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http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」  p121 (未定稿)


 神々の歳時記   6月中旬 但し方位による

次は
6月・下旬
6月・下旬
または
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●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起
の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版 http://
www.omatsuri.com/link/linkvex.html/mailmag@mag2.comから
及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-6月」より一部引用・転載させて頂きました。

■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記
には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の
詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。

6月中旬 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★



6/16 


●06-07-09柏崎・えんま市。
■09両津祭・・・・・・・・・・新潟。15-16日。

■富山・鵜坂神社・しもと祭・・・・・・・・婦中町の鵜坂神社のシモトダチと言う祭り。参詣した女性が過去に関係した男の
数だけ鞭で尻を打たれると言う、日本五奇祭の一つ。

■竜宮社・例祭・・・・・・三重・二見町の二見輿玉神社の境内社の例祭(2002年)。
■07-08-09法華懺法・後醍醐天皇御忌・・・・・・妙顕寺(京都市上京区)。 
▲香淳皇后祭。

■率イザ川神社の百合祭り・・・・・・奈良の桜井市・大神みわ神社の摂社・率川神社で1300年前から三枝祭り・七媛女稚
児行列など6/16〜17日に行う祭り(「6/17」を参照)。

■07-08-09志度十六度市・・・・・・志度寺(香川県志度町)では理趣三昧が修行される。十六度会ともいう。
■10一人相撲(旧5月5日)【愛媛県大三島町、大山祗神社】












 





































































6/17  

      
★07父の日。      
■07-08-09会式・・・・・・・勝寺〔本郷観音〕(福島県本郷町)。 

■子安神社・例祭・・・・・・・八王子市でコノハナサクヤ姫を祭る同神社では例祭が6/17にあり、、其の方位に参道が
伸びて鳥居があり、其の先には南には子安町や子安南町、そして北には小宮公園が位置している。さて、秋祭りが9
/23日に行われる。

東西線には東に弁天祠があり、逆の西側には墓地を挟んで福伝寺(真言宗智山派)、その先には産千代稲荷神社が
ある。
■06-07-09伊勢神宮・月並祭。

■奥石神社の暦・方位・・・・・・滋賀県の繖きぬがさ山・観音正寺(0748-46-2549)は標高433mの山頂付近に建つ、聖
徳太子開基の寺であり、本尊は千手千眼観世音菩薩である。ただ近江の國では孝霊天皇5(前286)年に地面が裂け、
水が湧き出て巨大な湖になった。其処からこの辺りも蒲生と言われるようになった。

其の点、此の山頂部一帯は元来古墳群であり、其れがそっくり温存されながら中世には佐々木氏の観音寺城として中
世最大規模の山城となり、其処からは信長の築いた安土城を眼下に見下ろす立場だった。また山麓の石寺地区は
佐々木六角氏の家臣団の居住地であり、また楽市楽座で栄えた所であり、近くに鎌の宮がある。@

●06-07-09興教大師(真言宗豊山派)誕生会。      

●例年-ゆり祭り(三さいぐさ祭・七媛女稚児行列)・・・・・奈良の桜井市、大神(三輪)神社0744-42-6633の摂社・率いさ
川神社・百合祭り。1300年前から6/16〜17日に行われる祭りであり、百合の花を手にした4人の巫女が舞を披露し、神
前にササユリで飾った樽を神前に供えて無病息災を祈る。

サエグサとは山百合の花の事なので別名「百合祭り」とも言われる。また古代装束を纏った7人の七媛女と稚児たち
100人ほどが町を練り歩く(三枝祭り・七媛女稚児行列)。この日の方位としては狭井神社から芝地区の慶田寺(春日神
社の隣接地)のラインであるが、これは偶然かも知れない。

■住吉大社・浅沢神社の例祭・・・・・・ご祭神として市杵島姫命を祭る浅沢神社の例祭がこの日の10:00から行われ
る。

■丹生姫都神社・御神事能・・・・・・和歌山・かつらぎ町の天野社では昔から6/17〜18には天河弁天から能の奉納
があったが今は不明。此の宮は空海が高野山を開山するまでは高野山に有ったが、広大な山野を明け渡して現在地
に遷っているが、今も高野山の北には弁天岳があり、また壇上伽藍には鎮守(四社明神)として祭られている。

