http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」 p141 (未定稿) 神々の歳時記 8月下旬 但し方位による 次は ●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起 の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版 8月号 http://www.matsuri.or.jp/cgi-bin/wforumcgi/wforum.cgi http://blog.mag2.com/m/log/0000026310/ 及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-9月」より一部引用・転載させて頂きました。 ■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記 には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の 詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。 8月末 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ 8/22 ■06-07千葉・だらだら祭り(最終日)。 ■06-07一遍上人忌(時宗)。 ▼四谷怪談の縁日・・・・・・江戸の四谷怪談は実話を元にした講談である。当地には祖母と孫の二人のお岩さんがあ り、怪談に出るのは孫の女性である。田宮家では7/18になると次々と四人の子供と後妻とが相次いで亡くなった。無 論当主も其の後を追った。因みに05年の本日は旧暦の7/18である。 怪談や因縁噺は最近流行らないが、モノカネ主義に偏って人の恨みなど省みない今のモノカネ主義社会への戒めとし て親が子に語り継ぐのはこれからも尚有益である(05/8/11の読売TVより一部引用)。 ■08太子伝会・・・・・・・瑞泉寺(富山県井波町)で8/22〜28日。 ■08太子会・・・・・・・広隆寺(京都市右京区)。 ■08六地蔵めぐり・・・・・・・京都市内の六寺地蔵尊をめぐる風習。大善寺・上鳥羽浄禅寺・桂地蔵寺・常盤源光寺・鞍 馬口上善寺・山科徳林庵で8/22〜23日。 ■08六斉念仏・・・・・・・盆または地蔵盆を中心に行なわれる念仏踊。六斉は六斉日(8、14、15、23、29、晦日)をいい、 かつてこの日に念仏踊を行なったことから呼ばれるようになったという。京都各所で8/22〜24日。 ■楠正儀(のり)の命日・・・・・・・以下、http://kusunoki.komusou.jp/masanori.html「南木(なぎ)」より引用すれば-----南北 朝時代の人物。楠木正成の子(3男)。左馬頭。出生の年(1330年?)、没年令は不明。幼名は虎夜刃丸、三郎。妻は新 田義貞の家臣、篠塚伊賀守の娘。兄には正行・正時がいます。 南朝→北朝→南朝と立場をかえながら南北朝の合一に尽力するも、その統一された瞬間を知らずにこの世を去ったと 言われています。大阪府枚方市の楠葉の久親恩寺の過去帳には、元中八年(1391)、楠正儀は8月22日に62歳で赤坂 にて討死したとあるそうです。正厳孝儀大居士とも書かれているとの事です(引用以上)。 -----千早赤阪村内、金剛山の登山口にある千早神社(標高566m)から徒歩数分の山中に「楠正成公首塚」がある が、実は正成ではなくて正儀の墓地とも言われている。 ■西宮戎大祭だったか・・・・・・昔は8/22に西宮神社から大和田岬に船が繰り出した。大和田岬は古くは万葉に「百 船の泊つる」敏みぬ馬めの浦であり、また平清盛の時には福原の新京と宋との交易のために大型船を泊める所として この「大輪田の泊」が重視され、その後に「兵庫の津」と呼ばれ、伊能忠敬の測量図では御崎村と記してある。 其れは西宮神社と大和田岬はこの日の暦・方位に合致する事からも合点が行く。従って和田岬は古来、西宮エビスの ミサキであった事が分かる。この船渡御も長く途絶えていたが近年復活したから素晴しい。だが折角復活したのにその 後2002年からこの日8/22を旧暦と誤解して9/22〜23に変更してしまった。 この西宮にはアマテラスの外に事代主神なども祭られているが、一番慕われているのはこの事代主神(恵比寿様)で ある。よって此処が西宮夷と言われる。何れにせよ明治初年の神仏分離まで、例年9/17〜18日には西宮から四天 王寺の西門まで神輿が渡御し、四天王寺の僧侶が遷幸し、寺の楽人が舞楽奉納していた。 と言う点から両社の位置をラインで結んで見れば、西暦にして10/21日に相当するので、先の月日が旧暦である以 上、これを今の9月として方位で見れば両者が略合致する。つまり此処も古来、それほど方位を厳格に守って来た事 が分かる。ただ夏祭りが8/22なのに冬祭りが1/9〜11では釣り合いが取れない。 つまりどちらかが改暦の際に1ヶ月読み違えているのではないか。 ただこの8/22の夏祭りが、先の二神ではなくてヒ ルコか、スサノオノミコトか、月読みの尊、または稚日女命か、もしくは事代主命の何れか・・・・と推定する場合は先ず 暦日がキーポイントになるが、1/9〜11日が西宮エビスの例祭(宵戎・本戎・残り福)である。 其れが全国的に「戎さん」の縁日として定着している以上、此れを譬え暦・方位からとは言え簡単に覆すのは無理であ る。無理とは思うが検証して見る必要がある。例えば例祭日を仮に旧暦の正月11日として、此れを西暦の2/11にす れば、其の方位の前後には何が有るだろうか。 8/12.5←→2/11.5には←→西宮←→日吉大社←→堅田の浮き御堂←→田村神社(長浜市)←→となります。 また、大阪難波の「今宮戎」とこの「西宮エビス」の何れが本家かと言う論議が決着を見ないので一言する。方位から見 れば西宮が本家である。 先の四天王寺に遷幸の時の通過点が難波であり、其処にあったお旅所が固定的になって今宮、即ち新宮となったもの と判明するからです。