http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」  p157 (未定稿)


 神々の歳時記   12月下旬 但し方位による

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●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起
の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版http://
www.omatsuri.com/mailmag/
及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-12月」、及び奈良観光連盟ガイドブックの「知
れば知るほど奈良はおもしろい」06-07冬号より一部引用・転載させて頂きました。

■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記
には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の
詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。

12月・下旬  ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★



12/17  


■酉の市(おかめ市)【埼玉県蕨市、和楽備神社】

■例年-羽子板市・・・・・・浅草寺(東京都台東区)、その他で12/17〜19日。 
動画羽子板市 12月17〜19日 東京都台東区
http://www.omatsuri.com/movie/hagoita.html

■例年-浅草観音・年の市・・・・・都内最古の寺、台東区・浅草観音境内の年の市は羽子板市。下町の師走の風物
詩、12/19日まで。

■例年-飯泉観音だるま市・・・・・・勝福寺(神奈川県小田原市の飯泉観音)で12月17日〜18日。 
■06二見夫婦岩大注連縄張神事【三重県伊勢市】
■06-07-09伊勢神宮・月次(つきなみ)祭。

■例年-春日・若宮おん祭り・・・・・・奈良・春日大社では年間1000の祭りが行われるが、この「おん祭り」が最大の祭り
で、12/15〜18日まで繰り広げられる。様々な古典芸能が演じられるため、「生きた芸能史」と言われ、国の重要無形
民俗文化財。

春日若宮おん祭は春日大社の摂社である若宮神社の祭礼で、870余年前の保延2(1136)年の洪水飢饉の折り、時の
関白・藤原忠通が若宮神を春日野の仮御殿に遷し丁重にお祭りしたところ、雨は止み作物豊饒となったので以来毎年
行われる事になったと言われている。今年で873回目。

15日は御湯立・大宿所祭、16日は宵宮祭、17日は0時、本殿から若宮を御旅所へ移す(遷幸の儀)、次に神職らが「ヲ
ー、ヲー」と独特の声を上げ、楽人らが慶雲楽を奏でながら暗闇の中を歩く。

正午、華やかな装束を身に着けた時代行列が遷幸の儀・暁祭・お渡り式・お旅所祭・南大門交名の儀・松の下の儀・競
馬・還幸の儀等と続く。貴族や武士、巫子ら、平安時代から江戸時代までの時代衣装を纏った総勢約1000人のお渡り
式の行列が練り歩く。

県庁前広場から御旅所まで練り歩く(お渡り式)。2時半から御旅所で神楽や田楽、舞楽などが奉納される(07/11/17
朝日)。

18日には「後宴の能」などの数々の行事が行われます(以上、「なっとく歴史館」より一部引用)。詳細はURL http://
www.kasugataisha.or.jp/または奈良市観光センター0742-22-3900

因みに方位から見れば、若宮から11/28日・方位に春日大社の本殿があり、その先は東大寺の手向山八幡宮に至る。
と言う点から見れば、この祭りは旧暦で伝えられた祭日のようにも見える。所が2003年の場合、旧暦では11/28が西暦
の12/21になるので先に予測した事は外れた。

では何故この祭りが始まったのか、の理由を原点から探って見れば、先ず若宮とは、天津児屋根命の神子の天押雲
根命の事であり、この神を生駒の西の大阪の枚岡から勧請した由来からである。@
とすれば、此処には祭り事や宗教上の進歩もなく、無論、暦法の進歩もなかった事になる。

有ったのはご都合主義による変更である。この点について、筆者は無関係では有るものの氏神を同じくする藤氏の嫡
流の一人として祭日のズレを見過ごせないので敢えて一言した。@

とすれば、誰も気づかなかった三ヶ月ものズレについて、円暦によって指摘出来たのは方位の原理に照らしたからであ
り、よって方位の意味が如何に重要であるかが再認識出来よう(尚、元の祭りについては9/17日を参照)。

■06宝山寺の納め詣り・・・・・・・生駒市・宝山寺0743-73-2006で12/17〜31日まで。
■06信貴山・寅の市・・・・・・・信貴山の朝護孫子寺0745-72-2277などでは骨董、フリーマーケット。雨天中止。

