http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」 p139 (未定稿) 


   神々の歳時記    9月下2旬 但し方位による
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●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起
の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版
http://www.matsuri.or.jp/cgi-bin/wf/wforum.cgi(mag2 ID 0000026310)

及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-9月」より一部引用・転載させて頂きました。

■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記
には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の
詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。

9月下2旬 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・  ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★



9/24  


■白虎隊・・・・・・明治元年9/24(グレゴリオ暦の1868/11/8)、会津若松・飯盛山で自刃の墓前祭。9/22を参
照。

■例年-巣鴨とげぬき地蔵大祭・・・・・・・例年この日、東京都豊島区巣鴨、高岩寺で行われる。
鳳凰の舞・・・・・・・東京都西多摩郡日の出町。

佐倉惣五郎の命日か・・・・・・テレビ番組と検索から出た事柄を以下、引用すれば・・・江戸時代の代表的な義民。名
は宗吾・惣吾とも。当時の下総(しもうさ)国公津台方(こうづだいかた)村(千葉県成田市)の名寄(なよせ)帳には惣五郎とある。子
孫とされる家は木内(きうち)姓を名のっている。

惣五郎についての史実はほとんど不明で、義民伝承の形で伝わっている点が多い。
またウィキペディア[Wikipediaでは・・・佐倉惣五郎・佐倉宗五郎・佐倉 惣五郎、宗吾(さくら そうごろう、そうご、慶長10年(1605
)? - 承応2年8月3日(1653年9月24日)?)は江戸前期の百姓一揆の指導者。本名は木内惣五郎。

伝承 承応年間(1652-1655)、天災・飢饉の続く中下総国印旛郡公津村(現在の千葉県成田市)の名主であった惣五
郎は、佐倉藩の重税に耐えかねた農民を代表して藩の役人や江戸の役所に困窮と減税を訴えた。しかしその訴えは
聞き入れられず、老中に駕籠訴をしても果たせなかった。

そして遂には4代将軍家綱が上野寛永寺へ参詣の折に直訴に及ぶ。その結果租税は軽減されたが、----惣五郎夫妻
は磔刑、男子3名女子1名は死罪に処された。この逸話は己の命を賭して民衆の危機を救った英雄譚として、「佐倉義
民伝」などの芝居や歌舞伎の演目として現在も親しまれている。

その動機については年貢の軽減の他に、千葉家の再興を訴えたとの説もある。これによると木内家は千葉重胤の家
臣で、千葉氏が小田原落城で後北条氏とともに滅亡し、家臣が四散したのを宗吾の祖先が率いて公津村辺に土着し、
千葉家再興を期していたという。

宗吾伝説は百姓一揆の高揚期の中でも様々の要素を添加されながら成長し、明治以後も民権論の高まりの中で再評
価され、脚光を浴びた。現在、千葉県成田市には宗吾を祀った宗吾霊堂(鳴鐘山東勝寺)が建っている。

堀田正信が承応3年(1654年)11月に惣五郎の霊を祭るために将門山の入口に社を建てたところが、土地の人があつ
く崇敬して"口之明神"と云った。この社殿は宝暦2年(1752年)に再建され、改めて"口明神宗吾道閑宮"と名付けられ
る。堀田正信は惣五郎死後に発狂し、祟りがあったと噂された人物である。

佐倉領主が浅草(旧・芝崎町)の日輪寺の過去帳に惣五郎の名を記して菩提を弔い、同じく浅草(旧・森下町)の金蔵
寺には位牌がある。その位牌の裏書きに"凉風道閑居士俗名宗吾、下総印旛郡佐倉居民なり。口明神と尊称して、社
殿を建つ、享和三年癸亥八月三日(1803年9月18日)百五十回なり。

因て供養の為め大施餓鬼を修し、木主を追造し、金蔵寺堂中に安置す"とある。
因みに上記の宗吾霊堂(鳴鐘山東勝寺)は、拝観無料(宗吾記念館は有料)。

他にも台東区寿3-19-12の宗吾殿は下総の義民・惣五郎を弔うために、藩主の屋敷内に建てられお堂で、現代に至っ
ても代々の当主が供養を続けてきました。大きなお堂では有りませんが、道に面した石囲いや石柱には劇場関係や役
者の名前が刻まれています(以上引用)。

