http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」 p137 (未定稿)  


  神々の歳時記   9月初旬 但し方位による
次は
9月上旬
9月上旬
または
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●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起
の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版 http://
www.matsuri.or.jp/cgi-bin/wf/wforum.cgi(mag2 ID 0000026310)

及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-9月」より一部引用・転載させて頂きました。

■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記
には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の
詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。


 



9月初旬 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★



9 月              

★ぎふ長良川鵜飼 ★・・・・・全国有数の知名度を誇る岐阜市の長良川の鵜飼は1300年の歴史を持った夏の風物詩
であります。観覧船の乗船客数は毎年10万人を超えるにぎわいを見せます。

伝統装束に身を包んだ鵜匠が「ほうほう」と声をかけながら鵜を自在にあやつって鮎を狩る様は、見る人を幽玄の世界
へ誘い、燃え盛る篝火(かがりび)に古典絵巻を感じていただけるはずです。

期間 平成17年5月11日(水)〜平成17年10月15日(土)出船時間 乗り合い船の詳しくは主催者にお問い合わせくださ
い。開催場所 岐阜県岐阜市湊町(長良川)ホームページアドレス http://www.ukai-gifucity.jp/ukai/問い合せ先 岐
阜市鵜飼観覧船事務所 電話 058-262-0104  

以上は、「かんぽ加入者福祉施設 月変わりお得情報」otayori@fukushi.kampo.japanpost.jpより転載。
   


9/ 1 


■06-07二百十日・・・・・・立春から数えて210日目を言うので平年はこの9/1日であるが、閏年は8/31となる。何
れにせよこの頃は稲の収穫時期と台風シーズンとが重なるため、十日後の220と共に昔から農家の厄日として警戒さ
れて来た。

■08弘前お山詣・・・・・・久渡寺〔久渡寺観音〕(青森県弘前市)。
★07全国こけし祭り(9月第1土曜〜日曜日)【宮城県大崎市鳴子】

■06-07-09防災の日(関東大震災記念日)・・・・・・大正12年のこの日、関東大震災があり、死者・不明14万人を出し
た。マグニチュード7.9。其処からこの日を教訓としようと防災の日と決め、全国各地で防災訓練が行われる。04/9
/1には浅間山が21年ぶりに噴火した。

■08日吉祭・・・・・・市山寺(新潟県)。

■鹿島神幸祭・宵宮・・・・・・鹿島市・9/1〜2日、タケミカヅチのミコトを祭る鹿島神宮0299−82−1209の宵宮。
潮来を挟んで西に十キロの所に伊波比主命を祭る香取神宮があって、昔はその両社で「鹿島香取祭」と言い、両社は
2/4.5〜8/6.5の方位、つまり鬼門と裏鬼門の関係に位置して祭りを続けた。

この辺りは古来、海辺であり、鹿島は香島と言う嶋だった。両社の中間地点である潮来・大船津には津宮があり、其処
に昔は一の鳥居が水面に立っていたと言われる。其処では十二年に一度、午の年に御船祭、神幸祭が斎行されて来
ました。このように方位から見ればこの祭りは旧暦二月の初め、つまり西暦にして三月の祭りだった。

其の点に関して延喜式にも、奈良の春日祭(春二月、冬十一月。並上酉祭之)の二十日前に、「鹿島香取祭」に対して
鹿島使と言う祭使が本社に下向する事になっていた。その「春の祭り」と共に、その逆の季節であるこの旧暦八月の祭
りが奈良春日大社との関係で重視され、其処から西暦の9/1〜3に大祭が設定されていた(次項参照)。

以下、http://wasshoi.gooside.com/ohune-gohatusen.htm「鹿島神宮御船祭」について引用する。年間、大小80以上も
の祭りがある鹿島神宮。その鹿島神宮で12年に一度、午年に行われるのが「式年大祭御船祭」です。

