http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」 p144 (未定稿) 神々の歳時記 10月中旬 但し方位による ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ ●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起 の意味を解説し、方位から正当性 を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」メルマガ全国版 http://www.omatsuri.com/mailmag/ 及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-10月」より一部引用・転載させて頂きました。 ■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記 には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の 詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。 10月中旬 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ 10/10 ■日蓮上人佐渡法難会(日蓮宗)。 ■掛川大祭・・・・・・日本一の大きさを誇る「仁藤の獅子」が乱舞する。静岡・掛川市で13日まで。この祭りが熊野三神 社(主神・イザナミ)の祭りであるとすれば、多賀大社と合致する。 ■飛騨・高山の秋祭り・・・・・・・・桜山八幡宮で10/9(前項を参照)〜10日。 ■若狭彦神社・上社の例祭・・・・・・・・若狭一ノ宮である若狭彦姫両社は元々鵜の瀬の白石神社近くにあったが、元明 天皇の時代に現在地に鎮座となった。尚、下社は元正天皇の時である。@ ■名古屋まつり・・・・・・名古屋市で10/10〜12まで。 ■かんこ踊・・・・・・・珊瑚寺(三重県)。 ■伊勢おおまつり・・・・・・三重・伊勢市で、17日まで。 ■長浜の豊公まつり・・・・・・滋賀・長浜市。太閤秀吉を偲ぶ祭りで、仮装行列が4km練り歩く。 ■粟田神社の「夜渡り神事」・・・・・・・・京都市で12〜14日を除く15日まで。 ■十夜講鉦打・・・・・・・誓願寺(京都市中京区)で10/10〜14日。 ■浄名会・・・・・・・興福寺(奈良市登大路町)。 ■万灯院丁講会・・・・・・・四天王寺(大阪市天王寺区)。 ■36孝徳天皇の命日か・・・・・・彼は軽皇子と言われた。彼については大化の改新(645)の直前、皇極天皇の面前で 蘇我入鹿を暗殺した乙巳の変の「陰の首謀者である」と言う(学習院大・遠山説)。 暗殺の2日後に皇極天皇の退位と交代するように彼(天万豊日尊)が孝徳天皇として即位した事は矢張り不自然であ る。だが彼は孝徳天皇として「大化の改新」で公地公民制にした。此れが一般には「新日本統一の石杖となった」と評 価されている。 其の彼もやがて難波長柄豊碕宮で崩御となったのが白雉5/10/10(暦換算654/11/24-11/27)の事でした。@ ■みかん祭り・・・・・・和歌山・海南市のみかんの発祥地、橘本神社の祭り。 ■笑い祭・・・・・・和歌山・川辺町の丹生神社で。 ■丹波の柏原八幡神社の例祭・・・・・10/9日(10/9日を参照)から。 ■06-07金刀比羅宮例大祭・・・・・・香川・琴平町。金刀比羅宮は大物主神と、後に崇徳天皇を相祭る金刀比羅大権現 と言う宮になったが、同時に象頭山・ 松尾寺と言う寺院でもあった。785段と言う観光客泣かせの長い石段がまた観 光名物でもある。縁日・例大祭はこの日10/9〜11の御神幸「お頭人さん」の神事である。@ 因みに金刀比羅宮の金の字は当用漢字にない古字である。ハッキリした記憶ではないが、屋根冠に長、または今と 正、または今と玉を重ねたような字を示している。 ■牛喰い絶叫大会【大分県湯布市】 ★06-07目の愛護デー。 10/11 ■十三詣・・・・・・・蓮昌寺(福島県)で10/11〜13日。 ★08名古屋まつり(10月第2土曜〜日曜日)【愛知県名古屋市】 ■津島ライン・・・・・・愛知。京都祇園祭と同様、牛頭天王を祭り、「天王祭」とも言われる津島神社の祭礼が6/14〜 15日であるが、春川・ソシモリと津島のラインが10/11-4/11である。 ★08大津祭(体育の日前々日の土曜〜日曜日)【滋賀県大津市、天孫神社】 ■土御門天皇の命日・・・・・・凡そ800年前、彼は後鳥羽天皇の次の83代天皇として即位したが在位14年で退位して 風月・和歌に生きた。承久の乱以後は自ら求めて土佐に、次いで阿波に遷り、37歳の寛喜3(1231)年のこの日に同 地で崩じた。因みに皇后は源在子、中宮が藤原麗子と推定する。 さて先の命日を和暦と見て旧暦にすれば9/14となり、また10/11を旧暦と見てユリウス暦にすれば同年11/6と なるので真の命日を確定不能となる。よって史実から見直せば鳴門・池谷で火葬して円墳とし、後に京都・長岡京市の 金原寺に金原陵(八角墳)を造ったと言われる。 長岡京市の南、淀川西岸の景勝地である島本町広瀬には彼をご祭神とする水無瀬神宮があって例祭を12/7として いる。其の理由は、彼・土御門の誕生日12/2にも近い日であるが、実は父・後鳥羽上皇の神霊を隠岐から迎えた日 である。なので別に後鳥羽、土御門、順徳の三上皇の命日には此処で私祭をしている。 また彼の命日ラインには淀川、木津川の対岸に極楽寺があるものの、平安宮とも金原陵とも上記の暦・方位の何れと も合わない。其処で阿波を検証する外はない。鳴門市の火葬塚には小さくて粗末な丸山神社が有ったが、ご祭神を土 御門天皇として昭和に改修して阿波神社と改称した。@ 京の都では彼の遺跡が不明となったが、阿波ではこの日、9/4日の後半に崩御された事を、この様に一列に寺が並 んで黙示している。其れだけ重きを以って守られて来たとも見られる。ただ明治の改暦で例祭が1ヶ月ズレたのだろう。 御所神社の例祭が10/18、今は10/第3日曜日としている点である。 ともあれ当時は寛喜の大飢饉。1232年には彗星が出現して86後堀河天皇が責任を負い、四条天皇に譲位した。 京都の飢饉とは別に、此の地・鳴門は昔から藍と塩の産地として栄え、また今はレンコンが西日本一の特産地であり、 名所では鳴門の渦と狸の里がある。 ■06-07高鴨神社・宵宮・・・・・・奈良・御所市で加茂大神(アジスキ)を祭る当社では此の日に宵宮、明くる11日が秋祭 り。 ■三都神社・例祭・・・・・・大阪狭山市で、泉北や狭山の地名の起源となった古い由緒の神社であるが、今は町中にあ るにも関わらず地理的に目立たない位置にある。此の神社の境内には春日社、初辰大神、熊野三宝荒神、稲荷大 神、祖霊社、毘沙門天堂、吉祥水天宮、三都夷本殿、三都夷拝殿などが有る。 更に此処にはかつて金蔵寺があり、光明院跡、西室院跡、地蔵院跡などの地名が残っている(07/1/3のre-lifeより引 用)。こんなに並べてしまうとアニミズム的になり、かなり如何わしい神社と見られるだろうが、そう見るのは誤解であ る。寧ろ、かなり古くから信仰の拠点として広く伽藍が広がり、栄えていたものと考えるべきである。 例祭が本日10/11日としたのは、明治40年末に8社合祀の時である。其れまでは熊野神社と呼ばれ、別名「今熊野」と 呼ばれた。遠い熊野までお参り出来ない人のために分社したものと今では考えられているがそうではない。ただ、遠い 熊野詣をしたのと同じ御利益があるとして信仰されている、と言うのは確かであろう。 と言うのは、単なる分社ではなくて、熊野と6/1日の暦方位で直結しているからである。此処から6月1日方位には、熊野 の青岸渡寺と那智大社があるからだ。しかも大阪の住吉大社---三都神社---次項の長野神社---青岸渡寺---那智 大社と一直線で並んでいる。並んでいるだけではなく、天野街道と言う旧巡礼街道が伸びている。 しかし、熊野では此の日を旧暦と見て西暦の7/14日と解釈し、よって熊野那智大社では7/14日に扇祭りを行なうように なったに違いない。因みに07/7/14は旧暦6/1日に当る。さて本日、三都神社・例祭(秋祭り)では伊勢神楽が奉げられ る。また住吉大社の神宮寺が明治になくなっていて不明だが、西向きの第二本宮に対して鳥居が巽にもあるのだ。@ 其のように見れば、熊野側が神で、日本海側が鬼となる形に見えます。 ■06-07-08長野神社・例祭・・・・・・・前項の三都神社を参照。