■06-07安乗の人形芝居・・・・・・・三重県志摩市阿児町で安乗文楽(でこしばや)。安乗神社で例年9月24日〜25日(旧
暦8月14〜15日)。

大般若経転読・・・・・・・金蔵寺(京都市西京区) 
大黒天供式・・・・・・・西大寺(奈良市西大寺町) 。

■07采女祭・・・・・奈良市の樽井町の采女神社で9月中秋の名月の日から〜25日まで。此処は鳥居に対して後ろ向き
に建つ特異な配置である。猿沢池に身を投げた采女(うねめ)の霊を慰めるために建てられたと言う。一晩で社殿の向
きが変わったと言う伝説がある。

24日は宵宮祭、25日には秋の七草で飾った高さ約2mの花扇と共に十二単衣姿の花扇使が練り歩く。雅楽演奏と二隻
の管弦船(龍頭船)が巡り、花扇を池に投じる。市観光センター0742-22-3900


安産地蔵専・・・・・・・英雄寺(大分県) 

★西郷隆盛の命日・・・・・・・明治維新の第一の功臣だったが、西南戦争の結果、明治10(1827)年の9/24、城山で自
決。9/22日から此の日は火星が20世紀最後の大接近となった。

■06-07-09結核予防週間。






































































9/25    


▼07十五夜。08年は15日。 09年の満月は10/3-4日。
■10やっさ祭【群馬県みなかみ町、若宮八幡宮】

仏立て(常行三昧会)・・・・・・・西建寺(茨城県王造町)で9/25〜30日、常行三昧会の法会で、一山の僧が経を唱え
ながら、昼夜堂内を巡る。この間に市が立つので、西蓮寺市ともいう。

■10秦野たばこ祭(〜26日:9月下旬の2日間)【神奈川県秦野市】

■例年-五箇山こきりこ祭り・・・・・・・例年この日9月25日〜26日、富山県南砺市上梨で行う。
http://www.omatsuri.com/movie/kokiriko.html  
   動画五箇山麦屋まつり・こきりこ祭り  9月23〜26日 富山県南砺市 

■例年-唐戸山神事相撲・・・・・・例年この日に石川県羽咋市、羽咋神社で行う。

●岐阜・飛騨一ノ宮祭・・・・・・飛騨・水無神社の例祭で9/23〜26まで行われる。9/25が例祭日でご祭神は大国
主命の御子である。

■10伊勢市民おおまつり(〜26日)【三重県伊勢市】

■07大峯本宮・天河大辨財天社の観月祭・七夕祭・・・・・・奈良県。天河大辨財天社・電話0747-63-0558では9月25日 
〔火〕 観月護摩、火渡り式を正午から、また続いて観月祭(仲秋の名月神事・各種奉納予定)を午後7時から行う。

■神須牟地神社の謎・・・・・・大阪・住吉区に神須牟地神社がある。主神は不明であるが、今の例祭は10/11、夏祭
りが7/21としている。此処は元和元年8/21に本地の多賀谷靱など5人が再建したと言う。グレゴリオ暦にすれば1
615/10/13となるが、恐らく9/24〜25が祭りであり、其の前に再建したものと推定出来る。

何故なら其の方位に何社も並んでいるからである。@

▼10百舌鳥八幡宮・秋祭り・・・・・・・・堺市もず(百舌鳥)赤畑町に鎮座の百舌鳥八幡宮では300年間、毎年旧暦の8/14
-15日が仲秋祭(月見祭)で、中秋名月に近い土・日曜日、2009年の場合は10月3日、4日の土日に11時から21時まで
重さ3トンの勇壮・華麗な「ふとん太鼓」が入れ替わり立ち替わり繰り出す。

