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http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」 p139 (未定稿) 


   神々の歳時記    9月下1旬 但し方位による
次は
9月下2旬
9月下2旬
または
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●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起
の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版
http://www.matsuri.or.jp/cgi-bin/wf/wforum.cgi(mag2 ID 0000026310)

及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-9月」より一部引用・転載させて頂きました。

■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記
には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の
詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。

9月下1旬 ・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・  ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★



9/19   


▼09旧8/1日。旧八朔。

■08賢治祭【岩手県花巻市】
■06-07-09岩手水沢・駒形祭。
★09遠野まつり(〜20日:敬老の日前後)【岩手県遠野市】

■渋川市・伊香保まつり・・・・・・・以下、http://www2.wind.ne.jp/ikaho-ci/matsuri/index_matsuri.html「伊香保まつり」よ
り引用。期間は9月18日〜20日。町の中心365段の石段を登りきると伊香保神社があります。いにしえの昔、名神大神
の社格を拝授した、承和二年(835年)九月十九日よりこの日を神社の例大祭としました。

これより毎年九月十八日には宵祭りとし、十九日は例大祭、二十日に最終日が行われます。江戸末期寄進の神社本
神輿渡御や、子供から大人までが腰でもみあいながら石段をのぼり、神社に奉納する樽神輿渡御がありますが、急な
石段をお神輿でもみあいながら登るところは見ごたえ十分で、中には勢いあまって石段を転げ落ちることもしばしばあ
ります。

スリリングなお祭りを是非ご見学ください。また、近年伊香保に縁りのある明治の文学者、徳富蘆花の命日が九月十
八日であったため蘆花追悼の蘆花祭や、温泉に感謝する湯汲み神事、石段街では、輪踊りなどの演芸が行なわれま
す。また町内大山祇神社でも例大祭がとりおこなわれ温泉街は、お祭り一色の熱気に包まれます。  

上野国三之宮伊香保神社の開祖は推古天皇の時代(592〜628年)で、いまから1400年の歴史を持ちます。祭神は、
大己貴命、少彦名命で、医業の祖神であり温泉、医療、商売繁盛の神様です。一般にえびす様、だいこく様でしたしま
れております。

また、子宝さずけの神様でもあります。式内名神大社で、上野国の三之宮、正一位伊香保大明神です(以上引用)。  

★09石岡のおまつり(常陸国総社宮大祭)・・・・・聖武天皇の勅旨により、天平(729〜749)年間から大国主命ほか四
座(注)を祭る茨城県の石岡総社祭が14〜16日に行われる(06/9/16-18)。(注)ご祭神は大国主尊、スサノオノミコト、
ニニギノ尊、大宮比売尊、布留大神の6神とも言われる。

此処は常陸の一宮として、また旧16ヶ村の産土神として、祭りを年番制で行った。或いは明神様とも呼ばれ、或いは天
王社(八坂神社)とも呼ばれて、例年6/14日に祇園祭に似た祭りを行い、引き続いて7/2日には愛宕社の「麦岩祭り」を
行い、そしてこの総社の例祭を9/9日にして来た。

中でも本日(9/15日)は総社本宮の例大祭であるが、初日は第2土曜に神幸祭りとして仮殿に向かって供奉行列があ
り、次に第3日曜には中日大祭があって染谷12神楽、浦安の舞、獅子舞、相撲が奉納され、また山車や獅子が仮殿か
ら駅前に掛けてパレードする。

そしてこの第3日曜(中日大祭)は楽日・還幸祭でもあり、仮殿から総社宮へ神輿にて御神体を還御する供奉行列とな
る。宮では神事があり、その後も山車や獅子が市内を巡行し、夜9時頃まで祭りを盛り上げる。以上はhttp://www11.
ocn.ne.jp/~sisimai/gaiyou.htmlより引用。

詳しくは石岡市観光協会0299-23-1111(内線172)まで。但し05年は9/17〜19日に行われた。09年は9/19-21日。

■07-09東京・芝大明神だらだら祭り・・・・・・寛弘二年、一条天皇の時代に創建されたお寺で、今は伊勢の内宮と外宮
の神を祭る東京・芝大明神では9/11〜21まで祭りが行われ、此れが「ダラダラ祭り」と言われ、昔は甘酒と「め組」
の喧嘩、今はショウガ市で賑わう。@ 因みに芝大神宮は03-3431-4802

