http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」 p104 (未定稿) ![]() 神々の歳時記 4月後半3 但し方位による 次は ●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起 の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版 http:// www.omatsuri.com/link/linkvex.html 及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-4月」より一部引用・転載させて頂きました。 ■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記 には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の 詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。 4月・後半3 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ 4/21 日 ●○◎□◇■◆△▲▽▼ ■07人間将棋(〜22日)【山形県天童市、舞鶴山】 ■恵信尼公祭・・・・・・・新井別院(新潟・新井市)。 ■高尾山春季大桑・・・・・・・薬王院(東京・八王子市)。 ■09靖国神社・春季例大祭・清祓・・・・・・東京。 ■開山忌・・・・・・・清浄光寺〔遊行寺〕(神奈川・藤沢市)。 ■06-07-10-11春季「弘法忌湯汲み式」・・・・・静岡県田方郡修善寺町、修善寺。 ■豊川稲荷・春季大祭・・・・・・・妙厳寺(愛知県豊川市)で4/21〜22日、豊年祈願祭で、稚児行列・故早競馬などがあ る。 ■09三重・護国神社祭・・・・・・・・22日まで。 ■06丹生大師・神宮寺・春季大祭・・・・・・・・三重・多気町の神宮寺0598-49-3001では開運・交通安全・大法会として紫 灯大護摩供・稚児行列・剣道大会・投げ餅があり、露店が出る。 ■正御影供・・・・・・・教王護国寺(京都市南区)。 ■例年-壬生(ミブ)狂言(壬生大念仏会)・・・・・・京都市中京区、壬生寺・大念仏堂で4月21日〜29日。鎌倉時代の僧・ 円覚が身振り手振りで仏の教えを民衆に説こうとしたのが起こりとされる。一般の能や狂言と違って、仮面を付け、無 言で演じる。勧善懲悪、因果応報などの教えと、厄除けの意味が込めて、1日当たり5演目を演じる。 ■御室詣・・・・・・・仁和寺(京都市右京区)。 ■正御影供棟供養・・・・・・・室生寺(奈良県室生村)。稚児行列がある。 ■07長谷寺・ぼたんまつり・・・・・・・奈良・桜井市初瀬の長谷寺0744-47-7001で、4/21〜5/31日。特に21日には稚児 行列が本尊に参拝して献花・献茶をする。但し入山料などがいる。 ■御影供・・・・・・・大安寺(奈良・大安寺町)。 ■43元正天皇の命日・・・・・・・以下、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85% 83%E6%AD%A3%E5%A4%A9%E7%9A%87から引用する。元正天皇(げんしょうてんのう、女性)は680年 - 天平20年(748 年)4月21日、在位:715年9月2日 - 724年2月4日)。第44代の奈良時代の天皇。 父は天武天皇と持統天皇の子である草壁皇子、母は元明天皇。文武天皇の姉。即位前の名は氷高皇女(ひたかのひ めみこ)。和風諱号は日本根子高瑞浄足姫天皇(やまとねこたまみずきよたらしひめのすめらみこと)である。 日本の女帝としては5人目であるが、それまでの女帝が天皇妃や皇太子妃であったのに対し、結婚経験は無く、独身で 即位した初めての女性天皇である。弟・文武天皇の子である首(おびと)皇子(後の聖武天皇)がまだ若い為、母・元明 天皇から譲位を受け即位。 「続日本紀」にある元明天皇譲位の際の詔には「天の縦せる寛仁、沈静婉レンにして、華夏載せ佇り」とあり「慈悲深く 落ち着いた人柄であり、あでやかで美しい」と記されている。717年から藤原不比等らが中心と成って養老律令の編纂 を始める。720年に、日本書紀が完成した。またこの年、藤原不比等が病に倒れ亡くなった。 翌年長屋王が右大臣に任命され、事実上政務を任される。長屋王は元正天皇のいとこにあたり、また妹・吉備内親王 の夫であった。不比等を継ぐ長男武智麻呂は中納言、切れ者として知られた次男房前(ふささき)は、未だ参議(その 後内臣になる)であり、長屋王に一歩出遅れてしまう。このことが後の長屋王の変につながっていく。 723年、田地の不足を解消するために三世一身の法が制定された。これにより早くも律令制は崩れ始めていく。724年2 月4日、皇太子(聖武天皇)に譲位した。その後も聖武天皇の後見役となるが、長屋王の変で実妹吉備内親王が夫の 長屋王とともに自殺してからは天皇との関係が疎遠になったとも言われている(引用、以上)。 ■さて彼女は43元明天皇の皇女として次の天皇(女帝)となった。彼女は氷高皇女・新家姫・日本根子高瑞浄足姫天 皇/と呼ばれたがやがて69歳の時に平城宮(寝殿)で崩御した。寝殿とは正殿のこと。命日は天平20(748)4/庚申2 1である。よって奈保山西陵に葬られた。 と記録にあるものの、其処が何処かを此れから検証するが、当時は暦法に混乱があった。聖武天皇は自ら仏弟子とな って、此の国を仏の力で理想の仏国土にしようとした為に、従来の方位を主とした和暦の外に、陰陽暦を使った。例え ば先ず平城宮から和暦の3/19日とユリウス暦4/21日暦・方位を併用した。 此の2つの方位の交点に墳墓を造った処が今治定の奈保山南陵である。同時に聖武天皇は彼女の為に先ず7日毎に 各寺院で経文を読ませ、法華経1000部を写経し僧尼各1000人を得度させて弔った。その後に先の山陵を改葬し、日 本国中の者に白無地の喪服を着せて挙哀を行なった。 天皇と国家の威信を掛けた壮大な葬儀をした上、更に彼女の為の祭り事(国事行為)として翌年の年忌に向けて準備 した。そして天平勝宝1/4/1-4/14日には大仏を完成して拝礼した(4/21、及び5/2を参照)。先の陵は平城宮から命日 方位で弔うためであり、また大仏殿からも命日方位に祀る為の位置づけで造った。 なので平城宮では3/19日に祭り事を行い、其の後で東大寺では仏教暦で晩秋と晩春とに鎮魂の祭りを行なえるように 設定した。此の関係は円暦の方式にも合格である。ともあれ4/21日に崩御したので聖武天皇(5/2を参照)が即位して4 /21日の方位に彼女を葬ったのではなくて、3/19方位に墳墓を造った。 此の日をユリウス暦にすれば3/19方位になるからです。其処が実は今、治定の元正天皇陵ではなくて、聖武天皇陵と 治定した佐保山南陵である。伝・聖武天皇陵が実は元正天皇陵だったと言えば意外と思うだろうが、筆者も其れは同 じで有って、其れに中々気づかず近日まで此のページに見当違いの解説をして来た。 伝・聖武天皇陵のある此の佐保山にはやがて眉間寺が建ち、其の後、此の一帯には松永久秀が多聞城を築き、幕末 には眉間寺は移転し廃寺となった。其の後、明治には此の山が聖武天皇陵として治定されたものの、封土は円形で墳 頂は五角形。五角形にしたのは本来の墳墓の形ではなくて、函館の五稜郭と同様の意味だったろう。 つまり戦陣の魔除けの意味で加工したものと推定する。ただ其れにも拘わらず一代違いで当っていたのですから伝承 は軽視出来ない。いや寧ろ、何万箇所もの古墳を破壊して何も答えを出せない洋式考古学に比べて、地元の伝承の 方が事実を答えている。 譬え1代のズレが有ったとしても、125代の中の1代であれば、其の的中率は65%当っている事になります。ともあれ、 此処の場合も、先の人が忘れられて、後に祭った方だけが後まで伝承されたケースと分かる。 