何故西宮から遷幸したのかと言えば、其処に市が立ち、商売繁盛の神として四天王寺から勧請 されたからである(2/11を参照)。 さて本日の例祭について続きを述べる。西宮からこの日の方位に向かえば和田岬に至るが、其処には残念ながら其 れらしい遺跡は和田宮位である。此の辺り(大和田泊)は平清盛の時に兵庫津として日明貿易で栄えた。 ともあれ、少し方位をズラして、先ず西宮夷からJR兵庫駅の東の蛭子神社に向かえば8/26日になり、或いは西宮夷 から長田神社の前の神楽町、そして垂水の行幸町、更に五色塚古墳から舞子に向かえば西宮エビスとは8/28.5 ←→2/28の方位関係になり、其のまま進めば香川の志度・鴨の庄に出て、其の先には琴平宮に達し、観音寺市に 至る。 金毘羅宮は大物主命を祭る古社である。そうすると西宮エビスは大物主命を8/28.5←→2/28の暦・方位で祭る 事代主神の宮である事がハッキリします。そして実は西宮エビスの後背部に広田神社がある。今はエビス様が前に迫 り出しているが、此処は元々広田神社の出先だった。従って広田神社から琴平宮の方位を見る必要があった。 其の方位は8/ ←→2/ である。 8/23 ■06-07処暑。 ■08全国花火競技大会(大曲の花火)【秋田県大仙市】 ■06綱火・・・・・・昔は茨城県伊奈町で旧暦の7/23に行ったが、西暦になって今は8/23日が高岡愛宕神社、翌日 は小張愛宕神社で行われる。高岡と小張との方位はこの日の暦日とも合致する。因みに愛宕神は火の神であり、綱火 (8/15を参照)と言う導火線で「仕掛け花火」に点火して雨乞いをする神事。つくばみらい市観光協会0297-58-2111 ■08延生地蔵尊祭・・・・・・・城興寺〔延生地蔵尊〕(栃木県芳賀町)で8/23〜24日。夜祭として有名。 ■08高円寺阿波踊り(〜24日:例年8月最終土曜〜日曜日)【東京都杉並区高円寺】 ■08地蔵堂地蔵会全式・・・・・・・円通寺(岐阜県大垣市)。 ■08地蔵盆・・・・・・・京都各所で8月の地蔵菩薩の縁日に行われる行事。無縁仏にろうそくを供養して冥福を祈る。 ■06-07-08千灯供養・・・・・・化野(あだしの)念仏寺(京都市右京区)で06/8月23日〜24日。カワラケに灯芯を入れて 火を点じ、たくさんの灯明を灯す。無縁仏の供養として約8000体の石塔や石仏に参拝者がロウソクを灯す。同寺の一 帯は平安時代から庶民の風葬の地として知られる(06/8/10朝日)。 ■08地蔵盆・・・・・・・金剛山寺〔矢田寺〕(奈良県大和郡山市)で8/23〜24日、無数の提灯を点じ、盆踊りをする。 ■地蔵会・万燈供養・・・・・・元興寺で8/23〜24。詳しくは奈良市観光センター0742-22-3900 ■両道入媛(ふたじいりひめ)の縁日・・・・・・堺市には古来、和泉国の一宮としてヤマトタケルと大鳥連祖神を祭る鳳大社 がある。因みに社殿は古式の大鳥造り(出雲大社造りに似た造り)。古来、此処は藤原氏で栄え、後にニワイ、鍬ユ キ、浜、井瀬の四社を合わせて大鳥五社と言った。 他に4/13には浜寺公園へ渡御する花摘み祭、7/31には夏祭りとして市内・宿院へのお練り「堺渡御祭」がある。 また此処は行基が聖武天皇の勅願を奉じて勧学院神鳳寺を建てたが、明治の神仏分離により廃寺となった。そして昔 は吉兆縁起の熊手・お守り・福財布などを売る歳末の「酉の市」で賑わい、其れが関東にまで及んだ(11/1を参照)。 さてこの日の例祭日について其の方位を見ても格別何もないので、此処も明治の改暦によって1ヶ月ズラされたものと 分かる。何故なら下記の祭日である7/31や10/6も1ヶ月ズレているからだ。従って8/13の例祭日は実は7/1 3だったと分かる。 例えば7/31の「堺渡御祭」は、其の方位に進めば踞尾八幡神社→伝・履中天皇陵→仁徳天皇陵・・・の中心軸を貫く ものの、其の築造方位とは違うからです。其処でこの日を6/30と仮定して其の方位に進めば岸和田市の積川神社 に至る。此処の五祭神の一座に栄井神があるので例祭日は違うが関連が有ると思われる。 因みに6/30は今は大祓式がある。次に浜宮の例祭日が今は10/5にあるが、鳳大社からの方位は9/4方位に 浜宮が位置している以上、此れも1ヶ月ズレた9/5だっと考えるべきだ。浜宮は両道入媛を祭る宮であり、彼女はヤ マトタケルの后だった。因みに9/4の逆の時期の3/5には火鎮社祭が行われる。 何れにせよ鳳大社の7/13の暦日は何を意味するのか。其れを解くために7/13方位に進むと和歌山県岩出町の 大宮神社に至る。この大宮神社の主祭神がまたヤマトタケルになっている。此れは偶然だろうか。偶然ではなくて必然 であるから暦・方位でご祭神が繋がり、三角関係が矛盾なく成立するのです。 但し鳳大社はこの浜宮のラインから東にズレるので、以下は浜宮を基軸にして見る。先ず南にある大宮神社について は、現在の例祭日が周囲の地区に横並びで10/6としている。其処から紀ノ川を渡れば船戸に至り、其の先には小 山古墳(和歌山市・下三毛60mの前方後円墳)がある。 そして其の先は神功皇后に縁りの岸の宮(貴志川町)に至る。 さて、浜宮から逆に1/12方位に進めばどうなるか。鳳大社の西を掠めて進めば東淀川区の大隅に出る。此処はヤ マトタケルの孫に当たる応神天皇が大隅の宮を置いた処であり、更に進めば高槻市の神峰山寺(かぶさんじ)に至る。 此処は役小角の開基で天台宗・根本山宝塔院となっている。以上から、このラインはヤマトタケルかもしくは両道入媛 の命日・再生ラインと仮定する。次に此処から浜側に西進すれば古墳状の丘が何箇所か存在する。 浜寺元町六丁と鳳北町六丁の其れは8/23←→2/22に並んでおり、其の先には先の踞尾八幡神社←→いたすけ 古墳前方部←→御廟山古墳・前方部←→長曽根神社←→熱田神社(松原市)に正中する。此処もまたヤマトタケルを 祭る所だが例祭は7、10、12月の各15日としている。 次にそのまま進めば奈良・平城宮跡←→法華寺←→笠置山(324m)←→三重・阿山町←→名古屋城←→白鳥塚古 墳(尾張旭市)←→定光寺(瀬戸市)となる。この寺は徳川義直公廟所でもある。