http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」 p097 (未定稿) 神々の歳時記 4月・中1 但し方位による ●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起 の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版 http:// www.omatsuri.com/link/linkvex.html 及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-4月」より一部引用・転載させて頂きました。 ■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記 には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の 詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。 4月・中旬 1 ・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼★ 4/ 9 ▼08一粒万倍日。 ■07-08笠間稲荷・春季例大祭・・・・・・日本三大稲荷と言われる笠間稲荷神社ではこの日が御創建の日。境内では銘 酒ラベル展、献花の展示、各流派の野点も行われる。境内の藤の大樹・八重の藤は樹齢400年、5月上旬が見ごろ。5 /10に御田植え祭、5/20に講社大祭がある。 笠間市は浅野氏・牧野氏などの城下町で陶器の里でもあり今回合併した。なお近くの佐白山麓公園には大石内蔵助 の像もあり、桜も見事。笠間稲荷神社0296-73-0001 ★愛宕山「桜祭り」・・・・・・山桜2000本の名所で、この日4/9(日)に山頂の野外ステージでは各種演奏や郷土芸能など のイベントがある。笠間観光協会0299-45-6655 ■佐志能神社・例祭・・・・・・茨城県石岡市染谷1856で豊城入彦命を祭る佐志能神社。地元では竜神様と言う。以 下、http://www.sosyagu.jp/kenmusya.html「兼務社」より引用する。 御祭神--豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)、タカオカミノカミ、国常立命(くにのとこたちのみこと)、大己貴命、少彦 名命(すくなひこなのみこと)、国狭槌命(くにのさつちのみこと)、豊斟渟命(とおくみぬのみこと)、猿田彦命、金山彦 命、天日鷲命(あめのひわしのみこと)、武甕槌命(たけみかつちのみこと)。 例祭 4月19日--旧郷社。通称竜神様。竜神山中腹に鎮座し例祭日には十二座神楽が奉納される。仁明帝承和四年 三月戊子常陸國新治郡佐志能神官社に預かる。光孝帝仁和元年九月七日従五位下村上神社従五位上延喜式内小 社。 御祭神豊城入彦命は崇神帝の皇子、御母は遠津年魚眼妙媛命。勅命を奉じ、大功をたてたことにより、子孫に東国 の国造に任ぜられるものが多かった。玄孫荒田別命の子孫佐白公が新治国造に任ぜられたとき、祖神を鎮斎した。タ カオカミは軻遇突智神の御子で、暗龍神と同胞。 両部で竜神と称し雨の神。昔、村上村であったので叙位の策命に村上神社としてある。その後分村して染谷村ができ た。村上神社が染谷村の地域に入ったので、村上村では別に一社を創立し、日本武尊とタカオカミを鎮斎した。染谷佐 志能神社は女竜神、村上佐志能神社は男竜神とされている。 例祭日には茨城県神社庁新治支部より献幣使が参向し、幣帛料が献じられます。神事の終了後には染谷十二座神楽 が奉納されます。