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http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」p155 (未定稿)


神々の歳時記   12月上旬 但し方位による
次は
12月中旬
12月中旬
または
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以下、「12月」の案内です。・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起
の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版 http://
www.omatsuri.com/mailmag/

及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-12月」、及び奈良観光連盟ガイドブックの「知
れば知るほど奈良はおもしろい」06-07冬号より一部引用・転載させて頂きました。

■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年06-07と言う風に追加する形で示しています。
ただ凡そ歳時記には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。この
ため開催日等の詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。

尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。

・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ 「太陽が可愛そう」 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

■11/1には年賀状が発売されるが、こんなに早くては季節感を失わせる。また12月は年々早まるお歳暮商戦やク
リスマスなど、歳末商戦に巻き込まれて慌しく過ぎてしまいます。でも冬至を見過ごさないで下さい。冬至は太陽の祭り
です。日本民族は古来、世界で唯一「太陽信仰」を守り続けて来ました。

ですが今は日の丸を揚げる家もなく、歳末は特に他に多くの大事な行事や仕事もあって皆多忙な筈です。なのに、マス
コミも商店街も星を祭るXmasの催し一色に染まり、此れに2ヶ月間もウツツを抜かすのですから驚く。

其れに釣られてモノマネ大好き族や低俗な人々もXmasをすれば一時だけ「聖」の仲間入り出来ると誤認して浮々する
のだろうか。そして次はベートーベンの第九を聴いて、マリアを祝う元日を迎え、或いは月を祭る寺の除夜の鐘で月を
祭る正月を祝うとしたら日本人と言えるのだろうか。

此れも春節まで凡そ2ケ月続く。しかし星や月を祝うだけではねー。しかも今の日本には星の神のキリスト暦だけで真
の太陽暦はなく、太陽の祭りである冬至の祭りをする人も殆どいないのでは「太陽」が可愛そうではないか。いや太陽と
共にある日本を此処まで惨めにしているのは何なのか。


12月上旬 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★



12/ 1 

   
■09-10お神迎え【新潟県魚沼市、皇大神宮】
■10桜山まつり【群馬県藤岡市】

■鹿島神宮・煤払い。
臘八接心(曹洞宗)で12/1日〜8日。
   
■07-08-09-10霜月祭り【長野県南信濃村】12/1日〜23日まで。
注連帳・・・・・・・善光寺(長野市元善町)。

仏名会・・・・・・・清水寺(京都市東山区)て12/1〜3日。
■例年北野献茶祭【京都市上京区、北野天満宮】

■07厄落としの大根焚き・・・・・・・京都市右京区鳴滝の三宝寺075-462-6540では12/1、2、3日に「中風封じ」の祈祷や
年間の罪や穢れを落とす祈祷をした大根を炊く。大根と「ゆず御飯」は有料(07/11/---朝日新聞)。
■06宝山寺・聖天・厄除大根だき0743-73-2006

■河渡祭(かわたりさい)・・・・・・・04/12月1日(水) (山口県下関市)石見国江川で毛利氏と尼子氏が戦った時、毛利元就が全軍に神酒を与
え、田作りと餅粥をふるまって、その勢いで江川の戦で勝利を収めたことに始まる開運のお祭りです。現在では大釜に餅粥を炊いて一般参拝客にふるまい、
多くの人出で賑わいます(「なっとく歴史館」より転載)。

詳細URL http://mirai.city.shimonoseki.yamaguchi.jp/Cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AM04000

06-07-09映画の日。06-07-09鉄の記念日。06-07-09エイズの日。06-07-09歳末助け合い運動。

 

















































12/ 2                            

    
▼旧暦09/10/16日・望。

★07木幡の幡祭り(12月第1日曜日)【福島県二本松市、隠津島神社】
■0912/2日ぼたもちまつり新潟県山北町

■06古河・提灯竿もみまつり・・・・・・・関東の伝統的奇祭として地元の自治会と各団体が提灯を付けた約20mの竹竿
を20人ほどで支えて互いに激しく揉み合う。甚句や太鼓、お囃子などの出演とか子供たちの提灯パレードもある。古河
市横山町お祭り特設会場で午後4:20から小雨決行、雨天なら12/3日に。古河市観光協会0280−23−0030

■例年秩父夜祭・・・・・・・埼玉県秩父市、秩父神社で12月2日〜3日まで。日本三大曳山祭りの一つ。3日夜の団子坂
での笠鉾・屋台の引き上げがクライマックス。

動画秩父夜祭 12月2〜3日 埼玉県秩父市
http://www.omatsuri.com/movie/titibu.html

仏名会・・・・・・・知恩院(京都市東山区)で年内の悪過を懺悔し、その消滅を祈願する法会。12/2〜4日。 
■北野献茶祭【京都市上京区、北野天満宮】

★07亥の子暴れまつり・・・・・・・12月第一日曜日。奈良・桜井市の忍坂地区の子供の祭り。神社に捧げた供物を奪い
合う暴れまわる県の無形民俗文化財。
★07ねんねこ祭(12月第一日曜日)【和歌山県東牟婁郡古座町、古葉神社】

■美保神社・諸手た船神事・・・・・・・・島根県・美保神社の諸手た船神事・宵祭り。
★防府天満宮御神幸祭(裸坊祭り)(旧暦十月十五日に近い土曜日)【山口県防府市、防府天満宮】
★07笑い講(12月第1日曜日)【山口県防府市大字台道、小俣八幡宮】

■08-10おしろい祭【福岡県朝倉市、大山祇神社】・・・・・・・・福岡県旧杷木町。その年収穫された新米の粉を水に溶い
ておしろいにし、これを参拝者の顔にベタベタと塗り付けるという、300年の伝統をもつ奇祭です(「なっとく歴史館」より
転載)。04/12/2(木)の詳細はURL http://www.town.haki.fukuoka.jp/












































12/ 3         12/第一日曜日 ・・・ ・・・ 06/12/3
       

★06木幡の幡祭り・・・・・・・06/12月3日。12月第1日曜日。福島県安達郡東和町は、(新)二本松市になりました。 
900有余年の歴史と伝統を誇る隠津島神社の此の祭りは「日本三大旗祭り」の一つとして知られているお祭りです。

この祭りは前九年の役の戦いで源の軍勢が戦いに敗れ、わずか数騎で木幡山に立て籠もり、一夜にして全山が雪で
白くなった様を追ってきた安倍の軍勢が源氏の白旗に見違い、戦わずして敗走した故事により、現在「幡祭り」として伝
承されています(この項目は「なっとく歴史館」より引用)。詳細URLは http://www.town.towa.fukushima.jp/

■09提灯もみ祭り・・・・・・・・栃木県野木町。
■06小栗判官まつり・・・・・・・・茨城・筑西市。新治駅前通りほか。0296−57−2511

06-07-09秩父夜祭 ・・・・・・(埼玉県秩父市)江戸時代の寛文年間には祭りがあったといわれ300年あまりの歴史
があります。秩父神社例大祭として、江戸時代には絹の市が立ち、秩父の経済を大いに潤したといわれ、お蚕祭りとも
呼ばれてきました。勇壮な屋台囃子を打ち鳴らし、街中を曳き回されるのが笠鉾2基と屋台4基の山車です。

