http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」 p162 (未定稿) ![]() 神々の歳時記 纏め2 次は 纏め2 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ 目 次 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ 1.祭りとは 2.終わりに 2.終わりに ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ■聖のキーで謎を解く ●目の前に折角、宝物があっても、本物を見る目がなければ見えない。「猫に小判」とは此の事を言ったものでしょう。 例えば海外の土地は広いが砂漠や猛暑か酷寒の平原であり、戦乱に明け暮れ、或いは過当競争に追われて暮しま す。其れに比べて日本は国土こそ狭いが地雷に怯える暮らしは全くない。 少なくとも二千年、祭りで平和に暮して来ました。永い実績のある平和と幸福の暮し方が目の前に揃っているのに海外 情報ばかり気にするのは愚かな事です。ヨミを真似てはマケル。日本人は此れまで他所にないもので生きて来た。しか し今はバタ臭さに幻惑されている。 例えば町中には人が溢れているが、直ぐ傍に素晴らしい文化遺産の古墳があっても閑古鳥が鳴く所としている。従って 古墳と参道と歳時記と言う、方位の方式が目の前にあるのに気付かず、其れよりも黄泉の国のマーケットや渡来の学 識やモノカネに幻惑されて国際化したと喜び、「だから素晴らしい」と誤解している。しかし 其れでは猫にさえ笑われよう。と言っても無理もない。此の方式は江戸初期で忘れられたからです。日本にも天才秀才 が数多輩出したが、凡そ400年間に6億人がキリシタン伴天連やモノカネ主義に汚染されたため、誰もが道理や方式 を見失った。ただそうした中でも寺社や地域の祭りが原点を伝えている。こうした精神文化は日本にしかありません。 特に日本のような精神文化は、武力とセックスと情報と金融や医療によって世界制覇を狙う白人たちが最も苦手とする 分野です。日本の力は此処にある。彼らの企みを逆転させる神の力です。こうした他国にない本物への理解力と精神 性の継続こそ日本の自立であり、其れが世界の平和や危機回避の指針となろう。 ●さて、現代の日本人は、「四角四面の絵付き数表でなければカレンダーではない」と誤解しているが、本来の暦とは 数字カレンダーではなくて円形の方位盤でした。 それは 別紙の「円暦」を見ても、多分ご理解頂けると思いますが、他の例では例えば家の中心点から八方に道や植木や石を 配置して各地点に印して暮らしていた。或いは民家では南向きの家にすれば一々数字式のカレンダーに変換しなくても 自動的に四季の折り目節目を画して日影の角度や光の変化でも確認する事が出来た(アズマヤを参照)。 民家とは別の、寺社や歴史的な遺跡の場合は複数の神々や天皇の縁日を暦・方位のラインに伏せた所です。だが各 時代、祭り事を支配するため改暦を画策する新興勢力が出た。こうした改暦は進歩ではなくて敵国に介入、または間 接侵略するためであり、歴史文化や歳時記を分からなくして故事来歴も例祭日も不明にした。 度重なる改暦が精神文化と歴史を破壊したのです。旧暦時代は、曲がりなりにも方位が把握されていたが、明治には 方位を無視して数字式の四角形のカトリック暦に改暦した事が伝統文化を完全に破壊しました。そうした事から言って も、改暦の数や歴史が「進歩発展の証」ではない。 その意味で此処に「神々の歳時記」として故事来歴と方位を糺して見たが、今の日本社会には「科学万能」とか、「考古 学が古代を解き明かす」と言う幻想や信仰が行き渡っています。これ等の誤解は「我々は進歩した」と言う進化論式唯 物史観が下地に前提として敷かれた所に発生したものであり、其れは学問でさえなくて、新興の渡来式信心です。 従って再び繰り返すまでもなく、そうした誤信の有る史学や考古学に大きな期待をしても無理である。例えば、キリスト 教に関してはキリスト教徒になって見なければ分からないものがあるように、仏教文化は仏教でしか分からない部分が 有るものです。特に密教は密教を修行していても分からない部分があると思う。 