普通、此の地域のダンジリは「堺百町」との言葉があるが、此処の「ふとん太鼓」は氏地の八町、九町の氏神として昔も
今も町民の信仰を集めている。午後4時から社務所横の庭園で野点茶会もある。社務所は072-252-1089 祭りの詳細
は09/10/3日を参照。

▼10月見祭(〜26日:旧暦8月15日前後)【大阪府堺市北区、百舌鳥八幡宮】百舌鳥八幡宮 月見祭
動画百舌鳥八幡宮 月見祭  http://www.omatsuri.com/movie/tukimi.html

文珠祭・・・・・・・大珠寺(大分県)。 
▲07糸満綱引き(旧暦8月15日)【沖縄県糸満市】

■孔子祭・・・・・・・04/9月25日(土)。長崎県長崎市。大浦の孔子廟では「孔子祭」を開催。華僑の人々が代々 受け継いできた祭りです。中国・明時
代に行われていた儀式を再現し、学問の神様でもある孔子の生誕を祝います(この項目は「なっとく歴史館」から引用した)。詳細URL  http://
www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/






































































9/26  


●06-07彼岸明け。

▲洞爺丸遭難の日・・・・・・・S29/9/26。台風15号が日本海にあり、青函連絡船で1345名を乗せた洞爺丸がい
ったん出航を見合わせたが、その後に天気が回復し掛けたので出航した。所が間もなく大荒れとなり、七重浜沖で転
覆し1155人が死亡して海難史上最悪の事故となった(05/9/26の「今日は何の日」より借用)。

六夜尊祭・・・・・・・常福寺(茨城県瓜連町)。
■09秦野たばこ祭(〜27日:9月下旬の2日間)【神奈川県秦野市】

▲安倍晴明の命日か・・・・・・・陰陽師。外に天文博士、左京権大夫などを歴任し、85歳まで現役として生きた。命日は
寛弘2(1005)9/26(『土御門家記録』による。因みに宮内庁書陵部『陰陽家系図』では10月26日)。尚、旧暦の9/26日
とすればユリウス暦10/31。だが方位では9/8日になるが、実は8/20であるし、7/19とも言える@

▼10百舌鳥八幡宮・秋祭り・・・・・・・・堺市もず(百舌鳥)赤畑町に鎮座の百舌鳥八幡宮では毎年旧暦の8/14-15日が仲
秋祭(月見祭)で、中秋名月に近い土・日曜日、2009年の場合は10月3日、4日の土日に「ふとん太鼓」が繰り出す。
氏地の八町、九町の氏神として昔も今も町民の信仰を集めている。詳しくは09/10/3日を参照。

●06-07-09日前さき神宮・国懸かかす神宮・例大祭・・・・・・・和歌山市秋月のこの宮は日前大神と国懸かかす大神を祭る。
天道根命の末の紀氏が代々奉斎して来た宮であり、此処には伊勢神宮に奉られたヤタの鏡と同じ、日像鏡と日矛鏡
が奉祭されて来たと言われる。

国懸かかす神宮
http://www10.ocn.ne.jp/~hinokuma/05/menu05-0926.html

▼08安東仮面舞祭り ------韓国。9/26-10/5。投稿者:世良芳太郎 http://www.maskdance.com/
韓国の伝統芸能である仮面劇と民俗遊びが勢ぞろい。日常を離れた逸脱を夢見る非日常の世界













































































9/27  


●06-07-09小田原道了尊・大祭。 
■08秦野たばこ祭(〜28日:9月下旬の2日間)【神奈川県秦野市】

千灯供養・・・・・・・興正寺(愛知県)。 
開帳・・・・・・・道了堂(京都府)。  

吉野神宮と吉水神社の例祭日・・・・・・・後醍醐天皇を祭る両社の例祭日である。後者は元「吉水院」と言う
金峰山寺寺僧派(天台寺院)だったが、明治初年に廃寺して「吉水神社」とした。つまり此処は後醍醐天皇の陵を守る寺
だった。また吉野神宮は蔵王堂※があった所に明治に創始した神社である。

