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http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」  p144 (未定稿)  


  神々の歳時記      10月中2 但し方位による

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・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ 

●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起
の意味を解説し、方位から正当性 を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」メルマガ全国版 
http://www.omatsuri.com/mailmag/

及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-10月」より一部引用・転載させて頂きました。

■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記
には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の
詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。


10月中2旬 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★



10/15   
 

冬安居。
木場の角乗り【東京都江東区、黒船橋公園】

会式・・・・・・・善光寺(長野市元善町)。 

■例年-伊勢神宮・神嘗祭・・・・・・・【三重県伊勢市、神宮】(08年は10月15日〜17日)。2010年は15-25日。
神宮の神々に対して、収穫した新穀を奉る。神宮では最も大儀とされる祭り。三重・伊勢市の伊勢神宮で17日まで。

因みに造替え遷宮に先立って、05年から「山口祭」、06年には「木造始祭」と「お木曳き」があったが、08年4月には「鎮
地祭」、09年11月には「宇治橋・渡始祭」の予定である。

そして12年3月に「立柱祭」「上棟祭」、13年8月に「お白石持ち」、9月に「杵築祭」10月に「後鎮祭」・遷御・御神楽とな
る。「お木曳き」を切っ掛けに近所はぐっと仲良くなり、町の融和が進むと言う(三重県伊勢市小川町07/3/11朝日より
因みに以下引用)。 

即成院二十五菩薩練供養・・・・・・・泉涌寺即成院(京都市東山区)。 
十夜会・・・・・・・壬生寺(京都市中京区)。 

★06二十五菩薩・お練供養法要・・・・・・京都市東山・泉涌寺山内町の即成院075-561-3443。阿弥陀如来と25菩薩が
人々を極楽浄土へ導く姿を表現する仏教行事。本堂を極楽浄土、境内の地蔵堂を現世に見立て、菩薩装束を着けた
25人の信徒が練り歩く。

月読神社・例祭・・・・・京田辺市。当神社の創祀はあきらではありませんが、延喜5年(905)から編集されだ「延喜式
神名帳」にもその名がみえ、大社の格を有していました。祭神は月読命ですが、後世、伊邪那岐、伊邪那美の二神をも
配祀したと社記にあります。鎌倉時代初めに、源頼朝から神馬の献上があったとも伝えられています。

明治維新の折りには、鳥羽伏見の戦いを避けるため、石清水八幡宮が一時遷座され、ご神宝が薬師堂に安置されま
した。今の社殿は明治26年(1893)に建立されたものです。

毎年、1O月14日の宵宮には大住隼人舞(市指定文化財)と隼人おどりが奉納されます(http://www.geocities.jp/
engishiki01/yamashiro/html/020703-01.html「月読神社」より引用)。

■大仏様の秋祭・・・・・・東大寺。因みに2002年に、大仏開眼1250年を記念して落慶を祝う慶讃大法要の「法楽」がこ
の日(15)から19日まで行われ、同時に正倉院展も有った(05年は10月下旬〜11月上旬に国立博物館で)。東大寺
(奈良市雑司町)は華厳宗寺院。詳しくは奈良市観光センター0742-22-3900 

06-07-09いそのかみ神宮・例祭・・・・・・・奈良県。石上の宮は、天理教で有名な天理市にある。天理教の気風がそ
うさせるのかこの町は親切で清々しい所である。教団の東に神宮が有るが、近鉄とJR合同駅から2.4kmなので徒歩で
も行けるしバスも出ている。普段は僅かな参拝者しかいないが、祭りの時には恐らく賑わうのだろう。

石上は、桜井市に向かう古道「山辺の道」の起点に当たる古社であるから境内が広い事も有って何時も静かである。
当社は御神体を布留山、近くを布留川が流れる布留の地にある所から布留宮と言われ、主神も布留御魂と言う。其の
神の末裔である物部氏が伝える呪文「ふるべ」も此の「フル」から来ている。

此の宮の由来は、祟神天皇七年の時に、其れまで宮中に同床共殿で祭られていた天剣(建甕雷神が帯びていた霊
剣)と十種の神宝を祭ったのが始まりとし、次の垂仁天皇の時には剣1000口が奉納され、またスサノオノミコトのヤマ
タノオロチ退治の、天羽羽斬剣も祀られた。

其れがこの宮のご祭神「布都御魂大神」と「布都斯魂大神」と言われるものの、実際は、物部氏の祖神・ニギハヤヒノ
命を祭る宮とも言われる。物部氏は以来、天皇の大嘗祭(即位後に最初に行う新嘗祭)には必ず立会い、守護する役
目となった。モノノフ(武士)の語源も此処にある。

延暦年間の794年、此処の神宝を京都に移そうとした(後にまた返却された)が、其のときの人数が延べ157000余人と
あるから、如何に膨大だったかが分かる。だが此処には大正2年まで本殿がなく(神宮寺は色々あった)、今の境内か
ら本殿の後背部に見える神山の禁足地を遥拝する古い方式を守って来たのだ。@

石上神宮の電話は07436-2-0900

■小子部(ちいさこべ)神社の旧例祭日・・・・・・奈良・橿原市飯高町には古来、子部(ちいさこべ)ノ里と呼ばれた地域があ
る。小子部と言えば雷神として知られる。彼は雄略天皇の命令で繭の蚕(かいこ)を捕まえるべき所、其れを誤解して
嬰児を集めて献上したので小子部連の名を賜った。

次に天皇が雷鳴中、やんごとなき所を彼が見てしまった。咄嗟に天皇は「あの雷を捕まえて来い!」と命じたので、彼
は三諸山の雷を捕まえて天皇の御前に奉ったと言われる。彼に関する神社は兵庫や和歌山市の岡部神社もあるが、
此の飯高の小子部神社は式内社。今は隣接地に瑞花院がある。@

■伊波多(いわた)神社の例祭・・・・・奈良県吉野郡天川村大字和田字宮531-2の式内社。祭りの内容は不詳。神主の元
郵便局長の西前氏に播磨の伊和神社や堺市の石津太(いわずた)神社との関連についてお尋ねしたが今のところ不明。
ただ付近に在原業平(5/28日を参照)の関係遺跡が散在する。

以下、http://www5.ocn.ne.jp/~miyosino/ihata.html「吉野へようこそ、天川の神々」より勝手に引用-----例祭は10/15
日。本殿の背後の崖下は清流・天ノ川。鬱蒼とした森の中に佇む伊波多神社本殿。境内の真下は青く淀んだ淵。

和田集落の南東部、天ノ川の神ヶ淵に臨む。対岸に太刀見岩の見える山間の佳境に鎮座する。旧村社。『延喜式』神
名帳の吉野郡「伊波多神社」にあてられるが、祭神は不明。創建年代も不詳。古来立和宮(たちわみや)とも呼ばれたが、
立ち岩がなまってタチワとなったという。

当社から約300メートル離れた山腹に約4メートル四方の高座石があり、昔はここに社があったと伝えられる。本殿方
1.5M、境内711坪。『大和志』には「在天川荘和田村今称立和宮与栃尾九尾共預祭祀」とあり。―『寺院神社大辞典』よ
り― 愛嬌のある顔をした狛犬、扁額、手水舎・水盤の写真。

