http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」 p131 (未定稿) ![]() 神々の歳時記 8月中1 但し方位による 次は ●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起 の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版 8月号 http://www.matsuri.or.jp/cgi-bin/wforumcgi/wforum.cgi http://blog.mag2.com/m/log/0000026310/ 及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-9月」より一部引用・転載させて頂きました。 ■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記 には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の 詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。 8月・中旬 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ 8/12 ▼07夏越し大祓(旧暦6月晦日)・・・・・・各地では西暦の6月末に「夏越し大祓」を行っている。他方、旧暦6月晦日に行 う所もあります。07年は旧暦では本日、月遅れ盆の前日に当たる。また7月の晦日に行う所もあって、何れも其の前後 2〜3日間は「夏越し大祓」として茅の輪を常設している。 ■日航ジャンボ機・御巣鷹山墜落事故・・・・・・事故から05年で20年目。520名の犠牲を出したにも拘わらず事故の 真実が究明される事もないまま、ボーイング社側の「修理ミス」と言う簡単な結論で片付けられて一人の責任も問われ る事がなかった。しかも政府はその後に関係資料を破棄しようとした。 だが其れが露見してマスコミに流れ、市民に公開された(05/8/12のMBSTVより)。 ■06飯山・灯籠祭り。06年。 ■弘文天皇祭・・・・・・弘文天皇、即ち大友皇子の命日。命日ですから祭日とはまた別であるが、命日が方位と合致 しなければ祭りをしても意味が半減する。だから古来、日本の王位継承の要件は実にこの点にあった。つまり天文暦 法の確定が聖の要務でした。 其処で例えば天智の場合も、皇祖と共に肉親である父母の舒明・斎明を公務として居つき祭る祭主として王位継承し たのである。其の点、大友の皇子・弘文は天智の嫡子ではあるものの、公的に天智を祭る義務があったのかどうかが 問題となる。 彼の母は伊賀采女の宅子娘と言い、其処から彼は伊賀皇子とも大友皇子とも言われ、21歳で太政大臣、25歳で皇 太子となったが、天武の娘と鎌足の娘、大友氏の娘を妻としていた。つまり天智を実父とし、天武を義父とする立場で も有った。 しかし25歳の時に、皇位継承をめぐって其の義父と戦ったのが壬申の乱であり、其れに敗れて大津の宮付近で自殺 した。現代人は、この時代の観念を理解できないと思うので述べておく。既に斎明天皇の四年に有間の皇子(「11/1 1」を参照)が、そして次の持統元年に大津の皇子(「11/11」を参照)が何れも謀反の疑いで殺される。 譬え天皇の身内であっても、天皇の祭祀権(「ヒジリ事典」の「スメラミコト」を参照)に触れる場合は滅ぼされた。ですか ら大友皇子の場合も其の可能性があった。 即位していないのに実の親である先帝を祭ると言う行為に出た場合、其れは公の祭りであるから天皇以外が行っては ならない掟でした。でなければ天皇が二人存在する事となり、それでは祭り事を天皇がスメル(主催・統治)出来ないか らでした。 其れについて「乱の前に即位していた」、としたのが「大日本史」であり、其れに基づき明治三年、弘文天皇と言う贈り 名されたものの、実際の即位はなかったのではないか。実際に即位した、と見るから歴史家は此れまで、「天武天皇が 近江朝廷に対して反乱を起こした」ように講釈して来た訳だが、其の話はこの点で逆転して来るのです。 