所が何れも彼の命日である8/16を新政府は旧暦とし、其の誤解のお達しによりグレゴリオ方式でこの日に変えた。
制度的にも学問的にも其れが正しいのだが事実と違えば史実を混乱させ、文化破壊となる。彼は真の太陽暦の8/1
6相当に崩御した@

※蔵王堂は熊野本宮から吉野に至る大峰七十五靡なびきと言われる行場の七十四番目の所であり、57年間に及ぶ南
北朝時代の古都であり、今でも吉野つまり大峰修験の中心地である。尚、大峰山は役小角が斎明元(655)年に開山し
た修験者の山であり、今も只一つ残る女人禁制の地である。

■36孝徳天皇の命日かA・・・・・・彼は軽皇子・天万豊日尊として難波長柄豊碕宮に遷宮したがこの日に崩御し、大阪
磯長陵に葬られたとされる。無論、南河内の太子町には其れと思しき墳墓は有るが、下記にも造られた。

更に此の日とは白雉5/10/10日=654/11/24-11/27日とも解釈できるが、逆に白雉5/10/10日がユリウス日に近い和
暦であったとすれば、佛暦では8/24日となる可能性もあります。当時の暦法は何が真実が今の所は文献では不明であ
るからです。

因みに先の難波長柄豊碕宮から9/27日方位には神戸市灘区の摩耶山があり、山頂部の形が彼の命日方位に似てい
る。更に傍にはトウ(立心偏に刀の字)利天上寺があって、孝徳天皇の勅願寺だった。此処は後に空海が山腹に摩耶
夫人(ぶにん)の像を祀った事から、以後は本尊を十一面観音とする女人高野として参拝が多くなった。

また10/5日方位には西国33番札所の第26番、一乗寺(兵庫県加西市坂本町821-17、0790-48-2006)があり、更にそ
の延長線上に姫路市の書写山・圓教寺(えんぎょうじ)がある。此れが「偶然の一致」と言えようか?円教寺の寺務所も彼の
命日方位に似た形の古墳状の丘に有るのです。

兵庫県姫路市書写2968にある書寫山(しょしゃざん)圓教寺は、天台宗の別格本山で此処も西国33番札所の第27番。と
言う事は、彼・孝徳天皇の命日は、佛暦では計算上は8/24日としても、和暦では西暦の10/5日(10/5日Bを参照)相当
と判明する。

しかしながら此処ではユリウス暦に相当する形で今の寺務所の場に彼の墳墓を築いていた可能性も読み取れます。
彼は皇極天皇の娘の間人(はしひと)皇女を皇后にした。しかし彼女は天智天皇と同母兄妹であり、一説によれば禁を犯
しての恋仲だった。

次に阿倍倉梯麻呂の娘の小足媛(おたらしひめ)を妃として、有間皇子(12/11日を参照)を儲けた。更に蘇我石川麻呂の
娘の乳娘(ちのいらつめ)を妃とした。従って、小足媛が一乗寺に、次の小足媛が圓教寺を鎮魂の后の宮として各々居着き
祀ったものと推定できる。ただ有間皇子はその後、謀反の疑いを蒙って藤白坂(今の海南市)で滅ぼされた。

謀反は寧ろ、天智天皇側であったと今は憶測されている筈ですが・・・。


















































































9/28


■久伊豆神社大祭・・・・・・・04/9/28、埼玉。

■東京芝・増上寺の位置方位・・・・・・・・増上寺は浜松町からこの日の方位に位置している。此処は元々現在の皇居
内に明徳四年1393に創建された寺だったが、以後浄土宗の大本山として、また徳川家の菩提寺として有名となった。
無論、神仏習合時代を経た寺院である。

其処で位置関係を見ると浜松町から西に進む道路が参道を兼ねており、やがて「大門」の交差点を過ぎて更に真っ直
ぐ進めば本堂に向うが、境内前には三解脱門が聳える。其処をくぐれば増上寺に正対する。そして裏手には四菩薩石
像が立ち、其の先には東京タワー前の公園に如意輪観音堂がある@