笠鉾、屋台を神社から約1キロほど離れた御旅所に曳きあげる、団子坂の曳き上げは、祭りのクライマックスで、豪華
な絵巻をくりひろげます。羊山で打ち上げられる大仕掛花火や、数千発の打ち上げ花火が、夜空を飾ります。
詳細はURL http://www.chichibuji.gr.jp/(以上はメルマガ「なっとく歴史館」より転載)。

此の夜祭は日本三大曳山祭りに数えられる秩父神社の例大祭で毎年12/2-3に催される。06年は土日となり30万人を
超す人出だった。此の夜祭は秩父神社に祀られている妙見様(女神)が年に一度、南に位置する武甲山に住む龍神
(蔵王権現・男神)に会う祭り。秩父神社を出発した山車は約一キロ離れた御旅所(秩父公園)に向かう。

公園の亀の子石で会うのを祝う祭りである。其の前に妙見様と龍神がデートする場所が、まさに山車が向かう御旅所
手前の「団子坂」といわれる坂に山車を引き上げる時が、祭りのハイライトだ。重さ十トン以上という山車は坂の途中で
何度も止まるのだが、群集の声援と共になんとか上りきる。同時に打ち上げられる花火も物凄く、圧巻である。

秩父鉄道御花畑駅そばの団子坂の御旅所でデートが始まるのは午後11時、御旅所の周りには、6台の山車がズラリと
並んだ(関係HP及び06/12/20朝日新聞より一部引用)。さてhttp://homepage3.nifty.com/jh1eda/titibujinnjya01.html
「かわつる紀行」から引用すれば、---秩父市の中央柞の森に鎮座する秩父神社は秩父地方の総社延喜式神名帳に
のっている関東屈指の古い社である。此の柞の森の柞とは「ははそ」と読み、コナラの木の古名だと言う。


創立は、遠く崇神天皇(約二千年前)の御代、知知夫国造として来社された知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)とその祖
神の八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)、それに天之御中主命(あめのみなかぬしのみこと)の三柱を祀ったと
いう。神仏習合の時代には、秩父妙見宮として栄え、毎年十二月三日、この社の例大祭が秩父夜祭りである。

また、寛延年間以来、絹織物の絹大市がたち、諸国から商人が多く入り、取引が盛んに行われたため、別名「お蚕祭
り」ともいわれ、秩父織物産地の基盤ができたのもこの頃からである(引用以上)。さて地図から方位で確認すれば、武
甲山から秩父神社が12/7日方位に位置する。

よって此の12/3の夜祭は方位から4日のズレがあるものの略合致する。改暦の弊害でそうなったのか、其れとも頂上
(1295m)ではなくて少し西に寄った所にご祭神(知知夫彦命)の場があったのだろう。ずっと手前の秩父市・仏道山・野
坂寺が有る。ご本尊は聖観世音菩薩、秩父市野坂町2−12−25

緩い登り坂の参道の両側には桜並木、正面には白壁が美しい。時代を感じさせる黒い楼門がそびえると言うhttp://
www.chichibufudasho.jp/fudasho/otera-12/12.htm「野坂寺」。其の手前に同軸方位に伸びて古墳状の丘があるが、生
憎、方位が12/18日になるのでハズレ。其れよりも、秩父神社の南に母巣山・少林寺がある

此処なら方位に合致する。母巣(ははそ)山・ 小林寺は秩父市番場町にあって秩父34観音第15番(臨済宗)。秩父鉄
道の踏切を渡ると、慈眼寺からは5分ほどのところにあった。この少林寺と言うお寺は、現在は母巣山少林寺となって
いるが元々は五葉山少林寺と母巣山蔵福寺を合併して二つの名前を一つにしちゃったと言う。

なぜ合併したかと言うと、明治維新の廃仏棄釈令によって母巣山蔵福寺は廃寺になった。所がそうなると15番札所が
なくなってしまうので、市内のほかの場所にあった五葉山小林禅寺を現在のところに移して両方の名前を半分ずつとっ
て合併したのだそうだ(此の部分はhttp://homepage3.nifty.com/hikari-to-kage/titibudayori.html「秩父便り」より引
用)。

更に其の南の大宮地区には羊山公園が有る。此の辺りに何かあったのではないかと思われる。  

■天智天皇が近江の宮で崩御した。其の日について、日本書紀には671「12/乙丑3」とある。当時の近江・大津の
宮は現在の崇福寺辺りと推定されていたが、昭和49年の発掘によって近江神宮南部の「錦織」と判明した。

だが其の方位に進んでも、また逆方位に進んでも目ぼしい遺跡・寺社には繋がらないので暦日の採り方が問題と判明
する。@詳しくは12/5と12/10、12/25、1/7、1/9〜11の各項目に譲る。

■交通安全の御祈祷・大祓大祭・・・・・・・京都市の交通神社。
★06亥の子暴れまつり・・・・・・・12月第一日曜日。奈良・桜井市の忍坂地区の子供の祭り。山口神社などに捧げた供
物を奪い合う暴れまわる県の無形民俗文化財。0744-42-9111桜井市観光課。

ねんねこ祭り・・・・・・・和歌山県東牟婁郡串本町。

★06ねんねこ祭り・・・・・・・和歌山県東牟婁郡古座町、古葉神社】12月最初の日曜日。和歌山県古座町の木葉神社
で。祭りは午前6時、ご飯を入れたおひつを頭に載せた子供の「御飯持巫女(ごはんもちみこ)」を先頭に、神職や氏子
らによる朝日遙拝(あさひようはい)行列で始まる。

笛や太鼓などの祭囃子に合わせ、鈴一振りで一歩というゆっくりとした歩みで約60メートル離れた遙拝所まで、1時間
余りかけて歩きます。この祭りは、神功皇后が応神天皇を愛育した故事にちなんだとされています。また、同神社は
「ねんねこの宮」ともいわれ、乳幼児の守り神として知られている(メルマガ「なっとく歴史館」より転載)。

詳細URL http://www.town.koza.wakayama.jp/Cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=KOZATOP

■例年諸手船神事・・・・・・・・島根県・八束郡美保関町の美保神社で行われる。此れは4/7の青柴ふし垣神事と共に
「国譲り神話」に因む儀礼と言われる。当日は1年神主以下、氏子たちが古代衣装を纏って二隻の諸手船に乗り込み
競争し、美保湾の東口の客人社を拝する。@

★三倉神社・秋祭り・・・・・・・(12月第一日曜日)高知県・本山町 (町役場・企画課 0887-76-2113)。
★笑い講(12月第一日曜日)【山口県防府市、小俣八幡宮】

