http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」  p156 (未定稿)


   神々の歳時記      12月中旬 但し方位による
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●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起
の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版http://
www.omatsuri.com/mailmag/
及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-12月」、及び奈良観光連盟ガイドブックの「知
れば知るほど奈良はおもしろい」06-07冬号より一部引用・転載させて頂きました。

■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年06-07と追加する形で示しました。ただ凡そ歳
時記には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日
等の詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。

尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。

12月中旬 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★


12/10

      ▼07朔(旧11/1)・小つち・三隣亡。

歳暮(12月10日〜25日)
■06-07納めの金比羅(終金比羅)

■06-07大湯祭・・・・・・・さいたま市。氷川神社の伝統行事。十日市として知られ、参道には縁起物の熊手などが並
ぶ。
火防大祭・・・・・・可睡斎(静岡県袋井市)で12/10〜16日。

■霜月まつり・・・・・・・10〜16日・23日、長野・南信濃村、上村で。07年は前ページを参照。
■池ノ上裸祭り(みそぎ祭り)【岐阜市、葛懸神社】
■大般若転読法会・・・・・・・和歌山・高野町の高野山金剛峯寺で。

■38天智天皇の命日か・・・・・・・日本書紀にある天智の命日をグレゴリオ暦に数字で換算すればこの日となるが、仮
にこの日としても命日に近い日なので神社の一般的な「祭り」ではないが、残念ながら命日を確定しなければ祭日が決
まらず、問題を残すので12/25の項で述べる(「12/25」を参照)。

歳暮(12月10日〜25日)。
■06-07納めの金比羅(終い金比羅)。    ■06旧・恵比寿講。    ■06旧・誓文払い。
★06最上稲荷・火焚祭・・・・・・岡山。    ■06-07世界人権デー。















12/11   


沢庵忌・・・・・・臨済宗各本山。 
会式・・・・・・鏡忍寺(千葉県鴨川市)。 

■御機織神事・・・・・・・翌12日の御戸開祭りに向けて少女が巫女となり、神衣を織る。群馬・富岡市の貫前神社で。
お火焚き祭・・・・・・清水寺(京都市東山区)。
■宇治神社・火焚祭・・・・・・・京都・宇治市で13〜14:00.

有間の皇子の命日・・・・・彼は孝徳天皇の皇子だったが、蘇我赤兄に唆そそのかされ、結果として斎明天皇4(658)
11/庚寅11(ユリウス暦12/11)、謀反の疑いにより藤白坂(海南市)に於いて絞くびられた。

その藤白坂の下にはニギハヤヒを祖先として祭る熊野・鈴木氏系の藤白神社があって、今も本殿や鳥居がこの日の
方位を向いており、例年皇子の祭りを11/11日に続けている。またこの神社の西には今、有間皇子神社として祭って
いる。

また、其の後ろ1キロ奥には其れと思しき角度の小山が有るものの、藤白坂や彼の陵については別に南部町説や御
坊市の岩内一号墳とする説も有る(「12/15」を参照)。

■熊野本宮大社の大注連縄掛け替え・・・・・・・和歌山・本宮町。長さ4.5m、重さ250kgの大注連縄を架け替え、迎
春準備を整える。
















12/12

                  
報恩講・・・・・・新勝寺(千葉県成田市)。 
煤掃開帳・・・・・・浅草寺(東京都台東区)。 

■陀羅尼会・・・・・・・桜井市の長谷寺(真言宗豊山派)。12/12は次項の覚鑁の命日(11/27を参照)。

■石川五右衛門の命日・・・・・・・彼は南河内の出身である。自慢ではないが地元では今も墓を残している。また奈良で
は「十二月十二日」と書いた紙を家の鴨居に逆さに貼る。こうすると泥棒よけ(マジナイ)になると言う。従って泥棒に入
った場合は早く此れを見つけて直ぐに直したほうが無難でしょうが、ローカルの俗信ですから保証の限りではない。