社殿左手に屏風岩という岩があり、そこの「風神の穴」と呼ばれる穴に指を入れると雷鳴があるまで 抜けないといわれています。 また夏になるとここから暗雲が沸き起こり、竜神が現れて雨を降らせるとも言い伝えられています。文久二年社殿炎 上、その後再建。明治二十九年四月一日郷社に列格。(新治地区神社誌)以上引用。因みに同神を祭る宇都宮二荒 山神社(12/15を参照)とは11/8---5/9日方位で其の先は犬吠崎になる。 ■北条祭り・・・・・・埼玉・前田利家と北条氏の合戦に因む祭り。06年。 ■鎌倉まつり(〜16日)【神奈川県鎌倉市】 ■家康行列・・・・・・岡崎市。06年、三河武士に扮した行列。 ■美濃祭・花みこし(〜10日)【岐阜県美濃市】 ★猪名部神社・大社祭・・・・・・三重・東員町の猪名部神社0594-76-2424ではこの日06/4/8〜4/9(土日)に流鏑馬・上 馬神事などが奉納される。 ★尾高観音・御開扉・・・・・・三重・菰野町の尾高高原にある尾高観音では06/4/8〜4/9(土日)の両日に千手観音を年 一回御開扉。尾高観光協会059-396-0078 ★07京都・松尾大社・中酉大祭・・・・・・ ◆桓武天皇の命日・・・・・但しユリウス暦。其の方位には粟田神社があって、逆方位の10/9日に大祭をしている。 ●07-08大神(大三輪)神社の例祭・・・・・・奈良・桜井市の三輪明神の例祭。若宮神幸祭。ご祭神は倭大物主櫛ミカ 玉命、俗に大物主神(「ヒジリ事典」を参照)とも言う。出雲の神のメッカとも言うべき位置付けにある事から古来信者は 多いが、信者も信者でない人も、神職までも「この宮は蛇を祭る宮」を自認しているから問題である。 ですから境内の至る所に昔は生卵が供えられていた。此れは大神に対して実に無礼である。そうなった経緯は恐らく 二点ある。一つは大神を慕う信者が「この神はやがて必ず再生復活する」と信じた事からであり、次は大和朝廷が出雲 族を敵視して「アレは蛇だ、邪神だ、鬼だ」と喧伝したからであろう。 ともあれ昔は此処に神宮寺として観音菩薩を本尊とする平等寺や若宮大御輪寺があり、境内に大日尊を本尊とする浄 願寺など幾多の末寺、僧坊を有する三輪宗寺院の伽藍があった。興福寺の元となる山階寺も此処からスタートしたと も言われる。若宮神幸祭の若宮とは大直禰子(おおたたねこ)神社の事であり、御祭神は大直禰子命。 元は若宮大御輪寺と言った。彼は大物主の子孫として祟神天皇の時に堺市の陶村から召し出されて此処の神主とな った。大御輪寺の本尊は十一面観音。今は国宝となり近くの聖林寺に安置されている。 所で、神体山(三輪山)に登拝すれば、其処に岩倉群があり、三段階に分散しているものの、何れも西南を向いてい る。三輪山(標高467.1m)から大神神社拝殿(此処は古来、本殿を置かない)の方位は@ 北から見ると、茨城県では境町と岩井、奈良県では御所市、和歌山県では橋本市とかつらぎ町、それに和歌山市、徳 島県では小松島市と脇町、高知県では高知市と大正町、愛媛県では宇和島市の鬼ヶ城山(標高1142m)、そして宮 崎県の北川町に至る。 例祭日は残念ながらこの日のラインにはなっていないが、何れにせよ此れは一体何を物語るのだろうか。@ 因みに、ニギハヤヒとは、天照国照彦火明櫛玉ニギハヤヒ命と書かれる神である。関東から奈良に「天下りした神」で あり、後に出雲神として、或いは天皇家でも「恐れ多い神」として伊勢と宮中で祭って来た神である。 ただ、此れはお一人を示す一人称ではなくて、天照、国照、其の彦・火明命、櫛玉命、ニギハヤヒ命と言う五代に及ぶ 出自を表した世襲神名であろうと思われる。@ 両社は共に「おおみわ」と呼び、神名は違うが実体は同じであり、桜井市の大神神社とは表裏の関係にある事が分か る。でも此れらを多くの人は「単に偶然の一致」と言うのだろうか。