例え其の道一筋に幾星辰を重ねて老僧・高僧となった方々でも中々真理を得ず悟りにも至らないものである。ですから 如何に専門の大学で史学を齧ったと言っても、二十余歳では理解不能の事ばかりであり、更に門外漢では手に負えな い。ですから、日本の精神文化を西洋的・唯物史観で切り刻み、如何に分類・分析しようと謎となった。 特に無宗教の学理では手に負えなかった。取り分け、ヒジリが黙示した古日本の祭政一致の宗教や政は今の唯物科 学や政教分離の学問では分からず、従って謎を増やしただけでした。ただ宗教音痴の学問では無理としても、神道や 暦法でなら解けるのではないか、と期待しても矢張り無理だった。 此処も既に西洋史観でアカデミック化しているからです。先の「暦方・纏め1」では、「聖が封印した」と述べたので、此処 でまた繰り返すまでもなく、古ヒジリが封印した黙示録の扉は、どうしても聖のキーでなければ開けられないし、他の者 が開けても謎が解けない。考古学や史学で幾らやっても徒労に終わったのは其の為でした。 ですから門外漢たちには解けなくても常識で解ける方法として今回は本書が多くの謎を一挙に解く「円暦・歳時記」と言 うキーを読者の前に差し出した。つまり本書は、多くの古ヒジリが封印した黙示録を全て暴露する悪役である。そのよう にも自問自答して此れまでは公開をためらって来た。 其れを今公開するに当たって少し自己弁護すれば、これ以上、古日本の精神文化の衰退と遺跡破壊をストップさせた いと言う気持ちからでした。一見してモノは豊かになったとは言うものの、精神的にはすっかり疲弊・困憊した日本を蘇 らせるには最早これまでと意を決したからでした。 其処で今回、其の一部を公開しているものの、此れも何時までも公開し続けようとは思わない。真法、つまり原理や法 則と言ったものは、何時の時代でも多くの人に善用されるよりは、寧ろ何処かの権力や私欲に逆利用・悪用される恐 れが多々あるからです。 ●自分を神にする方法論 ●古来日本の祭り事は王道でした。家族や国家社会の福祉と経世済民を図るのが王道であり、其れを具体的に進め るのが歳時記でした。それに対して海外諸国の武断と物略政治、其れに明治以後の日本政府の其れは、自分の非力 を外国の武力や経済力で補おうとした。のみならず今は外圧を借りて亡国への道に向っている。 国民と経済支配のための巨大権力体制を拵え上げたものの、祭り事としては「下の下」である。そう言う事から本来の 祭り事と歳時記とを解説した本書は言わば幻の王道書(帝王学の聖書)でも有る。 なので、今直ぐ其れを軽薄で直ぐに失せる様なモノカネ社会に役立てたり銭金に引き替えたり、其れをビジネスや営利 企業、特に外資系のために使って貰いたくはない。此れが真に役立つのは、各人が生涯で最大の危機に遭遇し、「万 事窮す」の事態に直面した場合であろう。 何をやっても駄目と分かった時、或いは絶望感から何をする気もなくなった時とか、命がないと覚悟した場合にようやく 別の視点に気づく。もしくは現代物質文明が悉く崩壊して、其れまでの価値観が総崩れに潰れた時に役立つ。 そうした大きな洗礼が終わった場合に、先祖たちによる、幾千年の伝統の知恵の結晶が日本人にだけに元気を与える だろう。だから筆者は今は広く浅く、他人に説いて回る無駄はせず、記録に残して次なる時代に何冊かを残し、もしくは 大事な我が子にだけ言い伝えるしか有りません。此れは従来の方位学ではない。暦学でも史学でもない。 ノスタルジーや在来宗教の教理でもなく本物の聖書・神道書である。精神文化の日本教と、真の天文地理、即ち天文・ 人文・地文を結びつけた実際的な理学・自然科学であり、帝王学の要諦であると共に、肉体的な人間の力のみに頼る 自力本願ではなくて、先祖と言う霊的な力と一体になって数倍の能力を発揮して生きるための他力・知力の結合方式 実践書である。 ●さて「神々の歳時記」の冒頭では「ご利益」について触れた。だが読者は本書に、その程度のケチな効能を期待した 訳ではない筈だし、本書としてもご利益話で終わりたくはない。此れはご利益ではなくて究極の「求道書」でもある。其処 でもう一度、先の円系図をご覧頂きたい。 親たちは何人もの子供たちを育て、高等教育を受けさせた。だから子供たちは、成長後にはこの世でたった一人の父 と母の幸福を祈って努力する。其れが人の子としての道でしたが、今は違う。 