■覚鑁和尚の命日・・・・・・・鉄砲衆で名を上げた真言宗豊山派・根来寺(和歌山・岩出町)の開祖である。根来寺は其
れまでは高野山から出た覚鑁の学問寺だった。以来、彼に帰依する武士が集まり、やがて漆器の根来塗りが栄え、ま
た種子島銃を量産し、72万石の寺領に8000人の兵・行人を擁する大伽藍となった。

そうなると天下統一を狙う秀吉にとって目の上のタンコブであり、10万の秀吉軍の根来攻めに遭って焼かれた。辛くも
大塔と御影堂だけが残って今は国宝に指定されている(05/11/27の読売TV「今日は何の日」より引用)。11/27を参
照。
















12/13


■06-07事始め(ヒジリの別項を参照)        ■松迎え(ヒジリ事典を参照)       煤払い。
■煤払い・・・・・・■群馬・沼田市の迦葉山・竜華院・弥勒寺。■神戸市・生田神社(正月三ヶ日で150万人が初詣に訪
れる)。■四国88ヶ所51番・熊野山石手寺・虚空蔵院(愛媛)

佐渡墓場念仏(新潟県佐波郡)。 

■最澄の日迎え日・・・・・・・天台宗は比叡山と三井寺が各々総本山を名乗っていて共に有名ですが、前者は山門派、
後者が寺門派と言う関係にあり、かつては激しく対立して十数回も伽藍を焼失させた。では何故、こうした両寺が出来
たのか、と言う点については誰も半分しか語らないので、残りの半分を追跡して真因に迫りたい。

先ず最澄が叡山で弘仁13(822)/6/4日に入寂したので弟子の円仁が跡を継いで山門派と称し、それに対して逆の命日
6/4方位に近い方位に弟子の円珍が三井寺・園城寺を再興して寺門派とした訳だが、此処で最澄は大師号として初の
伝教大師を追贈され、また其れ以前に根本中堂が「延暦寺」として勅額を賜っていた。@

従来から叡山の素晴らしい事については既に各方面から指摘されていて例えば以後、叡山からは法然や日蓮など多く
の宗教家を出したので日本仏教の母山とも言われている事とか、或いは此処では最澄以来、1182年間、「不滅の法
灯」を絶やさず燈し続けている事が知られる。















12/14

                                  ▼07不成就日。

■日光輪王寺の煤払い・・・・・ご本尊は阿弥陀如来であり、この日は煤払いの行事をする(12/16秀忠を参照)。

■06-07鉄砲祭り(12月14日〜15日)・・・・・・・【埼玉県秩父郡小鹿野町、八幡神社】秩父路の祭りの最後を飾る小鹿野
町の飯田八幡神社の鉄砲祭りは、御神馬 が鉄砲の砲火の中を社殿に駆け上がる「お立ち」の神事で有名です。境内
の神楽殿では終日神楽 が奉納されます。またお昼頃には、屋台の上で三番叟が始まり歌舞伎が上演されます。

夕刻迫る頃になると、10万石の格式と250年の歴史を誇る大名行列が独特の所作を行いながら参道を進みます(以
上は「なっとく歴史館」より転載)。詳細URL http://www.town.ogano.saitama.jp/

■06-07義士祭・吉良祭【東京都墨田区両国、吉良邸跡(本所松坂町公園)】
■06-07義士祭・・・・・・泉岳寺(東京都港区高輪)で赤穂四十七士の法要がある。 
■06-07義士祭【新潟県新発田市、長徳寺】

■06-07義士祭り・討入記念法要・・・・・・京都市山科区、大石神社・岩屋寺・瑞光院。
 
■義士会法要・・・・・・京都市東山区・法住寺。後白河法皇の御陵寺院とされる、平安末期の法住寺殿跡で、大石良雄
が仇討ち祈願をした身代わり不動があり、四十七士の小像が安置されています。

法要は、献茶式の後、舞妓さんのお手前によりお茶会が行われ、参拝者に討入りそばの接待があります(メルマガ「な
っとく歴史館」より転載)。詳細URL http://kyoto.cool.ne.jp/kyotocity/niwa/hojuji.htm