大阪・河内長野市の此処・長野神社(梶野行敦・宮司) は昔から高野街道の宿場として栄え、当社は木屋堂(こやど)の宮と呼ばれて来た。鎌倉後期の「後宇多院御幸記」には 昼御饌をしたと記されている。 例祭では先ず10/10日に宵宮があり、翌日11日に松明立て(5mの左義鳥)神事があり、市の無形民俗文化財であ る。其の由来は当初、ご鎮座の折り、鎮座地を間違えないように松明を焚いて迎えたからだと言われる。確かにこの時 期のこの日の方位は彼岸を過ぎた時期ですから日暮れから夕闇が迫る時刻・方位になる。 従って各地点で篝火を焚き、その間を松明のリレーで迎えた事だろう。松明は昼間ではなくて夜に焚くものであり、或い は「太を待つ」火の神事である。 だが今は当日の午前11時に点火するので午後3時頃には消える。此れに前後して市内各社でも秋祭りが繰り広げら れ、05年は10/8(土)から9(日)、06年は10/7〜8日、07年は10/6(土)-10/7(日)まで。但し★08年からは10月の第2土 日、即ち08年は10/11-12日となった。 ただ岸和田式ダンジリ30基ほどが市内を曳き回される中で、長野神社の松明神事は昔から10/11日を変えずに守 って来た。ダンジリについては平野部の岸和田と違って、山坂ばかりの当地では突っ走る所が少ないので精々引き回 す程度だから実は迫力がない。 加えて体育の日のこの時期は何処でも秋祭りシーズンですから在り来たりのダンジリでは普通の村祭りの中に埋没す る。 さて長野神社の場合は主神が八坂の神・牛頭天王(スサノオノミコト)である。其の点については先ず八坂神社の例祭6 /15日(別項を参照)と同方向には、先ず三日市遺跡があり、環頭太刀などが出土している。更に其の先の6/15日・方 位には大日寺跡、其の先の唐久谷にはかつて旧・和佐神社(蔵福寺跡)があり、主祭神がスサノオノミコトである。 この為か本殿は本日の祭りの方位ではなくて、八坂神社と同様、ほぼ南向きに建ち、鳥居も西向きである。しかも逆 (12/15日)方位には消防署の東に山上講の石塔群が残っている。更に進めば原の天神、其の先の須賀地区には旧・ 鳴尾神社があり、此処も主祭神がスサノオノミコトである。 しかも当地では鳴尾と書いてドンドと呼ぶのであるが、その意味が謎である。一説には「此の辺りは昔から滝畑や寺ヶ 池からの水が石川に流れ落ちる放出口になっていたので其の水音が鳴る音からだ」とも言われるが、寧ろ左義長がド ンドとも言われて来た事と重ねて見れば謎がハッキリ解ける。 此処で12/15日か6/15日にドンドを焚いてスサノヲの神を迎えたと言う事になる。では本日の例祭が祇園祭なのかと言 えばそうではない。当社では外に熊野五社明神として熊野三神と多賀(イザナギ、イザナミ)神、春日宮(武甕槌命、天 児屋根命)、八幡(品陀別命、息長帯姫)、高良宮(玉垂尊、武内宿弥)の五社を祭って来た。 其処で先ず本日の方位から検証すれば其のラインは紀伊長島←→吉野←→金剛山北←→河内長野市に至り、此処 から←→泉大津←→明石←→出雲を拝礼する位置づけの祭りと分かる。@ さて長野神社の例祭が松明神事である事は、言わば「火祭り」ですから昼間では無意味です。10/11の方位もまたこ の時期は夕闇の時刻になり、特にこの日(10/11日)の方位は時刻にして午後9時頃となります。 其処で本来は、見通しの良い丘から峰伝いに狼煙を上げ、夜は松明を焚いて神の到来を次々中継して泉州沖から金 剛山へ送る「谷渡り」の「火渡り」の祭りだったと推定出来る。当地は「長野」と言うが、「長い野原」ではなくて実は石川 の狭い谷間である。従ってダンジリよりも篝(かがり)火や松明(たいまつ)のほうが設備も人数も少なくて足りる。 翌10/12日には略対極の住吉神社で今も定例の「馬駆け神事」が07/10/8日(05/10/10日、今は第2月曜)に行われた。これも 多人数はいらない。山坂が多い所は田や川や谷も多い。川には今のように多くの橋があった訳ではない。だから当社 のダンジリは昔は船ダンジリだった(郷土史家・竹鼻氏談)。普通のダンジリは川を渡れない。 此処はメインストリートとして高野街道が有ったものの、道幅が精々1〜2間(1.8〜3.6m)であったろうから巨大なダン ジリは無理だった。逆に言えば、ダンジリさえなければ多くの人数や予算が少なくても祭りが出来た。しかし今は昼間 に、山坂が多いこの地で重たい岸和田式ダンジリを引き回している。此れは高額だ。 しかも人寄せの必要から土日に変更した。此れでは無理があるから永続するのは大変だ。 さて、長野神社の其の後ろには金剛山(葛城山)と奈良・吉野が位置するが、葛城は神武天皇を婿養子として迎えた鴨 王の聖地であり、此処から鴨の役(えだち)としての役小角が出て修験道を開創した。そうした経緯からなのか、当市で も昔から「山上講」が盛んである。 其の葛城の奥の吉野では、本日とは逆の時期の春4/11〜12日に金峰山(キンプセン)寺・蔵王堂では「さくら祭り」があ る。此れは吉野から長島の神を迎えて祭る意味があるが、今は「桜の開花を本尊の蔵王権現に報告する祭り」とし、平 安時代からの伝統行事「花くえ式」であるとしている(4/11日の「「花供会式」を参照)。 とすれば当社の五社明神の神名とは一致しない。ただニギハヤヒが熊野神の一神とすれば、決め手とはならないもの の彼の降臨伝説の中でも一番古い鎮魂の祭りの可能性がある。 ■錦織神社・秋祭り・・・・・・・大阪・富田林市でスサノヲノミコトを祭る。10月の第2土日、または10/11〜12日。 ★08岸和田秋まつり(山手地区のだんじり)(体育の日前々日の土曜〜日曜日) 【大阪府岸和田市、山側】 ■06-07海神社・祭・・・・・・・・神戸市。 ご祭神は上津綿津見命。 ■祖谷(いや)平家まつり・・・・・・12日まで。徳島・東祖谷山村。 ★08那覇まつり(那覇大綱挽)(体育の日前々日〜体育の日)【沖縄県那覇市】 10/12 ★08狐の夜祭り(体育の日前日の日曜日)【新潟県高柳町】 ■会式・・・・・・・仏眼寺(福島県)。 ■会式・・・・・・・上田寺(栃木県)。 ■椋神社の龍勢まつり・・・・・・埼玉・吉田町。口径3寸ほどの火薬筒を青竹に縛り付けて点火し、ロケットのように噴 射、約300m上空に舞い上げる。 ■06-07日蓮上人忌・・・・・・東京池上本門寺(東京都太田区)の御会式(11〜13日)。 ■雑司ケ谷鬼子母神会式・・・・・・・法明寺(東京都豊島区)で10/12〜18日に万燈練供養がある。芒製のミミズクの玩 具などの露店でにぎわう。 ■06-07東京・鶴見・総持寺御征忌・開山忌・・・・・・・総持寺(横浜市鶴見区)で10/12〜15日。 ■御詠歌・・・・・・・鶴川薬師堂(東京都町田市)。 ■身延山・御会式・万燈行列・・・・・・日蓮聖人の命日法要で、全国から43講2000人が参加。山梨・身延町の日蓮宗 総本山・身延山久遠寺。 ■御名香うけ・・・・・・・大石寺(静岡県)。 ■06-07-08芭蕉忌1・・・・・・10月12日。三重県上野市。 ■牛祭・・・・・・・広隆寺(京都市右京区)では摩咤羅神が赤鬼や青鬼の四天王を供に牛に乗って境内を一巡。五穀豊 穣・悪魔退散を祈願する。 ■虫供養・・・・・・・高山寺(京都市右京区)で10/12〜13日。 ★08秋の大茶盛(10月第2日曜日)【奈良市、西大寺】 ★08玉列(たまつら)神社の御例祭・・・・・・奈良・桜井市の大神(三輪)神社の摂社として、三輪山の南麓の慈恩寺にて玉 列王子神を祭る当社(式内社・玉椿明神)07444-2-6738では毎年10/12-13日に御例祭となる。境内には「玉の井」と呼ばれ る霊泉や子宝石がある。 因みに玉列王子神は大物主神の神子(みこ)神であり、また同じ摂社として大宇多の大神神社ではみめ(神女・姫)神を祭っ ている。当社(玉椿明神)の付近は古代の市、つば市(海柘榴市・椿市)があった所。此処では歌垣が繰り広げられ、万葉 集にも登場する。また初瀬川の岸には「仏教伝来の地」の石碑が立てられている。 現在は境内南に阿弥陀堂がある外、薬師堂が現在は社務所になっている。また本殿奥の山中には巨石磐座(いわくら) がある。また毎年3月の第三日曜日に椿祭りをする。此のころ、境内には数十種類の花椿400本が見ごろとなる。 ★08笑い祭(体育の日前日の日曜日)【和歌山県日高町、丹生神社】 ■海神社・神幸祭(神戸市)・・・・・・・http://www.hi-net.zaq.ne.jp/bubjb606/kaijinja.html「海神社」より引用。海上安全・ 正業繁栄・安産の守護神。