序に浜松町の由来を考えれば、此処は「神を待つ浜」だったのではないか。今も浜松町一丁目から参道がこの日の方
位に伸びており、鳥居をくぐって階段を上がれば本殿に正対する。その裏手に今は広度院があり、更に西に進めば芝・
増上寺の本堂に達する。09年は9/11-21日まで。

★09城端むぎや祭(〜20日:敬老の日直前の土曜〜日曜日)【富山県城端町】
★09岸和田だんじり祭り(〜20日:敬老の日直前の土曜〜日曜日)【大阪府岸和田市】但し09(平成21)年、曳行日程は、

岸和田だんじり-9月祭礼曳行日程
試験曳き
 9月6日(日曜日)
9月18日(金曜日)
 午後2時〜午後4時
 
宵宮
 9月19日(土曜日) 午前6時〜午後10時
 本宮
 9月20日(日曜日) 午前9時〜午後10時
更に
試験曳き 平成21年10月4日(日曜日) 午後1時〜午後5時 宵宮 平成21年10月10日(土曜日) 午前6時〜午後10時  
本宮 平成21年10月11日(日曜日) 午前7時〜午後10時 --------となった。だがこれほど毎年クルクル変わるので
は、以後このページからカットする外はない。

■06-07-09子規忌・・・・・・・正宗寺(愛媛県松山市)。 
■藤崎八幡宮・例祭・・・・・・・行列が熊本市内に繰り出す。

霧島神宮・例祭・・・・・・・ニニギノ尊を祭る霧島神宮の例祭。二二ギ(邇々杵)の命が高千穂峰(1574m)に天
孫として降臨した故事から、今もこの山の頂上には「天ノ逆鉾」が立てられているとの事で、其の南西にこの霧島神宮
がある。其れなのに、箱根※にも彼が祭られているのは何故なのか。

何れにせよ余りに古い話なので、庶民にとっては記紀神話など絵空事であって、到底理解の及ぶ所ではない、と諦め
て、筆者も手を付けなかったが、今回、円暦の方程式に当てはめて見た所、思いもかけずスラスラと日向三代の軌跡
が分かって来た。スメミマ(皇孫)の実在と遷宮が繋がって見えて来たのです。

古宮の存在は誤魔化しの効かない事実ですから、論者の都合で、後から勝手に作れるものではない以上、その繋がり
を論証すれば、日本神話が単なる絵空事の伝承や神話ではなくて、実話だった事になります。とすれば此処には古代
史を固め直す底力があり、しかも日本文化の緻密さと奥深さが残っていたと気づき驚いた。

※箱根神社の創建は第五代・孝昭天皇以後の事だった(例祭日は8/1)。方位関係を解明する切っ掛けとなったの
は此の霧島神宮の9/19の例祭日でした。この霧島で、仮に箱根神社の8/1を当てはめて見れば、其の逆方位は2
/1なので、日向灘に面した新富町に至る。其処には新田原飛行場の西に新田原古墳群もある。

更に隣町には西都市の西都原古墳群があり、陵墓参考地の一つで男狭穂塚(帆立貝式古墳で全長154m、国の史
跡)がニニギノ尊の古墳の伝承がある。だが其処では方位が合わないので、彼ではなくて彼の子孫の可能性のある古
墳となります。さて二二ギ(邇々杵)の命は霧島神宮で崩御したので川内市のエノ(可愛)山陵(神亀山)に葬られた。@

其れは恐らく3500年の長きにわたって続けられて来た、実に悠久の歴史を物語る祭りだったと思われる。寺社の位
置や例祭は一片の文献のように簡単に書き換えられないものであり、誤魔化しの効かない歴史的事実である。しかも
多数の参加によって衆知の事実となり、其処で祭りを継続した事が何よりの歴史的裏づけです。

それにしても昔通りの祭日をこうして今に伝えていた事には感服する。恐らく此処にも明治の改暦押し付けがあった筈
であるが、旧暦とは別の和暦を熟知する方があって、お上の無知を跳ね返して古式を守り通してくれたのでしょう。此
処にある古宮に比べてエジプトのピラミッドは巨大な建造物である。