安閑天皇の命日(工事中)・・・・・・記紀には記述されていようとも、命日と皇居、其れに陵が現在の地名で何処のど
れか、を特定出来なければこの天皇の実在を歴史書として検証した事にはならないのだが、実際問題として分らない
事ばかりである。

其処で本書ではハッキリ分る次の宣化天皇の檜隈寺跡(於美足神社=おみ足=ご足跡と解釈出来る)が先帝を日迎えす
る為の安閑の宮だったと推定して、其処から逆算する手法を採る。

其処を定点としてこの日の方位に向えば、次の伝・欽明天皇陵の東側を通過してヤタガラス神社→花園神社→鏡作神
社→伝・垂仁天皇(実は崇神)陵の東側を通過して京都方面に向うが、古墳らしき所はない。とすれば残念だがこのラ
インは諦めるしかない。

次は古墳の角度から逆算すべく、探索すると西に偏ればナガレ山古墳と河合・大塚山古墳、其れに別所石塚古墳が
あり、また東に偏れば奈良北部のウワナベとコナベ古墳、其れに沙紀・石塚古墳(伝・成務陵)に加えて天理市には東
殿塚古墳があり、何れもこの日の角度で築造されている古墳が並ぶ。

よって其処から南進する各々のラインを引いて、其れらと檜隈寺跡のラインが交差する地点を逆算して金橋宮、または
安閑の「勾の宮」を推測するしか手がないので、この検証は後回しとする(3/13日を参照)。

其れが武列天皇の12/8日のラインと下記の継体天皇陵との交点になるからであり、其処を磐余玉穂宮としたものと推
定する。継体天皇は、其処で2/7日に崩御して、逆方位の8/6日方位に当たる葛城市(元・新庄町)北花内の伝・飯豊天
皇陵に葬られた。其の古墳の主軸は2/5日方位を示しているので、2日のズレで略合致する。

此れにより、次に即位する安閑天皇は、此の日の方位に当たる橿原市金橋に新宮を造った。以下、「3/13日」も参照。

■07-08-09-10白糸の寒みそぎ(〜18日)【福岡県前原市、熊野神社】 

























































12/18   


■例年-納めの観音(各地の観音堂)・・・・・・観世音菩薩を祀る寺院では此の日までの観音の加護に感謝し、初観音
日(1月18日)までの利益を祈る。 

■浅草寺の羽子板市・・・・・・・17〜19日。東京で最古と言われる金龍山・浅草寺(天台宗)と三社明神を祭る浅草神
社があるが、南の雷門から北の本堂へ伸びる参道の向きは12/27方位である。

■06岡寺の納め観音・・・・・・・明日香村・岡寺0744-54-2007では法要と法話が有る。
童男会・・・・・・・・和歌山県紀の川市。
 
■白糸の寒禊・・・・・・・福岡・前原市の熊野神社では、締め込み姿の男たち約100人が川に飛び込んで身を清める
間、年男が新米を炊き、器に高く盛る。その傾き具合で来年の豊凶を占う地域の伝統行事。
































































12/19   



■10悪態まつり(12月中旬の日曜日)【茨城県笠間市、飯綱神社】

★10二見夫婦岩大注連縄張神事・・・・・・・【三重県伊勢市、二見興玉神社】(5月5日・9月5日・12月中旬の土日)




 








































12/20     

       
06年、旧暦11/1(旧暦では霜月に入るのであって西暦12月=師走ではない)。

■竹駒神社・注連縄かけ神事・・・・・・・仙台。日本三大稲荷と言われて初詣には例年45万人が参拝すると言う竹駒神
社の注連縄掛け神事。

三国伝来釈迦像お払い・・・・・・清涼寺(京都市右京区)。
■本願寺の煤払い・・・・・・京都には東本願寺と西本願寺が有る。両寺ではこの日、大勢の信徒が煤払いに精を出しま
す。

壱岐・住吉神社・例祭・・・・・・・長崎県壱岐市の住吉神社で大神楽公演(毎年12月20日)。壱岐では神職しか舞う事
が出来ない。以下、『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用すれば、式内社(名神大)、壱岐国一宮で、旧社格は国幣中
社。底筒男命・中筒男命・表筒男命を主祭神とし、「住吉大神」と総称する。八千戈神を相殿に祀る。