今から千数百年の昔、神功皇后が三韓よりの帰路、暴風怒涛のため船を進めることが出 来なくなり、皇后自ら綿津見三神を祀り御祈祷したところ、たちまち風波は収まり、無事都に帰った。 そのとき神功皇后が綿津見三神を仰いだのが、鎮座の由来。『延喜式』には播磨の国の「名神大社」として記されてい る。航海安全・漁業繁栄の神として仰がれるのはいうまでもなく、当地が海上陸上を問わず交通の要所であったことか ら交通安全の神としても仰がれる。 海幸彦・山幸彦の神話に、山幸彦が綿津見大神の「満珠千珠」の霊力により繁栄したと述べられていることから、開運 厄除・安産の神としても仰がれる。別名「衣財田明神」とも言われていたことから、家業繁栄・商売繁盛・衣食住満足の 神としてしても、仰がれている。 秋祭りの神幸祭(10月12日)は海上渡御祭と呼ばれ、御御輿を御座船に乗せ、お供の船数十隻が守衛船に護られ 曳舟に曳かれ東は神戸港沖、西は舞子沖までのお渡りが行われる姿は壮観である。JR・山陽垂水駅南へすぐ。 10/13 ★08体育の日 ■鳥海山・神鹿角切祭・・・・・・神鹿と書いてジンロクと読ませる。山形・遊佐町の大平山荘前。 ■06-07日蓮上人忌(日蓮宗)。 ■会式(宗祖涅槃会)・・・・・・・妙法寺(東京都杉並区)で10/12〜14日。 ■十夜会・・・・・・・十善寺(東京都)。 ■十夜会・・・・・・・光明寺(神奈川県平塚市)で10/13〜15日。 ■墓ノ木タイマツ祭・・・・・・富山・入善町で、黒部川の治水と水の恩恵への感謝の祭り。 ★袋井祭り・・・・・・静岡・袋井市で10月の第二金〜日曜。 ■07伊勢おおまつり(〜17日;神嘗祭直前の土日を中心に開催)【三重県伊勢市】 ■六孫王神社・例祭・・・・・・起源は、清和源氏の祖、源 経基の邸跡に造営した神社を宝永年間に徳川綱吉らが再興 した事による祭り。京都市。 ■07大阪・玉造稲荷神社「伊勢味わい祭」・・・・・・・大阪市中央区。06-6941-3821「お伊勢参り」ゆかりの芸能に触れる 催しで落語。翌14日は「伊勢大神楽」 ■06-07竈山神社祭・・・・・和歌山市。 ■山路王子神社「泣き相撲」・・・・・・和歌山・下津町の同神社の伝統行事。 ★08牛喰い絶叫大会(体育の日)【大分県湯布市】 10/14 ★釜石・曳き舟祭。 ■猿追い祭り・・・・・群馬・片品村の武尊神社で白装束の「猿」を追う。 ★川越祭り・・・・・06/10月14〜15日。埼玉県川越市、氷川神社。 ■引声会・・・・・・・国上寺(新潟県西蒲原郡分水町)で第2日曜。院宣会ともいう。 ▲徳川家宣の命日・・・・・・彼は6代将軍として在職4年で正徳2(1712)10/14に51歳で薨去し、文昭院の号で江戸城か ら略南の芝・増上寺に葬られた。芝・増上寺には徳川歴代の墓がある。また正室(公家・細川氏)煕ひろ子(天英院)の石 塔もあるが、彼女は目黒の祐天寺に鐘を寄進している。 ただ増上寺も祐天寺も家宣の命日方位とは無関係である。彼の命日の10/14を旧暦と見て此れをグレゴリオ暦に置換 すれば11/12となるので、其れなら本庄市方面になる。近くに川越市があり、喜多院や東照宮もある(先の川越祭りも 本日である)。 しかし10/14日、其のままとすれば信州松本城に向かう。或は旧暦の9/14乙未とすれば甲府南部に向かわなければな らない。さて江戸城と祐天寺は鬼門--裏鬼門の位置方位になる。従って此れは祐天寺の入れ知恵かも知れない。また 彼女は次期将軍に紀州徳川の吉宗を指名した。此れも異例の事であった。 ■07山北のお峯入り(10月中旬、不定期開催)【神奈川県山北町】 ■07-08どぶろく祭り・・・・・・岐阜大野郡・白川村の白山神社で例年14〜19日まで。 ★07秋の大茶盛り・・・・・・・西大寺愛染堂(奈良市西大寺町)で10月第2日曜日。 ★07嘉吉祭・・・・・・桜井市の談山神社で10月第二日曜日に行なう。永享10(1438)年8月、多武峰一山は兵火にかか り、本殿が灰燼に帰したので、一時鎌足公の御神像を明日香の橘寺に遷幸し、3年を経た嘉吉元(1441)年8月、元地 に遷座し、同年9月中旬に「百味の御食」と言う神饌を供えたのが此の祭典の始まり(11/18日を参照)。 ★堺祭り(10月14〜15日)【大阪府堺市、駅前広場】 ★木ノ本獅子舞・・・・・・和歌山市。10/14-15日に。 ■06-07-08灘けんかまつり・・・・・・10月14日〜15日。兵庫県姫路市、松原八幡神社。15日を参照。 ■06歓喜毛獅子舞う 姫路・大塩天満宮宵宮・・・・・・・境内で、荒々しく舞う毛獅子=14日夜、姫路市大塩町、大塩天 満宮(撮影・藤家武) 姫路市大塩町の大塩天満宮で十四日、秋季大祭の宵宮が営まれ、提灯(ちょうちん)明かりの 下、兵庫県重要無形民俗文化財の毛獅子舞が奉納された。 以上、http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000139615.shtml「神戸新聞」2006/10/15より引用。 ■石見神楽奉納(島根県)。 ■06-07-08西条まつり(10月14〜17日)【愛媛県西条市、石岡・伊曾乃・飯積神社】 ★07岩國南条踊・・・・・・・・10月第2日曜日。岩国市の岩国祭。吉香神社境内他、市内数ヶ所で岩國南条踊保存会に よる踊り。県指定無形民俗文化財(因みに対極の春の4月初めにも吉香神社で踊りがある)。 由来は安土桃山時代のころ、伯耆国(現在の鳥取県)羽衣石城主・南条元続との戦いに勝った吉川元春が、南条方か ら踊りを伝え授けさせ、錦見組、川西組、横山組と地名を付けた少年の踊り子を編成して、旧暦の7月15日前後に、城 中の藩主や一族の見物の前で踊らせたのが始まりといわれています。以上、岩国市役所ホームページより。 ■06-07-08ケベス祭【大分県国見町】・・・・・・スケベではなくケベスである。 ■06-07鉄道の日。 10/15 ■冬安居。 ■木場の角乗り【東京都江東区、黒船橋公園】 ■会式・・・・・・・善光寺(長野市元善町)。 ■06-07-08伊勢神宮・神嘗祭・・・・・・・(08年は15〜17日)【三重県伊勢市、神宮】 神宮の神々に対して、収穫した新穀を奉る。神宮では最も大儀とされる祭り。三重・伊勢市の伊勢神宮で17日まで。 因みに造替え遷宮に先立って、05年から「山口祭」、06年には「木造始祭」と「お木曳き」があったが、08年4月には「鎮 地祭」、09年11月には「宇治橋・渡始祭」の予定である。 そして12年3月に「立柱祭」「上棟祭」、13年8月に「お白石持ち」、9月に「杵こ築祭」10月に「後鎮祭」・遷御・御神楽とな る。「お木曳き」を切っ掛けに近所はぐっと仲良くなり、町の融和が進むと言う(三重県伊勢市小川町07/3/11朝日より 因みに以下引用)。 ■即成院二十五菩薩練供養・・・・・・・泉涌寺即成院(京都市東山区)。 ■十夜会・・・・・・・壬生寺(京都市中京区)。 ★06二十五菩薩・お練供養法要・・・・・・京都市東山・泉涌寺山内町の即成院075-561-3443。阿弥陀如来と25菩薩が 人々を極楽浄土へ導く姿を表現する仏教行事。本堂を極楽浄土、境内の地蔵堂を現世に見立て、菩薩装束を着けた 25人の信徒が練り歩く。 ■月読神社・例祭・・・・・京田辺市。当神社の創祀はあきらではありませんが、延喜5年(905)から編集されだ「延喜式 神名帳」にもその名がみえ、大社の格を有していました。祭神は月読命ですが、後世、伊邪那岐、伊邪那美の二神をも 配祀したと社記にあります。鎌倉時代初めに、源頼朝から神馬の献上があったとも伝えられています。 明治維新の折りには、鳥羽伏見の戦いを避けるため、石清水八幡宮が一時遷座され、ご神宝が薬師堂に安置されま した。今の社殿は明治26年(1893)に建立されたものです。 毎年、1O月14日の宵宮には大住隼人舞(市指定文化財)と隼人おどりが奉納されます(http://www.geocities.jp/ engishiki01/yamashiro/html/020703-01.html「月読神社」より引用)。 ■大仏様の秋祭・・・・・・東大寺。因みに2002年に、大仏開眼1250年を記念して落慶を祝う慶讃大法要の「法楽」がこ の日(15)から19日まで行われ、同時に正倉院展も有った(05年は10月下旬〜11月上旬に国立博物館で)。東大寺 (奈良市雑司町)は華厳宗寺院。詳しくは奈良市観光センター0742-22-3900 ■06-07石いその上かみ神宮・例祭・・・・・・・石上の宮は、天理教で有名な天理市にある。天理教の気風がそうさせるのか この町は親切で清々しい所である。教団の東に神宮が有るが、近鉄とJR合同駅から2.4kmなので徒歩でも行けるし バスも出ている。