因みにこの天野社は永正9(1512)年6/16日に落慶して僧60と天王寺伶人により舞楽大曼供を執行している。尚、昔は
1/14日に山王堂で修正会をして、其の対極の7/18日には夏祭りをして9/16日には玉津島神社への「浜降り神事」をし
ていたが、平成元年10/16日には天野大社として「渡御の儀」を44年ぶりに一部復活している。

方位に関しては10/3日の百舌鳥八幡宮を参照。

■07-08-09大般若会・・・・・・・三仏寺(鳥取県三朝町)で6/17〜18日。  
■07-08-09十七夜・・・・・・・西大寺(岡山市西大寺町)。  
▲09厳島神社の管弦祭【広島県宮島町】・・・・・・旧暦6/17日のため、09年は西暦8/7日。

■07-08-09観音祭・・・・・・・清水寺(長崎県)。 
★07蜘蛛合戦(6月第三日曜日)【鹿児島県姶良郡加治木町】










 








































































6/18    


(とまり)の大祭・・・・・・・・・・青森・六ヶ所村の諏訪神社と貴宝山神社で、6/17--20日に海上安全と豊漁を祈願して、
両社の神輿と山車が巡行する。
■08-09-10火とぼし祭り【長野県茅野市、大泉山】

■豊橋・白山花祭・・・・・・・白山権現社。神輿は中柴の諏訪神社から神宮寺境内に到着するが、神輿に供奉する人が
背中につけた造花を見物人が奪おうとするやり取りがある。
■07-09熱田神宮・御田神社・御田植祭。

原田神社の例祭・・・・・・大阪・豊中市。10月9日に宵宮祭で、午後7時(境内)。翌日10月10日に本殿祭を午前10時
から。此処は豊中市桜塚。近くに岡町があり、古墳が多かった事に加えて銅鐸が境内から出土した。此の辺りを昔は
原田郷と言った。なので原田氏の祖地とも言われる。神社の由来としては、此処は元々9/9日が例祭だった。

筆者はしかし其れが天武天皇の命日であるから、豊中市では合わない。よって藤原京の素盞男神社(実は天武天皇陵
9/9日を参照)から、その日の方位に当たる和泉市の元・池田寺(光明院※)で弔い、その後に春日神社から6/18日に
豊中の原田郷に祇園社としての原田大明神に分かれたものと推測する。

推定の方法は素盞男神社からその日9/9方位に向い、他方、豊中の原田神社からは6/18日方位に向かえば、和泉市
春日神社でクロスするからです。また※和泉市の先は淡路島の洲本に向かう。

以下、今の情報についてはhttp://www.d3.dion.ne.jp/~stan/j_osk/o1k-hrd.htmから引用。
住所:豊中市中桜塚1丁目2−18。
祭神:素盞嗚大神、天照大神、月読大神、櫛稲田姫大神、高オカミ大神。場所:阪急宝塚線岡町駅東すぐ、pk有。

由緒:創祀は詳らかでないが、社伝に天武天皇の御宇悪疫・・退除の詔勅を当社に下して祈願・・、因りて白鳳12
(683?)年6月18日神宝、神鏡、素盞男命御鏡、獅子頭を奉祀せしめられ是より大宮と称するに至れりという。素戔嗚
尊など五神をまつり、古くは祇園神社と称した。

白鳳8年(679?)大宮として創建され、豊島郡榎阪村から川辺郡(兵庫県)富松村まで72ヵ村の産土神となった。足利
将軍義澄・義晴・義輝らはこれを崇敬し、境内にはそれぞれの植樹がある。天正6年(1578)の乱のときに兵火にか
かり、古文書・宝物などが灰となったが、慶安5年(1652)に本殿が再建された。