社伝によれば、住吉大神の守護によって三韓征伐を為し遂げた神功皇后が、その帰途現在の壱岐市郷ノ浦町大浦触
に上陸して三神を祀ったのに始まるという(これを以て「日本初の住吉神社」を称している)。その後、神託により現在地
に遷座した。延喜式神名帳では名神大社に列した。その他にも長崎県下筆頭神社を名乗っている。

明治4年5月に国幣中社に列格した。
■奉賽神楽・・・・・・・長崎・芦辺町の住吉神社の拝殿で、天孫降臨を伝える「岩戸神楽」37番が舞われる。室町時代
から壱岐郡内4町の神職によって伝承される国の重要無形民俗文化財。






































































12/21  

       08冬至

■例年-納めの大師((終い弘法)・・・・・・・・各地の真言寺院では弘法大師を大師堂で祀り、其の年で最後の弘法大師
の縁日とする。平間寺〔川崎大師〕(川崎市)、西新井大師(東京都足立区)など。

■冬至(04-08年)・・・・・この頃、太陽が最も低い位置に来るので観測し易い。よって昔の年の初めはこの冬至でした。
其れがシナ渡来の陰陽暦を使うようになったために節分の頃を元日とするように変わり、今はマリアの祝日の1/1を
年始とするようになった。

但し、冬至は21日が四年に一度であり、次の22日が四年に三度ある。04と08年はこの12/21日が冬至で旧暦の1
1月の中に当たる(12/22を参照)。

■火渉祭・・・・・・・茨城・真壁町・加波山の三枝祇(さえなずみ)神社の火渡り祭り。0296−55−1012
■08穴八幡冬至祭(冬至の日)【東京都新宿区西早稲田、穴八幡神社】
■例年-納めの大師【神奈川県川崎市、川崎大師】

■ハズ(幡豆)観音・・・・・・・愛知・幡豆町の幡豆観音は「中風除け・カボチャ寺」として知られる。またこの日は「カボチ
ャしるこ」の接待がある。0563−62−2297

■08二見夫婦岩・大注連縄張神事(5月5日・9月5日・12月第3日曜日)【三重県伊勢市、二見興玉神社】・・・・・・・「夫婦
岩」のジャンボしめ縄を架け替える伊勢・二見輿玉神社の恒例行事。

報恩講・・・・・・毫摂寺(福井県武生市)で12/21〜28日。 
報恩講・・・・・・誠照寺(福井県鯖江市)で12/21〜28日。 
■「かぼちゃ大師供養」・・・・・・京都市・北区衣笠の不思議不動院で。中風や厄除け行事。075−462−6628

■例年-終い弘法・・・・・・京都市南区の教王護国寺〔東寺〕。真言宗の開祖・弘法大師空海の1年最後の縁日です。毎
月21日が大師の縁日とされ、特に毎年12月21日は、1年最後の縁日とあって「終い弘法」と呼ばれる。

露店は普段の月より2、3割多い約1200軒に上り、骨董品や古着のほか、葉ボタンや梅、千両の苗、干しガキ、翌年
のエトの置物など、迎春用の品を売る店がずらりと並びます(メルマガ「なっとく歴史館」より転載)。
詳細はURL http://www.touji-ennichi.com/

終い弘法・納めの大師・・・・・・・弘法大師の月命日の21日に毎月行われる縁日の内、今年最後のため「終い弘法」
と言い、この日が一番賑わう。京都の東寺と大阪の四天王寺はこの日の古物市に古来人気が集まる。

暦・方位の冬至は12/21と12/22があるが、此の東寺の縁日が12/21に固定されているのは厳密には冬至と
は1/4日のズレとなるものの、実は大した問題ではない。方位では梅小路公園(八条坊門)側からの参道から東寺境
内で←→本坊(教王護国寺)←→講堂←→金堂←→南大門へと子午線を貫いて真北を示しているのです。