因みに芝大明神の祭りは今も9/11〜21まであり、此れが「ダラダラ祭り」と言われ、賑わって来た(9/19を参照)。

■早良親王の命日・・・・・・以下引用:『ウィキペディア(Wikipedia)』早良親王(さわらしんのう:天平勝宝2年(750年)?〜延
暦4年9月28日(785年11月8日)は、奈良時代末期の皇族。光仁天皇の皇子。母は高野新笠。桓武天皇、能登内親王
の同母弟。

761年、出家して東大寺羂索院や大安寺東院に住む。781年、兄・桓武天皇の即位と共に立太子。だが785年、藤原種
継暗殺事件に連座して廃され、無実を訴えるため絶食して淡路国に配流の途中、河内国高瀬橋付近で憤死した。

その後、桓武天皇の長男安殿親王(後の平城天皇)の発病や桓武天皇妃・藤原乙牟漏の病死などが相次ぎ、それら
は早良親王の祟りであるとして幾度か鎮魂の儀式が執り行われた。800年、崇道天皇と追称され、大和国に移葬され
た。その場所は奈良市八嶋町の崇道天皇陵に比定されている。

またこの近くには親王を祀る社である八嶋神社があり、更に北に数キロ離れた奈良町にある崇道天皇社、御霊神社な
どでも親王が祭神として祀られており、その他にも近辺には親王を祀る寺社が点在している。関連先は上御霊神社、
御霊信仰(以上、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E8%89%AF%E8%A6%AA%E7%8E%8Bより引用)。

祟道天皇陵とされる陵が淡路の津名郡下河井(高島)や北淡町の仁井宮本にもあった。彼の祟りを恐れて久野野には
常高寺、其れに霊安寺が建てられたが、其処からやがて改祟道天皇司(五百枝王)を任じて淡路に派遣し、延暦17/3
月に大和に改葬した。八島寺に遺骨だけを移したようである。

遺骨と弓などが二基の神輿で運ばれて西向きの寺に納められたのであって、墳墓は造られず、其の八島寺の創建が
延暦25年であると言う。

但し彼の場合、祟りを恐れて大和では八嶋ノ御霊、祟道天皇と追号して祟道天皇社としたが、隣接地の島田神社に合
祀した(以上の大半を「天皇陵」総覧・新人物往来社より引用)。@

英彦山神社(神宮)・例祭・・・・・・・・9月28日に例大祭、並に講社大祭。上宮は6月の第1日曜日に山開祭。英彦山
神宮略誌---英彦山は、古来から神の山として信仰されていた霊山で、御祭神が天照大神の御子、天忍穂耳命である
ところから「日の子の山」即ち「日子山」と呼ばれていました。

嵯峨天皇の弘仁十年(819)詔により「日子」の二字を「彦」に改められ、次で、霊元法皇、享保十四年(1729)には、院
宣により「英」の一字を賜り「英彦山」と改称され現在に至っています。英彦山は、中世以降、神の信仰に仏教が習合さ
れ、修験道の道場「英彦山権現様」として栄えましたが、明治維新の神仏分離令により英彦山神社となった。

また昭和50/6/24日、天皇陛下のお許しを得て、戦後、全国第三番目の「神宮」に改称され、英彦山神宮になっていま
す。御神徳---天照大神の御神勅により、この地に降臨された天忍穂耳命は、農業生産の守護神として、また鉱山・工
場などの産業の守護神として崇敬されています。以上http://kamnavi.jp/toyo/hikosan.htm「ひこさん」より引用。

此処は福岡の添田町。祭神は忍骨命てもあり太古の神である。初め此の山を日子峰と言った。祟神天皇のときに英
彦山権現の垂迹によって寺を霊山寺と号し、後、役行者が来て3800坊、49窟、12社など堂塔が連なったがやがて衰退
し、明治の神仏分離で社殿のみを残すだけとなった。

かねの鳥居を起点にして、参道が西から東に旧政所坊庭園まで直線で凡そ800m伸びている。其の暦・方位は10/7---
4/8日で春秋の祭りを示している。其の東に当社と英彦山(1212m)があり、先の銅かねの鳥居と神宮との位置・方位は10
/19---4/19.5日を示している。

