http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」 p110 (未定稿)


  神々の歳時記       5月後2  但し方位による
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●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起
の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版 http://
www.omatsuri.com/link/linkvex.htmlから
及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-5月」より一部引用・転載させて頂きました。

■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記
には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の
詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。

5月・後2 ・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★



5/21 日 (06年、第三日曜日)07年は月曜。


●09小満。     
●07-08-09親鸞聖人・誕生会(真宗本派)。
親鸞上人降誕会(浄土真宗)。 

★11仙台青葉まつり(5月第3土曜〜日曜日)【宮城県仙台市】(2011年は中止)
■10-11青海神社春季祭礼(加茂まつり)【新潟県加茂市】

★10三社祭・・・・・・・・ 5月第3金〜日曜日 東京都台東区。動画http://www.omatsuri.com/movie/sanja.html
 
■06浅草神社・例大祭「三社祭」・・・・・・・東京・浅草神社(ご祭神については「3/18」を参照)をご鎮守とする44ヶ町
からなる区々に住む氏子衆による祭り。大小百基の神輿が繰り出す外、本日は本社神輿も繰り出す。元は金龍山・浅
草寺(聖観世音菩薩)と一体の祭りだった。

■お砂ふみ(〜23日、東京・世田谷区・玉川大師)。
新大仏寺・春季大祭・・・・・・・三重・伊賀市の新大仏寺0595-48-0211では春季大祭として大護摩が焚かれる。

■09伊勢の藻刈り神事・・・・・・・・伊勢市、二見興玉神社では、明治からの神事として、本日、夫婦岩から藻を刈り取
る。
石山寺・青鬼祭り・・・・・・大津市。道鏡が「人は死後青鬼になって人を守る」と教えた事に因む恒例のもの。

■07-08千本大念仏・・・・・・引接寺〔閣魔堂〕(京都市上京区)で5/21〜6月9日に行なう壬生大念仏、嵯峨大念仏ととも
に京都の三念仏と呼ばれ、念仏狂言が演じられる。厄除けのまじないになるという。

三船祭・・・・京都市の車折神社と嵐山。約1100年前、宇多上皇が大堰川に御幸の際、詩歌・管弦・舞楽の舟遊び
をした故事に基く(但し、円暦方位とは不一致)。同社の神幸祭の後に嵐山の大堰川で御座船・竜頭船など20隻ほどを
浮かべ、平安貴族が広げた優雅な王朝絵巻を再現する。車折神社は075-861-0039

薔薇会式(えと祭り)・・・・・・・奈良市中町の霊山寺0742-45-0081では2000株のバラ園が見ごろ。本尊・薬師如来と
えと守り本尊八体仏にバラを供えて健康と幸福を願う。薔薇ミコシが境内を練り歩いた後に神輿をばらして其の薔薇を
献花として奉納する。

★11川渡り神幸祭(〜22日:5月第3土曜〜日曜日)【福岡県田川市、風治八幡神社】

























































5/22  


■06浅草神社・例大祭「三社祭」・・・・・・・最終日。夜8時まで。
■09東京・豊川稲荷・大祭・・・・・・・東京。

■07-08会式・・・・・・いかるが法隆寺(奈良県斑鳩町)。 
■07-08聖霊会・・・・・・四天王寺(大阪市天王寺区)。 
  
★09ガールスカウトの日。


















































5/23    

   
■09水郷潮来あやめ祭(〜6月28日)【茨城県潮来市】

■09長良川・鵜飼・・・・・・・・・・・・岐阜。5/11-10/15日。
■09木曽川・鵜飼・・・・・・・・・・・・愛知。5/11-10/15日。

■07-08開山忌・・・・・・阿弥陀寺(京都市左京区)で5/23〜24日。 
■07-08丈山忌・・・・・・詩仙堂(京都市左京区)で5/23〜26日にある石川丈山の忌日法会。

坂上田村麻呂の命日・・・・・・・弘仁2(811)5/23。52嵯峨時の正3位・征夷大将軍。贈従二位。アッチのおみ(渡来
人)の子孫の苅田麻呂の息子で数々の功績を残した。墓地は宇治・来栖村将軍塚。京都の清水寺は彼の創建(私邸
を移したもの)。

また近江・土山の田村大明神は田村麻呂を祭った社である。彼は赤面・黄鬚にして身長5尺8寸(約175cm)・体重201
斤(約126kg)あったと言う。07/6/4のNHK総合TVニュースによれば、京大の吉川准教授が埋葬品から京都山科の西
野山古墓を田村麻呂の墓地として特定したとの事。西野山古墓は既に大正8(1919)年に発掘されていた。

其れを今回、清水寺縁起との位置づけや刀剣などの時代考証によって判定したもの。其処で清水寺からの方位から
墓地の真偽を確認しよう。寺からの方位は南になるので、生憎、命日とは不一致。だが暦法の違いかも知れない。因
みに旧暦の5/23丙辰はユリウス暦の6/17日、グレゴリオ暦では6/21日となる。