毎年9月1日には「神幸祭」が行われますが、子年・午年に は皇室からの勅使参向があり、特に午年には御祭神の神
輿が千葉県の香取神宮まで船で水上渡御を行います。02年はその午年にあたり、2500人の大行列、80艘もの供奉
船を従えた御座船による水上渡御など、空前のスケールで執り行われました。 

勅使参向・雅楽奉納 今年は午年と言うことで、皇室からの勅使参向がありました。朱傘をかざしてもらっている方が勅
使です。菊の御紋入りの覆いを掛けた皇室からのお供物、中は何?大行列と共に大船津に到着した御神輿は、御座船
に乗り、80艘もの供奉船を従えて香取神宮に向け水上渡御をしました。
     
写真省略---停泊する供奉船の群れ夏空の下の御座船御発船間近の御座船大船津を発つ御座船御座船の渡御。  
停泊する供奉船の群れ夏空の下の御座船御発船間近の御座船大船津を発つ御座船御座船の渡御。---以上はhttp:
//wasshoi.gooside.com/ohune-gohatusen.htm

■08秋祭・・・・・・四天王寺(千葉県)。

■例年-越中おわら風の盆・・・・・・・・富山県婦負郡八尾町の聞名寺(今は富山市八尾町)で9/1〜3日、民謡おはら節
に合わせ全町の人々が「おわら踊り」に明け暮れる。

http://www.omatsuri.com/movie/kazebon.html動画越中おわら風の盆  
 
■例年-谷村の八朔祭(タノミ祭)【山梨県都留市、生出神社】
■例年-中山の芋競べまつり【滋賀県蒲生郡日野町、熊野神社】

■06大滝祭・・・・・・・・・京都・宇治田原町。大滝の下で、ウナギに酒を飲ませて雨乞いをする伝統的な神事を行う。
■08放生会・・・・・・吉田寺(奈良県斑鳩町)で午前に腰巻祈祷。 

■08土師大祭・・・・・・天満宮の近くの道明寺(大阪府藤井寺市)で。
■07熊野速玉大社・抜穂祭。
























































9/ 2  
      

■08-09南部駒踊【青森県十和田市洞内】
■06全国こけし祭り(〜3日)【宮城県大崎市鳴子】

■鹿島神幸祭・・・・・・神武天皇18年の創建とされる常陸国の一ノ宮、鹿島神宮(鹿島市)の祭り。此処は長く参道が
西へ伸びている。何故あの方角に向かって伸びているのかと言えば、其の先に奈良の都が有るからです。また何故こ
の9/1〜2日に祭りがあるのか、と言えば、此の祭は春日祭の起源を記すからです。

春日祭は昔は3/3、今は3/13に行われるが、鹿島祭の対極に春日大社の例祭が行われた(一対の祭りでした)。
そもそも奈良の春日大社は此処、鹿島神宮から後の称徳天皇の時代に、藤原氏の氏寺・興福寺の鎮守として春日野
に勧請し新設された神社だった。@

因みに本殿付近は宮下、宮中の地名であり、其の先には降魔山護国院・経音寺(護摩不動堂)や根本寺、そして大船
津の大鳥居や神宮橋へと貫かれていて、宮前地区からイタコ(潮来)に至るが、無論其の延長線上には奈良の春日大
社が連なっている。

今も「鹿島発ち」と言う言葉が残っていて、防人と絡めて解説される事が多いが、実は鹿島の神がこの参道をこの日に
発った事を意味したのである。またイタコを潮来と書いては意味不明であるが、イタコは巫女・シャーマンを意味する。
こうした一連の地名や事物は、全てが偶然の一致ではなくて、一定のラインに祭りが仕組まれていた証左である。

祭りとはつまり、このラインを陰と陽との時期に分けて練り歩く事に意味があった。
所で、今の根本寺はこのラインから少しズレているが、昔は七堂伽藍の大寺院だったので無論この軸線にあったろう
し、聖徳太子の勅命で建てた名刹だった。また三笠山や鹿は鹿島と春日の両宮の共通のシンボルである。