因みに名古屋市には熱田神宮があ り、ヤマトタケルの次の妃・宮箕姫が居ついた所である。 とすれば2/22日はヤマトタケルの命日と推定出来るが、結論とはしない。例えば逆方位の8/23は彼の御霊を迎え る祭りがあったと推定できる。其の方位が鳳から逆方位にある。8/23方位には先の浜宮(浜神社)が正中し、そのま ま関空を通過して進めば淡路島の天川←→南淡町・潮埼←→徳島空港←→東祖谷山村の三嶺(1893m)に至る。 以上から此のラインはヤマトタケルの日迎えをした両道入媛の縁日ラインと推定出来る(ヤマトタケルについては3/16 を参照)。 ■08武雄火除地蔵祭(佐賀県)。 ■幣立神宮・五色人小祭・・・・・・・熊本県上益城郡山都【やまと】町(旧名:阿蘇郡蘇陽町)。中央構造線なるものをご 存知であろうか?約8000万年前にできた日本列島を関東から九州まで縦断する大断層である。実に1000kmにも およぶ日本列島最長の谷と言われ、その様は月面からも見えるという。 九州では大分の臼杵から阿蘇を通り八代に抜けているらしい。この中央構造線が通る長野県分杭【ぶんくい】峠は数 年前に「気」の出るパワースポットとしてテレビの放映もありかなり有名になっているそうである。この幣立神宮もこの中 央構造線上にある。 ワシタカ科のサシバという渡り鳥がいるが越冬をするために南下する際、中央構造線上を南下するらしい。また、この 中央構造線上には聖地や霊場が集中している。(個人的に)決定的なのは日本最大の聖地とされる伊勢神宮もこの中 央構造線上に存在する。実はこの幣立神宮、高天原神話の発祥の地とされる。 ※高天原【たかまがはら・たかまのはら】とは日本神話の天上界を言い、天照大御神【あまのてらすおおみかみ】と須佐之男命【すさの おのみこと】をめぐる神々の物語の舞台となる。五百枝杉【いおえすぎ】と呼ばれる巨大な杉を筆頭に幣立神宮の森として町 指定天然記念物の杉木立たちは癒しの空間を創り出している。 主祭神は神漏岐命・神漏美命【かむろぎのみこと・かむろみのみこと】である。両神は古事記で有名な天照大御神よりかなり以 前の神で人類の平和を願い火の玉に移ってここ幣立の地にご降臨された宇宙からの神なのだという。ほか大宇宙大 和神【おおとのちおおかみ】、天御中主大神【あめのみなかぬしおおかみ】、天照大御神を祀ってある。 また、幣立神宮は通称「高天原・日の宮」と呼ぶ。「日の宮」とは天照大御神が住む宮殿、その子孫である天皇の住む 御殿のことを言い、隣町の宮崎県高千穂町には高天原神話で須佐之男命の乱暴によって怒った天照大御神が洞窟 に篭り世に暗闇をもたらしたことで有名な天の岩屋戸【あめのいわやと】の洞窟がある。 祭りは毎年八月二十三日・五年毎に大祭、その間四年は小祭が行われる。「五色人祭」と言い地球人類の各々の祖 神がここに集い、御霊の和合をはかる儀式を行ったという伝承から地球規模での平和を願うお祭りである。まさしく神 漏岐命・神漏美命の願いである。また、国内外から参列者が集まるというから驚きだ。 太古の昔、大自然の生命と調和を聖地としてここに集まり世界五色の人類の祖先が願った想いが現在でも息づいてい るのだ。それからもう1つの見所をご紹介。社殿左脇から階段を下り右手方向へ山道を進むと東御手洗【ひがしみたらい】 と呼ばれ、岩清水が流れ出る池がある。 太古から八大龍王が鎮まる所とされ、北辰妙見【ほくしんみょうけん】(天御中主大神と同一)の大神が祀られている聖地で ある。神代の昔、瓊々杵尊【ニニギノミコト】が、この池の神水で全国の主要地を清められ、中国の始皇帝は不老不死の霊 薬をこの神水に求めたという。 以上は「あしこし九州」 http://www.ajkj.jp/ajkj/kumamoto/soyo/kanko/heitatejingu/heitatejingu.htmlから引用した。 さて、此処は中川様のご紹介があった所なので言霊と方位の観点からもう少し踏み込んで見たい。先ず言霊では日立 と肥後とは「日発ちと日尻」の関係を意味する。つまり日の出の位置と日没の位置関係にある。 日立には金砂郷両社が大己貴命を祭り、昔は2/23に祭りをして来た(2/23、及び3/23日の大祭礼を参照)。肥後では 此処、弊立(天照皇大神)では全く逆の時期の8/23日に大祭と小祭を繰り返して来た。何れも祭日・暦日に対する日の 出入りの方角(位置関係)も各々逆関係に位置している。 因みに冬至の日没は幣立神宮から八女市の方位に沈む。正しくは真西から約28度の権現山と其の先の竜ヶ岳のライ ンであるが、地形の関係から30度の八女市の方位に沈む筈である。@ 8/24 ▼朔(06閏7/1)。 旧暦ではこの日から閏七月・文月に入る。要するに西暦の8月=葉月ではない。06年の今日は旧7/ 12日。 ■地蔵盆・・・・・・本来は旧暦7/24の行事。 ■06-07-08新庄まつり(仁田山鹿子踊り)・・・・・・山形県新庄市で07年は8月24日〜26日。江戸時代に飢饉を救うため 藩主が始めた。以来250年の伝統。21町会の大きな屋台(山車)を子供たちが曳く。 ■08修験者入峰修行・・・・・・・荒沢寺〔羽黒山荒沢寺〕(山形県羽黒町)で8/24〜31日。31日は出峰祭。 ■綱火・・・・・・茨城県伊奈町で、8/23=24。因みに2/23 日に「大祭礼」として此処から北方に位置する金砂郷町 と水府村で繰り広げられる東金砂神社と西金砂神社の「大祭礼」に対して、この祭りは時期が逆になるが、方位はズレ る。 ■06-07秩父・四萬部寺大施食会。 ■08御魂祭・・・・・・・藻原寺(千葉県茂原市)。 ■08緑結地蔵縁日祭・・・・・・・縁結地蔵(東京都)。 ■06-07京都・地蔵盆。 ■08六斉念仏踊・・・・・・・空也堂(京都市中京区)。 ■弘文天皇祭・・・・・・弘文天皇、即ち大友皇子の命日なので正しくは年忌であり、祭日ではないが、書記には7/23 壬子(ユリウス672/8/21グレゴリオ8/24)崩御とある。但し、この命日がどんな暦法の何日なのかを確定出来な ければ祭日が不明となる。 彼の陵は今の大津市長等山前陵とされており、其処は宮内庁管理地になっていて入れないものの、外部からでも平地 に土饅頭を盛った程度の所と分かるので、到底「天皇陵」とは信じられない。 