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http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」 p060 (未定稿)


 神々の歳時記    前文2
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「前文 2」 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★


初詣・・・・・例えば初詣。一度は誰もがご経験の事でしょう。でも此れについて、皆様、良くご存知かと言えばそうで
はない。今の事情は分かっていても、元の由来や神々については心もとない筈です。何故誰もが、着飾って善男善女
を装うのでしょうか。其れに寺社では何故、其のトシのエトの動物を飾るのでしょう。エトとは何なのかです。

そして正月三ヶ日の初詣には、近所に寺社があっても、其れよりも遠くの、有名寺社に何百万もの参拝人が押し寄せ
ます。此れも不思議です。此れは着飾った人を見るのが楽しみとか、或いは「お正月気分を味わうため」なのでしょう
か。其れとも単に、「御利益」が目当てなのでしょうか。

そして其のご利益のある神様について少しはご存知なのかどうか。初詣の習いとしては、封建時代の昔から真っ先に
自分に縁りの産土神や氏神にお参りする事でした。或いは其のトシの歳神を迎えるために朝一番に家を出て、その日
の方位にある神社に参拝した後に御札を戴き、其れを家に迎える事でした。

其の神の形代しろとしての御札や御標を家の神棚や床の間に飾り、其処へミケミキ(御食・神酒)を供えて祝った後に、
其れを撤下して、直なおらいとして家族で分けたのが御節せち料理でした。だが今は、「お正月はゆっくり休みたい」と言っ
て朝寝坊します。

そして神様より先に家族で腹一杯飲食した後に、ほろ酔い加減で他にする事もないので「折角のお正月気分に」と、暇
潰しに近在の寺社に散歩に行き、多数の参拝者の頭越しに賽銭を投げて帰って来ます。其れで「初詣した」事になると
思っている人が多いものです。だが此れでは少し変なのです。

無論、行かないよりはマシとしても、逆さ事になっています。そしてもっと古い年始、つまり「年始」は冬至の日の朝日を
迎える事でした。其れこそが「元旦」でした。此れが江戸時代の月の正月の祭り以前の太陽の祭りです。今でも「お正
月」と言いながらも月ではなくて「初日の出」や「日の出」を遥拝する古風な人が有ります。

また、正月の元日を殊更、「元旦」と言ったり、その祭りを「歳旦祭」と言うのは太陽の祭りの名残りでしょう。恐らく冬至
の日には各地の家では家の東南部を空け広げて、朝日を家の奥まで射し入れた。其の地点に標を付けて祭壇とし、朝
日を遥拝し、供物を盛って日神の一陽来福を祝った事でしょう。

何れにせよ、初詣は暦に深く関係し、其れは方位を基準とする神事でした。其れが今も寺社の配置に示されているとす
れば、読者はもうこの点を是非探したい、と思いませんか。

■寺社の配置・・・・・・・エジプトにはピラミッドがありますが、其れは単に巨大な遺物となっています。そうしたのはピラミ
ッドを作った人々を追い出し、或いは亡ぼしてしまったからです。日本の場合も渡来文明が広まるにつれて原文化が汚
染され、エジプトと同じ状態になってしまうのではと心配です。

ともあれ寺社の配置については従来から興味ある諸説が出されて来ました。例えば「知られざる古代」副題(謎の北緯
34°32′を行く)を発表した水谷慶一著(日本放送出版協会や小川光三氏の「古代太陽の道」は当時大きな反響を呼
びました。

其れは古代遺跡と寺社の配置が伊勢神宮から淡路島に向かって東西一直線に伸びている事実を紹介して謎解きを試
みたものでした。外にも、冬至や夏至に太陽の日の出と日没の角度に寺社が配置されている事例の幾つかを指摘した
論説も時々出て来ました。

また大和三山(別紙の「日暦」を参照)と藤原京の位置関係が、ピタゴラスの定理で配置されていた事実を指摘した書
物も出ました。他方ではストーンサークルが古代太陽暦盤であった事を論証するものもあった。所が、「では何故其処
までしたのか」、と言う意味・必要性の点になると、もう一つ踏み込んで説明したものはなかった。

太陽観測や幾何学で説明できる例が多いとしても、其の事が祭礼や古墳、そして実生活に何処でどのように繋がり、
結び付いて何を残し何を伝えたのか。この最大の謎について、此れまでは誰も迫る事がなかった。よって本書が初め
てその意味を明かす大役を果たす事になります。