さて、平城宮から此の4/21日のラインに沿って光明皇后が法華寺を建てた。しかも聖武天皇が此の陵から彼女の4/21 日の命日方位に大仏を鋳造して建てた。更に此の4/21日のラインには転害門を建てた。其のラインの西には大山守 邦羅山墓があり、大仏殿の東には東塔を建てた。其の先の春日山には妙見宮があった。 此処までの意味を解説すれば、3/19日の方位に遺骸を葬り、其の死霊を4/21日の方位の転害門(10/5転害会・テガイ エを参照)で封じる傍ら、平城宮では4/21日に弔って其の方位の大仏に祀り、更に其の先の法華堂(三月堂)に祀ろう とした事が分かる。其れまでの間に今も東大寺では二月堂の「お水取り」を済ませるのです。 先ず3/19日には元正天皇の御魂を弔って金色のルシャナ仏に重ね合わせて仏と一体化して祀り、逆に9/17日には観 音浄土から神霊に変わって此の世に再臨する事を平城宮で祈る祭り事とした。此れが聖武天皇と道鏡(5/17を参照) との神仏習合・本地垂迹思想の根幹であり、其の思想体系(方式)をものの見事に具現化したものだった。 また光明皇后が此の4/21ラインに元正天皇の御魂を迎える場として法華寺を建立した。ただ聖武天皇が756/5/2日に 崩御した為、其の御魂を迎える場として彼女が此の法華寺に居着いて、法華滅罪の寺としたものの、其の彼女も夫の 後を追うように760/6/7日に崩御した為に、やがて此処が彼女の御魂を迎える宮となった。 しかもやがて国分尼寺の基軸となる。つまり三重の意味の霊的ポイントとなった。また此処は元正天皇の61年後になっ て光明皇后が総国分尼寺とした寺として時代が隔たるものの、因縁と言うか、女帝と女傑との取り合わせも面白い。何 れにせよ東大寺が総国分寺となるのに対して、此の尼寺が一対の関係で以後の時代に大きな影響を与え続けた。 ただ道鏡事件の後に此の壮大なスケールの思想体系も抹殺されて以後の神仏習合の原理も歴史も一切が謎と成った ので、改めて本書が方位から解説を試みた。尚、今の伝・聖武皇后陵(佐保山東陵)は彼女(光明)の墳墓ではなくい (6/7を参照)。 所で先の3/19日のラインの西、つまり9/17日のラインには生駒の宝山寺---難波の宮跡---神戸市・垂水に至る。中で も今の宝山寺は「生駒聖天」と呼ばれる御利益信心の寺である。大鳥居があって聖天堂が有る神仏習合の寺院だが、 寺院建築としては極めて珍しい八棟造りと言われる。 棟や破風の数が多い風変わりな外観であり、外拝殿、中拝殿、そして一番奥に火炎宝珠の大聖歓喜天を祀る聖天堂 があって今は3月と9月に春季彼岸法要をしている。次に難波宮であるが、今遺跡発掘の所は仁徳天皇の高津宮跡で も孝徳天皇の長柄宮跡でもなくて、此の聖武天皇の時の元正天皇御魂迎えの宮(後期難波宮)跡である。 其の先の瀬戸内海に面して垂水があり、歌敷山、舞子があり、明石の柿本神社がある。此処は今、安産と火除けの信 仰があって、06/4/6日には春祭り大祭だったが、人麻呂は寧ろ歌聖である。何れにせよ、こうして此の9/17日には平 城宮から西を拝礼して元正天皇の御魂を迎えて、やがて対極の大仏へとお送りした事になります。 当時は近代化による今のような戦争経済ではなくて祭政一致の実に平和な祭りの経済でした。 ■06御影供(天野)・・・・・・・・真言宗の寺院で弘法大師が旧暦3/21に入定した事を記念する法要で、普通「ミエク」と 呼ぶ。此の日にする寺と旧暦でする寺とがある(5/9を参照)。こうした寺には何れも御影堂がある。天野山・金剛寺 では正御影供の後に、「御奠供」と言う特殊儀式を執り行う。 だが、此れは本来、天皇家の日迎えの祭り」だったと思われる。後醍醐天皇の後に即位した後村上天皇が天野山・金 剛寺で崩御し、この日の方位に当たる檜尾山・観心寺に葬られた。よって其の逆方位・暦日には金剛寺では今も「御奠 供」(ゴテング)と言う特殊儀礼を続ける。これはしかし真言宗の儀礼にはなくて、天皇家の祭りでした。 因みに2011年の「ミエク」は、3.11東日本大震災のため中止として、その代わりに大震災「慰霊祭」として行われた。 ●高野山・奥の院「萬燈会」。 ■09宇部神社・例祭・・・・・・・・鳥取の国府町・宇部神社の例祭。因幡地方の140余りの神社に伝わる中国の霊獣・麒 麟獅子舞が奉納される。先導役の猩々(しょうじょう)は、初代鳥取藩主・池田光仲公(祖母は徳川家康の娘)が能楽の 猩々から考案して因幡・東照宮(樗おうち谷神社)建立の際に奉納したのが由来と言われる。 因みに因幡・東照宮は鳥取市内の城跡の東、樗谷公園にある。 ■蓮華会舞・・・・・・・国分寺(島根県西郷町)で4/21〜23日、奈良時代以来の寺院舞楽。八種の舞楽を古式面をつけ て舞う。 ■開帳・・・・・・・善光寺(大分県宇佐市)で4/21〜23日。 ■御影供・・・・・・・海蔵寺(佐賀県白石町)。 ★09民放の日。 ★ローマ建国の祭り・・・・・・・・BC7534/21建国の王ロムルスに因む祭りとして復活したもの。または輝かしい戦歴を誇 るローマ国民が、自分たちの先祖(それはすなわち建国者の親であるが)を軍神マルスとして、自国の誕生を神聖なも のに結び付けようとした。 ローマの建国以前の伝承や、建国にまつわる伝承は、正確な事実の記録に基づいている物よりも詩的な装飾が混じっ ているらしい。従って日本のように1000年以上継続的に続けられた祭りではない。 4/22 日 ■06人間将棋(〜23日)【山形県天童市、舞鶴山】 ■09福島・霊山神社祭。 ■06-07-08-09靖国神社・春季例大祭・当日祭・・・・・・東京。以下、ウィキペディアから引用する。 ----旧称は東京招魂社。東京の九段に鎮座する。戦前は内務省が人事を、大日本帝国陸海軍が祭事を統括した。 祭神は近代以降の日本が関係した国内外の事変・戦争において、戦役に就き戦没した日本の軍人・軍属であり、慰 霊・顕彰・崇敬などを目的として祀っている。 単一宗教法人であり、神社本庁には加盟していない東京都知事認証の単立神社(単立宗教法人)である。桜の名所と しても知られる。最重要の祭儀は合祀を行う例祭で春と秋の大祭である。春は4/22日(敗戦までは4月30日〔日露戦争 陸軍凱旋観兵式の日〕) 、秋は10/18日(敗戦までは10月23日〔日露戦争海軍凱旋観艦式の日〕)でした。 @ 従って此処は、日本政府が行わない祭り事を独立して行っている独立国・日本国民の聖域であり、先の@の道理も知ら ない日本のマスコミが反感的に論評する行為が結果として反日を煽り、中韓などから政治的批判と干渉を呼び込む愚 行になっている。 ■11となみチューリップフェア(4月25日前後〜5月5日)【富山県砺波市】 ■例年-多賀まつり(多賀大社古例大祭)・・・・・・・滋賀・多賀大社。ナギとナミの二神がオノコロ島に天下って多くの 神々を産み、更に日本の国生みをされた神話は有名です。なので淡路にイザナギ神社があり、4/22日の祭りには北部 に位置する郡家の浜まで行列したらしい。 他方、イザナギノミコトとイザナミノミコトを奉るお社が此処、滋賀県の多賀に有って矢張り4/22日頃に大祭をしていま す。なので此の4/22日と言う合符は、イザナミの命日を黙示したものと推定できます。其のため、淡路を軸としてその 方位に当たる熊野と、逆方位に当たる島根県にもイザナミが祭られている訳です。 イザナミの死後に彼女の蘇りを願って、イザナギ神がいわゆる黄泉の国を訪ねたとあります。其れはいわゆる「あの 世」の事ではなくて、島根から更に大陸に渡ったものと推定出来ます。大陸では太陽よりも月や星を暦とする国であり、 従って「夜見る国」、つまり「夜見の国」であった。 彼が恐ろしい其処から逃げ伸びて、ようやく九州に一人戻った時に、筑紫の日向に辿り着いて、ヨミ(黄泉)の国のケガ レをミソギ祓いした訳です。 其の後に彼だけが淡路の宮に住んで、立春の頃に亡くなった。よって其のあとを天照大神が後継してその方位に当た る東北に向かって今の多賀に宮を設けてイザナギ神を弔ったものと推定できます。