http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」 p128 (未定稿) 神々の歳時記 7月中3 但し方位による ●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起 の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版http:// www.matsuri.or.jp/cgi-bin/wforumcgi/wforum.cgiメルマガ 及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-7月」より一部引用・転載させて頂きました。 ■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記 には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の 詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。 7月・中3 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ 7/19 ■08大潮まつり・・・・・・・茨城・神栖市波崎の手子后(てごさき)神社と漁港周辺で7/19-7/20日まで。 神栖市商工観光 課0299-90-1111 ■お葛節句・・・・・・洞慶院(静岡県清水市)。 ■08豊浜鯛まつり(〜20日:7月中旬の土曜〜日曜日)【愛知県南知多町】 ▲安倍晴明の命日・・・・・・京都。@陰陽師。外に天文博士、左京権大夫などを歴任し、85歳(?)まで現役として生き た安倍晴明のために、一条天皇の勅旨により創建されたと言う京都・上京区晴明神社。075−441−6460。 ご祭神は無論、安倍晴明である。彼の命日が寛弘2(1005)/9/26(ユリウス暦10/31)であり、其の2年後と言 う。 (a9/26説)・・・・・・よって此処晴明神社では例年、秋分の日9/23には例祭を行い、また晴明神社から其の方位の 嵯峨天竜寺東(角倉町)の墓所で墓前祭が行われる。04年9/26は丁度1000年祭に当たった。 (b9/12説)・・・・・だが晴明神社と嵯峨の嵯峨天竜寺東の墓所との方角を見る限り、彼の命日は9/26ではなく、9 /12の位置関係になるのだ。 (c9/24説)・・・・・・ただ、亀岡市・畑野溝端(後述)には彼の墓所とする伝承地があるので仮に、畑野中心部←→嵯 峨天竜寺東を見れば9/24←→3/24となるなので、9/26を命日とするなら2日のズレで略合致する。 所で彼の出自は大彦命の後裔と言われ、「尊卑分脈」によれば右大臣、安倍の御主人(みうし)の九代目の子孫と有 る。出生地については、一説には大阪の阿倍王子神社と言われるし、其れに和泉市には、「信太の森の女狐」を母と する伝説(葛の葉稲荷と聖神社)や茨城にも晴明稲荷(猫島と吉生)、香川にも井原庄があって謎に包まれている。また 堺市内の大小路と東六間筋との交点を「晴明辻」(占辻)と言う。 其処で先の京都・晴明神社から大阪の阿倍王子神社、其れに堺市から和泉市・葛の葉稲荷をラインで結んで見れば どうなるか。其れを辿ると意外な事になる。 (d7/19説)・・・・・京都・晴明神社←→長岡天満宮(向日市)←→阿倍王子神社←→堺市・「晴明辻」←→和泉市・葛 の葉稲荷を直線で結べば、暦・方位が1/17←→7/19になるのです。 (e7/13.5説)・・・・・・因みに大阪府・河内長野市にも晴明辻があるので、京都・晴明神社から河内長野市・原町の 清明辻との位置関係を見れば1/6.5←→7/8である。序でに福井・名田庄村は晴明の子孫・土御門家が領地とし て治めて江戸末期まで続いた所なので、この名田庄村納田終と葛の葉稲荷とを結べば12/30←→6/30となる。 また京都府亀岡・畑野・東畑にも彼の墓とする伝承地が有り、其処から6/15方位に向かえば堺市に向かうが、この 畑野の墓地は彼ではなくて実は安倍泰成の墓地とも言われる。