其の後の山稜については後述するが、天皇として即位したなら兎も角、そうでない場合に祭主として振舞い、しかも祭り の期日が仏式と和式と言うように暦法が違えば祭り日が違ってしまうし、それでは祭りに要するニエ、つまり徴税面で国 内を混乱させるから此れも罪である。 従って此れを犯せば天皇に対する反逆行為と見なされる訳だ。天武の場合は皇祖と舒明・斎明を飛鳥で居つき祭る公 的な祭主として、及び先帝である天智を祭る天皇としての立場があった。 従って其れに纏わる税金を統一した暦法の下で取立てる立場にあったので、暦法の混乱は最も困る所でした。ただ先 帝の天智の場合は、仏式の暦法で舒明・斎明を居つき祭るために飛鳥から大津に遷宮した。其の前に白村江で唐と 新羅の連合軍に大敗していた。 よって彼(天武)は皇祖の祭り事を和式暦法に戻して行おうとしたに違いない。所が大友皇子・弘文は父・天智の後継 者として仏式に改めた暦法を踏襲して叡山と三井寺で祭るために大津の宮に居着いた。であれば大友皇子・弘文にも 言わば正当性があった。 ただ仏式の祭日で其れを行ったとすれば、此れは二朝対立を公認した形となるので国内に示しが付かなくなる。だから 壬申の乱となっても仕方がなかった。 特に日本の政の歴史は暦法争奪史であり、其れだけに暦法の統一は天皇の専権事項として不文律の課題であり、絶 対不可侵の掟でした。何れにせよ天智天皇の命日がこの日とすれば今のクリスマスであり、冬至から三日後である。 聖として天文を知り、朝廷で朝日の日影を計り、夜は占星台で暦法・遁甲を数えた天武なら、この日付を間違う事はな かったろう。天武は天皇の一代一宮制の原則と、暦法決定権と言う不文律の掟に加えて、聖としての資格と能力も兼 ね備えていた。だから後に、天武は強固な律令制を我が国にスタートさせたのである。 当時の暦法についてこの様な理解がなければ、天智と弘文天皇など、この時代の資料や史実が幾らあっても複雑怪 奇な迷路に嵌り、一筋縄では行かなくなる。 具体的には天智の命日について弘文は仏式暦で12/10として叡山と新宮(錦織)と三井寺で祭った。と言っても三井 寺の創建は天武15(686)年なので、其れまでは叡山と新宮で祭った事だろう。其れに対して天武は和式暦で12/2 5として飛鳥と吉野で祭った。この日とすれば前述の通り今のクリスマスであり、冬至から三日後である。 さて、大友皇子、即ち弘文天皇の命日について、書記には7/23壬子(ユリウス暦で672/8/21、グレゴリオ暦で は8/24)崩御とある。彼の陵は今の大津市長等山前陵とされ、宮内庁管理地になっていて一般の出入りは無理とな っているが、外部からでも平地に土饅頭を盛った程度の所と分かるので、到底「天皇陵」とは信じられない。 大津市・近江神宮ではこの日に祭りが有るが、この日が命日とするならばこの宮ではなくて寺で、弔いの法事をすべき 日であり、日迎えの祭りとしては寧ろ2/24にすべきである。他にも大津市長等には長等神社があるが主神がスサノ オノミコトであるから除外する。 また大津市栄町と滋賀郡志賀町には御霊神社と言う所があって彼を祭っている(方位がズレル、例祭日は未調査)。 何れにせよ、命日を方位で確定出来なければ正式な祭日が導き出せないし、陵についても諸説有るが何れも確証が ないので回り道になるがもう少し突っ込んで見たい。@@ とすれば益々謎めいて来ます。とすればダミーの可能性もある。寧ろ下記の関ヶ原町の大友皇子の首塚伝承地(陵墓 参考地)の方が有力になる。大津市堅田には飛鳥時代の衣川廃寺跡に鞍掛神社があり、弘文天皇が此処で自殺され た、との伝承が残されている。 それに対して、琵琶湖を越えた所の、岐阜の関ヶ原町には前述の大友皇子の首塚伝承地が有る。其処でこの二点間 を暦・方位で測って見れば、2/22←→8/24を示す。つまりグレゴリオ暦にすれば彼の命日に一致する。 因みに鞍掛神社からの前後方位を見れば、命日方位には叡山奥の黒谷青竜寺から京都の八瀬があり、逆の方位に は野神神社、そして琵琶湖を越えて先の関ヶ原に向かう訳です。其処で本書はこの日8/12を命日とした。けれども 此れは出来過ぎではないか。 とすれば此れもダミーの可能性もある。