因みに多賀には烏の伝統神事が 今も伝承されているようです。忌の役割を負った為に、今もカラスは各地で忌み嫌われます。 何れにせよ其の際には淡路から東北に向かった。その意味は鎮魂方位に当たるからです。従って、此の多賀宮が当 時の高天原であった事になります。そのように解釈すれば、其の後のニニギの天下りも此処から発した事が分かり、よ って多賀大社が永く崇敬され、今まで守られて存在した必然性が見えてくるかと思います。 ■京都の歴史・・・・・・本日と10/22日は京都に関わる祭りが多いので平安京となる前の由来を述べる。先ず二万年前 の京都には今の市内を比叡山から南西に向かって流れる川があった。亀岡には大きな湖があったので、大山クヒ神が 山を裂いて水を流して平野にした。だから今の亀岡と京都には大きな盆地が出来たと言う。 其処を開発したのが秦氏であり、また上下の賀茂社は神武または文武天皇時代に火雷神系の別雷神とヤタガラスを 祭る所として創祀され、鴨の地と言われたが、大和に対して山背・山城とも呼ばれた。或は葛野・嵯峨野・愛宕・紀伊と も言い、秦氏ら2万人が開墾していた。 やがて桓武天皇の平安遷都となったが、其の頃には宇多の地と言われ、既に鴨川が現在のように付け替えられてい たとも言われる。洛中を分断していた鴨川を迂回させるために北の上賀茂社で東に振り、其れを比叡山から流れて来 た高野川に「糺すの森」(下鴨社)付近で合流させ、其処から真っ直ぐ南に流れる現在の鴨川にしたと言うもの。 やがて平安京から明治になり、東京遷都となったが、寂れた京都の活性化の為に平安神宮の創建と「時代祭」が始め られ、また琵琶湖からのインクラインによる発電で市電を走らせ、其の水を疎水として市内に分配したのです(5/14葵 祭、10/22時代祭りも参照)。 ★07京都・伏見稲荷大社・神幸祭・・・・・京都で商売繁盛の穀神を祭る伏見稲荷の大祭。最も古くからの稲荷大社最大の神事として例年4/20日 に最も近い日曜日に行われる。07/4/22には五基の神輿が御旅所へ、そして氏子五ヶ郷に巡行する。また還幸祭が5/3になり、其の逆の時期の晩秋の11/8 には火焚祭がある。 伏見稲荷は秦氏の神、即ち渡来人の神として官祭・官幣に預からず、特に狐や蛇を祭る稲荷や三輪の神はキリスト教から見れば淫神邪教の類と見下す日本 人が多いが、詳しく見れば事実は逆である部分が多く、要するに日本の原風景が此処にある。四国88ヶ所や東寺、そして高野山を開いた弘法大師との縁も深 い。 此のため真言宗信徒や農家はじめ商売人の参詣も多く、境内は何時も賑わっている。当社は平安京以前からあった。 一般的には元明天皇の和銅4(711)/2/壬午の日に深草の長者・伊呂具秦ノ公が勅命により、三柱の神を伊奈利山の三ヶ峰に祀ったのが始まりで、其の年は 五穀が大いに稔り、蚕織なって天下の百姓は豊かな福を得たと言う。 だが、此の辺りは古墳群であり、一つ一つに鳥居がある。いや鳥居だらけであるが古墳は史実よりも古い。また本日は同じ秦氏系の松尾大社と同じ日に祭り があるが、其れは両社の本殿が西と東で10/15--4/15の対極方位に位置しているからであり、主神も同じと分かる。08年は4/20日。 ★07京都・松尾大社・神幸祭(嵐山船渡御)・・・・・松尾の猛神。ご祭神は大山くひ神ほか1座。秦氏に縁の大社である。神幸祭・通称「おいで」 は4月第一日曜日、其れから3週間目の日曜日に還幸祭。松尾大社から4〜6基の神輿と唐櫃が桂川を渡って氏子地域を巡行して西七条お旅所に止まり、や がて21日後の還幸祭には大社に戻る。 当社は筑紫宗像の中都大神(市杵嶋姫)を此の地(日尾崎)に秦忌寸都理が祭った。山上に今も岩倉がある。大宝元年701/3/3の事であり、丙子とすればU4 /15に当る。平安京が出来てから歴代天皇の行幸が続いた。 大山咋くひ神とは「山を裂き、山を食う」と言う意味の名であり、大年神と天知迦流美豆比売との間に生まれた。近江の日枝山(叡山)の葛野の松尾に鎮座して 鳴鏑を用つ神として別名「山末之大主神」とも呼ばれた。松尾大社から叡山(848.3m)は2/22.5日方位にあり、其の途中に西から梅宮大社--烏丸(旧内裏)-- 下鴨神社--が並んでいる。 但し昔は3月中卯日に出御、4月上酉日に祭礼だった。大社と今も残る御旅所の位置が生憎4/15ではなくて4/7.5日の方位を示している。暦は無論和式太陽 暦だった。神輿は松尾七社が桂離宮の東から船で渡り、衣手社神輿は衣手社(西京極郡町)に、三宮社は川勝寺三宮社(西京極北裏町)に、他は西七条(南 中野町)御旅所に着御する。@ 両社は秦氏の神として、また秦氏は渡来人と見られているが、松尾大社は大山くひ神であり、伏見稲荷は別の神々になっているから分からないのであるが、 何れも出雲の神である。ただ1300年前に景教(キリスト教)が入った。以来彼らは閑職にあって歴史にも登場せず天皇家を揺り籠から墓場まで守って来た。 08年は4/20日。 ★07矢田寺(金剛山寺)練供養・・・・・・・金剛山寺(奈良県大和郡山市)で第三日曜日、地蔵・満米上人・閤魔王・赤 鬼・青鬼・二十五菩薩などに扮した人々が境内をめぐる。 ■例年-聖霊会【大阪市天王寺区、四天王寺】・・・・・・・四天王寺(大阪市天王寺区)の聖徳太子の忌日。無形文化財 の舞楽を奉演。07年は雨天のため、六時堂にて法要。堂内に太子の肖像(楊枝の御影)が祀られ、樂人たちが和楽器 を奏でた。僧侶が「そうらい、そうらい」と唱えて仏を讃え、荘厳な法要となる。 また「蘇利子」 や4人が武人姿で舞う「太平楽」など華麗な舞楽10曲が交互に古式ゆかしく奉納された。その昔、聖霊 会は早朝から夜半まで25曲もの舞楽が奉納され、「太平楽」は夕方頃になった。よって今もその名残から篝火が焚か れる(07/4/25朝日記事より一部引用)。 ■09いざなぎ神宮祭・・・・・・・・・兵庫、淡路島。 ■大山祇つみ神社・例祭・・・・・・・・愛媛・大三島。仁徳時代の創建で三島水軍の武門の神、海上守護の神として延喜の 一宮、名神大社。主神はナギナミの御子の大山積神。木花開耶姫命の父である。社宝数千、国宝116、多くが兵器類 であり、中でも甲冑類は全国の六割と言われた。 境内に御串山があるが、此の位置は安芸の宮島に関連すると思われる。と言うのは、東の岩城・祥雲寺→弓削・常光 寺→日比地区→・・・東の高野山へと続く弁天ラインにあるからです(3/21を参照)。 其の中間地点の瀬戸内海・大三島のこの大山祇つみ神社の例祭日は4/22であるが、先のラインは9/22←→3/ 21であり、つまり此処の例祭日も本来は3/22だった可能性がある訳です。しかも此処では旧暦8/22には産土(産 須奈)祭りがある。其れを新暦にすれば9/22頃になる。更にこの神は「わたしの大神」とも言われて来た。 「ワタシ」は「渡し」、即ち海神と言われて来たが、先のような方位関係から見れば、実は「東西の受け渡し点」と言う意 味もあった様に感じられる。それにしても何故、この3/21←→9/22の暦・方位に位置して、其の時期を祭りとする のか、興味ある所です。 ■09鳥取・護国神社祭。 ■07牛深ハイヤ祭り(〜22日)【熊本県牛深市】 ■09長崎・護国神社祭。 ■09アースデー(地球の日)。 4/23 日 ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ ■例年-弘前さくらまつり(4月25日前後〜5月5日)【青森県弘前市、弘前公園】 動画http://www.omatsuri.com/movie/hisakura.html 弘前さくらまつり 4月下旬〜5月5日頃 青森県弘前市 ■人間将棋(〜24日)(山形県天童市舞鶴山)。 ■09福島・護国神社祭。 ■百村の百堂念仏舞・・・・・・・栃木県黒磯市。 ■06-07-08-09靖国神社・春季例大祭・2日祭・直会・・・・・・・・・・東京。 ■09となみチューリップフェア(〜5月6日)【富山県砺波市】 ■09射水神社祭・・・・・・・・・富山。 ■授戒会・・・・・・・永平寺(福井県永平寺町)で4/23〜29日、仏門に入る者に域律を与える法会。 ★11飛騨神岡祭(4月第4土曜日)【岐阜県飛騨市、大津神社】(中止) ■09能飛・護国神社祭。 ★06京都・松尾大社・神幸祭(嵐山船渡御)・・・・・松尾の猛神。ご祭神は大山くひ神ほか1座。秦氏に縁の大社である。神幸祭・通称「おいで」は4月第一 日曜日、其れから3週間目の日曜日に還幸祭。松尾大社から4〜6基の神輿と唐櫃が桂川を渡って氏子地域を巡行して西七条お旅所に止まり、本日の還幸 祭には大社に戻る。 但し昔は3月中卯日に出御、4月上酉日に祭礼だった。大社と今も残る御旅所の位置が其の暦・方位を明示している。暦は無論和式太陽暦だった。@ ★06京都・伏見稲荷の神幸祭。08/4/20 ■06-07ぼたん祭り・・・・・・・観音信仰の寺、桜井市の長谷寺でボタンの見頃の4月下旬から5月上旬まで。期間中、特 別寺宝展や牡丹献花祭、茶会など各種催しが開催される。 ■清姫の命日・・・・・・・安珍と清姫の「娘道成寺」の縁起で知られる清姫の里は和歌山の富田川沿いの中辺路にある 福厳寺(一願寺)。一願寺の清姫堂では毎年4/23日に清姫の供養祭を行う。他方、道成寺は日高川町にある。安珍は 奥州白河から熊野本宮へ向かう若い修行僧だった。 清姫は其の安珍に一目惚れして大蛇と化して追いかけて、道成寺の釣鐘の中に隠された安珍を釣鐘の周りに巻きつ いて情炎の炎で焼き殺したと伝える。道成寺では此の物語を今も「絵解き説法」で解説している。歌舞伎や長唄の「娘 道成寺」も此処から出たもの(後日談)である。 因みに方位から見て置こう。道成寺と田辺市中辺路真砂(清姫墓地)との位置関係は10/23.5---4/23日(命日)方位と なる。此れは偶然の一致ではない。非業の死を遂げた者にはこうして正しい方位によって皆で弔い、彼の世で思いを 遂げさせようとする人々の情けがあった。此れは憶測ではあるが、其れが他に類を及ぼす祟りを避ける道であった。 とすれば蛇足になるが、道成寺は安珍を弔う寺と言うよりも、清姫を日迎えする宮としての場であった事になる。 ■07城崎温泉まつり・・・・・・・兵庫・豊岡市で4/23日。城崎の四所神社から古典行列が出て温泉街を練り歩く。24日に は温泉駅前から稚児行列が出る。また温泉寺の秘仏本尊の御開扉もある。 ■07-09先帝祭(〜25日)【山口県下関、赤間神宮】 ■09沖縄・護国神社祭。 ●「みどりの週間」29日まで。 ■こども読書の日。 ■09世界本の日。 4/24 日 ■09松前・桜まつり・・・・・・・北海道。4月下旬から5月下旬。 ■平将門の命日・・・・・・・・彼は天慶3(940)年3/14庚辰として、其れをユリウス暦に換算すれば4/24(2/14 の 説も有る) となる。彼の首は京の都大路で晒され、胴体は岩井市に埋められた。所が首が胴体を捜して北へ飛んだ が、岩井市に達せず神田に落ちた、と言われる。 今、岩井市には国王神社、延命寺、御幸神社が略一列に並んでいる。その暦・方位は4/24であり、ユリウス暦に合 致している。因みに京都から神田の方位は3/10であり、また神田と岩井とは約1/7方位である。 所で、その首塚は1100年近く不変であり、江戸時代には大手門、其の後は宮中三殿の、何れにも鬼門に当たる位置 (今の大手町1−1−1三井物産近く)に有る。但し神田明神はこの首塚の所にあったが江戸城築城に伴って北約1/1 1方位の現在地へ移転させられた。 神田明神が遷ったのに首塚の位置が不変なのは、移そうとするたび事故が相次いだ事からだ。神田明神の例祭は古 くは9/15に有って、江戸将軍家の「天下祭」として賑わい、以来、日本三大祭の一つともなったが、其れが今は5/1 0〜11に変わった。此れは神田神社の三ノ宮に祭られている将門の命日に期せずして近い祭日となる。 ★07-08-10飛騨神岡祭(4月第四土曜日)【岐阜県飛騨市、大津神社】 ■近江まつり。 ■06-09籠この神社・例祭(葵祭)・・・・・・京都。天水分神(またはニギハヤヒ)を祭る丹後の宮津の名社。ニギハヤヒは海 部氏の祖神であり、昔は国府の有った真名井の地にあり、「元伊勢」の一つでした。だが、元正天皇の時代に、眼前に 天橋立、後背地に成相寺のある現在地に遷った。 この日の例祭は、京都加茂社の葵祭りと並んで「藤祭り」とも言われる。 さて、記紀によれば、垂仁天皇3(BC27)年には新羅の王子・天日槍が帰化して但馬国に落ち着いたとあり、また日 本の古典、竹之内文書によれば、同22(BC8)年の頃、ユダヤの航海民が海洋民の港・天橋立の海部へ出入りし、イ エスが21歳の時に来日して以来、富山に留学していた。 このBc2c〜Ac2c当時、大陸ではローマ帝国と漢と言う二大帝國が栄え、その間を通るシルクロードには大月氏、匈 奴、西域があり、特にパルティア王国が邪魔していたため、海のシルクロードが使われていたのである(ヒジリ事典の 「アーリア人」を参照)。 ■07-08文殊会・・・・・・・興福寺(奈良市登大路町)で4/24〜25日、文殊菩薩の供養で、その知恵にあやかるための行 事。 ■例年-うそかえ神事【香川県綾歌郡綾南町、滝宮天満宮】 ■06大神山神社・春祭り・・・・・・鳥取・伯耆大山(国立公園)にある大神山神社で行われる。此処は神代の昔の「国引 き神話」の根源の地とされ、御祭神は大巳貴(大穴牟遅)神であり、奈良の三輪と同様、この大神山も「おほむわのや ま」と読み、主神は大国主命としている。 山頂を奥宮(大山権現)とし、近くには本尊を地蔵菩薩とする天台宗・大山寺がある。そして逆の秋の10/9にはまた 秋の例祭がある ■ドロメ祭(4月最終日曜日まで)【高知県香南市・旧加美郡赤岡町】(2011年は中止) ■中山神社・例祭・・・・・・岡山・津山市の数キロ北で昔の美作国の一宮として金山彦命を祭って来た中ちゅう山ざん神 社の例祭。金山彦命は冶金・鍛冶の神であるが、此処では鏡作り神ともなっている。本殿は国宝、背部の山は中山、 または長良岳とも言う。4/3に根本祭があり、国家大事の時には石基で御鉾祭が行われる。 そして本日4/24の祭りは神幸式と御田植祭である。@ 明治からは10/16を大祭としているが、此れは先の中山の4/24の祭りとは略対極の仏教的立場の祭りと見る事 も出来る。当日は浜に出て座祀を行うのを例とした。 ■物部神社の例祭・・・・・・物部氏の祖神・ウマシマ遅の命を祭り、古の石見国の一ノ宮として島根・川合村に鎮座する 物部神社の例祭。また10/24夜には鎮魂祭がある。此れは11/22夜、宮中で行われる鎮魂祭の起源をなすもの と言われる。 ■10-11先帝祭献茶式【山口県下関市、赤間神宮】 4/25 日 ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ ■本派・浄土宗・法然上人忌。 ■唐沢山神社・春例祭・・・・・・ウィキペディアによれば当社は栃木県佐野市富士町1409。主祭神は前項の平将門を倒 した藤原秀郷公。社格等・別格官幣社・別表神社。創建・明治16(1883)年。例祭 4月25日・10月25日。因みに藤原秀 郷公は唐沢山城の本丸跡地に創建・鎮座が明治23年(1890年)、別格官幣社に列格した。 当社より西2kmの佐野市(旧安蘇郡田沼町)新吉水にある秀郷の墓所は飛地境内となっている。また菩提寺は佐野城 跡の旧・惣宗寺(現在地は佐野市金井上町2233 )。 ■10となみチューリップフェア(4月25日前後〜5月5日)【富山県砺波市】 ■09富山・護国神社祭。 ★09飛騨神岡祭(4月第4土曜日)【岐阜県神岡町、大津神社】 ★10松尾大社神幸祭(おいで)・・・・・・・4月20日以降の日曜日 京都市西京区 動画http://www.omatsuri.com/movie/matsuo.html ■例年-興福寺文殊会・・・・・奈良・興福寺・般若寺。