http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」  p098 (未定稿) 


  神々の歳時記     4月・中2 但し方位による
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●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起
の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版 http://
www.omatsuri.com/link/linkvex.html
及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-4月」より一部引用・転載させて頂きました。

■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記
には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の
詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。

4月・中2  ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼★




4/14  

         
■07津軽・岩木スカイライン開通・・・・・・リフト、バスも運行。
■07中禅寺湖・遊覧船の運航再開。

■09香取神宮の例祭・神幸祭・・・・・・12年毎にある4/13〜115日の神幸祭では、「津の宮」の鳥居のある川岸から御
舟で佐原市に至り、還御となるが、佐原市から当社は其の日の方位にある。4/15日を参照。

■07-08宝物虫払大法会・・・・・・・大石寺(静岡県富士宮市)。
■伊豆山神社祭(静岡・二日間)。
           
■07-08-10-11子供歌舞伎・曳山祭り(出町神明宮春季例祭)(〜15日)【富山県砺波市、出町神明宮】
■07美濃祭・花みこし【岐阜県美濃市】

★例年-飛騨高山・山王祭【岐阜県高山市、日枝神社】(初日4月14日〜15日)・・・・・・・永治年間に近江から勧請され
た日枝神社の春祭りで、ご祭神は日吉大社と同じ大山咋神であり、カラクリが人気である。祭りは翌日も続く。因みに
京都祇園祭、秩父夜祭、高山祭りは日本三大美祭と称される。

中でも高山祭りはこの春の対極の秋には10/9〜10にまた高山祭りを行われるが、日枝神社に代って主が桜山八
幡宮になる。08年は4/15日。
動画http://www.omatsuri.com/movie/takaharu.html 春の高山祭  4月14〜15日 岐阜県高山市 

■07イナベ牡丹まつり・・・・・・・・三重・いなべ市。農業公園で5000本の牡丹まつり。
★07-09長浜曳山祭り(曳山狂言)・・・・・・・・滋賀県長浜市宮前町の長浜八幡神社の春の例大祭で、07/4/9〜17日、
09/4/14-16日。400年の伝統がある。

初日は子供歌舞伎。翌日は此の神社から市街地一帯で4基の曳山が各町内で演じる。翌々日は、八幡宮の境内で順
次上演し、市内5ヶ所でを巡幸後、御旅所に集合する。八幡宮では他に子供役者の「夕渡り」や、力士に先導された子
供武者の行列「長刀組み太刀渡り」などもある。市の観光振興課0749-62-4111

■07比牟礼八幡宮祭・・・・・・・近江八幡市。此の日は千数百年の歴史を持つ「ひむれ八幡宮」の「八幡まつり」の宵宮
で「松明まつり」(国選択無形文化財)。近くの旧村落12郷が、五穀豊穣と無病息災などを祈る伝統行事。このタイマツ
は琵琶湖のヨシと菜種から作られ、直径2m高さ10mの大松明もある。

午後8時に花火。境内に並べた大小30本の松明に次々と火が点けられる。     

■06-07-08近江の日吉大社の例祭山王祭・・・・・4/12〜15日。ご祭神は大山咋神。旧名では比延山王権現であ
る。この日には大社から唐崎神社(大津市あかね町)へ神輿が巡幸し、唐崎からは何隻もの船で七つの神輿が渡御し
て沖合いで神事をする(船渡御)。祭りは14〜17まで続くが、日吉大社と唐崎では方角と暦日とがズレる。

と言うのは、この大社が日吉権現として、本来は比叡山頂にあった。社伝によれば天智天皇時代の創祀と伝え、大津
京の遷都に伴い、大和の三輪山の神を此処に勧請したものとも言われる。因みに、叡山の地も同じ坂本地区にある
が、其処は山上であるのに対して、日吉大社は同じ坂本でも谷あいの坂本だ。其処から話が混乱する。

最澄が山上に天台宗を開宗して以来、比叡山延暦寺となって社家は検校の下に組入れられ、しかも山麓に落とされた
のではないか。横川にあった奥の宮が一段下の八王子山に遷され、また東西の本宮も谷あいの坂本に遷されたもの
だろう。

横川と叡山上に元の日枝(日吉大社)が有ったと見れば、唐崎神社とのラインがこの日の暦・方位と合致するのである。
因みに唐崎の先に向えば亀山市に至り、逆に比叡山から更に10/15方位に向えば福知山方面に至る(「10/15」を参
照)。尚、対極に当たる10/15には石上神宮例祭や熊野速玉新宮祭がある。

また京都市内の松尾大社でもこの神を祭る。但し別の見方もある。実はこの山王祭は5/15にも符合するのである。

■山王祭は5/15だった?・・・・・滋賀県坂本の日吉大社の例祭(山王祭)は乾元2(1302)に始まった。西本宮の奥に八
王子山が有って、其れとは別に南部の山、そして北部の山があり、其の山形の頭が今の暦日にして5/6、5/14、5/25
日を指している。此れを旧暦にすれば各々4/8壬申、4/16庚辰、4/27辛卯である。