と見て次の可能性も検討したい。三井寺と浅井町、伊吹町、そして岐阜県・春 日村の伝承だ。それらを方位で繋ぎ合わせれば2/2〜2/17←→8/4〜8/18頃を示しており、此れも暦法こそ 違え、彼の命日方位を印した所と言えるからだ。 この時代、既に天武が公家を統一する事となった以上、弘文天皇の祭りは分散して行われた。 先ず弘文の皇子・皇女には葛野王、壱志姫王、与多王、小倉皇子とがあったが、先ず葛野王は母が天武の娘(十市 皇女)なので、壬申の乱以後の地位も恐らく安泰だったろうから、池辺王を生み、孫には近江三船を出す事となった。 次の壱志姫王は母が藤原鎌足の娘・耳目刀自なので、この方も安泰だったろう。次の与多王は、母が大友氏(伊賀采 女宅子娘)であり、此処に三井寺を建立した。 弘文天皇は長等山に葬られた事になっているが、この三井寺の山号は長等山園城寺と称していたのであるから此処 が霊的なポイントとして一番有力である。其れに対して、小倉皇子は母が満姫と言い、壬申の乱後に春日村の長者平 に移ってから生まれた方なので、後には三河璧海郡に流住とも伝わる。 外に、千葉・上総地方には彼の家来の蘇我大炊の「田植え」行事が伝わっている外、市原郡には「蘇我」の地名があ り、また君津郡小櫃村に弘文天皇陵と伝わる前方後円墳(白山神社)があるが、其処では方位が3/17になる事と、 また大津市膳所には茶臼山古墳がある。 其処に大友皇太子と与多王、物部連麿塚等がある模様だが、何れも方位が合わない。と言う事は次世代の事かと思う ので本論から除外するが、伝承は伝承として大切に残したいものです。何れにせよ、弘文天皇の後は一族が何ヶ所か に分散して各々で祭りを営んだものと推定出来ます。 さて、天智・弘文天皇について資料を拾い上げれば錯綜するばかりで確証には至らない。所が荒唐無稽と思うような、 遠い福島と鹿児島・指宿市にヒントがあった。 其の一つは「東北は日本の母」(鏑 邦夫著)によれば福島は二股温泉と言う鄙びた温泉場から壬申の乱で失ったと思 われる日本の古典・ホツマツタヘの未発見の部分が大量に発見された(昭和41年)と言うもの。だが、世紀の大発見 であるのに宮内庁に行ってしまった(お蔵入りである)。 近くに下向山と言う山(標高1022m)があるのも偶然とは思えない。因みに大津からの方位は2/12〜14である。と すれば当然、此の地は弘文天皇の一族の隠れ家ではなくて、「日迎えの祭り」のために公式に設定された行宮とも言 えます。 次に指宿の場合は、この大津からの暦・方位がこの日8/12になる。暦日が前者と二日もズレルるが、東北から九州 までの長距離を、当時どのようにして計測したのかに先ず驚く。地球が球体であるため方位が歪んで誤差を生じても無 理はないが、誤差かどうかは今は検証しない。 指宿には揖宿神社と枚聞神社があり、前者は天智天皇(葛城皇子)の宮が有ったとされ、後者は薩摩一ノ宮だが天智 天皇の陵と言われる大石と大甕が残る。此処の伝承は、この地で鹿から生まれた児が二歳になって上京して瑞照姫と なり、藤原鎌足に育てられて13歳で宮中に召されて大宮姫となった。 だが他の女后等に嫉まれて遂に伊勢の阿野津より船出して郷里に帰った。其のとき、大甕二個を持ち帰ったが、一個 は途中で割れたと言われ、残った一個だけが今も宝物館に保管されている。其の後、天皇は姫を慕って薩摩に下向さ れ、姫の許で79歳まで余生を過ごされたと伝えているのである。 此処枚聞神社では不思議な事に毎月旧暦の23日に月例祭をしており、特にお盆の旧暦7/23には独特の祭りが有 ると言う。旧暦7/23は外でもない、天智ではなく、弘文天皇の命日なのだ。 さて此処で先の瑞照姫(大宮姫)と前述の藤原鎌足の娘・耳目刀自との共通性に注目したい。それから、天智のまたの 名は葛城皇子であるが、弘文天皇の皇子にも葛野王がいた。ともあれ彼が父をこの宮で居つき祭ったとすれば、決し て荒唐無稽の伝承でも何の不思議でもなくて、事実と見て良いのである。 しかも付近には前方後円墳など古墳や遺跡が散在しているのです。また先の揖宿神社は別名「葛城宮」と言い、慶雲 三(706)年酉午2/10に堀内・指宿両家の遠祖が創建したものと言う。