鹿島も春日も、何れも主祭神は武甕槌神である。彼は神代の天照大神の時代の神であるが、彼が国土平定に用いた
神剣を中津国に降して神武天皇の大和入りを助けた事が記紀にも記されている。

尚、鹿は鹿島の神の使いとされ、そのため奈良公園では鹿が大切に守られているのは誰もが知る所であるが、その意
味は以上の由来の外、鹿の骨で神占いをしたからであり、よってこの宮の宮司は卜部氏と言われ、其の流れから此処
に剣聖・塚原卜伝を出した。@

また、9/9には祭頭祭があるが、此れはこの本祭を済ませた後に防人がこの鹿島の湊から船出・門出(鹿島発ち)す
るのを祝った所謂「後の祭り」でした。それにしても昔通りの祭日をこうして今に伝えていた事には感服する。

恐らく此処にも明治の改暦押し付けがあった筈であるが、旧暦とは別の和暦を熟知する方があって、お上の無知を跳
ね返して古式を守り通してくれたのでしょう。

●07-09越中八尾おわら風の盆・・・・・・富山県婦負郡八尾町。-----おわら風の盆http://yaccyann.maxs.jp/
kazenobon/より引用。----越中八尾で毎年9月1日〜9月3日にかけて行われるおわら風の盆の町流しの様子です。

以前はそれほどでもなかったのですが、近年マスコミなどの報道によって一躍有名になり、観光ツアーにも組み込まれ
て毎年各地から踊りを一目見ようと人々が殺到します。

人口4000人足らずの越中八尾の小さな町に、この時期押し寄せる人々は何と40万人以上にもなるとか。そのためか
以前のように自由に町流しをするにも大変な有様とか(引用以上)。

■08お待夜・・・・・・東勝寺〔佐倉宗吾様〕(千葉県成田市)で9/2〜3日、佐倉宗吾の忌日の行事。

■藤原良房の命日・・・・・・・・・『日本後記』は藤原頼通の孫、良房らの編纂で出来た。彼(摂政・太政大臣・白河殿)の
命日は貞観14(872)/9/2日、大極殿から其の日の方位が梅宮大社北側に達し、また其の逆方位が今の京都御所を通
過して東の梨木神社に至る。梨木神社はつまり、彼の御魂の復活を祈る場であったと判明する(※)。

また命日の9/2日はユリウス暦であると分る。従って此の日は当時の和暦・仏教暦では7/26日である。よって藤原氏の
氏寺である奈良の興福寺で弔い、更に彼の命日方角に当たる大阪・河内長野市の観心寺に空海の弟子が赴いて居
着き弔った。文献には一々残されていないにせよ、和式と仏式との両方で彼は手厚く供養された事になる。

観心寺はそれまで雲竜寺として、石見川のもっと川上の鳩の原に空海の甥である実恵が建てた。それを彼の方位に合
わせて現在地に遷して実恵の後にも-真紹-宗叡-弟子へと引き継いだものと思われる。宗叡は貞観十年(868)、観心
寺及び禅林寺両寺の座主となったが、元慶7年に弟子に譲った。

貞観18年には東寺二の長者、元慶3年から一の長者となり、884年に宗叡が没し、真然が引き継ぐ。
因みに白河殿とは、藤原良房の別業(山荘)・白河院の跡地を後に白河法皇が寺院にした。よって「国王の氏寺」法勝
寺となる。清和天皇は幼少期に良房の邸宅で育てられたので、良房を終始深く信任する事となった。

※先の染殿とは良房の染殿第のことで、今の平安京の東北隅の辺りであり、此処は良房の娘・明子の御所、つまり文
徳天皇の妃で清和天皇の母であったお方の御所となり、後に清和天皇譲位後の清和院になった。後に「十住心院」。