詳しくは奈良市観光センター0742-22-3900 ●23顕宗天皇の命日・・・・・・・彼は来米稚子・ヲケ尊と言われたが即位して(顕宗)天皇となり、近飛鳥八釣宮を設け、 その後、顕宗3/4/庚辰25/487/6/2−6/3に崩御して片岡之石坏岡、または傍丘磐坏丘陵、または傍丘磐 坏丘南陵に葬られたとされている。 彼が何故此の八釣り宮に宮を遷したか、と言えば、先帝の清寧天皇をこの先の甕栗宮(伝承地)から1/8~16方位に有 る天理市のアンド山古墳に葬ったからでした。従って彼・ヲケ(顕宗)天皇は、八釣宮を通して先帝の「日迎え」の祭りを 主宰した訳です。 所がその彼も4/庚辰25に崩御したので、八釣宮からこの日の方位とは逆の香芝市別所・柳井の城山一号墳(墳長 42m帆立貝形)に葬られたと思われる。だが次のオケ(仁賢)天皇はこのヲケ(顕宗)天皇の祭りのラインではなく、その前 の清寧天皇のアンド山古墳の手前の天理市柳本に居着いた。 つまり其処で清寧天皇の日迎えの立場を採って居着いたからだった。よってそのままの位置付けの石上広高宮として 即位した。 ■06-09楠公誕生祭?・・・・・・・大阪・千早赤阪村では歴史資料館前の楠正成父子像の前に幾つもの大型テントを設 置して誕生祭?実は鎮魂祭。09年は生憎の大雨の中、神社庁、及び府下の神社、並びに神戸の湊川神社関係者が 白装束で、その他、各地の有力者200名が参列し、しめやかに神事の後は巫女にる剣の舞や太鼓の演奏を奉納した。 楠正成公は永仁2年(1294)4月25日にこの水分の里で誕生したとされ、最後は延元1/5/25日(5/25日の湊川神社を参 照)に湊川で討死(自刃)している。 ▼JR尼崎列車衝突事故・・・・・・05/4/25、月曜の09:18頃、脱線衝突事故となり死者95名の大惨事となった。スマトラ 津波は満月、今回の事故は満月の翌日だった(別紙の「月のコヨミ」を参照)。 ★10-11どろめ祭(4月最終日曜日)【高知県香南市 赤岡町】(2011年は中止) 動画http://www.omatsuri.com/movie/dorome.html どろめ祭。 ●兼山廟大祭・・・・・・・土佐・本山町(役場企画課0887-76-2113)。 ■ヤマトタケル・白鳥・立部・建部の由来・・・・・・・・先ず白鳥神社について『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用すれ ば、白鳥神社(しらとりじんじゃ)は、大阪府羽曳野市にある神社である。日本武尊、素戔鳴命、稲田姫命を祀る。元は 軽里の西方の伊岐谷にある白鳥陵の頂に鎮座し、「伊岐宮(いきのみや)」と呼ばれていた。 南北朝・戦国の兵火により衰微し、峯ケ塚古墳の頂の小祠として祀られてきたが、慶長9年(1596年)の慶長の大地震 で倒壊し、そのまま放置されていた。天明4年(1784年)、古市の氏神として現在地に移された。次に立部(たつべ)の地 名について、 明日香村に立部(たちべ)があり、少しズレた所に定林寺(立部寺・建部寺)跡がある。聖徳太子建立の7寺、または46ヶ 寺の一寺に挙げられている。4/15日例祭の建部たけべ)神社を参照。 羽曳野市の近鉄・古市駅前にヤマトタケルを御祭神とする白鳥神社があって、其の先の10/25方位には松原市立部 (たつべ)に地名と共に立部古墳群がある。此れは偶然ではない。ヤマトタケルを御祭神とする意味は、ヤマトタケルの 子孫が白鳥神社に居着き、ヤマトタケルを祭ったからであり、其の彼が死後に此の白鳥に葬られた。 よって此の神社は古墳の上にある。其の命日を主軸にして4/25----10/25の方位に大阪の住吉大社、其の先は鳥取 県倉吉市に至るが、此処にもヤマトタケルノミコト伝説(塔王権現)がある。 http://www.apionet.or.jp/kankou/html/history2_main.htm「倉吉観光情報」によれば、ヤマトタケルノミコトが伯耆と美作 国境の矢筈仙の山頂にある岩石の上に立ち、「この矢のとどく限り兇徒、悪魔は退散して我が守護の地となれ」と、念 じ矢を放ちました。その場所を塔王権現と称し、現在は、石祠と石塔があります。 また、放った矢は現在の倉吉市生竹まで飛び、その地を治める荒神が受け止めたといわれ、「矢留の荒神さん」と呼ば れる神社が建立されています。次に古市から4/2方位に岡山県御津郡建部町がある。何れも子孫が居着き、分家して 白鳥氏または立部・建部の地名や神社名を残す事となったと推定出来る。 ★09国連記念日。 4/26 日 ○◎□◇■◆ ★09甲州市「勝頼まつり」・・・・・・武者行列。 ■近江神宮・鎮火祭。 ■09壬生(みぶ)狂言・・・・・・・・京都市。21日から29日。 ■08千姫ぼたんまつり・・・・・・・姫路城で4/26-27日。 ★09どろめ祭(4月最終日曜日)【高知県赤岡町】 ★史上最悪の事故・・・・・・1986/4/26にチェルノブイリ事故。死者9000人、16万人が避難し、癌患者が今も4000人。科 学への過信により最悪の事態となり、更に政府の隠蔽体質が被害を広げた。 4/27 日 ○◎□◇■◆ ■東北で山火事となった日・・・・・・S58(1983)年の今日4/27日(旧暦3/16満月)から29日、東北と北陸の7県で37ヶ所 の山火事となった。永く雨が降らず乾燥していたので空っ風により次々に飛び火して各地に広がった。死者6人、焼失 面積1084万uと言う前代未聞の被害となった。原因は不明だが、火の不始末かタバコの吸殻と見られた。 以上、読売テレビの「今日は何の日」より引用。因みに、火事に巻き込まれた場合は姿勢を低くして濡れタオルで口を 覆う心得が命を救う。 ■09尾山神社祭・・・・・・・石川。 ■千部会・・・・・・・本門寺(東京都太田区)で4/27〜29日。 ■例年-どぶろく祭り【長野県茅野市、御座石神社】 ■06醍醐寺の薪歌舞伎・・・・・・・・・06/4/27~29(木金土)。宋に赴き帰朝して京都・醍醐寺で修行した後、やがて勅命を受けて弥陀の念仏で勧進に 回り奈良・東大寺・大仏殿を再建した長源上人(浄土宗)の800年御遠忌を記念した新作舞踊の奉納。醍醐寺は真言宗醍醐派総本山。 京都府下で最古の木造建築物の五重塔(国宝)がある外、107件4万点に及ぶ重文がある。この観劇当日に限り、金堂・三宝院・霊宝館が無料で特別拝観出 来る。演目は散華に始まり「長源上人由来鏡」の舞踊、火入れの儀、声明、そして新歌舞伎「船弁慶」が演じられる。 因みに彼の命日は建永元・1206/6/4(U7/11)であるが、京都・上醍醐寺と東大寺は方位にして略南北に位置する。 ■井上内親王・・・・・・・以下、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E5%86%85%E8%A6%AA%E7%8E%8B: 『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用する。---井上内親王(いのえ<いがみ>ないしんのう)、養老元(717)年 - 宝亀6年4月 27日(775年6月3日)は第45代聖武天皇の第一皇女。伊勢斎王、のち第49代光仁天皇皇后。 別名-井上廃后、吉野皇后。母は夫人県犬養広刀自。同母弟妹には不破内親王・安積親王がいる。子は酒人内親王 (桓武天皇妃)・他戸親王。井上内親王の経歴は養老5年(721年)9月11日に五歳で伊勢の斎王にト定される。6年後の 神亀4年(727年)、伊勢に下向する。 天平16年(744年)1月13日、弟の安積親王の死により、斎王の任を解かれ、退下する。帰京後、白壁王(光仁天皇)の妃 になる。天平19年(747年)、無品から二品に叙される。天平勝宝6年(754年)、酒人内親王を産む。その後、他戸親王を 産む。 光仁天皇が宝亀元年(770年)10月1日に即位し、同年の11月6日、皇后となる。その翌年の宝亀2年(771年)の1月23 日、息子の他戸親王が立太子される。宝亀3年(772年)3月2日、光仁天皇を呪詛したとして皇后を廃され、同年の5月 27日には他戸親王も皇太子を廃され、二人は幽閉される事になった。 