けれども、其れがどう言う種族の人々によって何時、何のために造った物なのかが、今では全く謎となっています。でも
此処には木造の宮で同時代の歴史文化が伝えられ、明示されていたのです。さて、其処から更に東に向かえば日向
の国・宮崎市がある(次世代の山幸彦「8/15」も参照)。









































































9/20  


●06-07-09彼岸入り。   
■06-07-09神奈川・寒川神社・例大祭。
秋の彼岸会・・・・・・・秋分の日中心に7日問。全国寺院で9/20〜26日。 

秋の彼岸会・・・・・・・四天王寺(大阪市・天王寺区)。 

■09岸和田ダンジリ祭り・・・・・・・・・大阪の岸和田市で「9月第3月曜日直前の土日」の予定。なので、09年は9/20日
なる。所がそれでは「彼岸の入り」の祭りとなって問題であり、翌9/21日は「敬老の日」に当たる。

其処でまた変更して平日にしようとすれば、「仕事を休んで参加するのは無理だ」と言う意見も多くて内輪もめの為、分
裂開催となる可能性もある(09/6/13朝日記事)。9/16-19日を参照。揉めにもめて結局、09(平成21)年、曳行日程は、

岸和田だんじり-9月祭礼曳行日程
試験曳き
 9月6日(日曜日)
9月18日(金曜日)
 午後2時〜午後4時
 
宵宮
 9月19日(土曜日) 午前6時〜午後10時
 本宮
 9月20日(日曜日) 午前9時〜午後10時
更に
試験曳き 平成21年10月4日(日曜日) 午後1時〜午後5時 宵宮 平成21年10月10日(土曜日) 午前6時〜午後10時  
本宮 平成21年10月11日(日曜日) 午前7時〜午後10時 --------となった。だがこれほど毎年クルクル変わるので
は、以後このページからカットする外はない。

■06-07-09空の日。
★06-07-09動物愛護週間。



























































































9/21 日 


■07-09-10宮沢賢治祭【岩手県花巻市】
■08会津まつり(〜24日)【福島県会津若松市】

二荒山神社・仲秋祭・・・・・日光の二荒山神社は大己貴命(大国主命)、ほか二神を祭る延喜式名神大社、下
野一ノ宮であり、奥宮、中宮祠、御本社と三社に分かれているが、奥宮は男体山山頂(海抜2484m)に、中宮祠は中
禅寺湖畔(1280m)に、御本社は日光山内に鎮まる。@

さて山頂の奥の宮と湖畔の中宮祠とは略南北に位置しているので、中宮祠の正面、即ち湖畔には鳥居がある。さてこ
の月は宝物館の公開も行われる。特記すべきは長大な刃渡り2.2mの「祢々切丸」(日本一)など多数の大太刀、古
刀剣類がある事です。

灯籠坂大師縁日・・・・・・・灯籠坂大師(千葉県)。 
開帳・・・・・・・平間寺〔川崎大師〕(神奈川県川崎市)。 
時宗開山忌・・・・・・・清浄光寺〔遊行寺〕(神奈川県藤沢市)で9/21〜24日。  

■08こいこい祭り(〜23日)【石川県加賀市、山中温泉】
大般若会・・・・・・・養源院(京都市東山区) 

■古代太陽の道・・・・・・3/21を参照。
■東西に並ぶ弁天社・・・・・・3/21を参照。

▼10采女祭(〜22日:9月中秋の名月の日)【奈良市】
http://www.omatsuri.com/movie/uneme.html 動画采女祭  中秋の名月の日 奈良市 

腹帯観音縁日・・・・・・・徳願寺(山口県)。 
開山忌・・・・・・・大慈寺(熊本市野田町)で開山の寒厳義尹の忌日法会。
■08天岩戸神社例祭(岩戸神楽)(〜23日)【宮崎県高千穂町】

