http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」 p063 (未定稿)


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■H神霊

■ご利益の機能神はない・・・・・・諸外国の神としてはギリシャ神話のゼウスが星の神、シナでは漢帝などの武人が神
となる。或いはインドなどは豊饒神として水神・竜神を祭る例が多いが、日本の神としてはそうした機能神・職能神は少
ない。確かにヤマトタケルのように武人とされた方もあるが、多くはヒジリです。

無論、農業神、漁業の神、交通安全の神、商売の神、陶器の神など、今では各地に色んなご利益を宣伝する神社があ
るものの、実は鹿島にしろ稲荷にしろ武神でもないし稲作の神でもなかった。他と区別するための策としても、そうした
特異なご利益を与える機能・職能神とするには実は根拠が薄いのである(事典の「神」を参照)。

■命の再生・・・・・・凡そ人間は永遠に生きる命はなく何れは必ず死ぬ存在です。と同時に、肉体は滅びても「魂は生き
続ける」と言う事が普遍の「法則」として古今東西、世界各地の合意であり、当たり前の世界観でした。何れに於いて
も、人の魂の復活が信じられて来た訳です。

其の具体例としてはエジプトでは死体をミイラ化して再生を祈ったが、インドでは焼いてガンジス川に散骨して月神の元
へ届けようとして来ました。其の点、日本の場合は大自然の土に戻して祭りで魂が復活する事を祈って来た訳です。人
は何れは死ぬけれども神となれば不滅と見た。少なくとも神は、祭りによって祈れば其の都度再臨出来る存在と見た。

其の点、仏教では人が生きているときに菩薩となるのを理想としたので、死後に「輪廻転生」する事を未熟と見たが、
何れにしても人は、古い肉体を捨てて、もっと新しいピッカピカの肉体を持って再生する事を認めていた訳です。此れが
言わば変身術であるとすれば、どうせ死ぬなら、都合の良い日に死んだ方が良い訳です。

そう考えると人の死は一時は悲しいものの、再生の望みがある訳ですから少しは気楽になれますし、少なくとも絶望的
にはならないで済んだ。だから祭りをして祈ったのが日本人であり、其処から「神の子」として、或いは、「神の再臨」とし
て生まれようとした。其れが私たち日本人であるとすれば皆、貴く素晴らしい存在であると、思えて来ませんか。

■アニミズムではない・・・・・・神霊が蘇えるとしても、其れは自然界の万物の中の果たして何処なのか。子孫か、其れ
ともそれ以外の何に神霊が憑依するかは人の目には分からない。だから日本人は万物を注意深く見て来た。けれども
此れは諸外国の所謂アニミズムや多神教とは全く別なのであって自然崇拝とも違うのです。

排他的な一神以外は何も知ろうともしない西洋の一神教的史観で日本の宗教を見れば、確かに謎めいて分からず誤
解するだろう。例えば日本女性がクリスチャンでもないのにウェイディング・ドレスで教会結婚することに憧れるのを指
摘して「無節操」と批判出来ます。だが、日本の宗教は何も多神教ではなくて前述したような言わば「一体教」でした。

先祖がある方位からやって来て何物かに宿る。だから其れに人は一体化しようとした。密教や修験道の護摩焚きの場
にも、其れが良く伝わっています。でもこうした事柄が全て日本人の寛容さと柔軟性、或いは無節操と誤解された。しか
し護摩供や神式祭事を見れば分かる通り、祭りのクライマックスは「木・日・水・土・火」との一体化の信仰儀礼である。

例えば祭りのクライマックスではその場の雰囲気に一体化しようと唱和される南無(神仏への帰命頂礼)とか、「わっし
ょい」の掛け声や気風が、日本人に染み付いていて、其れで一時に全体の調和を保った。調和の為に多種多様の神
仏を等間隔で有り難がるのではなくて、特定の神仏に一体化したのです。

■I再生の公式(方定式)・・・・・・死霊はいったん肉体から離れると一定の軌道を巡る。ただ原子核を回る電子のよう
に、方位によって決められた一定の軌道を回るまでには若干迷う。例えば子孫の肉体に近づこうとしても、其の周りに
は既に複数の霊魂が回っているからです。其の複数の軌道の中に空席を見つけて入る事になる。

こうして各霊魂が自分と同じ血筋の子孫の肉体の近くをやがて電子のように規則的に周回する。但し、現界(この世)と
霊界(あの世)とは逆になるので、死んだ暦日方位と再生の場合の暦日方位も逆になります。だから例えば6/6に死
亡した魂は、やがて12/6の日に再生する。此れが霊界の方式であり公式となります。