■ひょうたん祭り 04/12月5日(日) (大分県千歳村柴山)・・・・・・
大黒福迎祭・・・・・・・宝照院(福岡県)。 

★06-07-09障害者週間。






















































12/ 4 


■最澄の日迎え日だが、「12/13」を参照。

■56清和天皇の命日・・・・・・・・55文徳天皇・田邑帝は即位したが病弱で御子が生まれず、よって内裏からほぼ真南に
当たる地方に向った。妃の滋野氏の拠る葛城の東麓の寺で祈願した所、目出度く生まれたのが惟彦親王や後の清和
天皇である。

滋野氏は古くは今の兵庫の宝塚で伊蘇志(いそし)と呼ばれ、次いで奈良の御所市の楢原造となって栄え、やがて伊勢
にも領地を広げて天皇に妃を出す豪族となり、一時は滋野天皇とも呼ばれ、やがて一族から朝臣、臣、そして滋野宿
禰を出した。

今知られる人物としては博識家であった滋野貞主が、娘を54仁明天皇の女御として、最後は正四位下で相模守を兼ね
た。また55文徳天皇・田邑帝は即位したが前述のように病弱で御子が生まれず、よって妃の滋野氏の本願地である葛
城の東麓の寺で祈願した結果として清和天皇(母は藤原明子)が生まれた。

このため今も葛城の浄土宗・布施山・浄願寺が文徳天皇所縁の「子授け寺」として信仰されている。ただ天安2/8/27
(U858/10/7)日に父が崩御により彼が清和天皇として即位した。また清和天皇を生んだ浄願寺は奇しくも彼・清和天
皇の命日元慶4/12/4(U881/1/7)日とは逆の日迎え方位に当たる。@

因みに彼は徳川など清和源氏の祖となった。清和天皇は確かに別名・水尾天皇とも呼ばれた。彼の陵と言われる山は
水尾川の上流の嵯峨水尾と言う山である。だから清和天皇陵と治定したのだろうが、水尾と言うには山の中腹ですか
ら似合わない。

清和天皇社と言うのが崖っぷちにあるが天皇の代にして桓武50、清和が56代。桓武の6代孫(耳孫)に当るので、伝承
が後世に行き違ったものか。何れにせよ角度にして1日のズレを誤差の範囲と見れば、清和天皇陵ではなくて桓武天
皇陵だったと分かる。清和天皇の陵は此処ではなくて12/4-7の方位で見るべきですから寧ろ北区の山であろう。@

其の逆の日迎えが6/5-7方位の伝・桓武天皇陵のある伏見方面であり、其方には西本願寺---鉾立町---そして御香
宮神社がある。此の宮は初め、『御諸神社』と称したが、平安時代貞観四(862)年9/9日、この境内から「香」の良い水
が涌き出たので、清和天皇よりその奇端によって、『御香宮』の名を賜ったと言う。

やがて豊臣秀吉は天正十八(1590)年、願文と太刀(重要文化財)を献じてその成功を祈り、やがて伏見築城に際して、
城内に鬼門除けの神として勧請し社領三百石を献じた。その後、徳川家康は慶長十年(1605)に元の地に本殿を造営し
社領三百石を献じるなど清和天皇を源氏の祖神とする徳川一門の崇敬する所となった。

例えば慶長十(1605)年に徳川家康の命により本殿を建立(本殿墨書銘による)。修復についても其のつど伏見奉行に
出願し、それらの費用は、紀伊、尾張、水戸の徳川三家の御寄進金を氏子一般の浄財でもって行われた。慶応四
(1868)年の正月、伏見鳥羽の戦には伏見奉行所に幕軍が據り、当社は官軍(薩摩藩)の屯所となった。

だが幸いにして戦火を免れた。以来4月17日の例大祭、また逆の10月の神幸祭は、伏見九郷の総鎮守の祭礼『伏見
祭』と称せられ今も洛南随一の大祭として聞こえている。因みに神功皇后を主祭神として仲哀天皇応神天皇他六柱の
神を祭る。

今は日本第一安産守護之大神として崇敬されている(以上、此の宮についてはhttp://www.kyoto.zaq.ne.jp/
gokounomiya/「御香宮」より大半を引用)。

藤原道長の命日・・・・・・・・彼は実名でよりも通称で、世に「法成寺」入道・摂政とか御堂関白、或いは「前関白太政
大臣」等と言われた。彼は氏長者となり、時の権力者となったが出家して治安2年に法成寺を建て、御堂に籠って「御
堂関白記」を残した。御堂の所在地は今の京都府庁の北、土御門にあった。

だが道長は長保6(1004)/2/19宇治市木幡に三昧堂を建てるため賀茂光栄と共に安倍晴明が相地し、寛弘2(1005)年2
/10には東三条の新第に移り、法成寺(現在の府立医大周辺)阿弥陀堂で万寿4(1027)年12月4日薨去。年62
歳で「浄土」へ旅立ったとも言われる。@

しかも其の暦日は旧暦ではなくて太陽暦であったと判明する。さて、御堂関白は聚楽来迎図が描かれた堂内で、九体
の阿弥陀像の手から引いた五色の糸を握り締めて亡くなったと言われる。

だが其れは平等院ではなく、この法成寺での話である。「法成寺」は平安時代を代表する大寺であり、鴨川の西辺、荒
神口北の天台宗寺院として其の伽藍は壮大だったが、其の後、数次の火災で廃絶した。ともあれ道長に対するこの日
の弔い(法要)はこの法成寺に於いて、或いは先の「御堂」で行われた筈である。@

一説に、道長の子の頼通は釈迦入滅から二千年に当たる其の年(末法初年)、今から952年前に、父のために宇治
に平等院・鳳凰堂を建てたと言われる。しかも其処は元々道長の別荘だったとも言われ、寺ではなかった訳だが、鳳
凰堂は阿弥陀如来を祭っているので「阿弥陀堂」とも言うようになった。

其処で学者は宗教的な理解が素人であるのに「日想観」と言う仏教的な観念の講釈をし続けるから筆者から見れば驚
きである。平等院は、十円銅貨にもデザインされて誰もが知る所であるが、此処は最近、世界遺産登録となり、再び脚
光を浴びている。所が誰もが此処を、「元から寺だ」と信じているが、実は神社の役割だった。

今、平等院には本尊の阿弥陀如来・坐像と九品来迎図があって国宝になっている。其処から寺として、更に日想観で
飾って観光案内的な説明をしている。西に日が沈む頃に、東の宇治川の方から池を通して鳳凰堂を見れば、其の彼方
に「西方極楽浄土」があると信ずる事も出来る。

其れが日想観らしいが此処はそんな意味で建てられたのではなかった。此処では、西方浄土へ彼の御霊を送り届ける
意味ではなくて、実は浄土から道長公の御魂をこの世に迎える意味で作られた。其れが此処での来迎図の意味であ
り、また「天蓋」と言う方位盤を上から吊り下げたのも同じ意味(方位の重視)からであろう。