●08孝元天皇の命日・・・・・・・縄文時代の奈良は淡水湖でした。其処で神武天皇から崇神天皇までの宮は、湖の干
拓と共に南から湖畔をジグザグに北進して来た事が以下の経過から判明する。@

其処で08孝元天皇・大日本根子彦国索尊は、軽境原宮/に遷宮して孝元/57/9/2/前158崩御のため、御陵は劔
池劔池嶋上陵に葬られた。@

■07岸和田だんじり「試し曳き」・・・・・・・・岸和田だんじりの本番は9/15日であるが、此の「試し曳き」は比較的見物客
も少ないので、楽である。今年は、9月2日(第1日曜日)と14日(前日)に行われる。大阪では地蔵盆も終わり、つかの
間の「祭りの端境期」。9月に入ると大阪は「だんじりモード」に突入する(杭全など、夏のだんじりはありますが…)。

●美保神社と出雲大社・・・・・・・・鳥取と島根。@前者には恵比寿・事代主命と美穂津姫が祭られているが、後者は大
国主神を祭っている。前者では8/4に虫探はらい神事があり、此れを陰暦とすれば、新暦で9/2となり、また後者は
昔3/1〜3に三月会をして来た。

■08増田の花取踊・・・・・・安養寺(愛媛県一本松町) 





































































9/ 3 日  


▼09年の旧7/15日・旧盆。

慈恵大師降誕会(天台宗) 
■08二歳児詣・・・・・・北山薬師(福島県) 

■本庄・阿夫利天神社・大祭・石尊様・・・・・・埼玉・本庄市。因みに第一土曜日には「本庄・花火大会」も有る。詳しく
は「本庄まつり」http://cancun.poke1.jp/honjou/  因みに富士山の東にある相模の大山・阿夫利神社(秦野市)は
「天」の字が付いてないが、昔は「石尊」大権現と言い、この本庄の天神社よりも知られている。

私見で言えば、「石尊」はヤマトタケルに由来する。そして大山寺は十一面観音を本地仏とするものの、大山不動もあ
り、護摩で名が通って、「焙り出し」の「アブリ」、つまり「火占」による名前の阿夫利がやがて「雨降り山」に変化したもの
ではないか。此処は秘仏であり、昔は夏の20間だけ開山した。

その逆(北)に位置する本庄の天神社は言わば奥の院の位置付けになるが、本日の大祭との関連が今の筆者には不
明。

★06松尾大社八朔祭・・・・・・京都市西京区。旧暦の8/1に当る此の日、八朔に五穀豊穣や家内安全を願う神事。09:
00から境内で八朔相撲の奉納、10:00に本殿にて神事、次に正午頃には渡月橋上流で約400kgの女神輿が桂川を渡
る「船渡御」が見もの。此れは地元の要望で数年前から始まったと言うが、其れでは神事と言うより観光行事か。

2日と3日の夕方、約2000の「八朔提灯」に灯りがともされる(8/24の朝日新聞)。

★06山都町・八朔祭・・・・・・熊本・山都町では此の日に大きな山車が練り歩く。疫病を退散させた神もお出ましになる。
以下、山都町ホーム http://www.town.yamato.kumamoto.jp/ka/syokokankoka/kanko/hassakumatsuri1.jsp> から引
用する。
    
「八朔祭」は矢部に秋の訪れを告げる大祭。巨大にして精巧な造り物は必見!9月第一土曜日、日曜日 【平成18年度
 9月2日(土曜日)・3日(日曜日)】江戸時代中期から始まったとされる矢部の八朔祭。「八朔」とは旧暦8月1日のことを
いい、田の神に感謝し、収穫の目安を立てる日とされている。

呼び物はなんと言っても巨大な造り物。町のメインストリートを高さ2〜3m、長さ7〜8mにもおよぶ造り物が引き回され
る光景は壮観の一語に尽きる。毎年各町内が趣向を凝らして制作するが、竹や杉、シュロの皮など自然のものを使う
ので材料集めには大変な苦労がある。