ただ名田庄村納田終と亀岡・畑野中心部とは1/13 ←→7/14である。 所で先の上京区・晴明神社は「応仁の乱」で略消滅し、それを明治11年、地元有志が晴明神社として復興した所であ り、其の時点で今まで伝えられた命日を旧暦と見て9/26に変更した可能性はないだろうか。 と言うのは仮に彼の命日を1005/u8/20g8/26/k7/13己未としてこの旧暦7/13をそのまま円暦の同日と して設定すれば、先の嵯峨の天竜寺東←1/12→←7/13.5→和泉市・葛の葉稲荷に達するからだ。 そうすると、彼の命日は9/26ではなくてグレゴリオ暦の8/26、つまり旧暦7/13だったのか。だが京都・晴明神社 から7/19方位に進めば上記したように和泉市・葛の葉稲荷に至るのですから、真の命日は一体どちらなのか。 命日がu8/20g8/26/k7/13己未、つまり、 (e7/13.5説)・・・・・・嵯峨の天竜寺東←→和泉市・葛の葉稲 荷ラインか。 (d7/19説)・・・・・つまりu8/26g9/1旧暦7/19乙丑になる、京都・晴明神社←→「晴明辻」←→ 和泉市・葛の葉稲荷ラインか。 其れとも(b9/12説)・・・・・つまり晴明神社と嵯峨の嵯峨天竜寺東の墓所のラインか。 (c9/24説)・・・・・・つまり、畑野中心部←→嵯峨天竜寺東ラインか。 (a9/26説)・・・・・・u9/26g9/26k8/14庚寅だったのか。 所でもう一つ面倒な事が有る。「晴明」と「土御門」に所縁の所が数箇所あるからだ。ざっと見ただけでも市内には晴明 神社のある晴明町の外にもう一箇所、市役所の乾の所に同名の町がある。この晴明町と、先の嵯峨角倉墓地とは見 事にピッタリ、真東と真西に位置している。流石に晴明の遺跡である。 でも晴明神社の例祭日九月の秋分の日・9/23頃には合致するが、彼の命日(c9/24説)に近い。また土御門町の 外に、元土御門町、東土御門町があるのです。其のうち、嵯峨角倉墓地と晴明神社、そして元土御門町と土御門町と が一直線に並んでいる。 と言う事は、先の命日9/11.5←→3/12を印しているのです。そうすると先の(b9/12説)が補強された事になり ます。ただそうすると東土御門町が最左翼に位置するので問題です。「此れは時代が新しいのでは」と判断すれば恐ら く間違いである。元々土御門」と言う官職は、東の角に位置づけられた職制だった。 だから恐らく、此処が最も彼に所縁がある位置と判断して良い筈です。しかし此処が元の位置とすれば葛の葉との方 位がズレて仕舞います。其処で次に再度ラインを引きなおせば、1/19.5←京都・東土御門町→「晴明辻」←→和泉 市・葛の葉稲←→7/22(f7/22説)となります。 結論がこのようにa〜fまで6つにもなっては不味いので、改めて神社とご祭神と地名などもチェックして置きたい。先ず 京都・晴明神社は彼が主神であり、次に大阪の阿倍王子神社はご祭神には入っていないものの安名の地名がある。 其れは彼の別名(保名)を意味するし、清明誕生地とか旧宅の伝承地として晴明祠がある外、東西に伸びる「晴明通」 と言う道がある。 社伝によれば彼は「加茂の社司・藤原保憲の娘を母とし、天慶七年三月辰日辰刻にこの地に生まれた。保憲に学んで 名を保名と改め、寛弘二年九月、62歳をもって没せり」とある。其の西南に阿倍野神社もあるが主神が北畠顕家なの で別だ。 其れに阿倍野には近くに安倍晴明神社があったとは思うが、残念ながら地図にも手元の文献にもないので主神や例 祭日を今の所は確認できない。また和泉市の聖神社はご祭神に彼が入っていないし、例祭日も8/15であるが彼(保 名)が承平9(940)年に37日間参籠した事と、狐の伝承も記録がある。此処は高台で広大な境内である。 そして次の葛の葉稲荷とは1.2km東西に離れているが両社は接近している。其処でまた東土御門町からこの聖神社 まで直線で繋いで見れば1/17.5→←7/19.5となる。葛の葉稲荷は例祭が10/5であり、彼が祭神になってい ないものの、「信太の狐」の俗説と若宮塚の伝承が有る。 と言う次第で彼は旧暦のこの日・旧暦7/19に亡くなった可能性が大きい。