『吉野郡史料』下巻「天川村史」、神社の項には以下のようにみえる。「伊波多神社ハ和田ニアリ祭神不詳光仁天皇宝
亀元年(770)正月二十日創建建治元年(1275)改造延宝二年(1674)改造明治二十三年又改造ス」とある。( )内西暦
年号は筆者注(以上引用)。 

09枚岡神社の秋祭り・・・・・・東大阪市出雲井の当社(奈須光興宮司)で10/14〜15日に行われる河内地方を代表
する秋祭り。秋祭りは15日が本宮であるが、14日には先ずボテ(布団)を積み重ねた布団太鼓台23台が威勢良く町内
を練り歩いた後に午後2時には一の鳥居に集結して宮入りする。

はっぴ姿の氏子たちが「チョーサジャ、チョーサジャ」の勇壮な掛け声と共に神社までの約1kmの急な坂道を太鼓台を
担いで上り、日没には宮入が終わる。また午後7時にはもう一度約200mの参道を往復して「中がき」の披露で最高潮
になる。この2日間で約10万人の人出となる。

15日の本宮は布団太鼓台が再び宮入りする外、稚児行列があり、この二日間で約15万人の参拝者があると言う(05
/10/15日の毎日新聞から一部引用)。因みに此処の例祭は2/1日であるが、この秋祭りは春日大社に関係する。本来
は9/17日に行われたものだろう。其の逆方位に位置するのが春日大社である。

こうなったのは藤原氏が若宮(天押雲根命)と鹿島の神を共に春日大社に遷したからである。よって以後此処の例祭で
はなくなった事、其れに改暦の為に1ヶ月ズレた(9/17「春日若宮おん祭りだったか」を参照)。

枚岡神社はかつて河内一ノ宮として上の二神の外、四座を祭る古社であり、神武即位前の三年に創建した所から現在
地に孝徳天皇の白雉元(650)年9/16日に遷座したとされる。よって若宮は其の枚岡を向いて西面して建っている訳だ。

其れに対して春日大社は枚岡より後の、神護景雲二(768)年に造営され、この若宮の場合は更に保延2=長承四
(1135)年に創建され、其の翌年から祭りが始められた。以来「おん祭り」は大和第一の祭りとして賑わって来た。

祭りの後にはお旅所へのお渡り、そして武芸や芸能の奉納があり、興福寺の僧兵の主催で大和一国民衆の祭礼とし
て例年、9/17日に行われて来た。@

■堺祭り(10月14〜5日)【大阪府堺市、駅前広場】
■隅田八幡宮・例祭・・・・・・・4cの銘文入りの人物画象鏡が神宝として残されている事と六月のアヤメでも有名な和歌
山・橋本市の須田八幡宮では、@

■例年-熊野・速玉大社「新宮祭」・・・・・・(例大祭・神輿渡御式・御船祭)【和歌山県新宮市、熊野速玉大社】
ご祭神として熊野速玉神をこの日15日に祭る和歌山・新宮市の速玉大社の例大祭10/15-16日。此処には樹齢千年
のナギの大木がある。

にも拘わらず「新宮」と言われるのは、近くに元の宮としてゴトビキ岩と言う巨岩と神倉神社が有るからとも言われる
が、実は対極に本宮があって、其の関係で新宮と言われた事になる(異説もある)。@

其れにしても、出雲の神は「縁結びの神」と言われて来たのは、こうして例祭日が方位を通じて他の神社とリンクしてい
る事に其の由来が有るかとも思われるが、では「どうして縁結びをするのか」、と言うメカニズムについての説明を聞い
た事がないので本説が其の回答となろう。

何れにせよ、熊野地方は神々の二重三重の道標・結界が方位で設定されている事が分かります。本宮と新宮、其れに
那智を加えた熊野三山信仰は奈良朝初期から神仏混交の霊地の熊野権現として、宇多法皇の行幸以来、歴代天皇
も含めれば百度以上(140回)の御幸があった通り、朝野から厚く崇敬されて来た。

特に清盛などの熊野詣で以来、源平の信仰が厚かった。ただ本宮の場合、元の位置は明治22年までは今より下の大
斎原に有った。本宮のご祭神は家津御子神と言う謎の神名になっているが、別名「クマヌカムロノ命」とも素佐乃男命
の事とも言われる。@

それにしても昔通りの祭日をこうして今に伝えていた事には感服する。恐らく此処にも明治の改暦押し付けがあった筈
であるが、旧暦とは別の和暦を熟知する方があって、お上の無知を跳ね返して古式を守り通してくれたのでしょうが、
今は「御船祭り」を9/16日にするようになった(9/16日を参照)。

例年-灘のけんか祭り・・・・・・姫路市・白浜の松原八幡神社で神輿を激しくぶつけ合う。この日は「本宮」を迎えると
して、三基の神輿と六基の屋台が同神社で宮入りして、昼頃に宮出しして、「御旅山」の麓まで渡御し、「宮合わせ」、
「屋台練り」して祭りのピークとなり、五穀豊穣を祈願する神事を行う。@

以下、引用する。「灘祭り・灘の喧嘩祭り」---平成17年(2005年)姫路市白浜町の松原八幡神社秋季例大祭、通称「灘
のけんか祭り」の宵宮が10月14日、予定通り開催されました。生憎、夜半からの雨で本宮は16日に順延されました。

同日は秋晴れの祭り日和、木場屋台、松原屋台、八家屋台、妻鹿屋台、宇佐崎屋台、中村屋台と次々に各地区、自
慢の屋台が宮入しました。それぞれが所定の据え場所につくと、いよいよ神輿練り番の東山による、「宮遷し」の神事
が有り、神輿合わせが境内、及び楼門前にて勇壮に行われた。

後は、お待ちかねのお旅所、広畠へ、そこには約15万(飾磨署発表)観衆が、その豪快・豪壮・華麗・雅さ・永い伝統行
事に大きな歓声や拍手喝采が有り皆が灘まつりを堪能させた事でしょう。 市の観光案内所079-287-3658

平成17年9月25日(日曜日)---新調なった松原屋台の入魂式が、まつり本番さながらの参加者と見物人で賑わいなが
らも厳粛に挙行されました。好天に恵まれ、旧屋台との二台練りも実現し多くの人達が楽しい一時をもたれました。旧
屋台は山陽新幹線姫路駅のコンコースで晴れのお披露目。祭り処播州と姫路市の発展に寄与します。

「松原八幡神社」---現在の美しい破風造り屋根の幣殿、拝殿は、平成7年7月に修築されました。この地に九州の宇
佐八幡宮より分霊を勧請(かんじょう)して創祀(そうし)されたのが、天平宝字7(763)年と伝えられています。

又、京都の石清水八幡宮とも平安時代後期から室町時代にかけて深い関わりがあり、松原荘の荘園領主が石清水八
幡宮だったようで、その放生会(ほうじょうえ)が「松原八幡神社・秋季例大祭」、つまり「灘まつり」の始まりと言われる。

放生会とは、「捕らえた生き物を放してやる儀式」のことで旧暦8月15日が祭礼日だったのを、旧暦9月15日に変更し
たと文献に記されています。

「灘のけんか祭り」 本宮(10月15日)は、御旅山山麓の矢倉畑(広畑)を舞台にして、未明より夜半、まで厳粛、豪壮に
繰り広げられ、南北の斜面に設えられた桟敷席などの約10万人を超える見物客を魅了致します。

