http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」 p045 (未定稿) 神々の歳時記 前文3 次は 「前文 3」 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ ■@祭りで何が分かる ? ■祭りで生き方が分る・・・・・世界各地では毎日戦争が繰り返されていますが、日本は毎日何処かで祭りをして暮らす 平和な国です。各地の寺社では年に何回もの祭事があり、そうした寺社が全国には20万以上も有るのが日本です。 このため毎日何処かで縁日や例祭があり、其れに私的な冠婚葬祭も加わるのです。 同じ人生なら戦争よりも、神の近くで祭りで過ごす日本で暮らす方がずっと平安であり幸せと云えるでしょう。でも今は 守首相が「神の国」と発言しても感情的に批判された。世界で認められているのに、批判したのが日本人でした。歪ん だ学識や無智が跋扈する変な時代です。 ■記紀は正しかった・・・・・ですから今は、祭りで祭られる神々や記紀について誰彼ナシに語れば、逆に変人とか「皇国 史観」とか「神話的」と言うレッテルを貼って批判されるでしょう。特に方位や歳時記などを語れば、嫌われるに違いな い。方位は特に物質科学万能の現代日本では「迷信」と決め付けられるからタブーです。 でもこの「神々の歳時記」を理解して暦・方位を検証すれば、記紀に書かれていた事が略、事実に即して記録したもの と判明して来ますし暦・方位でなら理論的に立証も出来ます。 それに対して、古の日本の暦法に無理解で、しかも何の努力もしなかった渡来学の学者たちが西洋キリスト教史観や シナの宣伝書である魏志倭人伝などの外典を絶対の法典とし、それに対する日本の記紀をローカルで未熟な史書と見 下したり感情的に否定したので、肝心の事が一切分かりませんでした。 でも方位から記紀を詳しく理解するようになれば、日本人が日本の古文献を悉く偽書と断定して批判して来たお粗末さ まで色々分かって来るでしょう。 ■祭りで歴史が分る・・・・・・・例えば筆者は雷神様の葵祭りの宵宮に其の方位の隣の米屋の次男として生まれたせい か、中年になって金や時間に多少の余裕が出てもゴルフやカラオケではなく徐々に神様に引かれるようになり、各地の 神社を訪ねる事が増えた。 だが神様の事を調べようと実際に現地に赴いて見ても、文献を見ても、文献と事実とは何処か違う事が多くて、始めか ら課題としたテーマに何一つ回答が得られなかった。また歴史の場合も、文献史学と言うのが有って、文献主義に偏る 人が多いが、文献にある事だけが真実ではない。 村祭りにだって真実の歴史があります。例えば自分の子孫にだけ世代を超えて永く語り伝え、秘蔵して来た系図や伝 承、或いは村落の地名や伝承、其れに宮座の仕来りなども文献以上の重みが有ります。 其れに時代の流れも有って、官製の文献の多くが歪められ、或いは仏教説話や日記から拾い出したものばかりではな いにせよ、文書に使われた言葉や文字の意味が時と共に変化し易いものですから、文字だけが真実と見るのは誤解 に近い理解であると思うのです。 ■記紀に有る歴史や神の名も、歴史的な事実とは採らずに神話とされるのは、裏づけを取るのが困難だからです。書 かれた歴史を神話や空論と決め付けないためには、系図にある暦日で証し、また実際にあった地名や日付との摺りあ わせから確定する事が必要となる。 その点、考古学者が遺跡から発掘したものなら嘘はないか、と言えば、石ころや遺物は如何様にも解釈出来ますから 絶対視するのは危険です。例えば事実を歪め、誤解した上で憶測を加えて解説する学者が多いので要注意です。しか もその誤解について誰も責任を取らないので今は「言いたい放題」の有様です。 では、歴史は全く分からないのか、と言えばそうではない。