http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」 p137 (未定稿) 神々の歳時記 9月上旬 但し方位による ●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起 の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版 http:// www.matsuri.or.jp/cgi-bin/wf/wforum.cgi(mag2 ID 0000026310) 及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-9月」より一部引用・転載させて頂きました。 ■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記 には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の 詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。 9月上旬 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ 9 月 ★ぎふ長良川鵜飼 ★・・・・・全国有数の知名度を誇る岐阜市の長良川の鵜飼は1300年の歴史を持った夏の風物詩 であります。観覧船の乗船客数は毎年10万人を超えるにぎわいを見せます。 伝統装束に身を包んだ鵜匠が「ほうほう」と声をかけながら鵜を自在にあやつって鮎を狩る様は、見る人を幽玄の世界 へ誘い、燃え盛る篝火(かがりび)に古典絵巻を感じていただけるはずです。 期間 平成17年5月11日(水)〜平成17年10月15日(土)出船時間 乗り合い船の詳しくは主催者にお問い合わせくださ い。開催場所 岐阜県岐阜市湊町(長良川)ホームページアドレス http://www.ukai-gifucity.jp/ukai/問い合せ先 岐 阜市鵜飼観覧船事務所 電話 058-262-0104 以上は、「かんぽ加入者福祉施設 月変わりお得情報」otayori@fukushi.kampo.japanpost.jpより転載。 9/ 1 ■06-07二百十日・・・・・・立春から数えて210日目を言うので平年はこの9/1日であるが、閏年は8/31となる。何 れにせよこの頃は稲の収穫時期と台風シーズンとが重なるため、十日後の220と共に昔から農家の厄日として警戒さ れて来た。 ■弘前お山詣・・・・・・久渡寺〔久渡寺観音〕(青森県弘前市)。 ★07全国こけし祭り(9月第1土曜〜日曜日)【宮城県大崎市鳴子】 ■06-07防災の日(関東大震災記念日)・・・・・・大正12年のこの日、関東大震災があり、死者・不明14万人を出した。 マグニチュード7.9。其処からこの日を教訓としようと防災の日と決め、全国各地で防災訓練が行われる。04/9/1 には浅間山が21年ぶりに噴火した。 ■日吉祭・・・・・・市山寺(新潟県)。 ■鹿島神幸祭・宵宮・・・・・・鹿島市・9/1〜2日、タケミカヅチのミコトを祭る鹿島神宮0299−82−1209の宵宮。 潮来を挟んで西に十キロの所に伊波比主命を祭る香取神宮があって、昔はその両社で「鹿島香取祭」と言い、両社は 2/4.5〜8/6.5の方位、つまり鬼門と裏鬼門の関係に位置して祭りを続けた。 この辺りは古来、海辺であり、鹿島は香島と言う嶋だった。両社の中間地点である潮来・大船津には津宮があり、其処 に昔は一の鳥居が水面に立っていたと言われる。其処では十二年に一度、午の年に御船祭、神幸祭が斎行されて来 ました。このように方位から見ればこの祭りは旧暦二月の初め、つまり新暦にして三月の祭りだった。 其の点に関して延喜式にも、奈良の春日祭(春二月、冬十一月。