http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」 p161 (未定稿) ![]() 「神々の歳時記」 纏め1 神々の歳時記・纏め1 ・・・ ・・・ 目 次 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●◎◇◆□■△▲▽▼☆★ 1.祭りとは 2.終わりに 1.祭りとは ★日本は年中、伝統的な祭りがあるが、例えば英国ではアングロサクソン族の伝統的な祭りなどはない。有るのは王 室の伝統として「狐狩り」が行われて来た。或いはヨーク市アスコットの権威のある競馬である。 日本のように神や先祖祭りではなくて、獣とのゲームなんですから、彼我の文化的な落差は推して知るべしか。さて20 04年は申年であり、諏訪ではオンバシラの祭りがあった。此れは六年に一度、申年と寅年に行われるので12年のエ トの中で、対極の時期・方位に対して行われる祭りとなる。つまり二度の祭りで一対となる訳です。 各地にも「年に一度の大事な祭り」と言われる祭りがあるが、実は其れも一度ではなくて二度行われて初めて陰陽一対 になるのです。其の事を昔は本地垂迹と言ったが、今は其れも誤解されているので本書では「神々の歳時記」として 一々具体的に述べて来た。 祭りとは「年に一度」で終わりではなくて、本来は人が生まれて死ぬように「二度で一対」の行事でした。だから春祭りに 対しては秋祭りがあり、冬祭りに対しては夏祭りがあった。 また祭りは、何処か一箇所で行われるだけではなくて、一連の場所や別の所で対極の時期に行われる場合も多い。一 年間の暦の対極の時期とか、或いは位置・方位関係で対極になる寺社で行われた。 そうした色んな形をバラバラに理解せずに、一対または一連の祭りとして見直せば、これ等が一対で陰陽、つまり「死と 再生」の道筋を相対関係で示していた事に気づくものです。 時代も場所も違うが他の例として中国に有る「明十三陵」 を見れば、陵の関連施設が一直線に連結して配置され、しかも皇帝陵の前には「神道」と言う大路が直線状に延びて いる事が分るでしょう。 此れを見ても明瞭であるように、本来の神道とか祭りと言うのは、神社と言う建物や芸能アトラクションで成立するもの ではなくて、神の道を暦時に則り正す事と、祭られた故人の魂の再生を祈る行列が、一定の方角を往来する事であっ た。 だが、こうした一連の貴い文化が、幕末からの廃仏毀釈と明治の神仏分離、其れに加えて戦後の祭政分離の愚策に よってズタズタに切り離され、破壊されて、元の意味が全く不明にされてしまった。だから現代人は祭りについてピンボ ケの回答しか出来ない。 学者などが全くムチで見当違いの解釈を堂々と垂れる破廉恥な状況が日本で続いているので、敢えて此処で已む無く 発表する事となった。 ●祭りとは、どの神を何のために、誰がどのように見分けてどのように接待し、祭るかが極めて明確でなければ無意味 だ。其れがハッキリしなければ祭りをしているツモリ、であっても「したとは言えない」のです。奉加や花をやったつもりで も、何もしてないのと同じです。 特に例祭日の暦日を変えては無意味となる。このため、祭りは本祭が特に大切であり、神楽などはアトラクションであっ て「後の祭り」に過ぎないのだから本祭とは別であり、神ではなくて「人寄せパンダ」と同じ娯楽興行的な行事と決め付 けなければ本末転倒となる。 其れよりも、これから祭ろうとする存在が神か魔物かをしっかり見極める能力が最大テーマであり、誰かが生死を賭け た必死の思いで神と対峙し、其の覚悟で得た教えを素直に聞き、指示を仰いで従う事が大切ではなかったか。 ですから古来各地には其れを代々専門として世襲する宿禰や祝(ハフリ、神職)がいたし、其れを次世代に継承して来 ました。命を掛ける戦勝祈願などは特に真剣だったろう。ただ宮司や祭主の能力や準備が未熟であったり、氏子の総 意が纏まらない場合、祭りの諸準備も整わず祭りも腰砕けとなる。 結果として一族が一年掛けて来た諸行事の奉仕も無駄な努力となる事は勿論、地域の経済や庶民の生業まで破壊す る事も有った。一族の祭りではなくて単なる「雨乞い」でも、或いは個人的な病気平癒の祈祷であろうとも、ゼニカネや 数字では神に通じない。 「神通」のためにはそれなりの真剣さや作法が要件となり、其れがあった場合にのみ確かな効験を見せるのです。とは 言っても、欲ボケ平和ボケの今の人達にはこんな話は何一つ通じない事だろうが、平安末の天皇であっても彗星を読 み違えた責任上、退位した天皇がある。 其れほど暦法は重視され、責任があった点でも今の天文学者や公務員とは真剣味が全く違っていた事を語り伝えて置 く。でも其れが分らない人たちが何時の世にも多いものです。だから普通は「盛大に祭りをすれば良い」と衆議一決す る。其れによって大きな額の銭を集めて見掛けを飾る事になる。 でもそのような一部のため、一時の祭りとなっても其れでは長続きはしない。日本人の多くは「祭り好き」と言われる。 其れは結構であるが其れなら尚更、もう一度ホントの祭りを知るべき時ではないか。 ●例えば何かの祭りの祭主に選ばれた場合は、生涯に一度出くわすかどうかの晴れ舞台であると同時に、其れは、人 と人との真剣勝負とは異なり、神か物の怪か、それとも先祖かどうか不明な存在との対決となります。神仏との対決で あるから人との会話さえタブー視された。 ですから昔は祭りの準備の段階から何人もが精進潔斎してお堂に籠ったのです。日本人は、このようにして神か魔物 かを何とか確かめた上で、一帯を一族で清め、確定した道だけを通って其の日の方位に対して其の暦日を確認して祭 礼を注意深く待った。だから責任を持って全員が最後まで無事勤める事となった。 従って其れは決して形式的な祭りにはならなかっただろう。そのように見れば、歳時記は円暦方位と一体不可分の存 在であり、その上を祭りの行列が練り歩いた。 其れが本来の「道」であり、その大前提として暦と方位を突き詰める努力が寺僧や「求道」者の基本であったろう。其の ためには日ごろから輪番で厳格な天文観測を続ける必要があった。その結果として、日本には各時代・時代の特色を 持つ祭りが続けられた。 其れが分かれば天皇家の厳格な遷宮が何故行われ、或いは一定のラインで墳墓の祭りが何故続けられて来たかの 意味も謎ではなくなるでしょう。同時に多くの人物の命日ラインから陵と古宮の位置が芋ヅル式に解読出来る。 此の謎解きは現代の暴力と殺人だけの推理三文ドラマなどの低俗フィクションとは次元が違う、かなり知的な推理ゲー ムであり面白い作業となるでしょう。 ●其れは兎も角、先祖を知って道を極めた先人たちは「日知り」となったのですが、それ以外の、現代社会で氾濫して いるようなビジネス聖や「ナントカ道」は極道と同様、何の意味もない。つまり聖の道は単に清廉潔白な人とか、哲学者 や文化人とは根本的に異なる。或いは聖職者と言われる特権階級とも全く違う。 尤も、ヒジリ一人が頑張ってこの優れた日本文化を作り上げた訳ではなく、其れを由と認め、支えた多数の優れた先人 たちがいたから今も其れが日本に文化として残された事になる。其の後の行事や祭事を守り育てて1000年も継続し た故の伝統があったから今も残された訳である。 つまり「この道」は、前世で「いつか来た道」であり、或いは先立った日本人の共同遺産である。何れにせよ求道者(入 道)や修験者が祭りを主宰する事が本来の祭り事だった。或いはモノ静かに天命を感知しようと待つ天子の祭り事だっ た。このため天子やヒジリは下界とは別の世界、つまり高山で籠って観測して来た。故に「雲上人」とも呼ばれた。 其れに対して今の政は下界・俗界で覇権を競う存在になり、下劣な分捕り合戦・予算や得票の山分け政治です。今の 世は、天上を祭る天子や聖者がする天の祭り事ではなくて、天上の下の、下天を牛耳る幕府がする事であり、当然な がら雑事に終わる。従って先祖や宗教を排除して、方位にも無知な輩・魔物が神や人民の上に立とうとするだけです。 銭集めで行う「偽の祭り事」ですから神事ではなくて人事・軍事・工事と言ったダラしのない日常茶飯の仕事に忙殺さ れ、ドブ板選挙に終始します。だから問題ばかり山積させてしまうのですが、何事にも数字やスピードが要求される時 代ではゼニカネを追うのに多忙になっても、真の幸福は得られなかった。 ゼニカネがあれば確かに直ぐ買える便利な時代になった。それでも千年の大木を選ぼうとすれば、此れは矢張り千年 待たないと育たない事も忘れてはならない。人は64億人もいるから、人間さえもゼニカネで直ぐ買えると思うだろうが、 其れだって類人猿か獣人類のレベルを買えると言う程度のレベルの話である。 其れでは首から上の仕事は半人前しか出来ない筈だ。千年に倍する歴史・伝統と血筋・血統が続かなかった所には、 古の聖人のような人は直ぐには育たず、従って何処からか買って来て置いても続かない。少なくとも電池やスイッチを 入れたらどんな人間でも「直ぐに使える」と思ったら大間違いである。 いや、そんな例え話で愚痴を並べるのは止そう。本書は単に自称・ヒジリの書いた歳時記である。其れでも最後に今回 は伝統を守って来てくれた貴い古社寺の祭りや配置を引用して円方位暦の実例として紹介する事になった。此れは当 初から筆者の狙いとしたものではないが、世の中は中々複雑ですから、この「推薦」を喜ぶ所は少ないだろう。 寧ろ逆に「迷惑」と思ったり恨む所も出て来るかも知れません。人の評価と言うものは何時の時代もそうしたものです。 確かに、頼まれた訳でもないのに、其の寺社を勝手に引用したり紹介した上、うっかり其の寺社のタブーにでも触れた とすれば、反発があって当然である。 ですからもし間違いやご迷惑を掛けたならば其れは筆者の責任として重く受け止めたいと思いますので、お気づきの点 があれば恐縮ですがどうかご一報下さるようお願いします。 2.聖が封印した(「暦方纏め」に移転した)・・・ ・・・ ・・・ 以下「纏め2」へ続く。 次は・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
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