■06-07東大寺・二月堂・仏名会・・・・・・・東大寺0742-22-5511
■06-07金峰山寺・仏名会・三千仏礼拝・・・・・・吉野・金峰山寺・蔵王堂0746-32-8371
■07やっさいほっさい・・・・・・・大阪・堺市の石津太(いわづた)神社で。

■06赤穂義士祭り・・・・・・・兵庫県赤穂市、大石神社・花岳寺で赤穂義士の討ち入りの日に合わせ、赤穂城周辺で義
士と行列など、時代絵巻を繰り広げる。
■義士祭・・・・・・・松山市、興聖寺。

(注)此の日を「討ち入りの日」として各地で義士祭りがあるが、当時は西暦にして1/30の事件であり、西暦の年末に
この祭りをしては早過ぎる。
■銀鏡(しろみ)神楽・・・・・・・宮崎・西都市の銀鏡神社で15日まで。















12/15


■06冬渡祭・・・・・・・宇都宮市の二荒山神社で、午後五時頃から神輿が大通りを渡御し、豊作を祈る田楽舞が奉納さ
れる。以下、http://www.utsunomiya-cvb.org/topics.shtml「宇都宮コンベンション協会」から引用する。●12/15・1/15 
「おたりや」宇都宮二荒山神社---

「おたりや」は、宇都宮市民に一年の終わりと正月の終わりを告げる二荒山(ふたあらやま)神社の夜祭として知られ、
夜中に行われる神輿の渡御や宇都宮市指定文化財の田楽舞が奉納されます。二荒山神社のご神体を下の宮がある
荒尾崎から現在の臼が峰に還座したことが祭礼の始まりと伝えられ、古く838年(承和5)まで遡ります。

一般に神社の還座の儀式は夜中に行われるものであり、二荒山神社でも夜中に行われたことから、これを渡り夜と呼
ぶようになり、後にこれが訛「おたりや」と呼ばれるようになったと伝えられています。祭礼も、12月15日と1月15日の
2回に分けて行われたと考えられ、12月を「冬渡祭」、1月を「春渡祭」と書き、どちらも「おたりや」と呼んでいます。

おたりや当日、二荒山神社の社殿東側に設けられた焚き上げ所では「お焚きあげ」が行われ、12月には古いお札や
ダルマなどの縁起ものを、1月には正月飾りを焚き上げます。この煙を頭にあてると、家内安全や無病息災、火災防止
などのご利益があると伝えられ、市内を始め近郷近在から多くの人々が夜遅くまで参拝に訪れます。

○日時 冬渡祭:12月15日(金)、春渡祭:1月15日(月)<毎年同日開催>
◆9時〜20時 お焚き上げ
◆16時30分 出御祭(社殿内)
◆17時    御旅所祭(西参道・田楽舞奉納)
◆19時    還御祭(社殿内)

○場所:宇都宮二荒山神社(宇都宮市馬場通り1-1-1)○駐車場:約300台(有料)○問い合わせ:宇都宮二荒山神社
 TEL.028-622-5271(引用以上)。此処は日光の二荒山とは違って、豊城入彦命の若君の社である事を示している。
因みに同神を祭る佐志能神社・例祭(4/9を参照)。

■鉄砲祭り・・・・・・・埼玉・小鹿野町の飯田八幡神社で、参道を空砲の火柱と煙の中、二頭の神馬が社殿までの石段
を駆け上がる。

■06-07世田谷ボロ市(12月15日〜16日)【東京都世田谷区世田谷、ボロ市通り・代官屋敷前】
ガサ市・・・・・・浅草寺。

■06-07秋葉の火まつり(12月15日〜16日)【静岡県浜松市、秋葉神社】
秋葉寺秋葉三尺坊大権現大祭・・・・・・秋葉寺(静岡県春野町)で12/15〜16日、火渡りりや秘法による七十五膳献
供が行われる。 