並上酉祭之)の二十日前に、「鹿島香取祭」に対して 鹿島使と言う祭使が本社に下向する事になっていた。その「春の祭り」と共に、その逆の季節であるこの旧暦八月の祭 りが奈良春日大社との関係で重視され、其処から新暦の9/1〜3に大祭が設定されていた(次項参照)。 ■06-07越中おわら風の盆・・・・・・・・富山県婦負郡八尾町の聞名寺(今は富山市八尾町)で9/1〜3日、民謡おはら節 に合わせ全町の人々が「おわら踊り」に明け暮れる。 ■秋祭・・・・・・四天王寺(千葉県)。 ■06-07谷村の八朔祭(タノミ祭)【山梨県都留市、生出神社】 ■06-07中山の芋競べまつり【滋賀県蒲生郡日野町、熊野神社】 ■06大滝祭・・・・・・・・・京都・宇治田原町。大滝の下で、ウナギに酒を飲ませて雨乞いをする伝統的な神事を行う。 ■放生会・・・・・・吉田寺(奈良県斑鳩町)で午前に腰巻祈祷。 ■土師大祭・・・・・・道明寺(大阪府藤井寺市)。 ■07熊野速玉大社・抜穂祭。 9/ 2 ▼07三隣亡。 ■06全国こけし祭り(〜3日)【宮城県大崎市鳴子】 ■鹿島神幸祭・・・・・・神武天皇18年の創建とされる常陸国の一ノ宮、鹿島神宮(鹿島市)の祭り。此処は長く参道が 西へ伸びている。何故あの方角に向かって伸びているのかと言えば、其の先に奈良の都が有るからです。また何故こ の9/1〜2日に祭りがあるのか、と言えば、此の祭は春日祭の起源を記すからです。 春日祭は昔は3/3、今は3/13に行われるが、鹿島祭の対極に春日大社の例祭が行われた(一対の祭りでした)。 そもそも奈良の春日大社は此処、鹿島神宮から後の称徳天皇の時代に、藤原氏の氏寺・興福寺の鎮守として春日野 に勧請し新設された神社だった。@ 因みに本殿付近は宮下、宮中の地名であり、其の先には降魔山護国院・経音寺(護摩不動堂)や根本寺、そして大船 津の大鳥居や神宮橋へと貫かれていて、宮前地区からイタコ(潮来)に至るが、無論其の延長線上には奈良の春日大 社が連なっている。 今も「鹿島発ち」と言う言葉が残っていて、防人と絡めて解説される事が多いが、実は鹿島の神がこの参道をこの日に 発った事を意味したのである。またイタコを潮来と書いては意味不明であるが、イタコは巫女・シャーマンを意味する。 こうした一連の地名や事物は、全てが偶然の一致ではなくて、一定のラインに祭りが仕組まれていた証左である。 祭りとはつまり、このラインを陰と陽との時期に分けて練り歩く事に意味があった。 所で、今の根本寺はこのラインから少しズレているが、昔は七堂伽藍の大寺院だったので無論この軸線にあったろう し、聖徳太子の勅命で建てた名刹だった。また三笠山や鹿は鹿島と春日の両宮の共通のシンボルである。 鹿島も春日も、何れも主祭神は武甕槌神である。彼は神代の天照大神の時代の神であるが、彼が国土平定に用いた 神剣を中津国に降して神武天皇の大和入りを助けた事が記紀にも記されている。 尚、鹿は鹿島の神の使いとされ、そのため奈良公園では鹿が大切に守られているのは誰もが知る所であるが、その意 味は以上の由来の外、鹿の骨で神占いをしたからであり、よってこの宮の宮司は卜部氏と言われ、其の流れから此処 に剣聖・塚原卜伝を出した。@ また、9/9には祭頭祭があるが、此れはこの本祭を済ませた後に防人がこの鹿島の湊から船出・門出(鹿島発ち)す るのを祝った所謂「後の祭り」でした。それにしても昔通りの祭日をこうして今に伝えていた事には感服する。 恐らく此処にも明治の改暦押し付けがあった筈であるが、旧暦とは別の和暦を熟知する方があって、お上の無知を跳 ね返して古式を守り通してくれたのでしょう。 ●07越中八尾おわら風の盆・・・・・・富山県婦負郡八尾町。-----おわら風の盆http://yaccyann.maxs.jp/kazenobon/ より引用。----越中八尾で毎年9月1日〜9月3日にかけて行われるおわら風の盆の町流しの様子です。