神事渡行に「露払い」の役を務める、松原氏子達関係者は、当日午前4時頃に集合し、テンテンツキ(獅子屋台)を引い
て、松原八幡神社へ参詣し獅子舞を奉納後、神官から清めのお祓いを受け、その後、御旅道の道筋を清めて行き、こ
こ矢倉畑を清める儀式(露払いの行事)を行います。

「新桜の名勝西山公園、山上御旅所」---毎年10月の灘まつり本宮当日は、ここ御旅神社神殿前に10本の幟と3基の
神輿、獅子屋台、豪華絢爛屋台6台等が奉納され、その豊な色彩や勇壮に外人観光客より「オゥ ワンダフル」が連発
されます。 

灘の松原公民館に準備中の衣裳等の説明を熱心に聞き入る保育園児達。このようにして灘地域全体がそれぞれの工
夫や方法で伝統を伝え続け、受け継いでいます。未明暗闇を神事の為、照明ご法度のテンテンツキと共に駈ける少年
たち、これから本宮が始動します。汐かきの儀、神輿練番の村は本宮早朝海水で身を清める神事をします。

激しい神輿3台合わせ 一の丸(應神天皇)、二の丸(神功皇后)、三の丸(比淘蜷_・ひめおおかみ)。毎年10月1日には
激しい祭りの無事を祈願してこうして衣裳のご祈祷を行っています。手前から赤いシデの松原、黄色の宇佐崎水色の
中村屋台。この様にひと目で目指す屋台が識別出来ます。
 
「傘鉾(かさぼこ)と獅子屋台」---本宮当日は、こうして松原村のテンテンツキが太鼓を止めることなく打ち鳴らしながら練
り上げたり、地面に放り投げたりして矢倉畑全域を清めますがその時の歌は、「若ノ松 セーヱ ママ ソラ エッサノサ
カ ヨーオ ヨーオ ワーモ ショウゲャ オモシロヤ ナンジャノー ヒョウタンヤ サアー エットヱー」

歌い終わると同時に屋台を天高く差し上げ空中に放り投げます。こうして練るためか松原村では獅子檀尻を獅子屋台
と呼んできました。腕守り 私の子供の頃は確か腕括りといっていたと思いますが、母に端布(はぎれ)や白の半衿で作
ってもらったと記憶しています。

毎年10月1日に八幡さんでお守札を受け、そのお守り袋として作られ、腕に巻いたり、腰や首に吊るすのが「腕守り」
です。祭り当日の安全を祈って、女性から贈られる風習があり、恋人に贈るのが当地の古来からの習わしです(以上、
http://homepage2.nifty.com/keisyouan/matsuri/nadamaturi.htmより引用)。

■06歓喜毛獅子舞う 姫路・大塩天満宮宵宮・・・・・・・境内で、荒々しく舞う毛獅子=14日夜、姫路市大塩町、大塩天
満宮(撮影・藤家武)  姫路市大塩町の大塩天満宮で十四日、秋季大祭の宵宮が営まれ、提灯(ちょうちん)明かりの
下、兵庫県重要無形民俗文化財の毛獅子舞が奉納された。

祭りは姫路、高砂市にまたがる氏子によって継承され、昼すぎには六地区の屋台が青く澄み切った秋晴れの下、豪快
な練り合わせを披露した。毛獅子舞は午後七時ごろから、高砂市の牛谷地区を筆頭に七体の荒獅子が順に登場。背
中を黒い毛で覆われた獅子は若い衆に肩車され、ほぼ一列になって大鳥居から神門、本殿までを進んだ。

続いて能舞台などに分かれて舞を披露。太鼓と笛の調子に合わせ、たてがみを振り乱した獅子は、神の恩恵に歓喜す
る様子などを変幻自在に演じて見せ、見物客らを幻想の世界に引き込んだ。本宮の十五日も午後二時から毛獅子舞
が奉納される。(坂口清二郎)

以上、http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000139615.shtml「神戸新聞」2006/10/15より引用。

■09コメント----09年の「灘祭り・灘の喧嘩祭り」ではまた1人の死亡事故があったようで残念です。また09/10/16日に
サンテレビ36CHで「8年ぶり」と言う飾磨の恵美酒宮の8基の神輿の「練り合わせ」の録画を放映していたが実に勇壮
な感じでした。

■八鹿町日枝神社の秋祭り「ざんざか踊り」・・・・・・・・・近江の日枝神社(今は日吉大社)の山王祭が4/14に行われ
る。@ 

此処には外にクロク(九鹿)地区や古墳群もあり、九鹿地区の「ざんざか踊り」の起源は室町時代から始まったものとさ
れ、数箇所を巡って日枝神社に至るものだが、「子供踊り」は猿芸に似たアクロバットの様な踊りであり、今は兵庫県指
定無形文化財になっている(「4/14」を参照)。

■06-09西条まつり・・・・・・愛媛・西条市の石岡、伊曾乃、飯積の三神社の秋の祭礼で121台のダンジリ屋台や太鼓
台が巡航する「神幸祭」が17日まで。

筥崎(はこざき)宮の意味・・・・・・・福岡市。 以下、http://www.hakozakigu.or.jp/history.php 筥崎宮から引用する。----
鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の
神としても有名です。

後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大
社の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠る
ことはありませんでした。

明治以降は近代国家を目指す日本とともに有り、同18年には官幣中社に、大正3年には官幣大社に社格を進められ、
近年では全国より崇敬を集めるとともに、玉取祭や放生会大祭などの福博の四季を彩る杜(もり)として広く親しまれて
います。
 
敵国降伏の御宸筆は本宮に伝存する第一の神宝であり紺紙に金泥で鮮やかに書かれています。たて十七・五セン
チ、よこ18・3センチで全部で三十七葉あります。社記には醍醐天皇の御宸筆と伝わり、以後の天皇も納めれられた記
録があります。

特に文永11年(西暦1274)蒙古襲来により炎上した社殿の再興にあたり亀山(かめやま)上皇が納められた事跡は有
名です。楼門高く掲げられている額の文字は文禄年間、筑前領主小早川隆景が楼門を造営した時、謹写拡大したもの
です(引用以上)。

筥崎(はこざき)宮の例祭については8/15日を参照。ただ8/15日と此の宮の参道方位が不一致である。其れについて
西埜先生の筥崎宮の鳥居のお話から此の宮の大祭の日取りを方位から吟味して見よう。以下、謎解きをする。@

秋祭・・・・・・・大願寺(佐賀県)。 













































10月中旬  

狸祭・・・・・・・証誠寺(千葉県木更津市)。 

■06今治・加茂神社・秋祭り「お供馬の走り込み」・・・・・・京都の上賀茂神社の「競べ馬」の流れをくみ、県の無形文化
財に指定されているもので、約200m余りの参道をホイヤホイヤーと駆け抜けます。愛媛県・菊間町の賀茂別雷神社
の秋祭り。 

加茂神社のご祭神は加茂別雷神。此処、菊間を軸に浜田市馬島--島根・大佐山(1069m)--そして位置はズレルが広
島市の比治山神社(大国主命)--呉市の賀茂神社もある。昔は此の辺りは呉市ではなくて賀茂郡であり、京都賀茂社
の荘園だった。