また、造り物には審査員によって順位が付けられるため、各町内は作品のテーマや形にアイデアを絞る。祭り期間中
は、他にもおみこしや踊り、太鼓やブラスバンドの演奏など多彩な催しものが各所で行われ、町内外から訪れる見物客
で賑わう。そして最終日、通潤橋の放水と同時に行われる花火大会が祭りのフィナーレを飾る(引用以上)。









 






























































9/ 4 
       

志賀理和気神社の例大祭「日詰まつり」・・・・・・・・岩手・柴波町の日詰で香取の神を祭る。かつては南部一之宮
と言われた当社の例祭が9/4〜6日(第1日曜日を含む3日間)に行われ、華麗な4台の山車が練り歩く。此処は日
詰と言われる地区に有るが、この「日詰」は馬の蹄(ひづめ)ではなくて、暦に関する土地の名残かと思われる。

尚、此処(柴波)から略南方には塩竃の志波彦神社(3/29を参照)がある。今は柴波をShiwaと読むが、もし昔に柴
波や志波をシワではなくてシバと読んだとすれば「時間」を意味した。ならば両社ともご祭神は香取神宮と同様、「経津
主命」である。この神は通常は武神とされているが実は時の神だったろう。

因みにH16年の次第は9/2前夜祭。9/3赤沢神楽の奉納と同時に山車が当社・赤石神社へ向かう。

その間、当社では音頭と舞踊の奉納があり、やがて山車が戻る。9/4は神幸祭。神輿が赤石神社〜商店街〜薬師
神社〜皇大神社〜当社へ還御。9/5は奉祝大祭(元宮祭)で神輿・山車が繰り出し、早池峰(はやちね)岳流・赤沢神
楽と星山神楽、桜町の田植踊り・鍛治町さんさ踊り・囃子などが奉納される。

年に一度のこの祭りに際しては地元の方々が神様に精一杯の心と体を捧げて盛大な祭礼を共に楽しむ。ただ今の時
点では塩竃の元宮の位置も、当社の元宮や昔の例祭日、暦・方位など何れも未調査であるものの、志波彦神社元宮
との位置関係は概ね1/28←→6/27、そして例祭日の前後の、当地の日詰を挟む。

位置関係については9/4←台山(681m)→日詰←白山神社→権現山(824m)←大森山(1081m)→3/5とな
る。尚、この祭りの詳細は URL:http://www.hss.iwate-u.ac.jp/~h1201075/hidumematuri.html
また石川県鶴来町にも日詰町があり、金劔宮があり二二ギを祭り今は10月に「ほうらい祭り」をする。

無論、日詰の両社の関連性は不明だが方位関係では8/13--2/12であり、此れを旧暦と誤解すれば西暦の9月や3月
に祭りをする事になるが、10月の「ほうらい祭り」は前田利家公の祭りである。

★10全国こけし祭り(〜5日:9月第1土曜〜日曜日)【宮城県大崎市鳴子】

■08米山薬師祭(福島県) 
■08開山忌・・・・・・茂林寺(埼玉県)で9/4〜5日。 

■06-07-09気比神宮(敦賀市)の大祭・・・・・・・・敦賀市で伊奢沙別命、外六座を祭る越前一ノ宮、気比神宮の例
祭。昔は8/10だった。今は先ず9/2が宵宮祭、9/3は神輿渡御、ツルメ(犬神人)と称する甲冑武者が神輿の前
後を守って市中を練り歩く。

9/4は官祭、9/5〜10までが「後祭」、15日は月次祭なので、9/2〜15までが「気比の長祭り」と言われる。この
間、境内は雑踏し、市内には山車が出て大いに賑わった。その他、特殊神事として3/8の「御名易祭」がある。此れ
はご祭神が応神天皇と名を交換したとする故事によるものか。