そうした間に、葛城と葛野とが後世代に混同 された可能性もある訳です。 そうなると此れまでの話は覆ります。どうして大友と天武のお二人はホツマツタヘを残したのか。日本最古の文献を唐 と新羅の進駐軍の目から隠すために運び出し、其の直後に近江の京を焼き払った。其の後に三井寺が与多王によっ て建てられた。 本来なら敗者の一族であり、重罪人として打首・獄門・流罪の筈なのに、どうして公然と近江に残されて寺まで建て得た のか不思議です。従来から大和朝廷に対して、奥州と九州とはマツロワヌ国々でした。少なくとも其処に天武は楔を打 ち込んだ。いったん敗者の汚名を着て落ち延びた形で皇子たちが全国に散った。 其れは唐と新羅の支配から我が国を守ろうとした故の布石ではなかったか。とすればヒョットすると裏取引か慣れ合い か、同腹同心・暗黙の了解で実行された猿芝居だった可能性も見えて来ます。 さて結論としなければならない。大津には大友皇子(弘文天皇)の陵が有るのか無いのかと言えば有る。但し8/24(別 項参照)方位である。 ■06熊野・徐福万燈祭(新宮花火大会)・・・・・8/12-13日。新宮市。 ■例年-徳島・阿波踊り・・・・・・・徳島市で毎年旧暦の7/13〜16日に行われた盆踊りである。今は8月12日〜15日。 昔は傘を広げて、死者の御魂を迎える念仏踊りだった。次は江戸時代、蜂須賀公が来て築城を祝い、また藍の産地と して盂蘭盆の組み踊りとして盛んになった。 共に旧盆の前後に踊られて来た。400年の伝統ある踊りが今は8/15日から始められるが、台風シーズンと重なり、船 の欠航で観光客が半減した事から、今では機構的に一番無難な8/12日から4日間と決った。以来、全国から4日間で 130〜140万人が訪れて、「踊るアホウに見るアホウ」と歌いながら街を埋め尽くす。 因みに阿波・徳島と安房神社(千葉・館山)は9/7←→3/8日の方角である。 ■例年-阿波市阿波おどり・・・・・・・・徳島の夏の風物詩、阿波おどりを八幡神社・阿波市立市場図書館前駐車場で開 催します。日時: 2009年 8月14日(金) 19:00〜22:00 場所: 阿波市市場町 八万神社・市場図書館前駐車場 入場料: 無料。問合せ先: 阿波市商工会市場支所(0883-36-5577)http://www.awaodori.net/nittei/shigai.html ■例年-高松まつり(〜14日)【香川県高松市】 ■06しゃんしゃん祭り(8月第2土曜〜日曜日)【鳥取市】 ■三原やっさ祭(8月12日〜15日)【広島県三原市】 ■国歌「君が代」制定記念日。 8/13 ■例年月遅れ盆・迎え火(月遅れのお盆の期間は8/13〜15日)。 ■08平じゃんがら念仏・・・・・・・福島県平市全域で8/13〜15日に盆の念仏踊り。 ■08六階踊・・・・・・・西方寺(新潟市鳥屋野)。 ■一向一揆まつり・・・・・・石川・鳥越村の役場周辺で、14日まで。 ■08富岡八幡宮例大祭(深川祭り)(〜17日:8月15日付近の〜日曜日)【東京都江東区、富岡八幡宮】 ※大祭は干支の子・卯・午・酉年に開催、神輿連合渡御は17日 ■08狸供養・・・・・・・証誠寺(千葉県木更津市)で狸塚の狸を供養する。 ■08遠州大念仏・・・・・・・静岡県浜松市、浜名郡、引佐郡、磐田郡地方では8/13〜15日に盆の念仏踊り。 ■08義仲松明祭・・・・・・・興禅寺(長野県福島町)。 ■例年-郡上おどり・徹夜おどり・・・・・・・・岐阜県郡上市では7月初から9月初まで2ヶ月間、30夜に渡って縁日踊りが繰 り広げられる。特に8/13〜16日には数万の踊り子の輪が圧巻と言う。上市八幡町の郡上八幡博覧館0575-65-3215 ■08六斉念仏・・・・・・・壬生寺(京都市中京区)の念仏踊り、その他さまざまの芸能からなる六斉念仏が行なわれる。 ■08孟蘭盆会・・・・・・・万福寺(京都・宇治市)で8/13〜15日。 ■07-08-09十津川の大踊り・・・・・・・・・(〜15日)【奈良県十津川村】 ■鳳(大鳥)大社・例祭・・・・・・堺市。古来、和泉国の一宮としてヤマトタケルと大鳥連祖神を祭る。其の外の祭神につ いては天児屋根命、天種子命などの説もある。因みに社殿は古式の大鳥造り(出雲大社造りに似た造り)。