単なる荘園の為ではなくて、神事のために荘園として残ったのである。其処から瀬戸内の蒲刈島--菊間となる。逆方位
は石鎚神社--高知の日高村加茂地区--土佐市に至る。その暦方位は11/14--5/15(京都・葵祭)である。所が此の秋
祭りが明治の改暦によって1ヶ月ズラされ早められた可能性がある。詳細は不明だが以下、引用する。

愛媛・今治市の加茂神社で05-06年は此の日10/15、子供たちが乗る数頭の神馬(シンメ)が300m疾走するのを見る
ため1〜1.5万の観衆で賑わう。此の神馬は地元で飼育するサラブレッドと農耕馬である(06/8/29のNHK総合TVより
引用)。

加茂神社


次は現地のHP(おいでや)から転載する。加茂神社は近年新しく建て替えられた。瓦はもちろん菊間瓦。お供馬の走り
込み、ホイヤーと声をかけながら子供達の乗った馬が参道を走る。菊間川沿いの道を数キロ上って行くと左手に加茂
神社が見えます。

毎年10月第3日曜の秋祭りには愛媛県の無形文化財に指定されているお供馬の走り込みが行われます。菊間町は
昔、京都加茂別雷神社の神領だったということでそこの競べ馬の流れを汲んでいると言われます。おそらくは農作業に
使われていた馬をねぎらう意味もありこの秋の収穫祭にあわせて行われていたものだと思われます。

お供馬ばかりが脚光を浴びていますが、神輿も決してひけをとりません。すでに前日の早朝に宮出しを終えた各神社
の神輿が一同に集まりお供馬の走り込みのあと境内を練ります。およそ20余りの大小の御輿が土埃をたてながら走
り、練り歩き、はちあわせます。その後、それぞれの町へ出ていくのです。その日のうちに宮入をする事は希です。 

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住所 〒799-2303 愛媛県今治市菊間町浜1989 電話 0898-54-3132 
加茂神社:地図 1/ 12500 ↑NORTH  



お問い合せhttp://www.oideya.gr.jp/sees/archives/2005/01/160028.php
しまなみ海道の愛媛県側の沿線の市町村を中心に、この地域を旅する人たちのために観光情報を提供しています(以
上転載)。 

■岩原神楽・・・・・・・高知県・大豊町 (町役場・企画課 0887-72-0450)。
■熊野大社(島根)鑽きり火祭。
■飫肥城下祭り(10月15〜16日)【宮崎県日南市】










 










































10/16    


■09日光東照宮秋季例大祭(〜17日)【栃木県日光市】
★10川越まつり(〜17日:10月第3土曜〜日曜日)【埼玉県川越市、氷川神社】
動画http://www.omatsuri.com/movie/kawagoe.html

■木場の角乗り【東京都江東区、黒船橋公園】

■宮祭り・・・・・・・名古屋?(未確認)。八剣神社と若宮神社の間を神輿を載せた船が海中渡御する。
奈良・菟田野のお渡り・・・・・・・奈良県菟田野(うたの)町で惣そう社水分(みくまり)神社から凡そ2km先の宇太水
分神社まで神輿がお渡りして男女神輿が五穀豊穣の「まぐわい」を演じる。主神は速秋津比古神・天水分と国水分神で
ある。

因みに筆者は浅井・西埜氏と10年前の此の時期、当地が水飢饉のときに当社ほか数社に初めて訪れて雨乞い巡礼
をした結果、其の夜から雨となり、室生ダムを何度も満タンにした上に、同じコースの雨台風を数回も奈良に呼び込ん
で近畿一帯をタップリ潤した。

大和は素晴らしい土地柄だが慢性的な水不足が泣き所とされる中、此処は正にミクマリの霊験あらたかな事を示した
神域と言える。@

■矢田坐久志玉比古神社・例祭・・・・・・・大和郡山市。ご祭神は櫛玉ニギハヤヒ命と女神(御炊屋姫命)。天孫降臨の
伝承地である事から飛行機の神としても信仰されている。またお旅所(御炊屋姫命)の例祭は10/9-10。

藤原鎌足の命日・・・・・・・彼は天智天皇8(669)/10/辛酉16(U11/14-G11/17)に薨去(年56歳)。だから前記の
通り、談山神社の例祭が11/17に行われる。但し、「日本書記暦日原典」では辛酉は11/18となる。

■08住吉神楽・・・・・・・・住吉大社で14時から。
■阿麻美許曾(アマミコソ)神社の例祭・・・・・・大阪。6/15を参照。
★10堺まつり(〜17日:例年10月第2土曜〜日曜日)【大阪府堺市】

丹生都姫神社・例祭・・・・・・和歌山・かつらぎ町で丹生都姫命を祭る天野社。此処は空海が高野山を開山するまで
は高野山に有った。此処には弘法大師を高野山に案内した神として丹生高野明神も祭っているが、広大な山野を明け
渡して現在地に遷った。

今も高野山の北には弁天岳があり、また高野山の壇上伽藍には鎮守(四社明神)として祭られているが、地元では高
野山に対する信仰よりもこの丹生明神に対する信仰が篤く、各地に丹生社が祭られている。特に此の天野社は永正9
(1512)年6/16日に落慶して僧60と天王寺伶人により舞楽大曼供を執行している。

尚、丹生都姫命はナキ゜ナミの神子であり、天照の姉であり、和歌、稚ヒルメ、和歌の浦、和歌山、伊都、・・・・の語源と
なった神である。

昔は1/14日に山王堂で修正会をして、其の対極の7/18日には夏祭りを行い、9/16日には玉津島神社への「浜降り神
事」をしていたが、平成元年10/16日には天野大社として「渡御の儀」を44年ぶりに一部復活している(9/16日を参
照)。 

但し「渡御の儀」の日取りは2010年現在、4/18日に変更し、前日に宵宮、当日は楼門を出て太鼓橋まで行列を進めて
簡単な神事で、後は太鼓や神楽の奉納で終わるようになった。それでも当日は村の中が参拝客の車で一杯になる。

■06-09熊野速玉大社「御船祭り」・・・・・・・世界遺産・熊野三山の一つ、和歌山県新宮市の熊野速玉大社の秋の例大
祭の伝統行事の「御船祭り」が熊野川で10/15日に続き、「早舟競漕」が繰り広げられる。

当社の御神体が船に乗って上流の御旅所へ9隻で「ヤッサヤッサ」の掛け声で競漕して向かい、約1.6キロ上流の御船
島を3周して再び大社裏の河原に戻るもの(9/15日を参照)。 

■06御船まつり・・・・・・・白浜町で10/15-17。 

★10水浴び神輿(〜17日:10月第3土曜〜日曜)【香川県丸亀市、田潮八幡神社】
★10あかちゃん土俵入り(10月第3土曜)【徳島県海陽町】

■例年-新居浜・太鼓祭り・・・・・・・・・・愛媛県新居浜市、一宮神社で船みゆき(神幸)。10月16日〜18日。
動画http://www.omatsuri.com/movie/nihama.html