よって古来此処では旧暦4/12〜15日を例祭日として来た。其れを西暦になっても数字だけ踏襲して今も4/14日に行っ
ているが、本来は西暦にしてこの日(5/14前後)だった事が分かる。@
また例えば南紀の南部町には日吉神社があり、この日5/14日の方位には天神崎がある。@

例えば淡路島の水仙郷、五色浜と慶野松原、其れに家島の桂島と松島があり、其の先は岡山の小京都・津山市に至
る。此処には衆楽園があり、日吉神社も有るのです。つまりこの5/14日ラインは神の道として人為的に守って来たもの
と解釈できそうである。

何故そうなったのかは不明であるが、日枝は古代から此処にあり、松尾の秦氏--山城の賀茂氏と祭りで連携してい
た。天智は其処に社殿を建てたに過ぎない。また熊野修験の開基・役行者は鴨氏の氏人であり、高鴨明神を神変大菩
薩とした。其の後の熊野は平家水軍の拠点となり、後に九鬼氏や紀州藩も保全に貢献した事だろう。

日吉大社のご祭神は大山クヒ神とされているが、実はこの日の方位は鴨氏の神・ニギハヤヒ尊の迎え日になるのであ
り、神社名や祭日や祭りの場や山王祭とする呼び名まで全て違っていても京都・葵祭りと同じ祭りである事が判る。た
だ此処・日枝では桂の葉を迎え祭った。桂を卯の日に祭って松尾に送り、松尾から下賀茂に回して日枝に戻した。
 
賀茂の葵祭りは古来、旧暦の4月中の酉の日に行われたが、此れは西暦にして5/14-15日の方位であり、京都の両社
のラインの先に向かえば滋賀県岩間寺を経て伊勢・滝原の宮に至る。この神はこの方位から葵の草でミアレ(御生れ)
する神であり、よって其の逆方位が弔いの方位になる。

そちらに向かえば丹後の宮津の金剛心院と成相寺との間に丹後一ノ宮の籠この神社(元の地は真名井)があり、この宮
は凡そ25ヶ所の元伊勢の第二の「吉佐の宮」として知られ、主神として彦火明命(ニギハヤヒ)を祭る古社であり、其の
先は宮津の竹野町・後ヶ浜に至る。従って、この方位を鎮魂とすれば、この神の命日は11/13〜14日と判明する。

さて、籠この神社では京都葵祭りよりも古い二千年前からこの神の祭りを行っていて、往古は四月の二の午の日に御蔭
祭、明治以後は今も4/24に藤祭・葵大祭をして来た。要するに暦日で見れば分からないが、円暦方位で見れば同じ神
を同じ日の5/15日に祭ったものと判明する。

序でに言えば、山王祭りも此処から北側にズレた同じラインで平行線に並んでいる。@
だが日吉大社では西暦の4/12日から午の神事をして14日には船渡御、神幸祭をしているし、岐阜・高山市でも4/14日
に山王祭を行い、また福岡・英彦山でも4/14日に神幸祭をし、東京(山王祭)は現在、6/14〜16日としてしまった。
 
■09白峰神宮祭・・・・・・・京都市。
■07-08桓武天皇御忌・・・・・・・教王護国寺(京都市南区)。命日が旧3/17、西暦では4月の為。
■07柳生十兵衛「桜まつり」・・・・・・奈良県柳生町で十兵衛生誕400年祭として4/14-15日の2日間。

■09熊野本宮大社祭・・・・・・・4/13-15日。

■06熊野那智大社「桜花祭」(春祭り)・・・・・・・和歌山・那智勝浦町。前項の日吉大社の西本宮の祭神は大己貴神で
あるが、此処・那智大社でも「大貴己神」として類似の神を配祀している事と、同日に祭りを行う点で見逃せない。

因みに、日吉大社と那智大社とは略南北に位置し、特に那智勝浦の高塚山(255m)は、日吉大社と同じ東経135°
51.5567(子午線)である。

■例年-勝田神社例祭(花まつり)・・・・・・4月14日〜15日。鳥取県米子市、勝田神社。

■07高杉晋作・墓前祭・・・・・・山口。高杉晋作の命日。
■09-10-11東行忌【山口県下関市、東行庵】

■07大分・天ヶ瀬温泉まつり・・・・・・・1217段の階段ウォーキングなど。

牛深ハイヤ祭り・・・・・・4/14〜16日。熊本県牛深市の「ハイヤ祭り」では阿波踊りや佐渡おけさなどの源流と言われ
るハイヤ節で大漁祈願のハイヤ総踊りがある。

★08科学技術週間。

★09ビルマの正月・・・・・・・07年、ミャンマーのヤンゴン市内で、新年を祝うティンジャン(水掛け祭り)が有った。同国の
暦では4月が新年に当たり、1年の垢を流し、新たな気持ちで出発する意味が込められている(07/4/17朝日より引
用)。