其れに対して此の西野山は清水寺から6/5日方位になる。また旧大極殿からは44度なので略巽に当たる。とすれば、
京域の守りとして、彼の宝剣(今は国宝)などを此処に移葬した可能性もある。では彼の本葬地は何処かと言えば、
元々勧修寺来栖町である。

伝によれば、「棺中に屍を立たしめ、平安城に向ひて葬り、甲冑、刀剣、弓矢と共に埋めしむ」と言う。死して尚も平安
城を守らせようとしたのであろう。方位は先の大極殿から5/3日の方位だが、清水寺からは5/13日方位となる。とすれ
ば10日のズレがある。

暦日ではズレるが、暦法(新旧)の違いかも知れないし、其の先には伝60醍醐天皇山科陵があるので、此れも何かの
関係があろうと思われるが確証がない。

■10鹿島ガタリンピック(5月下旬の潮位が安定する日)【佐賀県鹿島市】
































































5/24  


09朔・旧5/1日。 

■09仙台藩祖・ 伊達政宗公の命日。伊達正宗は1567/8月-1636/寛永13年5/24日。70歳。09年は374回忌。仙台市
青葉区の瑞鳳殿・電話 022-262-6250 仙台市青葉区霊屋下232で法要が営まれ、戦国武将ブームの中、全国から大
勢の人が訪れた。

法要には、伊達家18代当主、伊達泰宗さんなど、凡そ40人が参列し、読経後、本殿に祀られた「政宗公の木像」が一
般公開された。今、若い女性を中心に戦国武将の人気が高まっていて、法要にも全国から多くの人が訪れる。法要の
後には、100人の踊り手が昔からの「雀踊り」を奉納。

因みに此の瑞鳳殿は、死期を悟り始めた政宗が墓所を定めた場所と言われている。伊達政宗公は此の日、江戸桜田
の上屋敷で70歳の生涯を閉じた。辞世の句は、「曇りなき心の月を先だてて浮世の闇を照してぞ行く」

大名・仙台藩祖・輝宗長男・伊達政宗の、青葉区霊屋下(経ケ峰)伊達家墓所・瑞鳳殿の法名は、「瑞巌寺殿貞山禅利
大居士」
マップ http://maps.google.co.jp/maps?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&

因みに瑞鳳殿と其の東南にある「伊達家の墓」のラインは5/6日を指している。-----a
彼は仙台藩62万石を築いた名君。更に黒船を建造して日本からヨーロッパ(ローマ、スペイン)へ派遣使節を送り、ロー
マ法王への謁見(支倉常長)も実現。国際人としても積極的に活動した。

仙台藩祖・伊達政宗の17回忌に当たって、夫人陽徳院が京都に注文して制作させた像が公開された。承応元年(1652)
2月24日開眼供養を行って、瑞巌寺に安置された。文禄の役に参陣した姿を夫人の記憶をもとに再現したと伝えられ、
県内外に残る数点の伊達政宗像の中では、特に写実的な作品とされている(宮城県ホームページより引用)

その瑞巌寺(ずいがんじ)電話022-354-2023は、宮城郡松島町松島字町内91にある臨濟宗妙心寺派寺院。古時通稱為
松島寺。詳名是松島青龍山瑞巌円福禅寺(しょうとうせいりゅうざん ずいがんえんぷくぜんじ)。平安時代初の創建時の寺号は天
台宗延福寺、その後は臨済宗建長寺派円福寺、そして現在は臨済宗妙心寺派瑞巌寺となっている。

毎年11月第2日曜日に芭蕉祭としているが、実は伊達正宗公の「日迎え」の祭りだったかも知れない。「瑞巌寺」は奥州
随一の禅寺で、伊達政宗の菩提寺である。現在の建物は慶長14年(1609年)政宗が桃山様式の粋をつくし、5年の歳
月を掛けて建てたとも言われる。

そして其の長い参道の前に見える松島のシンボル・五大堂は、大同2年(807年)、坂上田村麻呂が東征のおり、毘沙
門堂を建立したのが最初。 後に、慈覚大師円仁が円福禅寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、「大聖不動明王」を中央
に、「東方降三世」、「西方大威徳」、 「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したと言う。

此処も政宗公が慶長9年(1604年)に再建したもので、桃山式建築手法の粋を尽くして完工したと言われる。瑞巌寺と
五大堂は共に古くからあった寺と堂だった所を、復興に手をかけたのが政宗だったと一般には言われるものの、信じら
れない点がある。

この参道のラインは、上記の「-----a」と同じ5/6日を指している。よって政宗死後に建てられた筈である。そしてもう1
本参道がある。其れが先の五大堂に向かう参道であり、このラインは4/26日------「b」を指していて、其のラインの更
に先には福浦島があって、このラインを主軸とする大墳丘があるからです。

また青葉城の乾にある護国神社との位置関係も上記の「------b」、即ち4/26日を指している。なので何れも政宗の死
後に設定された新旧暦のラインであると推定する。つまり伊達政宗の子の忠宗がやった事であろう。その子は綱宗。
共に仙台藩主。しかし綱宗は三代目にして伊達騒動となった。