歴史は常に人の足元にあります。例えば今の町名になる前 には大字小字の地名があり、先祖の郷里には当時の暦法で記銘された墓碑があり、或いは関係した寺院に当時の過 去帖があれば其処に記された戒名から全く予期しなかった宗派寺院や先祖が出て来るものです。 また自宅を新築するに当たって、その土地を掘った時に注意して見れば、土器片が出たり、火災や地震の跡が見られ るかも知れません。ですから別に遠くまで出向いて行って勉強しなくても足元に歴史は有るのです。先祖についても古 い墓石や戸籍から系図を作れば分かります。 ■系図作りは歴史を明かす意味に加えて先祖への恩返しになります。人の子として父母に関心を抱き、次いでその先 の先祖を扇形の円系図(事典の別項参照)で一人二人と辿るなら、きっと真実に近い色んな歴史や事実が見えて来る でしょう。 昔の住居地の環境や其処の地名、或いは当時の仕事・職域とか宗教、祭り方と地域性のある暦法、或いは冠婚葬祭 や民俗行事、其れに地域独自の風習や食性など、豊かな情報が得られるものです。 祭りや葬式などは極めて保守的ですから、世の中が変化しても此処だけは流行や時代の変遷に左右される事が少なく 取り残されて、昔のまま受け継がれて来たので幸いにして残っている。 また特に地形などは「日本列島改造論」以来、ブルが入って削られたり造成された所もあったが、市街地には家並み が有るし、寺社や古墳が有ればその一帯はブルで削り取られず昔のまま残っているので、全体の地形からも昔の事が 判然と理解出来るものです。 ■古くからあった祭りは、そうした「点と線」を縫うように執り行われて来ました。だから祭りを見れば、昔の事がより鮮 明に蘇るでしょう。そして次に述べる因果律など、宗教の原点となる道理が見えて来ます。此れは今も理解出来る真理 です。 進化論などの架空の俗説ではなく、因果の道理や真理から歴史を照らして見れば色んな真実が分かるものです。所が 学校では此れを教えないで、唯物主観的な近代科学と称するイデオロギー(西洋史観)を刷り込みます。此れによって 日本の歴史を切り刻んで分離・分類したり、更に渡来の進化論で汚染した。 このため、「では何故そうしたのか」と言う点になると、モノカネ主義の観点で過去を見下すために謎を増やしたり、真 実とは別の回答を出して来ますから面白くありません。例えば古墳や鏡については必ず「権力の誇示のため」と言う形 容詞を付けた解釈です。事実はそのようなものではなくて、祭りとその暦法のためでした。 争い続ける大陸とは違って、戦乱の少ない時代の日本では武力や権力は全く通用しなかったのです。日本は権力では なく、平和と秩序のための祭り事の為に古墳を作り、都を遷す事を繰り返すと言う方法を採って来た。平和裏に神の王 国を築いて来た精神性の高い文化大国だったのです。こうして日本人は年中、様々な祭りを通じて暮らして来ました。 其処から個々の成長に伴って冠婚葬祭などの人生儀礼を行います。此れらは何れも極めて宗教的な儀礼であり、決し て宗教的に無節操とか無関心ではないばかりか、世界一古くから日本人はこの一貫した哲理と道理を示して、最も伝 統的で平和な文化を今に伝えて来たと断言出来るのです。 ■ゆっくりズムの世界「千日詣で」・・・・・・此れまでの時代、日本人は忙しく皆さん良く働きました。そして更に今は「スピ ード時代」となりましたが、もうゆっくりして良いと思います。これからは他人を押しのけてまで目先の獲物を求めて急ぐ 必要は少しもない。 所で「千日詣で」をすると、どんな「ご利益」が有るのでしょうか。また此れには果たしてどんな根拠からそうした話になっ たのでしょう。また其のご利益なるものをハッキリ感じ取る事が出来ますか? 「別に何も感じない」、とすれば、要するにその寺社の商売上の教え(作り話)か宣伝だ、と思うでしょう。