原田神社の社名を受けたのは、貞享5年(1688)8月である。また、天明元年(1781)社地の松の根元から弥生式中
期の銅鐸が発掘され、府の重要美術品に指定されている。・摂社:十二社神社本殿、三間社流造、桧皮葺、桁行4.
1m、梁間は身舎部(しんしゃぶ)で1.54m、庇部で1.08m、基本的構成は本殿と同様。

高欄の大部分・廊下などの部材はとりかわっているが大部分は当初材がよく保たれている。もとは極彩色が施してあり
跡がかすかに残る。建立年代は寛永を下ることはなく17世紀初頭の建築と見られている。が木鼻の形や虹梁(こうりょ
う)絵様など細部に桃山時代の様式が見られ桃山迄遡る可能性もある。(豊中教育委員会) 

桜塚の地名は、塚の上に桜の巨木が在ったことによる、と言われている。この辺りは大塚古墳を含め古墳時代中期と
云われる36基(48基とも)もの古墳が在った。社はその真只中に位置する(以上引用)。

庭鳥塚古墳の方位・・・・・・・大阪府下で05年に駐車場の拡張工事で発見された羽曳野市南部の古墳である。昔は
此処からニワトリの埴輪が時々見つかった事から庭鳥塚古墳と名付けられた。其の向きは南北であり、逆方位は伝・
応神天皇陵に接するが、寧ろ他の三つの古墳の子孫である事を示している。

藤井寺市には伝・日本武尊陵と墓山古墳が並んでいるが、其の東部で各々斎祭る鎮魂の場があった筈であり、其の
二つの古墳の前をこのラインが通る。またもう一つは伝・安閑天皇陵・高屋陵の西側も通過するが、その場は鎮魂で
はなく、御霊の迎えの祭りをする若宮の位置付けである。

何れにせよこの庭鳥塚の被葬者は其の三者の何れかの子孫であると推定出来る。三つの古墳の近くに、羽曳野市の
軽里と言う地名があるが、允恭天皇の434年に皇太子になった木梨軽皇子の陵(10/10を参照)のラインとも交差
する。

この古墳は発掘中で全長50mの葺石積の前方後方墳と見られているが、東西の道路のレベルから墳墓を築いたも
のとすれば其の何倍もの大きさの墳墓である。発掘の結果、4c中頃〜後葉と判断された。

粘土郭内には高野槙の木棺に三角縁破鏡(21.5cm)、剣、筒形銅器があり、其の外に土器、円筒埴輪、鉄・銅鏃、
鉄斧、槍などが有ったが、質素であり、武人の墓地と解釈されているが疑問である。無論、馬具などはなかった@

■天野大社・神遷祭・夏祭り・・・・・・・・・和歌山県かつらぎ(紀ノ川)市上天野。旧6/18日を今は7/18日として神遷祭・夏
祭りをしている。因みに天野大社の例祭(秋祭り)は10/16日。毎月16日に月次、2/17日に祈年祭。4/18日には春の大
祭・花盛祭を復活した。

社殿は巽の高野山を背にして、北北西の岸和田市を向いている。境内の北隅に役小角を祀った宝殿と石の真言塔が
残されている。さて本日6/18日方位には大阪・和泉市槇尾山・施福寺があり、此の日は元々ご神体を山伏が背負い、
和泉山脈を行をして巡り、そのご神体がお遷りになる祭りと言われる(※)。

其の前後に三谷の酒殿神社や多治速姫神社(堺市)がある。但し酒殿神社は観光地としない為か市販の地図にはな
い。また10/16例祭・秋祭りも、いわゆる「一の宮論争」などでおワタリを何度も中断し、今は楼門前で遥拝して以下省
略としている。

※6/18日の方位は、丹生都(にゅうず)姫神社と槇尾山との位置関係に当たる。施福寺(せふくじ)は、大阪府和泉市に
ある天台宗の仏教寺院。通称槇尾寺(まきおでら、まきのおでら)。山号は槇尾山(まきのおさん)。本尊は弥勒菩薩
(札所本尊は千手観音)。槇尾山の山腹に位置する。西国33箇所観音霊場の第四番札所である。