大法楽・・・・・・朝護孫子寺(奈良県県平群町)。 
■国清禅寺の「南京粥祭り」・・・・・・兵庫・西淡町。0799−37−3781

方位と月日・・・・・古来、祭りは方位を基点とし、方位は八方を基準とし、此れを四方四隅(維)と言った。円暦・方位
では先ず真北を冬至と し、其処を基点として時計回りに一周する方位暦なので北東が立春に重なります。以下同様
に、真東が春分、東南が立夏、真南が夏至、南西が立秋、真西が秋分、西北が立冬、そして真北が冬至に重なる。

此れを古来「四至(時)・四立」とも言った。今の月日にすれば冬至と夏至が12/22と6/22となり、其の日から45日
後が立春(鬼門)と立秋(裏鬼門)で、2/5と8/6となります。そして冬至と夏至から91.5日目が春分・秋分(3/23
←→9/21)であり、其の137日後が5/7の立夏(巽)と11/6の立冬(乾)となります。

ただ此れは方位に基づく円暦八方日なので、其れとは別の、星座によって天文台が行う今の西暦月日は毎年移動す
る(若干ズレます)ので、古式祭りは西暦ではなくこの和暦八方から見なければ分からない。






















































12/22       


▼06-07-09ゆず湯。   

06-07-09冬至(平年)・・・・・・クリスマスも「仕舞い天神」も冬至祭りの名残と言われる。冬至の祭りは太陽と先祖の
霊、つまり生命と魂の復活・再生を祈る場でもあった(「ヒジリ事典」の同項目を参照)。冬至の日には日の出と日没角
度が狭くなり、年に一度の太陽観測のチャンスでした。

よって昔から冬至は年と方位とを決める基準点であり、旧暦「子の月」、即ち11月(霜月)の中気と決まっていたが、西
暦となって以来、冬至は其の年によって21〜22日の間をフラ付くようになった。古来、この日を基準として方位と暦を
決定したのですが、基準点がぐらつく西暦ではカレンダーとして致命的です。

■昔から年の初めはこの冬至が元旦でした。其れがシナ渡来の陰陽暦を使うようになったために旧暦では節分の頃を
元日とするように変わり、今は全く無意味な1/1日を年始としています。また、冬至が21日になるのは四年に一度で
あり、22日が四年に三度となり、05年は21日が冬至、即ち旧暦の「11月の中」に当たった。

昔から冬至が暦と方位とを決める基準日であり、冬至には日の出と日没方位が北緯34度の、例えば防府市のライン
では東西線に対して28度の角度で出入りする。其れを今でも一般家庭の窓に差し込む日影線からでも正確に観測出
来るでしょう。防府以外の例えば(北緯は異なる)浜名湖や伊良子岬、或いは伊勢の賢島、紀州の潮岬でも同様です。

瀬戸内海では明石、そして淡路島なら南淡町、四国の土佐など何れも南部・海岸部でしたら誰でも素晴らしい冬至の
実測に最適かと思います。此処なら日の出入り方位を水平線から観測する最高の立地です。でも奈良の都に限らず内
陸部では東西の何れかに大概は山があるので観測には個別のノウハウが必要だったろう。

■何故、南向きなのか・・・・・其の点、京都御所は相国寺と京都御苑が子午線を軸として並んでいます。大阪の四天王
寺も長居の臨南寺に向いており、また奈良の東大寺も朱雀門まで子午線で貫いています。磁石のない時代に、日本で
は磁石より正確に子午線を出していました。

何のためにそうしたのか、と言えば、無論、正しい太陽、或いは月の「正月」を正すためでした。其の流れが修正会(ま
たは修二会)でした。磁石のない時代にどうして真南に向けて都や建物を建てたのかと言う謎も此れで氷解します。京
都御所は相国寺(臨済宗・大本山)と京都御苑が子午線を軸として並んでいます。

此れは古来、日本の太陽信仰からでした。其れは冬至の日に日影を観測して暦と方位を正す必要性からであり、従っ
て祭り事が仏堂伽藍で行われるようになっても、朝日と南天の太陽を観測する形式の朝堂院形式を採った。同様に東
本願寺も本堂←→御影堂←→阿弥陀堂・・・へと南北軸に建ち並んでいます。