ご多分に漏れ ず、中にはそうした作り話で人を寄せて来た寺社も有るでしょうが、今は余り先を急がず、ゆっくりと自分自身で考えて 見ましょう。恐らくその答えはご自分の中に出て来る筈です。 実はこの縁日にこそ意味が有りますので其れを此れから色んなヒントとしてお話ししようと思うのです。此れまでの祭り は寄付する人と酒飲みや体育会系の人たちの頑張りで支えられて来た面が大きい。だが此れからはもう少しゆっくり と、歴史や文化など精神面から、知性的な役割の人たちがもっと活躍しても良いのではないか。 ■先ず、神社には何故鳥居や参道が有るのかを考えて見たい。読者もご承知の通り、あれは単なる門やゲートではな かろう。参拝者が一定の方角からその道を通って参拝するように昔々に設定されたものかも知れないのです。 そうした寺社は現代生活の中でもスピードや競争社会とは隔絶された静かな所です。この様な境地に入った多くの人 たちが安らぎを得られるものです。そうした場所には木々の緑が多いからでしょうか。それとも静寂があるからなのでし ょうか。或いは神仏に一番近い所に佇むからでしょうか。 其れだけではなくて、要するにスピードとは無縁の次元に入ったからかも知れません。ですからこれからはゆっくリズム で行きましょう。昔から「急いてはコトをし損じる」と諺で教えています。ゆっくり考える事、これこそ古来、日本人の自然 な姿であり暮らし方でした。人生は短い。でももう急いで行く事は何もないのです。 ■A祭りの本祭り ■お社(神社)はミステリー・・・・・・・人が困って苦しんでいる時には、「神も仏もないのか!」と嘆く事があるものです。そ んな人でもタマに嬉しい事があると、神殿の前で恭しく礼拝する。だが果たして神々は何時も、あの本殿と言う犬小屋 のような暗い内陣で息を潜めて暮らしているのですか? 信徒が直前で拍手する度、出て来て喜ぶような存在なのだろうか。譬え「そうなのだよ」と大人が子供に教えたとして も、素直な子供なら其れを納得するでしょうか。それでは後で、「嘘だった」「裏切られた」と言われるかも知れない。 だから大人たちは、宮事は姫事とし、姫事は秘め事であり、要するに謎のままにして来た。第一、「何とか大神」と言っ ても、毎朝、ミキミケ(御酒・御食)と言う、猫の餌のような食事を人から与えられなければ生きていけないような神様では 情けないでは有りませんか。 或いは其の鎮守の森には「狼」の仲間でもいたのでしょうか。其れに、神社には決まってお稲荷様が祭られているが、 アレだって何処から見ても狐そのものです。だから其れらが逃げないように、社前には番犬みたいな狛犬が常に見張 っていると説明した方が良いのだろうか。 それとも神様は、狛犬に守られていなければ直ぐに悪魔にやられてしまう程、非力で弱々しい年寄りみたいな存在なの だろうか。其れに神社に特有のシンボルとして注連縄があるが、アレはどう見たって蛇を象った作り物です。其の上、 新春を迎えるたび、神社では社頭に必ず其の年のエトとして蛇やサルなどの絵馬を掲げる。 要するに、鎮守の森や神社は薄暗くて気持ち悪い所ですし、やっぱりアニミズム信仰の場であり、ケモノたちの楽園で あっても神々のおわす所ではないのではないか。其処で知的な読者なら、「此処で毎日、神様が暮らしている所とは思 えない」、と一度は疑問に思われたに違いない。 実際、譬えどんなに有り難い神がおわそうとも、また町の真ん中に有ったとしても、薄気味悪いから「ゴメンダワ」と決し て近づかない女性も多い。火でも焚いて皆で騒ぐ正月や、ダンジリが出て賑わう祭りの時でもなければ気持ち悪くて近 づき難い所ですし、事実マチの真ん中にあっても殆ど誰も行かない所となりました。 だから、「犬でも連れて行かないと不安だわ」、と言う事になります。或いは余程暇な人しか行かない以上、此れでは経 済的損失であるとか、こうした特定の宗教施設が保護されている事に疑問と反感を持つ人も多いのです。