■06-07-09秋の交通安全運動(30日まで)。
■09敬老の日。


















































































9/22   


■06-07-09-10会津白虎まつり(毎年9月22日〜24日)【福島県会津若松市】
■静岡・桜が池・納櫃祭・・・・・・9/22〜23。浜岡の池宮神社の秋の彼岸の神事で、法然上人の師・皇円阿じゃりが
龍体に変じてこの池に棲んだとの由来による。

■06-07-09-10こいこい祭り(毎年9月22日〜23日)【石川県江沼郡山中町、山中温泉】

▲10観月の夕べ(〜24日:9月中秋の名月の日)【京都市右京区、大覚寺】
戸閉式・・・・・・・大峯山寺(奈良県天川村)で大峯山寺本堂の鍵を閉める行事。

■八朔祭・・・・・・奈良・吉野天川村の天河弁財天社は吉野修験のメッカで、日本三大弁天の一つとしても有名。其の
東には霊山としての大峰 山・山上ヶ岳(標高1719.2m)があり、大峰蔵王権現を祭る大峰山寺があるが、其処よりも
先に弥山の鎮守として祭られた社とされており、よって大峰本宮とも言う。

其の大峰山寺と先の大峰本宮・天河弁財天社(0747−63−0558)との暦・方位関係が・・・・・@
今は八朔祭が行われる。 
▲07月見祭(旧暦8月15日に近い土曜〜日曜)【大阪府堺市北区、百舌鳥八幡宮】

■八朔・隠岐「牛突き」・・・・・・島根・都万村。
06-07-09-10天岩戸神社例祭(岩戸神楽)(〜23日)【宮崎県高千穂町】

▲07-10十五夜大綱引(旧暦8月15日)【鹿児島県薩摩川内市】
▼10糸満綱引き(旧暦8月15日)【沖縄県糸満市】

■09休日











































































9/23  


●06-07-09彼岸中日(秋分の日)。 

■秋分の日(彼岸の中日)・・・・・・昔は宮中皇霊殿で歴代天皇などを国祭として祭る秋季皇霊祭が行われた。仏教で
はこの日を中心にして前後7日間、祖先の霊を慰める彼岸会が各地で行われ、金剛般若経を読経するが、この風習
はインドにはない。尚、秋分の日は春分の日と一対の関係になるので、「3/21〜22」も参照下さい。

そしてこの時期には決まって赤い曼珠沙華(マンジュシャゲ、梵語で「天上の花」の意味、和名は彼岸花)が野辺や墓
地に咲くから不思議です。

方位と月日・・・・・古来、祭りは方位を基点とし、方位は八方を基準とし、此れを四方四隅(維)と言った。円暦・方位
では先ず真北を冬至と し、其処を基点として時計回りに一周する方位暦なので北東が立春に重なります。以下同様
に、真東が春分、東南が立夏、真南が夏至、南西が立秋、真西が秋分、西北が立冬、そして真北が冬至に重なる。

此れを古来「四至(時)・四立」とも言った。今の月日にすれば冬至と夏至が12/22と6/22となり、其の日から45日
後が立春(鬼門)と立秋(裏鬼門)で、2/5と8/6となります。そして冬至と夏至から91.5日目が春分・秋分(3/23
←→9/21)であり、其の137日後が5/7の立夏(巽)と11/6の立冬(乾)となります。

ただ此れは方位に基づく円暦八方日なので、其れとは別の、星座によって天文台が行う今の赤道中心主義による西
暦月日とは若干ズレます。だが古式祭りは西暦ではなくこの八方から見なければ分からない(事典の彼岸ラインを参
照)。

高田東本願寺別院報恩講・・・・・・・9/23〜28日(栃木県)。 
■子安神社・秋祭・・・・・・・八王子市でコノハナサクヤ姫を祭る@

■例年-大原の裸まつり・・・・・・・毎年9月23日〜24日。千葉県いすみ市(旧・夷隅郡大原町)。
http://www.omatsuri.com/movie/oohara.html  動画大原はだか祭り  9月23〜24日 千葉県いすみ市

■例年-つくりもん祭り(毎年9月23日〜24日)【富山県高岡市=西礪波郡福岡町】
開山御忌法会・・・・・・・永平寺(福井県永平寺町)で永平寺の開祖・道元禅師の忌中の法会。