どの資料にも命日が5/24日であるとしているが、嘘をつけないラインを見る限り、其れは恐らく嘘である。記録は嘘でも
簡単にコピーできるが、寺堂や廟墓などは根拠なしに簡単に設定したり建てたりしないからである。

■09巣鴨とげぬき地蔵尊・大祭(豊島区・高岩寺)。

■09-10-11湊川神社「楠公祭」・・・・・・・・・兵庫県神戸市中央区、楠正成を祭る湊川神社で〜26日まで。

■08相生ペーロン祭(〜25日:5月最終土〜日曜日)【兵庫県相生市】

大山寺の「御幸」・・・・・・鳥取・伯耆大山(国立公園)。今は天台宗の縁日としての「御幸」がある。本尊は地蔵菩薩だ
が、元は神仏習合の寺なので近くに大神山神社があり、御祭神は大巳貴(大穴牟遅)神である。旧暦による祭日につ
いて、今の筆者は不詳だが、王朝絵巻の風情の残るこの供養儀式には1200年の歴史がある。

この日は神輿行列の「御幸」があり、僧兵ら100人が博労座から大山寺本堂までを付き従う。因みに大神山神社は奈
良の三輪と同様、「おほむわのやま」と読み、主神は大巳貴(大穴牟遅)神、即ち大国主命とし、山頂を奥宮(大山権
現)とし、例祭を10/9としていた。

此処は神代の昔の「国引き神話」の根源の地とされ、毎年4/24の春祭りが盛大に行われた。その外、7/24には
古式による「神水取(もひとり)神事」が山頂で行われ、医薬の神としても崇敬されていた。また、この山にはキヤラボク
の純林があると言う。@

祭日がズレたのは仏教による影響に加えて、明治の改暦により新旧祭日に誤差が出たものか。
        

























































5/25  


■盛岡・桜山祭・・・・・・5/25〜26。祭神は南部光行ほか3柱。本社はもと淡路社と言って城内の淡路丸にあった。
南部氏は甲斐源氏の支流。頼朝に従ってその功により甲斐国の南部郷を与えられ、その後奥州征伐に従い五郡を与
えられた。例祭当日は神楽、神輿、武者行列、サンサ踊りが有る。

■毛越寺・曲水の宴(岩手・平泉町)。
■例年-鶴岡天神祭(化物まつり)・・・・・・【山形県鶴岡市、鶴岡天満宮】(5月最終日曜日)。

■06-07-08-09東京・湯島天神祭・・・・・・東京・文京区。天之手力雄命と菅原道真を祭る。後者は大田道灌が勧請し
たと言われる。

■06-07-08-09東京・上野・五条天神祭。ご祭神は大己貴命と少彦名命。 
■江戸消防・慰霊祭=弥生祭(東京・台東区・浅草寺)。

■御上神社・御田植祭。

■06-07-08-09楠公祭・・・・・・(5月24日〜26日)【兵庫県神戸市中央区、湊川神社】楠正成を祭る神戸市の湊川神社
で26日まで。及び楠氏に縁りの河内長野市の観心寺で25日に「楠公祭」が行われる。ただ楠正成は現在、人気がな
い。

其れは足利側の吉川英治「私本太平記」などを底本としたドラマの為であり、足利尊氏創建の天竜寺文書にも「悪党、
楠木兵衛尉」と「悪党」呼ばわりしているが、寧ろ足利側の高師直こそ悪党であった。

其れに対して楠正成は滝覚坊に文学、毛利時親に兵学を学ぶなど高い見識を持つ第一級の高潔な人物だった。其れ
はしかし戦後のGHQにとって、都合が悪いから排除した。白を黒とするのが占領軍であり、軍国主義と精神主義を滅ぼ
すために教育に介入した成果として、現在の日本文化の低迷や楠正成の不人気がある。

彼は「孫子の兵法」を駆使して鎌倉勢を何度も打ち負かしたとされていて、帝国陸軍の作戦要務令でも「孫子の兵法」
を採用した。其れで将校教育をした結果に於いて愚将を輩出した。物量主義には精神主義で対抗し、将校は支那式の
頭、手足となる兵士は洋式で練兵した生かじりの戦法の結果として先の大戦で日本が自らの国を滅ぼしたのである。

だが正成は違った。日本古来のヤタの原理を知っていた。其れは秘伝として最近まで色々残っていた。また湊川神社
や吉野には「非理法権天」の幟が残っている。だが今の大学の文系卒でも其れを知らない。此れこそ正成が掲げた大
義名分であった。

地元では中学生でも意味を知っているが、其れさえ知らない歴史家が無知と誤解とGHQ的歪んだ批判をして自己満足
しているのです。ともあれ正成は湊川を「死に場所」と悟って「桜井の別れ」をした。当時の京都の公家も愚者揃いで呆
れたのであろう。よって延元元(1336建武3)年のこの日5/25日、足利尊氏と戦って湊川で正季と共に自刃した。

其処で敵将である尊氏は正成の首を河内に送り届けたと言われる。今も観心寺には首塚があり、毎年この日に祭られ
ている。祭りと言っても命日ですから、厳密には法事(年忌)です。ともあれ神戸の場合は、大倉山の麓の湊川神社で
行われるが、此処は明治五年以後の新しい神社である。