因みに09年の此の日もティンジャン(水掛け祭り)が有ったが、タイでは反政府デモ隊と軍が衝突して70人の負傷者と
なった。バンコックでは昨日デモ隊(タクシン派・反タクシン派)が突入して東南アジア・サミットが中止となった。
ソンクラーン(水掛け祭り)は16日まで。


















































4/15 日   

                       
●10岩手北上展勝地さくらまつり・・・・・・・4月15日〜5月5日の開催。桜並木をのんびり進む「観光馬車」、北上川から
桜を眺める「観光遊覧船」、夜桜ライトアップ、駅東口と桜並木を結ぶ「渡し舟」、北上川上空を泳ぐ「こいのぼり」、SL・
ラッセル車・緩急車一般公開、おいらん道中/桜並木(雨天時中止)。

観桜茶会/民俗村旧大泉家/民俗芸能公演/民俗村演舞場・・・などが期間中行われます。詳しくはこちら
http://www.city.kitakami.iwate.jp/sub03/kanko/kanko01/page_4760.html

■例年-塚崎の獅子舞【茨城県猿島郡境町、香取神社】

第7回・水海道・千姫祭り・・・・・・徳川家康の娘・千姫(2/6を参照)の祭りとして「千姫行列」がある。常総市の弘
経寺は彼女に縁の寺だった。06/4/16(日)第六回・水海道・千姫祭りが行われ、穏やかな春の日差しの中で200人を
超える参加者が時代衣装を身にまとい、優雅な歴史絵巻でパレードした。常総市役所商工観光課0297-23-2111

■09埼玉・金鑚神社祭。
■例年-高山不動大祭(火渡式)【埼玉県飯能市、常楽院(高山不動)】
★07豊年足踊り(4月第3日曜日)【埼玉県狭山市、笹井白髭神社】

■07-08梅若忌・・・・・・・木母寺(東京都墨田区)で謡肋「隅田川」に登場する梅若丸の忌日をいう。梅若伝説に借りた
水神を祭る日ともいわれる。
■07太々神楽【東京都品川区品川、品川神社】

香取神宮の例祭・・・・・・・神武天皇の18年から経津主命を祭る神宮。経津はヘツと読むが、此処ではフツと読む。
この神の別名は伊波比主命である。当社の神は鹿島の神と共に武神とされているが、日本書紀には「東國楫取之地
也」とある。元の字は船の舵をも意味する楫とは違うが、生憎パソコンでは書けないので楫の字を採った。

元の字は式構えの「かい」と言う字であるから、武器ではなくて鉾のような観測器具だったろう。そして当社の神宝は葡
萄鏡である事と、古の「カトリ」の意味は※「日取り」でもあったと見れば、何れを見ても本来は暦と方位によって祝う「経
津の宮の神主」だったろう。

   ※カトリ・・・・・五日、六日、と書いてイツカ、ムイカと読むように、昔の「カ」とは「日」の事でした。従って武神ではな
           かったと言える。

鹿島・香取の神が奈良に勧請されてカカの神ではなくて「日取り」から「数・カ」の神、即ち「日を数える」春日神と言われ
るようになったとすれば、東大寺で今も毎年春に行う二月堂の修二会(修正会)が、正にこの「日取り」の伝統を受け継
ぐ正月行事かと思える。

鹿島神宮(奥宮)との方位は丑寅と未申の関係にあり、暦・方位では正確に2/5.5←・→8/7、つまり鬼門と裏鬼門
を指し示している。時期としては立春と立秋である。@

所で奈良・天理市でフツノミタマを祭る宮として古来有名な石上神宮があるが、其処は同時に物部氏の祖神・ニギハヤ
ヒノ命を祭る宮とも言われます。石上の例祭日は10/15にある。つまり香取とは方位で見ても何故か東西に分かれ
ていて、例祭日も春4/15と秋10/15と言うように、両社は全く正反対の時期に祭りをする事が不思議です。@

因みに石上の祭りは昔は9/15であった(下記の「石上」も参照)。

■07-08千部会・・・・・・・法華経寺(千葉県市川市)で4/15〜20日。 
■07-08千部会・・・・・・・誕生寺(千葉県小湊町)で4/15〜17日。 

■09伊豆山神社・例祭・・・・・・・静岡県熱海市伊豆山神社 TEL 0557-80-3164 源頼朝、北条政子ゆかりの伊豆山神
社にて例大祭 4月14日(火)〜16日(木)、メーン15日(水)10:00〜16:00  
★伊豆山神社 http://www.at-s.com/bin/even/EVEN0030.asp?event_no_i=I218947202から引用。