神社がそうな らお寺はどうかと言えば、寺はもっと凄いが後述する。 其の点、こんな神社や寺に比べたらキリスト教会の何と清々しい事か。芝生のサンクチャリーにカリヨンの塔のあるチ ャペルからは賛美歌が聞こえる。そんな牧歌的で優雅なキリスト教の場にこそ、高貴な神があるように夢見て、日本人 は結局、「結婚式なら断然ここ」と憧れるのです。でも、其れで良いのでしょうか。 ■祭り・・・・・・・祭りは、どうして始まり、また何故、独特の衣装を着けて行われたり、継続的に繰り返されているのでし ょう。世の中が進歩しているのに、どうして此処だけは何も進歩発展せず、昔のまま何も変えずに伝統を保持し、踏襲 しようと努力が払われるのでしょうか。 其れは昔から、神様を迎えるために、祭では敢えて古色を残す努力をして来たからです。神様に当時の事を思い出し て頂く為に、衣装も昔のまま再現し、祭りの様式も昔のままとし、踊りも当時の物語を演じますし、料理も古式を残しま す。なので私たちも色々な事を楽しく覚える事があります。 例えば輸入野菜や肉食主体の西洋料理ではなく、郷土の特産品や四季折々の旬の物を工夫して使った和食の原点、 「名食百選」にしたいような伝統食とか、懐かしい田舎料理とか「おふくろの味」に接する事もあるでしょう。 寺社の縁日や祭りは楽しい。出店には昔からの日本的な風情もあって日本の原風景を見る思いがします。笛や太鼓 に釣られて行けば、歌や踊りや邦楽とか古式の神楽も見られる。実際に参加して、神前に厳かな気持で祈り、また神 輿を担いだりダンジリを曳いたり、其の後の直食(なおらい)を味わうのもいい。 飲み食いした、其の場の雰囲気によっては踊り出しても良いだろうし、無礼講では騒いでも余り咎められない。祭りに 参加して神社や氏子・自治会の人たちと触れ合うだけでも良い。祭りの準備と後始末をお手伝いするのも大事な事で す。 ただ其れだけで終わらずに、もう一歩踏み込んで、祭りの由来や、神々の素姓を調べたり、何故此処に寺社があるの かを知的に考えたり調べる努力をするのも楽しい事です。どうして此の祭りが有って、何故、此処に此の寺社があるの か。其の由来と歴史を知るほどに祭りや寺社に一層、親近感と深い崇敬と愛着とが湧いて来るでしょう。 ただ、もし古文献や資料が乏しい場合は、本殿と鳥居の位置関係や例祭日(縁日)の変遷を調べれば神々の素姓が 一層ハッキリして来る。縁日は命日にリンクし、命日は暦日にリンクし、暦は方位にリンクするからです。つまり、祭りの 起源は命日の法事・法要であり、其れ故に重みがあり、長期間、厳粛に催行されて来た事が明らかになります。 其処まで分かれば其の祭りが残っている地域は、実に大切な文化遺産である事にも気づくでしょう。 ■祭りとは・・・・・・・祭りとは、無関係の人たちを集めて呑み助を育成する場ではなくて、氏神の再臨を願って饗応する ものです。つまり先祖供養の一環です。しかし色んな意見もあります。例えば都会が夏祭り、田舎が秋にするものであ る。都会は疫病退散の祭りであるのに対して、田舎は秋の収穫祭である(04/10/9日、堤氏)と言う。 確かに梅雨の時期の京都・祇園祭や夏の大阪天神祭りは疫病退散の意味もあり、秋の収穫時期の10/10頃には 各地で秋祭りが見られます。色んな見方があっても良いのでしょうが、其れはインドやシナの稲作地帯の水神信仰の 風俗ではあっても、日本古来の本物の祭りを知らない人の下手な考えでしか有りません。 日本の祭りは神や聖人の命日や創建記念に基づく行事であり、特に命日などは収穫時期とは無関係に発生します。だ から日本では毎日何処かで祭りがあるのです。 ■祭りの原理・・・・・・・日本の神々は外国の宗教のような観念的に創作された架空の神ではなくて、殆どがかつて人間 社会に実在したヒジリであり、その子孫が氏子として其の神(氏神)に縁りの深い地で其の神の縁日に鎮魂を行い、ま た逆の季節には神霊として迎える行為としての祭りを少なくとも二千年間も続けて来た。 しかもその祭りの縁日(暦日)は方位で位置づけられていた。繰り返せば、祭りの原理は神輿の数や人数ではなく、無 論アトラクションや予算の規模でもない。要は、主神として祭る神に一番近い血筋の者が祭主(神主)となり、天文方位 から暦日を確定して其の方位に行動する方式の「行事」が神事でした。 従って仏教やキリスト教のように宣伝して信者を増やす事はしなかった。寧ろ、宮座を軸にした閉鎖的な氏子共同体と して1000年以上もの長期間にわたって祭りを運営しました。予算や人数よりも氏神の血筋を第一義の価値観としたか らです。 ■祭りの要件・・・・・・・つまり、神様は神殿に常時住み着いてはおられず、時々しか現れない。だから一定の時期に其 れを迎えるのが祭りでした。従って祭りのない神殿は只の空き箱に過ぎないので、幾らお百度を踏んで祈ろうと無意味 だと言えます。 では何が祭りの要件かと言えば、御祭神名など常識で分かるものは別として言えば、最も必要な要件は一定の作法と 手続きであり、此れに欠ける場合は如何に組織的に盛大な祭りをしてもイベントと同様の催しとなり、神様は降臨され ない。よって本祭は暦と方式(方定式※下記)に則って行われ、神輿の渡御(巡幸)と遷幸(宮入)で終わる。 つまりそれ以前の雑事やセレモニー (儀式)は如何に前置きが長くてもイントロであり、また舞曲や神楽はお飾りであ り、素人演芸会に過ぎない。またダンジリが練り歩くのも「祭り」前後の呼び込みセレモニーに過ぎません。いや、日本 の祭りは子供たちが主役で良いのです。 けれども大人たちが其れだけに振り回されず、神を主とした順番と価値観で祭り事を設定して頂きたい。要するに手続 きや作法の方式が祭りの要件であり、その方式・方程式とは天・地を結合させる事、つまり命日縁日を方位と暦日とに 整合させるための吉日を占定し、「当日」を割り出して決定する事でした。 其れが縁日や例祭日であり、祭りに詣でる参列者が其の日に其の方位から参拝する事が何よりの「千日参り」となるよ うに設定した場でした。 ■正しい縁日(例祭日)は何時なのか・・・・・・日本では昔から毎日のように縁日や祭りが各地で続いて来ました。例えば 古来、「観音詣で」は月初めの1日から30日まで毎日の縁日が決まっていた(事典の「観音詣で」を参照)。或いは次の ような縁日も一般的に行われている。 ◆江戸の12ヶ月名所(年中行事)として4/14のNHKラジオ深夜便(江戸東京博物館長・吾妻なおきさんの話)から引用 すれば、江戸名所図絵を描いたのは長谷川雪旦。長崎派の大和絵である。其れによれば1月、7月は宮中行事と春と 秋の七草。2月と8月は花鳥画、3月は鯉の滝登り、9月は鹿がススキを見る絵になっている。 4月は田植え、10月は農家と商人の恵比寿祭り、5月は節供人形の鍾馗(ショウキ)様、11月は牡丹(江戸で唐風に作っ た寒牡丹)、6月は相模の大山講の山登りの後、江ノ島で磯遊びに、今のツアーで行った。12月は浅草寺の羽子板市 があった。此れが江戸庶民の年中行事(以上只今、江戸東京博物館で江戸名所図絵を展示中とか)。 ◆関西では1〜3日は定光(灯明)仏、・・・そして10日は恵比寿、金毘羅様、13日は虚空蔵、そして十五日の十五夜 (満月)には阿弥陀(八幡)様。 次の17、18日は観音様、21日はお大師様、23は二十三夜尊、24日は地蔵尊、25日は天神様、28日は不動尊、 30日はお釈迦様と言う風に決まっていた。ただ旧暦では31日目はなかった。そして年中行事としては例えば 1/10 大坂今宮では十日恵比寿。初金毘羅。信州では四月、西宮では8/22。 1/15 冬の小正月。その逆が夏7/15のお盆行事。 