また6/15には御田植祭、6/16には牛腸祭、7/22には総参祭がある。伊奢沙別命は、またの名を「御食津大
神」とも言い、播種・養蚕の神とも言われる。其れに此処は仲哀、神功の所縁の宮であり、後でご祭神としてお二人も
合祀され、後世、此処が仲哀天皇のご廟所ともされていた。@

また其の逆方位は宝塚市に中山観音があるのだが、残念ながら其の西を掠めて香川・白鳥町(白鳥は仲哀の父・日
本武尊を意味する)から宮崎・青島に至る。とすれば彼は香椎ではなくて日向で崩御されたのかも知れない。そして境
内東には角賀神社がある。

此処は祟神と垂仁天皇時代に敦賀や播州に大加羅(伽耶)の王子・ツヌガアラシトや新羅の王子・天日槍(アメノヒボ
コ)が聖化(帰化)した。そのツヌガアラシト(ヒジリ事典の「鉄」を参照)を祭った社であり、この神宮の参道も略この社を
軸にして西に向かって伸びている。@

更に当神宮は、紀州の丹生都姫神社や岡山の吉備津彦神社と所縁があると言われる。@
その外、神宮の西に3.6万坪の名勝地、気比の松原がある。松原は聖武天皇の時、辺りが震動して一夜にして松原
となり、その直後に異賊の船が大挙して来襲したが、この時に松原には白鷺の大群が飛んで来た。

其れを見た異賊は敵方が集結したと誤認して驚き逃げ帰ったと伝わる。其の一角に松原神社があるが、此れは尊皇
攘夷の水戸天狗党が1000人ほど上京のため通過しようとして此処で降伏し、ニシン倉に閉じ込められた上に、其の
大半が打首となった。言わば騙し討ちであるが、其の411士の霊を祭った社である。

■08左衛門祭・・・・・・長福寺(京都市北区)。 
▼10八朔祭(〜5日:旧暦8月1日)【京都市西京区、松尾大社】
































































9/ 5  


▼09満月。

★09全国こけし祭り(〜6日:9月第1土〜日曜日)【宮城県大崎市鳴子】
■例年-数河獅子【岐阜県飛騨市古川、松尾白山神社・白山神社】

■10八朔祭・・・・・・京都市西京区の松尾大社。旧暦の8/1日に当たる此のハッサクの日に五穀豊穣や家内安全を祈
願する祭り。9、時頃には境内で八朔奉納相撲、10時に神事。2時から子供神輿、4時頃には嵯峨野六斎念仏踊り。

8時半、女神輿がスタート、正午には渡月橋での船渡し。4-5日の6時頃に献灯に点灯し、4日の7時頃から盆踊り。




























































次は9/6日から-----9月上旬  
以下、次ページ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

■「神々の歳時記」の各項目のご理解には「366円暦」が必要です。円暦は別紙の「日読み1」http://toki.mikosi.com/
page044.htmlで公開していますが、其の実物を希望される方は末尾に従ってご請求下さい。

■尚、各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年06-07と追加する形で示していますので、
*開催日等の詳細には主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。

■「神々の歳時記」に記した例は仮説ではなくて、太陽暦に重ねて古式祭による祭政一致を行っていた古からの日本
文化の原理です。其の具体例を今回、公開したものですが、海外への情報流失防止のため、特に「本文」については0
4/11月から「非公開」としました。

■@マークの付いた以下の部分が「非公開」部分です・・・・・・・@マーク以下には「地理・方位の具体例と其の意味や
暦との関係式」などの詳細を隠しています。この隠れた部分の資料をご希望の方は、「メールフォーム」または「掲示
板」からコンタクト下されば実費で郵送します。

■文中に誤記や間違いがありましたら、恐れ入りますが前項の方法で下記まで御一報賜れば幸いです。尚、参考文献
は巻末に記しました。  



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