毎月18日 - 観音法会。古くは槇尾山寺と呼ばれた山岳寺院で、葛城修験系の寺院として創建されたものとみられる。
南北朝時代成立の寺史である『槇尾山大縁起』(正平15年・1360年書写)によると、施福寺は欽明天皇の時代、播磨国
加古郡の行満上人が創建したものであるという。札所本尊の千手観音像については、色々の説話が伝承されている。

▲07糸満ハーレー(旧5月4日)【沖縄県糸満市】

■『 キャンドルナイト 』−−−−−電気を消して・・・「100万人のキャンドルナイト」一年で最も夜の短い夏至の日に、明かりを消してスローな夜
を。環境やエネルギー問題、平和などを考えるイベント「100万人のキャンドルナイト」が全国各地で行わます。開催は、05/6月18日(土)〜夏至の6月21
日(火)。20:00〜22:00

2003年からスタートし、今年で3年目。夏至と冬至に開催されるため、5回目の開催になります。そして、同じタイミングで環境省も「CO2削減/ライトダウン
キャンペーン」を開催します。特に、19日(日)の夜は「ブラックイルミネーション2005」として各地のライトアップ施設も含めて家庭の電気を消すことを呼びか
けています。

東京タワーや通天閣もライトダウンされます。現在、3万4千施設が参加し、61万kWhの電力が削減される見通しです。ローソクの火を見つめながら、省エ
ネ、温暖化などの地球環境、そして平和を考える機会となりそうです。<参考資料>http://www.candle-night.org/ またはhttp://www.
wanokurashi.ne.jp/act/campaign/

−−−−−−以上は、メルマガ「30秒で読む環境情報!」 http://www.mag2.com/m/0000125755.htm(http://plaza.
rakuten.co.jp/eco30/)より転載。

★06父の日。
★06-07-09海外移住の日。






















































6/19 


■例年-太宰治生誕記念祭【青森県北津軽郡金木町】
■11太宰治生誕祭【青森県五所川原市、県立芦野公園】

■例年-桜桃忌【東京都三鷹市、禅林寺】

●御印祭------御印祭が、富山県富岡市で、6月19日(日)・20日(月)に開催されます。御印祭とは、藩主である前田利長より拝領した宅地を始め、
多くの手厚い保護に感謝し、利長の命日に遺徳を偲ぶために、利長死後間もなくして起こったとされています。祭りでは、民謡「やがえふ」の踊りながら、街中
をねり歩きます。

富岡市役所  http://www.city.takaoka.toyama.jp/(以上は、メルマガ【なっとく歴史館】 http://1rekisi.jpより転載)。

■07天河大辨財天社・・・・・・奈良県の奥地。6月19日〔火〕 端午の節句祭(旧五月五日) 午前11時から。因みに09年
の旧五月五日は、西暦5/28日。 

■厳島神社の管弦祭はこの日だったか・・・・・・弁天とは仏教的な解釈ではインドの川の神(サラスバティエィ)とされた
り、或いは妙音弁天として芸能の神ともされているが、其れは誤解である。日本の弁天は「天を弁える」神であり、天文
観測の暦の神であり、川ではなくて山の上に祭られていた。

この宮島も山の神であり、この宮島は神の山、即ち聖地として昔は人が通わぬ無人島でした。各地の弁天もまた弁天
島とか弁天岳と言うように必ず小山の上にあり、或いは池の中の古墳のような所に祭られているのです。

この宮島は厳島と言うが、其れは「居つき」媛の島を意味した。斎姫が五木と言う漢字で書かれ、或いは市杵島媛とな
り、厳島となり、宮島と変化したものである。さて、同じ市杵島媛命を祭る奈良の天河弁天が西暦の7/17日を例祭日と
しているが、此処・宮島は矢張り同じ頃に旧暦の6/17日に管弦祭として行っている。