其れはしかし太陽暦(円暦)の7/19とし て阿倍野から聖神社や葛の葉の筋で印されていた。所が彼の子孫(土御門家)が改暦の都度に戸惑い、ユリウス暦で u8/26となるのを数字主義でグレゴリオ暦のg8/26としても印したのではないか。其のために各地に色んな痕跡を 残した。 其の跡が今も各所で見られる遺跡かと思うのは曲解になるだろうか。ともあれ彼はこの頃奥州で栄えていた安倍氏の 一族だったろう。だが彼の死後50年、源頼義と義家父子によって前九年と後三年の役で1057年に安倍頼時が殺さ れた。続いて1062年には安倍貞任と宗任とが相次いで滅ぼされた。 そのような時代背景の中、京都では安倍晴明の子孫が土御門家として生き残った事になる。今、御所の周りに何箇所 もの土御門町と言う町名が残っている。土御門家は暦法家であり、以来、暦法が変わる度に祖先の命日方位を新暦で 書き換えたに違いない。 其れが7/13→7/19→8/14→8/26→9/26と数字だけ動いて行った可能性があると思うので、今後も追跡を 続けたい。 ■娘道成寺・文武天皇・皇后の命日・・・・・・奈良。42文武天皇(かる皇子・倭根子豊祖父天皇・後藤原宮御宇天皇)の 皇后・藤原宮子(藤原不比等の娘)。夫が文武天皇として藤原宮で即位した。系譜は天武-草壁(元明)-文武である が、在位10年で先立ってしまった。 其処でこの後を文武の母が引き継いで43代・元明天皇(阿閇皇女・日本根子天津御代豊国成姫天皇)として即位し た。元明は母として、また国事行為の国祭として、文武のために命日(6/15)方位とは逆の平城に向かい、今は旗塚 古墳と言われる前方後円墳(主軸は12/17〜19←→6/17〜19)を造った。 ただ「此処が文武の陵である」と筆者が述べても常識を覆すのは無理である。今は伝承や記紀や延喜式の文献を基に 文武天皇陵を明日香村に治定しているからです。其の常識とは違うけれども暦・方位ではキチンと旗塚古墳が12/1 7と合致する。しかも其の文武の日迎えのために母が新宮を平城宮として遷した意味も方位からは判明する。 同時に皇后・藤原宮子が命日(6/15)方位の明日香村の岡寺・奥の院に籠って鎮魂の為に居着いた。此の岡寺は、 文武天皇の父(草壁皇子・岡宮天皇)の宮跡と伝えられる寺(4/13を参照)であるが、実は宮子が居着いた寺であ り、しかも下記の通り宮子を日迎えする宮であった事も判明する。 彼女は749年には行基について受戒し、法名を徳太とした。やがて天平勝宝6(754)/7/19に崩御し千尋葛高知天 宮姫尊と贈り名され、其の方位に当たる高取町の上小島に葬られた事が下記の一致で判明する。一つは彼女の命日 方位とこの上小島の小岡との地理方位の一致。次は岡寺が文武の命日方位に鎮魂の寺として位置付けられた。@ 平城宮には後に聖武天皇が即位した。彼の母が宮子だった。つまり此処から聖武天皇が父・文武を居着き祭るために 其の方位に当たる平城宮で即位した(6/15を参照)事が分かる。因みに宮子の妹・光明子は聖武天皇皇后となって 孝謙天皇を生んだ。また奇異な話だが「奈良の大仏の生みの親は紀州の道成寺である」と言う。 彼女が結婚したのが697年なので其のとき16歳とすれば推定681(天武10)年の生まれである。道成寺は紀道成の寺と して宮子姫が大宝元(701)年に建てたので紀州最古の寺となっている。宮子が聖武天皇を生んだ年に建てたものであ る。宮子の生誕地は奈良ではなくてこの川辺町であり、貴族ではなく漁師の娘として生まれたが、髪の毛がなかった。 女の子に髪の毛がなくては心配です。其の頃、両親が海中から一寸八分の観音様を拾い上げたので祈った所、髪の 毛が生えて、やがて髪長姫と言われるようになり、其れが都に聞こえて不比等の養女となり、やがて軽皇子と結ばれた と言う。そして子が生まれたので父(紀道成)の寺を建てたのだろう。 やがて此の寺は安珍・清姫伝説から娘道成寺として名をはせた。天台宗であるが、ご本尊は今も千手観音である。@ ■06-07柴垣神社・夏祭り・・・・・大阪府松原市上田町で第18代・反正天皇(はんぜいてんのう) 即ち多遅比瑞歯別命(たじひ のみずはわけ)を祭る神社の宵宮。明日は夏祭り。