■例年-晴明神社・例祭(神幸祭)・・・・・・京都市上京区、晴明神社。陰陽師。外に天文博士、左京権大夫などを歴
任し、85歳まで現役として生きた安倍晴明のために、一条天皇の勅旨により創建した。命日が寛弘2(1005)/9/
26(ユリウス暦10/31)の2年後である。

何れにせよ京都市上京区、晴明神社では04年9/26の例祭日が1000年祭になった。

彼の出自は大彦命の後裔と言われ、出生地については、一説には大阪の阿倍王子神社と安倍晴明神社、其れに和
泉市の信太の森の稲荷を母とする伝説(葛の葉稲荷と聖神社)や茨城に晴明稲荷(猫島と吉生)、香川にも井原庄があ
って謎に包まれているが、「尊卑分脈」によれば彼は右大臣、安倍の御主人(みうし)の九代目の子孫と有る。@ 

京都・上京区の晴明神社は075−441−6460。@
■07観月の夕べ(〜25日;9月中秋の名月の日)【京都市右京区、大覚寺】
■07干灯供養・・・・・・・念仏寺(京都市右京区)で石仏にろうそくを供え、無縁仏の霊を慰める行事。

■09生駒・「万灯会」・・・・・・・奈良県生駒市門前町・宝山寺0743-73-2006は神仏習合の名残を残す真言律宗の寺で、
不動明王と聖天を祭る。此処では本日夕方5時から奥の院まで並ぶ境内の各所に小さな行燈(あんどん)を灯す。

此処は「生駒の聖天さん」と慕われ、商売繁盛の現世利益と芸能関係者の参詣が多い。生駒山の中腹にあるので近
鉄ケーブル利用が便利。

当麻蹴速の命日・・・・・・・・野見宿禰と当麻蹴速は現在では幾つも誤解されている。例えば彼らはただの相撲取
りではなくて何れも出雲の国王であったろうし、其の出雲と言う地域も今の島根県ではなかった。今も奈良の桜井市に
兵主神社と相撲神社、そして出雲地区の十二柱神社がある。

夫々野見宿禰と当麻蹴速が最初に天覧相撲をした縁りの地とされ、また各地の相撲の神として彼ではなく勝った側の
野見宿禰が祭られている。また当麻町には当麻寺があって、その東に蹴速塚と言われる石塔が立っている。野見氏も
当麻氏も出雲族として今の島根県ではなくて当麻の東の桜井市に居て、天皇の命令でその日の内に呼び出された。

戦った場所が先の十二柱神社の南方、狛地区に伝わる。ただ彼の命日については7/7日となっているが此れも疑問
である。因みに当麻寺が昔は河内に有って万宝蔵院と言い、後に禅林寺と言ったが、現在地を頼りに縁りの地点を結
ぶ限りでは彼の命日は寧ろ九月頃になるのです。@

此処で少し解説すると、先ず高志浜で王仁を祭ると言う高石神社は本殿から鳥居が東を向いて建っている。其の先に
は加茂町、次に等乃伎(とのぎ)神社があり、次に日部(くさべ)神社があるが、後社の場合は例祭が今は10/5、日
下(くさか)部の祖の日臣命を祭っていて教興寺があった。

元からいた出雲族が日下で、仁徳後に来たのが大日下・日下部かと思うが、何れもご祭神を不明として、或いは少彦
名命、天神、スサノオなどとしているので、建前と本音は違うと推定出来る(此れこそ「世を忍ぶ仮の姿」であろう)。

そして陶すえ荒田神社は太田田根子に所縁の神社で式内社であり、南にあった杵築神社を合祀して例祭を今は10/
5としている。そして此処からが大事な点です。このラインに並ぶ遺跡は総て出雲族に縁りの所で、其の中心点に出雲
族にとって最古の社である美久具留御魂(みくぐるみたま)神社が有る。

古墳群のある羽曳野丘陵地を神山としてその山腹(高天原)に本殿が東向きに建っているので、其処に立てば眼前に
は二上山と竹之内峠が正対する。この本殿から東に向かって石段が続き、石鳥居の先にはまた東に向かって曲がり
なりにも略200mの参道が伸びて、其処に石鳥居とお旅所がある。