伊豆大権現、走湯大権現と呼ばれた同神社は、平治の乱で配流された頼朝が源氏再興を祈願した神社です。政子と
忍び会いを重ねた場としても知られています。鎌倉時代には関八州の総鎮守として崇められ、歴代鎌倉将軍の信仰を
集めました。  

例大祭の呼び物は15日、白装束の氏子に担がれた神輿が、桜に彩られた石段を一挙に駆け下ります。神輿下りは本
社からかつてあった下宮まで神様が下る神事で、衣冠束帯の氏子に守られ、400年前から受け継がれる神輿3基が境
内から約700段の石段を下ります。厄男が担ぐ神輿も続き、参道に「わっしょい」の勇ましい掛け声が響きます。

ただ、参道は本日よりも5/8~28日に包囲に向けて伸びていた。此れは、走湯神社の例祭の5/14日に近い。 

■07-08二十五菩薩・来迎会・・・・・・・十念寺(長野県)。 
■例年-諏訪大社・御頭祭・・・・・・・上社(長野県)本宮(御頭)祭。

■09山梨・浅間神社祭。

■08関祭(〜16日)【岐阜県関市】
■07-08白髭神社例祭(鎌倉踊)【岐阜県揖斐郡久瀬村、白髭神社】

■08飛騨高山(岐阜県)山王祭(2日目)。

★06滝原宮・御木曳行事・・・・・・・・第62回神宮式年遷宮の為に三重・大紀町では町内二箇所から地元神領民たちに
より、瀧原宮へ御料材(神木)が奉曳される。奉曳団事務局0598-86-2211

★07福井の火渡り・・・・・・福井市・持宝院では約300人が集まり「火渡り」。真言宗・松尾山・持宝院は福井市西木田3-
9-2 TEL: 0776-35-0509 1200年の歴史を誇る寺院である。藤原仲麻呂公の寄進により、開創当時25丁4方(220万
坪=2.7キロ四方)を領有。天正年間、一向一揆により建物、寺宝等一切を焼失。

その後、福井藩主松平公の保護を受けて再建。以来、「三葉葵」を寺紋として現在に至る。福井藩主松平家歴代祈願
処。伝統行事「火渡り荒行」は、家内安全、身体健全、開運成就等を護摩木に託して祈願する伝統行事。毎年4月第3
日曜日に実施され、新聞、テレビ等で広く報道されている。

当日は、太鼓、大正琴等のアトラクションもあり賑やかな雰囲気である。また此処には悲恋物語「八百屋お七」 主人公
お七の情夫「吉三郎」の供養塔もある。以上はhttp://www.e-fukui.com/jsp/shopDetail.jsp?ccd=150&sccd=20&clcd=
999998&id=31&cls=2から一部引用。

■06-07長浜曳山祭り・・・・・・滋賀・長浜市。秀吉が長浜城主となった時に始まる祭りで、例年は交替で四基が参加す
るが、06年は合併を記念に13基の山車が勢揃いする。長浜八幡宮では5〜12歳の男児による曳山(山車)を舞台に
子供歌舞伎が披露される。

14(金)は四基が各町内で上演。子ども役者の行列「夕渡り」。15日は相撲取り姿の若衆と鎧姿の子ども武者行列
「太刀渡り」と子供歌舞伎が八幡宮で上演(夜8時まで上演)。市街地を巡業後「御旅所」に集合。

比牟礼八幡宮祭・・・・・・・近江八幡市。4/14を参照。     

■09建部大社祭・・・・・日本武尊を祭り、近江の国の一ノ宮となったこの宮でこの日に例祭がある。と言う事は、日本武
尊の命日がこの日なのか、と言えば記紀にも明記がないので、今となっては不明である。

彼は伊勢のノボノで薨去されたので其処に陵が造られたが、やがて白鳥となって飛び立ち、河内の国の志畿に留まっ
たので其処にも陵を造ったが、其の陵からも再び白鳥となって天へ飛び立った、と言われるので、その軌跡が命日方
位と仮定する事も出来る。

或いは、この建部大社の参道が東西に伸びていて西に鳥居、其の先には4/15当日、神輿が渡御する瀬田川の中
島に至る。其処からこの軸線の方位を見れば、春分の日の前後と推定し、更に昔3/15にして来た例祭日を明治の
改暦で4/15に変更したものと仮定すれば、彼の命日は3/15だったと判断出来よう。

但しこの大社も、元は武部の千草岳に彼の妃の両道入姫と皇子の稲依別王が祭ったもので、その後三度も転居した
経緯を持つ外、参道の奥津城に本社殿があるのではなく、其処には寺が有ったのか、今は何もない。