大津市・近江神宮ではこの日に祭りが有るが、この日が命日とするならばこの宮ではなくて寺で、弔いの法事をすべき 日であり、日迎えの祭りとしては寧ろ旧暦なら1/23、西暦なら2/22〜24にすべきである。他にも大津市栄町には御 霊神社と言う所があって彼を祭っている。 だが命日について確定出来ず、陵についても諸説有るものの何れも確証がない(「8/12」を参照)が、結論とする。 大津には大友皇子(弘文天皇)の陵が有るのか無いのかと言えば有る。但し8/24方位である。先ず三井寺駅から西に 向かえば観音堂があり、観音堂の左右には長等(ながら)神社と三尾神社がある。 長等(ながら)神社には朱の楼門があるが、園城寺の境内に勧請した神社でご祭神が違うし例祭日も違う。また先の三 尾神社は何故か「卯」をキーワードとして来た神社である。@ ■斎明天皇の命日(661年・旧暦の秋7月木の甲午1日丁巳、即ち24=ユリウス暦8/24)。命日だから祭日と言うより 縁日です。新暦のこの日、彼女は「朝倉の宮」で崩御のため、その逆の1/22方位に葬られた。所でその朝倉の地に ついては現在、「筑紫」(福岡)」と断定されているが疑問である。何故なら方位が合わないからだ。 合致するのは高知県である。因みに高知県下・伊野町の椙本神 社では昔から大黒祭(土佐の三大祭の一つ)が行わ れて来たが、其の隣接地に赤鬼山・朝倉神社がある。 但し何れも御祭神は彼女ではない。其の他、土佐の一宮である土佐神社では御祭神が違うものの矢張り8/24に宵 宮、そして翌8/25日に例祭をしており、其の方位から先の朝倉神社と繋がっているから不思議です。 ただ土佐神社(例祭日は8/25)が朝倉と直線上で繋がっている訳ではないが、土佐神社の隣が神宮寺であり、此処 が今は四国88霊場の30番札所となっている。此処では下記の志那禰祭(鳴音神社へ渡御)をして来たのである(下記 の「8/25」を参照)。 序で乍ら言えば、先の朝倉神社のご祭神は天津羽羽神となっている。だがそんな神が果たして実在したのかどうか。 余り知られていない事として皇極(斎明)天皇は、即位前は舒明天皇の皇后であり、其の前は実は高向王(用明の孫) に嫁いで漢皇子を生んでいる。だから漢皇子や皇太子の天智天皇にとっては「母神」になる。 とすれば、この朝倉に漢皇子が弔いのために居着き祭り、其の弟である天智天皇が明日香と大津に宮を造ったと考え る事が出来る。尚、朝倉神社から明日香に向かう軸上に若宮八幡宮がある。 此処が漢皇子の宮だったろう。またその付近の地形から見れば彼はやがて五月の命日方位で薨去したかのように旭 町から石立町を越えた所の小石木町の丘陵地がある。さて、中大兄(次の天智天皇)は、この日の方位に従って、土佐 から逆の2/24方位に当たる明日香村に戻り、川原寺で喪を務め、明日香の地に墳墓を造った。 川原寺は天智天皇が母、斎明天皇の冥福を祈って創建した官立の寺院であり、後に藤原京四大寺とされた。その後、 飛鳥の寺の多くが平城京に遷ったが、此処だけは飛鳥に留まり、今は国の史跡に指定されているが、此処から、当時 鋳造された風呂釜の鉄鋳型が出土した(2003/6/7発表)。 温泉好きの母を弔う親孝行の一つとして、此処で風呂を立てたのだろう。彼女の陵は「越智崗上陵」と記録されてい る。宮内庁では現在、高取町車木の円墳を彼女の陵としているが、方位から見れば少しズレる。その他、幾つかの候 補地が有るものの考古学では特定できていない。 其処で有力な古墳の内、例えば牽牛子塚と呼ばれる古墳が明日香村と高取町と二ヶ所あるが何れも土佐からの方位 から見れば少しズレる。但し、命日を8/25とすれば、明日香村の牽牛子塚が合致する。 或いはもう一つ別の所を探して見ると、マルコ山古墳の西に泉福寺があって其の裏山(標高155m)がこのライン(ユリ ウス暦8/24)近く、更に其の先には高取町車木にある山が山形でも略一致する。仮に後者が彼女の陵とすれば、其 の軸上には先の川原寺と板葺宮とが直線状に並ぶのです。 所で、天智天皇がその後、飛鳥から大津の宮へ遷都したが、その理由について識者は軍事専門家でもないのに、「防 衛拠点の内陸部への移動」と言う軍事的観念から解説するが疑問である。 そうではなくて、実は先帝の御魂を佛教式、つまり旧暦方位では土佐から見て大津が2/12方位になり、従って2/2 5方位の飛鳥より も大津の宮で「日迎え」するべきと判断したからに他ならない。詳しくは大津の宮(2/12)を参照。 天武時代になっても、2/25には大極殿に居つき、また九年三月には略其の方位(9/18.5←→3/19)に当たる 菟田のアキ(吾城)に御幸し、また或る年は四、六、八月に川原寺に奉納、または御幸し、もしくは百官を遣わし、また 土佐の大神に対しては675年三月 に刀を、686年8月13には勅使をもって幣を奉っている。 これ等は全て斎明天皇の弔祝の二祭りのためである。 ■46孝謙女帝の命日か・・・・・彼女(阿倍皇女・高野姫)は平城宮で独身のまま即位し、宝子称徳孝謙皇帝とも称する 女帝となった。彼女はやがて譲位して47淳仁天皇を即位させながら後に廃帝とした外、西大寺や保良宮(近江)を造営 し、次には48称徳天皇として重祚した。 だが其の後、平城宮で神護景雲4(宝亀元)/8/癸巳4、即ち770/ユリウス暦の8/28、グレゴリオ暦では9/1に崩御 し、高野陵に葬られた。其の「高野陵」として今、治定された所が奈良市にある前方後円墳であり、あいにく時代的に合 わないとして考古学では疑問視しており、其れよりも「西大寺の西側にあった」とする説が有力となっている。 西大寺は称徳天皇の勅願寺である。よって此の命日の逆方位に彼女の高野陵がある。と言う事は、勅願寺ではなくて 彼女の崩御後に道鏡によって此処が菩提寺として建立された可能性が高い。但し、厳密には今の本堂ではなくて、更 に120m北と結ぶ。其処ならば、高野陵の主軸に重なる。但し、そうすると命日が8/4ではなくて8/24となる。 所で、彼女は由義宮(大阪・八尾市の弓削)で崩御、つまり寵愛した僧・道鏡に看取られて弓削で亡くなったとも言われ る。