それ以前は何もなかった訳ではなく、徳川光圀自筆の「嗚呼忠臣楠子之墓の碑や墓所、広厳寺があった。従って其処
は今も湊川神社の北の楠寺として存在する。@
さて尊氏は観心寺に前もって敵将・正成の首を送り届けた。

けれども観心寺以後の経緯についてはハッキリしない。当時は戦乱の世が半世紀続いた。そのような状況下で此処に
墓参りすれば敵方に筒抜けとなり、楠の残党と知れてしまう。従って墓参すれば皮肉にも命が危なかっただろうから、
別の場所に葬られ、別の場所で祭られたに違いない。@

また南河内の千早赤阪村では25日の直前の日曜日に千早神社で楠公祭を行い、また25日には生誕地とされる建水
分(たけみくまり))神社で楠公祭を行っている。

何れにせよ、この日の祭は楠正成の命日の鎮魂の法要ですから、本来この日は、湊川から河内長野、または岸和田・
水間寺方面へ彼の御魂を送る鎮魂の儀礼である。@

因みに湊川神社では先の5/25日に「楠公祭」(神幸式)をして、更に7/12日にも「例大祭」をしている。何故祭りを二つし
ているのかと言えば、長い間、楠一族が不当に弾圧されて来たために関係寺社も領地も祭りも子孫も徹底廃絶され、
其のうちに本来の暦日(命日)が不明となったからに違いない。

先の命日月日は旧暦とは言え、当時は南北朝で別々の年号を使っており、其れは三年ズレた別の名称の年号だった
と言うだけではなく、暦法自体が不明なためだろう。例えば北朝の暦日である延元元年のこの日は南朝の建武3年であ
り、この日5/25日をユリウス暦に数式換算すれば7/4日となり、グレゴリオ暦では7/12日となる。

だが当時、グレゴリオ暦はまだ存在しなかった。其処で本書では当時の遺跡と寺社の位置関係を方位で換算し、暦日
と対照した。そうすると湊川と大阪南部は、旧暦とは言え、実はユリウス暦に近い暦日だった事が判明する。此処から
本書は、当時南朝で使った暦法は、いわゆる旧暦ではなくて、日本古来の「和暦」だったと判断している。






















































5/26  


札幌ライラック祭り。

▲源 頼政の命日・・・・・・・・彼は後白河天皇に従い、後に清盛に従ったが、やがて平家の専横を憎んで以仁王と平家
の討伐を謀ったが共に敗れた。彼は「源三位入道」と言われたが子の仲綱と共に兵を挙げたが宇治・平等院で治承4
年のこの日に父子で自刃した。77歳だった。今も平等院の境内に墓地があり、毎年法要があると言う。

その後6/2には清盛が平安京は危険として福原遷都を始める。さてこの日の方位の前後には室生村・大野寺(真言
宗・慈尊院)と逆方位には舞鶴市・金剛院があるが、彼との関連は不明。

★大津事件の判決・・・・・・露国の皇太子が襲われた事件の判決日である。明治24(1891)4/27、長崎に軍艦でニ
コライ2世が来日した。日本にとっては初めて迎える海外の賓客であり、各地で大歓迎となった。

彼は5/11、琵琶湖を周遊し、大津に入って人力車で100人の行列で京都に向う途中、当日警備に当たっていた巡
査の津田三蔵(士族)に斬りかかられた。このため頭を斬られたが一命は取り留めた。政府の要人たちは真っ青にな
り、明治天皇が東京から大津に見舞いに駆けつけた。

大国ロシアを恐れて国内は騒然として「お詫びの印」に自殺する婦人も出た。政府からは裁判について圧力が掛かっ
たが、児玉裁判長は憲法発布二年目であり、この圧力を撥ね退けた。死刑の求刑に対しても彼は5/27日、大津地
裁・大陪審に於いて一般人の傷害(殺人未遂)事件として「無期懲役」の判決を下した。

この処置に対しては国内はもとより海外でも高く評価され、ニコライ2世も納得したと言われる。尚、続く5/29日には
青木外相が辞任した(05年の読売テレビ、「今日は何の日」より一部引用した)。

■07相生ペーロン祭(5月最終土〜日曜日)【兵庫県相生市】

























































5/27  

                   
■09古峯(ふるみね)神社・例祭・・・・・・・・栃木県鹿沼市草久3027で日本武尊(やまとたけるのみこと)を祭る古峯神社 http://
www.furumine-jinjya.jp/ 0289-74-2111では、此の日、五穀豊穣・火除け・災厄消除・開運・海上守護・家内、交通安
全・商売繁盛・身体健全・当病平癒・総ての開運・除災・心願成就の神に対して例祭をする。

此処は日光山開山の祖、勝道上人が男体山に至る前に修行を積んだことから「日光発祥の地」・また祭神の使者が天
狗であることから「天狗の社・天狗の宿」とも呼ばれる。祭神の日本武尊は、第12代景行天皇の皇子で、小碓尊(おうす
のみこと)・倭男具那命(やまとおぐなのみこと)とも呼ばれた。