因みに09年は西暦では8/7日になる。

では方位から確認しよう。祭りとは違う位置に壮麗な本殿や拝殿、祓殿や筏(スノコ)式の平舞台を作った為に台風の
都度、大きな被害を受けているのではないか。平安時代に清盛が余計な物を創って以来、室町から現代まで度重なる
被害を受けて来た以上、住民にとっては迷惑な事である。

其れまでにも何度も被害に遭っているが、例えば04/9/7日の台風18号では左楽坊が倒壊し、36軒中23軒が破壊して
散乱した。其の被害額が81億円と言う(被害額については05/3/23日のNHK総合TV)。

★11蜘蛛合戦(6月第3日曜日)【鹿児島県加治木町】


■元号最初の日・・・・・大化元(645)年。

























































6/20   


小町堂祭り・・・・・・・・・秋田・雄勝町小野。平安の美女の小野の小町の生まれた所。小町堂にシャクヤクの咲き揃う
此の日に、選ばれた七小町が小町の歌を朗詠する。

■07-08-09酬恩供養会・・・・・・浄興寺(新潟県上越市)で6/20〜28日。 
■07-08-09門祖会・・・・・・本成寺(新潟県三条市)。 
 
●例年-鞍馬寺・竹伐り会式・・・・・・鞍馬寺(京都市左京区)では此の日、鞍馬法師に禍いをもたらした大蛇を太い竹
になぞらえ伐る古式。大蛇を鞍馬法師・峯延上人が伐った故事を再現する。大蛇に見立てた太い青竹を僧兵が切って
災いを祓い、吉事を祈ると言う平安時代以来の儀式であり、2時から。

僧兵に扮した里人が2組に分かれて切る早さを競い、その結果で豊作を占う。切り屑が魔除けになると言って子供たち
に人気。
動画http://www.omatsuri.com/movie/takekiri.html 

■宮古野虫送り・・・・・・高知県・土佐町(役場企画振興課 0887-82-2450)。

★10くも合戦(6月第3日曜日)【鹿児島県加治木町】
























































6/21       ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★


●06夏至。09夏至。

■石川・狭野・茶碗祭・・・・寺井町の狭野神社の祭典。21〜22日にかけて「九谷焼」の露店が並ぶ。

■鑑真和上の命日・・・・・・鑑真は六度目にやっと筑紫に来日を果たしたが既に65歳になっていた。当時、東大寺には
良弁がいて対決する立場に立ったようで、弟子のウバソク如法を下野・薬師寺に派遣して、東大寺と筑紫、其れに下野
薬師寺を三戒壇とした。

だが鑑真の後ろ盾だった聖武天皇が崩御して次の孝謙天皇となり、その後、道鏡が高位に上っていたので彼が新田
部親王の旧宅に天平宝字三(759)年に建てた唐招提寺は逆風の時代にあった。そうした中、鑑真は天平宝字7/5/6日
に入寂した。此れはユリウス暦の763/6/21日に当たる。77歳だった。

因みに道鏡はその後退位して左遷の形で下野薬師寺に向かった。奈良の唐招提寺は南向きに建っている。其れだけ
ならば他の寺社の多くと横並びの様式に見える。ただ金堂の2/5方位には鑑真和上御廟がある。しかし彼の命日は本
日であって2/5日ではない。2/5日は玄奘の命日なのだ。

よって此処は、先の玄奘が忘れられて、後の鑑真に入れ替わったものと分かる。ともあれ此処は00年から「平成の大
改修」が始まり、09年に完成予定の所、04/12/25日のニュースによれば、金堂の屋根の地垂木三本を年輪年代測定
した結果、伐採年が781年と分かったと言う。従って金堂の創建は鑑真の入寂から18年後の頃になる。

この年は桓武天皇が即位し、この平城からやがて長岡へ遷都するのである。寺の縁起には彼の弟子の如法が金堂を
建立したとあるが、従来諸説あって此れまで立証出来なかった。如法は姓を「安」と言い、トルコ系の人物で、来日時に
はまだ正式な僧ではなかったが、この時は50歳過ぎになっていた。