要するに此処は、死者を弔ったり浄土に送る寺ではなくて、「神迎えの宮」だった。だから命日である本日は法成寺の
縁日ではあっても、此処・平等院の縁日ではない。此処の縁日は逆の日の6/4が祭りだった筈である。

そしてもう一つ、父(道長)が法成寺殿だったのに対して彼(頼通)が「宇治殿」と言われたのは、この平等院で道長を迎
えて祭るために、彼が此処に居つく、正当な立場を公に示す称号であったのです。因みに関白・頼通は先の御堂にも
居着いた。

其れは長子として父のこの命日には宇治・平等院から戻ってこの御堂に於いて冥福を祈る立場にあったからだ。

■06-07-09人権週間。























































12/ 5 


★10木幡の幡祭り(12月第1日曜日)【福島県二本松市、隠津島神社】

■小栗判官まつり 05/12月5日(日)・・・・・・茨城県協和町。浄瑠璃や歌舞伎で知られる照手姫との恋物語で有名な武将、小栗判官の出生地と言
われる協和町の小栗。その伝説をもとに平成元年に始まったのが、小栗判官まつりです。

ミス協和扮する照手姫をはじめ、りりしい鎧武者がパレードします。常陸国ふるさと太鼓や小栗判官音頭の行列もあり、広場では小栗内外大神宮に伝わる小
栗太々神楽も披露され 、町民総出で賑やかに行う戦国時代絵巻です。
詳細はURL http://www.town.kyowa.ibaraki.jp/・・・・・メルマガ「なっとく歴史館」より転載。因みに茨城では盗賊、和歌山では彼が一転、英雄になっている。

★09-10古河提灯竿もみまつり【茨城県古河市】毎年12月の第1土曜日。
06-07-09納めの水天宮。
■07-08-09-10あえのこと(アエノコト)【石川県珠洲市・輪島市・能都町など】

あえ国神社の例祭(おんまつり)・・・・・・三重・上野市で8孝元天皇の長子・大彦命を祭るアエ国神社の例祭として
12/3〜5に行われる。獅子神楽が奉納され、抹茶が振舞われる。先ず3日には佐那具の府中神社への神幸が古来
著名であり、神輿は二泊の後に還幸される。

お旅所の地域は天正まで花園離宮と言われたが今は府中神社内に遷されている。当日は獅子神楽が奉納される。こ
の祭りは昔、旧暦正月3日舞始祭から国内を巡って4/25日に舞上祭としていたものであるが、明治42年以降、巡奏
は行われなくなった。敢国とは阿閇氏の祖を祭った事により、この地域も阿拝郡と言い、其処からの社名であろう。

尚、春祭は4/17、秋祭が11/23日。敢国神社の南北に各々佐那具地区がある。南には佐那具神社、北には佐那
具町である。その間に伊賀国分寺跡が位置する。其の東部には御墓山古墳などがある。さて方位から検証すれば、@

■天智天皇の命日か・・・・・・・@近江の宮。次は「12/10日」を参照。
■鬼室神社(鬼室集斯の命日)・・・・・・・鬼室神社(きしつじんじゃ)とは、滋賀県蒲生郡日野町にある神社である。http://
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E5%AE%A4%E7%A5%9E%E7%A4%BEによれば、7世紀の百済からの渡来人であった鬼
室集斯の墓碑が本殿裏の石祠に祀られている。

父の鬼室福信が韓国の扶余郡恩山面にある恩山別神堂に祀られていることから、日野町と恩山面との姉妹都市交流
が盛んに行われており、案内板などは韓国語が併記されている。次にhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E5%
AE%A4%E7%A6%8F%E4%BF%A1には-----

『日本書紀』によれば、鬼室集斯は天智天皇4年(665年)2月に小錦下の位を与えられた。佐平福信の功によって、とあ
るため、百済復興に努めて2年前に死んだ鬼室福信の近親者と思われるが、具体的な関係は不明である。集斯の百
済での位は達率であった。

書紀はこれに続けて百済の男女400余人が近江国神前郡(後の神崎郡)に住まわされたと記すので、集斯も同じと推
定できる。3月に神前郡の百済人に田が与えられた。天智天皇8年(669年)に、佐平余自信と佐平鬼室集斯ら男女700
余人が近江国蒲生郡に遷された。

天智天皇10年1月(671年)に、鬼室集斯は小錦下の冠位を与えられた。どういうわけか、665年に与えられた位と同じ
である。このとき集斯は学職頭であった。学識頭は律令制における大学頭の前身であると考えられている。

久木幸男は集斯が蒲生郡に移されてから、この時の叙任までの約1年余りのうちに日本の大学寮の原型が成立して、
集斯がその長になったとする説を唱えている。

江戸時代に、近江国蒲生郡小野村(現在の滋賀県日野町小野)の西宮という神社で、石の八角柱が見つかった。「鬼
室集斯墓」と記した面が正面で、その右の面に「朱鳥三年戊子十一月八日?」※1、左には「庶孫美成造」と書かれてい
た。朱鳥3年は、持統天皇2年(688年)にあたるが、ただしこの墓石は11世紀以降のものである。

[※1]------688/11/8日はユリウス暦で688/12/5日に当たる。

後にこの神社は鬼室神社と名を改めて現在もある。なお、1994年には、同じ日野町の大字寺尻にある野田道遺跡(7
世紀後半)から、オンドルとよく似た石組み煙道の遺構を伴う竪穴住居跡が出土しており、『日本書紀』の記述を裏付け
るものと見られている(引用以上)。

五重(浄土宗)。
知恩院五重・・・・・・・知恩院(京都市東山区)で12/5〜26日に伝法の入信の儀式。  

祟神天皇の命日・・・・・・彼は崇神68年12月5日(または紀元前30年29年1月9日)に崩御した。崇神天皇とはどう言う
人物かについて「近畿掲示板」http://kinki.machi.to/bbs/read.pl?BBS=kinki&KEY=1133961928159 名前: 誰やねんっ 
投稿日: 2006/01/21(土) 21:24:59 ID:reD0ap2E [ tusp49.nirai.ne.jp ]から引用する。

★古代カラ半島国家の歴史2★【任那】地名の読みは、ミマナである。日本国の第十代大王(オオキミ)である崇神天
皇=孫木入彦命(ミマキイリヒコ)の御名を記念して命名された。地名の意味は「皇孫の名」である。志良岐の西側にあ
った日本国領土である。任那は、正確に言えば「国」ではない。ヤマト朝廷が直接統治する天皇家の「領地」であった。

神武天皇が日本国を建国する以前から、任那には多くの倭人が住んでいた。隣接する志良岐や久多良とともに、任那
は日本文明圏を構成する地域の一つだったのである。崇神天皇の時代に日本国の正式領土となった任那には、ヤマ
ト朝廷が管理する鉱山と製鉄所が置かれ、日本列島および志良岐、久多良へ鉄材が輸出されていた。