其処で八尾からこの日(8/24〜2/23)のラインに向かえば下野・薬師寺に達する。しかも其の先には伝説があ るのだ。茨城県には「御前山」と言う名勝地があり、彼女と道鏡とのロマンが語り継がれて来た。 山と言っても標高146mの高さしかないが、山上は緩やかな丘陵地であり、其の山麓には皇都川と那珂川の清流が 合流し、広い砂州がある風光明媚な所である。其処から今も、「関東の嵐山」として名声が有る。さて彼女の亡き後、道 鏡は下野の薬師寺に左遷されたと言われている。 其の薬師寺跡が今、栃木県・南河内町にあり、この日(8/24)の逆、即ち(2/23)方位にある。八尾から彼女が天 皇の宮とした平城京を通り、そして下野・薬師寺跡を通過して御前山に達する。こうして一連の遺跡が並ぶのが偶然の 結果と言えようか。その外、熊本市から8`東の白川沿いに弓削法王社があるとの事。 熊本と茨城は長距離なので、地図上では直線ではなく、ややカーブを描く形となるが、此れが本来の黄道・黄経に沿っ たラインと見れば道鏡ではなくて彼女の命日に基づいた方位と推定出来る。だから敢えて此処では彼女の命日を8/ 4ではなくて、8/24と見たのである。尚、近くには下野国分寺・国分尼寺跡もある。 とすれば、御ふた方の晩年の痕跡は、文献にも、また奈良や大津の地にも少ないが、この下野・常陸の地には色濃く 残されていた事になります。また茨城県・美野里町竹原にも孝謙天皇宮やお二人の伝説が残る。 正史には彼女が関東に出向いたとの記録は無いが、父・聖武天皇が東 大寺を造営し、其のために要した金が東北で 出た事、其のため下野は東北の抑えとして九州の大宰府以上に重要性があった事から、御ふた方がこの地に旅する 理由はあったし、また時間もあった。 先の御前山とはこの日(8/24〜2/23)のラインの軸上に連なるので、当時の和暦はユリウス暦より四日早かった 事になる。しかも孝謙天皇所縁の神社と墓地※が隣町(石橋町)に残されている。更にその地と、先の薬師寺跡との方 位は、道鏡の命日ラインに当たるのです。 とすれば、御ふた方の晩年の痕跡は、文献にも、また奈良や大津の地にも少ないが、この下野・常陸の地には色濃く 残されていた事になります。 ※当地(石橋町)には彼女の墓(石柱)と孝謙天皇を祭る神社があり、彼女が道鏡の後を追って、密かに京を発ち、こ の地で暮らしたとの伝承が有り、また御前山には「お二人が烏山から船で那珂川を下り、伊勢畑に伝説を残して那珂 川の更に下流の、山水の景色の優れているこの御前山に宮殿を置いて、暫く滞在された」との伝説まで残っている。 また茨城県・美野里町竹原にも孝謙天皇宮やお二人の伝説が残る。正史には彼女が関東に出向いたとの記録は無い が、父・聖武天皇が東大寺を造営し、其のために要した金が東北で出た事、其のため下野は東北の抑えとして九州の 大宰府以上に重要性があった事から、御ふた方がこの地に旅する理由はあったし、また時間もあった。 彼女が39歳で譲位し、特に43歳で出家した後は私的な自由もあった筈なのだ。お二人は、各地の国分寺・尼寺を監 督すべき立場であり、下 野薬師寺は僧を養成する東の戒壇院として特に重要だった(道鏡については「5/17」を参 照)。@ つまり天皇亡き後に道鏡が彼女の命日・暦日を観測してその霊を日迎えするために一時期籠った庵としてである。彼 女に対する鎮魂・弔いはこの御前山ではなくて、逆方位でなければならない。つまり其の役割は西大寺と熊本でした。 熊本に関しては弟が大宰府に居たので代行させたろう。だが日迎えは彼が下野する事で行った。 とすれば、本来は皇家がなすべき事を彼が、和気清麻呂に断罪されながら果たした事になる。つまり彼は下野に左遷 された訳ではなく、皇家に代わってやり遂げるために、短い余生を彼女のために捧げて、好んで「下野」した事になる。 先の御前山と言う固有名詞では「静御前」など、女人としての先入観を先ず強く受けてしまい易いネーミングである。 でも此処は神を迎える見崎であり、ミサキを漢字では「御前」と書いた訳である。つまり亡き孝謙天皇の御霊を神霊とし て迎える場であって、密会の隠れ家を建てた痕跡もないので古い噂は「下司のかんぐり」と思われる。しかし皇室の祭 事を、彼のような雲上人が代行したとしても、庶民にとっては理解の外であるから、菅原道真公と比べて人気がない。 と言うより寧ろ死して尚、石を投げられているのだ。ともあれ方位から見れば、彼は当時、唐から苦労して来日した高 僧・鑑真和上が関わった律宗、東大寺や西大寺の法相宗など佛教式の暦法が有ったにも関わらず、日本古来の聖 道、つまり方位に基づく和式(太陽)暦で彼女を祭った事になるから意外です。 いや実に彼は潔く立派な禅師・ヒジリとして最後を飾った事になる。だが恐らく彼を妬む輩たちが此れをスキャンダラス に騒ぎ立て、彼を追 い落として二度と戻れないように「事件」としてデッチ上げて実権を乗っ取ったものかも知れない。 その結果、世に「道鏡事件」として彼は絶えずスキャンダラスに語られている事は残念です。 ■08施餓鬼会・・・・・・・正蓮寺(大阪市此花区)で伝法の川施餓鬼。天神祭と共に浪速の夏の二大行事といわれる。 ■06-07-08がんがら火祭り・・・・・・・大阪・池田市の五月山、市役所周辺にガンガラと半鐘が鳴り響く中、城山町と建 石町の二つの祭りがある。24は地蔵の縁日。つまり地蔵の祭りだから24日の夕方7時から池田市綾羽町の油掛け地 蔵付近で始まる。同時に「火難よけ」として火の神・愛宕神社の祭りでもある。 また神社からの火を「人」字形にした大たいまつに灯した3組が市街を練り歩き、山腹に「大一」の文字を灯す城山町の 祭りとなる。此の大松明の長さは約4mで重さ約100kg。其れにもう一つは京都・愛宕神社から移してきた火を池田市 役所北の「星の宮」に保存し、五月山の東斜面に「大」の文字を灯す建石町の祭りである。 由来は1644(正保元)年頃、家内安全や火難除けを願って始まり、毎年24日夜、五月山中腹に「大」「大一」の火文字 が点される。大たいまつは12本、長さ約4m、重さ約90kg。中腹の愛宕神社から受けた神火を街中のお旅所まで運 ぶ。