http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」  p107  (未定稿) 


   神々の歳時記  5月中1   但し方位による
次は
または
トップへ
トップへ
戻る
戻る

●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起
の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版 http://
www.omatsuri.com/link/linkvex.htmlから
及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-5月」より一部引用・転載させて頂きました。

■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記
には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の
詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。

5月・中旬1 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★



5/10 


●09母の日。
■金蛇水神社・花祭り(〜25日、宮城・岩沼市)。    
■09あたご山桜祭り・・・・・・・・・・茨城県笠間市愛宕山0296-72-9222

●06-07-08-09笠間稲荷・お田植祭。
●09東京・下谷神社祭・・・・・・・・・8日から10日。

★07神田明神の例祭・・・・・・・・但し西暦年奇数年の第2日曜周辺、〜15日。東京都千代田区。かつては9/15にあ
り、船の祭りが主だった。其れが将軍上覧の「天下」祭りとして栄え、元禄から山車が主の華麗な三日祭りとなり、其の
山車の高さが9mにもなっていた。

所が明治以後、電線に引っかかって引き出し難くなり、また台風時期と重なって支障を来たした。よって今は二年に一
度の本祭りが5/10〜15に変更され、水天宮から毛槍が先導して108の町を練り歩き、神田神社に大神輿が宮入り
するなど、約200基の神輿が中心の「神田祭」に変化した。神田神社は平家や江戸城との関係が深い。

平家については平の将門(「1/27」を参照)があり、次は安徳天皇を祭る水天宮との関係である。安徳天皇は平家最
後のシンボルであり、以後は船人の守護神となった。だから船祭りは水天宮からスタートしたし、今も 神輿が此処から
スタートする。@

だが岩井「将門まつり」として茨城・岩井市・国王神社などが平将門を例年11/9〜14(04年)頃に祭っている事から
見れば、将門の霊ラインは5/11←→11/12と見る事も出来る。それにしても都内と言う格別変化の多かった地域
で、昔通りの祭日をこうして今に伝えていた事には感服する。

恐らく此処にも明治の改暦押し付けがあった筈であるが、旧暦とは別の和暦を熟知するヒジリがいて、お上の無知を跳
ね返して古式を守り通してくれたのでしょう。だが07年は地元が禁止したのに神輿に悪乗りする輩があった(5/15日も
参照)。世界は広い。ミサイルを担ぐ軍隊、米を担ぐ稲作民、ヤクザを担ぐ田舎の祭りと様々である。

東京神田の場合は、地元で禁止したが刺青をつけた余所者が割り込んで来て神輿に乗っかったと言う(通談6/3)。

■利根運河の完成・・・・・・今から115年前のこの日に利根運河が出来た。其れまで利根川から東京への船便は関宿
など二点に難所があり、重い米穀を都内に運び込むのに支障が有った。このため茨城県議会議員の広瀬清一郎が呼
びかけて民間の力で運河を造り上げたのです(読売テレビの「今日は何の日」から引用)。

■09村上神社・鵜芸・・・・・・・・・岐阜、高岡。
●08-09岐阜・大垣祭・・・・・・・・・山11台が市内を巡幸する外、八幡神社ではカラクリ人形が見られる。

■高山・奥飛騨温泉祭り・・・・・・・
■09愛知・人形供養・・・・・・・・清州市の清州神社で、人形に花を捧げる。

■02綏靖天皇の命日・・・・・・01神武天皇が神武76/3/11崩御により、御所市のカンス塚に葬られた。其処で次のスイ
ゼイ天皇は逆方位の西に向かい、葛城の高丘宮(御所市・森脇)に遷宮して祭り事を行った。ともあれスイゼイも5/1
0に崩御したので森脇の山麓に葬られた。

今も其の方角を向いた古墳状の地形が残る(だが幕末には別に、畝傍山南にスイゼイ陵と言うのが新設された)。
其処で次のアンネイは御所市・玉手の北、今の茅原に遷宮して鎮魂と祭り事をしたが、やがて12/6に崩御して、その
方位に当たる河合町の大塚山古墳に葬られた。其れに関して記紀では下記のように記している。

02綏靖天皇/神ぬな川耳尊/葛城高丘宮/御陵在・衝田岡也/桃花鳥田丘上陵/桃花鳥田丘上陵//綏靖33/5/10
/前549//別に安寧1(前548)10/11日・・・・とする記事もあるが此れは壽祭りか。ともあれスイゼイも5/10に崩御した
ので森脇の山麓に葬られた。@