でも其の霊魂が肉体を持つ人の子として再生するためには残った人たちが祭りを続けなければなりません。其処で古
来、日本では神となる人の子が御子として墳墓の軸上に居ついた。其の一例が各地に伝わる斎姫、即ち弁天でした。
そして祭りは其の当時の衣装で出迎える。

でなければ仮に神霊が現れても、彼は「自分を迎える祭り」である事を「今浦島」では露知らずに通り過ぎてしまう恐れ
からです。結果として京都「葵祭り」や「時代祭り」のような古式衣装の大行列が今も伝統行事として続いて来たので
す。更に念を入れた事として、神の顔に似た子孫がその神の活躍した物語を演じた。

其れが能以前の神楽・田楽・猿楽であったろう。祭りの場で其れを神霊が見れば、当時の活躍を思い出してくれると信
じたからである。

■かつて仏教渡来以前の日本人は余り「死」を恐れなかった。其れは古い肉体を捨てて死すればまた何れは新品の
元気な体で生まれ変わる、とする因果律を教えられていたからです。老体に鞭打って何時までも働き続けるのは痛々し
いし、残酷です。ご本人にしても、何時までも死ねずに老醜を晒しているとすれば辛い。

本人の友人達はもう既にこの世にはなく其の面でも寂しい日々でしょう。また他者・社会にとっても介護などで負担が掛
かれば長寿が目出度いなどと言うのは嘘になる(本当は迷惑なのです)。其の点で良い時期を選んで先立った友人
は、先に死んだとは言え、既にまっさらの肉体で生まれ変わっているかも知れない。

と考えれば、老いて病気がちで未だグズグズしていては不幸である。ならば無理に頑張るよりも、疲れた肉体を早く捨
て去るほうが得ではないか。と言うような生まれ変わりの信仰が人生を楽にしていたと考えられます。そうすれば死を極
度に恐れる事もなく、死もまた潔く容認出来ました。所が仏教が入ると一変した。

インドには今もカースト制があるように、大陸性の浄土思想と穢れ思想とが人々に厄介な風習を残し、誤解を撒き散ら
して恐怖感を与えたのです。更に漁師や猟師など、殺生をする職業を穢れた階層に落とし込み、他人を差別するように
なった。

或いは坊主や代官の命令に従わなければ「地獄に落ちるぞ」と脅されて次第に人々は「死の恐怖」へと突き落とされて
しまったのです。

■怨霊・・・・古来、日本は先祖を祭って鬼神を明らかにして来たので怨霊となるケースがなかった。そのため日本では
大昔から長く平和が続いたので、古代シナの場合も日本を手本としました。孔子の頃の墨子も「鬼神を祭らなければ天
下が乱れ、王は力政を行う」ようになると警告していた。

日本でもしかし奈良時代から怨霊として神社に祀られる魂(御霊りょう)も出て来ました。この場合(怨霊)は原則として蘇
える事すら困る存在ですから霊迎えの場としての宮も祭りもなく、譬え幾ら壮大な伽藍を造ろうとも其処では縁日にの
み、単に弔いの読経を行う寺としての存在でした。

其れが明治になって時流に従って宗旨変えの標として看板を「神社」に書き換え、其れまでの坊主が国家神道の帝国
の神官と言う公務員に身を変えた異質な神社も有るのです。それ自体が悪いというのではなくて、素性・目的が違うと
言うのです。こうした俄か神社や偽神社、或いはゼニカネ主義の怪しい新興宗教団体と何ら変わらぬ所もある。

何れも日本神道を看板に掲げてビジネスとしている所も有るかと思うので、其のあたりを見極める目も必要でしょう。

■J先祖祭りは人間だけがする行為・・・・・・・・・人が死ねば普通は霊界に至る。つまり地獄とか天国に相当する所に
行く場合もある。何れにせよ、やがて一定期間の後に神としてこの世に再臨する事が出来ると信じられた。だから人は
祭りをし、或いはその人がやがて祭られた。

けれども其の御霊を祭る子孫も集団も存在しない場合は中々霊界に辿り着けずに先の怨霊と化す。何れにせよ、人と
獣とを区別するのは、言葉や道具を使うかどうかではなくて、敬神崇祖の心で「先祖祭り」をする人間か、其れとも宗教
に無信心とか、祭りを嫌って神仏を否定する無神論者かどうかです。