因みに同じ大国主命(大物主神)を蛇として祭る赤城 が旧暦の4/8に「へび祭り」、そして讃岐の金毘羅様が4/9に大祭をして来た。 それにしても昔通りの祭日をこうして今に伝えていた事には感服する。恐らく此処にも明治の改暦押し付けがあった筈 であるが、旧暦とは別の和暦を熟知する方があって、お上の無知を跳ね返して古式を守り通してくれたのでしょう。 ■第9代・開化天皇の命日・・・・・・・彼は春日率川宮で即位したが、やがてこの日に崩御して春日率川坂本・坂上陵に 葬られた。その陵については今、奈良市・漢国町の伝・開化天皇陵(念仏寺山古墳)が治定されているが、此処の形は 命日が11/28の陵と黙示しているので生憎別人の墓地となります。 其処よりも寧ろ、天理市柳本の櫛山古墳に葬られた可能性が強い。と言うのは、まだ奈良湖が広がっていた当時、此 処は立地点が標高115〜7mに築かれた総長175mの規模の陵であり、竪穴式でかつ石製品を副葬していた点でも 時代的にも略合致する。 のみならず、築造方位が4/6の形なので此れも記紀にある彼の命日と3日違いで略合致するからです。この陵は築 造様式も画一的な前方後円墳とは異質の形で、後円部にも祭祀壇を設置したような形跡を残しているので、初期の築 造様式を伝えるのか、もしくは合葬を意味するのか、何れにせよ珍しい例である。 尚、第9代・開化天皇陵をこの櫛山古墳として、その主軸を伸ばせば、其処からも次の10崇神天皇陵もこの北部にあ るとの確証が得られる。つまり第十代・が奈良市の尼ヶ辻「宝来山古墳」と判定出来る。此処はしかし今では垂仁天皇 陵とされているが、無論其れは誤解と判明する。 其れ以前に其処に葬られた天皇の名まで末永く残るのは例外的であり、寧ろ後に居ついて祭った方の名が残るケース が多い。伝・崇神天皇陵の場合も、先帝を祀るために、後に其処に居ついた垂仁の名が記憶された事が分かる。何れ にせよ、次にその主軸を伸ばせば、天理市岸田町に接する海知町で結ばれる。 つまりこの二代の天皇の宮が此処にあったと推定できる。其の点、先の「率川」と言う川の名とその流域などは時代に よって変わるので、今「率川宮」と言っても全く見当がつかないが、こうして多少の謎があっても方位で結べば無理に発 掘しなくても芋蔓式に略見当がつく訳です(12/5を参照)。 ■第31代・用明天皇の命日・・・・・・・大兄・橘豊日尊・池辺天皇/磐余池辺双槻宮/御陵在・石寸掖上、後遷科長中陵 也/磐余池上陵・改二葬橘豊日天皇於・河内磯長陵/河内磯長原陵///用明2/4/9癸丑/587/5/21-5/23となる。 彼は橘豊日天皇とも言われた。当時の宮は十市・双槻宮とされている。だが今では其処を特定できないので、其の前 に先帝の30敏達天皇に遡って見る。敏達は十市オサダ幸玉宮で8/15に崩御した。所が其の場所が現在不明であ る。だが31用明天皇の宮が分かれば其処から逆に辿る事が可能です。 ただ用明天皇は其のラインではなくて、9/5に即位した。先の陵から9/5方位は桜井市である。広瀬にも百済にも近 い。彼は命日・日迎えラインではなくて遷宮した暦日方位に雙ふた槻つきの宮を造った。ただ此の三輪山にも近い所で事件 が起きた。やがて4/9に崩御して磐余(いわれ)池上陵に葬られた。 とあるが場所は不明。但し其の点について船引氏が「安倍文殊院の北の丘が正しく4/9の方位を軸としている」とし、更 に其のラインが播磨の斑鳩寺に伸びていると指摘した。其の詳細は現在調査中だが結果が楽しみです。 さてその後、推古元年9月に河内磯長陵に改葬と有り、現在、太子町にある方墳が治定されているが、方墳は天皇陵 ではないし、方位も違うので別人の墳墓である。 さて用明天皇は雙ふた槻つきの宮に遷宮して先帝の日迎えに居着いた筈なので、其の場所を特定すれば敏達の大井=北 別井宮の関係が一層実証出来よう。