以前はそれほ どでもなかったのですが、近年マスコミなどの報道によって一躍有名になり、観光ツアーにも組み込まれて毎年各地か ら踊りを一目見ようと人々が殺到します。人口4000人足らずの越中八尾の小さな町に、この時期押し寄せる人々は何 と40万人以上にもなるとか。そのためか以前のように自由に町流しをするにも大変な有様とか(引用以上)。 ■お待夜・・・・・・東勝寺〔佐倉宗吾様〕(千葉県成田市)で9/2〜3日、佐倉宗吾の忌日の行事。 ●08孝元天皇の命日・・・・・・・縄文時代の奈良は淡水湖でした。其処で神武天皇から崇神天皇までの宮は、湖の干 拓と共に南から湖畔をジグザグに北進して来た事が以下の経過から判明する。@ 其処で08孝元天皇・大日本根子彦国索尊は、軽境原宮/に遷宮して孝元/57/9/2/前158崩御のため、御陵は劔 池劔池嶋上陵に葬られた。@ ■07岸和田だんじり「試し曳き」・・・・・・・・岸和田だんじりの本番は9/15日であるが、此の「試し曳き」は比較的見物客 も少ないので、楽である。今年は、9月2日(第1日曜日)と14日(前日)に行われる。大阪では地蔵盆も終わり、つかの 間の「祭りの端境期」。9月に入ると大阪は「だんじりモード」に突入する(杭全など、夏のだんじりはありますが…)。 ●美保神社と出雲大社・・・・・・・・鳥取と島根。@前者には恵比寿・事代主命と美穂津姫が祭られているが、後者は大 国主神を祭っている。前者では8/4に虫探はらい神事があり、此れを陰暦とすれば、新暦で9/2となり、また後者は 昔3/1〜3に三月会をして来た。 ■増田の花取踊・・・・・・安養寺(愛媛県一本松町) 9/ 3 ▼06朔。 ▼07一粒万倍日。 ■慈恵大師降誕会(天台宗) ■二歳児詣・・・・・・北山薬師(福島県) ■本庄・阿夫利天神社・大祭・石尊様・・・・・・埼玉・本庄市。因みに第一土曜日には「本庄・花火大会」も有る。詳しく は「本庄まつり」http://cancun.poke1.jp/honjou/ 因みに富士山の東にある相模の大山・阿夫利神社(秦野市)は 「天」の字が付いてないが、昔は「石尊」大権現と言い、この本庄の天神社よりも知られている。 私見で言えば、「石尊」はヤマトタケルに由来する。そして大山寺は十一面観音を本地仏とするものの、大山不動もあ り、護摩で名が通って、「焙り出し」の「アブリ」、つまり「火占」による名前の阿夫利がやがて「雨降り山」に変化したもの ではないか。此処は秘仏であり、昔は夏の20間だけ開山した。 その逆(北)に位置する本庄の天神社は言わば奥の院の位置付けになるが、本日の大祭との関連が今の筆者には不 明。 ★06松尾大社八朔祭・・・・・・京都市西京区。旧暦の8/1に当る此の日、八朔に五穀豊穣や家内安全を願う神事。09: 00から境内で八朔相撲の奉納、10:00に本殿にて神事、次に正午頃には渡月橋上流で約400kgの女神輿が桂川を渡 る「船渡御」が見もの。此れは地元の要望で数年前から始まったと言うが、其れでは神事と言うより観光行事か。 2日と3日の夕方、約2000の「八朔提灯」に灯りがともされる(8/24の朝日新聞)。 ★06山都町・八朔祭・・・・・・熊本・山都町では此の日に大きな山車が練り歩く。疫病を退散させた神もお出ましになる。 以下、山都町ホーム http://www.town.yamato.kumamoto.jp/ka/syokokankoka/kanko/hassakumatsuri1.jsp> から引 用する。 「八朔祭」は矢部に秋の訪れを告げる大祭。巨大にして精巧な造り物は必見!9月第一土曜日、日曜日 【平成18年度 9月2日(土曜日)・3日(日曜日)】江戸時代中期から始まったとされる矢部の八朔祭。「八朔」とは旧暦8月1日のことを いい、田の神に感謝し、収穫の目安を立てる日とされている。 呼び物はなんと言っても巨大な造り物。町のメインストリートを高さ2〜3m、長さ7〜8mにもおよぶ造り物が引き回され る光景は壮観の一語に尽きる。