■月次祭・・・・・・・三重・伊勢市の伊勢神宮で、五穀豊穣、国家の興盛、国民の平安を祈願する祭りで17日まで。この
12月の月次祭は、10月の神嘗祭、6月の月次祭と共に「三節祭」と呼ばれる。 

■お身拭い・・・・・・・唐招提寺。詳しくは奈良市観光センター0742-22-3900

■06-07春日若宮おん祭・・・・・・奈良・春日大社0742-22-7788では年間1000の祭りが行われるが、この「おん祭り」が
最大の祭りで、12/15〜18日まで繰り広げられる。因みに方位から見れば、此の祭りの主役である若宮神社から11
/28方位に春日大社の本殿があり、その先は東大寺の手向山八幡宮に至る。

と言う点から見れば、この祭りは9/17の祭だった(「12/17」、及び「9/17」を参照)。

有間の皇子の命日・・・・・彼は孝徳天皇の皇子だったが、重臣の蘇我赤兄に唆され、しかも彼の率いる一隊に南
生駒の私邸を包囲され、捕らえられ、斎明天皇と中大兄皇子が当時、行幸中の牟婁湯(白浜・湯崎)へ送られた。此れ
は280キロに及ぶ強行軍となった模様である。途中、藤白坂に差し掛かった時に彼は有名な歌(下記)を残した。

    「岩代の浜松が枝を引き結び、真幸くあらばまた皈かえりみむ」
    「家にあらば笥に盛る飯を草枕、旅にしあらば椎の葉に盛る」

の二首を彫ったものである。@
一たん「謀反者」の烙印を押されて処刑された者の扱いは、弔いだけはしても、神としての正式な「祭り」、つまり御魂を
神として迎える儀礼はなかったろう(次の大津皇子の場合も同じ)。

従ってご祭神として「有間皇子」を祭る神社が作られたのは、元の意味が曖昧となった中世以後に新設されたものであ
ろう。因みに、彼・有間皇子の母は阿倍大臣の娘である。さて、有間皇子と有馬温泉との関係はどうなのか。@

■住吉神社・御斎祭・・・・・・長門一ノ宮としての住吉神社で10/8〜本日まで。山口・下関市。
■06-07年賀郵便特別扱い。















12/16    

       ▼07十方暮れ入り。

徳川秀忠の命日・・・・・「日光の東照宮は家康を祀った所」と言われて来た。だが実は此処には祀られていなかっ
た。其れに対して秀忠は芝の増上寺(浄土宗)に祀られていると言われて来た。だが実は日光の東照宮には秀忠が祭
られていたのである。

彼は二代将軍の座を家光に譲り、大御所として、また太政大臣として54歳の時の寛永9(1632)年1/24に薨去して
台徳院として増上寺に葬られたとされているが、実は少し違っていて日光の東照宮に祭られている事が方位から判明
する。一般の常識として東照宮は、「祖父・家康を尊崇した家光が孫として日光に祭った所」とされている。

此れは家康が、「江戸城を守るために日光に我が遺骸を移すよう」に遺言したと言う由来や寺伝に加えて、今では風水
説で、北は玄武であり、江戸と言う都城の鎮護の意味があると解釈しているものである其のように誰もが「家康を祭っ
た」と信じて来た常識を今更覆すのは困難とは思うが、今も確認できる事実だけを更に述べて異議を裏付けて見よう。

東照宮の相殿には頼朝も祭っているので、仮に鎌倉の地に対してならば日光が玄武の方角になるから頼朝時代の毘
沙門天が祀られていても不思議はないが、江戸では意味がないのだ。江戸の真北からはズレるので風水説は間違い
と判明する事に加えて、暦・方位では日光が秀忠の命日ラインに当たるからです。@

(注)日光寺は、糸魚川市・滋賀県近江町・川西市・笠岡市などにもあるが其れは別として、この西山・日光寺は天台宗
の医王山・薬明院日光寺。最澄が開いたとされ、かつては12の僧坊、12の社があり、修験の拠点だったと言われる。
其の先は村上市・二王子岳(1421m)奥の院に至るが、此処は豊臣の世では上杉120万石の領地だった。