美久具留御魂神社の傍らには現在、月光寺があるが、かつて此処には根来寺の11坊(金蔵・善福・西徳・自幸・全
福・南島・加福・福生・喜蔵・性徳・福本院など)があって数万石を領していた。丘陵地の東は今でも低湿地だが当時は
泥の海だった。だから今も岸(喜志)宮と呼ぶ。でも昔は「貴志」とも書いたので、先の高石と響きが通じる。

また外に大黒宮・旭岡宮・支子(きし)宮宮・支子荒魂宮・折方宮・下折方宮・綾池速備宮・金毘羅宮・佐美陀禮宮・和爾
(わに)宮・西條宮・羽曳宮・香折岡宮・伎子(きし)宮・下水分(みくまり)社・中水分(みくまり)社とも言われた。此処は
神代からの宮とも神武以来の古社(建物の創建だけが宮の起源ではない)とも言われる所だから名前も多い。

無論、出雲大社よりも古い。ただ御祭神が美具久留御魂神と言う謎の神名であり、そして現在、喜志宮では4/15を
例祭としているため断定は出来ない。@

此の時代、出雲神宝事件が起こった。それが今は島根県の事件と誰もが解釈しているので出雲の謎が深まるばかり
なのだが、其の大事件の舞台は島根県ではなくてヤマトと見なければ解けない。先の美久具留とは「身ククル」と言う意
味であり、変な名前です。此れは後に述べるが、先の高石神社の「王仁」は「鬼」である。

また其の後、此処「貴志宮」はヤマトタケルの弟・五百木(いほき入り)日子が居住した所と言われる。其の前の時代、
祟神天皇10年に此処喜志の茅原に巨蛇出没して百姓大いに困り、ために天皇自らこの支子の森に上って大国主命
の荒御魂を祭った(創建した)と有る。巨蛇とは無論デマであり、出雲征伐の口実である。

其の年に彼は「王化」を強めようとして武埴安彦を誅殺し、倭トト姫もホトを突いて薨り、四道将軍を派遣し、其の後の1
2年にやっと天皇号を名乗る事が出来た。そして彼は60年に「出雲の神宝を見たい」と言い出した。出雲臣の遠祖の
振根が筑紫に出張の留守に、その弟の飯入根に献上させたのだ。

此処から兄弟が争って兄が弟を殺し、其れを天皇が誅殺すると言う事件となった。こうして彼は出雲の国を乗っ取った
のである。こうして出雲族が彼に謀られた事を知って、残った銅剣と銅鐸を急いで島根の荒神谷と加茂岩倉に運んで
埋め隠したのであろう。彼は其処で祟神天皇として69年と72年に喜志宮で官祭を行ったと社伝にはある。

日本書紀にはこの時の皇太子(活目尊)に童が申した「みくくり御魂・・・」と言う謎めいた歌を載せている(此れが先の
回答である)。さて野見宿禰と当麻蹴速の相撲が此処から始まる。活目尊(垂仁)は、その5年に狭男彦と妹とを誅殺
し、7年7/7には衆中に語って、やがて当麻蹴速を誘き出した。

その日の内に出雲から野見宿禰を呼び出して両者を戦わせたとあるが、殺させたのであろう。王権より権威ある目障
りな当麻の王君であった蹴速を垂仁天皇は何らかの口実をつけて招いて実は謀殺した。相撲とは占いであり博打であ
り、今のスポーツとは違って朝廷側の演出劇でした。

天皇は、目障りな出雲・当麻の王を殺して領地を奪い、其の代わりに天皇の手下(代官)である出雲国造・野見宿禰に
其の功労として領地をそっくり下げ渡したのである。

この後、天皇は11年に黒盾をこの宮に納めたが、天皇たちが親子揃ってこんな悪い政治ばかりしているので天照大
神を倭で居着き奉じていた豊耜スキ入姫はすっかりやつれてしまった。其処で25年には倭姫が代わってこの後、各地を
放浪の末に伊勢神宮に辿り着き祭った訳である。

出雲族としては神の作った太陽暦に服していたので、渡来人の作ったニセ暦を押し付ける天皇の祭りには従わなかっ
た。出雲は武器を持たず戦いもしなかったので天皇は頭に乗って、26年にまた「神宝検校」を命じて来た。其処で銅鐸
以外の銅剣などおびただしい量の祭器は「武器」となる恐れから奪って石上神宮に集めた。