不遇の時代にあったこの頃、如法は師のためにルシャナ仏と薬師如来など三尊を祀る金堂を二重基壇にして、周りに
は8m幅の回廊を付けていた。また国宝の千手観音も彼の時代に造立したものである。彼が815年に84歳で入寂した
ので日本後記卒伝には「一代の壇師」と記録している。

それ以上については殆ど知られていないが、玄奘が来た西域の出身であり、青年時代に此の日本に来て、言葉も分
からない中で師に従って一生を捧げて素晴らしい業績を残した事が分かる。此処は今も律宗の総本山であるが、如法
の後に空海とも繋がりがあった様で、真言宗の大日如来像を残している。

また、『鞍馬蓋寺縁起』(あんばがいじえんぎ)では、鑑真和上の高弟・鑑禎上人は、宝亀元(770)年に鞍馬山に登山、
毘沙門天の助けを受けて降臨を確信、草庵を結びその毘沙門天をお祀りした。先に述べた如法は姓を「安」と言い、
また、鞍馬も実はアンバと読めるし、アウン(阿吽・陰陽)合致の場とも理解できる。

師の鑑真和上の命日が12/21日であり、其れは方位暦で見れば略子午線の方位である。地理的にも唐招提寺から鞍
馬の本町は実に
真北に当たるので、鑑禎上人は鞍馬に向かって其処に北を守る毘沙門天を祀った事になる訳です。 此れは弟子とし
て見上げた行為です。

其れに比べて今の宗教界は人集め、銭集めなど自分の事に精一杯であり、或いは空理空論を言うだけで到底社会の
事には力が及ばないが、如法や鑑禎上人が残した師のためのラインは1200年の間、宗門を今に伝え、固めたと言え
る。

■07-08-09稲荷祭・・・・・・円隆寺(広島県)。
★09蜘蛛合戦(6月第三日曜日)【鹿児島県加治木町】


★09父の日。





































































6/22 


●07夏至・・・・・・・北半球では夏であり、北極では白夜。最も日が長い。ロシアの場合は、夜中になっても日が暮れな
いので人々は白夜を楽しみ何時までも町を歩き回ると言う。其れに対して南半球では冬であり、特に南極では真っ暗。
冬至(12/22)から183日目。

其れに対して南半球では冬であり、特に南極では真っ暗。冬至(12/22)から183日目。09年は21日。

方位と月日・・・・・古来、祭りは方位を基点とし、方位は八方を基準とし、此れを四方四隅(維)と言った。円暦・方位
では先ず真北を冬至と し、其処を基点として時計回りに一周する方位暦なので北東が立春に重なります。以下同様
に、真東が春分、東南が立夏、真南が夏至、南西が立秋、真西が秋分、西北が立冬、そして真北が冬至に重なる。

此れを古来「四至(時)・四立」とも言った。今の月日にすれば冬至と夏至が12/22と6/22となり、其の日から45日
後が立春(鬼門)と立秋(裏鬼門)で、2/5と8/6となります。そして冬至と夏至から91.5日目が春分・秋分(3/23
←→9/21)であり、其の137日後が5/7の立夏(巽)と11/6の立冬(乾)となります。

ただ此れは方位に基づく円暦八方日なので、其れとは別の、星座によって天文台が行う今の西暦月日とは若干ズレま
す。だが古式祭りは西暦ではなくこの八方から見なければ分からない。

■東京・向島の三囲神社の参道・・・・・・参道が南に伸びている。其の先に常和泉寺がある。また真西には浅草神社が
ある。

■石川・狭野・茶碗祭・・・・
■二見輿玉神社・夏至祭・・・・・・この日、三重・二見町の二見輿玉神社の夫婦岩の間から日の出が見られる。

■京都・下鴨神社のライン・・・・・・当社の参道は長い「糺すの森」を抜けて略南に伸びている。つまり本殿が略北に位
置する。よって本論の論旨からすれば祭りは此の日・夏至頃になければならない。だが下鴨神社のように昔から有名
な神社で此の日に祭りがないのです。