また大阪の四天王寺(和宗・総本山)も長居の臨南寺に向いており、また奈良の東大寺(華厳宗総本山)も朱雀門まで
子午線で貫かれています。歴史を学んでも、或いは直に観光地の壮大な伽藍を拝観しても、其の建造目的までは中々
気が付きませんが、こうして暦の観点で見直せば、祭り事の真の意味も垣間見る事になるでしょう。

ただ世界広しと言えども太陽を祭る民族は少なく、殆どが月や星でした。其の点で日本民族は例外的に太陽信仰を続
けて来たと言われるが今は誰も何もしていない。日の丸を揚げる家も殆どなくなりましたし、太陽神が仮に伊勢神宮の
天照大神であるとしても、伊勢神宮では天照大神を太陽神として祭ってはいない。

冬至にも元日にも格別「太陽の祭り」をしていない。と言えば、皆さんは、「でも日本は太陽暦を使っているから・・・」と言
うかも知れない。所が現行暦の素性はアレはバテレン暦です。何れにせよ日本の太陽信仰などは今や有名無実にな
っています。

ですからお正月の元日にしても太陽神の縁日ではなくてマリア様の祝日である。西暦は太陽のカレンダーではなくてキ
リスト紀元の数表であり、其の元日はマリア様から始まると言うカトリック教の仕組んだカレンダーである。其の外圧に
頼んだ文明開化と言う手段で明治政府が改暦して日本は目出度くカトリック圏に隷属!した訳です。

常陸の国・・・・・・・常陸の国は「日立の国」と言われた意味が冬至の日に分かる。例えば「笠間再発見」VOL.0
1・・・・によれば、「朝房山・山頂から真東より30度南にズレた位置に大洗磯前神社があります。

この位置関係は冬至の日の出線で、県内にこれと同じ条件が、神峰山と浜の宮、筑波山と鹿島神宮、金砂山(金砂本
宮神社)と水木浜、阿波山(岩舟神社)と酒列神社などに確認できます。此処に古来より天文観測や信仰の対象とし
て、先人たちが生活と深い関わりを示していたと言えるでしょう」・・・・と紹介している。

冬至には笠間市へ行って見ますか(8/23「幣立神宮」も参照)。

■06火渉(渡り)祭・・・・・・・茨城・桜川市。加波山・三枝祇(さえなずみ)神社で。0296−−55−1012
■06-07-09-10穴八幡・冬至祭(冬至の日)【東京都新宿区西早稲田、穴八幡神社】

■放生寺冬至祭(冬至の日)・・・・・・・東京・新宿。隣接する穴八幡宮と共に「冬至祭」があり、この寺は「一陽来復御守」
を求める参拝客で賑わう。03−3202−5667
■「かぼちゃ大師供養」・・・・・・京都市・北区衣笠の不思議不動院で。中風や厄除け行事。075−462−6628

持統天皇の命日・・・・・彼女が大宝2(702)年12/22甲寅(U703/1/13、G1/17)日に崩御し、後に火葬の上、天武の
大内山陵に合葬したとの記述が「続日本紀」にある。

とすれば、陵は彼女が崩御した藤原宮から子午線のライン上になる筈であり、その点からすれば北部に位置する田原
本町の黒田大塚古墳(総長86m)が第一の候補地と言える。

此処ならば浄御原宮と藤原宮との軸線上に位置するため、藤原宮を斎宮とする事が出来た筈であるが、生憎、この古
墳の築造角度が9/8〜3/10日なので別人の墓地となる。但し、現在、飛鳥の野口に治定されている飛鳥の天武・持統
合葬陵ならば先ず先帝の天武天皇の命日(9/9日)と略合致する。@

この天武・持統合葬陵については古来諸説転々としたが、中でも仮に此処とする場合は、年代的にも文献史学でも、
そして考古学者も珍しく意見の一致を見た所だ。その点、方位ではどうか、と言えば、縦軸部分は持統命日と7日のズ
レで略合致します。

そして天武の命日との日数の開きは、此の陵の形が79度と101度に開いている事から此れも合致する。@そしてもう一
つ問題がある。其れは天橋立にある成相寺である。@

次に高取町の壺坂寺との関係を大和高田市・文化財を考える会07/5月の例会・現地見学会の配布資料から紹介す
る。其れによれば、関西外語大学の戸田教授、及び岸俊男氏、更に泉森氏が藤原京の真南に朱雀大路---天武・持
統天皇陵があり、そして「藤原京の聖なるライン」の終着地に壺坂寺がある事を指摘している事。