だがそう簡単ではない。敏達のモガリを広瀬でしているが、広瀬の場所が今は広 陵町の広瀬と広瀬神社、其れに河合町の広瀬台の三ヶ所もあるからです。 ただ其の中間点をこの命日・日迎えラインが通るのです。また祟峻天皇4年にこの陵を改葬した。其れが先の「川内科 長也。磯長陵・是其妣皇后所レ葬之陵也/河内磯長中尾陵」の意味である。因みに妣とは亡き祖母の事であり、キタシ (片塩)媛の事。また片塩の地名は大和高田に残る。 此の陵は敏達の祖母(欽明妃)の陵だった。其の命日ラインに孫の用明が9/5に雙ふた槻つきの宮に遷宮し即位した事 になる。敏達と祖母の陵から祖母の命日方位の片塩の地を軸に逆方位の桜井市に遷して祖母の御魂を迎え祭る位置 にあった。つまり彼は敏達の弟であるから兄がいる限りは先帝の祭りのラインから外れて遠慮していた事になる。 さて謎の雙ふた槻つきの宮の位置は敏達と祟峻とのラインの交差する地点である。其処は箸墓の西から今の桜井市役所 の西であった。其処で此の日に崩御した事により、今の乙女山古墳に葬られた。其処は帆立貝型の古墳であり、其の 墳墓の主軸もまた彼の命日方位である。@ 次に第三のラインが有る。先ず太子は601年に斑鳩宮を建てたが、其れはグレゴリオ暦で命日が5/23日にあたる からでした。よって其の方位に橘寺を建て、また其の逆方位の11/24.5方位に斑鳩宮を建てた訳です。@ 其の途中に久米寺が有る。其処は太子の弟の久目皇子が居着いた寺である。其のラインに今、剣池(石川池)の伝・ 孝元天皇陵と指定している墳墓があるが、其れは孝元ではなくて、この時に用明天皇のために皇后や皇子たちが墳墓 を築いた所と判明する。用明天皇と皇居を、池辺天皇/磐余池辺双槻宮としたのは此の為である。 よって命日とは逆方位の久米寺に久目皇子が居着いたが筑紫で病死した(2/4を参照)。外に茨まむ田皇子や麻呂子皇 子などがいたが、茨まむ田皇子は今の寝屋川に、そして麻呂子皇子は当麻寺に居ついて、やがて近くの麻呂子山に葬 られた。@ 今も兵庫県には太子町があり、其処に太子所縁の斑鳩寺が残されているが、其処は本来、太子の寺ではなくて、父・ 用明の御霊を10/9に迎えるための宮として創建された事がハッキリした。以上の敷設は全て父・31用明天皇の蘇り を祈る皇后と皇子たちによる祭り事の為でした。 こうして太子は三つの宮を次々廻って自ら斎き営む立場に立ってしまった。斑鳩と明日香村との間には、今も斜めに走 る「太子道」と伝わる古道が残っている。太子が愛馬で此処を駆け抜けた道だと言われている道です。其れとは別に袈 裟懸けに走るもう一つの太子道もある。 其れは父のための道ではなくて太子の没後に太子の葬送のために人々が通った道である(2/1を参照)。さて彼・用明 天皇は仏法に帰依しようとしたが果たせず、後を聖徳太子に託して用明二(587)年4/9に崩御した訳であるが、用明 天皇も太子も仏教に帰依したにも拘わらず、皮肉にも此のように伝統的な和式葬法によって鄭重に葬られた。 顧みれば物部氏が仏教を広める事に反対したにも拘わらず太子は蘇我氏と共に物部氏を滅ぼした。やがて日本は太 子のチカラで仏教が広まったものの、其れに比例して災いが増えた。忽ち祟峻天皇が殺され、やがて白村江で大敗し て百済を失い、また太子の子の山背大兄皇子まで死なせたではないか。 此の後も日本では益々渡来の仏教が栄えたが益々戦乱が増えた。正しい祭り事ではなく単に権力闘争の時代とした 以外、何も良い事はなかった。 ■07-08桜花祭・・・・・・・鬼の会(南大阪)の私的な裏小祭。巽門にてモヒトリ(垂直・水準)を採った上で、此の日の方 位の神に対して献茶の上、「辰己へと昇る日神に山吹の此の大神酒を錦織りから」(亜僧)。