有名観光寺社の多くが何れも真南に新道を造ってしまったが、此処は昔からの参道です。とすれば、筆者の此れまで
の論理が全て嘘となり、喩え一部に真実があっても全て騙りの嘘吐きと言われても仕方がない。では何の為に南に伸
びているのか。

参道は弓なりに反っているが、本殿の真南には伏見稲荷大社の本殿があり、其の途中に秀吉を祭った豊国神社の一
部が掛かり、更に後白河法皇陵と日赤、其の先には桓武天皇陵が正中線に位置する。更に略南の左右に崇光天皇・
大光明寺陵もある。

そう言えば読者は、此の平安京を造った桓武と歴代天皇の大光明寺陵がある点に何か意味を感じ取るでしょう。だが
桓武陵は3/17で述べる通り此処ではなかった(幕末から明治に此処と決めたに過ぎない)。大光明寺陵と後白河につ
いては未調査だが、何れにせよ順序が逆である。

桓武夫人・旅子を祭る意味も有った(2/14を参照)が、要するに天皇家の為に後から下鴨神社が生まれた訳ではなく
て、其れ以前から存在した。では何の為に建ったのか。と言われれば今はまだ答えが見つからないでいます。5/15の
葵祭は三大祭だが、其れは此の参道の向きとは無関係であり、位置づけは要するに通過地点の御旅所に近い。

葵祭の主役ではないが、ただ伏見稲荷との関係は見えて来ます。玉依媛/ヤタガラスと宇賀魂/佐田彦/大宮能売/田
中/四大神の何れも直接の接点が無いが、同じ鴨族の氏神同士だからです。

しかも例えば下鴨神社には神山が無いが、北に鞍馬がある。其処に由岐神社があった。こんな意外な発見がある。由
岐神社は、天慶元年(西暦938年)に起こった大地震や、翌年の天慶の乱など、当時は世情不安が続いていました。
そのため当時の朱雀天皇が、京の北方に安寧をもたらせようと御所から由岐大明神を分霊して祀った。

ご祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、八所大明神(はっしょだいみょうじん)。  
またhttp://homepage1.nifty.com/mizinnko/yashiro/yuki.yashiro.htmlによれば、由岐神社は、天慶3年(940)、鞍馬寺
が御所から鎮守社として勧請したのが始まり。矢を入れて背に負う靫を祀っている。

鞍馬の火祭り(10/22を参照)で有名です。因みに此の神社の狛犬?は虎だ・・・。この神社は鞍馬寺と縁が深い、金星
から降臨した魔王尊に導かれた鑑禎上人が毘沙門天を拝したのが宝亀元年正月四日、つまり寅の年、寅の月、寅の
日、寅の刻だった。以来寅は鞍馬山にとって深い意義を持つようになった(引用、以上)。

さて此の鞍馬寺から鬼門に向かえば琵琶湖の竹生島に至る。其処では金龍神の化身とされる千手面観音を祀る。
竹生島神社には市杵島比売命(弁財天)/宇賀福神/浅井(アザイ)比売命(産土神)/竹生島龍神を祭る。次に寺は
以下、引用する。

「竹生島宝厳寺」http://www.chikubushima.jp/によれば、此処は神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇
大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀
豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まり。

行基は、早速弁才天像(当山では大弁才天と呼ぶ)を彫刻し、ご本尊として本堂に安置。翌年には、観音堂を建立し、
千手観音像を安置しました。それ以来、天皇の行幸が続き、また伝教大師、弘法大師なども来島、修業されたと伝えら
れています。当山は、豊臣秀吉との関係も強く、多くの書状、多くの宝物が寄贈されています。

慶長七年(1602年)には、太閤の遺命により、秀頼が豊国廟より桃山時代の代表的遺構である観音堂や唐門などを移
築させています。明治時代、この島は大きく変化し、当山より都久夫須麻神社(竹生島神社)が分かれました。

古来、現在の神社本殿を当山は本堂とし、本尊大弁才天を安置しておりましたが、明治元年(1868年)に発布された
『神仏分離令』により大津県庁より、当山を廃寺とし神社に改めよという命令が下りました。しかしながら、全国数多くの
ご信者皆様の強い要望により廃寺は免れ、本堂の建物のみを神社に引き渡すこととなりました。