これらの鉄は、鍋などの生活用品を製造するための原材料として使われると同時に、剣や槍などの武器の製造にも利
用された。そのため、日本にとっての任那は、経済面だけでなく、軍事面でも重要な意味を持つ地域であった。任那に
はヤマトから派遣された軍が常駐していた。

任那の軍は、任那の独立を守るための組織であると同時に、志良岐および久多良に対する軍事支援を行う任務も持
っていた。また、カラ半島北部の騎馬民族勢力に対する監視活動・情報収集活動等も行っていた。朝鮮人国家の金氏
新羅に征服されるまでは、多くの倭人が居住し、日本文化が花開く美しい土地であった(以上、引用)。 

つまり彼・ミマキイリヒコとは「任那から戻った方」と意訳出来よう。所で奈良市のあの美しい伝・垂仁天皇陵はどうして
あの方角で築かれているのか。考古学者は其れに回答を出せない。科学とか考古学は「方位」と言う概念が分からな
いのに方位を否定して来たからです。

だが科学や学問の力では何をしても謎を深めた今、皮肉にも其の「方位」のキーで開けなければ謎が解けなくなって来
た。従って今、其の方位(時空)で回答をすれば、固有の方角が被葬者の命日を示す黙示録であり、メモリアルでした。
そうと分かれば発掘などしなくても陵の主が分かって来る。

時空を決する方角から回答すれば垂仁ではなくて実は彼の父・祟神天皇と判明する。@

其処とは別に奈良市内には前述の尼ヶ辻・宝来山(菅原伏見陵)がある。此処は今、彼(祟神)の皇子である11代・垂
仁天皇陵と治定されているが此れも一代違う。一代下がった理由は、父(崇神)のために次代の天皇となる皇子(垂
仁)が其処に弔いのために居着いた為に、より身近な知見だけが伝わった事になる。

此れは古代史マニアの筆者の無責任な虚構や仮説でもなければ一つの可能性でもない。暦、方位、遺跡と史実などを
組み合わせた結果に導き出した結論であり、確証である。もう一点傍証を述べれば、伝・崇神(菅原伏見)陵の南側は
日迎えのラインである。よって若宮に若様・姫様たちが点在して居着く事となる。@

加えて、近くに勾田町があるが、彼の陵が記紀に「勾岡上陵」とされていた事にもよる。つまり此の近くに崇神天皇陵が
なければならないと言う理由から治定の運びとなったのだろう。でも一部の傍証が正しくとも本物とはズレていた訳で
す。

祟神天皇の家族の時代は、此の一帯にまだ奈良湖が残る時代であった。崇神の和名・御間城入彦とは草原で牧場の
ような土地を治めていた方の娘・御間城姫に婿入りして其の地を受け継いだ入日子とも解釈できる。彼は磯城瑞離宮
を皇居とした。「瑞離」とは石垣の部類ではなく、「水辺の離れ」と言う意味である。

また崇神天皇の皇女の「渟名城入」とは「低湿地に入った方」を意味するだろう。今、桜井市のJR三輪駅東・大神神社
の社前に「磯城瑞離宮跡」の標示がある。今は駅前でも当時は大和川の源流、初瀬川の河原であったろうが、実際は
大神神社から約2km西にあった筈だ。此処が彼の終焉の地になった。

此処で12/5日に崩御したが故に、其処から12/5日・方位の宝来山(菅原伏見陵)を次の垂仁天皇が造って葬った事に
なります。とすれば三輪の人たちは2150年間、崇神天皇を忘れなかった事になる。

其れに比べて西洋世界の第一人者はキリストであるけれどもエルサレムには2000年前のキリストと言うたった一人の
事についてさえ確かな伝承がないのです(「ゴルゴダの丘」を参照)。また、世界に君臨したモンゴル帝国の皇帝・チン
ギス・ハーン(1162?〜1227)の墓地さえ未だ不明である。

其れに対して日本には2150年前からこの様にハッキリと歴代天皇陵や多くの伝承、其れに記紀が残されているのです
から何と素晴らしいではないですか。@

因みに鎮魂方位に位置する福井について、http://www5a.biglobe.ne.jp/~iwanee/fukui.htm「福井県」によれば、高浜町
宮崎59−3の左伎治神社 6月(元々・巳の年と亥の年ごとに旧暦六月卯の日から酉の日までの七日間) 曳山7台 横
町、赤尾町、本町、中町、大西、今在家、若宮では例祭をして来た。

崇神も彦坐王も此の神社のご祭神には入っていないが結構白羽の矢とか鬼伝説が有る。鬼とは天皇のお先棒を担い
だ侵攻勢力だったに違いない。尚、此の神社の「太刀振」は、この地方を代表する高名な芸能である。平成7年6月17
日が祭りの初日だった。

また逆方位の6/5日側は熊野市である。http://www.mikumano.net/zwakayama/gobo.htmlによれば、有馬には、「渡来
人が出雲から入りこみ、出雲の炭焼きを業とする集団で、縄文晩期に大挙して紀伊に移住した。」という伝承があると
言う。此処に花の窟神社(ハナノイワヤ)がある。

http://www.gtoweb.com/native/spot26_6.htm「花の窟神社」によれば、御神体は高さ約70mもある巨岩で、古くからの
漁民の葬送地、祭祀の遺跡ともいわれる。2月2日と10月2日に行われる花の窟のお綱かけ神事[県民俗]は、『日本
書紀』の伊弉冉尊(イザナミノミコト)が葬られた地との神話にも因む魂祭りである。

花の窟の名称は太古から花をもって祀る土俗風習があったからという。花の窟から西北に産田神社(ウブタ)がある。大
祭は1月10日の御弓[的射]、11月15日には厄除祭りがあり、「ホウハン」という膳が出て、氏子が食べる。産田神社
の神官は熊野国造の後裔とされる榎本氏が代々引継いでいた。

此方側は崇神の日迎え側になるからである。こうして見れば、次の垂仁天皇の宮古と陵もこのラインを主軸とすれば検
索出来る。結論から言えば、垂仁は今のJR郡山駅の北にある野垣内町に居着いていた。

此処にすれば父の命日には宝来山に向かって弔い、また逆の時期には三輪山の西を仰いで父の日迎えの祭りをする
位置づけになったからです。因みに鎮魂と迎えをすれば其の魂が「神上がり」し、やがてまた降臨できるので「神下り、
神さち」と考えられていた。

やがて其の垂仁も先の尼ヶ辻の宝来山を軸足にした郡山で7/3(別項参照)に崩御したので、逆に北方が日迎え方位
となる。具体的には宇治から志賀に至るラインが日迎え方位となる。よって次の12代・景行天皇(11/7を参照)が志賀
の宮に遷す事になります。