英彦山から遠賀川が流れいて逆戻りするように西の玄界灘に向かっている。また此の例祭のほか3/15日に御田祭、4
/15日に神幸祭がある。

因みに10/15〜19日方位に何があるかと言えば、対馬から広州に向かう。また10/20日方位には小呂島---立花山
(367m)---竜王山(616m)---英彦山(1200m)---釣鐘山(852m)---大分の臼杵磨崖佛---津そして久見市には彦
岳(639m)があるのは偶然だろうか。

また近くに名勝・耶馬渓(表裏)がある。更に英彦山には熊女信仰や檀君神話も伝わる。朝鮮建国の祖(檀君)が藤原
恒雄伝承と重なっているのだ(9/17日、春日を参照)。
















































































9/29  




■06-07-09道元禅師忌。

●志波彦神社の例祭・・・・・・・・宮城・塩釜。かつて国幣中社としての志波彦神社と塩竃神社があり、かつては荒ぶる
神々を平らげたと言う信仰から奥州一之宮として崇敬されたが、実は暦・方位の神だったと分かって来ます。さて前社
がこの日、後社が7/10を例祭とする。主神は前社が志波彦神、後社が塩竃神である。

但し前社は昭和13年まで岩切村に有った。元の宮の正確な位置関係を地図の上では確認出来ないが、地名からは
東に遷宮しているのが分かるので、例祭日の9/28←→3/29の暦・方位に近い方位の現在地へ遷宮したものと推
定する。従ってこの例祭は遷座記念祭とも言われる(詳しくは3/29を参照)。

■07-08-09やっさ祭【群馬県みなかみ町、若宮八幡宮】

★07江戸天下祭・・・・・9月29日と30日。江戸開府400年をきっかけに復活した祭りですが、一年おきに開催されて今年
は29日に山車・御輿の巡行があるようです。東京千代田区の日比谷公園を中心に東京駅丸の内口付近までが会場に
なるわけですから、まさに日本の中心とも言えますもの。山車は近県からも含めて13台とか聞いてます(森住さん)。

江戸天下祭こちらをご覧下さい。↓↓↓http://www.chiyoda-days.jp/edotenkamatsuri2007/index.html(まえ宏さん)※
江戸開府400年をきっかけに復活したとのことで、本当に最近始まったお祭りのようですね。

■07秦野たばこ祭(9月下旬の2日間)【神奈川県秦野市】

曹洞宗両祖忌(両山忌)・・・・・・・道元を高祖として、中興の祖宝山を太祖として両祖の開いた永平寺、総持寺を両
山と呼ぶが、この日を共通の忌日と定めている。 

■陽成天皇の命日・・・・・・清和天皇の皇子で57陽成天皇となったが病弱の為、在位8年で光孝天皇に禅譲。天暦3/9/
29崩御(82歳)。神楽岡に陵があるが、清和天皇の次の天皇としては余りに貧弱なので再考を要する。此の陵は方位
で見て3/17方位にあるので12日もズレる。因みにユリウス暦に換算すれば949/4/29となってしまう。

なのでまた9/29---3/29に戻って地図から見れば、此のラインには保津山(亀岡市)---嵯峨野(西京区)---化あだし
念仏寺---嵯峨・大覚寺---双ならびヶ丘---旧内裏---満願寺---永観堂・禅林寺---南禅寺山---安祥寺山国有林(標
高400m)へと続く。

此の中には彼に結び付く可能性の場所が幾つもあるが、特に永観堂・禅林寺は、清和天皇と藤原良房の為に真紹が
勅許により貞観5(863)年、または承暦(1077-81)年間に開いた来迎山・無量寿院であった(今は浄土宗)。安祥寺も清
和天皇の母(藤原順子)のために真言宗の実恵の法弟・恵運が吉祥山安祥寺として嘉祥1(848)年に建立した。