古来、此処 は藤原氏で栄え、後にニワイ、鍬ユキ、浜、井瀬の四社を合わせて大鳥五社と言った。 他に4/13には浜寺公園へ渡御する花摘み祭、7/31には夏祭りとして市内・宿院へのお練り「堺渡御祭」がある。 また此処は行基が聖武天皇の勅願を奉じて勧学院神鳳寺を建てたが、明治の神仏分離により廃寺となった。そして昔 は吉兆縁起の熊手・お守り・福財布などを売る歳末の「酉の市」で賑わい、其れが関東にまで及んだ。 さてこの日の例祭日について其の方位を見ても格別何もないので、此処も明治の改暦によって1ヶ月ズラされたものと 分かる。何故なら下記の祭日である7/31や10/6も1ヶ月ズレているからだ。従って8/13の例祭日は実は7/1 3だったと分かる。しかも其の方位には大阪・住吉大社が位置しているのです。 例えば7/31の「堺渡御祭」は、其の方位に進めば踞尾八幡神社→伝・履中天皇陵→仁徳天皇陵・・・の中心軸を貫く ものの、其の築造方位とは違うからです。其処でこの日を6/30と仮定して其の方位に進めば岸和田市の積川神社 に至る。此処の五祭神の一座に栄井神があるので例祭日は違うが関連が有ると思われる。 因みに6/30は今は大祓式がある。次に浜宮の例祭日が今は10/5にあるが、鳳大社からの方位は9/4方位に 浜宮が位置している以上、此れも1ヶ月ズレた9/5だっと考えるべきだ。浜宮は両道入媛を祭る宮であり、彼女はヤ マトタケルの后だった。因みに9/4の逆の時期の3/5には火鎮社祭が行われる。 何れにせよ鳳大社の7/13の暦日は何を意味するのか。其れを解くために7/13方位に進むと和歌山県岩出町の 大宮神社に至る。しかも逆方位には先の住吉大社→鳳大社となるのです。この大宮神社の主祭神がまたヤマトタケル になっている。此れは偶然だろうか。 偶然ではなくて必然であるから暦・方位でご祭神が繋がり、三角関係が矛盾なく成立するのです。但し鳳大社はこの浜 宮のラインから東にズレるので、以下は浜宮を基軸にして見る。先ず南にある大宮神社については、現在の例祭日が 周囲の地区に横並びで10/6としている。 其処から紀ノ川を渡れば船戸に至り、其の先には小山古墳(和歌山市・下三毛60mの前方後円墳)がある。そして其 の先は神功皇后に縁りの岸の宮(貴志川町)に至る。さて、浜宮から逆に1/12方位に進めばどうなるか。鳳大社の 西を掠めて進めば東淀川区の大隅に出る。 此処はヤマトタケルの孫に当たる応神天皇が大隅の宮を置いた処であり、更に進めば高槻市の神峰山寺(かぶさん じ)に至る。此処は役小角の開基で天台宗・根本山宝塔院となっている。以上から、このラインはヤマトタケルかもしく は両道入媛の命日・再生ラインと仮定する(「8/23」も参照)。 ■橘逸勢(はやなり)の命日・・・・・・彼は橘奈良麻呂の孫であり、空海と共に渡唐して世に「三筆」の一人と言われた が、「廃太子(承和)の変」で伊豆に流罪となる途中、遠江(板筑駅)で没した。承和9/8/13の事である。今も三ケ日 町には橘神社がある。 其の後を追っていた娘(あやめ)は父の遺体を背負って都に帰ったとも、都ではなくて尼(妙冲)となって父の遺体を葬 り、墓を造って菩提を弔ったとも言われる。彼女としては遠江から父の命日方位に向けて墓地を造ろうと決意したに違 いない。 無論、京都の自宅に戻りたかったろうが、其処は今の京都の二条城の近くの「中京区姉小路東堀川東入上る東側」に あった。ただ其処では遠江との暦・方位が10/2方位になってしまうので已む無く大阪・泉州を選んだ事が分かる。 今も泉州岬町には飯盛山(標高385m)の山麓に逸勢の墓があり、橘谷、オトサ谷の地名と、墓を守ってこの地でなく なったとも伝えられ、実際その北方には妙冲墓もある。近くに孝子の地名まで残っている(一部は05/4/21毎日新 聞から引用)。 此れは偶然ではなく、設定されたものである。亡くなった地の遠江(三ケ日)と泉州(孝子)との暦・方位は9/10である から10日のズレで円暦方位に略合致する(下記の月日)のに対して、京都の邸宅と泉州との方位は7/26であるから だ。また逸勢の墓と孝子駅(南海本線)、其れに孝子峠を見通すラインは略7/18〜19方位である。 