此処は第24代仁賢天皇(反正の兄の履中天皇の孫)の命により反正 天皇の丹比柴籬(たじひのしばがき)宮として創建されたと言われる。 ただ反正天皇の時代はこの一帯は低湿地であり、大きな都は無理だったと思うので、寧ろ東大阪市の石切方面で都を 造り、其処で崩御した可能性もある。彼の命日が1/23日だから、其の逆が7/24日となるので、其の方位に当たる松 原市に日迎えの宮を創建した可能性が強い。 そうすると此処は反正天皇ではなくて仁賢天皇が反正天皇を祭る為の行宮だったと推定したほうがいいだろう。ともあ れ、此の夏祭りは命日との暦には略合致と言える。ただ本殿の向きと参道と鳥居の位置が略南を指しているので、そ うすると昔から此の祭りの時期は夏至頃だったのかと思われる。 当宮は大津道【長尾街道】と日本最古の官道とされる丹比道(竹内街道)のほぼ中央に位置している為に、南向きにし たのだろうか。仁徳天皇の高津宮が今の大阪城と推定すれば、其処から真南に位置するのが此の柴垣神社であるか ら都合が良いのですが、事実かどうかは無論分からない。 或いは此処は広場山観念寺と言う寺だったが明治初期に廃寺となった。従って旧暦で6/20日だったのを西暦採用の お上の行政指導により1ヶ月スライドして7/20日に設定変更したのかも知れない。 ■08管弦祭(旧暦6月17日)【広島県廿日市市宮島町】・・・・・・西暦6/17のページを参照。 ■08仙崎祇園祭り(〜26日)【山口県長門市、八坂神社】 ■06-07仙崎祇園祭り(7月19日〜26日)【山口県長門市、八坂神社】 7/20 ■06-07-08地蔵講(恐山大祭)・・・・・・恐山菩提寺・円通寺(青森県むつ市)で7/19〜24日、恐山大祭(7月20日〜24 日)イタコ(盲目の巫女)が参詣人の依頼で口寄せをする地蔵講。 ■08塩竃みなと祭(〜21日:海の日前日〜翌日)【宮城県塩釜市】 ■06-07-08熊谷・八坂うちわ祭・・・・・・(7月20日〜22日)【埼玉県熊谷市、八坂神社】天保年間に始まり関東一の祇園 祭と言われた。 ■秩父・河瀬祭・・・・・・秩父神社から荒川の武の鼻へ神幸する。 ■東京・府中・スモモ祭り・・・・・・大国魂神社の祭り。李と栗飯を供える。烏団扇を参詣人に渡す。因みに大国魂神社 の参道は300m以上伸びているが、更に3.5kmほど離れた国分寺市の本多八幡神社に向っている。両社の位置は 12/24.5←→6/25の暦・方位になっていて5/5には「暗闇の祭り」が有名。 詳しくは「府中くらやみ祭り」http://www.geocities.jp/hondabayashi/ つまりこの李祭りはクリスマスの時期と6/25日とを示しているが、其の参道の向きを明治の改暦で西暦に変えた時 に5日のズレとなったのではないか。 ■07-08白浜海女まつり(〜21日)【千葉県南房総市】 ◆07豊川・進雄祭・・・・・3日間。 ◆07豊橋・祇園祭(手筒花火)・・・・・・(7月第三金曜日〜日曜日)【愛知県豊橋市、吉田神社】 ◆城南宮祭・・・・・京都・伏見。 ■与喜天神山(天照大神)ライン・・・・・・・@桜井市の長谷寺の北にある天神山(455m)の形(主軸)は7/20←→1 /19の暦・方位を向いている。山麓にある与喜天満宮は実は天満大自在天神を最も恐れた藤原氏が、多武峰・談山 (妙楽寺)と長谷寺のラインに天満天神を封じた偽天神である。 彼らは「この天神こそ長谷観音の化身である」との信仰を流布したのである。其の傍らに皇大神社(例祭10/20)が あり、この山は天照大神が亡くなられた所との伝承がある。その軸の北に向かえば小夫地区に地蔵寺の奥にまた天 照皇大神社があり、同神が祭られている。 其の先は都祁村に来迎寺があり、其の先は山添村の神野寺と、最近、岩倉伝説で脚光を浴びた神野山(619m)に行 き着く。更に進めば島ヶ原村や上野市であり、西高倉地区には果号寺と高倉神社がある。更に進めば滋賀・愛東町の 百済寺に至る。 所で、高倉神社は高倉下命を祭り、例祭を10/15日としているが、春季祭礼が2/21なので1/19とは3日の差で 略一致する。所で此処は京都・上下賀茂、鴨神社で行われる5/15の葵祭りのライン(11/13.5丹後の籠神社← →大宮町の滝原宮5/14.5)にクロスするポイントである。 