本社殿は参道の北側に設えている有様なので、彼の命日、及び陵については、信頼出来る事例を更に集めた上で検
証する必要があります(「3/16」を参照)。
    
■07京都・地主神社「さくら祭り」・・・・・・・・・東山区の当社075-541-2097には、1本の桜の木に一重と八重の花が咲く
通称「地主桜」が咲く。此の桜を神前に供えて謡曲を奉納する祭りが、縁結び祈願「さくら祭り」として女性に人気があ
る。以下、http://www.jishujinja.or.jp/jishu/gyouji/top/index.html 地主神社「さくら祭り」より引用する。

--- 参拝時間 午前9時〜午後5時。古来、桜には神が宿るとされ、開花はその神のご利益の現れと信じられてきまし
た。『地主権現の花ざかり・・・』と謡曲『田村』『熊野』にも謡われた名桜である地主桜は、この頃に満開となります。この
桜の美しさを祝い、神々のお力を讚え、そのご利益により人々が良縁を授かることを祈願してさくら祭りは行われます。

白川女による桜の献花と、謡曲『田村』『熊野』の奉納を行い、また、芭蕉の師として知られる北村季吟の献句「地主か
らは木の間の花の都かな」を句碑前にて宮司が献詠します。「地主桜」は一本の木に八重と一重の花が同時に咲く珍
しい品種。

嵯峨天皇行幸の折、地主の桜のあまりの美しさに、三度、御車をお返しになった故事より、別名「御車返しの桜」とも呼
ばれる。京に都があった頃は、『白川女の花使い』によって、毎年禁裏御所にもこの桜が届けられた。現在の地主桜
は、円山公園のしだれ桜等の桜守として知られる、佐野藤右衛門(考証:井上諍蔵)によって献木された。

さくら祭りの頃、背後の黄桜(ウコンの桜)と共に満開となり、その気品と風格のある美しさで境内は華やぐ。以上引用。

■07京都・大覚寺・華道祭・・・・・・・・・右京区の当寺075-871-0071では4/13〜15日、嵯峨御流の始祖とされる嵯峨天
皇の命日に因んだ祭典を行い、境内に生け花を飾る。
■08-09-10-11嵯峨の御松明【京都市右京区、清涼寺】

■09平安神宮・例祭・・・・・09年は4/13日に桓武天皇と光明天皇の祭り。
★07吉野太夫花供養(4月第三日曜日)【京都市北区、常照寺】
★07稲荷祭(神幸祭)(4月第三日曜日)【京都市伏見区、伏見稲荷神社】08年は4/20日。

★08松尾大社・中酉大祭・・・・・・・・京都市。

石上神宮・春季大祭・・・・・石上の宮は、天理教で有名な天理市にある。天理教の気風がそうさせるのかこの町は
親切で清々しい所である。教団の東に神宮が有るが、近鉄とJR合同駅から2.4kmなので徒歩でも行けるしバスも出
ている。石上は、桜井市に向かう山辺の道の起点に当たる。この古社は、境内が広い事も有って何時も静かである。

普段は僅かな参拝者しかいないが、祭りの時には恐らく賑わうのだろう。此の宮の由来は、祟神天皇七年の時に、其
れまで宮中に同床共殿で祭られていた天剣と十種の神宝を祭ったのが始まりとし、次の垂仁天皇の時には剣1000口
が奉納され、またスサノオノミコトのヤマタノオロチ退治の、天羽羽斬剣も祀られた。

其れがこの宮のご祭神「布都御魂大神」と「布都斯魂大神」と言われるものの、実際は、物部氏の祖神・ニギハヤヒノ
命を祭る宮とも言われる。何れにせよ此の神宮は布留町にあり、また魂を振り動かす意味の「魂振り」の宮とされ、特
に秋の例祭は古来「布留祭り」と言われて9/15にあったが今は10/15に行われる。

また此処には社宝として「七枝刀」もある。因みに春季大祭はこの日4/15であるが、其の逆の時期の秋の例祭は古
来「布留祭り」と言われ、9/15にあり、其れが今は10/15に行われる。

所で同じ神を祭る東の千葉の香取神宮は、イワイ主神、またの名はフツ主神を祭り、例祭日は4/15なので、両社は
奇しくも東西に対峙し、しかも春と秋と言う正反対の時期に祭りをして来た(前記「香取」を参照)。石上神宮の電話は0
7436−2−0900

■09奈良・護国神社祭。
■07-08大茶盛り・・・・・・・西大寺(奈良市西大寺町)の愛染堂大広間で第二土・日曜日に行われる茶会で、茶碗の径
30センチ以上、茶せんの長さ35センチ以上の大物の道具を用いる。