伊和神社・秋祭り・・・・・・・以下、「播州の秋祭り」http://kobe-mari.maxs.jp/shiso/iwajinja_akimatsuri.htmから引用
する。−兵庫県宍粟市一宮町須行名−伊和神社-祭神は、大国主神(おおくにぬしのかみ)(大己貴神)で、農業・工
業・商業等産業の神、縁結びの神、病気平癒の神として多くの人々の信仰を集めています。

伊和神社本殿背後には、神鳥が飛来したと伝えられる神跡の霊石「鶴石・降臨石」が残されています。神跡の霊石「鶴
石・降臨石」は、欽明天皇甲申歳、伊和恒郷に「我を祀れ」ちの御神託があり、一夜のうちに杉・桧等が群生して多くの
鶴が舞っており、大きな白鶴が二羽石上に北向きに眠っていたので社殿を道営したと伝えられています。 

伊和神社の一つ山祭---「一つ山」とは神社の東北方にある宮山で、三山と同様、山上近くの磐座(いわくら)の下に神
祠を祀っています。類聚国史に「斉明天皇の4年(658年)秋、百済の葛海をして伊和山に猟せしめられしに山頂鳴動
し、一毛も得ずして帰りぬ。一少年ありて語るに、「神山なり猟なきは神の御心なり」と。

これにより即時の祭を始め給う」とあります。伊和神社の臨時の大祭、現在も21年ごとに行われる一つ山祭は、この
即時の大祭を縁として始まったと伝えられています。一つ山の神祠近くに神紋菊を記した白旗を立てて、伊和神社と一
つ山の山麓において祭典が行われます。 
 
毎年10月15日、16日には秋期大祭、伊和神社秋祭りが行われ、御輿と5台の屋台が境内で練り合わせを披露しま
す。播州屋台は大別して、神輿屋根型、布団屋台(重箱屋台)、布団山型屋台(山型屋台)の3つに分けられますが、こ
の屋台は、神輿屋根型で播州伝統工芸の粋を集めた屋台です。

播州秋祭りの中でも、この伊和神社の秋祭りは非常に行儀のいい印象を受けました。

灘のけんかまつりを始め、曽根天満宮の秋祭り、高砂神社の秋祭りなど、南播磨地方の秋祭りでは、神輿や屋台、だ
んじりの練り子・担ぎ手はもちろん、観客までもが激しく入り交じって活気のある祭りですが、伊和神社の秋祭りは観客
と神輿、屋台が入り交じることなく祭りが進行していきます。

写真(屋台の練り合わせ-屋台の宮出し-御旅山への神輿行列 -御旅山・御旅所での神事)は省略(引用、以上)。  
また「甘南備」http://www.kamnavi.net/it/kinki/iwa.htmによれば、「伊和神社の真西にあたる地点の山腹から銅鐸が
出土している。

一宮と銅鐸、谷川健一さんの『青銅の神の足跡』を思い出すが、この神を祀った氏族は鍛冶氏族でもあった証と思わ
れる。当社の創祀の伝承に鶴が登場する。鍛冶氏族は鳥の伝承を持つというが、銅鐸出土とともに興味深い」と言う。

お祭りは、春季大祭・弁天祭が4月10日に近い日曜日、夏祭が7月15日、風鎮祭が8月26日頃、そして秋季大祭が
此の10月15・16日とある。15日は宵宮、16日が本祭りである(引用、以上)。
---さてご祭神は果たして何方なのか。方位からも解釈する。@

因みに方位では8/12---2/11方位に高千穂の天岩戸神社があり、また播磨国風土記には伊和大神の妻が木花開耶
姫命とあるので、ご祭神は実は高千穂に天孫降臨したニニギノミコトと判明する(けれども其れは本日の祭りとは別で
ある事も)。



★10飫肥城下祭り(〜17日:10月第3土曜〜日曜)【宮崎県日南市】






















































10/17  

蜜柑、鬼柚子、コスモス、蕗の花。


★09釜石曳船祭。

06-07-09日光東照宮例祭(秋祭)・・・・・・・千人武者行列がある。これは家康の棺を久能山から移した行列を再現し
たものと言われるが、其れはこの月の事ではなく、3月の事なので時期が違う。それより実は家康の命日(4/17日を参
照)に対応したホントの祭りと言える。

また、「日光の東照宮は家康を祀った所」と言われて来た。だが実は此れも少し違う。@
★09川越まつり(10月第3土曜〜日曜日)【埼玉県川越市、氷川神社】

十夜会・・・・・・・浅草寺(東京都台東区)で10/17〜18日。 
★10木場の角乗り(10月中旬の日曜日)【東京都江東区、黒船橋公園】
動画http://www.omatsuri.com/movie/kiba.html

■久能山祭り・・・・・・家康を祭る久能山では、1159段の石段を神輿が登って本殿に入る。

■墨俣祭り・・・・・・秀吉が一夜城を作ったと言う由来にあやかっての祭り。秀吉の命日は9/18だが、其れを旧暦と
見て新暦の10/17日にしている。薪能の催しも有る。

白山比盗_社の秋祭りだったか・・・・・・イザナギ・イザナミの神娘、またはイザナミ自身とも見られる菊理媛神を祭
り、加賀の国一ノ宮としての例祭は現在5/6(同項を参照)である。だがそれでは色々矛盾するので此処で検証する。
白山には三ヶ所の馬場があった。

現代人に馬場と言えば競馬場を連想するが、本来の馬場とは神のミサキ、つまり御前を意味した。此処では登山道で
ある。そうした事から先の加賀が一番有名となったが、其の外に越前と美濃があり、其の一つが勝山市の平泉寺でし
た。此処は白山修験の中心地としてかつては六千坊を擁したが明治から白山神社となった。

其れに対して岐阜県・白鳥町の長滝寺があって、かつては中宮と呼ばれ、今は白山神社と中居神社になっているが一
般に殆ど知られていない。さて此処も明治の改暦の弊害が見られる。 昔は二季大祭として4月と11月の午の日だった
のを改暦により5/6に変えたと言うのです。そうすると謎の祭りとなってしまうので別の観点から方位で検証する。

福井港に九頭竜川河口が有り、此処から勝山市の白山中宮を見通した先に白鳥町・毘沙門岳(1386m)が有る。@
其処で結論として神社の祭りは元々10/17の秋祭りであったろうが、其の前に命日の4/19が鎮魂方位なので、春
には先ず弔いの法事を長滝寺で行ったものと判明する。

秋祭りの主神は白山菊理大権現となるのに対して、春季法要のご本尊は無論、観音様として彼女を奉った。そうした
事から17〜18日が観音様の縁日として定着したのかも知れません。ただこの祭りで白山本宮の総ての祭りが分かる
ものではない。白山権現は三座を祭るので其の1つとしての平泉寺と長滝寺との関係の祭りに過ぎない。

とは言うものの、越前と伊豆とをこの祭りで往復するには山また山を直線距離にして300kmもあって、しかも高山が
連なりますので当時、歩いて往復しようとすれば大変です。叡山の千日回峰のように飛ぶように走るのが無理ならば一
年掛けて辿り着く覚悟がいったでしょう。

このためリレー式に各地に宿坊などの中継拠点を設けて狼煙を上げたり交替して人をリレーで送り出したのかも知れ
ない。其れが白山修験や後の富士講などに繋がり、山岳信仰とも言われたのでしょう。

