山神社と中居神社になっているが
一般に殆ど知られていない。さて此処も明治の改暦の弊害が見られる。昔は二季大祭として4月と11月の午の日だっ
たのを改暦により5/6に変えたと言うのです。そうすると謎の祭りとなってしまうので別の観点から方位で検証する。

福井港に九頭竜川河口が有り、此処から勝山市の白山中宮を見通した先に白鳥町・毘沙門岳(1386m)が有る。此
処がかつて長滝寺の寺域と思われるが、今はこの山を挟むように上下に分かれて白山中宮神社と白山神社になって
いる。毘沙門岳から更に進めば飯田市に白山奥宮がある。

これに付いてはどんな所なのか全く不明だが地図には記されている。此処までの所が10/17.5←→4/19方位に
連なる。更に進めば鬼面山(1818m)→しろびそ高原→青薙山(2406m)→八紘嶺(1918m) →・・・・熱海・網代で
相模灘に出る。

其処で結論として神社の祭りは元々10/17の秋祭りであり、其の前に命日の4/19が鎮魂方位なので、春には先
ず弔いの法事を長滝寺で行ったものと判明する。秋祭りの主神は白山菊理大権現となるのに対して、この春季法要の
ご本尊は無論、観音様として彼女を奉った。

そうした事から17〜18日が観音様の縁日として定着したのかも知れません。ただこの祭りで白山本宮の総ての祭り
が分かるものではない。白山権現は三座を祭るので其の1つとしての平泉寺と長滝寺との関係の祭りに過ぎない。

とは言うものの、越前と伊豆とをこの祭りで往復するには山また山を直線距離にして300kmもあって、しかも高山が
連なりますので当時、歩いて往復しようとすれば大変です。叡山の千日回峰のように飛ぶように走るのが無理ならば一
年掛けて辿り着く覚悟がいったでしょう。

このためリレー式に各地に宿坊などの中継拠点を設けて交替して送り出したのかもしれない。其れが白山修験や後の
富士講などに繋がり、山岳信仰とも言われたのでしょう。

■近江神宮・宵宮祭・・・・・・・大津市。       
御忌大会・・・・・・・安楽寿院(京都市伏見区)・永観堂(京都市左京区)・光明寺(京都府長岡一里市)・智恩院(京都
市東山区)・智恩寺(京都市東山区)で4/19〜25日、法然上人の遺徳をしのぶ忌日大法要を営む。 

御身拭・・・・・・・清涼寺(京都市右京区)。 
万人講・・・・・・・円福寺(京都市中京区)で4/19〜20日。 

■まんじゅう祭・・・・・・・漢国神社(林神社)。詳しくは奈良市観光センター0742-22-3900

■07流しびな【鳥取市用瀬町】

吉備津神社・御忌日祭・・・・・主神の吉備津彦大神が御隠れになった日。この神社の大祭は春秋にあり、春は5月
の第2日曜日、秋は10/19である。つまり命日の逆がホントの祭りとなる。@

つまり、この吉備津神社に祭られたご祭神が吉備津彦命であり、其の縁日と墳墓の暦・方位が合致する以上、此処は
彼の墳墓であり、其の命日は5/20であると黙示している訳である。













4/20  


●06-07-08穀雨。     ▼08望。

栄西禅師・降誕会(臨済宗)。

■弥勒寺ライン・・・・・群馬・沼田市の迦葉山・竜華院・弥勒寺は天台宗・円仁の開基した寺だが曹洞宗の寺となってい
た当時、家康が帰依して以来、徳川将軍家祈願所となって10万石の格式の寺だった。今も5/1〜10には大祭をして
いるがそれだけではない。家光に所縁の寺でもある。@

家光の命日・・・・・・・・・・家光に対する大法会「胎蔵界曼荼羅供」。彼は秀忠の子であるが、同時に織田家の信長
の妹・お市が浅井家に嫁いで生んだ「お江よ」の子であるから言わば織田家や浅井長政の孫でもあった。

ともあれ彼は最も尊崇する祖父・家康のために日光東照宮を造営したが、其の前に日光輪王寺の門跡として上皇四
宮を迎えた後に「東照大権現」に宮号の宣下を得た。その彼もやがて48歳のときに家康とは3日違いの20日(慶安4
年1651/4/20)に脳卒中で薨去した。

三代将軍・家光は日光にとって大恩人であるから古来「一山総出」でこの弔いをして来た。因みに此れを丁卯の旧暦月
日と見てグレゴリオ暦にすれば6/8と見るのが一般的ですが、そうすれば真実が不明となる。因みに2000年には3
50年忌が行われた。

ともあれ家光は死後に、東照宮の西の彼のご廟(大猷ユウ院廟)の奥の、大黒山に葬られた。
だが家康にしても家光にしても、命日方位は日光ではなくて実は逆方向の那珂湊や水戸に向かう。そのため水戸には
水戸駅西に今も水戸東照宮が残っている。

日光を徳川の聖地として造り変えた天海大僧正は命日が寛永20=1643/10/2なので、家光の死去する7〜8年
前に108歳以上の高齢で先立っている。とすれば家光時代には最早高齢すぎてヒジリとしての役目を果たせなかった
かも知れない。そうであれば天海以後の日光は混乱したまま硬直化したに違いない。

しかも、「4/17」で前述の通り日光には日光三所(本宮・新宮・滝尾)権現と東照三所権現とがあるので少なくとも数
本の霊ラインが一山内に交差している点だけ見ても一筋縄で括る事が出来ないのだ。

其の上、神仏習合の特徴として鎮魂と神幸と言う二方式の祭事があり、家光の父・秀忠と天海の霊筋は他者とは逆方
位になるのであるが、其の頭と尾の意味を今では知る関係者もなかろうから混乱が増す訳である。