1/25 各地の天満宮では初天神または梅花祭。・・・・・・この逆が7/25の大坂天神祭。 2/ 4 節分(旧歳末)と旧正月。其れに対して8/4頃から旧・夏越祓いと旧七夕、或いはこの時期には墓参とした り、8/7からの施餓鬼供養など、月遅れ盆行事の準備に入る。 2/15 応神天皇の命日。このため逆の8/15には八幡宮例祭となる。 3/21 真言宗の寺院では御影供。だが其れを旧暦と見て、4/21にする所もある。 4/ 8 お釈迦様の潅仏会「花祭り」であり、四国の象頭山・松尾寺では「金毘羅祭り」です。でもお釈迦様は古インド で亡くなられたのでインド暦で祭られるのが本当だろう。従って西暦のこの日に行ったのでは誤解になる。 6/末日 各地の神社では一斉に「夏越の大祓い」をする所と、7/末日にする所がある。歳末の大祓いに対応。 7/15 関東地方では「盆」。其れに対して各地では、8/15になって「月遅れ盆」を迎える。 7/25 大坂天満宮の天神祭。だが8/25に例祭をする天満宮もある。 8/15 月遅れ盆。及び八幡宮の例祭。此れとは別に9/15に例祭をする八幡宮も多い。 9月 10月 各地で秋祭り。此れは春祭りに対応。 11月 12月 歳末に大祓い。 上記のように対極の時期に対極の寺と神社では祭事・行事を行う。赤色と青色とに色分けしている個所は、寺と神社、 またはケガレとハレに分けて対極(祭りの二面性)関係を対比して見たものです。 何れにせよ、命日を縁日として、日ごとに日を追って毎月の満月や月命日を月並み祭として来た事と、或いは祭りがそ の逆の時期に繰り返された事、しかもそのようにして祭られる先祖や神が、歴史の古い日本では余りにも多かった為 に祭りが多い。 其れに加えて権力による改暦や寺社分離による弊害から、本来は同じ祭りだった事も別々にするようになった事です。 例えば1/1はお正月の元日ですが、此れとは別に、二月初めに旧正月をする家も有ります。 其処でもし何れかを選ぶ必要に迫られたとしたらどちらを選んだら良いのだろうか。其れについて日本の場合、「お正 月や五節句などは旧暦行事である。でも旧暦の日付をそのまま西暦の日付で祝うのは愚行である」(サンケイ2003/5/ 22日、旧暦研究家・小林弦彦氏)と言われる。 縁日には新旧で凡そ一ヶ月のズレがあるのですから、其れを数字だけそのままズラせて各地でバラバラに行っている のでは問題です。こうした歳時記のズレの問題は、主として明治の改暦の弊害によって生じたものですが、其れも鳥居 や参道の方位を後述の円暦から見れば、本来の暦日を判断する事が出来ます(詳しくは各論で後述)。 ■縁日(例祭日)を外すな・・・・・・祭りや縁日は各社各様に一定の方位に向けて行われました。鳥居や参道があるのは その方位を示すためであり、示す方位は特定の時節(暦日)を明示する印しでした。祭りは土日と言う曜日ではなくて、 方角に対して行われました。 日本の旧暦月日とは単なる陰陽暦ではなくて、天文方位に裏打ちされた日取りだったのです。何故方位に拘ったかと 言えば、其れが天体と地球のエネルギーの流れであり、また神と人との約束事であり、従って鳥居や参道に黙示され ている訳ですから後の人が勝手に変更する事はなかったのです。 このように祭りや縁日には大きな意味があるのですから、人間社会の都合で其の祭日・縁日まで勝手に変更しては祭 りとは言えなくなる。ですが、有史以来、既に十回もの改暦を行ったために、多くの寺社では新旧暦とのズレで縁日が 一ヶ月も差が出る事となり、其の上、今は日曜日に行う所が増えて来たから無茶苦茶になっています。 俗世間でも、他人の誕生日や命日を勝手に変える等は到底出来ないのに、神の縁日を人間側のご都合で勝手に変え ると言う行為は実に神を冒涜する事になる訳ですが、洋式七曜主義の日曜主義に偏ってしまいますと、この辺りの感 覚に無神経となります。 