毎年各町内が趣向を凝らして制作するが、竹や杉、シュロの皮など自然のものを使う ので材料集めには大変な苦労がある。 また、造り物には審査員によって順位が付けられるため、各町内は作品のテーマや形にアイデアを絞る。祭り期間中 は、他にもおみこしや踊り、太鼓やブラスバンドの演奏など多彩な催しものが各所で行われ、町内外から訪れる見物客 で賑わう。そして最終日、通潤橋の放水と同時に行われる花火大会が祭りのフィナーレを飾る(引用以上)。 9/ 4 ▼07下弦。 ■志賀理和気神社の例大祭「日詰まつり」・・・・・・・・岩手・柴波町の日詰で香取の神を祭る。かつては南部一之宮 と言われた当社の例祭が9/4〜6日(第1日曜日を含む3日間)に行われ、華麗な4台の山車が練り歩く。此処は日 詰と言われる地区に有るが、この「日詰」は馬の蹄(ひづめ)ではなくて、暦に関する土地の名残かと思われる。 尚、此処(柴波)から略南方には塩竃の志波彦神社(3/29を参照)がある。今は柴波をShiwaと読むが、もし昔に柴 波や志波をシワではなくてシバと読んだとすれば「時間」を意味した。ならば両社ともご祭神は香取神宮と同様、「経津 主命」である。この神は通常は武神とされているが実は時の神だったろう。 因みにH16年の次第は9/2前夜祭。9/3赤沢神楽の奉納と同時に山車が当社・赤石神社へ向かう。 その間、当社では音頭と舞踊の奉納があり、やがて山車が戻る。9/4は神幸祭。神輿が赤石神社〜商店街〜薬師 神社〜皇大神社〜当社へ還御。9/5は奉祝大祭(元宮祭)で神輿・山車が繰り出し、早池峰(はやちね)岳流・赤沢神 楽と星山神楽、桜町の田植踊り・鍛治町さんさ踊り・囃子などが奉納される。 年に一度のこの祭りに際しては地元の方々が神様に精一杯の心と体を捧げて盛大な祭礼を共に楽しむ。ただ今の時 点では塩竃の元宮の位置も、当社の元宮や昔の例祭日、暦・方位など何れも未調査であるものの、志波彦神社元宮 との位置関係は概ね1/28←→6/27、そして例祭日の前後の、当地の日詰を挟む。 位置関係については9/4←台山(681m)→日詰←白山神社→権現山(824m)←大森山(1081m)→3/5とな る。尚、この祭りの詳細は URL:http://www.hss.iwate-u.ac.jp/~h1201075/hidumematuri.html また石川県鶴来町にも日詰町があり、金劔宮があり二二ギを祭り今は10月に「ほうらい祭り」をする。 無論、日詰の両社の関連性は不明だが方位関係では8/13--2/12であり、此れを旧暦と誤解すれば西暦の9月や3月 に祭りをする事になるが、10月の「ほうらい祭り」は前田利家公の祭りである。 ■米山薬師祭(福島県) ■開山忌・・・・・・茂林寺(埼玉県)で9/4〜5日。 ■06-07気比神宮(敦賀市)の大祭・・・・・・・・敦賀市で伊奢沙別命、外六座を祭る越前一ノ宮、気比神宮の例祭。昔 は8/10だった。今は先ず9/2が宵宮祭、9/3は神輿渡御、ツルメ(犬神人)と称する甲冑武者が神輿の前後を守 って市中を練り歩く。 9/4は官祭、9/5〜10までが「後祭」、15日は月次祭なので、9/2〜15までが「気比の長祭り」と言われる。この 間、境内は雑踏し、市内には山車が出て大いに賑わった。その他、特殊神事として3/8の「御名易祭」がある。此れ はご祭神が応神天皇と名を交換したとする故事によるものか。 また6/15には御田植祭、6/16には牛腸祭、7/22には総参祭がある。伊奢沙別命は、またの名を「御食津大 神」とも言い、播種・養蚕の神とも言われる。其れに此処は仲哀、神功の所縁の宮であり、後でご祭神としてお二人も 合祀され、後世、此処が仲哀天皇のご廟所ともされていた。@ また其の逆方位は宝塚市に中山観音があるのだが、残念ながら其の西を掠めて香川・白鳥町(白鳥は仲哀の父・日 本武尊を意味する)から宮崎・青島に至る。