さて、先の天神山から主軸に沿って7/20方位に南下すれば桜井市・音羽観音があり、其の先は大淀町の世尊寺、 其の先は和歌山・龍神村の年中岳(906m)を越えて田辺市から白浜に至る。田辺には闘鶏神社と大潟神社、其の他 の宮で天照大御神が主神または配祀神となっている。 例祭は7/24〜25なので、数日の差で暦・方位・例祭日が略合致する。無論天照大神と言う御祭神も合致した事にな ります。更に此処でもう一つのラインがクロスする。つまり隠れた古式結界が浮かび上がって来るから驚く。 とは言っても、日本の霊的秘密について筆者が暴露してしまうのは余り感心しないが、誰も気付かなければ既に「ない」 のと同じであるから敢えて公表する訳だ。クロスするのは天神崎と神島が5/14のライン、即ち葵祭り・山王祭りが伏 してあったのです。現に日吉山王神社や山祇神社も其のラインにあった(「5/14」を参照)。 ■高鴨神社・例祭・・・・・・御所市でアジスキ高彦根命と下照姫を祭る神社の例祭で、夕方から献灯祭と神楽奉納があ る。 ■きゅうり祭・・・・・・本山寺(香川県豊中町)。 ■島根・物部・水口祭・・・・・・太田市。物部神社の御田植際と水口祭。巫女舞があり、鞍置き馬による三斗代通と言う 神事が有る。 ■08忠海祇園祭(7月15日に近い日曜日)【広島県竹原市】 ■06-07-08津和野祇園祭・鷺舞神事・・・・・・島根県鹿足郡津和野町、弥栄神社】弥栄神社祇園祭、7月20日〜27日、 島根・津和野町。20、24、27日、約400年の歴史を持つ祇園祭神事。 ■06-07-08山口祇園祭り(鷺舞・浦安舞)(7月20・24・27日)【山口市、八坂神社】 ■07小倉祇園太鼓(7月第三金曜日〜日曜日)【福岡県北九州市小倉北区、八坂神社】 ■06-07-08黒崎祇園山笠(〜23日)【福岡県北九州市八幡西区、黒崎周辺】 ■おおむた「大蛇山」まつり・・・・・・福岡・大牟田市で大蛇の山車六台が街を練り歩く。 ★中津祇園・・・・・・7/21を参照。 ★06海の記念日。 7/21 ★06江戸崎・祇園祭・・・・・・茨城・稲敷市。例年7/25日頃だが06年は7/21(金)〜23(日)。「天王様祭礼」として天正年 間に始まり約400年続く伝統行事。1基の神輿と7〜8台の山車が町内を巡行する。浜町、大宿、根宿、西町、荒宿、本 宿、田宿、戸張など宿の付く山車が多い事と、此の山車の上部が回転する珍しいもの。 鹿島神社と八坂神社とが略この日の方位に並び、此の祇園祭りを両社で祝うと言うのも珍しい。 ■08浜降祭(海の日)【神奈川県茅ヶ崎市、鶴嶺八幡宮・高座郡寒川町、寒川神社】 ■「虫送り」・・・・・・松任市横山町の宇佐八幡神社で。 ■「きゅうり封じ」・・・・・・京都市の神光院で21日と27日に行われる。 ■「ホウロク祭り」・・・・・・京都市の壬生寺で、焙烙に百草を焚いて頭に載せて健康長寿を祈る。 ■「御手洗まつり」・・・・・・京都市の鴨川べりにある下鴨神社で毎年「土用の丑の日」から5日間、御手洗池に入った人 がローソクの火を捧げる「足付け神事」として行われ、「無病息災」を祈る。 ■07難波神社の氷室(ひむろ)祭・・・・・・・・大阪市中央区。7/21-22日。 ■07みなと祭(7月第3土曜〜日曜日)【鳥取県境港市】 ■08うわじま牛鬼まつり(〜24日)【愛媛県宇和島市、和霊神社】 ★07小倉祇園太鼓。 ★06中津祇園・・・・・・大分・中津市。中津祇園は、10万石の城下町中津を代表する祭で、 闇無浜神社(くらなしはまじ んじゃ)を中心とする「下祇園(しもぎおん)」と 中津神社を中心として行われる「上祇園(かみぎおん)」とからなります。 その歴史は古く、570年以上の伝統があります。 京都の八坂神社より御分霊を勧請し、下正路浦の村祭として、ささやかな祭が続いていましたが、 本格的に賑やかに なったのは、城下町中津の形成とほぼ軌を一にしています。上祇園の起源は、中津市萱津に鎮座する大江八幡神社 摂社の八坂神社の祭礼です。 1880年(明治13年)に中津城址の下段に中津神社が創建された際に、大江八幡神社の八坂神社の御分霊とともに、 祇園車も中津神社へと遷りました。