そのため余計な雑談は避けて当初から核心部に迫りたいのですが、其の前に矢張り必要な前提を述べて見ます。

方位・・・・・・・知識や財力があればこの世は楽しいと思いますが、迷路の多い今のカオス社会をそれだけで生き残
るのは無理である。無論、武力に頼っても無理ですね。其れよりも健全な精神と人並みの体力、其れに適当な方向感
覚も必要です。

そうした判断力を養うには従来から推理小説やテレビの殺人ドラマが人気もあったが今は電脳ゲームが盛んです。で
すがゲームをしている間だけ熱中できても後に何も残らず、散財による単なる時間潰しの繰り返しでは空しい。

其処で例えばもし「方位ゲーム」(ゲームホーイ)が有れば此れはもっと楽しく、しかも暴力的でも散財的でもない、知的
なゲームで推理力と判断力を楽しめるでしょう。「方位ゲーム」は単なる知能ゲームてはなくて、天文方位、地理方位、
暦方位、其れに祭り文化や史跡とリンクする。

或いはその人に歴史的な教養が結び付く外、機械文明に頼らないで自然の中に生きる知恵を得るのに有益です。であ
れば「ゲームホーイ」が知能的な究極の推理ゲーム・知的ゲームとなるでしょう。

さて方位と言えば現代人は直ぐに「科学的ではなく迷信だ」と決め付けますが、実はエネルギーそのものなのです。エ
ネルギーと言えば科学的な素養のある方なら直ぐにアインシュタインの「質量不変の法則」(エネルギー保存則)を思い
出して E=MC2乗、 つまり「エネルギーは質量×光速の2乗」であると言うでしょう。

光速を秒速30万kmとすれば言わば定数ですから、係数となるのは質量です。此れは既に「論説」でも述べたのです
が、要するにこの学理は、「目方が大きいものがエネルギーも大きい」とする訳ですから、それではニュートンの「万有
引力の法則」から一歩も出ない幼稚な理論でしかなかった。

特に問題なのは此の数式の中にはこの宇宙を動かしている方位の係数が何にも入っていない事です。この程度の理
論であっても熱力学や量子力学の基本となるに及び、以来、物性物理や宇宙科学など、近代科学の根本原理となって
来たのですから驚くべき事です。

こうしたお粗末な学理でも人工衛星やミサイルくらいは説明できるし実際打ち上げて来たのですから技術者たちの腕は
大したものでした。無論、此れで人類は原子炉と原水爆も作りました。

だが、自然はそんなに単純なものではなくて寧ろ小さなものや見えないものほど巨大な力を持つ場合が多いし、太陽や
地球が回っているのも万有引力で説明できるけれども其れだけでは説明できない事が多すぎます。事実として星は一
定の軌道と言う方位で回っている訳です。

にも拘わらず、宇宙理論にしても「万有引力」の法則と言う中世・唯物理論から一歩も出ないものによって進められて来
ました。従って、こうした理論では軍事科学と産廃物を積み上げるだけであり、自然破壊を進めても、人類の福祉や幸
福は到底得られない事と警戒すべきです。

其れに対して、大宇宙・自然界の方位のエネルギーは地球や太陽を定時的に回転させ、地震や台風を起こして自力再
生し、人の生死を司って来ました。とすれば方位は非科学的な迷信ではなくて法則であり、実に恐るべき存在と分かっ
て来るでしょう。


造語の説明・・・・・・・・・・此れから述べる話の中には特定の用語が出て来ますので予め説明して置きます。

■「神々の歳時記」・・・・・本書のテーマを「神々の歳時記」としましたが、此れは要するに祭りの順番を解説したもので
す。昔の日本ではヒツギ(日次)と言う太陽の祭りがありましたが、その後現在まで、寺社では月ごとに定例の祭りとし
て「月並み祭り」を続ける所が多く、中には星次祭をしている所も有ります。

其の他にシナで「歳次」と言えば、星の二十八宿を12次に区分し、其処を歳星(木星)が1次づつ進む度に1年を数
え、12年で天を一周する事を言い、日本では此れを「年回り」と言った。つまり歳時記とは本来、暦でも有りました。特
に日本では一年中の神事・祭事・行事を日付を追って順次記したものでした。

所が今は俳句の季題を集めて分類した「俳諧歳時記」の略語として理解され、或いは「花の歳時記」などに母屋を取ら
れた形になっています。此れでは本来の歳時記の意味が失われた感があるので、本書では殊更、頭に屋上・屋家の
形で「神々の・・・・」と付け加えざるを得ませんでした。

しかしながら、今の日本では多くの場合、宗教に無関心な事が善であり、其れが常識とか学問と言うものですから「無
神論」を自慢する人たちが幅を利かしています。そんな中で、神とか仏と言えば肩身が狭い。そう言う事は暇なお年寄
りかご利益信心の人たちの話題に上るだけであって、一般の場では話題にする事さえタブーとします。