とすれば彼は香椎ではなくて日向で崩御されたのかも知れない。そして境 内東には角賀神社がある。 此処は祟神と垂仁天皇時代に敦賀や播州に大加羅(伽耶)の王子・ツヌガアラシトや新羅の王子・天日槍(アメノヒボ コ)が聖化(帰化)した。そのツヌガアラシト(ヒジリ事典の「鉄」を参照)を祭った社であり、この神宮の参道も略この社を 軸にして西に向かって伸びている。@ 更に当神宮は、紀州の丹生都姫神社や岡山の吉備津彦神社と所縁があると言われる。@ その外、神宮の西に3.6万坪の名勝地、気比の松原がある。松原は聖武天皇の時、辺りが震動して一夜にして松原 となり、その直後に異賊の船が大挙して来襲したが、この時に松原には白鷺の大群が飛んで来た。 其れを見た異賊は敵方が集結したと誤認して驚き逃げ帰ったと伝わる。其の一角に松原神社があるが、此れは尊皇 攘夷の水戸天狗党が1000人ほど上京のため通過しようとして此処で降伏し、ニシン倉に閉じ込められた上に、其の 大半が打首となった。言わば騙し討ちであるが、其の411士の霊を祭った社である。 ■左衛門祭・・・・・・長福寺(京都市北区)。 9/ 5 ▼07旧・地蔵盆。 ■06-07数河獅子【岐阜県吉城郡古川町、松尾白山神社・白山神社】 9/ 6 9/ 7 ■07南部駒踊(〜9日)【青森県十和田市洞内】 ■07角館祭りのやま行事(飾山囃子)・・・・・・秋田県仙北市角館(旧・仙北郡角館町)の神明社・薬師堂で9日まで。 ■07花巻まつり(9月の第2土曜日の前日から3日間)【岩手県花巻市】 9/ 8 ■06-07白露。 ▼06望。 ▼07不成就日。 ■06花巻まつり(〜20日)【岩手県花巻市】。 ■大光院開山忌・・・・・・新田寺大光院(群馬県太田市)で9/8〜9日、開山・呑竜上人の忌日。子育て呑竜ともいわれ、 安産・子育ての霊験を求めて参詣人で賑わう。 ■大般若会・・・・・・新勝寺(千葉県成田市)。 ■07せともの祭(〜9日)【愛知県瀬戸市】 ■波切神社・わらじ祭り・・・・・・三重・大王町。 ■懿徳天皇の命日・・・・・・03安寧天皇/が片塩浮穴宮/で安寧38/12/6/前511崩御して其の方位の大塚山に葬 られたので、次の04懿徳天皇/大日本ひこすきとも尊が片塩浮穴宮で居つき祭った。その後に軽曲峡宮に遷宮した が、其処は恐らく今の橿原市・曲川辺りだったろう。 やがて彼も懿徳34/9/8/前477に崩御となったので記紀には畝火山之真内名子谷上也/畝傍山南纎沙谿上陵/畝 傍山南纎沙溪上陵に葬られたとしているが、其処(畝傍山南)には確かに彼を祭った神社も有るし皇后の陵もある。 だが其れは明治前後に急ぎ新設されたものであるし、先の宮からの方位もズレる。@ 因みに築山から8月末方位に四国愛媛の上浮穴郡(久万、面河、美川、柳谷、小田、久万高原)があるが関連性は不 明。 ▲天野山・金剛寺の「観月まつり」・・・・・・大阪・河内長野市。南北朝の行宮があった金剛寺では、時代衣装行列や剣舞、其れに茶会(野点)や 邦楽演奏がある。陰暦の為03年は9/13日、04年は25日だったが、05年は本日17日、06年は9/30日となる。 ★サンフランシスコ講和条約・・・・・・・s6/9/18に満州事変が勃発。以後s26/9/8の此のサンフランシスコ講和条約まで 20年。 9/ 9 重陽の節句(但し西暦) ■花巻まつり(9月9日〜11日)【岩手県花巻市】 ■箱根・熊野神社の例祭・・・・・・・・箱根の湯本で熊野速玉命と大己貴命とを祭る「ゆや権現」、或いは「病気平癒の神 様」として十一面観音を祭っていた。方位は、善通寺9/9←箱根→3/11逗子、君津があるが、その意味は不明。因 みに紀州の熊野とはこの日ではなく、8/22←→2/22となり、逆方位には鹿島がある。 ★06せともの祭(〜10日)【愛知県瀬戸市】 ■06郡上踊り(7/15〜9月9日)【岐阜県郡上市】 ■わらじ曳き(9月9日〜10日)【三重県志摩市大王町、波切神社】 ■06-07多賀大社・九月古例祭・・・・・・・・滋賀・多賀町。