何人もの子供がいてもアレコレ理由を付けて神や先祖を嫌い、何とか生きながらえた自分の老親の世話さえせず、其 れとは別の場所でぺットと暮らすなど動物的な生活をしている状態となった。此れは多くが高等教育を受けたために、 却って人間性を失った事になります。 知識は積んでも本末転倒の考え違いでエゴとなり、其れを自己主張する人となり、詰まらないイデオロギー(異教性)に 汚染されて意地を張り、老親や社会を不幸にして恥じない人達を増やしたとすれば、何のための教育だったのか。 ■何時の世も「十人十色」、人それぞれ自由であり、使命も違うのだから生き方が違って当然です。でも霊の処理法は 学校では教えないし、他人もそんな話題を避けてしまいます。でも未処理のまま、自分に降りかかる火の粉の祓いも出 来なければその人一人の問題に止まらず、社会的にも害悪となっている姿が現代社会です。 日本青年に学が成り、無神論者が増えた結果、礼節もマナーも失って日本を滅ぼす直前に至らしめた。こうした問題 山積のまま、更なるコストを費やして教育費や社会保障を充実させても大して役立たないだろう。 問題の多い家庭を探ると、その因は先祖無視の暮らしと判明する例が余りにも多い。つまり、問題の打開は、学問や 科学の発展では無理となった。カウンセラーやその種の専門家が増える事でも病院や訴訟に金を注ぎ込む事でもなく て、その家を救うだけなら、単に先祖祭りをする事で足りるのだ。 ■「進化無用の聖域」・・・・・・多くの日本人は新学説や新品を求めて一生懸命働いて来た。その結果として「衣食足っ て礼節を知る」のではなくて犯罪多発のゴミ社会にしたのは皮肉です。物が溢れる中で幸福感も充実感もなく、また50 年以上存在しているものは家の中でも単に自分の肉体だけ、と言うような歪な社会としました。 古いものは駄目としてゴミとして捨て、新品だけを追い求め続けた結果として、文化的でモダンな家が増えたものの、其 処には仏壇も神棚もない代わり、不衛生なペットと同居のプラスチック製電化商品の置き場と化したのです。 高齢化で「人生50年」を超えた人が多いが、此れまで働いた所が「企業生命50年」で消えて行った。とすれば、其れが 進化論を証明する豊かな人生と言えるだろうか。其の点、寺社はゼニカネ主義とは別の所に一応は位置する。其処に は千年の歴史を伝える所が珍しくない。 とすれば現代人は欧米からよりも寺社からもっと学ぶべきだ。同じ人生、一生競争社会でソロバンを弾いて走り続ける のが幸福なのかどうか。或いは聖地エルサレムのような処で50年間、敵対して暮らす事が果たして人の幸福であるの かどうか。ゼニカネ主義で暮らした一生と比べると因果律や「千年の祭り」にもっと学ぶべき時に来ています。 例えば大阪府ではかつて「新生活運動」と言う官製の生活改善運動、つまり行政主導で葬式などの簡素化が進められ た。けれども「余計なお世話」として実に不評を買った。冠婚葬祭こそ守るべき伝統文化である訳です。つまり其の簡素 化は人生の軽薄化に近づく。所が世間の風は今もって仕事とか合理化とか国際化と言う方向に向いている。 ですから此の先は人の誕生日や命日も、祭りもバラバラにせずに、盆正月か体育の日に纏めて一度に済ませるのが 合理的だと言う時代がもう直ぐやって来るに違いない。 何時の時代も小賢しい者が出しゃばって、「合理化・簡素化し省略しよう」と強張したり動き出すものですが、それで浮 かした予算を結局は電化製品や箱物にしたり、遊興費に回したとすれば意味は無い。とすれば何かを選ぶ場合は、そ うした手合いや分からず屋には注意し、伝統の側を固持すべきではないか。 冠婚葬祭だって景気刺激に役立つのです。昔の参勤交代が徳川300年の平和と経済を支えました。寺や神社なども 西洋的唯物史観の色眼鏡で見れば、「非合理なアニミズム」と拙速に判断される部分も有ろう。だからと言って此れも 省略や合理化してはならず、伝統を固守すべき所が多い。神仏に近い聖域に進化や進歩は一切無用なのである。 昔の通り、同じ事を保守的に続ける事の方が貴い。其れを簡素化したり合理化するよりももっと守るのが重要である。 けれども今は此れが実に難しい時代になっている点、関係者のご苦労に感謝したい。 ●さて、「神になる方法」の前置きが長くなったが、円系図は自己究明の図であり、先祖祭りの方式でもある。円系図に は四方に祖父母が位置します。