だが其れでは益々日本の伝統が忘れられるでしょう。洋式学問とか知識教育が徹底しても、郷土についての無知や誤
解、或いは偏見が強まれば暴論が幅を利かせて弊害を生みます。だから敢えて本来の歳時記、つまり「日本祭教」を
此処に、「神々の歳時記」として書き残して見ました。

■歳時記とは暦である・・・・・・・・歳時記とは天文・方位に従って祭りの順番を記した式次第、もしくは暦であり、つまり
は祭りと政(祭り事)、其れに伴う行事や納税時期を含めた手順書であり、それらを日を追って記録したものでした。
結局の所、此れは単に暦記のみならず宗教と政治とが一体化した「祭政一致」の基本でした。詳しくは後述します。

■円暦と時刻・・・・・現在、カレンダーと言えばどれも四角四面の「数字表」になっていますが、本来の暦は数字ではなく
て方位の指針であり、例えばストーンサークルや時計の文字盤のように円形で各方位を見たものです。それに対して
現在誰もが使っているカレンダーは方形の数式表ですから本書では触れません。

さて特に円暦と言うものは別紙「図表」で図示しました円形の暦です。古代には数字がなかったのではなく、中でも暦
は、丸い天文を主とし、其れに対して方形で地理方位を整合させる意味から数式を避けて方位をシルベとした訳です。
ですから、特にこの歳時記は、円暦(方位)で見なければ解読不能です。

●立春・・・・・・・・暦上の立春は太陽の黄径315°に当たり、冬至からは45°離れているので方位としては丑寅であ
る。この頃の新月、または満月の日が旧暦(陰陽暦)の正月になる。正月と言う以上は月の祭りであり月の年始です。
つまり立春の前夜祭が旧暦の晦日になる場合が多いので一応此れを節分と言う。

因みに旧暦の薮入りはこの後になるので古来、盆正月には長い連休となり、日本列島では国民の大移動が繰り広げ
られました。因みに京都を中心に方位を見れば、鬼門と裏鬼門に山形と鹿児島が位置する。

此れを霊的に見れば、この時期に両者の間でエネルギーの交換作用、即ち大きな浄化作用が効果的に果たされるの
で、此れも節分と言う行事の効能でした。だが今は、其れを西暦の元日にしているので効果も半減です。

■方位と月日・・・・・古来、祭りは壇を基点として方位を決めたが、方位の基準は八方です。八方を四方四隅(維)と言
った。南蛮渡来の数字式カレンダーではなくて本来の円暦・方位では先ず真北を冬至と し、其処を基点として時計回り
に一周する方位暦なので北東が立春に重なります。

以下同様に、真東が春分、東南が立夏、真南が夏至、南西が立秋、真西が秋分、西北が立冬、そして真北が冬至に
重なる。此れを古来「四至(時)・四立」とも言った。今の月日にすれば冬至と夏至が12/22と6/22となり、其の日
から45日後が立春(鬼門)と立秋(裏鬼門)なので、両者は2/5と8/6となります。

そして冬至と夏至から91.5日目が春分・秋分(3/23←→9/21)であり、其の137日後が5/7の立夏(巽)と11
/6の立冬(乾)となります。ただ此れは黄道を基準の方位に基づく円暦八方日なので、其れとは別の、地軸主義の星
座によって天文台が行う今の西暦月日とは若干ズレます。

だが古式祭りは西暦ではなくこの八方から見なければ分からない(事典の彼岸ラインを参照)。

時計盤と方位盤・・・・・・・エトの配置は24時間の時計の文字盤の上を→00→02→04→06→08→10→12→14
→16→18→20→24(00)→02・・・と、時計回りで→子→丑→寅→卯→辰→巳→午→未→申→酉→戌→亥→子→
と一巡します(但し此れは地上の場合)。

因みに円暦月日では概ね以下の通り・・・・・00=12/22(冬至)→02丑=1/21.5→04寅=2/21→06
3/22.5→08辰=4/20.5→10巳=5/22→12=6/22(夏至)→14未=7/23→16申=8/23.5→
189/22→20戌=10/22→22亥=11/21→24(00)子・・・・・・・としています。


■暦の月日と円暦方位(角度)・・・・・もし手元に円暦がない場合に其の日の円暦方位を算出するには、固有の月日に
ついて、別紙の「円暦」から「回bO01〜366」と照合下さい。そうすれば例えば冬至(12/22)はbO00(または366)、
或いは夏至なら6/22=bP83と判明します。