獣(肉体主義)系の人や無信心系の人達は「死んだらお終いだ」と誤解して、死を極度に恐れる(実際、この世が最後と
言う例も多い)。その代わりに生前はやりたい放題をする訳ですから手が付けられません。とすれば矢張り、神仏を祭
る行為は高い精神性がある人間だけの優れた行為であり、安心できる社会を構築すると言えます。

其の点で、物を使う事をサル真似出来るサルが祭りを譬え真似しようとしても、此れだけは到底「猿真似」出来ない。と
言う話を此の「神々の歳時記」をご覧になる読者へ先ず送ります。兎も角、祭りを通じて読者は間違いなく、幸福への
道筋が保証されたようなものです。

ハレとケの方位

占いでは日々の吉凶を天文の運動や暦日の吉凶からアドバイスしますが、一般社会にとって日々の暦日や方角には
吉凶はなく全て中性です。ですが、個人的には鬼門を気にする人も多いし、誰かの祝日とか命日とが日々交錯するも
のです。こうした個々の場合は当然吉凶が存在する。従って此処での吉凶とはハレとケガレと言う説明になる。

■ケガレ思想・・・・・昔の日本で言うケガレは命日方位でした。所が仏教的な穢れ思想は少し違う。奈良から平安時代
には末法思想と触穢思想が広まり、極度に不安な日々を送ったようです。そのため、吉凶を心配して陰陽師や祈祷師
による祓いが行われた。

「百鬼夜行」などの迷信が横行し、犬が死んでもカラスが糞をしても大騒ぎして宮中の諸行事がいったん停止するなど、
実に行き過ぎた時代となり、かの藤原道長でさえ、死後三年で宇治の木幡の墳墓の位置が不明となるほど死が忌み
嫌われました。ですから、その他の、昔から受け継がれて来た古墳の伝承や被葬者の名もすっかり忘れられた。

当時は正に「末法の時代」でした。其の歪みから現代では古墳の被葬者が不明となり、また穢れ思想が歪んだ偏見と
差別思想となって続いています。だが人に身分の差は元々なかったし、本来の「ケガレ」思想(下記)も身分を云々する
ものではなかった。つまりこの階級的な差別思想は人為的・制度的に作られたものであって、無意味な弊害である。

■上記のケガレ観では、地方の一般住民の日常の暮らしを「ケ」と言った。「ケ」とは平常の「気」の事であり、其れが身
内の死去などや悩みにより、気持ちが沈んだり、枯れたり、崩れた場合だけを「ケガレ」と見ました。そのケガレを取る
ためには故人を慰めるとか、静かに「物忌み」するための忌み籠りをしました。

そして例えば故人が生前に好物だった熟饌を供物として捧げて静かに祈った。やがて一定の悲しみの期間(服喪)が
経てばケガレが祓われたと見なし、或いは他の何らかの方法で祓い清めた場合は「気」が回復して病人は健康になり、
平常の「ケ」の暮らしを取り戻した。

しかし其れとは別の渡来史観による制度的に作られた階級的な差別思想は今も中々消えないから問題になる。

■ケガレの祓い・・・・本来は個人的に精進潔斎、忌み籠り、難行苦行などでケガレを除去する方法があった。他方、一
定の地域社会などでケガレを除去するには年に一度の祭りをするために一帯を掃き清める事でした。或いは一座を募
って御堂で合宿して忌み籠りをしてから祭りをする事でした。神々は清浄な場に降臨すると信じたからです。

従って祭りの日のその場では全員がハレを迎える日となります。此れは氏族の中の忌み日とは逆方位・暦日の、「日
迎え」ですから、誰もが恋人とデートする時にはそうであるように事前に掃除に務めるし、当日は小奇麗にして集まり出
迎えようとした。同時に、神への供物として山海の珍味や新鮮なご神饌を捧げて迎えに出ました。

其処では歌舞音曲の歌や踊り、或いは神楽を演じて賑やかな雰囲気で神を迎えて楽しませ、料理を盛って饗応する場
や行事となりました。そうした一連の経過と結果として、ケガレはケに、ケはハレに一変したのです。

■慶弔の意味・・・・・先ず、服装については祝いの祭りは白衣ではなくて黒衣でした。寧ろ弔いが死に装束(白装束)だ
った。其れが今はモーニングが公式となり、意味不明になっている(明治維新で服装が逆転し、暦も一ヶ月ズレ、寺社
も分離されて意味不明となった)。

次にお供えの仕方について繰り返せば、仏にはお年寄りに与えるような軟らかくて温かいもの、即ち火を通した熟饌を
供えるのに対して、神様には新鮮な山の幸、里の幸、海の幸(魚介類)、珍味などの三界の幸、つまり地場の産物、例
えばお酒、塩、洗い米、鯛、其れに旬の野菜、果物等を供えました。