■千姫折り鶴行列・・・・・・・伊勢の桑名市で。千姫がこの地に輿入れした由来による祭りと言われるが・・・・・。
■06-07-09伊勢神宮神嘗祭・・・・・・・15日から本日まで。但し地元では15日から10日間。
■蓮華山・大相撲・・・・・・1000年の歴史があると言う大相撲が石川県・塩町の此処で行われる。

■着物・大園遊会・・・・・・滋賀県・長浜市で。 
■大般若経・転読会・・・・・・興福寺。詳しくは奈良市観光センター0742-22-3900 

辛国(からくに)神社の例祭・・・・・・・大阪・藤井寺市。辛国神社の由緒には、今から1500年程前、雄略天皇13年にこの
地を賜った物部目大連がその祖神のニギハヤヒを祭ったのが由来と言う。社名の「辛国」は、物部氏没落後、一族の
辛国連が関わった事から社名となったと言うものの異説もある。今も韓国からの参拝者も多い。

よって「辛国」という社名が辛国=韓国、唐国など渡来系の氏族の事と見られる。だが弥生中期、九州より物部氏一族
が東遷し河内を中心に住み着いたとも言われるので、そうであれば原日本人の神である。大和川以南の南河内には
先住民が居たこともあり、大きい勢力には育っていないが、彼ら物部氏は祖神として饒速日命を祭っていた。 

或は500年頃に物部氏が創設したと言う説や渡来系氏族の辛国氏が韓国の神を祭ったという説もあって、時代と共に
入れ替わって来たようである。長い参道は樹木に覆われ、石燈篭、狛犬が並んでいる。辛国神社の祭神はかつて長野
神社が合祀されて以来饒速日命と天児屋根命、素戔嗚命である。 

何れにせよ平安時代には官社・式内社として人々の尊信を集めて来た。日本書紀には「雄略十三年春三月、餌香(え
が)長野邑を物部目大連に賜う」とあるが、餌香長野邑は旧藤井寺町の辺りと思われる。この地方を治めた物部氏はこ
の祖神を祭っていたが、その後、辛國氏が祭祀を務めて辛國神社と呼ばれるようになった。 

境内の枝垂れ梅が春3月頃には見事。祭礼は7月17日(夏祭)、及び本日10月17日の例祭。ただ当社の参道が本
殿から東の鳥居に伸びていて、其の暦日は生憎10/17ではなくて9/26.5---3/28である(9/17の「春日若宮おん祭り」を
参照)

其の前後、つまり東西には堺東(堺市)の伝・反正天皇陵南---柴籬神社---大津神社---葛井寺山門---伝・仲津媛
(実は応神天皇)陵・南部の陪塚(助太山古墳)---道明寺天満宮の鳥居---広陵町の巣山古墳(7/6向き)---天理市--
-伊勢市へ至る。

と言う事は、応神天皇との所縁があると分かるし、事実、相殿に応神天皇を品陀別命として祭って来たのである。
また当社と柴籬(しばがき)神社とは縁が深い。御所市の一言主神社との繋がりもある。因みに今の宮司は伊藤氏。

先ず西に位置する「柴籬神社」(松原市上田7丁目)は創建:5世紀後半(伝)。祭神:瑞歯別命(反正天皇406から410
年)、菅原道真公、依羅宿禰であり、関連性が見えない。夏祭りも7月19日から2日間、秋祭が10月19日から2日間
である。境内に所在の小社:住吉社、歯神社、稲荷大神社、勝手大神、大歳社、正井殿、十二社権現社がある。 

柴籬宮は仁賢天皇の勅命により創建され、この付近は反正(はんぜい)天皇の皇居、柴籬宮の跡と伝えられており、記紀
によるとこの時代は、平和な時代であった言う。以来、平安時代に清和天皇より幣帛を賜り、南北朝時代の足利直義、
戦国時代の河内国守護・畠山氏も厚く保護したと伝えられる。

明治40年代に、大塚山古墳にあった天満宮、田井城の田坐神社が合祀された。柴籬宮へ行くまでに羽曳野市の式内
社・大津神社(羽曳野市高鷲8丁目=河内国丹比郡丹下郷)があり、此処はかつて丹下大宮と呼ばれた。祭神は素盞
鳴命、櫛稲田姫命の夫婦神、天日鷲命とも言うが、下記の伝説もある。

本来は津史氏の祖神を祀ったもので、津氏は5世紀頃渡来の百済系の氏族であり、辛国神社と縁があった。津氏は
大和川の水運管理者で港を管理した職名にもとずく氏名で後世まで勢力を保った有力渡来系の豪族であった。また天
日鷲命は阿波忌部氏の祖であり、津史氏との関連はなく、高鷲の地名より後世に祭ったものと言われる。 

因みに大津神社は西から大分市、西脇市、大阪・泉大津市、そして此の羽曳野市(旧地名は水走)にあり、此処の場
合は伝説の祭神が天児屋根命の乳母・津速比売命である。よって古来、安産信仰があり、例祭が10/19日だった。更
に東大阪市、伊勢市(豊受大神宮末社)、飛騨市、真庭市・・・にも大津神社が有るが、此処との関連性はない。

そして辛国神社の東には葛井寺(ふじいでら)がある。此処は真言宗御室派、紫雲山。神亀2年(725)、聖武天皇の勅願
寺で行基が開創したと伝え、百済・辰孫王の子孫、葛井連の氏寺として藤井寺の地名の起源になったと言う。以来、西
国33ヵ所観音霊場第5番札所として有名(4/18日を参照)。

特に8世紀後半の作という日本最多の1043本の手をもつ本尊の十一面千手千眼観世音菩薩(国宝・秘仏・毎月18日と
8月9日の千日参りに開扉)は坐像の千手観音としては日本最古のものと言われ、唐招提寺、三十三間堂と共に日本3
観音の1つに数えられている。

また、藤の名所としても知られ、4月末には「藤の花まつり」が行われる(以上、ウェキペディアから一部引用)。さぁでは
先の辛国神社の隠れたご祭神は誰なのか。

■09壷井八幡宮・秋祭り・・・・・・・大阪府羽曳野市壺井605-2 で主祭神が誉田別尊・仲哀天皇・神功皇后。創建 康平7
年(1064年)。例祭 5月15日。由来は天仁2年(1109年)、源義家の五男義時が創建して河内源氏の崇廟としたもので、
源氏三神社の一つである(あとの2つは京都・六孫王神社、摂津・多田神社)。

壷井八幡宮には、義家が愛用したとされる「黒韋威胴丸(くろかわおどしどうまる)(重要文化財)や「天光丸の太刀」(重要美
術品)が残っている外、また南には通法寺址に源氏三代の墓地(塚)がある外、下記の隆光僧都の墓石も残す。更に
宮の境内奥には頼信・頼義・義家、義綱、義光を祭る摂社・壺井権現社(壺井神社)がある。

此処は「三社権現」とも呼ばれて来た。戦国時代末までたびたび兵火に罹り、八幡宮の一部を残し焼失したが、江戸時
代になって河内源氏の子孫である多田義直が柳沢吉保や隆光僧都へ働きかけて徳川氏の尊崇を受け、柳沢吉保が
両社を再建したと言われる。