普段は僅かな参拝者しかいないが、祭りの時には恐らく賑わうのだろう。 石上は、桜井市に向かう古道「山辺の道」の起点に当たる古社であるから境内が広い事も有って何時も静かである。 当社は御神体を布留山、近くを布留川が流れる布留の地にある所から布留宮と言われ、主神も布留御魂と言う。其の 神の末裔である物部氏が伝える呪文「ふるべ」も此の「フル」から来ている。 此の宮の由来は、祟神天皇七年の時に、其れまで宮中に同床共殿で祭られていた天剣(建甕雷神が帯びていた霊 剣)と十種の神宝を祭ったのが始まりとし、次の垂仁天皇の時には剣1000口が奉納され、またスサノオノミコトのヤマ タノオロチ退治の、天羽羽斬剣も祀られた。 其れがこの宮のご祭神「布都御魂大神」と「布都斯魂大神」と言われるものの、実際は、物部氏の祖神・ニギハヤヒノ 命を祭る宮とも言われる。物部氏は以来、天皇の大嘗祭(即位後に最初に行う新嘗祭)には必ず立会い、守護する役 目となった。モノノフ(武士)の語源も此処にある。 延暦年間の794年、此処の神宝を京都に移そうとした(後にまた返却された)が、其のときの人数が延べ157000余 人とあるから、如何に膨大だったかが分かる。だが此処には大正2年まで本殿がなく(神宮寺は色々あった)、今の境 内から本殿の後背部に見える神山の禁足地を遥拝する古い方式を守って来たのだ。@ 石上神宮の電話は07436-2-0900 ■小子部(ちいさこべ)神社の旧例祭日・・・・・・奈良・橿原市飯高町には古来、子部(ちいさこべ)ノ里と呼ばれた地域があ る。小子部と言えば雷神として知られる。彼は雄略天皇の命令で繭の蚕(かいこ)を捕まえるべき所、其れを誤解して 嬰児を集めて献上したので小子部連の名を賜った。 次に天皇が雷鳴中、やんごとなき所を彼が見てしまった。咄嗟に天皇は「あの雷を捕まえて来い!」と命じたので、彼 は三諸山の雷を捕まえて天皇の御前に奉ったと言われる。彼に関する神社は兵庫や和歌山市の岡部神社もあるが、 此の飯高の小子部神社は式内社。今は隣接地に瑞花院がある。@ ■伊波多(いわた)神社の例祭・・・・・奈良県吉野郡天川村大字和田字宮531-2の式内社。祭りの内容は不詳。神主の元 郵便局長の西前氏に播磨の伊和神社や堺市の石津太(いわずた)神社との関連についてお尋ねしたが今のところ不明。 ただ付近に在原業平(5/28日を参照)の関係遺跡が散在する。 以下、http://www5.ocn.ne.jp/~miyosino/ihata.html「吉野へようこそ、天川の神々」より勝手に引用-----例祭は10/15 日。本殿の背後の崖下は清流・天ノ川。鬱蒼とした森の中に佇む伊波多神社本殿。境内の真下は青く淀んだ淵。 和田集落の南東部、天ノ川の神ヶ淵に臨む。対岸に太刀見岩の見える山間の佳境に鎮座する。旧村社。『延喜式』神 名帳の吉野郡「伊波多神社」にあてられるが、祭神は不明。創建年代も不詳。古来立和宮(たちわみや)とも呼ばれたが、 立ち岩がなまってタチワとなったという。 当社から約300メートル離れた山腹に約4メートル四方の高座石があり、昔はここに社があったと伝えられる。本殿方 1.5M、境内711坪。『大和志』には「在天川荘和田村今称立和宮与栃尾九尾共預祭祀」とあり。―『寺院神社大辞典』よ り― 愛嬌のある顔をした狛犬、扁額、手水舎・水盤の写真。 『吉野郡史料』下巻「天川村史」、神社の項には以下のようにみえる。「伊波多神社ハ和田ニアリ祭神不詳光仁天皇宝 亀元年(770)正月二十日創建建治元年(1275)改造延宝二年(1674)改造明治二十三年又改造ス」とある。( )内西暦 年号は筆者注(以上引用)。 ■枚岡神社の秋祭り・・・・・・東大阪市出雲井の当社(奈須光興宮司)で10/14〜15に行われる河内地方を代表す る秋祭り。先ず14日にはボテ(布団)を積み重ねた布団太鼓23台が威勢良く町内を練り歩いた後に午後2時には一 の鳥居に集結して宮入りする。 はっぴ姿の氏子たちが「チョーサジャ、チョーサジャ」の勇壮な掛け声と共に神社までの約1kmの急な坂道を太鼓台を 担いで上り、日没には宮入が終わる。また午後7時にはもう一度約200mの参道を往復して「中がき」の披露で最高潮 になる。 15日の本宮は布団太鼓が再び宮入りする外、稚児行列があり、この二日間で約15万人の参拝者があると言う(05 /10/15毎日新聞から一部引用)。例祭は2/1であるが、この秋祭りは春日大社に関係する。本来は9/17日に 行われたものだろう。其の逆方位に位置するのが春日大社である。 こうなったのは藤原氏が若宮(天押雲根命)と鹿島の神を共に春日大社に遷したからである。よって以後此処の例祭で はなくなった事、其れに改暦の為に1ヶ月ズレた(9/17「春日若宮おん祭りだったか」を参照)。 枚岡神社はかつて河内一ノ宮として上の二神の外、四座を祭る古社であり、神武即位前の三年に創建した所から現在 地に孝徳天皇の白雉元(650)年9/16に遷座したとされる。よって若宮は其の枚岡を向いて西面して建っている訳だ。 其れに対して春日大社は枚岡より後の、神護景雲二(768)年に造営され、この若宮の場合は更に保延2=長承四 (1135)年に創建され、其の翌年から祭りが始められた。以来「おん祭り」は大和第一の祭りとして賑わって来た。 祭りの後にはお旅所へのお渡り、そして武芸や芸能の奉納があり、興福寺の僧兵の主催で大和一国民衆の祭礼とし て例年、9/17に行われて来た。@ ■堺祭り(10月14〜5日)【大阪府堺市、駅前広場】 ■隅田八幡宮・例祭・・・・・・・4cの銘文入りの人物画象鏡が神宝として残されている事と六月のアヤメでも有名な和歌 山・橋本市の須田八幡宮では、@ ■06-07熊野・速玉大社「新宮祭」・・・・・・(例大祭・神輿渡御式・御船祭)【和歌山県新宮市、熊野速玉大社】 ご祭神として熊野速玉神をこの日15日に祭る和歌山・新宮市の速玉大社の例大祭10/15-16日。此処には樹齢千年 のナギの大木がある。 にも拘わらず「新宮」と言われるのは、近くに元の宮としてゴトビキ岩と言う巨岩と神倉神社が有るからとも言われる が、実は対極に本宮があって、其の関係で新宮と言われた事になる(異説もある)。@ 其れにしても、出雲の神は「縁結びの神」と言われて来たのは、こうして例祭日が方位を通じて他の神社とリンクしてい る事に其の由来が有るかとも思われるが、では「どうして縁結びをするのか」、と言うメカニズムについての説明を聞い た事がないので本説が其の回答となろう。 何れにせよ、熊野地方は神々の二重三重の道標・結界が方位で設定されている事が分かります。本宮と新宮、其れに 那智を加えた熊野三山信仰は奈良朝初期から神仏混交の霊地の熊野権現として、宇多法皇の行幸以来、歴代天皇 も含めれば百度以上(140回)の御幸があった通り、朝野から厚く崇敬されて来た。 特に清盛などの熊野詣で以来、源平の信仰が厚かった。ただ本宮の場合、元の位置は明治22年までは今より下の大 斎原に有った。本宮のご祭神は家津御子神と言う謎の神名になっているが、別名「クマヌカムロノ命」とも素佐乃男命 の事とも言われる。@ それにしても昔通りの祭日をこうして今に伝えていた事には感服する。恐らく此処にも明治の改暦押し付けがあった筈 であるが、旧暦とは別の和暦を熟知する方があって、お上の無知を跳ね返して古式を守り通してくれたのでしょうが、 今は「御船祭り」を9/16にするようになった。 ■06-07灘のけんか祭り・・・・・・姫路市・松原八幡神社で神輿を激しくぶつけ合う。この日は「本宮」を迎えるとして、三 基の神輿と六基の屋台が同神社から「御旅山」まで渡御して五穀豊穣を祈願する神事を行う。@ 以下、引用する。「灘祭り・灘の喧嘩祭り」---平成17年(2005年)姫路市白浜町の松原八幡神社秋季例大祭、通称「灘 のけんか祭り」の宵宮が10月14日、予定通り開催されました。生憎、夜半からの雨で本宮は16日に順延されました。 同日は秋晴れの祭り日和、木場屋台、松原屋台、八家屋台、妻鹿屋台、宇佐崎屋台、中村屋台と次々に各地区、自 慢の屋台が宮入しました。それぞれが所定の据え場所につくと、いよいよ神輿練り番の東山による、宮うつしの神事が 有り、神輿合わせが境内、及び楼門前にて勇壮に行われました。 後は、お待ちかねのお旅所、広畠へ、そこには約15万(飾磨署発表)観衆が、その豪快・豪壮・華麗・雅さ・永い伝統行 事に大きな歓声や拍手喝采が有り皆が灘まつりを堪能させた事でしょう。 平成17年9月25日(日曜日)---新調なった松原屋台の入魂式が、まつり本番さながらの参加者と見物人で賑わいなが らも厳粛に挙行されました。