其れを15万石に減封して米沢に追いやり、その代わりに徳川譜代の有力大名を配して聖地の守護に任じたのだろう
が、溝口家5万石以外はやがて最上家が52万石を後に没収され、村上家も内紛で後に除封となり、松平、柳澤家の
所領となった。

余談になるが上杉家に養子として入って17歳で10代藩主となった上杉鷹山が質素倹約に務めて藩政改革に成功し
た背景にはこうした苦しい事情が有ったのである。@

念のために言えば、家康や家光は輪王寺(三仏堂など)を含めて観光客に公開されているのに対して、秀忠の命日ラ
インの基点となる輪王寺本坊(門跡)は非公開の場である事だ。では何故誤魔化したのかと言えば、当時は霊的な呪
術を第一優先するため、関係者以外は「部外秘」とするこうしたカモフラージュによる目眩くらましが必要な時代でした。



だが此処は門跡境内として今も一般の拝観をさせない。秀忠については恐らく、「東京芝の増上寺に祭られている」、と
して表向き隠し、更に其れを史実として分業体制をもって両寺が隠している内に今では互いに分からなくなったものと
推定するのです。

では次は建築様式から見よう。東照宮は寺か神社かと言う問題です。陽明門、唐門、拝殿、本社、何れも豪華絢爛樽
たる装飾に飾られている。此れが後には「権現造り」と云われる様になったが、従来の神社建築様式とは似て非なるも
のです。

神社は開放的な空間であるのに対して、此処は真っ暗な密室であり、灯明に照らせば黒漆にキンキラキンの化け物が
浮かび上がる構図になっている。云わば冥土の入り口であり、棺桶か仏壇のような建物である。つまり神社ではなくて
鎮魂の場なのだ。

奥社の入り口の「眠り猫」にしても、彼の御魂が静かに眠る廟である事を明示している訳であって、神が降臨するハレ
のばとしての神社とは全く違うのである。つまり実はご本尊(秀忠)と家康とをすり替えていたのだが、此れも当時として
は大切な呪術であったろう。

方位から見れば日光東照宮は家康の命日とは全く違うのに対して、秀忠公の命日が略重なる(家康について詳しくは4
/17の項目を参照)。

家光が此処・東照宮を父・秀忠のために造営していた、と言う事実が有ったとしても、其の論理を此処で証明するには
命日の確定が先ず必要ですが、この年は前年10月に閏月があったから錯誤し易いので、方位で確認すべきである。

彼の命日について文献には寛永9(1632)年1/24と有るので、此れを旧暦と見なしてグレゴリオ暦の1632/3/1
4と言うように数字だけ換算すれば真実が分からなくなります。数式換算ではなくて方位で見れば、西暦の12/16日
の夜半だった事を東照宮と輪王寺の方位で印しています。

だから実父を弔う孝子の例え話として陽明門にも東照宮(正本社)にもシナ風の孝子の物語を一杯刻み、飾ったので
す。其の横に祈祷殿が有る。ここには小鳥たちが浮き彫りになっている。中でも左二番目のコジュケイは孝行鳥として
知られる。

昔の人は「孝行したい時に親はなし」と嘆いたが、今の人たちは「孝行をしたくもないのに親がいる」と言う。人間でも普
通の鳥でも子を育てるが、この鳥だけは老親も養うと言うから耳が痛い人もあろう。このように孝行を祭り事の模範とし
て示す立場のお方が家光であったとすれば、家光の父は家康ではなくて秀忠と言う事になるのだ。

所で、日光には日光三所(本宮・新宮・滝尾)権現と東照三所権現とがあるので少なくとも数本の霊ラインが一山内に
交差している点だけ見ても一筋縄で括る事が出来ない。

其の上、神仏習合の特徴である鎮魂と神幸と言う二方式の祭事の頭と尾とが今では知る人もなく、天海以後は混乱し
ている上に昔の建物も変化し、更に明治の神仏分離と改暦で文献があっても錯誤し易く、関係者の記憶も確かではな
い。其の為か今では何のための祭りか分からないまま形式的に続けている事も多いだろう。