ただ、八幡宮の例祭が8/16日であり、此処では例祭が5月である。それ以外に何故此処で此の日に秋祭りをするのか
と言えば、今は伊勢内宮の神嘗祭に合わせた収穫感謝祭としている。これは末社に石丸神社(主神が天照)があるか
らだが、本来は命日が4/17日の徳川家康の御魂を迎える日迎えの祭りだったかも知れない。

今は13時から子供神輿が出る。

09堺祭り「南蛮パレード」・・・・・・大阪府堺市10月第3土曜〜日曜日。16cのポルトガル人などの衣装に扮した人
たち7000人が街中を約1キロをパレードする外、「種子島」など火縄銃の実射・実演も有る。

★09南河内ダンジリ祭り・・・・・・大阪南部のだんじり祭り。特に富田林市・河南町・千早赤阪村で行われる祭礼。先ず
夏祭りとして09/7/25-26日、七月第4土・日曜日(試験曳きは前週日曜日)に行われる「科長(しなが)神社夏祭り」、

次に秋祭りが09/10/9-10-11(十月第2金・土・日曜日、試験曳きを行う日程は地区によって異なる)に行われる「錦織
(にしごり)神社秋祭り」、「春日神社秋祭り」、09/10/16-17-18、十月第3金・土・日曜日に行われる「建水分(たけみくまり)
社秋祭り」、「美具久留御魂(みぐくるみたま)神社秋祭り」、

そして「壱須賀(いちすか)神社秋祭り」、「板茂(いたもち)神社秋祭り」、「大伴黒主(おおともくろぬし)神社秋祭り」、「磐船(いわふね)
神社秋祭り」、「中津神社秋祭り」、「佐備(さび)神社秋祭り」を含めた彼方(おちかた)、など南河内地域のだんじり祭りを総
称して「南河内だんじり祭り」と呼称する。上地車(かみだんじり)、主に石川型のだんじり祭りである。

粟鹿神社・秋季例大祭・・・・・・・以下、「ウィキペディア」から引用する。 兵庫県朝来市山東町粟鹿。主祭神は彦火々
出見命、または日子坐王。例祭10月17日。但馬国随一の古社であり、2000年以上の歴史があるとも言われる。和銅
元年(708年)に祭神や歴代祭主などを詳細に記した粟鹿大明神元記の写本が残る(宮内庁所蔵)。

朝廷の信頼厚く、国家の大難に対して4度の勅使が遣わされたと伝えられており、約600年前には勅使門が建立されて
いる。日下部氏との関係が深い。粟鹿とは、鹿が粟を三束くわえて山(粟鹿山)から現れ、人々に農耕を教えたことから
つけられ、粟鹿神社にその鹿が祀られていると言う(以上引用)。

因みに彦火々出見(ひこほほでみの)命とは「山幸彦」の事。

★09水浴び神輿(10月第3土曜〜日曜日)【香川県丸亀市、田潮八幡神社】
★09あかちゃん土俵入り(10月第3土曜〜日曜日)【徳島県海陽町】

■風早火事まつり・・・・・・・愛媛・北条市で10月の第3日曜日前後。
★10松江鼕(どう)行列(10月第3日曜日)【島根県松江市】動画http://www.omatsuri.com/movie/dou.html

■例年-白鬚神社どぶろく祭り・・・・・・大分県西国東郡大田村の白鬚田原神社では新米でどぶろくを造り、五穀豊穣と
長寿祈願を行い、参拝者に振舞う1300年の歴史が有る奇祭。18日まで。

★09飫肥城下祭り(10月第3土曜〜日曜日)【宮崎県日南市】

月読神社・・・・・・・鹿児島・肝属郡串良町有里313番地の郷社・月讀命・他五柱神を祭り、例祭日10月17日(http://
www.youdocan.ne.jp/mukasi/jinhya.html「鹿児島の神社」より引用)。
また長崎県の壱岐、芦辺町に月読神社があるが、例祭日が不明である。

「鎮座年は487年。延喜式に壱岐郡月読神社「名神大」とあり。古事記の上巻に月読尊の誕生のことが載っている。 ...
伊勢神宮の内宮に月読神社、また外宮に月夜見神社があり、壱岐の月読神社が全国の月読社の「元宮」(もとみや)
とされている。 ...以下、http://www.genbu.net/data/iki/tukiyomi_title.htmによれば、

式内社・月読神社は、京都の松尾大社摂社月読神社の本社とされている。当社は古来、清月・山の神と呼ばれてお
り、山の神を祀る神社であったが、延宝年間に、平戸藩の国学者橘三喜によって、単純に、清月の地名から月読神社
に比定されたようで、論社としての根拠は怪しいようだ。

今も昔も、小社であり、壱岐氏の祀った名神大社であるには、問題もある。式内比定以前は、社殿も無い神社だった。
箱崎にある八幡宮の相殿に、天月神命が祀られており、棟札にも「箱崎八幡宮月讀宮…」と記されていた、月読神社
の有力な論社となっている。

旧社格も無格社であり、現在も小社であるのだが、壱岐の観光案内には必ず登場する有名神社。階段途中には休憩
所なども設けられ、拝殿内も綺麗に維持されている。本当の月読神社ではないのかもしれないが、それは、また別の
話、という感じだ。境内由緒書きの御神徳も、すばらしい(引用、以上)。



06-07-09貯蓄の日。 














































10/18 
  


09旧9/1日。

08川越まつり・・・・・・・・10月第3土曜〜日曜日に埼玉県川越市、氷川神社で。

06-09菊供養・金龍の舞・・・・・・東京・浅草寺(東京都台東区)。浅草観音は金龍山・浅草寺と言う。此処には年間に
4000万人が訪れる。本日は菊供養。金竜の舞が奉演される。

★09木場の角乗り(10月中旬の日曜日)【東京都江東区、黒船橋公園】
06-09靖国神社・秋祭。 
明恵上人忌(華厳宗)。 

★09城南宮・神幸祭・・・・・・・平安遷都の際に、国の守護神として創建された京都市伏見区の城南宮075-623-0846
は、白河上皇の離宮があった所で、熊野詣の出発地ともなり、現在も清々しい庭園に囲まれている中に茶席も有る。

神幸祭は平安時代の末から盛大に行われ、今は10月第3日曜日の正午過ぎより、重さ1.5トンの3基の神輿の渡御が
始まる。其の後に餅まきがあり、この「餅祭り」が季語にもなっている。

★08-09堺まつり・・・・・・・・大阪府堺市で、10月第3土曜〜日曜日。市内の大小路(おおしょうじ)筋、ザビエル公園などで、
大パレードを中心に、南蛮市、大茶会など多彩な催しがある。

★08南河内・千早赤阪村の秋祭り・・・・・・・10月の第三土日。建水分(たけみくまり)神社と中津神社のダンジリが練り
歩く。中津神社では地元の獅子舞が奉納される。

売布神社の例祭・・・・・同名の神社は松江や高知県、其れに香川県にもあったかと思うが、此処、兵庫県宝塚市の
売布(めぶ)神社は下照比売、または大布命を祭ると言う式内社であり、18〜19日に例大祭が行われる。大
布命はニギハヤヒ系ウマシマジ命の七世孫である。

また「摂津国風土記」の「稲倉山」には、「昔、止与宇可乃売神、山中に居まして・・・」とある。彼女はやがて丹後のマナ
イに移り、そして雄略22〜25/3月に伊勢・高倉山に祭られた。