本堂のないままに仮安置の大弁才天でしたが、昭和17年、現在の本堂が再建されました。本尊大弁才天は、日本三
弁才天の一つとして、観世音菩薩は西国三十三ヶ所観音霊場の第三十番札所として参拝の方々の姿が絶えず、その
詠歌の声が響いています。

    月も日も 波間に浮かぶ 竹生島
           船に宝を つむ心地して

神を斎く島。古くは平経正が琵琶をひいて戦勝を祈願し、謡曲『竹生島』など数多くの音曲にも、この島の美しさがたた
えられています。いまもなお、神秘とロマンがいっぱいに秘められています(引用以上)。

以上から、竹生島(市杵島比売命)---鞍馬(大己貴命)---下鴨神社(玉依媛/ヤタガラス)---伏見稲荷(佐田彦/大宮
能売)・・・・と言う図式が見えて来ます。ま、其れだけの事ですが・・・・

■高鴨神社のライン・・・・・・此処は上津賀茂社とも言われているが、出雲国造の神賀詞を見ても此処が京都の上・下
の鴨社よりも古くから皇室の崇敬する鴨神であったと言われる。主神は味スキ高彦根神であり、古墳状の小山の一端
に本殿が南面して建てられていて、その先は石段と石鳥居が続いて南方に伸びる参道にも立っている。

例祭は4/15日。此処には金剛寺と言う神宮寺が有ったので、今でも参道の傍らに鐘楼がある。ともあれその参道は
直線で更に250m程続いている。其れに対して逆方位は葛城古道(上つ道)が曲がりながら走って南郷地区に入る
が、直線距離にして1.6km先の極楽寺に至る。@

一方、寺の側は今は浄土宗寺院でご本尊は鎌倉期の阿弥陀如来であるが、昔は興福寺の末寺だった。此処でも例年
の4/15には天得如来会式が営まれる。それだけではない。05/2/22、御所市はこの近くのヒビキ遺跡で、「5cに
大王に並ぶ権力を誇った葛城氏の大型建物跡が見つかった」と発表した。

此処は御所市の高台に位置し、奈良盆地を一望できる。周囲には葺き石を施した幅13mの濠を廻らせていた。

■08-09-10姫路ゆかたまつり・・・・・・・姫路市、長壁神社で23日まで。
■11姫路ゆかたまつり(〜24日)【兵庫県姫路市、長壁神社】

★夏至の徹夜祭り・・・・・・・北極では白夜。スウェーデンでは徹夜の祭りとなる。ダーラナ地方ではシリアン湖で舟遊び
したり、湖畔には人々が集まって高いポールを立て、白樺の枝葉で飾る。その下では輪になって踊ります。そんな情景
を歌ったスウェーデン民謡の「夏至の徹夜祭り」は世界的な名曲になった。


































































6/23 


▼09旧暦・閏5/1日。

■06-08-09竹供養「笹酒まつり」・・・・・・・奈良市・大安寺。光仁天皇縁の寺で竹の霊を慰め、笹酒を飲む。癌封じの祈
祷法要。08/6/23(月)8-4時。此の日に竹を植えると良く育つと中国に伝わる「竹酔日」に行われる。浴衣を着た笹娘
が笹酒や笹水を振る舞う。また尺八の演奏や茶筅の販売なども。癌封じの祈祷は3000円で終日。拝観料500円。

詳しくは大安寺0742-61-6312、または奈良市観光センター0742-22-3900

■06-07-09沖縄全戦没者追悼式「慰霊の日」・・・・・・糸満市。沖縄戦では15〜24万人が犠牲となったが、昭和20(1
945)年のこの日に戦闘終了した。戦争体験者の高齢化が進み、「平和の礎いしじ」にこの事が刻まれた。04年は59
年目となり、05年は60年目なので小泉首相も来賓として出席した。

オリンピック・デー。










































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