よって其れを辿り、方位から縺れた糸を捌くのが今ヒジリとしての筆者の役割りである。さて整合性をよりハッキリ確定
するために江戸城から逆に見ればどうか。@

秀忠の命日は寛永9(1633)年1/16に相当する。即ち旧暦なら寛永8(1632)年12/7庚午に薨去した筈である。


1632/11/23丁巳となる。つまり先の12/16を和暦として、其れにこの二つのラインを設定している事は、当時、
暦法の違いに戸惑い、苦心した証拠である。先ず12/11と和暦の12/16には徳川家が主宰する公式行事とした。

そして12/22には暦に対する天文方位を確認し、そして翌年1/3にはグレゴリオ暦の12/11方位に対して神事を
行い、同時に其の日は旧暦10/30であるから、本地堂から宝塔に対して仏事を行ったかのように、建物の位置関係
では示している訳です。

また各地に造られた東照宮の中でも、日光と久能山が重視されたが、其の中心地として群馬県太田市には世良田東
照宮がある。此処は徳川の始祖・新田氏以来の土地柄であり、徳川氏発祥の地とも言われる。元々長楽寺と言う禅宗
寺院が有ったのを天海が天台宗にした寺である。

此処ではS56(1981)年から4/17日(家康の命日)に近い第1日曜日に例大祭(葵祭り)が行われている。しかし此処の
東照宮は日光と駿府(静岡市)とのラインの軸に位置するから家康ではなくて、生憎、秀忠の命日ライン(12/20方位)で
ある。

■06-07気多大社・鵜祭・・・・・・・・・石川県羽咋市寺家町の気多大社の神事。気多大社は大己貴命(大国主命)を主
神とし、能登の一之宮である。此処は年中特殊神事が多いが、鵜祭は主神が当地に着かれた時、この地の御門主比
古神が鵜を捕まえて捧げた故事に由来すると言われるが、新嘗祭の一連の神事だったとも考えられます。

七尾市の鵜の浦で鵜捕り部が斎戒沐浴して事前に採ったものを神使のように扱い、籠に入れて背負い、徒歩で気多
大社まで届けます。当日未明の三時、暗闇の中で鵜を神前に奉げて、その動きで来年の吉凶を占います。大役を終え
た鵜は再び籠に入れられ、12/12には籠に入れて出発し、近くの一ノ宮海岸で放たれます。

徒歩で約40kmの道中を運び、本殿内に進むと取り押さえて海に放つと言う。此れが約500年続く伝統神事である。
明治までは11月上、または中の午に行われたが、以来12/16となった。但し祭日と両者の方位は食い違う。
詳細はURL http://www.city.hakui.ishikawa.jp/(この記事はメルマガ「なっとく歴史館」から転載)。

■07二見夫婦岩大注連縄張神事(5月5日・9月5日・12月第3日曜日)【三重県伊勢市、二見興玉神社】

■かくれ念仏・・・・・・・12月13〜31日(火〜土)(京都市東山区)六波羅蜜寺のかくれ念仏は、空也上人が疫病救済のために
はじめた念仏踊りです。六波羅蜜寺では12月の13日から31日まで毎日、夕方の4時頃から約30分間行われていま
す(この項目は04年のメルマガ「なっとく歴史館」より転載)。詳細URL http://www.rokuhara.or.jp/

方広会・・・・・・東大寺(奈良市雑司町)。
■06宝山寺の大鳥居-注連縄奉納・・・・・・・生駒市・宝山寺0743-73-2006の大鳥居前の参道。
▼三体月・観月会・・・・・・・和歌山・中辺路町。修験者が熊野三山で月が三体になるのを見て不思議な力を得たと言う伝説に基いた観月会。

















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