幼少より心身優れ、西国・熊襲と東国・蝦夷を制し、国家統一に貢献、焼津の原(静岡県)で火難を除いたことから、火
防の神、また走水海(静岡〜千葉間の海)で、海神の怒りを鎮めた。また天狗は修験行者の守護神といわれ、災厄消
除・開運のご利益があるといわれている。

日光全山26院80坊の僧坊達は、勝道上人の修行にあやかって、古峯ヶ原に登山し、深山巴の宿で修行する慣わしで
あったといわれている。境内には、崇敬者から奉納された多数の石灯籠や記念碑が並び、祈祷所の両脇には、2メー
トル以上の大天狗(顔が赤く鼻の長い天狗)・烏天狗(黒いくちばしの天狗)の面がある。

例大祭(古峯祭)は、5月27日で、国家安泰、講中・崇敬者の無事息災・繁栄を祈願する祭りとしてしられ、神社本庁か
らの献幣使や全国の講中・崇敬者の代表が参列し、巫女による浦安の舞、雅楽器による舞楽などが奉納される。
講中は約20¸000、崇敬者は2.000.000人を越えるといわれ、

6月第1土・日曜日の花供峯(はなくのみね)は日光と古峯ヶ原間を修行コースにして、日本中から白装束に身を包んだ行
者が集まる。『不滅の聖火』と呼ばれる千年不滅の火が、本堂の土間で今も焚かれている事から防火の御利益で有名
である(以上は、http://www.kaiun-goriyaku.com/09j-003.htm から引用)。

尚、此処には素晴らしい庭園「古峯園」があって、特に紅葉シーズンが人気。
 
★06水郷潮来あやめ祭(〜6月25日)【茨城県潮来市】
■10薪能・・・・・・川崎大師。

●06-07-09小田原・道了尊大祭。
■07-08お吉祭・・・・・・吉明寺(愛知県)。

■近江神宮・鎮火祭。

■06日吉大社・献茶式・・・・・・滋賀・大津市。叡山を開いた最澄が唐から持ち帰った茶を植えたのが始まりと言う。
■10満月祭(うえさく祭り)・・・・・・京都市の鞍馬寺では此の日、夜通し祈る。

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:2gQxMktUfXEJ:www.jp-spiritual.com/kurama2.htm+%E6%
BA%80%E6%9C%88%E7%A5%AD(%E3%81%86%E3%81%88%E3%81%95%E3%81%8F%E7%A5%AD%E3%82%8A)%E9%9E%8D%E9%
A6%AC%E5%AF%BA&cd=4&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

★07相生ペーロン祭・・・・・・・長崎から此処(兵庫県相生市)に江戸時代に伝わり、大正11年から祭りとしている。今は
5月最終土〜日曜日。一隻の船は32人乗。

★日本海大海戦(日露戦争)・・・・・・・世界最強のバルチック艦隊が対馬海峡に向かって来たのに対して、帝国の連合
艦隊司令長官・東郷平八郎が明治38(1905)年5/27、見事に全滅させた輝かしい日である。東洋の新興小国が
白人国家の大国ロシアを破った快挙として世界中の特に有色人種に勇気を与えた。

■07鹿島ガタリンピック【佐賀県鹿島市】
★海軍記念日。
■09糸満ハーレー(旧5月4日)【沖縄県糸満市】





























































5/28  


▲09旧・端午。 
            
■09東郷神社祭・・・・・・・・東京。          
●06-07-08-09横浜・善光寺・身代り不動明王祭。

■大田稲荷・大祭(千葉・市川市・中山法華経寺)。
■07-08不動尊縁日・・・・・・新勝寺(千葉県成田市)。 

曾我神社例祭・・・・・・・・「三大仇討ち」の一つ、曽我兄弟に因む祭り。

仇討ち事件としては日本最古の記録とされるこの事件は、建久4(1193)5/28(U6/28、G7/5)、曾我兄弟がこの日、富
士野で頼朝が狩りをする時に従って来た父の仇・工藤祐経を襲い、彼を殪たおしたが、直後に他の者に斬られたもの
で、兄・十郎22、弟・五郎20歳だった。@

命日はグレゴリオ暦の7/5だった事が分かるが、箱根神社0460-3-7123の曾我神社・例祭はこの日5/28に行われ
る。尚、箱根に於いて、命日方位に祭られているのは五郎が其れまで箱根権現の稚児として修行中の身分であった事
と、またこの時代には此処に寺があったからだ。

祭りとしては1/4に、対極の諏訪神社側で行われた筈であるが、宮城野の諏訪神社の例祭は生憎今は7/15として
いる。次に、場所も正しい表記も不明だが、浄泉寺?と言う所ではこの日が縁日である。

また十郎の愛人(大磯の虎御前)が仇討ちを助けるために天に祈って悲しみの雨を降らせたとする話があり、陰暦5/
28に降る雨を「虎が雨」と言い、また彼女は2人の亡きあと、遺骨を持って善光寺へ行って弔った。其の為か信州では
此の日の雨を「曽我の雨」、または「五郎の涙雨」と言う。