何れも皇室縁りの寺である。














































































9/30  


■見付天神・裸祭り・・・・・・静岡・磐田市で6〜7日(旧8/10日の直前の土、日曜日)。

●新田部皇子(にいたべのみこ)の命日・・・・・・以下http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/niitabe.html 「新田部皇
子」から引用する。---生没年 ?〜735(天平7) 系譜など 天武第10皇子(末男)。母は鎌足の女、五百重娘(万葉08/
1465脚注に大原大刀自とあるのと同一人)。異父弟に藤原麻呂がいる。子に塩焼王・道祖王がいる。

略伝--700(文武4)年1.7、浄広弐(大宝令の四品にほぼ相当するか)。704(大宝4)年1.11、増封100戸。この時三品。707
(慶雲4)年10月、文武天皇大葬の際、造御竈司。この時二品。714(和銅7)年1.3、封200戸を加増。719(養老3)年10.17、
舎人親王・新田部親王に対し、「年歯猶稚くして未だ政道に閑(なら)は」ぬ皇太子首の補佐を命ずる詔が出される。

同時に両親王の内舎人・大舎人・衛士を増員する。当時、天武の皇子として両親王のみが存命しており、両親王に対
しその重要な立場を「慎む」旨促している。720(養老4)年8月、右大臣藤原不比等が薨じた直後、知五衛及授刀舎人人
事に任命される(禁衛軍を掌握)。

721(養老5)年12.7、元明上皇が崩ずると、同月29日、新田部親王のもと、授刀寮と五衛府に動員態勢を敷く。724(神亀
1)年2.4、首皇子が即位し(聖武天皇)、同日一品に叙せられる。ところが神亀5年7.21の続紀には「三品大将軍新田部
親王に勅して明一品を授く」旨あり、叙一品の記事が重複している(「明一品」も旧冠名であり不審)。

あるいは神亀元年以後何らかの事件を起こし、三品に降格される経歴があったか。神亀6年2.11、知太政官事舎人親
王・藤原武智麻呂らと共に長屋王邸に派遣され、王を訊問。この時の官職名は大将軍。731(天平3)年11.22、畿内大惣
官。天平7年9.30、疫病流行の平城京で薨ず。薨年は50歳代か。

旧邸は763(天平宝字7)年鑑真に与えられ唐招提寺となった。万葉に自作の歌は伝わらないが、人麻呂が新田部皇子
に献ったという歌(03/0261)があり、藤原京時代、矢釣山(奈良県高市郡明日香村八釣)の近くに宮を営んだことが窺え
る。またある婦人から「髭無き」ことをからかわれる歌がある(16/3835)。---引用以上。

彼は別の系図では天武(9/9を参照)の第八ミコとして9月に薨去した。何れにせよ9月の逆は3月である。よって其の方
位の今の東大寺三月堂の東に葬られたと思われる。

▲06天野山・金剛寺の「観月まつり」・・・・・・大阪・河内長野市。南北朝時代に行宮となった金剛寺では、時代衣装行
列や剣舞、其れに茶会(野点)や邦楽演奏、剣舞、和太鼓・ジャズ演奏、天野酒コーナー(一部有料)がある。旧暦行事
の為03年は9/13日、04年は25日、05年は17日、06年は9/30日となる。尚、気象警報発令時は10/1に順延。


















































以上9月。次は10月へ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★●

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page044.htmlで公開していますが、其の実物を希望される方は末尾に従ってご請求下さい。

■尚、各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年06-07と追加する形で示していますので、
*開催日等の詳細には主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。

■「神々の歳時記」に記した例は仮説ではなくて、太陽暦に重ねて古式祭による祭政一致を行っていた古からの日本
文化の原理です。其の具体例を今回、公開したものですが、海外への情報流失防止のため、特に「本文」については0
4/11月から「非公開」としました。

■@マークの付いた以下の部分が「非公開」部分です・・・・・・・@マーク以下には「地理・方位の具体例と其の意味や
暦との関係式」などの詳細を隠しています。この隠れた部分の資料をご希望の方は、「メールフォーム」または「掲示
板」からコンタクト下されば実費で郵送します。

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は巻末に記しました。  

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