■07-08練供養・・・・・・・百済寺(奈良県広陵町)。 
■07-08妙見会式・・・・・・・法輪寺(奈良県斑鳩町)。

天得会式・・・・・奈良・御所市の高台にある極楽寺は天暦5(951)年に一和僧都が開基した浄土宗の寺であり、寺
宝としての天得如来像図に対して例年この日に法要が営まれる。その真南に位置する高鴨神社でも例祭がこの日で
ある。主神として味すき高彦根命を祭り、古墳状の丘の上に室町時代に再建したと言う古い本殿がある。

■06-07高鴨神社の春季大祭・・・・・・・此処は京都の上賀茂・下鴨両社よりも古いと言われる御所市鴨神の地にあ
り、この社は今、「鴨総本宮」と称し、上鴨社とも言うが、御所市には外にも中鴨社(東持田の御歳神社)、下鴨社(鴨都
波神社)があり、京都市の上賀茂、下鴨神社より古いと言う。

さて此処・高鴨神社本殿には賀茂大神として阿冶須岐託彦根命を祭るが、この日は五穀豊穣と世の安泰を祈念する。
古墳状の丘の上に本殿があり、其処からほぼ南方に二つの鳥居があって、其の傍らには鐘楼があり、朱色の両部鳥
居を潜って参道が南に伸びている。其の先にもかつて石鳥居があったが今はない。

何れにせよその暦・方位は6/17であるが、春季大祭は合併神社と合同でこの日、4/15に例祭・御供撒きを行う。
尚、略南の6/17方位から長い参道が略北に向かっており、鳥居を入れば本殿である。また其の先を真っ直ぐ進め
ば後方に極楽寺地区があり、吐田の極楽寺では同日、「天得如来会式」がある(前項、及び6/22を参照)。

■29欽明天皇の命日・・・・・・・・彼は先帝(28宣化)の娘、石姫を皇后として磯城島金刺宮に即位した。石イワ姫とは祝
い姫、つまり弁天、即ち居着き姫、即ち跡取り娘を意味する。ですから言わば家付き娘の婿養子になって次のフトタマ
シキ(30敏達天皇)を儲けた。だがやがて此の日(欽明32/4/15壬辰/571/5/24-5/26)に崩御した。

よってその後、桧隈坂合陵に葬ったとして、其の陵の場所については、後に後妻である堅塩媛を其処(桧隈大陵とされ
る)に改葬するとき、「軽」にもがり(殯)宮を建てて「軽の街」で誅(シノビ事)を奉った、と日本書紀にある。

其処から今の橿原市大軽町が陵とされ、従ってその近くにある丸山古墳が彼の陵(桧隈大陵とされる)と推定するのが
通説となった。では検証に入る。彼は実は高取町の市尾墓山古墳の近くに居ついた。先帝(宣化天皇)が檜前宮に居
ついて崩御により、市尾墓山古墳(65mの前方後円墳)、または近くの伝・岡宮天皇陵に葬られた。

従って次の欽明天皇は檜前から其の日の方位の桜井市倉橋に居ついて先帝を弔い、また檜前から逆方位、つまり8/
10日方位の、今の高取町・市尾山付近に居ついて先帝を若宮として日迎えする立場に立った。やがて即位してこの日4
/15日に崩御したため、其の日の方位のこの市尾山の近くに葬られた可能性もある。

だが市尾墓山古墳の向きが5/10日を示しているので生憎此処ではない。ただ石棺の向きが主軸にクロスしているので
此れを暦・方で見れば2/4日となる。そうすると宣化天皇の命日、即ち2/10日に近くなる。28宣化天皇/武小広国押盾
尊・檜隈天皇は檜隈廬入野宮に居ついて宣化4/2甲午10日、つまり539/3/15-3/17に崩御した。

とすれば2/10日とは6日のズレ(ユリウス暦の3/15日と墳墓のズレは一ヶ月となる)である。因みに先帝の陵の名を身
狭桃花鳥坂上陵/身狭桃花鳥坂上陵と記録している。何れにせよ次の彼・29欽明天皇(天国おしはるき広庭尊・志帰
島天皇)は磯城島金刺宮を宮とした。其の金刺宮が先の理由から本書は此処・高取町であると推定した。

此処で彼も欽明32/4/15壬辰(571/5/24-5/26)に崩御して桧隈坂合陵/桧隈坂合陵に葬られたと言われるのだが、此
処・高取町と桧隈とは隣接している。よって近くに墳墓が有ると推測すれば宮と墳墓と命日との暦・位置・方位が略三点
合致となります。

ただ更にこの日4/15日の逆方位に向かえば、河南町の持尾(城塞跡)を通過して堺市・百舌鳥大塚山古墳(墳長168
m但し、削平された)に行き着く。なので、堺市・大塚山(上野芝4丁550)こそ彼の墳墓と判定出来る。しかも其の先に
は石津がある。地元では石津をイワヅと呼ぶ。陵の反対側は日迎えの「祝い」の側であるからだ。