其れに360/366を掛けますと冬至は0°、夏至は180°と逆算できます。同様にして例えば2/6の真北からの角
度を求める場合は、046×360/366=約45°25と算出出来ます。

■方位と月名(旧暦)は・・・・・方位としての南北は季節では夏と冬であり、時間では正午と真夜中となる。従って月名の
場合、子=11月(霜月)、丑=12月(師走・極月・三冬月)、寅=1月(睦月)、卯=2月(如月・更衣)、=3月(弥
生)、巳み=4月(二月の卯とは別の卯月)、=5月(五月・皐月)で「端午の節句」や夏至となる。

そして未=6月(水無月)、申=7月(文月・ふづき)、=8月(葉月)、戌=9月(長月・菊月)、亥=10月(神無月)、そ
して子=11月(霜月)、丑=12月(師走)へと繰り返すのが毎月のエト(旧暦)式の月名でした(この外に閏月があっ
た)。

■この世もあの世も、凡そエネルギーは古今東西、陽から陰へと流れる。陰陽一対で二つ巴のようになって陽だけが
日々一日刻みで移動して行く。何れも直線ではなくて円運動で捉えるのが自然に即している。植物も日影から陽光を追
ってヒマワリの様に育って行くのが自然の姿です。樹木も直線的ではなくてネジれて生長します。

地球が巡り、季節も巡り、台風や地震も円運動で移動して行きます。所が今の科学は物質主義ですから方位に無頓着
です。宗教性とか精神性も排除します。その結果、直線論と進化論が主流となった。特に時間の観念は単純明確に
線的に進むと言う前提で理論構築し、数字と言うバラバラな部品を使って架空の概念で組み立てて失敗を重ねる。

歴史的な実績や事実よりも虚構で造った抽象的な観念を主としています。このため最先端である筈の量子力学や宇宙
科学が数十年かかって「超ひも理論」の迷路に嵌った。其処でやっと堂々巡りに気付いた方も有ろう。宇宙も地球も、
時間は直線的に進むのではなくて、波動性と循環が二つ巴で廻っているのです。

陰側が不動な定点となれば、陽側が廻るので其れを方位で分割して見る。例えば昔から時刻法は機械的な定時法で
はなくて自然に即した不定時法であり、これも毎月のエト(旧暦)式の月名とも重なりました。24h式の時刻法なら、真
夜中(00h)が「子」、(01hから02h)が「丑」、(03hから04h)が「寅」となる。

(05hから06h)が「卯」、(07hから08h)が「辰」、(09hから10h)が「巳」、(11hから12h)が「」、つまり正午。
そして(13hから14h)が「未」、(14hから16hが「申」、(17hから18h)が「酉」、(19hから20h)が「戌」、(21hから
22h)が「亥」、(23hから24h)が「子」となりました。

鐘の数も子午が九つ、卯酉が六つ、丑(丑三つ時)と未(15時頃)が「お八つ」でした。

但し此処で示した時刻は昼夜の長さが略等しくなって其の伸縮の少ない、彼岸の頃の一例です。ですから夏や冬は伸
縮するので不定時法(自然時間)と言う。でもこのように方位と言う基準があれば、譬え季節や時代が変動しても改暦
で月日が動こうとも、その数字に惑わされずに元の正しい暦日が比定できます。

このため大事な国事や、京陵の造営、葬法、祭事、寺社の配置などは全て保守的な前例を旨とし、前例はこの円暦を
基底にして行われて来ました。かつての日本には、愚かな改暦による混乱を避けるために、この様に暦時を方位と重
ねて確かめる文化がありました。

数字だけで見れば一ヶ月以上も読み違えてしまうからです。此処まで説明しても、頑固な方はきっと「そんな事を言って
も証拠がないだろう」とおっしゃるに違いない。考古学者も古墳や住居跡から暦を発掘する例は余りなかった。それは
今の人たちが「コヨミとは四角四面でなければならない」と言う固定観念で見てしまうからです。

でもそんな思い込みは何の役にも立たなかった。古京の町割りや古墳の方位、そして寺社の位置関係と伽藍配置など
至る所に鏤(ちりば)められていたのです。其の点で今の機械的な定時法は大自然が四季によって変化し伸縮するの
とは別の枠組みで作ったものですからどうしても環境破壊になります。

大事な事は数字ではなく、方位で示されて来たのです。ですが昔は当たり前だったこの円暦も、稲作や仏教とかイデオ
ロギーで毒する渡来人のためにズタズタにされ、更に数字万能の現代では「世界で唯一の異質な暦」になってしまった
(此れは現在パテントになりましたのでご希望の方は何らかの形で当会へご注文下さい)。







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