また兄弟の荒御霊を神として浅草寺に祀って、その後、「出開帳」をしている。他方、五郎の孫がやがて時宗の時に大
礒の寺に入って弔ったという。

■07-08-09-10-11(2011年は中止)曽我の傘焼まつり【神奈川県小田原市、城前寺】

06傘焼き法会・・・・・・・・日本三大仇討ちの一つ「曽我兄弟の仇討ち」として語り継がれている曽我十郎と五郎の霊を
慰めるため28日、神奈川県小田原の下曽我・城前寺で行われる「傘焼き法会」が盛大に行われた。200年前から毎年
5月28日に行われている。正午から曽我兄弟、虎御前の追善法要が行われ恒例の唐傘を焼き供養が行われた。

法要には歌舞伎俳優五代目中村翫雀丈(成駒屋)力士の東関部屋高見盛関も來寺され武者行列、稚児行列も盛大に
行われた。墓前で読経のなか、兄弟の仇討ち姿をした幼児二人がたいまつで傘に火を点け、燃え上がる炎の周りを、
経を唱えながら僧が何回も回り、傘焼きがクライマックスになる。

以上はhttp://news.livedoor.com/article/detail/2017641/(ライブドア・ニュース)

★京都・城南宮・流鏑馬(やぶさめ)・・・・・・「八方治め」の事。つまり祭りの前に壇の四方、八方を清める神事だった。
それに対して馬駆けによって騎射で撃つ神事を流鏑馬と言う。1096年、白河上皇が鳥羽離宮に武者を集めて楽しん
だ。この由来を持つ京都・城南宮では05年5月28日に800年ぶりに復活させた。

其れを支えるのは全国の流鏑馬愛好家(倭式弓馬会=東京都)たちと言われる。臨時の馬場は約180m。約800人
の観衆で人気は上々とか。良かったですなー。

■在原の業平の命日・・・・・・不退寺で業平忌(開山忌)。詳しくは奈良市観光センター0742-22-3900 
業平は平城天皇の皇子の阿保親王の5子。文武を兼ね弦歌を善くした父に習って歌人となり、在原朝臣・中将。兄の
行平に比べて政治的には不遇の中、古今集の六歌仙の筆頭となった。@

他方、松原市の市役所は昔の阿保村であるが、此処は平城天皇の命日(51歳崩御)が7/7であり、従って平安京か
ら其の日の方位に当たるこの地を選定して宮を移した事になる。此処は父・平城天皇の為に業平が広大な別荘を造営
した所であり、此処から後に阿保連人麻呂と言う国人も出ている。@

但しこの暦日は旧暦ではなくて方位で合致するのはユリウス暦の5/24に近い和暦だったと分かる。旧暦とすれば4
/12であった。

■07-08業平忌・・・・・・十輪寺(京都市右京区)は業平が晩年に隠棲の寺といわれ、珍らしい三絃法要を行う。
■07-08業平忌・・・・・・不退寺(奈良市法蓮町)。 此の寺の伝によれば、此処は平城天皇の昔に萱御所だった。三代
実録などによれば、系譜は平城天皇--阿保親王--在原業平となる。命日は各々7/7---10/22---5/28となる。

平城京の大極殿跡から見て、此の寺の方位は3/9日の暦方位になる。なので生憎824/7/7の命日の逆方位に合致す
る訳ではないが、ともあれ平城天皇の萱御所跡と言う経緯から此の寺が仁明天皇の勅願所ともなった。其れに対して
皇子の阿保親王は大阪・松原市の阿保で父(平城天皇)を居着き祀った。

ただ阿保親王は平城京からではなくて平安京の旧・大極殿跡から父の命日方位に向かった事になり、其処に今の阿
保神社-松原市役所がある。しかし平安京から7/9-10日方位なので3日の誤差となる。さて親王の第5子の業平は歌人
として此の地(萱御所)に留まり、母・薬子の乱により天皇になれなかった父・親王の像を祀って菩提を弔った。

其れが此の寺の転法輪不退寺と言う、彼の無念の思いが感じられる寺号である。また此の寺には彼の宝(舎利)塔が
あり、また寺の北(山手)に伝・在原業平墓とする大きな五輪塔がある。室町期のものと思われるが、本体は御影石、一
部は砂岩、基礎は玄武岩で補修されている。

因みに筆者も08/5/14日に初参拝した所、其の夜にNHK総合TVで廃仏毀釈の寺院として此の荒れ寺が紹介された。
また阿保親王には音人、仲平蔵人、行平、兼見、行慶(僧都)、女子、守平蔵人などの子がいた。因みに08/8/23日の
船曳氏のお話によれば、初代松原市長が中平氏であり、中平が松原の地を引き継いだものと推定出来るとの事。

また音人は菅原氏となり、また業平が不退寺を残した。所で西吉野の和田方面にも業平の遺跡が散在する。先ず、天
川村の光遍寺と天河弁財天社との間にある在原業平朝臣墓。次に同村和田にある伊波多神社(10/15日を参照)の西
前氏がもう一つの遺跡の関係者の一人である。