彼女が居つき祀った所は「孝子」集落ではなくて恐らくこの近くの旧暦月日の方位に庵を結んでだ事だろうが、何れに せよ、当時の暦法が問題になって来る。先の命日を旧暦と見て此れをユリウス暦に直せば842年の9/20となり、逆 に8/13甲戌をユリウス暦だったとして旧暦に換算すれば7/4丙申となる。 命日は一つであっても暦法の違いで別々の日になってしまうのです。ただこのように現実の遺跡を繋ぎ合わせて見れ ば其の何れかに略近いとは言え、ユリウス暦とは少しズレる。つまり当時はユリウス暦の数字とは違う和暦があった事 が浮かび出て来る。 とは言え、彼女は和式(和暦)では泉州で弔い、また旧暦月日には京都の方位に対して仏式で弔った事になる。此れは 当時既に仏式として渡来した暦法が一般の人たちにどれだけ混乱を生み、迷惑を及ぼしたかを物語る事例と言えよ う。また菩提を弔うために神仏の道を求めるにも仏式と神式の何れも満足させるために苦労が多かったろう。 或いは孝養と求道の心が今より遥かに強かったとも言えようか。 ■06高野山の「万燈供養会」・・・・・・和歌山・高野町。ロウソク祭では10万本の蝋燭が奥の院の一の橋から御廟まで 続く。 ■07-08-09大宮踊(〜19日)【岡山県真庭市】 8/14 ■灯篭念仏・・・・・・茨城・笠間市岩間。 ■戸隠神社祭。 ■08かぎ万灯・・・・・・・長円寺(愛知県西尾市)では、かぎ形に薪を積み重ねて焼き、精霊を弔う。 ■07-08-09鳥出神社の鯨船行事(〜15日)【三重県四日市市、鳥出神社】 ■08つんつく踊・・・・・・・両聖寺(三重県四日市市)では8/13〜16日、三重の円陣を組み、囃子方が中央に入り、ゆっ たり踊る、素朴で古風な盆踊り。 ■東・大谷万灯会・・・・・・京都市の大谷祖廟と大谷墓地へ夜間の墓参も出来るように、約二万個の万灯が献灯され る。16日まで。 ■08トーロン祭・・・・・・・室生寺(奈良県)。 ■07-08-09中元万燈籠(〜15日)【奈良市、春日大社】・・・・・・万物の霊に万燈を捧げる行事。8/14〜15日。詳しくは 奈良市観光センター0742-22-3900 ■08愛染祭・・・・・・・西大寺(奈良市西大寺町) ■06柱松・・・・・和歌山・太地町。8/14-15日。 ■夜念仏・・・・・・香川県・小豆島で13日の深夜から翌日未明にかけて営まれる亡者のための奇習。 ■07-08-09白石踊(〜16日)【岡山県笠岡市】 ■上関あみだ堂・奉納相撲・・・・・・・高知県・本山町 (町役場・企画興課 0887-76-2113)。 ■国民皆泳の日。 8/15 以下、次ページへ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ ■「神々の歳時記」の各項目のご理解には「366円暦」が必要です。円暦は別紙の「日読み1」http://toki.mikosi.com/ page044.htmlで公開していますが、其の実物を希望される方は末尾に従ってご請求下さい。 ■尚、各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年06-07と追加する形で示していますので、 *開催日等の詳細には主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。 ■「神々の歳時記」に記した例は仮説ではなくて、太陽暦に重ねて古式祭による祭政一致を行っていた古からの日本 文化の原理です。其の具体例を今回、公開したものですが、海外への情報流失防止のため、特に「本文」については0 4/11月から「非公開」としました。 ■@マークの付いた以下の部分が「非公開」部分です・・・・・・・@マーク以下には「地理・方位の具体例と其の意味や 暦との関係式」などの詳細を隠しています。この隠れた部分の資料をご希望の方は、「メールフォーム」または「掲示 板」からコンタクト下されば実費で郵送します。 ■文中に誤記や間違いがありましたら、恐れ入りますが前項の方法で下記まで御一報賜れば幸いです。尚、参考文献 は巻末に記しました。 次は ![]() パテント・著作権は本会に属します。 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