此処は百済川の岸辺であるが、履中天皇の妃に津野姫があり、履中と欽明陵に居着いた地の故から古来「ツクノ」と
呼び、津久野の字を宛てたのだろう。更に此のラインは次の天皇である敏達のラインと交差する(8/15を参照)。
更に再度、高取町から10/15方位を見よう。

先の堺市・大塚山から10/15日の方位が祭りの方位であり、加古川市から姫路市に至る。其処に例えば仁寿山(175
m)がある。また近くに小川里があり、此処は播磨国風土記では敏達天皇・皇后の為に私(きさきの)里とされた所であ
る。

此処で彼女(広姫または豊とよ食炊かしきや屋姫=推古)は義父・欽明天皇の日迎の祭りを次の敏達天皇に代わって行
った事になり、其の為の領地を「姫路」に確保した事になる。

■07タイの旧正月(大阪ソンクラーン祭り)・・・・・・・水かけ・香水掛け・歌コンテスト。
■みぐくる御魂神社の例祭・・・・・・・大阪・羽曳野市。但し3/25−9/23を参照。

隅田八幡宮・春祭・・・・・・・4cの銘文入りの人物画象鏡が神宝として残されている事と六月のアヤメでも有名な和歌
山・橋本市の須田八幡宮では、略10/15←→4/15の日の方位に稲荷神社←八幡宮→猿田彦神社が並び、実
際、10/15には例祭があり、逆の4/15には春祭りをして来た。

ただ春祭りの祭日だけは現在、担ぎダンジリの人数の都合で若干ズレる事がある。@
本尊・普賢菩薩像は法隆寺に次ぐ古さであると言う。@
但し、相賀八幡宮は明治40年までは8/15だった。

■07-08黒木御所まつり・・・・・・・奈良県・十津川村。長さ297mの観光名所「谷瀬の吊り橋」では毎年8/4日、橋の日に
祭りをしているが、その橋の西詰めから100m先に「黒木御所跡」の記念碑がある。由来は1333年の秋、倒幕を企てた
第96代後醍醐天皇の第3皇子・大塔宮護良(もりなが)親王の御所跡(推定地)。

彼は南北朝の乱の難を避けてしばらく十津川郷に身を潜めたが、其の遺跡である。また上野池より国道168号線を南
へ約2km、河津の国道下に第98代長慶天皇を葬ったとされる南帝陵があります。次に南帝陵の下、河原近くにある国
王神社には、長慶天皇をお祭りしている。尚、先の黒木御所跡は幕末には天誅組の最後の拠点にもなった。

■08-09熊野本宮(熊野坐神社)例祭・・・・・・・・・熊野三山の一つ、熊野本宮大社(和歌山県田辺市本宮町)では15
日、無病息災や豊作を祈る例大祭の最後を飾る神事「渡御祭」をする。熊野の神を祭る御輿を中心に、天狗の面を被
った猿田彦や修験者、巫女など、時代衣装を纏った市民ら約300人の行列が大社を出発。

明治22(1889)年まで大社が有った大斎原(おおゆのはら)まで約1キロを練り歩く。
此処は元々物部氏が家津御子神を祭って来た宮であるが、この家津御子神と言う謎の神の別名は「クマヌカムロノ命」
であり、実は素佐乃男命とも言われる。

だが、この神は各地を転々として、紀伊の国無漏郡神蔵山に天下った神と言う意味でのカムロノ命であろう。
さて、此処も奈良朝初期から神仏混交の霊地の熊野権現として阿弥陀如来を祭る寺となり、其処へ宇多法皇の行幸
以来、歴代天皇も含めれば百度以上の行幸があった。

以後皇室と源平に厚く崇敬され、中でも清盛などの熊野詣が盛んだった。ただ明治22年までの宮は今より下の大斎
原に有った。そして此処(本宮)に対して新宮と言う宮が海側に作られた。其れが熊野速玉大社である。

本宮の祭りは4/13、14、15と続き、本日15日が例祭日であり、官祭の後に神輿が大斎原に神幸し、稚児八揆、早
乙女御田植え行事があって、日没後環御となる。

以下、引用する。かっての熊野本宮大社の社地は、現在の大鳥居の前から道路を隔てた先の水田の中にあった。付近は熊野川、音無川、岩田川の三つの
川が作った中州で、大斎原(おおゆのはら)と呼ばれている。大斎原は現在の社地の8倍の広さだった。明治22年に発生した熊野川の大洪水は、大斎原に鎮
座していた上中下各四社のうち、上四社を除くすべての社殿を一瞬のうちに押し流してしまった。

そのため、上四社を明治24年に現在の社地に遷し、その他の流された社殿は仮に石祠を造営して合祀してある。 2000年5月11日、大斎原の入り口に大き
な鳥居が建てられた。高さ約34m、幅約42mという巨大さで、日本第一の大鳥居だという。神と自然と人が共にあるように、大斎原が熊野の大神の神徳の発
信基地となることを祈願して建てられた鳥居だそうだ。