大昔は其れを方形の壇で祭るのが格式ある家柄であり、更には其の範を垂れる諸 侯、国司、守護、地方長官などの立場があった。 従って先祖祭りは大儀と認められ、其の為に寺に入る(入道)と言えば、譬え死刑に相当する罪人であっても許され た。諸侯の居館を鎮守とも言い、其処を殿(みあらか)とも呼んだ。其処が御堂であり、或いはそのミニチュアが今も神 輿やダンジリの形で伝わっている。 或いは大君ともなれば円陣で天神、及び八方の先祖を祭った。其れが宮であり、今も八角の神輿や高御座として残っ ていますが、天皇とは其の日陰を見る見角(帝)でした。天皇家はこうして宮に居ついて日影の祭り事を続けた結果とし て、少なくとも2000年の精神性の高い歴史文化を守る事が出来ました。 人生50年、企業生命50年と言われる儚い世界の中で、寺社は同様にして1000年の歴史を刻んでおり、天皇家はそ の二倍を数えた。とすれば、其れは何れも円暦方位で円環の先祖の祭りをしたからに他ならない。其れに比べて、円 暦や先祖祭祀を軽視した世界三大文明や他宗教、或いは諸外国は、たった100〜300年の歴史しかない。 其の円暦については、歳時記の設定と宮道の往来の方式として今回、本書では「日知り事典」と「神々の歳時記」と言う テーマで初めて公開し、実証例を並べて解説した訳です。其処では従来知られる事のなかった幾つもの法則について も併せて核心部を発表・解説した。これらは何れも秘伝、もしくは帝王学の要諦である。 ●だが古の大君は此れを秘伝とはせず、代々公開して日本中で祭りをした。だから皇家は祭り事の本家として日本で は平和を永続させる事にも成功した。大事な事は先祖を単なる死人として葬る事ではなく、先祖として祭る事であり、そ れによって人であった先祖を単なる死人から、やがては神へと高める事が出来た。 その神を祭る事で次は自分を神にまで仕上げる事が日本の祭りの意味でした。同時に祭りは来世での人の再生を約 束した。その結果、日本人は神代から此れまで連綿として、神の子孫・氏子として流れ下る民族になったと言える。自 分を神にするとは自分を偉く見せる驕りの方法ではない。 其の前に親や先祖を神として祭る事です。そうすれば自動的に自分が神の子となる。日本中にこうして神の子が充満 すれば今のような世の中にはしなかったでしょう。 その点、ダーウィンは自分の先祖をサルだと見下した。此れは日本人とは全く逆の、サル知恵の様な世界観です。其 れと同様に本書も最後に、「自分を神にする方法論」と標記した事では矢張り「笑止千万」と受け取った方もあったろう。 「奇想天外」のホラ話と思われたでしょうが、本書は誰もが神に近づく事が出来るように、その方法論を初めて公開し、 実例を挙げて解説したつもりです。中世以来、日本では地方領主を「○○守」と言い、彼の拠るお役所を「お上」と言 い、先祖祭りに主婦として務める夫人を「お上さん」と讃えた。 そして近現代では現人神とか何々の神様とか、宗教団体の教祖様とか、実に色んなニセ神が簡単に大量生産された。 だが本来の日本の神々は他人の上に立つ存在ではなくてヒジリであり、しかも死後でなければ神にはなれなかった。 そうした前例を無視して例外的に今も神を生産し、人の上に人が立つのは色々問題が有ります。実際、何万人もの家 族を養った大会社の社長であっても、或いは何万人もの上に立つ官界の高官に出世したとしても神として祭られる事 はない。多数の人を救ったマザーテレサであっても日本の神とは認められない。 とすれば人生は儚い。其れは彼らが如何に有能であっても、天地の関係を人に結ぶ事がなかったからだ。或は全員の 事を良く知らないからだ。其の点、人の親は我が子を先祖に結び付けた。しかも我が子を良く知る立場であり、其の子 孫がやがて栄えれば氏神として祭られる事も可能でしょう。此れなら無理がない。 ただ其の場合、一定の方式で祭る事が要件となります。この三つが満たされた場合は実際、神として其の機能を発揮 できよう。 ●本書はお金を払えば直ぐに手に入る商品や情報・知識とは全く別のものです。其の上にまた本書は読んで直ぐに役 立つ箇所が少ないために何より早く処分される心配が有ります。このような下手な文章ですから尚更です。速読された ら特に全く理解し難い筈である。 本書の内容に格別難解な箇所はない筈ですが、雑多にある他の書籍を速読するのと同様に本書を速読しても恐らくチ ンプンカンプンであろう。