「吉野への剛ヶ峰の大神 に、薄紅の枝垂れ桜を」(和尼)など、短冊にホツマ文字(ヲシデ)で墨書した御詠を捧げる。 当日は幟の掲揚。石檀で護摩焚きのうえ抹茶。金剛蔵王権現に心経。ニギハヤヒの神に対して御食御酒の献饌と櫻 の玉串。天津祝詞。その後は其の方位の観音堂、薬師堂への参拝。 4/10 ●小幡さくら祭り「武者行列」)・・・・・・・第21回城下町小幡さくら祭り「武者行列」は、群馬県甘楽町にて、05/4月10日(日) に開催されます。 桜の下で小幡藩藩主だった織田信雄隊150人の武者行列や、当時の戦いを再現した凱旋式、和太鼓による凱旋演奏、鉄砲隊による火縄銃の三段構え一斉 射撃、役者による殺陣の演舞、裏千家による野点の開催、農特産物等の販売等々、様々な催しがおこなわれます。 群馬県甘楽町役場は、http://www.town.kanra.gunma.jp/------以上、メルマガ【なっとく歴史館】 http://1rekisi.jpより 転載。 ■千姫まつり・・・・・・・茨城・水海道市。第5回水海道千姫まつり 4/10日。総勢200名の千姫行列はとても優雅。 街角イベントや地元小学生の金管バンド演奏 など,催し物が盛りだくさんで,小さいお子さんも楽しめます。また,近く にある千姫墓所の弘経寺では野点茶会や千姫遺品展等も開催。以上、メルマガ「いばらき」より。 問い合わせ 水海道市観光協会 TEL0297−23−2111(内線279) ホームページ http://www.city.mitsukaido. ibaraki.jp/ ■普寛霊場・春季大祭・・・・・・普寛上人は木曾御岳の表山道・王滝口開山の密教行者で、数々の奇跡に恵まれた人 物。其の遺徳を偲んで春4月と秋10月の10日に、火渡り、刃渡りなどの奇祭・荒業が有る。埼玉・本庄市。以上、「本 庄まつり」http://cancun.poke1.jp/honjou/より引用。 それにしても年に二回に分けて、正反対の時期にこの祭りを続けている事は立派です。ただ御嶽山と本庄市とは9/8 ←・→3/10の暦・方位になる。其れを明治の改暦の時に無知の政府が無理に変更させたものと判明する。 ■07-08一の宮けんか祭り(糸魚川の舞楽)(〜11日)【新潟県糸魚川市、天津神社】 ■揖斐祭(岐阜県・西濃の旧小島村)・・・・1300年前の創祀とされる三輪神社(大国主命)例祭で、豪華な神輿が三輦 が旧町内を一巡する外、華麗な曳山五両が宵宮境内に入るり、子供歌舞伎がある。但し他の地区では例祭日が今は 五月上旬に変わっている(円暦方位も不明)。 ■07-08近江長浜・曳山祭(曳山狂言)(4月9日〜17日)【滋賀県長浜市、八幡神社】 ■06-07-08京都の平野神社では桜花祭として神幸列が衣笠一帯を巡行する。 ■07-08大念仏会・・・・・・・清涼寺〔嵯峨釈迦堂〕(京都市右京区)で4/10〜15日。鉦や太鼓に合わせて念仏衆が真言 や念仏を唱える法会。24種の仮面劇がこの間に演じられる。最柊日15日には御松明神事が催される。 ■07-08大神(おおみわ)神社・春の後宴祭・・・・・・・奈良県桜井市。後宴祭と後宴能。 ■07-08夢教本等閑廣・・・・・・・法隆寺(奈良県斑鳩町)。 ■07-08吉野金峯山寺花供会式(さくら祭り)・・・・・・・奈良県吉野町で4/10〜12日。金峰山(キンプセン)寺・蔵王堂で は桜の開花を本尊の蔵王権現に報告する祭りで平安時代からの伝統行事。悪魔払いの鬼踊りの法式で「花くえ式」と 読む。読経ののち、 山ざくらを花神に捧げ、その後信者の手で挽かれた千本挽きの餅が配られる。 尚、吉野山には下・中・上・奥と凡そ3万本の山桜があり、中でも奥千本は4月後半に満開となり、5月連休まで楽しめ る。 ■イタスケの命日・・・・・・此処で言うイタスケとは個人名でも祭りの名でもなくて地名、即ち堺市・百舌鳥古墳群にある イタスケ古墳の事である。此処は周りの仁徳天皇陵など巨大古墳から比べて小型で目立たない。だが地元では危機 感を持って保存運動が進められた。 かつて周辺には100基以上の古墳が有ったとも言われるが、戦前に既に70基余りとなり、更に戦後は30基が破壊さ れた。イタスケ古墳は全長146mの前方後円墳であるが、宅地開発を知った地元の方々や考古学の森浩一先生たち の努力で此れを防いだ。 S56/5月には国の史跡に指定されたので此れが文化財保護運動の魁であるとも高く評価され、今も意気盛んに保 存と活用が模索されている。そうした中、八田若郎女の墓碑銘が発見された。彼女は仁徳の妃だったが、仁徳の妹・ 矢田皇女と区別するため「若いらつこ」と呼ばれた。 其れについて「墓碑から倭の五王を確定する」http://www.inetmie.or.jp/~jin/WAGOOU.htmlによれば、仁徳天皇妃の 八田若郎女命の墓碑名が当初、京都嵯峨の大覚寺の大沢池周辺から見つかった。その後、井上赴夫先生の調査の 結果、此れはイタスケ古墳(4/10を参照)のものであると解明したと言う。 其れについて筆者もこの種の貴い運動に賛同するつもりで一言する。此処は確かに仁徳天皇の家族の古墳である(1 0/7、「住吉仲皇子」を参照)。その理由としては先ず立地条件である。つまり地理・方位から言えば10/9←・→4/ 10(命日)のお方である。@ 八田若郎女命には嫡子がなかったので、彼女と住吉仲皇子を萩原の原寺で住吉仲皇子の嫡子が同じ所で別々の日 に祭ったものと解釈出来る。 ●高野山・金堂庭儀大曼荼羅供。 ■08桜花祭【香川県仲多度郡琴平町、金刀比羅宮】 ■07-08関山忌・・・・・・・円教寺(姫路市)。 ■07-08法華会式・・・・・・・清水寺(島根県安来市)。 4/11 ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ ■御岳神社のライン・・・・・・5/17を参照。 ■06-07-08法然上人御忌会(4月11日〜15日)【東京都港区芝公園、増上寺】 ■06椿大神社・春季大祭・・・・・・・三重・鈴鹿市の椿大神社059-371-1515では06/4/11〜12(火〜水)に年に一度の大 祭。11日には神事能「ウズメ」が演能される。 ■07吉野金峯山寺花供会式(さくら祭り)・・・・・・・奈良県吉野町で4/11〜12日。 ■もちがせの流しびな・・・・・・・鳥取市用瀬町の千代(センダイ)川で。 ★07-08メートル法公布記念日。 ★韓国・第4回 2008 大加耶(デガヤ)体験祭り -古墳の伝説-1500年前に向かう大加耶ミステリ----お祭り情報誌「わっ しょい!」への投稿者:大加耶体験祭り推進委員会http://fest.daegaya.net/2008/jp/ 期間 : 2008年4月11日(金) 〜 14日(月) 4日間---場所 : 大加耶博物館及び高霊邑内 主要行事 : 大加耶古墳のミステリー---大加耶王陵列車 * ジサン洞古墳体験* 大加耶の馬装飾攻防村 * 歴史再現劇 * 王陵遺物製作体験 * 大加耶の金属攻防村体験* 土器製作及びカヤグム演奏,製作プログラム * いちご収獲体験 * 2008 大加耶体験祭りマラソン大会 韓国の2008文化観光省指定祭りに選定された'大加耶(デガヤ)体験祭り'は皆さんの沢山の関心とご参加お待ちしてい ます。※これ、よく見たら韓国のお祭りなんですね。日本へのPRお疲れ様です。 4/12 ○◎□◇■◆ ▼08三隣亡。 ■07-08柳津虚空蔵十三詣り・・・・・・・円蔵寺(福島県柳津町)の本尊は日本三虚空蔵菩薩の一。13歳の子女が開運 厄除けを祈願して参山詣。 ■07-08御忌会・・・・・・・増上寺(東京都港区)で4/12〜15日。 ◆武田信玄の命日・・・・・・・・甲府市。彼は、1573/4/12日に京都に向かう途中、陣中で没した。そして10年後の1583 年に武田氏は亡びた。 ■07-08信玄公忌(不動尊祭)・・・・・・・恵林寺(山梨県塩山市)による武田信玄公の忌日で露店で賑わう。 ■07-08飯田白山権現堂祭・・・・・・・白山権現(長野県飯田市)。 ■08チャンチキ山祭(〜14日)【石川県七尾市・山王町】 ■08美濃祭・花みこし(〜13日)【岐阜県美濃市】 ■07-08春の千部会・・・・・・・専修寺(三重県津市)。 ●お木曳き行事(役木曳)・・・・・・平成18/4/12〜13(水木)、神宮に御料材を運搬する。伊勢市観光政策課0596-21-5565。一日神領民参加は052- 589-2689 ●椿大神社「春季大祭」・・・・・・三重・鈴鹿市の椿大神社059-371-1515では年一度の「春季大祭」として11日には神 事能「うずめ」が演じられる。06/4/11〜12(火・水)。 ■06-07-08山王祭(12〜15日)【滋賀県大津市、日吉大社】 ■07-08花供養・・・・・・・金福寺芭蕉堂(京都市左京区)で行なう京都内の代表的な俳跡での行事。 ■07-08虚空蔵十三詣り・・・・・・・法輪寺(京都市右京区)虚空蔵菩薩の縁日。十三歳の子女が智恵を授かるように親 に連れられて参詣する。 ■07-08お練供養・・・・・・・金剛山寺(奈良県大和郡山市)。 ★08西大寺大茶盛(4月第二土曜〜日曜日)【奈良市、西大寺】 ■07-08聖徳太子祭・・・・・・・法隆寺(奈良県斑鳩町)。 ◆大福寺・大般若会(櫛玉姫命神社)・・・・・・・大福寺の前に神社から述べる。奈良県・広陵町弁財天399にある櫛玉 姫命神社の祭神は櫛玉比売命。彼女は饒速日命の妃の御炊屋(みかしきや)姫とされる。当社はまた「クシタマさん」とか 箸尾弁財天とも呼ばれている。 摂社の辨財天社は1313年以前に豪族・箸尾氏が天河から勧請して満嶋辨財天と号し、桃山期の彩色木造弁財天・十 五童子を秘蔵している。由緒として此の地は物部氏の勢力下にあった。延喜式に言う「広瀬五座」の一つで、いわゆる 式内社である。 祭神を櫛玉比女命、櫛玉彦命としているが「大日本史」では、饒速日(にぎはやひの)命の妃である御炊屋姫としている。本 殿は前方後円墳の後円部に鎮座し、埴輪の残欠を伴出する等、古代祭祀の遺跡である。銅板葺の本殿に入母屋造 瓦葺の拝殿があり、千鳥破風付きとした江戸時代の建物である。 境内は狭いが楠、樫、檜が多く、入り口にはメタセコイヤもある。正面はほぼ東に向き、更に参道が伸びて、葛城川の 岸辺に朱の大鳥居がある。 参道の延長線に其の鳥居が有って、その中心に櫻井市の三輪山(標高467m)がすっぽり 納まって見えるから不思議だ。其の山麓には檜原神社がある。 此処は伊勢神宮に遷座する以前の元の宮、つまり元伊勢であり、ご祭神が天照大神の若御魂とされている。また三輪 山は三輪(おおみわ)神社のご神体とされていて、御祭神は大物主命としている。そうするとどうなるのかと言えば、天 照大神も大物主命もニギハヤヒに重なる。ただ暦・方位では4/12----10/11.5日を指しているが例祭日が分からない。 分からないが、其の逆方位には柏原市の神宮寺山(住吉大社)-----大阪の今宮戎-----麻耶山(神戸市)へ続く。 此のほか、広瀬大社では摂社「饒速日命社」に櫛玉(姫)命が祭られ、大社の例祭を10/9日としている。また明日香村 大字真弓字宮山51にも櫛玉姫命神社、そして伊豫國風早郡 國津比古命神社にも祭られている。 だが方位が合わないものの、櫛玉比賣命神社の祭神は天道姫として太陽信仰を連想させるキーワードが散見すると 言う。