それでは折角祭りをしても神と人とが「行き違い」となり、祭りの意味がなくなりますから要注意です。 ■B新旧暦の問題・・・・・・改暦によって本来の縁日も先祖の命日も曖昧になってしまいました。例えば今のカトリック 暦のお正月に「春の七草」はなく、「桃の節句」に桃がなく、七夕の夕べに星影が見られない。現代の日本社会ではそう した矛盾したカレンダーで気にも留めず暮らしていますが、此れが果たして文化的と言えるでしょうか。 天体の動きから外れたカレンダーに世間が左右されて仕事や生活をしている事が果たして科学的と言えるでしょうか。 現代人は金額や数字が違えば大きな問題とするが、方位がズレても無関心ですから不思議です。新旧暦の行事の中 で不変の行事は冬至や夏至など24節気だけです。不変のまま残ったのは季節の節目と方位が絡むからです。 ですが一口に「方位」と言っても例えば「北」については磁北、真北、図北・方眼北、子午線北、GPS北・・・・など色々有 るから注意を要するのですが、其のうち「真北はどの方位なのか」、については殆どの人が知らない。今、其れを問題 視すれば却って笑われる時代です。そんな事よりも現代人は数値化されたものが科学的と信じる。 しかし他方で大安吉日と言った迷信に従って冠婚葬祭をするのが大事な常識とされています。だが数字はハッキリして いるようで実はかなり曖昧な観念であり、だからバーチャルに酔い、ディリバティブに走り、バブルを弾かせる事となっ たのです。であれば、方位迷信よりも「数の論理」を、もっと危険視し、此れに頼らないようにすべきではないのか。 そうしなければ数字主義と大安吉日迷信や曜日主義が社会の弊害を増やしてしまうでしょう。 ■C非数式の方程式・・・・・・・・方式(方定式) 昔は狭い地域で人々が住み分けていて、大自然や神仏を立体的に認識する事で暮らしをゆっくり奥深く味わい、今より も案外楽しんでいたのではないか、と思います。その点、今は何事も方位に絡める事が出来なくなり、其れに逆比例す るように何事も数値化して来ましたので一律で平べったい観念が幅を利かすようになりました。 また「スピード化の時代」となったために地球も相対的に狭くなり、海外旅行でも手軽に行けます。ただ「寺社めぐり」や 観光で、グルメを味わうのも楽しいものですが、グルメや観光的な参拝、其れにご利益信仰で動き回るだけの表面的 な理解で満足していたなら何れも一過性に終わってしまいます。 其れでも昔に倍する幸せや楽しみが有るなら兎も角、「何も残らない」とすれば、優れた歴史文化の精神も何れは衰退 してしまうでしょう。今は特に「数の論理」と「銭金主義」の社会と化してしまったのでストレスが多く、その問題解決を願 って「お百度参り」をする人々や、高額で院号を与える寺院が当たり前ですが、何れもご利益信心に類します。 その点で、以下述べます「神々の歳時記」は日本に伝わる根源的な文化要式であり、しかもこの日に参れば正に「千度 参り」と同じご利益も叶うと言う立体的な理解、つまり哲理が得られる。神仏への崇敬の心が有った場合に高い精神性 となり、或いは文学的な深い認識がより感動を呼び覚ますでしょう。 取り分け有縁者がその日、下記の「方角」に則って其のコースを辿る事でその神仏と完全に一体化し、もしくは出会え る可能性の方式が祭りや縁日でした。此処ではその内の暦と方位との一体感を認識する道、即ち数字無用の方程式 (方定式)の具体例を示して見ます。 ■D方角の意味 ・・・ ・・・ ■方位は迷信か・・・・・・・・太陽も地球もある決まった軌道を周回しています。其れをニュートンは「万有引力の法則」で 説明しました。其れでも説明は出来ますが、実はこれ等がニュートン以前から、ある一定の決まった方位で回っていた のですから、ニュートンの数字ではなく、方位によって説明しなければならないのです。 