こうした石上神宮の神宝は平安京への遷宮に伴って延暦13年に遷された(後にまた石上に戻される)が、このとき運
搬に要した人数が157000余人と報告されているので想像を絶する数量であったと分かる。因みに石上神宮には「フ
ルの神」も祭っているが、この喜志宮は今もフル(古市)と言う町の一部である。

当時、「王化」に従わなかった「祭ろわぬモノ」は祭器を「武器」として没収された上、奴隷として捕らえられて天皇家の
墳墓に生き埋めにされた。殉死と言う犠牲(人柱)である。こうして同族が次々と余りにも無残な仕打ちで犠牲になると
共に、野見宿禰も自分のなした結果責任に耐えかねてとうとう32年に、垂仁天皇に上奏した。

「殉死に替えて埴輪にするよう」献策して認められ、以後彼は埴輪作りの土師連(ハシのむらじ)の祖となった。その末
裔が天神・菅原氏である。ともあれ、犠牲とならずに落ち延びた出雲族も土地を奪われた以上は山間部か海や川を放
浪する事となった。彼ら王族は渡来の新勢力から「鬼」とされ、カモ族はクモや蛇と蔑まれた。

此れが出・カモ・クモとして以後も「出雲」と言われたのだ。@
言わばカモの道となった。その沿線を初瀬川が流れ、終点に今の長谷寺が有る。此処は今、紀州根来寺と共に豊山
派の総本山で有る。根来はネゴロと読むが、ネギとも読む。関西には「カモがネギ背負ってやって来る」と言う例え話が
伝わるのはこの事を云ったものだろう。餌食となる相手を「いいカモだ」と云うアレの事です。

以上、別に「朝廷」に恨みがある訳ではないが、歴史的な経過を重ねれば分かる点から解説した。

四天王寺・秋季彼岸会・・・・・・大阪・天王寺区の四天王寺で9/20〜26まで。四天王寺は磁石がない聖徳太
子の時代に建てられた寺である。所が其の伽藍が子午線に沿って建てられていた事が今でも確認できる。北の東光院
から六時礼讃堂、金堂、五重塔、中門、南大門の主軸は東経135°31’09.48″に並んでいる事です。

しかも東西線には西大門と言う石の鳥居があり、此処は昔から高台だったが今のようにビルはなかったので、夕日が
綺麗だった。特にこの彼岸の中日にはこの鳥居の正面、即ち真西の大阪湾(港区弁天町)に夕日が沈むので、其処が
西方浄土の極楽世界を礼拝する日想観の場となった。

因みに西大門は北緯34°39’01.74″であり、そのまま東に向かえば同緯度には生野区中川6の難波寺、そして
東大阪市上六万寺の息徳寺等が並んでいる。

■07-09西宮まつり(戎大祭)・・・・・・兵庫県西宮市社家町の西宮神社0798-33-0321で9/21日の夕方5時から「宵宮
祭」。翌22日に例祭。続いて23日に「海上渡御祭」。この一連の祭りは昔は8/22日に西宮神社から大和田岬に船が繰
り出した。

大和田岬は古くは万葉に「百船の泊つる」敏みぬの浦であり、「大輪田の泊」と呼ばれ、その後に「兵庫の津」と呼ば
れた。@

此の船渡御も長く途絶えていたが近年、新西宮ヨットハーバーから、鮮やかな装飾の船団が巡航する、八乙女の舞う
「渡御祭」として、平安衣装に身を包んだ氏子たちも参加する「海上渡御祭」として復活したから素晴しい。だが折角復
活したのにその後2002年から何も分からず屋がこの日8/22日を旧暦と誤解したのだろう。

9/21〜23日に変更してしまったから惜しい。

■例年-熊野筆まつり・・・・・例年この日、広島県安芸郡熊野町で行われる。
大祭・・・・・・・仏通寺(広島県三原市)。 

鰐地蔵祭・・・・・・・泊清寺(山口県大島郡)。 
★10面浮立(9月第2日曜日前後)【佐賀県鹿島市】
























































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