市観光ふれあい課072-754-6244 -----御旅所の位置は不明だが、もし昔、7/24に此の火祭りをしていたとすれば其の方位は本養寺、次に摂津寿命寺 である。此処は天平19年、行基開基と伝える。当初は神願寺と称した。本尊薬師如来。室町初期の前播磨守高帥 冬、足利尊氏の書状を有す。 足利義政再興時の伽藍絵図の写しには、本堂(5間4面)、大日堂、観音堂、開山堂、阿弥陀堂、護摩堂、弁天祠、宝 蔵、東西南北の4坊が描かれている。永禄2年(1559)運策が中興。浄土宗に改宗。本尊阿弥陀如来。また「寿命寺文 書」医王山寿命寺記録:東京大学資料編纂所所蔵: 「一、天正元年荒木摂津守作乱赤門亦悉羅兵燹額明貼附図実物等多此時焼失復時尊氏将軍所賜之寺領三十町至 此時被没収。 一、往昔者有僧坊十二院其後破壌而稍存六坊至于今里民弥坊之林者其古蹤也 天正五年 丁/丑年 九月十八日 右寿命寺文書 摂津国豊島郡池田村寿命寺蔵本明治十九年十一月編修星野恒採訪明年十一月影写了」 寿命寺境内図:寿命寺蔵、製作年代不詳、七重塔(名称は判読できず)らしきものが描かれていますが、不詳。 何れにせよ相当の伽藍があったと思われます(此の摂津寿命寺についてはhttp://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/tou_ ato_2.htmより引用)。そして此の祭りが昔から8/24の祭りとすれば、方位としてはタイマツ行列が川西市の小戸神社方 面に向かっただろうと推定する。 ■08西堂寺地蔵尊(山口県)。 ■08大浜流れ灌頂・・・・・・・8/24〜26日(福岡県)。 8/25 ■07東京・亀戸天神祭。 ★07高円寺阿波踊り・・・・・・・・東京都杉並区高円寺で8月最終土曜〜日曜日。 ■08六斉念仏踊・・・・・・・吉祥院(京都市南区)。 ■08牛滝祭・・・・・・・観心寺(大阪府河内長野市)で牛馬の安全を祈願する祭。 ●土佐神社の例祭・・・・・・土佐の一宮である土佐神社では8/24に宵宮、そして本日8/25日に例祭をしており(前 項を参照)、其の逆の、2/24方位には、石立山(標高1708m)金剛山(標高1125m)頂に葛城神社(一言主神)、 奈良桜井市の三輪明神(大神神社)が位置する。 土佐神社は一言主神を祭るが、大神(大三輪)神社の場合は例祭が4/9であり、ご祭神も大物主神(倭大物主櫛ミカ 玉命・「ヒジリ事典」を参照)となっている(「4/9」を参照)が、神体山(三輪山)に登拝すれば、神山全体がこの日の方 位を向いた形になっている。 また其処に岩倉群があり、三段階に分散しているものの、何れも西南を向いている事が確認できよう。しかも三輪山山 頂(標高467.1m)から大神神社拝殿(此処は古来、本殿を置かない)の方位は2/24.5←→8/25を示してい る。また其の前後に巻向山(標高567m)と三輪神社とが一直線に並ぶ。 更に其の先は甲州の大菩薩嶺(標高2057m)、そして秩父神社があり、やがて茨城・筑波山(標高877m)に至る。 此処には軸線に沿って男体・女体山が並び、イザナギ、イザナミが祭られている。また其の南麓には筑波山神社と坂 東33観音25札所の大御堂がある。 さて筑波山から更に勝田市に進めば、近くに大洗磯崎神社があり、大己貴命が祭られている(例祭は今は9/9)ので す。 ■一言主神は全国各地で祭られているが、其の各神社(末社を含む)が並ぶ中で、主軸をなすのがこの日のラインであ る。 北から見ると、茨城県では境町と岩井、奈良県では御所市の一言主神社、其れに続く和歌山県・橋本市とかつらぎ町 の神社、それに和歌山市にも有って、其の先の徳島県では小松島市と脇町、高知県では高知市と大正町、愛媛県で は宇和島市の鬼ヶ城山(標高1142m)、そして宮崎県の北川町に至る。 例祭日は残念ながらこの日のラインにはなっていないが、何れにせよ此れは一体何を物語るのだろうか。 ■志那禰祭・・・・・・・一言主神は大国主命の神子(長男)、味鋤高彦根神(高加茂大明神)とも事代主神とも言われる 神であり、茨城県(水海道市や岩井市など)と奈良県・御所市に葛木坐一言主神社(名神大。神宮寺として昔は一言寺 も有った)に祭られているが、土佐一宮として高知市・土佐神社の主神ともなっている。 以上三社のラインはこの日の方位に連なっており、しかもこの日は土佐神社の例祭日である。昔はこの日の式後には 8/7方位に当たる須崎市浦の内の鳴音神社へ志那禰祭と言う古式による渡御の御船遊びの祭典があった。此れが最 近また復活している。鳴音神社もまた鴨の神としての一言主神を祭る所である(鳴音神社は088−845−1095)。 この祭りは無論、一言主神を祭るものであるが、大和と土佐との関係では、上記の斎明天皇の命日に暦・方位が平行 しているのである。 ★07因島水軍まつり・・・・・・・広島県尾道市で8月最終土曜〜日曜日。 ■鉄砲伝来の日・・・・・・・・台風のため、天文12年のこの日、南蛮(ポルトガル)商人が種子島に漂着した。鉄砲二挺を 持っていたのを領主・種子島時堯たかが金2000両(約一億円)で購入して、鍛冶・八板金兵衛に複製を命じたが、どう しても螺子止の技術が分からず切腹の覚悟だった。 其れを南蛮人に尋ねた所、娘の若狭(16歳)を嫁にくれれば努力しようとの返事だったが、金兵衛は其れに同意しなか った。所が若狭は父の苦境を救いたい一心でやがて南蛮人の求めに応じて日本を離れた。一年後、職人が派遣され て来た。 金兵衛はやっと複製を完成させたが娘(若狭)は数日後他界したと言う(04/8/25読売テレビ「今日は何の日」より引 用)。 ■ラーメン記念日・・・・・・・・インスタントのチキンラーメン売出しを記念したものと言う日清食品の宣伝日。だがカップラ ーメンは此れまでにも他社とのトラブルも多く日清のアイディアではない。実は筆者(K)のアイディアを此処が盗作した ものである。 8/26 ■06高円寺阿波踊り(8月26日〜28日)【東京都杉並区高円寺】 ■太田道灌の命日・・・・・・本駒込の吉祥寺はどうして長い参道を西に向けて伸ばしているのか、明解を出せる人はい ない。今のモノカネ常識では方位に価値はないからだ。