よって本書を直ぐに理解出来る人は残念ながら少ないと思うのです。ですから速読よりも寧 ろ、何かに関心を持ってテーマを求めた時に、或いは自力で集中して考えた場合には道が開けるでしょう。 学術や科学よりも道理であり、道理は事実を認める事であり、つまりは過去世への感謝の心である。何かに感謝する 事が出来た人が例えば自分の昔を辿れば先祖が分かり、昔が分かれば昔の道理の一貫性を認識できる。其れを一 度理解すれば、更に感謝の連鎖と増幅が続いて道を明るく照らす。 どうしようもなかった所が簡単に色々と視野も認識も広がるでしょう。普通、困ったときには何処からどう手を付けてどう 理解するかも見当が付かないが、そんな場合でも、道筋が分かれば何事にもうろたえる事なく簡単です。感謝の増幅と 連環の道が出来れば他の事柄についても直ぐに応用し、直ぐに答えを出せると言う特長がこの方式・方則である。 其処から古来言わば帝王学の核心となった。だから秘伝・口伝とすべき所、敢えて一応公開したのは、前述の意味に 加えて此れは筆者独自のものだからです。筆者には生憎、特に師が有りませんでした。従って秘伝として条件付きで授 けられた訳ではなくて、筆者自ら会得した経験則です。 従って筆者の自由裁量の範囲で公開しても何処からも文句は出ない。ともあれ、此れは読む本と言うよりも各位が自ら の人生を考え、体験を通じて更に深める「手引書」となり、また付録の円系図と円暦と言う一対の関係で見て頂ければ 良く分る仕組みにしています。 言わばヒジリの要件としての三種の神器の第一が「円系図」、第二に「円暦」、其れに加えて「鬼の金棒」となるのが「道 しるべの杖」である。何れも大切な秘法が書かれているので特に外人には教えないで頂きたい。ヒジリの道は知識や学 歴よりも心だ。心は氏より育ちであり、育ちは日本にある。 自らの求道の心と素養・知性で考え、心を鍛錬する力が有れば、ミハシラ(墓標)を立てる先祖祭りを通じて「霊ひ知り」 となり、同時に歳時記を通じて「日知り」となるのが日本人である。要するにこの神々の歳時記は言うならば「第三の神 器」です。 読者が其の難関を目出度くクリアされたら是非ご一報頂きたい。その読者はやがて必ずヒジリや神になれる。けれども 全員が何処かへ向って急ぐ必要はないので、読者各位が何時の日にか地域・社会で活躍し、大いに貢献する日が来 ればと、筆者としては密かに期待するのである。 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ ■文中筆者が誤記し、或いは誤解によって解説した部分があればお詫びの上、訂正しますので、恐縮ですがご一報下 されば幸いです。 ■参考文献は巻末(後書き)にも記しました。 ■参考文献 ★「理科年表」 国立天文台編 丸善 ★「暦の百科事典」 暦の会編 新人物往来社 ★「日本書紀・暦日原典」 内田 正男編著 雄山閣 ★「日本陰陽暦日対照表」上・下巻 加唐 興三郎 編 株式会社ニットー ★「前方後円墳集成」近畿編 近藤 義郎編 山川出版社 ★「安倍晴明の文化学」 斎藤 秀喜 共編著 新起源社 ★「住吉大社神代記の研究」 田中 卓 国書刊行会 ■「大阪府神社史資料」 上・下巻 野本 稔尋 編纂 大阪府神社庁 ■「簒輯御系圖」明治27年 元老院蔵 ■「天皇陵」総覧 新人物往来社 ■「奈良県史 5神社」 奈良県史編集委員会 名著出版 ■「知られざる古代」 水谷 慶一著 日本放送出版協会 ■「神まうで」 鉄道省編纂 東亜旅行社 ■「平成19年神宮寶暦」 高島易断所本部編纂 東京神宮館 ■お祭り情報誌「わっしょい」 http://www.omatsuri.com/mailmag/ ■祭り「にっぽん」 http://www.maturi.jp.com/db/9.html ■web calrendar2「全国神社祭礼カレンダー」http://www.jinja.or.jp/cgi-bin/webcal.cgi? ■「知れば知るほど奈良はおもしろい」観光キャンペーン 奈良県観光連盟 ■「訓読・日本書紀」上中下巻 黒板 勝美編 岩波書店 ■「日本建国神代史」 大野 七三著 批評社 ■「聖教書」 故・岡田 茂吉翁 神慈秀明会 次は または ![]() パテント・著作権は本会に属します。 「鬼の会」 |