及び壺坂寺には八角円堂があるが、此れは全て誰かの霊を慰めるために建立されている。例えば法隆寺の夢殿は
僧・行信が聖徳太子の廟所として、興福寺の北円堂は不比等の廟所として元正天皇の発願で、同寺の南円堂は、内
麻呂の為に冬嗣が、また栄山寺の八角堂は、武智麻呂の為に仲麻呂が建立した。

従って、壺坂寺の八角円堂は、持統天皇の為に建立したもの推定し、更にこの寺の発掘経過を述べている。本堂の基
壇は創建当初から八角形で、出土している瓦は白鳳時代の瓦であり、本薬師寺で使用された瓦と同じであると此の資
料で解説している。

■06-07正暦寺「冬至祭」・・・・・・・奈良市郊外の当寺では毎年22日に「冬至祭」を行い、護摩堂にはカボチャに塗り箸
を刺して供えて「中風封じ」の祈祷をする。名物・カボチャ料理。0742-62-9569

■07大阪・生根神社「こつま南瓜祭り」・・・・・・大阪・西成の生いく根神社は確か、少名彦命を祭るが、地元の伝統野菜
のこつま(勝間)南瓜きん(かぼちゃ)を食べて無病息災を祈る「こつま南瓜祭り」を86年から復活した(吉見友伸宮司)。
07年の冬至は今まで雨天はなかったが此の日は生憎、雨天となった。

■国清禅寺の「南瓜きんかゆ祭り」・・・・・・兵庫・西淡町。0799−37−3781




























































12/23  


■光仁天皇の命日・・・・・・・1/15(ユリウス・平安遷都)を参照。また仏教では西暦よりも旧暦で法事をするので、例
えば大安寺(奈良市大安寺町)0742-61-6312では年明けの1/23日に光仁会として、62歳で皇位についた光仁天皇の
御忌法要を行い、また祈祷後に開運長寿に因む行事としてガン封じに効くという笹酒を振舞う。

■06-07-09平成天皇誕生日。
■06石上神宮の天長祭・・・・・・・天理市・石上神宮0743-62-0900。

■06-07-08大神神社の天長祭・・・・・・・桜井市・大神神社0744-42-6633。
■06橿原神宮の天長祭・・・・・・・橿原市・橿原神宮0744-22-3271。





























































12/24   

      
■例年-納めの地蔵・・・・・・地蔵菩薩を祀る寺院で其の年で最後の地蔵の縁日とする。 
■例年-伊勢大神楽・総舞・・・・・・・・三重県桑名市、増田神社。

■例年・Xマス・イブ・・・・・・・「聖夜」。この夜はクリスチャンが静かに祈る。宗教的とは言っても聖書にはない行事であ
り、日本には無関係なカトリックの祭りである。16cのドイツでモミの木に飾り付けが始まり、其れがヨーロッパに定着し
たのは19cである。この様にXマスは宗教的に根拠がなく、飾りつけの歴史も浅いニセ祭りである。

だが異教の神を信仰する気もない日本のマスコミが早くから騒ぎ立て、或いは商業主義に乗せられてXマスの話題に
誰もが嬉々とするのは異様であり、しかも大人たちが嬉々としてXマス・ツリーを飾り立てる様は余りに幼稚的だ。しか
も公共の街路樹などにイルミネーションを巻きつける所が近年急増している。

そうすると夜間にも静かに呼吸しようとする自然の木にとっては、Xマスに拘わりなく秋から春先まで夜中ピカピカされる
不自然な飾り付けで実に迷惑であろう。其れとも此れは12/8の■事始め■松迎え(ヒジリ事典を参照)に由来する門
松を立てる因縁がツリーにすり替わったものなのか(ヒジリ事典の「サンタクロース」を参照)。

其れなら冬至前に真北に立てて貰いたい。ともあれ05年のこの日は例年になく日本海側や滋賀が大雪のためホワイ
トクリスマスとなった。因みに06年は湿度が低いため、風と寒さの歳末となろう。









































  












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