次に当社南方の満嶋(みつしま)山・大福寺は聖徳太子がご建立の46伽藍の一つと言われる。太子は母(621/12/ 20崩御の穴穂部間人皇后か)の供養のため、薬師如来を此処に祭った。 併せて84000の土塔を作ったとの伝承があり、今も境内周辺からは古い万塔(土塔)が出土する。以来、此の寺は三度 の火災に遭い、また廃仏毀釈でかつての面影はなく本堂一つの小さな尼寺として寂れている。しかしながら4/12日を年 に一度の大般若会と言う最大の縁日として伝えてきた事は実に素晴しい。 ★08高知どろんこ祭り(お田植行事)(4月第一土曜日)【高知市、若宮八幡宮】 ★s25/6/25朝鮮戦争始まる。翌26年4/11、連合軍最高司令官マッカーサー罷免。 ★06-07-08世界宇宙飛行の日。 4/13 ▼08上弦。 ■07-08啄木忌【岩手県岩手郡玉山村、宝徳寺】 ■07塩釜神社・花あかり・・・・・・・・宮城・塩釜神社では4/13〜14日に「塩神様花あかり」として2年目、雅楽や琴などを 奉納する。 ■07-08日光・二荒山神社・弥生祭・・・・・・・・弥生祭は4/13〜17日まで、日光市。 ■08多賀谷時代まつり(第三回)・・・・・・・茨城・下妻市・多賀谷城跡公園。市商工観光課0296-43-2111 ■08水海道千姫まつり・・・・・・・茨城・常総市・水海道中心市街地。市観光協会0297-23-2918 ■香取神宮の宵宮 ■茶祭り(4月13日〜14日)【静岡県榛原郡金谷町、牧ノ原公園】 ■08鎌倉まつり(〜第二週:〜20日)【神奈川県鎌倉市】 ■07-08長浜曳山祭り(曳山狂言)(〜16日)【滋賀県長浜市、八幡神社】 ■06-07-08京都・嵐山嵯峨・虚空蔵十三参り・・・・・・・・京都市西京区、法輪寺。 ■07-08華道祭(4月13日〜15日)【京都市右京区、大覚寺】 ★08やすらい祭り(鎮花祭)(4月第二日曜日)【京都市北区、今宮神社】 ■岡宮天皇の命日・・・・・・・天武・持統天皇の間には草壁皇子が皇太子となった、残念ながら即位しない内に持統3年 のこの日に28歳で亡くなり、やがて例外的に岡宮天皇(日並知皇子尊)と追号された。彼は父・天武天皇を葬ったスサ ノヲの尊神社(9/9を参照)の西に皇太子の若宮として居ついたが生憎4/13に崩御してしまった。 よって其の方位に当たる岡寺に葬られた事になる。従って今、岡宮天皇陵として高取町・真弓丘陵に治定されている古 墳は生憎別人の墓と推断できる。岡寺はかつて龍善寺と呼ばれた。義淵僧正が開基して天智天皇を弔う場とした。よ って義淵以来、其の子孫も岡の連と呼ばれた。 本尊は如意輪観音であるが、義淵の坐像が今は国宝になっている。同じ境内に治田神社があり、寺はその下の谷間 にある。@ ■07-08熊野本宮例大祭(湯登神事)(〜15日)【和歌山県田辺市(旧東牟婁郡)本宮町、熊野本宮大社】 熊野本宮大社大祭(湯登神事)・・・・・・・4/15日の本宮の例祭に先駆けて湯峯王子社にて湯登神事。男の子が父親に 連れられて湯の峰温泉に行って、体を清められた後に参拝する。本日(13日)から4/15日まで祭りが続く。 ▲ソンクラーン・・・・・・・・タイのお正月。タイでは西暦の1/1の正月の外に、中国系の人も多いので2/9に旧正月(春節)を祝うが、本当のお正月は 4/13〜15の3ヶ日です。この頃は暑い時期となるので「水掛け祭り」となり、其れを楽しめるのです。先ず4/13日は、寺にお参りした後、年長者に挨拶に 行って、手に水を掛けて頂く。 次の14日は外出せず家にいます。この日は神がご不在なので出歩かないのです。そして15日には各種の催事・行事が町中で行われます(05/3/12の NHKラジオ深夜便より引用)。 4/14 以下、次ページへ パテント・著作権は本会に属します。 「鬼の会」 |