農作物の作柄を占う秋祭りとされていて「コチコチ(古知古知) 相撲」が奉納される。古知古知とは古い出来事を偲ぶと言う意味。同大社の神主・犬上の君らが伊吹山のヤマタノオロ チ(八岐大蛇)を退治したと言う伝えに因む伝統行事(朝日新聞より引用)。 ■07烏相撲(からすずもう)【京都市北区、上賀茂神社】 ■06重陽神事と烏相撲・・・・・・・・京都の上賀茂神社075-781-0011では10時から本殿に菊花を供えて無病息災を願う 神事。続いて境内の土俵では氏子がカーカーと烏の鳴き真似をした後に子供達が相撲をとる。菊酒の接待も有る。 ■06薬師寺・薬師縁日・・・・・・06/10/8。奈良市・薬師寺0742-33-6001 11時から金堂で大般若経転読法要、13時か ら道場で管主の法話(六方礼経)。 ■天武天皇の命日・・・・・・40天武天皇/大海人皇子・天ぬ中原おきの真人尊・浄御原天皇/飛鳥浄御原宮/檜隈 大内陵/朱鳥1/9/丙午9/686/10/1-10/4。この日は彼の命日ですから祭日とは違うが、命日が方位と合致しなけ れば喩え祭りをしても無意味なので命日から明確にしなければならない。 古来日本の王位継承の要件は実にこの点にあった。従って天武の場合も、皇祖と天智、其れに父母である舒明・斎明 を居つき祭る祭主として命日を確定した上で王位継承の儀礼をした。彼は壬申の乱の前から天智を吉野で祭ってい た。ただ彼は、天智の命日を12/10ではなくて12/25と定めて祭っていた事が以下の点からハッキリする。@ よって壬申の乱になったものと本書では推定する。其の傍証として、天智の皇子の多くがその後にこのラインに並んで 宮を営んだ事からも確定的と言える。持統、元明、弘文天皇は無論其の中に入る。更に彼らの外にも、このラインに住 んでいたのは建皇子、施基皇子、大田皇女、草壁皇子、大津皇子、高市皇子だった。 ともあれ彼・天武は生前中に渡来した旧暦によって混乱していた日本の暦法を、本来の和式太陽暦に戻した天皇であ った、とも本書は推測する。だが其の天武もやがて此の浄御原で朱鳥元(686)年の九月戊戌朔丙午、即ち9日に崩御 した。此れを「旧暦だから、即ちユリウス暦」と見なして「10/1に相当する」と解釈すれば誤解する。 彼は藤原京を造営途中で浄御原宮・正宮で崩御した。よって其の遺志を引き継いだのが無論、皇后の持統天皇でし た。彼女は先帝を「大内陵」に葬った。その陵を今は檜隈とし、明日香村の「天武・持統天皇合葬陵」(野口字王墓)に 治定している。 その点につき、此処で宮跡とされる地点から10/1方位を見れば豊浦寺跡があり、其の先は大和高田市に至り、また 逆方位を見れば八釣宮跡があるものの、この「合葬陵」はそのラインから全く見当違いの所になるので別人の墓と判 断出来る(但し持統天皇の陵の可能性はある)。@ 戦後は経済成長や建築ブームから考古学上の「発見」が相次いだが、この明日香村でも村の経営・観光事業として掘 り返しが進められた。その結果、伝・板蓋宮跡から出土した1082点に及ぶ木簡のカケラから其処が当時の宮跡と推 定されたが、その後に近くから「浄御原宮」と思われる天武10(681)年代の「大津皇子」と書いた木片も見つかった。 また凡そ1400年前の正殿跡と思われる300uの敷地跡も発掘された事から、此処が板蓋宮であり、その後に「浄御 原宮」になったと言う見解となった。でも其れらの傍証に振り回されている感じで決め手にならない。其処で原則を言え ば、一代一宮の制度がこの当時の倣いでした。 そうした時代背景があったにも拘わらず、木簡のカケラから3〜4代前の皇極・孝徳・斎明の各天皇の皇居跡が後の天 武・持統天皇の皇居と同じ場所に出来た、と想定するのでは少しも学問的とは言えないのです。ともあれ天武天皇の殯 (もがり)は三年弱と実に長期に及んだ。 