片塩は言わばその間の中継基地であった。

■春の献茶祭・・・・・・・・・奈良・春日大社。詳しくは奈良市観光センター0742-22-3900 

■09七十五膳祭・・・・・・・・・・・岡山市、吉備津神社。

■小野神社・御田植祭。


●06-07-08-09愛鳥週間・・・・・・・・16日まで。
★09看護週間。



































































5/11  

               
●08母の日。
■玉川公園水仙まつり(北海道・北檜山町)。
■09函館・護国神社祭・・・・・・・・・・ 

■09山形・護国神社祭・・・・・・・・・・ 

■東京・外神田の神田明神の例祭、二日目。      
■08東京・下谷神社祭。09二日目。 
■長崎神社・獅子舞(東京・豊島区)。

■例年-長良川の鵜飼開き(〜10月15日)【岐阜市、長良川】
■07-08五月満祭・・・・・・鞍馬寺(京都市左京区)。
★08京都・松尾大社・還幸祭(嵐山船渡御)・・・・・解説は5/13日を参照。
   
■例年-興福寺御薪能・・・・・奈良市登大路町の興福寺・春日大社で5月11日〜12日。詳しくは奈良市観光センター
0742-22-3900 

■武市瑞山の切腹・・・・・・慶応元年(1865)閏5月11日に、土佐藩は、獄中にあった武市瑞山を、切腹刑に処す。切
腹理由は、ご隠居様(容堂)に対する、不敬罪であった。瑞山は、腹を三文字に切り、果てる。瑞山に続いて、岡本次
郎・久松喜代馬・村田忠三郎の、元土佐勤王党員も、斬首される。

また、京都にて捕縛された岡田以蔵の罪が最も重く、「無宿者鉄蔵」と入墨され、斬首のうえ、梟首とされる。以上はメ
ルマガ【1日1分歴史新聞】 戦国武将・幕末志士が今日甦る!なっとく歴史館 →  http://1rekisi.jpより引用。

★s14/5/11ノモンハン事件。












































































5/12 


■08-09-10-11愛宕神社祭・・・・・・・・・檜枝岐歌舞伎(愛宕神祭礼奉納歌舞伎)。福島県檜枝岐村の愛宕神社で。
■09常盤(ときわ)神社祭・・・・・・・・・・・茨城、水戸。
■07-08念仏手踊・・・・・・鶴川薬師堂(東京都町田市)。

日蓮上人伊東法難会(日蓮宗)。 
■07岐阜・大垣祭。

賀茂・御蔭祭(御生神事)・・・・京都市。二日後の葵祭りの主神様をこの日に両社で各々神山や御陰神社まで行列し
てミアレ(お迎え)に出る祭り。下鴨神社の御陰祭の場合は糺ただすの森で行列を止めて倭琴・ひちりき・笛を奏し、響き
に合わせて6人の男性が舞う。この「東遊び」は神と人とが対話をする瞬間であると言われる。

天河大辨財天社・・・・・・奈良県奥地の弥山奥宮大祭-5月12-13日 予定。一泊二日。 

源 行家の命日・・・・・頼朝と義経の叔父。後白河法皇の妹・八条女院の下で働いていた。やがて熊野に隠れて新
宮十郎義盛を名乗り、修験者の姿で以仁王の平氏征討の令旨を持って源氏の蜂起を促した(荒法師を参照)。弁慶も
単に一僧兵ではなく、貴族をも凌ぐ強大な権力者の御曹司だったろう。

源行家は後に敗れて和泉に走り、紀伊名草に逃れて兵権は頼朝に帰したが頼朝には従わず、義経に従って京都にあ
って西海を目指したが大風に阻まれて引き返し、和泉に隠れたが捕らえられて赤井河原に斬られ、首は鎌倉に送られ
た。

■07-08練供養・・・・・・太山寺(神戸市)で二十五菩薩来迎会、稚児行列がある。 
■07神戸まつり【兵庫県神戸市中央区】

秦川勝の命日か・・・・・・・兵庫県赤穂市坂越(さごし)の生島の古墳と大避神社(10/8日の赤穂市坂越を参照)、そして
子孫の秦造内麿が川勝の為の菩提寺とした相生市矢野町三濃山の三野山観音・求福教寺もある。 

●09海上保安庁の日。
●06-07-08-09看護の日。












































































5/13   
       

■07母の日。
■07東京・下谷神社祭。

■07-09熱田神宮・御衣祭。
■近江神宮・春季・破備貴井大祭。

菅大臣神社・例祭(献茶式)・・・・・・・京都市下京区。菅原道真の屋敷跡と伝わる菅大臣神社で彼を偲んで5/13-14
に行われる。13日は山伏が法螺貝を吹いてお練り。次に山伏問答、最後に護摩の奉納。14日は狂言奉納と茶会があ
る。因みに愛知県春日井市にも菅大臣町があるが関係は不明。