こうした対極の祭りの意味を履き違えない事が大切ですが、取り分け祭りのハレとケの方位を見定める為には次の法
則性と円暦(陰陽の方位)を知る事が必要です。

■その他



■K法則性と其の実証

■此処では今では忘れられた法則を幾つか列挙し、更に「ヒジリ事典」でも逐一解説し補足して参ります。先ず全てに
通じる法則(律・理)について述べて見ます。本書では単に暦日に従った祭りの形を説明するだけに留まらず、更に其
の奥にある重要な法則を導き出す事が出来ます。

此れを知れば従来の常識とは違った、他の多くの真実を一貫した道理で理解出来るでしょう。先ず一連のデータから
仮説を提示し、それらを結びつけている法則を実証します。例えば以下に述べる法則は、後述の「歳時記」で悉く実証
して行く所に本論の特長が有ります。その法則とは、先ず

@天円地方の理・・・・・・・・天は丸く、それに対する地は方形である、とした天地五大の哲理(天文地理・時空一体)で
あり、此処から天子の場合は円形で祭り、諸侯の場合は方形で祭った。其の為、古墳の場合も円墳が天子を意味し、
それに対してピラミッドのような方墳は諸侯のものでした。

また例えば、祭りに関しては神輿が出ますが此れにも八角と四角が有り、何れも神の乗り物と言われるのに対して、地
車は神輿より大きいものの、人の乗り物となります。京都・祇園祭の華麗な山鉾にしても、其処に乗る稚児は神様では
なくて、五位の官位(10万石相当の諸侯・大名)に過ぎない訳です。

A天人相関の理・・・・・・・天気は天神の気まぐれで変わる事象ではなくて、天と地とに相対する神と人との共鳴性に於
いて現れるとする見方です。よって古来、天子は天神を祭って来た。其れを天子が怠った時、「五風十雨」の気候循環
が崩れて天変地異や大洪水、或いは旱魃などの天災事変が続いて天子に反省を促しました。

だが、それでも天下の祭り事が改まらない時には天命が変わり、シナでは其の都度「革命」となった。

B清めの理・・・・・・・自然界の万物は物質科学で見えるだけの狭い存在ではなくて、其の何倍もの心のある有機体とし
て生きています。従って前項のような気候変化や天変地異は自然循環のための生理現象であり、それが有って万物が
元気に営みを続けている訳です。

自然界の地震、火山の噴火、海流、風水、などの浄化作用によって清浄な状態が保たれているとすれば、人間の元気
もまたこの理によって保たれている事が分かります。従って健康の逆に見える病も実はこの自然界の摂理によるもの
と認識できます。つまり人の生理は吸気と栄養吸収と併せて、実は排気・排便が重要です。

両者が円滑に循環している事を健康と言い、其れは排出機能で清潔が保持されます。清浄なら病気が発生しないが、
循環が滞って汚くなった所には浄化の必要性が生まれる結果、病気など色んな現象・症状が発生するものと捉えれ
ば、風雨や病気もまた神の恵み、つまり浄化作用の一環であり、感謝すべき事と分かります。

C因果律・・・・・・・因果律とは稲モミを蒔けば稲穂となる道理の事。現在起きている結果は過去に因があり、また未来
に起こる事は今が原因となる、とする至極当然の道理であり、原因・結果の関係式、つまり律、即ち理(法則)の事で
す。此処からまた、生が有る以上は必ず死に至り、死すればまた生きる、とする、輪廻転生の思想にも繋がる。

此れは古代から普遍の法則として誰もが認めて来た法則でした。つまり未来に憧れても未来は未完で何の保証もない
過去は完全(諸条件の具備)であるから終結したと言う道理が分かる。所がその逆を言う「進化論」が100年前から
流行り出した。でも其れは何の証拠もなく、決して法則なんかではない(仮説に過ぎない)。

また現在の科学では実証主義と言う手法が採られるが、其れは物心両面の内の「物だけ」しか見ないものですから半
分しか分からない。例えば交通事故一つを取って見ても、事故は心因、因縁、遠因が先に原因として存在して必然的
に起こる物理現象です。しかし今の物質科学では如何に詳しく調べても心因が不明なために、物理しか見ない。

従って其の原因は「偶然による」と見なして、この妥協の産物として「示談書」を取り交わして一件落着とするのです。け
れども事故は必然によって起こるものであって偶然では起きない。とすれば此れでは何も「科学的」ではないのです。学
校やNHKTVでは金を取りながら其れに見合う本当の事を教えないから社会問題が増えています。