宝亀4年(773年)1月2日には山部親王(後の桓武天皇)が立太子し、10月19日、井上内親王と他戸親王は大和国宇智 郡(現在の奈良県五條市)没官の邸に幽閉される。その後、井上内親王はやがて幽閉先で宝亀6年(775年)4月27日、 息子の他戸王と共に逝去した。この不自然な死には暗殺説も根強い。 呪詛---すでに息子の他戸親王は立太子され、井上内親王が老齢の夫、光仁天皇を呪ったとは、信じ難い所がある。 ましてや井上内親王は、かつては斎王という神に仕えていた身である。 さらに、宝亀3年(772年)、母の井上内親王と他戸親王の廃后と廃太子事件のあった後の11月13日、俄かに井上内親 王の娘の酒人内親王が19歳で伊勢の斎王にト定されており、この事件と酒人内親王の斎王ト定は連動していた可能 性がある。 また、井上内親王の立后と他戸親王の立太子に尽力したと言われている左大臣藤原永手が宝亀2年(771年)の2月21 日に他界して、藤原氏内部における藤原北家から藤原式家への政権移動があったことも注目すべき事柄である。 井上内親王の光仁天皇呪詛事件は、山部親王の立太子をもくろむ藤原良継や藤原百川ら藤原式家一派の陰謀だと (あるいは彼らの政治的圧力によって内親王が追い詰められた結果とも)いう説がある。 (『水鏡』では、光仁天皇が皇后と賭け事で「自分が負けたら后に若く逞しい男性を与えよう」と言い、結果皇后の勝ちで あったために息子の山部親王を差し出したところ、皇后が若い親王に夢中になってしまったのが事件の原因であると いう話が見える) なお、『一代要記』によれば他戸親王は井上内親王の母と同族の女嬬・県犬養宿禰勇耳の産んだ息子で、井上内親王 が引き取り、我が子として育てたという説もある。 鎮魂---宝亀7年(776年)から天災地変がしきりに起こり、廃后・廃太子の怨霊と恐れられ、また廃后は竜になったという 噂が立った。同8年(777年)、光仁天皇は遺骨を改葬させ、墓を御墓と追称。さらに延暦19年(800年)、崇道天皇(早良 親王)の名誉回復にあわせ、井上内親王を皇后と追号し、御墓を山陵と追称する。 陵墓は奈良県五條市御山町の宇智陵と比定されている。のちに霊安寺御霊神社に祀られた(以上引用)。 ▼またhttp://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/inohe.html「井上のひめみこ」によれば、772(宝亀3)年3.2、巫蠱(ふこ) の罪に連座して皇后を廃される。 続紀には事件よりすでに年月経過とあり、一説に769(神護景雲3)年の不破内親王・氷上志計志麻呂母子らの巫蠱事 件を指すとするが、これは前年誣告だったことが明らかになっているので成り立たない。『霊安寺御霊大明神略縁起』 によれば、井上内親王の罪状はマシワザ(人形)を御井に投げ入れたことであったという。 背後には山部親王(のちの桓武天皇)擁立を謀る藤原式家の策略があったか。同年5.27、井上内親王の大逆罪によ り、他戸親王は皇太子を廃される。詔に井上内親王の呪詛による大逆は度々発覚とある。 『類聚国史』によれば、他戸親王は暴虐甚だしく以前から父帝とは不和であったが、井上内親王が巫蠱の罪で捉えら れた時、光仁の旧臣槻本公老が獄を按験し、奸状が多発、よって母子共に廃せられることとなった、という。 773(宝亀4)年10.19、難波内親王(光仁天皇の姉妹)を呪詛した罪で、大和国宇智郡の没官の宅に息子の他戸王と共に 幽閉される。井上内親王母子が難波内親王を呪詛すべき理由は見当たらず、これまた藤原式家・山部親王らの謀略 に陥れられたとしか理解できない。 井上内親王を祀る御霊神社 奈良県五條市---775(宝亀6)年4.27、幽閉先で他戸王(25歳)と共に変死。この後、続紀 には異変の記事が続出する。7月から8月にかけて黒鼠の大群・雹・飢饉・野狐・風雨。8.22、伊勢・尾張・美濃で風水 害。伊勢斎宮を修理。9.20、霖雨。10.6、地震。翌宝亀7年2.6、流星。 4.1、日食。6.4、太白、昼に現れる(国の乱れる凶兆)。6.18、京と畿内で大祓。旱のため黒毛の馬を丹生川上神に奉 献。7.19、西大寺西塔に落雷。8.13、大風。8.15、全国で蝗の害。9月、毎夜瓦・石・土くれが内豎所の庁舎や京中の 家々の屋根に落下。20日余り続いて止む。10.9、地震。翌宝亀8年2.28、畿内5カ国で疫神を祭る。 2.30、日食。3.19、宮中で頻りに怪異、大祓を行う。4月、雹・氷が降る。また太政官・内裏の建物に落雷。5月、霖雨。8 月、霖雨。9.18、内大臣藤原良継薨ず(62歳)。11.1、天皇不豫。12月、皇太子病。この年冬、雨が降らず泉川が涸れ る。 これらが井上内親王の怨霊の仕業と考えられたことは、同年12.28、井上内親王の遺骨を改葬し、墓を御墓と追称する 旨の記事から明らかである。800(延暦19)年、早良親王を崇道天皇と追称、井上内親王を皇后と追称し、御墓を山陵と 追称する(類聚国史)。陵墓は奈良県五條市御山町の宇智陵。 光仁天皇は遺骨を改葬させ、墓を御墓と追称。さらに延暦19年(800年)、崇道天皇(早良親王)の名誉回復にあわせ、 井上内親王を皇后と追号し、御墓を山陵と追称する。陵墓は奈良県五條市御山町の宇智陵と比定されている。のちに 霊安寺御霊神社に祀られた(引用以上)。 ▼この当時は、桓武天皇の弟の早良親王が延暦4年9月28日(9/28日を参照)が廃されて憤死し、崇道天皇と追号とな り、また弘仁元年(ユリウス暦810年10月12日) - 薬子の変があって、藤原薬子・仲成らが平城天皇の復位を企てて失 敗し、其の祟りを恐れて御霊神社として祭られている。呪詛が横行した時代である。 呪詛は隠密裏にされるか、密教の手法で行われるから当事者以外は分からない。従って無論、歴史資料にも其の前 後の詳細は残らないが、呪詛があったとしても、死後の封じ手まで敷いたのかどうか、また其の結界が今も残っている かどうかを方位から探って見よう。 先ず平城宮と五條市・宇智陵との方位は命日の4/27日にも6/3日とも合わない。次に宇智陵と同市内の霊安寺・御霊 神社との位置も8/7--2/7日になり、何れも無関係である。つまり怨霊封じにはなっていない。但し難波宮と長岡宮は別 である。次に命日を旧暦の4/27日・つちのと丑とすれば、グレゴリオ暦の6/3日、ユリウス暦では5/30日に当たる。 桓武天皇が義母(井上内親王)の魂の再生を願って新宮で迎え祭るには命日との逆方位に位置する必要がある。先 ず同市内に転法輪寺がある。此処は今も「弘法大師が高野山を探して最初に辿り着いた所」との伝承を残す寺だ。此 処に「転法」の意味がある。その先は聖徳太子に縁の羽曳野市の野中寺、そして次が難波です。 後期難波の宮の西端、或いは其の手前の四天王寺北が命日ラインに架かる。難波宮は前期と後期があり、特に後期 は桓武天皇が関与した。しかし其の後の784年、桓武天皇により長岡京に遷都された際、大極殿などの建物が長岡京 に移築された。難波宮の瓦が長岡宮に運ばれ、さらに平安宮でも使われたのだ。 難波宮はしばらく副都として残したが、桓武天皇の延暦12年(793)に廃止した。何故、桓武天皇が難波を離宮としたの かの理由が此れで判明したと言える。怨霊封じではなくて義母の御魂を迎えるためだったのです。 次に長岡へ遷都したが、此れには他の意味もあるが、五条市の北に遷して、子午線に対峙して、義母を更に「天子南 面」で祭る位置になる。 この様に、御魂の再生を願う方式に設定しているので、怨霊封じはしていなかったと断言出来る。と言う事は、今の御 霊信仰の解釈がかなり歪んだ脚色で語られていると思われる(以上、07/4/9日の船曳氏のご指摘に即日回答したも の)。 ■百味練供養・・・・・・・清澄寺(兵庫・宝塚市)。 ■例年-道成寺・鐘供養会式・・・・・・・・和歌山県日高川町(川辺町)道成寺で4/27〜28日、安珍・清姫の悲恋物語で有 名な鐘を供養する。