最盛期には、8台の祇園車が巡幸していました。ここでは、古魚町、古博多町、京 町、諸町、新博多町、殿町、片端町、新魚町を紹介します。 下祇園は中津祇園の起源であり、闇無浜神社摂社の八坂神社の祭礼として行われています。最盛期には、10台の祇 園車が列を連ねて御神幸していました。下祇園の慣わしで、古い祇園車ほど行列の後ろということが決められていまし た。現在では、舟車の下正路町を先頭に、各踊車は輪番制度となっています。 ここでは、龍王町、船場町、米町、船町、堀川町、姫路町、塩町、桜町、豊後町、下正路町、角木町を紹介します。 現在では、毎年7月20日過ぎの金曜日から日曜日の3日間、 下祇園上祇園合わせて12台の「祇園車」と呼ばれる漆塗 りの華麗な山車が、中津の城下町(南部校区・北部校区)を練り歩き、高〆が張られた辻々では、祇園車の舞台で民 舞等が奉納されます。 その賑やかさから、昭和初期までは九州三大祇園祭(博多祇園山笠・小倉祇園太鼓)と称され、今日でも豊前三大祭 り(宇佐八幡宮夏越し祭・小倉祇園祭)・ 豊前三大祇園(小倉祇園太鼓・今井祇園)・ 大分三大祇園(日田祇園・臼杵 祇園)と称されています。 見所は、朝車(中日)・戻車(最終日)の晩に行われる「練り込み」で、 双方の広い境内で高さ約5メートルの祇園車を勇 壮に走らせます。 このことから、祇園車は走る文化財とも呼ばれます。下祇園は猛スピードが魅力の「棒練り」で、直 線的に走ります。一方、上祇園はダイナミックな舵きりが魅力の「廻し練り」で、弧を描くように走ります。 スピードという意味では、平成9年度より始まった『走り抜け』も見逃せません。この行事は、合計12台の祇園車が、福 沢通りをその名のとおり、颯爽と走り抜けていくもので、朝車(中日)の夜に行われます。 また、初日の花火大会終了後、下祇園の祇園車が猛スピードで闇無浜神社へ入っていく「御宮入り」も 迫力満点です (以上、http://www.ogionsan.net/より転載)。 ▲自然公園の日。 ■07勤労青少年の日。 7/22 ■会津田島の祇園祭・・・・・・800余年の歴史を持ち、日本三大祇園祭の一つ、24日まで。福島県。 ■相馬「野馬追い」・・・・・・福島・原町市ほか、25日まで。 ■黒岩虚空蔵詣・・・・・・満願寺(福島市黒岩町)で7/20〜23日。 ■06-07熊谷うちわ祭り・・・・・・ ■06-07福井・気比の総参祭・・・・・・常宮祭とも言う。気比神宮から摂社の常宮神宮(ご祭神は八百万比盗_)に船渡 御する。下記の坐摩神社の神功皇后の出発に由来する祭り。 ■愛知・犬山舟祭・・・・・・三光稲荷の夏祭り。川祭りでは花火が上がる。 ★06尾張津島天王祭り・・・・・・愛知県津島市、津島神社で7月第4土曜日〜日曜日(但し6/15を参照)。 ★06お木曳き行事(川曳)・・・・・・平成18/7/22〜7/30までの各土日、神宮に御料材を運搬する。伊勢市観光政策課 0596-21-5565。一日神領民参加は052-589-2689 ■06きゅうり封じ・・・・・・・京都市右京区の蓮華寺075-462-5300では弘法大師が伝えたと言われるキュウリによる疫病 除けの祈祷を7/22〜23と8/4に行う。 ■07大阪・能勢(のせ)妙見山・虫払会・祈祷祭・・・・・・・大阪府・能勢町で7/22-24日。 ■大阪・坐摩神社・夏祭・・・・・・いかすり神社と呼ぶ。神功皇后が凱旋したとき天照大神を祭られたと言う石町のお旅 所に神輿と御供物が渡御する。西横堀では人形流し、だんじりと練物が出る。 ■06-07うわじま牛鬼まつり(〜24日)【愛媛県宇和島市、和霊神社】 ■熊本・本妙寺頓写会・・・・・・日蓮宗による加藤清正の法会。本妙寺(熊本市花園町)で7/22〜24日、小石に法華経 の一字を記し、加藤清正の冥福を祈る。 ★06長崎ペーロン(7月第四土曜日〜日曜日)【長崎市】。 7/23 以下、次ページへ・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ または パテント・著作権は本会に属します。 「鬼の会」 |