好天に恵まれ、旧屋台との二台練りも実現し多くの人達が楽しい一時をもたれました。旧 屋台は山陽新幹線姫路駅のコンコースで晴れのお披露目。祭り処播州と姫路市の発展に寄与します。 「松原八幡神社」---現在の美しい破風造り屋根の幣殿、拝殿は、平成7年7月に修築されました。この地に九州の宇 佐八幡宮より分霊を勧請(かんじょう)して創祀(そうし)されたのが、天平宝字7(763)年と伝えられています。 又、京都の石清水八幡宮とも平安時代後期から室町時代にかけて深いかかわりがあり、松原荘の荘園領主が石清水 八幡宮だったようで、その放生会(ほうじょうえ)が「松原八幡神社秋季例大祭」、つまり「灘まつり」のはじまりといわれ ています。 放生会とは、「捕らえた生き物を放してやる儀式」のことで旧暦8月15日が祭礼日だったのを、旧暦9月15日に変更し たと文献に記されています。 「灘のけんか祭り」 本宮(10月15日)は、御旅山山麓の矢倉畑(広畑)を舞台にして、未明より夜半、まで厳粛、豪壮に 繰りひろげられ南北の斜面に設えられた桟敷席などの約10万人を超える見物客を魅了致します。 神事渡行に「露払い」の役を務める、松原氏子達関係者は、当日午前4時頃に集合し、テンテンツキ(獅子屋台)を引い て、松原八幡神社へ参詣し獅子舞を奉納後、神官から清めのお祓いを受け、その後、御旅道の道筋を清めて行き、こ こ矢倉畑を清める儀式(露払いの行事)を行います。 「新桜の名勝西山公園、山上御旅所」---毎年10月の灘まつり本宮当日は、ここ御旅神社神殿前に10本の幟と3基の 神輿、獅子屋台、豪華絢爛屋台6台等が奉納され、その豊な色彩や勇壮に外人観光客より「オゥ ワンダフル」が連発 されます。 灘の松原公民館に準備中の衣裳等の説明を熱心に聞き入る保育園児達。このようにして灘地域全体がそれぞれの工 夫や方法で伝統を伝え続け、受け継いでいます。未明暗闇を神事の為、照明ご法度のテンテンツキと共に駈ける少年 たち、これから本宮が始動します。汐かきの儀、神輿練番の村は本宮早朝海水で身を清める神事をします。 激しい神輿3台合わせ 一の丸(應神天皇)、二の丸(神功皇后)、三の丸(比淘蜷_・ひめおおかみ)。毎年10月1日 には激しい祭りの無事を祈願してこうして衣裳のご祈祷を行っています。手前から赤いシデの松原、黄色の宇佐崎水 色の中村屋台。この様にひと目で目指す屋台が識別出来ます。 「傘鉾(かさぼこ)と獅子屋台」---本宮当日は、こうして松原村のテンテンツキが太鼓を止めることなく打ち鳴らしながら 練り上げたり、地面に放り投げたりして矢倉畑全域を清めますがその時の歌は、「若ノ松 セーヱ ママ ソラ エッサノ サカ ヨーオ ヨーオ ワーモ ショウゲャ オモシロヤ ナンジャノー ヒョウタンヤ サアー エットヱー」 歌い終わると同時に屋台を天高く差し上げ空中に放り投げます。こうして練るためか松原村では獅子檀尻を獅子屋台 と呼んできました。腕守り 私の子供の頃は確か腕括りといっていたと思いますが、母に端布(はぎれ)や白の半衿で作 ってもらったと記憶しています。 毎年10月1日に八幡さんでお守札を受け、そのお守り袋として作られ、腕に巻いたり、腰や首に吊るすのが「腕守り」 です。祭り当日の安全を祈って、女性から贈られる風習があり、恋人に贈るのが当地の古来からの習わしです(以上、 http://homepage2.nifty.com/keisyouan/matsuri/nadamaturi.htmより引用)。 ■06歓喜毛獅子舞う 姫路・大塩天満宮宵宮・・・・・・・境内で、荒々しく舞う毛獅子=14日夜、姫路市大塩町、大塩天 満宮(撮影・藤家武) 姫路市大塩町の大塩天満宮で十四日、秋季大祭の宵宮が営まれ、提灯(ちょうちん)明かりの 下、兵庫県重要無形民俗文化財の毛獅子舞が奉納された。 祭りは姫路、高砂市にまたがる氏子によって継承され、昼すぎには六地区の屋台が青く澄み切った秋晴れの下、豪快 な練り合わせを披露した。毛獅子舞は午後七時ごろから、高砂市の牛谷地区を筆頭に七体の荒獅子が順に登場。背 中を黒い毛で覆われた獅子は若い衆に肩車され、ほぼ一列になって大鳥居から神門、本殿までを進んだ。 続いて能舞台などに分かれて舞を披露。太鼓と笛の調子に合わせ、たてがみを振り乱した獅子は、神の恩恵に歓喜す る様子などを変幻自在に演じて見せ、見物客らを幻想の世界に引き込んだ。本宮の十五日も午後二時から毛獅子舞 が奉納される。(坂口清二郎) 以上、http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000139615.shtml「神戸新聞」2006/10/15より引用。 ■八鹿町日枝神社の秋祭り「ざんざか踊り」・・・・・・・・・近江の日枝神社(今は日吉大社)の山王祭が4/14に行われ る。@ 此処には外にクロク(九鹿)地区や古墳群もあり、九鹿地区の「ざんざか踊り」の起源は室町時代から始まったものとさ れ、数箇所を巡って日枝神社に至るものだが、「子供踊り」は猿芸に似たアクロバットの様な踊りであり、今は兵庫県指 定無形文化財になっている(「4/14」を参照)。 ■06西条まつり・・・・・・愛媛・西条市の石岡、伊曾乃、飯積の三神社の秋の祭礼で121台のダンジリ屋台や太鼓台が 巡航する「神幸祭」が17日まで。 ★筥崎(はこざき)宮の意味・・・・・・・福岡市。 以下、http://www.hakozakigu.or.jp/history.php 筥崎宮から引用する。---- 鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の 神としても有名です。 後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大 社の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠る ことはありませんでした。 明治以降は近代国家を目指す日本とともに有り、同18年には官幣中社に、大正3年には官幣大社に社格を進められ、 近年では全国より崇敬を集めるとともに、玉取祭や放生会大祭などの福博の四季を彩る杜(もり)として広く親しまれて います。 敵国降伏の御宸筆は本宮に伝存する第一の神宝であり紺紙に金泥で鮮やかに書かれています。たて十七・五セン チ、よこ18・3センチで全部で三十七葉あります。社記には醍醐天皇の御宸筆と伝わり、以後の天皇も納めれられた記 録があります。 特に文永11年(西暦1274)蒙古襲来により炎上した社殿の再興にあたり亀山(かめやま)上皇が納められた事跡は有 名です。楼門高く掲げられている額の文字は文禄年間、筑前領主小早川隆景が楼門を造営した時、謹写拡大したもの です(引用以上)。 ★筥崎(はこざき)宮の例祭については8/15日を参照。ただ8/15日と此の宮の参道方位が不一致である。其れについて 西埜先生の筥崎宮の鳥居のお話から此の宮の大祭の日取りを方位から吟味して見よう。以下、謎解きをする。@ ■秋祭・・・・・・・大願寺(佐賀県)。 10月中旬 ■狸祭・・・・・・・証誠寺(千葉県木更津市)。 ■06今治・加茂神社・秋祭り「お供馬の走り込み」・・・・・・京都の上賀茂神社の「競べ馬」の流れをくみ、県の無形文化 財に指定されているもので、約200m余りの参道をホイヤホイヤーと駆け抜けます。愛媛県・菊間町の賀茂別雷神社 の秋祭り。 加茂神社のご祭神は加茂別雷神。此処、菊間を軸に浜田市馬島--島根・大佐山(1069m)--そして位置はズレルが広 島市の比治山神社(大国主命)--呉市の賀茂神社もある。昔は此の辺りは呉市ではなくて賀茂郡であり、京都賀茂社 の荘園だった。 単なる荘園の為ではなくて、神事のために荘園として残ったのである。其処から瀬戸内の蒲刈島--菊間となる。逆方位 は石鎚神社--高知の日高村加茂地区--土佐市に至る。その暦方位は11/14--5/15(京都・葵祭)である。所が此の秋 祭りが明治の改暦によって1ヶ月ズラされ早められた可能性がある。詳細は不明だが以下、引用する。 愛媛・今治市の加茂神社で05-06年は此の日10/15、子供たちが乗る数頭の神馬(シンメ)が300m疾走するのを見る ため1〜1.5万の観衆で賑わう。此の神馬は地元で飼育するサラブレッドと農耕馬である(06/8/29のNHK総合TVより 引用)。 加茂神社 ![]() 次は現地のHP(おいでや)から転載する。加茂神社は近年新しく建て替えられた。瓦はもちろん菊間瓦。お供馬の走り 込み、ホイヤーと声をかけながら子供達の乗った馬が参道を走る。