所が、近代科学では方位が分からない為、此れをブラックボックスに投げ入れて「方位は迷信だ」とした。その代わり数 字で解こうとして来ました。だが方位(広大な時空間)は数字でも科学でも解けません。此処に神理があるからです。其 れが分かれば寧ろ近代科学の欺瞞性と限界とがハッキリして来るのです。 ■二方式の祭り・・・・・・・日本には民俗学で言うハレとケガレの両極があり、或いは陽と陰と言う二面識が有りました。 中でも「祭り」の場合は陰から陽に向かう行為であり、即ちケガレから「ケ」(日常)を越えて、非日常の世界である「ハ レ」に向かう事でした。 従って例えば、縁日と祭りが春と秋とのワンセットで設定されていた場合でも、祭りだけが単独に行われるのは異例で した。祭りは周囲との一体化した、一対の存在だったからです。特に「祭り」の場合は、一定の方角へ神が下って来ら れるのを人々が待ち、迎える行為であり、此れを神幸と言いました。祭りはつまり神の「里帰り」でした。 その場となる神社の素性には実は表裏関係、つまり生死の別があり、一つは墳墓を弔う側に位置する所、即ち僧が居 着く場があり、此れがつまり「ケガレ」の場であり「寺」でした。また寺の対極には死霊が再生して神となるのを迎える「マ チ」があり、或いは「ハレ」を意味する宮が置かれた。 こうした寺社の持つ二面性が、日本では長く神仏習合の形として何も問題なく続いて来ました。其れは仏教渡来以前か ら有ったのです。此の事は、日本人が宗教に無節操だったからではなくて、実に宗教的であり、厳格な方式を守って来 た事になります。 其の点、現代では神社側は寺や墳墓とは無関係を装っているが、其れは一神教的誤解と自己欺瞞となります。確かに 神社は清浄な場である事が前提でしたから穢れがあってはならない。ですが江戸時代までの神社には必ず神宮寺や 宮寺が有って神仏一体の形式を採っていたのであって、日本には大昔から「純粋の神社」と言うような所はなかった。 神仏は別々です。其れでも何かと言えば人は「神仏一体」と言った。其れは架空の観念ではなくて、一連の寺社の関連 に於いて神仏一体を具現化するように形成して来たのです。つまり其の具現化の為に、日本の祭事の本質は「行く事」 であり、従って日本ではそうした祭事行為を「行事」と書きました。 其れを行う寺や宮事に人が仕える事が務めであり、此れが「仕事」の原点でした。しかし現代感覚では「仕事=金儲け」 としか思わないとすれば、それこそ何も宗教的でも合理的でもなくて、単に偏見、つまり歪んだ観念や欲得でゼニにす る行為に堕落するのです。 ■E千日詣で(続き) 先に、「千日詣でする事にご利益が有る」、と言いましたので、結論としては縁日、つまり以下述べます歳時記の当日に 其処に参拝する事が何より大切であり、それ以外の日に参拝しても「後の祭り」であり、従って譬え「お百度参り」を続け ようとも殆どご利益はない、と言えます。 祭りの当日に参道を通って鳥居を潜り、拝殿・本殿に向えば、暦と方位とが完全に一致する。その結果として神霊に出 会え、或いは様々な啓示・啓発・感動などのご利益に直結する可能性が大きくなると結んで置きます。 ●祭りは先ず古墳の上で行われた。自然界の花の開花は自分だけの努力や計画で勝手に咲くのではなく、啓蟄の時 期を過ぎて、環境が熟するのを待って始まる。 祭りの場もまた、花粉が飛んで来たり、チョウや蜂が飛び交い、小鳥が虫をついばむ気温になった時期を待って開花 し、その花粉をキャッチした時に花弁が閉じます。この様に自然の摂理は周囲の環境と連動して進められています。 其れと同様に祭りも、天と地の歳時記・方位が合致した時に人々が参集する仕掛け(一定の方式)で設定されていたの です。 ■F方角の意味、「其の2」 以下、次ページへ 次は パテント・著作権は本会に属します。 「鬼の会」 |