★10ねんねこ祭(12月第1日曜日)【和歌山県古座町、古葉神社】
★10笑い講(12月第1日曜日)【山口県防府市、小俣八幡宮】

■ひょうたん祭り 04/12月5日(日) (大分県千歳村柴山)・・・・・・頭にひょうたんを乗せ、大わらじを履いた「ひょうたん様」が、村を練り歩く千歳村の
奇祭。今から800年前、豊前・豊後の守護職・大友氏と、薩摩の豪族の間で続いていた戦を嘆いた宇佐八幡のご神霊が、その分霊にこの土地を治めさせよう
としていたことを 聞いた土地の豪族・益永豊武が、ひようたんに酒を詰め、流鏑馬、獅子舞などを柴山八幡に奉納したのが始まりと言う。

詳細URL http://www.vill.chitose.oita.jp/(メルマガ「なっとく歴史館」より転載)。
★10ひょうたん祭り(12月第1日曜日)【大分県豊後大野市】

モーツアルトの命日・・・・・・ピアニストで作曲家。ドイツ人で法王から黄金拍車勲章を受け、1791/12/5日に亡くなっ
た。最近は日本で人気が出て年末には決まってNHKはじめ各地のホールでベートーベンの第九と共に彼の曲が演奏
されるが不思議である。彼はカトリック教徒でしかもフリーメーソンだった。

因みに第九はソ連やヒットラーのシンボルとして盛んに歌われた(国歌として)。



















































12/ 6    

                         
★09木幡の幡祭り(12月第1日曜日)【福島県二本松市東和町、隠津島神社】
■徳川光圀の命日・・・・・・元禄13年12/6甲子だがグレゴリオ暦では1701/1/14になる。

▼09鷲宮催馬楽神楽・・・・・・・・・埼玉県鷲宮町の鷲宮神社で毎年12月の初酉の日。
★09五井大市・・・・・・・・千葉県市原市で毎年12月の第1土・日曜日。
■例年秋葉山権現火防祭・・・・・・・神奈川県小田原市、量覚院で1250年の伝統ある修験祭。

■日蓮宗の大根だき・・・・・・・日蓮聖人の忌み日に因んだ報恩法要に合わせて行われる。中風封じの効があるとも言
われる。京都市の三宝寺で、七日まで。
懺悔の行・・・・・・・清涼寺(京都市右京区)で12/6〜8日。

■03代・安寧天皇の命日・・・・・・・@
▼09旧・えびす講・旧・誓文払い。

★09ねんねこ祭(12月第1日曜日)【和歌山県古座町、古葉(木葉)神社】
★09笑い講(12月第1日曜日)【山口県防府市、小俣八幡宮】

★09ひょうたん祭り・・・・・・・・・大分県豊後大野市の柴山八幡社で毎年12月の第1日曜日。


















































12/ 7  


06-07-09大雪。  
★08木幡の幡祭り(12月第1日曜日)【福島県二本松市、隠津島神社】

■例年大根焚き(〜8日) 千本釈迦堂・だいこん炊き・・・・・・京都・上京区の千本釈迦堂(大報恩寺075-461-5973)で
は例年12/7〜8日に「大根だき」があり、約4000本が大鍋11ヶで炊き上げられる。

此れは釈迦が悟りを開いた12/8日に因む行事で、鎌倉時代に大根の切り口に梵字を書いて本尊に供えて「中風・諸
病」ヨケの祈願で魔除けとしたのが起源。「此れ(1000円)を食べれば中風や悪病よけになる」と言い伝えられている
(07/11/---朝日新聞)。

動画大根焚き 12月上旬 京都市
http://www.omatsuri.com/movie/daikon.html

★08久延彦神社・秋の大祭・・・・・・・奈良県桜井市の大神神社の摂社・久延彦神社で毎年12月の第一日曜日に行う。
この神は「山田の案山子」とも「知恵の神様」としても信仰され、大祭と入試合格安全祈願祭がある。

■43元明天皇の命日・・・・・・・以下、引用する。元明天皇(女性)は天智天皇の第四皇女で持統天皇とは異母姉妹。即
位前の名は阿閉皇女(あへのひめみこ)。母は蘇我倉山田石川麻呂の娘、姪娘(めいのいらつめ)。天武天皇と持統
天皇の子・草壁皇子の正妃で、文武天皇と元正天皇、吉備内親王(次女)の母。

和風諱号は「日本根子天津御代豊國成姫天皇」(やまとねこあまつみしろとよくになりひめのすめらみこと)である。文
武天皇は病に倒れたとき母・阿閉皇女への譲位をほのめかしていたが、固辞している間に707年6月に崩御。文武天
皇の子である首(おびと)皇子(後の聖武天皇)がまだ幼かったため、中継ぎとして即位した。

708年に武蔵国秩父より和銅が献じられたので、和銅に改元し、和同開珎を鋳造させた。この時期は701年に作られた
大宝律令を整備し、運用していく時代であった、その為実務に長けていた藤原不比等を重用した。710年、藤原京より
平城京に遷都した。

左大臣石上麻呂を藤原京の管理者として残したため、右大臣藤原不比等が事実上の最高権力者になった。 712年、
古事記が献上された。715年9月2日、自身の老いと首皇子がまだ若いと言う理由で娘の氷高(ひたか)皇女(元正天
皇)に譲位し、721年に崩御した(以上、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E6%98%8E%E5%A4%A9%E7%9A%87より引用)。彼女は天智天皇の皇女であり、
姉が先に持統天皇となったが、次が彼女の嫡子である42文武天皇/かる皇子・倭根子豊祖父天皇(後藤原宮御宇天
皇//藤原宮/檜隈安古岡上陵/慶雲4/6/辛巳15=707/7/18-7/22)が即位した。

しかし在位10年で息子(かる皇子)が先立ってしまった。其処でこの後を自ら引き継いで即位した。従って彼女は第43
代・元明天皇(阿閇皇女・日本根子天津御代豊国成姫天皇)と言われた。即位3年後の710年に藤原宮から平城宮へ
遷都し、古事記と風土記の編纂をならしめた賢母であり、かつ優れた女帝だったと言われる。

その後を44元正天皇に譲位して後に崩御し、遺言により火葬の上、奈保山東陵に葬られた。命日は養老5/12/己
卯7=721/12/29-722/1/2である。尚、彼女の陵に基皇子(9/13を参照)も葬られたと言う。以下、方位から検証する。

彼女は母として、また国事行為の国祭として、文武のために命日方位とは逆のこの平城に向かい、今は旗塚古墳と言
われる前方後円墳(主軸は12/17〜19←→6/17〜19)を造った。此処が文武の陵である。そして其の文武の日迎えの
ために新宮を平城宮に遷した事になる。其の彼女もやがて譲位し、太上天皇として61歳の時に中安殿で崩御した。

彼女は生前から簡素を旨とし、葬儀をせず火葬して「蔵宝山」に簡単に葬れと遺言した。しかし庶民と同じと言う訳にも
行かない。なので少なくとも命日である12/7方位に葬った筈である。ただ今となっては「蔵宝山」と言う所が何処か不
明であり、しかも続日本紀には更に埋葬地について「椎(ナラ・シイ)山」とあるので判断に迷う。