08年の旧暦の七夕(西暦の立秋)の夕べに、天川の畔の秘境にある伊波多神社に突然訪れた筆者の前に突然出現さ
れた彼が、「此の近くに業平の関係遺跡があるのでは?」との筆者の質問に対して、いみじくも伊勢物語で業平が詠ん
だ一句を口ずさんだ。

「狩くらし棚機つ女に宿からん 天の川原にわれはきにけり」と謳った和歌をである。その歌は、正に此処・天川の事だ
ったろう、と。

確かに方位から見ても何れも松原市から5/28日方位になるので、此の辺りの遺跡は事実であると思われる。
さて更に、業平の他の兄弟の一人が阿保本家として松原から10/22方位に向かったと思われる。

其の先には例えば、松原市阿保---神戸市---小野市---山崎町(皇都?)があり、先の船引氏によれば松原は中平(推
定)、次いで山崎方面には旧家のアボ家がある。姫路市にも阿保の地名があるが、此の流から見れば、山崎町の分家
になるものと推定する(10/28「阿保親王」を参照)。

所で先の彼の命日に戻れば、 元慶4年5月28日(ユリウス暦880年7月9日グレゴリオ暦の7月13日ともなる)。しかし、方
位から見ればそんな西暦とは無関係の今の5/28日に合致する事が下記の十輪寺との方位で確定する。

彼は実は先の不退寺(奈良市法蓮町)で亡くなった。この為、其の傍に葬られて墓石が残され、其の逆方位の十輪寺で
鎮魂された事が分るのです。因みに下記によれば、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E8%BC%AA%E5%AF%BA_(%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82)
十輪寺は、京都市西京区大原野小塩町にある天台宗の寺院。山号は小塩山、本尊は延命地蔵菩薩。

この寺の創建は不詳だが、文徳天皇の皇后藤原明子が安産を祈願した寺と伝えられ、また、在原業平がこの寺に隠
棲したと伝えられ、「業平寺(なりひらでら)」とも称される(以上引用)。

▲滝谷不動・春の大祭・・・・・・・紫灯護摩供と山伏行列。大阪・富田林市。
▲月輪寺の縁日・・・・・・・真言宗。河内長野市・三日市町。

■09お田植祭【愛媛県今治市大三島町、大山祇神社】

▲八坂寺のライン・・・・・・・・伊予・松山の八坂寺と松山城との位置関係であり、今は縁日ではない。だが地図で見る限
り、松山城は山の上の前方後円墳に見える。今も其処には天守閣が建っているが、其処から長く伸びる道が全日空ホ
テルに向かっている。其処から更に先には八坂寺が位置する。@

こ先の熊野山・八坂寺と須賀山・円明寺は真言宗別派だが、御本尊が共に阿弥陀如来で四国88ヶ所の各々47番と5
3番札所である。特に高台に立つ八坂寺(妙見院)は元は八王寺と言われた大寺院で、修験道の根本道場として栄え
たと言われる。

●06-07-08-09福岡・筥崎宮さつき大祭。

鹿島ガタリンピック【佐賀県鹿島市】

★日本海大海戦(日露戦争)洋上慰霊祭・・・・・・・日本海海戦から100年目を迎えた2005年のこの日、対馬沖では洋上追悼式が行われ
た。東郷司令長官の曾孫やバルチック艦隊の提督の縁者ら関係者約1600人が参加。海上自衛艦三隻に分乗して海に花束や供物を投入れて日露双方の
戦死者約4700人を慰霊した。

★09糸満ハーレー(旧5月4日)【沖縄県糸満市】




































陰暦5/28 
        
▲この日に降る雨を「虎が雨」と言い、信州では「曽我の雨」、または「五郎の涙雨」とも言う。

▲曾我兄弟の郷里との方位・・・・・・・・曽我兄弟の郷里は東伊豆の河津町である。此の町の谷津には谷津八幡宮があ
り、兄弟が父・河津三郎と共に祭られていて11/14〜15が例祭である。因みに此の例祭では相撲が行われるが、今
の相撲の48手の内の「河津掛け」は河津三郎が編み出したと言われる。

また近くに「館の内」の地名があるが、其処が河津氏の居館跡と言われる。此処でかの北条政子と北条時政の夫人も
生まれたと言われ、曽我兄弟も此処で生まれている。兄弟は河津氏の子供だった。母が三郎と死別後に曽我氏と再婚
した。よって兄弟は曽我氏として元服したので曽我を名乗った訳である。@

其の誰かは箱根権現のヒジリがこの兵法を教えたものと言うよりも、政子の力で当代随一のヒジリ(軍師)・大江の廣元
(明法博士)辺りが手を貸したものであろう。とすれば兄弟の悲願が見事に成就して当然である。

▲曾我どんの傘焼き・・・・・・・・古くは「川祓え」の行事だったが、やがて曾我兄弟が松明の代わりに傘を焼いて敵陣に
飛び込んで、首尾よく父・河津三郎の仇・工藤祐経を討ち取った、と言う故事から「傘焼きの祭り」となったと言われる。
鹿児島では、旧暦の5/24に揖宿郡、28日には加世田市の竹田神社前の川べりで火祭りがある。









