菊間川沿いの道を数キロ上って行くと左手に加茂 神社が見えます。 毎年10月第3日曜の秋祭りには愛媛県の無形文化財に指定されているお供馬の走り込みが行われます。菊間町は 昔、京都加茂別雷神社の神領だったということでそこの競べ馬の流れを汲んでいると言われます。おそらくは農作業に 使われていた馬をねぎらう意味もありこの秋の収穫祭にあわせて行われていたものだと思われます。 お供馬ばかりが脚光を浴びていますが、神輿も決してひけをとりません。すでに前日の早朝に宮出しを終えた各神社 の神輿が一同に集まりお供馬の走り込みのあと境内を練ります。およそ20余りの大小の御輿が土埃をたてながら走 り、練り歩き、はちあわせます。その後、それぞれの町へ出ていくのです。その日のうちに宮入をする事は希です。 -------------------------------------------------------------------------------- 住所 〒799-2303 愛媛県今治市菊間町浜1989 電話 0898-54-3132 加茂神社:地図 1/ 12500 ↑NORTH ![]() しまなみ海道の愛媛県側の沿線の市町村を中心に、この地域を旅する人たちのために観光情報を提供しています(以 上転載)。 ■岩原神楽・・・・・・・高知県・大豊町 (町役場・企画課 0887-72-0450)。 ■熊野大社(島根)鑽きり火祭。 ■飫肥城下祭り(10月15〜16日)【宮崎県日南市】 10/16 ■川越祭り・・・・・・埼玉・川越市の氷川神社で14-17日頃まで。 ■木場の角乗り【東京都江東区、黒船橋公園】 ■宮祭り・・・・・・・名古屋?(未確認)。八剣神社と若宮神社の間を神輿を載せた船が海中渡御する。 ■阿麻美許曾(アマミコソ)神社の例祭・・・・・・大阪。6/15を参照。 ■奈良・菟田野のお渡り・・・・・・・奈良県菟田野(うたの)町で惣そう社水分(みくまり)神社から凡そ2km先の宇太水 分神社まで神輿がお渡りして男女神輿が五穀豊穣の「まぐわい」を演じる。主神は速秋津比古神・天水分と国水分神で ある。 因みに筆者は浅井・西埜氏と10年前の此の時期、当地が水飢饉のときに当社ほか数社に初めて訪れて雨乞い巡礼 をした結果、其の夜から雨となり、室生ダムを何度も満タンにした上に、同じコースの雨台風を数回も奈良に呼び込ん で近畿一帯をタップリ潤した。 大和は素晴らしい土地柄だが慢性的な水不足が泣き所とされる中、此処は正にミクマリの霊験あらたかな事を示した 神域と言える。@ ■矢田坐久志玉比古神社・例祭・・・・・・・大和郡山市。ご祭神は櫛玉ニギハヤヒ命と女神(御炊屋姫命)。天孫降臨の 伝承地である事から飛行機の神としても信仰されている。またお旅所(御炊屋姫命)の例祭は10/9-10。 ■藤原鎌足の命日・・・・・・・彼は天智天皇8(669)/10/辛酉16(U11/14-G11/17)に薨去(年56歳)。だから前記の 通り、談山神社の例祭が11/17に行われる。但し、「日本書記暦日原典」では辛酉は11/18となる。 ■丹生都姫神社・例祭・・・・・・和歌山・かつらぎ町で丹生都姫命を祭る天野社は空海が高野山を開山するまでは高野 山に有った。此処には弘法大師を高野山に案内した神として丹生高野明神も祭っているが、広大な山野を明け渡して 現在地に遷った。 今も高野山の北には弁天岳があり、また壇上伽藍には鎮守(四社明神)として祭っているが、地元では高野山に対す る信仰よりもこの丹生明神に対する信仰が篤く、各地に丹生社が祭られている。其れに対してこの天野社は永正9 (1512)年6/16日に落慶して僧60と天王寺伶人により舞楽大曼供を執行している。 尚、丹生都姫命はナキ゜ナミの神子であり、天照の姉であり、和歌、稚ヒルメ、和歌の浦、和歌山、伊都、・・・・の語源と なった神である。 昔は1/14に山王堂で修正会をして、其の対極の7/18には夏祭りを行い、9/16には玉津島神社への「浜降り神 事」をしていたが、平成元年10/ 16には天野大社として「渡御の儀」を44年ぶりに一部復活している(9/16を参 照)。 ■06熊野速玉大社「御船祭り」・・・・・・・秋の例大祭の伝統行事の10/15に続き、「早舟」9隻が熊野川の御船島を 三周して競い合う。和歌山県新宮市で(9/16を参照)。 ■06御船まつり・・・・・・・白浜町で10/15-17。 ■伊和神社・秋祭り・・・・・・・以下、「播州の秋祭り」http://kobe-mari.maxs.jp/shiso/iwajinja_akimatsuri.htmから引用 する。−兵庫県宍粟市一宮町須行名−伊和神社-祭神は、大国主神(おおくにぬしのかみ)(大己貴神)で、農業・工 業・商業等産業の神、縁結びの神、病気平癒の神として多くの人々の信仰を集めています。 伊和神社本殿背後には、神鳥が飛来したと伝えられる神跡の霊石「鶴石・降臨石」が残されています。神跡の霊石「鶴 石・降臨石」は、欽明天皇甲申歳、伊和恒郷に「我を祀れ」ちの御神託があり、一夜のうちに杉・桧等が群生して多くの 鶴が舞っており、大きな白鶴が二羽石上に北向きに眠っていたので社殿を道営したと伝えられています。 伊和神社の一つ山祭---「一つ山」とは神社の東北方にある宮山で、三山と同様、山上近くの磐座(いわくら)の下に神 祠を祀っています。類聚国史に「斉明天皇の4年(658年)秋、百済の葛海をして伊和山に猟せしめられしに山頂鳴動 し、一毛も得ずして帰りぬ。一少年ありて語るに、「神山なり猟なきは神の御心なり」と。 これにより即時の祭を始め給う」とあります。伊和神社の臨時の大祭、現在も21年ごとに行われる一つ山祭は、この 即時の大祭を縁として始まったと伝えられています。一つ山の神祠近くに神紋菊を記した白旗を立てて、伊和神社と一 つ山の山麓において祭典が行われます。 毎年10月15日、16日には秋期大祭、伊和神社秋祭りが行われ、御輿と5台の屋台が境内で練り合わせを披露しま す。播州屋台は大別して、神輿屋根型、布団屋台(重箱屋台)、布団山型屋台(山型屋台)の3つに分けられますが、こ の屋台は、神輿屋根型で播州伝統工芸の粋を集めた屋台です。 播州秋祭りの中でも、この伊和神社の秋祭りは非常に行儀のいい印象を受けました。 灘のけんかまつりを始め、曽根天満宮の秋祭り、高砂神社の秋祭りなど、南播磨地方の秋祭りでは、神輿や屋台、だ んじりの練り子・担ぎ手はもちろん、観客までもが激しく入り交じって活気のある祭りですが、伊和神社の秋祭りは観客 と神輿、屋台が入り交じることなく祭りが進行していきます。 写真(屋台の練り合わせ-屋台の宮出し-御旅山への神輿行列 -御旅山・御旅所での神事)は省略(引用、以上)。 また「甘南備」http://www.kamnavi.net/it/kinki/iwa.htmによれば、「伊和神社の真西にあたる地点の山腹から銅鐸が 出土している。 一宮と銅鐸、谷川健一さんの『青銅の神の足跡』を思い出すが、この神を祀った氏族は鍛冶氏族でもあった証と思わ れる。当社の創祀の伝承に鶴が登場する。鍛冶氏族は鳥の伝承を持つというが、銅鐸出土とともに興味深い」と言う。 お祭りは、春季大祭・弁天祭が4月10日に近い日曜日、夏祭が7月15日、風鎮祭が8月26日頃、そして秋季大祭が 此の10月15・16日とある。15日は宵宮、16日が本祭りである(引用、以上)。 ---さてご祭神は果たして何方なのか。方位からも解釈する。@ 因みに方位では8/12---2/11方位に高千穂の天岩戸神社があり、また播磨国風土記には伊和大神の妻が木花開耶 姫命とあるので、ご祭神は実は高千穂に天孫降臨したニニギノミコトと判明する(けれども其れは本日の祭りとは別で ある事も)。 ■06-07-08新居浜・太鼓祭り・・・・・・・・・・愛媛・新居浜市の一宮神社で船みゆき(神幸)。10月16日〜18日。 10/17 ■06-07日光東照宮例祭(秋祭)・・・・・・・千人武者行列がある。これは家康の棺を久能山から移した行列を再現した ものと言われるが、其れはこの月の事ではなく、3月の事なので時期が違うのだ。また、「日光の東照宮は家康を祀っ た所」と言われて来た。だが実は此れも少し違う。@ ■十夜会・・・・・・・浅草寺(東京都台東区)で10/17〜18日。 ■木場の角乗り・・・・・・江東区の黒船公園で。 ■久能山祭り・・・・・・家康を祭る久能山では、1159段の石段を神輿が登って本殿に入る。 ■墨俣祭り・・・・・・秀吉が一夜城を作ったと言う由来にあやかっての祭り。秀吉の命日は9/18だが、其れを旧暦と 見て新暦の10/17日にしている。