墓碑・碑文と言うのも函石谷と言う所から見つかったとして今は平城京の東にある養老ヶ峰の「奈保山東陵」が治定さ
れている。だが怪しげな墓碑・碑文だけが根拠では疑問である。方位も合わない。寧ろ平城京の北には此の方位を主
軸とした瓢箪山古墳と言う小型の前方後円墳があるので其処に葬られた可能性がある。

先の基皇子が元明陵に合葬されたとも言われる。ただ瓢箪山古墳(元明陵)の主軸は平城京の大極殿には向いてい
ない。もっと南方の四条、柏木町辺りに向かっているので、此処が彼女の晩年の宮だったのかも知れない。つまり内裏
を遷した後に改葬された可能性がある。

尚、東大寺は聖武天皇の皇太子(基王)が神亀5(728)年9月13日に亡くなった為に、其の菩提を弔うために金鐘山
寺を建てた事に始まる。だから其の日の対極に当たるこの日が祭りのピークとなる訳です(3/12「お水取り」を参照)。
さて、改葬するには命日の日付が根拠となる。@

但し、今は西ノ宮神社の神山になっている。尚、以上の3陵は既存の文献で示された所かどうか不明であり、その後に
治定された陵とも違う。違うけれども暦・方位では略合致するのである。因みに次の44元正天皇陵が先の「奈保山東
陵」の西にあり、此の主軸が命日方位に略合致する(4/21、及び5/17を参照)。

★08ねんねこ祭(12月第1日曜日)【和歌山県東牟婁郡古座町、木葉神社】
★08笑い講(12月第1日曜日)【山口県防府市大字台道、小俣八幡宮】
































































12/ 8    
           

■例年-納めの薬師。    ■例年-事納め。針供養   ■例年-成道会(各宗、臘八会)。  
            
■例年-事納め・・・・・・・12月8日はコト八日でミカエリ婆さんがやって来る。「コト八日」のコトは「神事」の「事」であり、
12月8日を「事納め」、そして2月8日を「事始め」と言います。この日は昔から、上記のように目に関する妖怪が家々
を訪れる日とされて恐れられて来た。

針供養をする日でもありますが、これは仕事を休んで正月に向けての物忌みをすると共に、「針の目」=「目が一つ」
で、針を使わず休める事が一つ目の妖怪を鎮めるのにも関係しています。また、妖怪避けとしてザルやカゴを竿の先
につるしておきます。

ザルやカゴには編み目がたくさんありますよね。その目の多さに驚いて、目が一つしかない妖怪は逃げ出してしまうの
だとか。また、ザルの目の多さに適う妖怪自体もそうそういないので、妖怪一般はザルやカゴが苦手なようです。

そんな妖怪が家々を覗く、ちょっと怖いコト八日ですが、先に述べた通り、12月と2月の二回あります。2月のコト八日
の前日、7日は「山の講」と言って、山の神様が山の木を数えるとされています。

この日に山へ入ると山の神様と出くわし、木にされてしまうという伝説が各地に残っています。また、神様は数える時、
何本かごとに二つの木の枝をきゅっとねじって目印にするので、間違ってねじられてしまうという話も聞きます。

そして2月8日は「山の神が木を数える時になくした頭巾を探す日」とされ、この日も入山禁止にされていました。ですか
ら、共に仕事を休み、物忌みにこもる日でもあったのです。木を数えると言う事は、それによって不足している分も分か
ると言う事。

12月から2月にかけて力をためた山神が、不足物を誕生させ、いよいよ春の発動となるのが2月のコト八日なのです。
よって、この一年で衰えた力を2月に向けて蓄える為、山神が山にこもって力をためる「こもり」に入る日が、12月8日
のコト八日に当たるのです。

また、竿の先にカゴをつるすのも、魔除けというだけではなく、高く掲げたザルで太陽を象徴し、当時で衰えた太陽の復
活を祈るものであるという説があります。農耕民族であった日本人にとって、太陽の光はとても大切なもの。

その光を求める気持ちが、コト八日に込められているのです。では何故、この日に見返り婆さんや一つ目小僧がやって
来るのでしょうか。見返り婆さんは「ミカワリ婆さん」であったという説があります。物忌みは「ミカワリ」とも言い、「身変わ
り」に通じます。

日頃の自分の心身を清め、正月に向けて年神様をお迎えできるような「身に変わる」のです。しかし一説には、「見返
り」は「目借り」だという少々怖い説もあります。目を借りにくる妖怪、という事になり、恐れられるのも無理ありません。

一つ目小僧は目が一つしかありませんが、見返り婆さんを「目借り」とするとどちらも目を求め、光を求める「光の喪失
者」を表します。光を求めてさまようと書くと何だか切なく感じられる妖怪ですが、きっと昔の人々も、生活を左右する太
陽の光を、切ない程求めていたのでしょう。

コト八日の夜には、街を歩く見返り婆さんや、窓からこちらを覗く一つ目小僧と目が合うかも知れませんね。【作務衣の
専門館 伝統芸術を着る会】「知的道楽」# http://www.samue-e.com/より引用。

■07-08-09-10貫前神社の鹿占神事【群馬県富岡市、一之宮貫前神社】

成道会・・・・・・・浅草寺(東京都台東区)。
■07池ノ上みそぎ祭り(裸祭り)(12月第2土曜〜日曜日)【岐阜市、葛懸神社】

阿賀神社(太郎坊宮)・お火焚大祭・・・・・〒527-8691  滋賀県東近江市(旧・八日市市)小脇町2247---電話07
48−23−1341(代)FAX0748−25−0787----3月24日例祭。12月8日(12/第1日曜) 午前10時から「お火
焚大祭」。

この辺は昔・蒲生(がもう)野と伝えられ、社伝には欽明天皇の御代聖徳太子が、又伝教大師が参篭され、広大なご神
徳に感銘され、五十余の社坊を建立して廟社を守護させられた。神道に天台山岳仏教と修験道の信仰が相交わり、
特殊な信仰形態のもとに、今日の太郎坊信仰が確立された。

当社は八日市市が一望できる赤神山の中腹にあり、全山巨岩が多く、見るからに神秘な霊山で、神体山信仰、盤境信
仰の発祥の地であるといわれている。山上には奥津磐境、山麓には辺津磐座と祭祀場がある。以上、http://kamnavi.
jp/en/oumi/taroubou.htm「阿賀神社(太郎坊宮)」より引用。

ご祭神は正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊(天照大御神の第一皇子神) ご神木に願いを託し忌火で焚き上げる当宮最大
の祭儀。修験者によるお火焚神事は勇壮であり、最後に火渡り神事も執り行われる。さて、皇子が祭るのは親である。
即ち天照大御神と言う事になり、其れならば3/24日は天照大御神のご命日か祭日(注1)と仮定できる。

(注1)10/17日、または9/15日など今では諸説あって定説なし。定説はないが、命日・祭日を此のラインとすれば、
其の先は静岡市---島根(三瓶山)に至るのだ。(注2)国引き伝説などがある三瓶山(さんべ山)の標高は1126m。3600
年前の噴火による火山。