5/29  

            
■10-11鹿沼さつき祭り(〜6月7日:5月下旬〜6月上旬)【栃木県鹿沼市】
■09白桜忌(ハクオウキ)・覚応寺・・・・・・堺市。文人・与謝野晶子を偲んで献歌・短歌の朗詠など。

★10-11相生ペーロン祭(〜30日:5月最終土〜日曜日)【兵庫県相生市】(花火・パレード等中止 ペーロン競漕は開催)

▲11鹿島ガタリンピック(5月下旬の潮位が安定する日)【佐賀県鹿島市】


















































      
5/30  


■09鹿沼さつき祭り(〜6月8日)【栃木県鹿沼市】               
■07水郷潮来あやめ祭(〜6月28日)【茨城県潮来市】

■10八日市・大凧まつり・・・・・・・・・滋賀県東近江市、愛知川八千代橋下流で、100畳敷きの大凧(縦横13-12m)を100
人余りの引き手で揚げる。国の無形民俗文化財。

■09相生ペーロン祭(〜31日:5月最終土〜日曜日)【兵庫県相生市】

■06糸満ハーレー【沖縄県糸満市】













































































5/31  


▼盛岡・チャグチャグ馬コ・・・・・・駒形神社。田村麿の伝説も有る。元は旧暦5/5(端午の節句)に約10kmの道を約70頭の馬が盛岡八幡宮まで
人と馬とが和やかに行進した。今年は6/10
■08鹿沼さつき祭り(〜6月9日)【栃木県鹿沼市】

■08あやめ祭(〜6月29日)【千葉県佐原市、水生植物園】

■神奈川・寒川神社・国府祭・・・・・・国府祭を「こうのまち」と読む。昔は旧暦5/5に行ったので端午祭、御霊会とし、粽を神供とした。神輿は六所
神社に渡御し、続いて二ノ宮、三ノ宮、四ノ宮、五ノ宮の神輿が此れに従う。この後、惣社たる六所神社に奉迎使が出向き、惣社神が神集山に向かい、五社の
神輿と大矢場で祭典を行う。今は6/20頃。

■07富山・日枝神社・山王祭・・・・・・400年前からの春祭り。神輿が巡幸し、凡そ900軒の露店が並ぶ。
★0925「あづち信長まつり」・・・・・・・滋賀県、JR安土駅から安土城跡を会場として信長公の命日に近い祝日5月31日
(日)に開催。

■07当麻寺・本尊マンダラ写し・・・・・・・・奈良県葛城市。
天河大辨財天社・おんだ祭(お田植え神事)・・・・・奈良県奥地の弥山奥宮の当社で5月末-6月始の予定。午前10時 

●方違神社・粽(ちまき)祭・・・・・・大阪・堺市。

■09和歌山・有田川鵜飼・・・・・・・・・今夕から9月上旬まで。

■08年5月31日(土)雨天時翌日、午前10時から午後4時。場所 姫路城周辺。●ザ 祭り屋台in姫路・・・・・・世界文
化遺産姫路城と、「祭り屋台」(太鼓台とも言われる約2tの担ぎ型の囃子屋台)の競演を広く観光客に披露しようと平成
16年からはじまったイベント、本年で5年目となり最終回を迎える。投稿者名:ザ 祭り屋台in姫路。

問合せ ザ 祭り屋台in姫路実行委員会事務局 079-287-3659  http://www.himeji-cci.or.jp/yatai/

▼06大山祇神社お田植祭(一人相撲)(旧暦五月五日端午)・・・・・・・【愛媛県越智郡大三島町、大山祇神社】恒例の
「一人相撲の奉納」神事がある。05年は直前に山火事に見舞われた。山の力がなくなっているのか、其れともお清め
だったのか。

★06-07-08-09世界禁煙デー。











































6 月 以下は次ページへ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆▼☆★

■「神々の歳時記」の各項目のご理解には「366円暦」が必要です。円暦は別紙の「日読み1」http://toki.mikosi.com/
page044.htmlで公開していますが、其の実物を希望される方は末尾に従ってご請求下さい。

■尚、各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年06-07と追加する形で示していますので、
*開催日等の詳細には主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。

■「神々の歳時記」に記した例は仮説ではなくて、太陽暦に重ねて古式祭による祭政一致を行っていた古からの日本
文化の原理です。其の具体例を今回、公開したものですが、海外への情報流失防止のため、特に「本文」については0
4/11月から「非公開」としました。

■@マークの付いた以下の部分が「非公開」部分です・・・・・・・@マーク以下には「地理・方位の具体例と其の意味や
暦との関係式」などの詳細を隠しています。この隠れた部分の資料をご希望の方は、「メールフォーム」または「掲示
板」からコンタクト下されば実費で郵送します。

■文中に誤記や間違いがありましたら、恐れ入りますが前項の方法で下記まで御一報賜れば幸いです。尚、参考文献
は巻末に記しました。  

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