薪能の催しも有る。 ■白山比盗_社の秋祭りだったか・・・・・・イザナギ・イザナミの神娘、またはイザナミ自身とも見られる菊理媛神を祭 り、加賀の国一ノ宮としての例祭は現在5/6(同項を参照)である。だがそれでは色々矛盾するので此処で検証する。 白山には三ヶ所の馬場があった。 現代人に馬場と言えば競馬場を連想するが、本来の馬場とは神のミサキ、つまり御前を意味した。此処では登山道で ある。そうした事から先の加賀が一番有名となったが、其の外に越前と美濃があり、其の一つが勝山市の平泉寺でし た。此処は白山修験の中心地としてかつては六千坊を擁したが明治から白山神社となった。 其れに対して岐阜県・白鳥町の長滝寺があって、かつては中宮と呼ばれ、今は白山神社と中居神社になっているが一 般に殆ど知られていない。さて此処も明治の改暦の弊害が見られる。 昔は二季大祭として4月と11月の午の日だった のを改暦により5/6に変えたと言うのです。そうすると謎の祭りとなってしまうので別の観点から方位で検証する。 福井港に九頭竜川河口が有り、此処から勝山市の白山中宮を見通した先に白鳥町・毘沙門岳(1386m)が有る。@ 其処で結論として神社の祭りは元々10/17の秋祭りであったろうが、其の前に命日の4/19が鎮魂方位なので、春 には先ず弔いの法事を長滝寺で行ったものと判明する。 秋祭りの主神は白山菊理大権現となるのに対して、春季法要のご本尊は無論、観音様として彼女を奉った。そうした 事から17〜18日が観音様の縁日として定着したのかも知れません。ただこの祭りで白山本宮の総ての祭りが分かる ものではない。白山権現は三座を祭るので其の1つとしての平泉寺と長滝寺との関係の祭りに過ぎない。 とは言うものの、越前と伊豆とをこの祭りで往復するには山また山を直線距離にして300kmもあって、しかも高山が 連なりますので当時、歩いて往復しようとすれば大変です。叡山の千日回峰のように飛ぶように走るのが無理ならば一 年掛けて辿り着く覚悟がいったでしょう。 このためリレー式に各地に宿坊などの中継拠点を設けて狼煙を上げたり交替して人をリレーで送り出したのかも知れ ない。其れが白山修験や後の富士講などに繋がり、山岳信仰とも言われたのでしょう。 ■千姫折り鶴行列・・・・・・・伊勢の桑名市で。千姫がこの地に輿入れした由来による祭りと言われるが・・・・・。 ■06-07伊勢神宮神嘗祭・・・・・・・15日から本日まで。 ■蓮華山・大相撲・・・・・・1000年の歴史があると言う大相撲が石川県・塩町の此処で行われる。 ■着物・大園遊会・・・・・・滋賀県・長浜市で。 ■大般若経・転読会・・・・・・興福寺。詳しくは奈良市観光センター0742-22-3900 ■辛国(からくに)神社の例祭・・・・・・・大阪・藤井寺市。辛国神社の由緒には、今から千五百年程前、雄略天皇13年 にこの地を賜った物部目大連がその祖神を祭ったのが由来と言う。社名の「辛国」は、物部氏没落後、一族の辛国連 が関わった事から社名となったと言うものの異説もある。今も韓国からの参拝者も多い。 よって「辛国」という社名が辛国=韓国、唐国など渡来系の氏族の事と見られる。だが弥生中期、九州より物部氏一族 が東遷し河内を中心に住み着いたとも言われるので、そうであれば原日本人の神である。大和川以南の南河内には 先住民が居たこともあり、大きい勢力には育っていないが、彼ら物部氏は祖神として饒速日命を祭っていた。 或は500年頃に物部氏が創設したと言う説や渡来系氏族の辛国氏が韓国の神を祭ったという説もあって、時代と共に 入れ替わって来たようである。長い参道は樹木に覆われ、石燈篭、狛犬が並んでいる。辛国神社の祭神はかつて長野 神社が合祀されて以来饒速日命と天児屋根命、素戔嗚命である。 何れにせよ平安時代には官社・式内社として人々の尊信を集めて来た。日本書紀には「雄略十三年春三月、餌香長 野邑を物部目大連に賜う」とあるが、餌香長野邑は旧藤井寺町の辺りと思われる。この地方を治めた物部氏はこの祖 神を祭っていたが、その後、辛國氏が祭祀を務めて辛國神社と呼ばれるようになった。 境内の枝垂れ梅が春3月頃には見事。祭礼は7月17日(夏祭)、及び本日10月17日の例祭。ただ当社の参道が本 殿から東の鳥居に伸びていて、其の暦日は生憎10/17ではなくて9/26.5---3/28である(9/17の「春日若宮おん祭り」を 参照)。 其の前後、つまり東西には堺東(堺市)の伝・反正天皇陵南---柴籬神社---大津神社---葛井寺山門---伝・仲津媛 (実は応神天皇)陵・南部の陪塚---道明寺天満宮の鳥居---広陵町の巣山古墳(7/6向き)---天理市---伊勢市へ至 る。また当社と柴籬神社とは縁が深い。御所市の一言主神社との繋がりもある。因みに今の宮司は伊藤氏。 先ず西に位置する「柴籬神社」(松原市上田7丁目)は創建:5世紀後半(伝)。祭神:瑞歯別命(反正天皇406から410 年)、菅原道真公、依羅宿禰であり、関連性が見えない。夏祭りも7月19日から2日間、秋祭が10月19日から2日間 である。境内に所在の小社:住吉社、歯神社、稲荷大神社、勝手大神、大歳社、正井殿、十二社権現社がある。 柴籬宮は仁賢天皇の勅命により創建され、この付近は反正(はんぜい)天皇の皇居、柴籬宮の跡と伝えられており、 記紀によるとこの時代は、平和な時代であった言う。平安時代に清和天皇より幣帛を賜り、南北朝時代の足利直義、 戦国時代の河内国守護・畠山氏も厚く保護したと伝えられる。 明治40年代に、大塚山古墳にあった天満宮、田井城の田坐神社が合祀された。柴籬宮へ行くまでに羽曳野市の式内 社・大津神社(羽曳野市高鷲8丁目=河内国丹比郡丹下郷)があり、此処はかつて丹下大宮と呼ばれた。祭神は素盞 鳴命、櫛稲田姫命の夫婦神、天日鷲命とも言うが、下記の伝説もある。 本来は津史氏の祖神を祀ったもので、津氏は5世紀頃渡来の百済系の氏族であり、辛国神社と縁があった。津氏は 大和川の水運管理者で港を管理した職名にもとずく氏名で後世まで勢力を保った有力渡来系の豪族であった。また天 日鷲命は阿波忌部氏の祖であり、津史氏との関連はなく、高鷲の地名より後世に祭ったものと言われる。 因みに大津神社は西から大分市、西脇市、大阪・泉大津市、そして此の羽曳野市(旧地名は水走)にあり、此処の場 合は伝説の祭神が天児屋根命の乳母・津速比売命である。よって古来、安産信仰があり、例祭が10/19日だった。更 に東大阪市、伊勢市(豊受大神宮末社)、飛騨市、真庭市・・・にも大津神社が有るが、此処との関連性はない。 そして辛国神社の東には葛井寺(ふじいでら)がある。此処は真言宗御室派、紫雲山。神亀2年(725)、聖武天皇の勅 願寺で行基が開創したと伝え、百済・辰孫王の子孫、葛井連の氏寺として藤井寺の地名の起源になったと言う。以来、 西国33ヵ所観音霊場第5番札所として有名。 特に8世紀後半の作という日本最多の1043本の手をもつ本尊の十一面千手千眼観世音菩薩(国宝・秘仏・毎月18日と 8月9日の千日参りに開扉)は坐像の千手観音としては日本最古のものと言われ、唐招提寺、三十三間堂と共に日本3 観音の1つに数えられている。 また、藤の名所としてもしられ、4月末には「藤の花まつり」が行われる(以上、ウェキペディアから一部引用)。さぁでは 先の辛国神社のご祭神は誰なのか。 ■堺祭り「南蛮パレード」・・・・・・堺市では16cのポルトガル人などの衣装に扮した人たち7000人が街中を約1キロを パレードする外、「種子島」など火縄銃の実射・実演も有る。 ■風早火事まつり・・・・・・・愛媛・北条市で10月の第三日曜日前後。 ■粟鹿神社・秋季例大祭・・・・・・・以下、「ウィキペディア」から引用する。 兵庫県朝来市山東町粟鹿。主祭神は彦火々 出見命、または日子坐王。例祭10月17日。但馬国随一の古社であり、2000年以上の歴史があるとも言われる。和銅 元年(708年)に祭神や歴代祭主などを詳細に記した粟鹿大明神元記の写本が残る(宮内庁所蔵)。 朝廷の信頼厚く、国家の大難に対して4度の勅使が遣わされたと伝えられており、約600年前には勅使門が建立されて いる。日下部氏との関係が深い。粟鹿とは、鹿が粟を三束くわえて山(粟鹿山)から現れ、人々に農耕を教えたことから つけられ、粟鹿神社にその鹿が祀られていると言う(以上引用)。 因みに彦火々出見(ひこほほでみの)命とは「山幸彦」の事。 ■06-07-08白鬚神社どぶろく祭り・・・・・・大分県西国東郡大田村の白鬚田原神社では新米でどぶろくを造り、五穀豊 穣と長寿祈願を行い、参拝者に振舞う1300年の歴史が有る奇祭。18日まで。 ▼月読神社・・・・・・・鹿児島・肝属郡串良町有里313番地の郷社・月讀命・他五柱神を祭り、例祭日10月17日(http:// www.youdocan.ne.jp/mukasi/jinhya.html「鹿児島の神社」より引用)。 また長崎県の壱岐、芦辺町に月読神社があるが、例祭日が不明である。 「鎮座年は487年。延喜式に壱岐郡月読神社「名神大」とあり。古事記の上巻に月読尊の誕生のことが載っている。 ... 伊勢神宮の内宮に月読神社、また外宮に月夜見神社があり、壱岐の月読神社が全国の月読社の「元宮」(もとみや) とされている。 ...以下、http://www.genbu.net/data/iki/tukiyomi_title.htmによれば、 式内社・月読神社は、京都の松尾大社摂社月読神社の本社とされている。当社は古来、清月・山の神と呼ばれてお り、山の神を祀る神社であったが、延宝年間に、平戸藩の国学者橘三喜によって、単純に、清月の地名から月読神社 に比定されたようで、論社としての根拠は怪しいようだ。 今も昔も、小社であり、壱岐氏の祀った名神大社であるには、問題もある。式内比定以前は、社殿も無い神社だった。 箱崎にある八幡宮の相殿に、天月神命が祀られており、棟札にも「箱崎八幡宮月讀宮…」と記されていた、月読神社 の有力な論社となっている。 旧社格も無格社であり、現在も小社であるのだが、壱岐の観光案内には必ず登場する有名神社。階段途中には休憩 所なども設けられ、拝殿内も綺麗に維持されている。本当の月読神社ではないのかもしれないが、それは、また別の 話、という感じだ。境内由緒書きの御神徳も、すばらしい(引用、以上)。 ■06-07貯蓄の日。 10/18 ★08川越まつり・・・・・・・・10月第3土曜〜日曜日に埼玉県川越市、氷川神社で。 ■06靖国神社・秋祭。 ■06菊供養・金龍の舞・・・・・・東京・浅草寺(東京都台東区)。浅草観音は金龍山・浅草寺と言う。此処には年間に40 00万人が訪れる。本日は菊供養。金竜の舞が奉演される。 ■明恵上人忌(華厳宗)。 ■売布神社の例祭・・・・・同名の神社は松江や高知県、其れに香川県にもあったかと思うが、此処、宝塚市の売布(め ぶ)神社は下照比売、または大び布命を祭ると言う式内社であり、18〜19日に例大祭が行われる。大び布命はニ ギハヤヒ系ウマシマジ命の七世孫である。 また「摂津国風土記」の「稲倉山」には、「昔、止与宇可乃売神、山中に居まして・・・」とある。彼女はやがて丹後のマナ イに移り、そして雄略22〜25/3月に伊勢・高倉山に祭られた。 とすれば、此処が彼女の故郷でした。けれども丹後に転じて羽衣を取られた天女となり、酒の神として病気を治し、老 夫婦を裕福にしたが、やがて大和の笠縫村に祭られ、そして伊勢では穀物神・御饌津神として祭られて行くのです。@ ★08堺まつり(10月第3土曜〜日曜日)【大阪府堺市】 ★08南河内・千早赤阪村の秋祭り・・・・・・・10月の第三土日。建水分(たけみくまり)神社と中津神社のダンジリが練り 歩く。中津神社では地元の獅子舞が奉納される。 ■長田神社の例祭・・・・・・神功皇后が新羅から御凱旋の翌年(摂政元年)、務古の水門、即ち今の神戸市長田区の 御船森に事代主神を、長媛を祭主として祭ったのが其の年の二月の事でした。因みに皇居八神殿でもこの神を祭神 の一座として祭っている。この社でも「この神は大国主の御子で神武天皇の義兄に当たる」と言う。 昔は500メートル伸びる松並木の参道だったが、戦後は商店街となり、其れがH7/1/17の阪神大震災で大きな被 害を受けた。此処ではシンボルの石鳥居も倒れたので、H16/12/23に銅製の鳥居に建て直しとなった。因みに今 の宮司は藤原氏。@以後も懸案として置く。 ■広峯神社の例祭・・・・・・新羅の牛頭山に祭ってあったソシマリの神を吉備真備が天平六年、唐土から帰朝の際、播 磨の広峯に祭ったと言われる所が姫路市の広嶺(日幣)山の麓に鎮座するこの社である。また貞観年間には京都の八 坂郷に遷座されて祇園の八坂神社となったとも伝えられる。 ご祭神は元々牛頭天王であるが、今はスサノオノミコトと五十猛命として祭られ、例祭は4/18と10/18に行われ る。因みに京都八坂神社の例祭は6/15であり、其れを旧暦と見て、新暦の7/18に祇園祭がなされる訳である。さ て、何故10/18に例祭があるのか。@ ★08水浴び神輿(10月第3土曜〜日曜)【香川県丸亀市、田潮八幡神社】 ★08あかちゃん土俵入り(10月第3土曜〜日曜)【徳島県海陽町】 ★08飫肥城下祭り(10月第3土曜〜日曜)【宮崎県日南市】 ■06統計の日。 10/19 ★08木場の角乗り(10月中旬の日曜日)【東京都江東区、木場公園】 ■06-07日本橋べったら市・・・・・東京。 ■06-07建勲神社・船岡祭・・・・・・京都市。 ■万部会・・・・・・・知恩院(京都市東山区)で10/19〜25日。 ■城南宮「神幸祭」・・・・・・平安遷都の際に南の守護神としてこの宮が創祀された。上鳥羽、下鳥羽、竹田の各神輿が 渡御し、夕刻に大松明の先導で本社に遷幸する。京都市。 ▼07重陽の雛祭・・・・・・・・大阪・富田林市の寺内町(国の重保地区)では江戸時代から続く関西の風習「後の雛祭」を 再現している。07/10/19と08/10/7は旧暦の重陽(9/9)の節句。此の日は長寿を願って雛人形を飾る。「レトロ博物館」 「旧・杉山家住宅」(国の重文)などある。問い合わせは0721-23-5564 「後の雛まつり」実行委員会。 ■イザナミノミコトの命日?・・・・・・・・2/2日、花の窟神社を参照。 ■吉備津神社・秋季大祭・・・・・岡山市のこの神社の大祭は春秋にあり、春は5月の第2日曜日に主神の吉備津彦大 神が御隠れになった縁日として春の御忌日祭があり、其の逆の秋にはこの10/19に秋季大祭をしている。@ ■岡山加茂川町の鴨祭り。 ★08どう行列(10月第3日曜日)【島根県松江市】 ■福岡市・鳥飼八幡・献饌祭。 ■佐賀・川久保・日鬚田楽祭・・・・・・・10/18〜19。佐賀市の白(白山?)姫神社から稚児行列が出て、久保泉神社 の境内で豊作祈願の為の稚児田楽を奉納する(NHKラジオ深夜便より引用)。 10/20 ■06-07恵比寿講。 ■06-07誓文払い。 ■06-07皇后誕生日。 ■07釜石・曳き舟祭・・・・・ ■家光公の祭り・・・・・4/20の所で述べた通り、三代将軍・家光は日光一山にとって大恩人であり、従ってこの日は 彼を日光総出で迎える祭りとなる。 彼は家康を祭る所としてこの日光を一大霊場にしたのであるが、その彼もやがて家康とは3日違いの20日(慶安4年 1651/4/20)に薨去したので、東照宮の西の彼のご廟(大猷ユウ院廟)の奥の大黒山に葬られた。@ ★07川越まつり(10月第3土曜〜日曜日)【埼玉県川越市、氷川神社】 ■新羅三郎の命日・・・・・・大治二年のこの日が命日であり、大津市の山手には彼の墳墓があり、@ ★07堺まつり(10月第3土曜〜日曜日)【大阪府堺市】 ★07水浴び神輿(10月第3土曜〜日曜日)【香川県丸亀市、田潮八幡神社】 ■出石神社例祭・・・・・・・・出石神社(いずしじんじゃ)は、兵庫県豊岡市にある、元・但馬国一宮、式内社(名神大)、旧国 幣中社、別表神社。但馬五社の一つ。地元では「いっきゅうさん」と呼ばれ、親しまれている。祭神の天日槍は新羅の 王子であったが、八種の神宝を持って渡来し、但馬国に定住したと伝える。 また、八種神宝を八前大神として祀っており、延喜式では八座とされた(以上、「ウィキペディア」より引用)。豊岡市出石 町観光案内所 TEL/0796-52-4806 因みに天日槍(アマノヒボコ)と言う名は古事記や播磨国風土記にも登場するが新羅の人名と言うより和名に近い響きであ る。播磨国風土記には謎の伊和大神が登場するが実はニニギの命と同一人物と思われる。また此処では天日槍が葦 原醜男と争っている。 他方、天孫降臨の先導役に猿田彦が有り、猿田彦と天日槍は同一人物ではなかったかと思われる。 ★07あかちゃん土俵入り(10月第3土曜〜日曜)【徳島県海陽町】 ■山川招魂社・秋季大祭・・・・・・福岡・久留米市・茶臼山。 ★07飫肥城下祭り(10月第3土曜〜日曜)【宮崎県日南市】 ■07-08壱岐神楽【長崎県壱岐市、壱岐神社】 ■リサイクルの日・・・・・・10/20が「一回り、ふた回り」と言う意味になる。リサイクルを始めた神奈川のリサイクル運 動家たちによって提唱され、活動が続けられて来た。 10/21 以下、次ページへ または パテント・著作権は本会に属します。 「鬼の会」 |