だが方位でなら明解な回答を出せる。其れは大田道灌の命日 を印したメモリアルであったからです。とは言っても新旧暦換算した場合の日付である。 東京にお住まいの方なら最初に江戸城を作ったのが彼であるのをご存知だろう。また和歌に嗜みの御仁も「山吹の 歌」となると彼を思い出す事があるだろう。だが彼の菩提寺の事までは余り知る事もなかろう。 其の寺が東京都内の駒込に諏訪山「吉祥寺」(曹洞宗)としてあるのだが、今の江戸っ子が「八百屋お七」の恋物語は 知っていても道灌の寺とは知らないだろう。しかも其の参道がこの日の方角に向いている事となると筆者が発表するま では誰も知らない筈である。 彼が「神々の一人である」と言う訳ではないが、本書の例に合致するので述べる。彼は曹洞宗の信徒であり、命日は文 明18年(1486)7/26なので、ユリウス暦では本日8/26となるのです。だが円暦方位で見ると8/28となり、二日ズ レるが略合致する。 と言うのも、この寺は元々江戸城西の丸(和田倉門辺りとも)にあり、家康が寺領を寄進して神田駿河台(今の水道橋辺 りとも)へ移り、その後、明暦大火で現在地に移ったと言う屈折した経緯がある。しかもその後江戸は東京となり、関東 大震災や大空襲に遭った。従って往時を偲ばせる物としては山門と経蔵だけで、後は墓地が広がるだけである。 ではあるが、当初に此れを設定した僧都がいて、しかも五百年間、この参道の方位を守り伝えて来た人たちがいた事 は実に立派だったと思うのです。但し、墓地の中を8/28日方位に伸びいてるのは参道であって、吉祥寺は、逆方位 の2/27方位に位置しています。 因みに其の先は日暮里に向かうが、其処に「道灌山」の地名と諏訪社が残る。其の位置は先の方位からは多少ズレる ものの、其れは寺が二転三転した経緯からであろう。 ■08大岩祭・・・・・・・日石寺(富山県上市町)で8/26〜28日。 ■06-07-08吉田の火祭り(〜27日)【山梨県富士吉田市、富士浅間神社】 ■07-08一色の大提灯祭り・・・・・・・愛知県一色町、諏訪神社で〜27日まで。 ■06湖国灯祭・・・・・・北近江・千夜一夜物語。06年NHK大河ドラマ「功名が辻」の山之内一豊に肖ったイベント。 ■08毘沙門踊・・・・・・・石山寺(大津市)。 ■崇徳天皇の命日・・・・・・・・・保元の乱の原因となった天皇である。75崇徳天皇は譲位後に讃岐に遷され、同地で長 寛2(1164)8/26日に亡くなり、白峰陵に葬られた。彼は鳥羽天皇と藤原璋子(待賢門院)の子とされているが、実は鳥 羽上皇の祖父・白河法皇の子であった。つまり鳥羽上皇の父である堀河天皇の、腹違いの兄弟と言う。 従って鳥羽上皇の息子である筈の崇徳天皇は、鳥羽上皇にとっては、叔父に当たる(07/5/1朝日より一部引用)。 ★06八咫(やた)の火祭り・・・・・和歌山県田辺市本宮町の熊野本宮大社で8月最終土曜日。午後6-9時。重さ約400kg の「炎の神輿」と平安装束や山伏の衣装を着た人たちの時代行列が同社を出発。7時に同大社の旧鎮座地(大斎ゆの 原)に到着。7:30から和太鼓の演奏や「熊野やた踊り」、9:00には花火の打ち上げ(06/8/10の朝日より引用)。 8/27 ★大曲の花火/大曲全国花火競技大会・・・・・・・あちこちで夏祭りが行われ、花火が打ち上げられていますね。花火で有名なのが、秋田県、 大曲の花火大会。全国の花火師たちが目標としている日本一の大会で打ち上げられる花火はまさに最高レベルのものばかり。今年は8月27日に行われるそ うです。詳しくは大曲の花火/大曲全国花火競技大会 http://www.ldt.co.jp/hanabi/ 夏といえばやっぱり花火大会。その最高峰とされる大曲の花火は、全国の花火師たちが美しさを競います。----以上 は【作務衣の専門館 伝統芸術を着る会】 http://www.samue-e.com/メルマガ#知的道楽# mag@samue-e.comよ り転載。 ●06-07大山・阿夫利神社・秋季大祭・・・・・・・神奈川。 ■08松葉谷法難会・・・・・・・妙法寺(鎌倉市大町)。 ●06-07一色・大提灯・・・・・・愛知。 ■55文徳天皇の命日・・・・・・仁明天皇の皇子。母は藤原順子。父の死後嘉祥寺を深草に建てて田邑帝として即位した が病弱で御子が生まれず、よって内裏からほぼ真南に当たる地方に向った。妃の滋野氏の拠る葛城の東麓の寺で祈 願した所、目出度く生まれたのが惟彦親王や後の清和天皇(母は藤原明子)である。 このため今も浄土宗・布施山・浄願寺が「子授け寺」として信仰されている。だが在位8年の32歳、天安2/8/27(U 858/10/7)崩御。清和天皇が即位して山城国葛野郡・太秦村大字中野の田邑に葬ったと言う。文徳の田邑陵は 現在、大徳寺の東に治定されているが、旧・大極跡からの方位では9/30.5になってしまうので疑問である。 寧ろ10/6方位の嵯峨天皇陵、または10/7方位にある直指庵の近くかと思われる。また清和天皇を生んだ浄願寺 は奇しくも清和天皇の命日とは逆の日迎え方位に当たる。因縁であろうか。 因みに文徳天皇に縁の寺は母の御願による安祥寺(京都・山科)、父の為に建てた嘉祥寺(京都・深草)、寺号を賜っ た天安寺(京都・花園)などが有るが当方としては未調査。 ■08因島水軍まつり(〜30日:例年8月最終土曜〜日曜日)【広島県尾道市】 8/28 ■08山本不動尊縁日・・・・・・・徳善院〔山本不動尊〕(福島県柵倉町)。 ■08浪切不動尊縁日・・・・・・・大聖寺〔浪切不動〕(千葉県大原町)。 ■08奥の院大祭・・・・・・・秋葉三尺大権現を祀った曹洞宗の巨利・可睡斎(静岡県袋井市)の行事。 ■西宮戎大祭か・・・・・・8/22で記載。 ■08護法祭・・・・・・・両山寺(岡山県久米市)で山籠りの精進をした男たちに護法善神の霊を祈祷する山伏の祭。 ■因島水軍祭り・・・・・・・・水軍レース(06年からは因島も尾道市に合併となる)。 8/29 ▲天児屋根命のラインか・・・・・・・大和葛城山に登って見ると、東に大和平野が広がる。大和三山も見えるが、一直線 に点々と緑地が散在する。其の暦・方位は2/28日である。