歴史や先祖こそ道理の根っこであり、問題の原因であるのに、記紀は神話とし、「先祖は宗教であるから」と否定し、そ
の代わりに虚説・進化論を垂れ流すのみならず、学校教育や各種の試験制度は、一生の間に殆ど役にも立たない渡
来学の学識を弄ぶテストによって人を無用な知識面でのみランク付けしていますので問題解決から遠のく。

しかも、偽の知識をドンドン詰め込むので人の「考える力」を奪い、間違った政府、間違った教育でも「進化の結果の進
歩」として肯定し賛美させる訳ですから、其れに嵌らないためには、この因果律の道理をしっかり知る事です。

D方位と因縁伸縮の象・・・・・・この世とあの世の何れにも通用する普遍の原理は精神であって目に見える物質では有
りません。だから人は「譬え財産があってもアノ世へは持っていけない」と言う。この世で得たものは全てこの世に置い
て行くのが古今東西の決まりであり、それが公平と言うものです。物質は形代としての意味しか有りません。

物質や数字も人間界には通じるものの、あの世には通じない。特に数字は方位性とか、現物と言う枠から外れた場合
にバーチャル空間に飛躍し、虚妄にさ迷ってカオスを現出するのです。モノより大切なのは心であり、その精神の中で
も同方位の伸縮性・相似性がキーポイントになります。

例えばマクロコスモスの宇宙と、ミクロの原子とは大きさは違うものの相似的であり、つまりは方位に対して実際の長さ
が伸縮性によって大小の違いとなります。この相似象の秩序は方位が支配します。例えば、仏壇・墓地や神棚・神社は
両界の接点となる場として設定されます。

中でも仏壇はマクロの極楽を想定したミクロ(ミニチュア)であり、また弁天社や神輿は神山(古墳)や聖の御堂のミニチ
ュアです。だがそれらは一定の方位を前提としているので、其の辺りの事を本論にて逐次詳説します。また因縁の継承
もこの理によって方位と暦で生成・消滅する。

或いは人が一端犯した罪は刑務所や選挙で禊が済む訳ではなく、「目には目、歯には歯」の相似のものでなければ償
えないと分かります。其れが因縁として子孫に引き継がれます。

E霊主体従の法則・・・・・・進化論とは逆の因果律と因縁の事であり、物質ではなくて霊的な原因が体的な現象や問題
の根源にある、と見るものです。例えば「病は気から」と言うように、人の心が体を采配支配している事です。また交通
事故があれば必ず物証主義で判定するが、本当は心因からでなければ分からない。

複数の物体が相対する方位から同時刻に一点に集まれば事故となる。しかし一点とか方位とか原因とする理由が物
証主義では分からないので、「偶然の重なり」としての説明しか出来ない。つまり物体よりも大きな、心的な力がその場
に作用して現象化した、と見なければ真実が分からない。

従って今の社会では問題解決の手段として示談と言う妥協策しか採れないのです。尚、天地、或いは霊(見えない存
在)・体(見えるもの)の別を哲学では形而上と形而下に区分する。進化論はこの形而下の1仮説に過ぎない。

F輪廻転生・・・・・・・生き変わり死に換わる事。人が死んでも魂は死なずにあの世で迷い、次々と他の肉体に移って永
久に迷いの世界を巡ると言う事を仏教では「執着心が強いため」として戒めた。

だが自然界では植物プランクトンが魚を育て、或いはバクテリアが作物を作って多様な生き物たちの暮らしを食物連鎖
で支えており、そうした自然の摂理が輪廻転生とすれば否定すべきではなくて是認すべき点も多いのです。実際、人の
霊性には大きな差が有りますので、霊界では其のレベルに準じた世界に入る。

その意味では霊界、つまり天国と地獄のような世界は極めて範囲が広く、また其のレベルには公平かつ実に厳しいラ
ンクがあるので、言わば堂々巡りの六道世界もあると見て良いのです。

Gヤタの原理・・・・・・・記紀には「八咫の鏡」の言葉が記されていますが、古墳から出土する各種の銅鏡にも八方の印
(境界)が彫られています。咫(た)とは長さの単位として今では解釈されていますが、実は八方を等分する角度の事で
あり、此れが神代以来、全ての哲理の基本となっていました。

此れは霊界と現界(この世)に通底するとても大切な八方の原理です(ヒジリ事典の「ヤタ」「円系図」「法華」「菊」「円
暦」を参照)。




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