そして12/8日は彼・忍穗耳(オシホミミ)尊の命日か祭日と言う事になる。3/24---9/22.5方位は関東と九州であり、12
/12.5---6/13方位には気比神宮と紀伊長島がある。

因みに、近江鉄道の太郎坊宮駅前に立つ「一の鳥居」から長い参道が伸びて 太郎坊宮と其の先の山頂の赤神山(太
郎坊山)が見える。鳥居の中にすっぽり入って見える。其の方位・暦が12/12.5日を示している。とすれば、日本の天孫
降臨の実態を解く鍵が此処にあるかも知れない。

■06大根だき・・・・・・京都市上京区・西陣の千本釈迦堂。此処には六道(地獄・極楽・餓鬼・畜生・修羅・人天)の浮世
に生きる人を救う六観音が祀られている。また此処は鎌倉時代に此の寺を建てた大工の棟梁・長井高次夫人・お亀
(オカメさん)に縁りの寺である。彼女は夫の失敗を救い、知恵を貸し、無事落成を祈って自害した。

なので以来、大工が信仰し、或は夫婦円満の福を求めて参詣者が集うと言う(06/10/14のNHK総合TVより引用)。

■例年-針供養・大法会・・・・・・京都市西京区・虚空蔵法輪寺で10日まで。使い古した裁縫針に感謝する「針供養」。

本尊の虚空蔵菩薩が知恵や技芸の守護仏として古くから信仰を集め、平安時代に清和天皇が針を納めるお堂を建て
たのが起源と言われています(メルマガ「なっとく歴史館」より転載)。詳細は下記URL http://www2.ocn.ne.jp/~horinji/

■06針供養・・・・・・・木野の針神社でも行う(京都市)。 
■06石上神宮・お火焚祭・・・・・・奈良天理市。石上神宮0743-62-0900
■06霊山寺・納薬師法会・・・・・・奈良市の霊山寺・本堂で。霊山寺0742-45-0081

■25武烈天皇の命日・・・・・・・彼は小泊瀬こはつせわかさざきの尊と言われたが、仁賢天皇の後の天皇として泊瀬列城
宮にて即位し、春日娘子を皇后に立て、やがて多くの不名誉な事跡を残して武烈8年12/己亥8/507/1/7-1/9に崩
御した。だが嫡子がなく、此処に仁徳系の皇統を絶やした。

やがて片岡之石坏岡也/傍丘磐杯丘陵/傍丘磐杯丘北陵に葬られた事と記紀などでは伝えている。其処でそもそも彼
の立脚点から意味を問えば、先帝である24仁賢天皇が石上広高宮にて崩御した。このため埴生坂本陵に葬られたと
して、その軸線に沿った所に宮を設けて即位した訳であり、その宮が先の泊瀬列城宮と呼ばれた訳である。

其の辺りの傍証については先ず桜井市の出雲に十二柱神社があり、其の中の末社として武烈天皇社があって彼が祭
られているので、此処が泊瀬列城宮であると見られている。次に彼の傍丘磐杯丘北陵とは何処かと言えば、かつては
大和高田市の築山古墳とされ、今は香芝市大泉の丘陵地が治定されている。

だが、即位までの経緯からすれば、方位で見るまでもなく上記の二つの候補地は何れも全くの見当外れと分かる。当
時の逸話に出て来るツバイチ(海杜榴市)などの場所から見ても、宮は先の十二柱神社ではなくて桜井市の巻向、つま
り「箸中辺り」と推定した方が無理がない。

其処で仮に「箸中辺り」が宮だったとすれば、其処から命日の12/8日の方位には柳本大塚古墳(12/13向き)94mとか、
伝・神功皇后陵(12/8向き)、それに大安寺墓山古墳、同杉山古墳などがあるが、中でも伝・神功皇后陵が、彼の命日
(12/8向き)に全く合致するのです。

とすれば、次の26継体天皇が何故、筒城宮(山城)や弟国宮(同)、そして磐余玉穂宮へと遷宮を重ねたかの謎が判明
する。何れも武烈天皇の命日ラインに重なるからである。よって彼(継体2/7日を参照)は、先帝(武烈)の鎮魂と日迎え
の宮を経て玉穂宮に入った訳であり、其れが即位のための掟(手続き)だった事が分かります。 

以下、次の継体2/7日を参照。

■06法隆寺お身拭い・・・・・・・奈良・斑鳩町。法隆寺0745-75-2555
■白鳥神社おみかん焼き・・・・・・・香川・東香川市。

■御斎いみ祭・・・・・・・下関の長門一ノ宮・住吉神社で12/8〜15.
■ふいご祭り・・・・・・・福岡・久留米市、大学稲荷神社。
■09-10田代風流【福岡県黒木町、八龍神社】

開戦記念日・・・・・・・1941年のこの日、日本が真珠湾を攻撃した日。だが其処にはボロ船ばかり並べられていた。
宣戦布告の通知が妨害されて日本は卑怯にも突然に奇襲攻撃したように演出された。米英中三国の罠に嵌められて
正義が彼らの側に創作されたのである。

★s21/12/8、シベリア引き揚げ第一船、舞鶴入港。











































12/ 9 


■07-08-09関のボロ市(〜10日)【東京都練馬区、本立寺】 

■06池ノ上裸祭り(みそぎ祭り)【岐阜市、葛懸神社】
報恩講・・・・・・・12/9〜16日。証誠寺(福井県鯖江市)。 

■例年-鳴滝の大根焚き・・・・・・・京都市右京区、了徳寺075-463-0714で12/9〜10日、親鸞聖人の事跡にちなみ、塩
煮大根を聖人の影前に供え、報恩講を行う。この大根を食べると中風にならぬという。 

仏名会・・・・・・・壷坂寺(奈良県高取町)。
■06-07-09漱石忌。
◆07岡山最上稲荷・火焚き祭。

































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■「神々の歳時記」の各項目のご理解には「366円暦」が必要です。円暦は別紙の「日読み1」http://toki.mikosi.com/
page044.htmlで公開していますが、其の実物を希望される方は末尾に従ってご請求下さい。

■尚、各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年06-07と追加する形で示していますので、
*開催日等の詳細には主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。

■「神々の歳時記」に記した例は仮説ではなくて、太陽暦に重ねて古式祭による祭政一致を行っていた古からの日本
文化の原理です。其の具体例を今回、公開したものですが、海外への情報流失防止のため、特に「本文」については0
4/11月から「非公開」としました。

■@マークの付いた以下の部分が「非公開」部分です・・・・・・・@マーク以下には「地理・方位の具体例と其の意味や
暦との関係式」などの詳細を隠しています。この隠れた部分の資料をご希望の方は、「メールフォーム」または「掲示
板」からコンタクト下されば実費で郵送します。

■文中に誤記や間違いがありましたら、恐れ入りますが前項の方法で下記まで御一報賜れば幸いです。尚、参考文献
は巻末に記しました。  



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