とすれば、此処が彼女の故郷でした。けれども丹後に転じて羽衣を取られた天女となり、酒の神として病気を治し、老
夫婦を裕福にしたが、やがて大和の笠縫村に祭られ、そして伊勢では穀物神・御饌津神として祭られて行くのです。@

■長田神社の例祭・・・・・・神功皇后が新羅から御凱旋の翌年(摂政元年)、務古の水門、即ち今の神戸市長田区の
御船森に事代主神を、長媛を祭主として祭ったのが其の年の二月の事でした。因みに皇居八神殿でもこの神を祭神
の一座として祭っている。この社でも「この神は大国主の御子で神武天皇の義兄に当たる」と言う。

昔は500メートル伸びる松並木の参道だったが、戦後は商店街となり、其れがH7/1/17の阪神大震災で大きな被
害を受けた。此処ではシンボルの石鳥居も倒れたので、H16/12/23に銅製の鳥居に建て直しとなった。因みに今
の宮司は藤原氏。@以後も懸案として置く。

■広峯神社の例祭・・・・・・新羅の牛頭山に祭ってあったソシマリの神を吉備真備が天平六年、唐土から帰朝の際、播
磨の広峯に祭ったと言われる所が姫路市の広嶺(日幣)山の麓に鎮座するこの社である。また貞観年間には京都の八
坂郷に遷座されて祇園の八坂神社となったとも伝えられる。

ご祭神は元々牛頭天王であるが、今はスサノオノミコトと五十猛命として祭られ、例祭は4/18と10/18に行われ
る。因みに京都八坂神社の例祭は6/15であり、其れを旧暦と見て、新暦の7/18に祇園祭がなされる訳である。さ
て、何故10/18に例祭があるのか。@

★08水浴び神輿(10月第3土曜〜日曜)【香川県丸亀市、田潮八幡神社】
★08あかちゃん土俵入り(10月第3土曜〜日曜)【徳島県海陽町】

★09松江鼕(どう)行列(10月第3日曜日)【島根県松江市】
★08飫肥城下祭り(10月第3土曜〜日曜)【宮崎県日南市】

06-09統計の日。 

















































10/19 
 


★08木場の角乗り(10月中旬の日曜日)【東京都江東区、木場公園】
06-07-09日本橋べったら市・・・・・東京。 

06-07-09建勲神社・舟岡祭・・・・・・京都市。 
万部会・・・・・・・知恩院(京都市東山区)で10/19〜25日。 

■城南宮「神幸祭」・・・・・・平安遷都の際に南の守護神としてこの宮が創祀された。上鳥羽、下鳥羽、竹田の各神輿が
渡御し、夕刻に大松明の先導で本社に遷幸する。京都市。

▼07重陽の雛祭・・・・・・・・大阪・富田林市の寺内町(国の重保地区)では江戸時代から続く関西の風習「後の雛祭」を
再現している。07/10/19と08/10/7は旧暦の重陽(9/9)の節句。此の日は長寿を願って雛人形を飾る。「レトロ博物館」
「旧・杉山家住宅」(国の重文)などある。問い合わせは0721-23-5564 「後の雛まつり」実行委員会。

■イザナミノミコトの命日?・・・・・・・・2/2日、花の窟神社を参照。
■吉備津神社・秋季大祭・・・・・岡山市のこの神社の大祭は春秋にあり、春は5月の第2日曜日に主神の吉備津彦大
神が御隠れになった縁日として春の御忌日祭があり、其の逆の秋にはこの10/19に秋季大祭をしている。@ 

■岡山加茂川町の鴨祭り。
★08どう行列(10月第3日曜日)【島根県松江市】

遊子谷秋祭り・・・・・・・・愛媛県西予市城川町・遊子谷天満神社 11:30〜13:30・遊子川公民館 14:00〜16:00
遊子谷の鹿踊りは、窪野地区の三滝神社の八つ鹿踊りを習ったもので、1つ減らさないと教えないということから、1つ
減らした七つ鹿になりました(県指定無形民俗文化財)。

何時の頃からか、鹿踊りの中へ見物客を喜ばせる道化役の猿が加わるようになり、現在まで続いています。【西予市
観光協会城川支部 TEL0894-82-1111】

また対照的な行事として、 逆の時期の春には近くの三滝神社・春祭りをする(「4/17日」を参照)。

■福岡市・鳥飼八幡・献饌祭。
■佐賀・川久保・日鬚田楽祭・・・・・・・10/18〜19。佐賀市の白(白山?)姫神社から稚児行列が出て、久保泉神社
の境内で豊作祈願の為の稚児田楽を奉納する(NHKラジオ深夜便より引用)。





























































10/20 


●09土用。

06-07-09恵比寿講。 06-07-09誓文払い。 06-07-09皇后誕生日。

■07釜石・曳き舟祭・・・・・
■家光公の祭り・・・・・4/20の所で述べた通り、三代将軍・家光は日光一山にとって大恩人であり、従ってこの日は
彼を日光総出で迎える祭りとなる。

彼は家康を祭る所としてこの日光を一大霊場にしたのであるが、その彼もやがて家康とは3日違いの20日(慶安4年
1651/4/20)に薨去したので、東照宮の西の彼のご廟(大猷ユウ院廟)の奥の大黒山に葬られた。@

★07川越まつり(10月第3土曜〜日曜日)【埼玉県川越市、氷川神社】

■新羅三郎の命日・・・・・・大治二年のこの日が命日であり、大津市の山手には彼の墳墓があり、@
★07堺まつり(10月第3土曜〜日曜日)【大阪府堺市】
★07水浴び神輿(10月第3土曜〜日曜日)【香川県丸亀市、田潮八幡神社】

出石神社例祭・・・・・・・・出石神社(いずしじんじゃ)は、兵庫県豊岡市にある、元・但馬国一宮、式内社(名神大)、旧国
幣中社、別表神社。但馬五社の一つ。地元では「いっきゅうさん」と呼ばれ、親しまれている。祭神の天日槍は新羅の
王子であったが、八種の神宝を持って渡来し、但馬国に定住したと伝える。

また、八種神宝を八前大神として祀っており、延喜式では八座とされた(以上、「ウィキペディア」より引用)。豊岡市出石
町観光案内所 TEL/0796-52-4806

因みに天日槍(アマノヒボコ)と言う名は古事記や播磨国風土記にも登場するが新羅の人名と言うより和名に近い響きであ
る。播磨国風土記には謎の伊和大神が登場するが実はニニギの命と同一人物と思われる。また此処では天日槍が葦
原醜男と争っている。

他方、天孫降臨の先導役に猿田彦が有り、猿田彦と天日槍は同一人物ではなかったかと思われる。

★07あかちゃん土俵入り(10月第3土曜〜日曜)【徳島県海陽町】
■山川招魂社・秋季大祭・・・・・・福岡・久留米市・茶臼山。
★07飫肥城下祭り(10月第3土曜〜日曜)【宮崎県日南市】

■07-08-09-10壱岐神楽【長崎県壱岐市、壱岐神社】

■リサイクルの日・・・・・・10/20日が10-20で「一回り、ふた回り」と言う意味になる。リサイクルを始めた神奈川のリサイ
クル運動家たちによって提唱され、活動が続けられて来た。











































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