その訳は、彼女が天武の陵と藤原京の同時完成を企画したからではないか、とも推測できる。因みに先のスサノヲの 尊神社は昔は牛滝大明神と呼ばれていた。其れについて、今は「牛疫の神」と解釈されているが、明神とはそうした施 設ではなくて、日月の暦を司る場を意味したのだ。 よって仮に此処スサノヲの尊神社が暦を司る社の有る陵であったとするなら、当時、新宮として完成した藤原京の南 部、即ち朱雀大路の南端の、しかも彼の終焉の地、浄御原宮からのラインともクロスする場に於いて、彼の鎮魂と日迎 えの法事・祭典の何れをも都の国事として盛大に挙行するのに好都合な位置付けともなったろう。@ 先ず皇太子の草壁皇子が此処に居着いた結果、28歳で亡くなったので其の命日方位の岡寺に祀られた(4/13を参 照)。 次に伊賀である。此処はそれ以前に彼が壬申の乱に当たり、此処から伊勢神宮に戦勝祈願した結果、勝利したので 後に14歳の彼女を伊勢斎宮とした、と言われる。其の彼女は斎宮から戻った後に此処で父を弔い、其れに2歳年下で 殺された弟・大津皇子(10/3を参照)を祭って41歳で亡くなるまで桜井の磐余(池ノ内)辺りに居ついた事だろう。 其処ならば2人の命日の暦・方位の交点なので何れの方の弔いと祭りをする位置にもあったからでした。何れにせよ 其の後の天武の国祭は、持統天皇の元で秋の9月と春3月に交互に行われる事となった。其れについて例えば紀には 持統天皇二(688)年3/21(ユリウス4/26)、「花カズラを以って殯宮に奉る」、とある。 その日付が3/21のままとすれば、命日の9/9に対して、逆方で12日遅れとなるので問題であるが、此れは「日迎 えの祭り」に相当する。そして彼女は翌年三月24日には天下に大赦、翌々年の3/20には畿内の長寿者に各々稲を 下賜し、五年同月3/3に公卿と宴し、3/5には公私の馬を御苑で観閲している。 次に九月4日には功臣四人に銀二十両を下賜した。更に六(692)年三月六日には三輪朝臣の諌めに従わず伊勢に 御幸し、19日には三国造に冠賜し、調役を免除し、天下に大赦し、長寿者に稲を下賜し、行く先々で吏民と宴し、20 日に環幸し、29日には五国の丁(よぼろ)の調役を免除し、貧しい百姓に稲を下賜した。 こうした伊勢への御幸は時期・方位が先帝の御霊の日迎えに当たるからだった。次に七年三月5〜17まで、臣一人に 食封を与えて吉野に御幸し、臣一人に下賜し、新羅王と新羅へ派遣の僧たちにものを賜い、また天下に「五穀を助け る草木を植えるよう」に詔した(此れは迎えの神事)。 次に九月十日、先帝のために限りなき拝み(大会)を内裏に設け、繋囚を悉く許した(此れは鎮魂・放生の法事)。 翌(694)年3/2〜23日まで、鋳銭司を三人決め、郡司の叙位一階を進め、病人の宿寺を援助し、諸社に幣を奉り、 群臣164人に下賜した。 やがて11(697)年3/14、限りなき拝み(大会)を春みこの宮に設けた(此れは日迎えの祭りである)。春ミコとは東 の若宮を意味し、其処を恒久の祭壇とした訳である。其れに関するものと思われるのが06/11/22の「都望む飛鳥のVI P邸か・新田部親王ゆかりの丘陵」と言うニュースなの★以下、引用する。--- ★奈良県明日香村の竹田遺跡で7世紀後半とみられる大型建物10棟の遺構が見つかり、村教育委員会が21日発 表した。 当時の都・飛鳥京を望む丘陵斜面にあり、飛鳥寺からわずか約200メートルの超1等地。太い柱を使った立派な建物 だったことや、生活に使う土器が大量に出土していることから貴族や高級官僚ら飛鳥時代のVIPの邸宅の一部だった と推測される。 村教委は「当時の飛鳥盆地は、宮殿を囲む周辺斜面に身分の高い人々の邸宅が立ち並んでいたのだろう。地名など から、天武天皇の皇子・新田部親王が住んでいた可能性もある」と話している。1番大きい建物跡は南北6・6メートル 以上、東西約5メートルで柱の直径は推定約30センチ。 