熊野三山の由来を記した『熊野三巻之書』には、大斎原にあったイチイの大木に神が降臨したことが熊野本宮大社の始まりとしている。熊野には、温暖多雨
な気候が育てたむきだしの自然がある。この付近には緑したたる樹海の連なり、その中にひときわ高くそびえるイチイの木があった。人々はその木に霊位を
感じて、神が天下る依り代としてあるいは神体そのものとして、先祖代々祀ってきた。

以上、http://www.bell.jp/pancho/travel/kumano%20sanzan/hongu%20taisha.htm「熊野本宮大社」から引用。

其処で方位からこの祭りを見直せば、本宮と新宮の関係は例祭日が4/15←→10/15、つまり春と秋の対極にな
る事だ。こうした暦の上のみならず、位置関係も全く正反対(対極)になる事です。@

そうするのは、10/15日の方位には本宮があるから川を遡る訳である。だが仮に本宮から更に進めば有田市に至る。
其の辺りには白岩丹生、御霊、天石、五名生石の各神社があって、矢張りこの日に例祭をして来た。そして更に進め
ば淡路島を飛び越えて岡山・玉野市には鴨神(アジスキ命)が、広島・三次市には熊野神社がある。@

それにしても昔通りの祭日をこうして今に伝えていた事には感服する。恐らく此処にも明治の改暦押し付けがあった筈
であるが、旧暦とは別の和暦を熟知する方があって、お上の無知を跳ね返して古式を守り通してくれたのでしょう。

生田神社の例祭・・・・・・・神戸市の生田神社は稚日女尊を祭り、この日を例祭としている。例祭(生田祭・神幸式)は
4/15〜6日であり、参道が600m程あって、阪急・三ノ宮駅を突き抜けて長く伸びている。其の暦・方位は6/7←・
→12/6でなので、生憎この日の神幸式とは一致しない。

5/15には太々神楽、7/15に千灯祭、そして9/19〜23までの秋祭りは殊に賑わうと言われる(6/7を参照)。
余談ですが、07/2/17日には陣内智則33&藤原紀香35さんが此処で挙式のニュースとなって一躍脚光を浴びた。此処
は例年、正月の初詣に大勢訪れるが、07年は3ヶ日で19万人アップして100万人(過去最高)を越えたと言う。

お二人は此処で06/12月に結納を交わしていて、2/17日に挙式となる為、「縁結びの神」として注目され、カップルの人
気を集めた。尚、2/17日には十二単(じゅうにひとえ)と束帯(そくたい)姿で式に臨んだと言う。此の件で日銀神戸支店
が挙式効果を最大120億円と試算した(07/3/3朝日)。

参拝客が約85万人増えるのに加えて、市内の挙式も5〜10%アップと見込んだものと言う。何れにせよ神戸にとって明
るい影響を齎した。

■07清盛フェスタ・・・・・・・神戸市兵庫区の自治会などによる新しい試みで「清盛鍋」などの販売と子供歌舞伎など。
■07-08授福祭・・・・・・・満願寺(兵庫・夢前町)。

★07中嶋神社・例祭・・・・・・・兵庫県豊岡市三宅1には中嶋神社TEL/FAX(0796)27−0013がある。詳細はhttp:
//www.como.ne.jp/pc/zenkokuzinja/nakasimajinjayuisho.htm
中嶋神社では田道間守(たじまもり)をご祭神として、此処ではお菓子の神として4月の第3日曜日に例祭をしている。

其の逆の時期が下記の伊万里トんテントン祭りとなるが、方位では合わない。いや旧暦ならば合う。例えば06年の旧8/
26は西暦の10/17日である。両社が8/26--2/24方位に位置するのである。お互いに別個の位置にあって中嶋では春
祭り、伊万里では秋祭りをしていた事になる。

祭りの由来は当時の暦法で田道間守が自殺した景行1年、つまり西暦71/3/12の事と分かる。其れが垂仁天皇の後
1935年間も両社で続けて来たものとすれば驚きである。(10/22~24伊万里トンテントン祭りを参照)。

■例年-金刀比羅宮・田植祭【香川県仲多度郡琴平町、金刀比羅宮】           

■志賀海神社(福岡市)の「山ほめ祭り」。            
■07-08出水法要・・・・・・・安福寺(佐賀県白石町)で4/15〜7月15日。 

★07ビルマの正月・・・・・・・ミャンマーのヤンゴン市内で15日、新年を祝うティンジャン(水掛け祭り)が有った。同国の暦では4月が新年に当たり、1年の
垢を流し、新たな気持ちで出発する意味が込められている(07/4/17朝日より引用)。因みに此の日は旧暦で3月1日(新月)になる。

































4/16日  以下、次ページへ
次は「4月・後半1」 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
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