其の上に昔の建物も変化し、更に明治の神仏分離によって一山が一宮(東照宮)一社(二荒山神社)一寺(輪王寺)に
分割され、更に改暦によって例祭日が変えられたので、喩え多少の文献があっても錯誤し易く、関係者の記憶も確か
ではないとすれば、何のための祭りか分からないまま形式的に続けている行事・仏事も多いだろう。

よって其れらを辿り、方位から縺れた糸を捌くのが今ヒジリとしての筆者の役割りである。方位の意味が分かれば家光
の場合は関連遺跡を繋ぐのも比較的楽であり、他者よりも分かり易い筈であるが、中々難しい。先ず、廟に向かって奥
の方位が彼の命日ではなくて其の日が10/20である事を示している。

其の日は旧暦ではなくて無論新暦の10/20と見たいが地図によってはバラつき、10/20〜29の範囲となる点と、
日光の境内は斜めの筋が何本もあって錯綜しているので、筆者のように方位に煩い者でも一見しただけでは見間違う
ようになっているからです。従ってこの家光のラインには要注意です。

先ず二荒山神社の本殿から参道が長く伸びて銅鳥居から一の鳥居、そして唯心院と神橋に向かっているが、不思議
にも肝心の奥社がその筋から外されている。そして次は、参道の南にも水盤社から仁王門、護摩堂、法門院、神橋へ
と平行して走るラインがある。

此れは一見して何の意味もない、ただの通り道のようにも見えるが日光山境内の幹線に当たっているのです。@
輪王寺の「家光公のお守り袋」が今、重文指定になっていて、其処には「二世権現二世将軍」と書かれていると言う。と
すれば彼は此れを父から与えられて生涯護持した「孝行息子」と分かる。

ともあれこの日は神輿ではなくて僧都の輦だけが神橋を渡るが其の他の参列者は別の橋を渡り、日光街道を長い行
列で宇都宮、そして水戸東照宮へ向かった事だろう。水戸は東照宮と言っても神宮ではなくて、弔いをする寺の役割・
位置づけだった。だが天海没後はその意味役割も忘れられ、混同されて行ったと思われる。

何れにせよ、年に一度か二度の、この行事の為の道が日光街道であり、宇都宮から水戸へ向かう街道だった。

このために凡そ五間幅の杉並木や松並木が造られ、其れがごく最近まで水戸までの松並木が残っていて、今も其の
幅の道が国道119、123号線として使われているのであるから、当時の土木事業スケール一つ見ても、徳川のこの行
事に対する熱意が感じ取れる筈である。

★08豊年足踊り(4月第三日曜日)【埼玉県狭山市、笹井白髭神社】
■08太々神楽(4月15日以降の日曜日)【東京都品川区、品川神社】
■07-08となみチューリップフェア【富山県砺波市】

■08春季弘法忌湯汲み式【静岡県】・・・・・・弘法大師忌祭。静岡県田方郡修善寺町、修善寺で4/20〜21日。 
■06-07広藤園藤まつり(4月20日〜5月10日)【愛知県碧南市、広藤園】
■06-07水口曳山祭【滋賀県甲賀郡水口町、水口神社】

近江神宮の例大祭・・・・・・・天智天皇が此処・大津の宮で崩御されたので、天智天皇をご祭神とする近江神宮が昭
和13年に創立された。

言わば歴史の浅い神宮ではあるが、祭りは古式に則り、この日の例大祭の外、12/10には天智天皇祭とし、其の逆
の時期の6/10の「時の記念日」には「漏刻祭」を行い、また7/7には「燃水祭」で祝う訳です。因みに近江神宮には
「時計博物館」がある。077−522−3725

■08水口曳山祭【滋賀県水口町、水口神社】

壬生大念仏(壬生狂言)・・・・・・・壬生寺(京都市中京区)で4/20〜29日、円覚上人が悪疫駆除のために行った法会
を起源という鎮花法会の行事。三十種 の黙劇を奉演。
 
四ッ頭茶会・・・・・・・建仁寺(京都市東山区)。 
★08吉野太夫花供養(4月第三日曜日)【京都市北区、常照寺】

★08伏見稲荷・神幸祭・・・・・・・京都市東山区。(4月第三日曜日) 4/22日の解説を参照。
★08松尾大社・神幸祭・・・・・・・京都市西京区。(4月第三日曜日) 4/22日の解説を参照。

牡丹融花祭・・・・・・・長谷寺(奈良県桜井市)で4/20〜5月20日。此の頃境内には7千株、150種の牡丹が咲くが、初
咲きの牡丹の枝を本尊に献花する。 

和歌山高野花供(華供花茶羅供)・・・・・・・金剛峯寺(和歌山県高野町)。
■08丹生都(にゅうず)姫神社の花盛祭・・・・・・和歌山県かつらぎ市(旧・伊都郡かつらぎ町)。因みに丹生都(にゅうず)姫は、
天照大神の姉妹の伊都能売または和歌姫であるとも推定される方。

会式・・・・・・・高山寺(和歌山県田辺市)。 


★06-07-08 郵政記念日・郵便週間。

★イースター(キリストの復活を願う祭り)・・・・・・・05年ではない。キリスト教圏ではこ2003年のこの日は復活祭である。イースターの日取りは四世紀、即
ち325年のニカエア公会議でにユリウス暦の「春分の日の次の満月の後の最初の日曜日」と決められた。

しかしその後の1582年には春分は3/11になっていたのでグレゴリオ改暦によって3/21に再固定された。其処から10日間のズレが生じた事から以来、
各宗派ではイースターの時期がマチマチになり、今は新暦の3/25から4/25の間に行われるが、2003年はこの日にイースター(復活祭)を行う所が米国
などでは多かった。移動祝祭日なので06年は一応4/16



















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