大柁の舞が無形文化財。行列が町を練り歩く。 ■08ドロメ祭(4月最終日曜日)【高知県香南市】 ■06長崎・港まつり(開港記念日)。 4/28 日 ★10松前さくらまつり(〜16日:〜5月中旬の日曜日)【北海道松前町】 ■09青森・護国神社祭・・・・・・・19日まで。 ■例年-日高火防祭(〜29日)【岩手県奥州市水沢区・日高神社】(2011年は中止)。 動画http://www.omatsuri.com/movie/hidaka.html ■10上杉まつり(〜5月3日)【山形県米沢町、上杉神社】 ■山本不動尊縁日・・・・・・・徳善院(福島県柵倉町)。 ■09栃木・護国神社祭・・・・・・・30日まで。 ■06-07-08川崎・身代り不動尊「虫封じ」。 ■06-07-08日蓮宗・開宗会。 ■花嫁祭(花嫁市)・・・・・・・神野寺(千葉県君津市鹿野山)では過去一年間に結婚した花嫁が参詣するが、この日詣 ると安産・開運の御利弟があるという。 ■例祭・・・・・・・光前寺(長野県駒ヶ根市)で4/28〜29日、春季大祭。稚児舞が奉納される。 ■長野雨宮御神事…・・・更科市・日吉神社。 ■09愛知・護国神社祭・・・・・・・30日まで。 ■06-09-10-11春季・神楽祭・神宮神楽祭(〜30日)【三重県伊勢市、神宮】・・・・・・・・伊勢・皇大神宮(内宮)で戦後、崇 敬者を迎えて行われる催し。神楽殿での奉告の御神楽の後、幻想的な神宮舞楽4曲を公開、参集殿の能舞台他で は、由緒ある各種の伝統芸能等が奉納される。神宮視司庁・広報室 Tel:0596-24-1111 ■09霊山護国神社祭・・・・・・・京都市。 ■藤原乙牟漏の命日・・・・・・出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97% A4%E5%8E%9F%E4%B9%99%E7%89%9F%E6%BC%8Fより引用。藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ)は760年(天平宝字4年) - 790年5月2日(延暦9年閏3月10日)桓武天皇の皇后。平城天皇・嵯峨天皇の母。 父は藤原式家の藤原良継、母は尚侍兼尚蔵(就任時期不明)阿倍古美奈。山部親王の元に入内し、宝亀五年(774年) の8月に小殿親王(後に改名して安殿)を産む。天応元年(781年)の四月十五日には山部親王が即位して桓武天皇とな り、延暦二年(783年)の2月5日には無位から正三位に叙される。2月7日には夫人となる。4月には皇后に立てられる。 延暦四年(785年)には安殿親王(後の平城天皇)が立太子される。延暦五年(786年)には神野親王(後の嵯峨天皇)を産 む。延暦八年(789年)には高志内親王を産む。延暦九年(790年)の閏3月10日に崩御した。長岡陵に葬られた。大同元 年(806年)には即位した平城天皇により、皇太后を追贈された。「続日本紀」によると、「后姓柔婉美姿。 儀、女則に閑っている。母儀之徳有り。」と記されており「乙牟漏皇后は美しい方で、温和なお人柄であられた。礼儀正し く、良き母であられた。」という意味である(引用、以上)。今、長岡には宮内庁の桓武天皇皇后陵がある。其処で方位 から見れば此処は生憎、別人の墓地と分かる。実は聖武天皇・皇后・光明子(12/7を参照)の陵でした。 では彼女・乙牟漏の陵は何処か。其れにはユリウス暦で見直す必要もある。当時の朝廷は和暦とユリウス暦に近い暦 法を使っていたからです。此の閏3/10日をユリウス暦にすれば790/4/28となる。其の4/28方位には元興寺・本堂があ る。@ ■不動の祭り?・・・・・・・韓国の江原道から北朝鮮の江原道に掛けて霊峰・金剛山(クムガンサン・毘慮峰・ビロボン峰 ※1638m、ヒジリ事典を参照)が有り、其処からこの日の方位に向えば---鳥取・羽合町の天神川--佐治村・高鉢山 (1203m)--神戸の大龍寺--堺市・家原(エバラ)寺(行基の実家)に至る。 更に---富田林市・嶽山(278m)金胎寺廃寺---竜泉寺(蘇我氏寺)---金剛山頂(1125m)・転法輪寺---山上ヶ嶽 (1719m)・大峰寺---辻堂山(1309m)-----尾鷲湾と一直線に並ぶ。 ※クムガンサンには表訓(ピヨフンサ)寺、正陽(チョンヤンサ)寺、普徳(ポドガム)庵など歴史ある寺院や吉祥天像、 磨崖三尊仏、石塔など仏教遺跡が有った。其れに対して金剛山の神は高賀茂明神、そして大峰は山上権現を祭る。 所で、不動尊は八大童子を眷属に従えているが、大峰は山上ヶ嶽を中心とした密の峰と呼ばれる霊山であり、今のご 本尊は不明だが役小角以来、八大金剛童子と75靡を配置し、其れに対して金剛山は顕の峰として七大童子と28宿(法 華経28品経塚)を置いた。其の途中に龍泉寺があり、不動明王とコンガラ・セイタカ童子を祀る。 此の両山を以って金胎(金剛・胎蔵)両部の対比で山岳修験の道としたのである。日本海を隔てた此の関係は一体 何? ■36孝徳天皇の祭り?・・・・・・・彼は35皇極天皇の禅譲により即位し、摂津長柄の豊崎の宮に遷宮したが、白雉5(65 4)/10/10崩御した。宝算59歳でした。但し此れをユリウス暦11/24やグレゴリオ暦11/27に換算しても、当時 の本当の日付が判明しない。暦法が混乱した時代なので、方位で読み解く外はないのである。 さて彼は仏法を敬う余り神を軽んじて森之宮(生玉社)の森を裸にして豊崎の宮を建てた結果、森之宮には以後「森」が なくなった、と森之宮の社伝にある。やがて彼の亡き骸は、豊崎の宮から逆の、河内の国、南河内郡山田村の大坂磯 長陵に葬られた。 其の宮について今、考古学では大阪城の南の遺跡が孝徳の「前期難波の宮」と想定し、其処が大化の改新後に出来 た、言わば大きな新宮であり、しかも平城京よりも古い古京であったと高く評価しているが、残念ながら其処は明日香と の中間地点であって寧ろ、方位で見れば北区の豊崎神社の西方にあったと推定出来る。 何故なら、其の豊崎宮から→「難波宮」→太子町(陵)→飛鳥(板蓋宮)を結ぶ四点の暦日・方位が全て此処で合致する からです。但し、陵については此処ではなく、付近の同軸上の別の場所かも知れない。何れにせよ、豊崎の宮は実は 鎮魂方位の「寺」だった事になる。 其れに対して逆方位に当たる明日香が日迎えの宮になるので、次の37斎明天皇が重祚して再び飛鳥に遷宮して「板 蓋宮」としたのである。従って皇家としての内裏の祭りは5/1〜2に行われた事になる。しかし、孝徳の隠し子とされる 定慧は渡唐し、帰国して高僧となるが、直ちに仏式暦で多武峰に鎌足を祭った。 しかも同時に実父である孝徳を矢張り仏式暦で難波宮に向かってこの秋に弔い、また逆の春のこの時期には此処・多 武峰の妙楽寺で二父を日迎えした。其の内のこの日4/28が孝徳の祭りである。この二つの祭りの為に彼は妙楽寺 を開基し、居ついた事が分かる。よって鎌足は天皇と同格の祭礼で祭られる事となった。 其れは定慧の権威によるものであろう(「10/10」孝徳、「11/18鎌足」を参照)。 ■清荒神(清澄寺)・三宝荒神大祭・・・・・・・毎年4/27-28。清荒神清澄寺は平安時代の初め、宇多天皇の創意による 理想の鎮護国家、すなわち諸国との善隣友好を深め戦争のない平和社会、万民豊楽の世界を開く勅願寺の一つとし て創建されました。 天皇は讃岐国の名工、定円法眼に命じて曼陀華の香木で本尊大日如来像を刻ませ、寛平八年(896)に、叡山の高僧 静観僧正を迎え、開山の祖としました。まず、伊勢内宮、外宮など十五神を勧請し鎮守神として三宝荒神社を祀り、蓬 莱山七嶺七渓に荘厳な伽藍を造営し、天皇より「日本第一清荒神」の称号を与えられ栄えました。 およそ三百年の後、源平の兵火により灰燼に帰しましたが、勅命により建久四年(1193)源頼朝によって再興されまし た。それよりまた四百年の後の伊丹合戦で再び炎上しましたが、火の神、火防の神として霊験あらたかな荒神社のみ は、いづれも難を免れています。 