建物配置などから正殿のような邸宅の中心建物ではなく、近くにもっと大きな建物があった可能性が高いという。 万葉集には、柿本人麻呂が新田部親王に献じた歌があり、親王邸周辺の情景を「矢釣山木立も見えず降りまがふ雪 にうぐつく朝楽しも(矢釣山の木立も見えないほどに降りみだれる白雪の中を、馬を走らせて御殿に来る朝は本当に楽 しいことよ)」と詠んでいる。 竹田遺跡のすぐ東側に「八釣」という地名が残っており、村教委は「ここが新田部親王邸の候補地の1つになるだろう」 と話している。現在の八釣地区のすぐ南側にある丘陵斜面でも飛鳥時代の大型建物跡が見つかっており、地名や万 葉集などから、藤原鎌足ゆかりの邸宅跡ではないかといわれている(★以下、引用)。 因みに同日の朝日には飛鳥寺跡の北東約500mにあり、約900uの調査地から大小11棟の掘っ立て柱建物跡が出 土。とある。其処ならば天武の命日ラインの上にあり、日迎えの宮・若宮(東宮)の位置づけになる。新田部親王は天 武の第八ミコだった(9/30を参照)。 所で、其の前に彼が創建した大官大寺、勅願寺としては薬師寺、長谷寺、それに彼を祭る神社が吉野に数社、奈良 市、桜井市、川上村、そして大阪市生野区などに各々一社あるが、方位に関しては何れも区々なので、生憎この項の 参考にはならない。 ただ長谷寺だけはこの浄御原宮から北にズレルものの、鎌倉の長谷寺との位置関係が@となるので、略合致すると言 えよう。とすれば、天武天皇の日迎えの場を印す「地蔵」であり、彼を祭る観音の宮であった事になる。また東西の長谷 寺の延長線にある大和高田市には長谷本寺と言う真言宗(豊山派)の古刹が有る。 此処の場合は養老(710年代後半)年間に南都の大満上人の開基とされている((ヒジリ「長谷寺」を参照)。 ■生玉(生国魂)神社の例祭・・・・・・大阪・天王寺区の生玉(生国魂)神社では生島神と足島神を祭る。神武天皇の時 代は石山(今の大阪城本丸)に有った。神武即位以来、此の神が宮中に祭られた。また当社の夏祭りは7/9日、11/8 日には末社の鞴神社のふいご祭り、続く11/12日には鎮火(ほしづめ)祭がある。 また6月と12月の晦日は八街(やちまた)比古・同比売神・久那土の三神を祭る。 ★07面浮立(9月第2日曜日)【佐賀県鹿島市】 ■06-07重陽(但し西暦)・・・・・・本来の「重陽の節供」は旧暦の05/9/9-06/10/30-07/10/19。 ■06-07救急の日・・・・・・語呂合わせによる。 次は9/10 以下、次ページ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ ■「神々の歳時記」の各項目のご理解には「366円暦」が必要です。円暦は別紙の「図説」で公開していますが、其の 実物を希望される方は末尾に従ってご請求下さい。 ■尚、各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年06-07と追加する形で示していますので、 *開催日等の詳細には主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。 ■「神々の歳時記」に記した例は仮説ではなくて、太陽暦に重ねて古式祭による祭政一致を行っていた古からの日本 文化の原理です。其の具体例を今回、公開したものですが、海外への情報流失防止のため、特に「本文」については0 4/11月から「非公開」としました。 ■@マークの付いた以下の部分が「非公開」部分です・・・・・・・@マーク以下には「地理・方位の具体例と其の意味や 暦との関係式」などの詳細を隠しています。 ■文中に誤記や間違いがありましたら、恐れ入りますが掲示板で御一報賜れば幸いです。尚、参考文献は巻末に記し ました。
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