先ず此処・葛城山(959.2m)---根成柿地区---天満神社-- -忌部山(108.5m)北---伝・安寧天皇陵---畝傍(うねび)山(188.6m)---大久保神社・実相寺が有ります。 其の先には---鷺栖神社---鴨公小学校---藤原宮跡---植田神社等が続く。ただ畝傍山地区の神武天皇陵と橿原神 宮は近代に新設された所です。此の一帯は、かつて大和湖だった。神武天皇の時代は海中の小島だった筈ですから 其処に神武天皇の都があったとか、しかも彼の陵があったと言うのは無理がある。以下、引用する。 畝傍山の山頂には三等三角点が設置され、畝傍山口神社跡が残っている。この山は大和三山の最高峰で唯一山頂 からの展望が利く。西から北にかけては金剛葛城山地から二上山、生駒山、東には耳成山の向うに青垣の山々が見 渡せる。 大和三山の畝傍山や耳成山は旧火山のため独立峰であるが、もう一つの天香久山は龍門山地の支脈が風化侵食さ れた山で山容は目立たない。ただ山名に「天(あめの)」と冠され古代から神聖視されてきた山である。階段を交えなが ら登ればすぐに山頂を踏む。 山頂は小広く切り開かれ国土と雨の二神を祀った国常立尊神社が建っている。周囲に樹林が茂り展望は利かない(以 上http://www3.kcn.ne.jp/~jinlime/yamatosanzan.htmより引用)。@ ■08津野孝山祭・・・・・・・吉祥寺(高知県)。 ▲06柳井市の雛流し・・・・・・・山口県。手作りの雛人形を船に載せて柳井川に流します。此れが「八朔の雛流し」と言 われるが、06年の此の日は旧暦の八朔ではなくて旧暦の閏7/7(つまり七夕)の前日に当る。 8/30 ■ ▲天河弁天七夕祭・・・・・・世界遺産登録記念として2004年には旧暦7/7のこの日、午後三時から「七夕祭り」の奉 納舞、供養祭、「天の河原」で灯篭流し、採燈護摩をした。 ■中央構造線・・・・・西日本から九州に約1000kmに渡って縦断する形で山脈が連なる。無論、地質構造も此処を境 目としている。方位は2/28から8/30に向かって走っており、此れが地震にも影響し、また台風が来る季節でも有 り、人心や行動にも作用を及ぼすものと見てよい。 8/31 ■06-07-08蜂子神社祭(八朔祭)(〜9月1日)【山形県羽黒町】・・・・・・山形県羽黒町で〜9月1日まで。因みに蜂子皇子 は聖徳太子の弟。母は大伴糠手連(ぬかでむらじ)の娘・小手子(さでこ)媛。 ■石鎚山と香取神宮・・・・・・・・この古社が西と東に離れて存在するが、両社の並ぶラインはこの日の方位である。途 中、奈良・天理市でフツノミタマを祭る宮として有名な石上神宮があるが、此処は物部氏の祖神・ニギハヤヒノ命を祭る 宮とも言われる。其れに対して香取神宮では布津主神を祭り、例祭は春4/15である。 また石上の例祭日は逆の時期の10/15である。つまり石上と香取とは同じ神を祭る宮であるのに方位では西東に対 峙し、暦では春と秋と言う逆の時期に祭りをして来た。但し、厳密に言えば両社の暦・方位は8/31←・→3/1の関係 位置になる。と言う事は、古式例祭はこの日だったかも知れない。 香取には神宮寺、総持院、新福寺などがあり、祭りは古来、年に90回行われた。建永年間には大きな祭りが正月元 日を別として、三月上巳午の日、神幸4/5、田植え8/上子日、大饗11/1〜2だったので、未確認ながら古くは三 月にもあったと見ても良かろう。因みに石上の祭りは昔は9/15であった(「石上」も参照)。 さて、8/31方位に更に進めば石鎚山(1981m)に至り、其の先は雲仙岳から長崎県の野母崎・天草灘に至る。石 鎚山はイザナギ・イザナミの御子・イシヅチ彦を祭る所だが、古来名山であり、石鎚蔵王権現を祭る神社のほかに寂仙 の開いた別当寺として前神寺、横峰寺などが修験道の霊山として名声を高めた。 但し、金剛蔵王権現がニギハヤヒノミコトとも言われるものの、其れが石鎚蔵王権現と同神であるかどうかは確認出来 ていない。 ■二百十日・・・・・・立春から数えて210日目で、この頃は稲の収穫時期と台風シーズンとが重なるため、十日後の220と共に昔から農家の厄日として警戒さ れて来た。04/8/30日から台風16号が日本を縦断し、この日現在14名の死者・不明となった。但しこの210日目について、04年のように閏年は8/31で も平年は9/1となる。 旧暦 ■08エイサー(旧暦7月14日〜16日前後)【沖縄県・沖縄本島各地】 ■08アンガマ(旧暦7月13日〜15日前後)【沖縄県石垣市・八重山諸島各地】 ■08玉取祭(旧暦7月18日に近い日曜日)【広島県廿日市市宮島町、厳島神社】 次は「9月」前半 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ ■「神々の歳時記」の各項目のご理解には「366円暦」が必要です。円暦は別紙の「図説」で公開していますが、其の 実物を希望される方は末尾に従ってご請求下さい。 ■尚、各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年06-07と追加する形で示していますので、 *開催日等の詳細には主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。 ■「神々の歳時記」に記した例は仮説ではなくて、太陽暦に重ねて古式祭による祭政一致を行っていた古からの日本 文化の原理です。其の具体例を今回、公開したものですが、海外への情報流失防止のため、特に「本文」については0 4/11月から「非公開」としました。 ■@マークの付いた以下の部分が「非公開」部分です・・・・・・・@マーク以下には「地理・方位の具体例と其の意味や 暦との関係式」などの詳細を隠しています。この隠れた部分の資料をご希望の方は、「メールフォーム」または掲示板 からご連絡下さい(実費で郵送します)。 ■文中に誤記や間違いがありましたら、恐れ入りますが前項と従って下記まで御一報賜れば幸いです。尚、参考文献 は巻末に記しました。 次は9月・前半 または パテント・著作権は本会に属します。 「鬼の会」 |