当山は火の神、台所の神としてあがめられ、また各種の現世利益を祈願される参詣の方で賑わい、創建以来、連綿と 続く栄光千年の法燈は、一日も絶えることなく今日を迎えています。そして昭和五十年には、世界の画聖富岡鉄斎の 作品を展示する鉄斎美術館「聖光殿」を建設、一般に公開し、その入館料は全額宝塚市へ美術図書購入基金として寄 贈しています。 さて三宝荒神大祭は、午前8時より大般若経転読法要。27日午後1時より、本堂にて「中曲付本尊供理趣三昧法要」執 行。この法要は過去幾多の戦争、災害等の犠牲となった人々、その他一切の万霊が悉皆成仏するようにとお祈りする 法要です。28日午後1時より「庭儀百味練供養」執行。 この儀式は当山の法主が大阿となり、一山の僧侶が出仕、山伏、伶人の奏楽を先頭にして境内を練り、荒神王宝前に 参入、喜代寿女(きよすめ)が捧げる百味の飯食を献供して、世界平和と五穀豊穣をお祈りする厳粛な儀式です。以上 はhttp://www.kiyoshikojin.or.jp/gyoji/index.html 「清荒神清澄寺」より引用。 所在地:兵庫県宝塚市米谷字清シ1番地。電話:0797-86-6641 FAX:0797-86-6660 ★09サンフランシスコ平和(講和)条約・発効記念日。 4/29 日 ●昭和の日(みどりの日が07年から「昭和の日」)昭和天皇の誕生日と、緊張する日中関係に配慮したと言う理由で05 /5/13日に参院で可決成立した。此れに伴い、「みどりの日」は5/4(国民の休日)に入れ替わる事となった。 ★09-11松前さくらまつり(〜5月中旬の日曜日)【北海道松前町】 ■弘前さくらまつり 4月下旬〜5月5日頃 青森県弘前市 http://www.omatsuri.com/movie/hisakura.html 動画 ■09秋田・護国神社祭。 ■06-07-08-09-11上杉まつり・・・・・・・・山形県米沢町、上杉神社で4月29日〜5月3日の間、 山形県米沢市で開催さ れます(2011年は未定)。 まつりは、藩祖である上杉謙信公を祭神とする上杉神社と、2代景勝公、10代鷹山公を合祀する松岬神社の春の大 祭なんですよ(喜)期間中は、露店がたちならび、多くの人で賑わいます!!また、上杉謙信公が出陣の度に欠かさず 行った儀式を、忠実に再現されるのが見ものですね(嬉)。 米沢市役所 http://www.city.yonezawa.yamagata.jp/(以上、メルマガ「なっとく歴史館」より転載)。 ■09小御門神社祭・・・・・・・・千葉。 ■06-07-08御嶽山大教・火渡祭。 ■09-10-11出町子供歌舞伎曳山祭(〜30日)【富山県砺波市、出町神明宮】 ■09白髭神社例祭(鎌倉踊)【岐阜県久瀬村、白髭神社】 ■06-07-08水沢日高・火防祭。 ★水沢・新茶まつり・・・・・・三重・四日市市の足見田神社059-29-3121ではこの日06/4/29(祝)に茶業の振興を祈願し て一番茶を奉納し、雅楽の中、舞姫10数人が古式ゆかしい舞を奉納する。 ★荒滝不動つつじ祭り・・・・・・三重・松阪市のつつじの名所・荒滝不動尊・つつじの里荒滝0598-46-0166には数千株 のツツジがある。此処で06/4/29(祝)に投げ餅・芝燈大護摩がある。 ■09-11城南宮・曲水の宴・・・・・・・京都市伏見区。 動画http://www.omatsuri.com/movie/kyokusui.html 曲水の宴 4月29日 京都市伏見区 ■平城遷都祭・・・・・・・平城宮跡。詳しくは奈良市観光センター0742-22-3900 ■06-07-08三輪の献茶祭・・・・・・奈良・桜井市の大神(おおみわ)神社。 ■06-07-09春の蹴鞠(けまり)祭・・・・・・・・奈良。大化の改新の発端となった故事に因んで行なわれる桜井市の談山 神社の恒例の神事11:00から。現在は毎年4/29(昭和の日)と11/3日(文化の日)に行なわれる。桜井市の談山(たんざ ん)神社は0744-49-0001。また5/31日まで「花とみどりのまつり」があり、5/5日には万葉舞踊奉納がある。 ★09淡路だんじり祭・・・・・・・・4/29日の9-3時、あわじ市の市青木の三原健康広場で、市内各地から28台のダンジリ が集合。布団ダンジリと投げダンジリとが共演するほか、だんじり唄、獅子舞などを披露する。市生涯学習文化振興課 0799-37-3020. 以上は09/4/21日の朝日記事より。 ■例年-呉みなと祭り【広島県呉市】 ■例年-錦帯橋まつり【山口県岩国市、錦帯橋付近】・・・・・・・第30回錦帯橋まつりが平成19年4月29日(祝)[小雨決 行]、以後も同様に継続。 ■09山口・護国神社祭。 ■「安徳帝・平家一門の追悼供養」・・・・・・壇ノ浦から4/4方位に進めば越智町の横倉寺に至るが、此処ではこの日 に「安徳帝・平家一門の追悼供養」を修験道伝統の採燈大護摩供をしている。この日の旧暦なら3/24に当たる年も あろう(「5/3」を参照)。横倉寺は0889−26−1928 ★07ドロメ祭(4月最終日曜日)【高知県加美郡赤岡町】 ■清正公祭り・・・・・・4月29日。大分の姫島・達磨山山頂にある清正公社(祭神 加藤清正)の大祭。因みに此処では旧 暦を守っていたのか(6/24を参照)。 ■例年-有田陶器市・・・・・・佐賀県西松浦郡有田町で29日から5/5日まで。 4/30 日 ○◎□◇■◆ ■09宮城・護国神社祭・・・・・・29日から5/1日まで。 ■07-08-09-10くらやみまつり・・・・・・東京都府中市、大国魂神社で4月30日〜5月6日まで(2011年は未定)。 動画http://www.omatsuri.com/movie/kurayami.html ■09長野・護国神社祭・・・・・・29日から。 ★源 義経と武蔵坊弁慶の命日・・・・・文治5(1189)閏4/30なのでユリウス暦の6/15を参照。 ■会式・・・・・・・薬師寺(奈良市西の京町)。 ■07-08佐賀・有田陶器市(4/29〜5/5日まで)。 ■09図書館記念日。 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ ■「神々の歳時記」の各項目のご理解には「366円暦」が必要です。円暦は別紙の「日読み1」http://toki.mikosi.com/ page044.htmlで公開していますが、其の実物を希望される方は末尾に従ってご請求下さい。 ■尚、各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示していますので、*開催 日等の詳細には主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。 ■「神々の歳時記」に記した例は仮説ではなくて、太陽暦に重ねて古式祭による祭政一致を行っていた古からの日本 文化の原理です。其の具体例を今回、公開したものですが、海外への情報流失防止のため、特に「本文」については0 4/11月から「非公開」としました。 ■@マークの付いた以下の部分が「非公開」部分です・・・・・・・@マーク以下には「地理・方位の具体例と其の意味や 暦との関係式」などの詳細を隠しています。この隠れた部分の資料をご希望の方は、「メールフォーム」または掲示板 からご連絡下さい。 ■文中に誤記や間違いがありましたら、恐れ入りますが上記により下記まで御一報賜れば幸いです。尚、参考文献は 巻末に記しました。 ■♪ ただいま募集中 ♪-----●各地のお祭り情報-----あなたの自慢の祭り、知っているお近くの祭りなどの情報 をお寄せ下さい。http://6535.teacup.com/hijiriou/bbs ひじり(日知り)掲示板、 またはメールアドレス tjkny@ybb.ne.jptjkny328@ybb.ne.jp (鬼の会)へ、どうぞ。 次は「5月・初」 パテント・著作権は本会に属します。 「鬼の会」 |