★07京都・松尾大社・還幸祭(嵐山船渡御)・・・・・松尾の猛神。ご祭神は大山くひ神ほか1座。秦氏に縁の大社であ
る。神幸祭・通称「おいで」は4月第一日曜日、其れから3週間目の日曜日に還幸祭。松尾大社から4〜6基の神輿と唐
櫃が桂川を渡って氏子地域を巡行して西七条お旅所に止まり、やがて本日の還幸祭には大社に戻る。

当社は筑紫宗像の中都大神(市杵嶋姫)を此の地(日尾崎)に秦忌寸都理が祭った。山上に今も岩倉がある。大宝元
年701/3/3の事であり、丙子とすればU4/15に当る。平安京が出来てから歴代天皇の行幸が続いた。

大山咋くひ神とは「山を裂き、山を食う」と言う意味の名であり、大年神と天知迦流美豆比売との間に生まれた。近江の
日枝山(叡山)の葛野の松尾に鎮座して鳴鏑を用つ神として別名「山末之大主神」とも呼ばれた。松尾大社から叡山
(848.3m)は2/22.5日方位にあり、其の途中に西から梅宮大社--烏丸(旧内裏)--下鴨神社--が並んでいる。

但し昔は3月中卯日に出御、4月上酉日に祭礼だった。大社と今も残る御旅所の位置が生憎4/15ではなくて4/7.5日の
方位を示している。暦は無論和式太陽暦だった。神輿は松尾七社が桂離宮の東から船で渡り、衣手社神輿は衣手社
(西京極郡町)に、三宮社は川勝寺三宮社(西京極北裏町)に、他は西七条(南中野町)御旅所に着御する。@

08年は5/11日。

★10-11神戸まつり(〜15日:例年5月第3金曜〜日曜日)【兵庫県神戸市】動画http://www.omatsuri.com/movie/kobe.
html

■例年-出雲大社大祭礼(〜16日)【島根県出雲市、出雲大社】
■07-08崇福寺関帝祭・・・・・・崇福寺(長崎市鍛冶屋町)。
 
★ファチマの祭り・・・・・・90年前に聖母マリアの預言がファチマの三人姉妹に降りた。以来、毎年同日次の預言があ
る事を期待して凡そ100万人が集まる。

































































5/14 


■06母の日。
■10三社祭(〜16日:5月第3金曜〜日曜日)【東京都台東区、浅草神社】
■10黒船祭(〜16日:5月第3土曜と前後)【静岡県下田市】

■城端曳山祭り【富山県東砺波郡城端町、城端神明宮】・・・・・・07年は5/4〜5日。
■06-07諏訪大社・上社本宮の大国主命社・例祭・・・・・余談になるが、上社本宮は武田勝頼が陣を敷いた所とも言わ
れる。

■伊勢神宮「風日の祈み祭」及び滝原宮月並み祭・・・・・・・・・ 伊勢神宮と伊勢の大宮町・滝原の宮で同日夕方から行
われる。この祭りは一般には全く知られていないが、実は古来、伊勢神宮「最大の祭り」であり、神祭が同時に行
われる(翌日の「葵祭り」を参照)。

御上神社の例祭?・・・・・・・滋賀県野洲町で孝霊天皇の時代から三上山に天之御影命を祭って来た御上神社でこ
の日に行われる。本社と若宮神社は共に鎌倉時代の仏堂様式の建物で国宝である。傍らにある三上山は別名、近江
富士とも讃えられる山だが、俵藤太がムカデ退治をしたと言う伝説でも知られる。

序でながらムカデ退治に由来する寺としては別の、瀬田の唐橋の守り寺・雲住寺077−545−0234に於いて毎年1
0月の第3日曜日に「ムカデ供養」として行われる。さて、例祭日と方位に関しては三上山よりも寧ろ、当社と若宮の位
置関係に示されている。

しかも此処では、この例祭に対して逆の時期の11/14には秋季古例祭があり、芋茎で造った神輿六基を氏子から献
じると言う古式の珍しい祭りがあり、此れを「随喜祭り」と称する。

日吉大社の縁日・・・・・滋賀県坂本の日吉大社の例祭(山王祭)は乾元2(1302)に始まったとされるが、琵琶湖を隔て
た草津市には神代から続くと思われる子守神社があり、叡山の横川地区との方位は5/14.5日である。横川には大
山クヒ神を祭る西本宮があったが、最澄以後、下坂本に下ろされて天台宗に隷属させられた。

さて横川の奥には京都大原に梅宮神社、次に横川恵心院、倉園神社、大弁才天社、そして琵琶湖を挟んで草津市に
子守神社、稲荷神社、新宮神社、そして牟礼山(221.3m)と並んでおり、このラインが5/14.5日である。また其れ
に並行するように同じラインがある。

西本宮の奥に八王子山が有って、其れとは別に南部の山、そして北部の山があり、其の山形の頭が今の暦日にして5
/6、5/14、5/25を指している。此れを旧暦にすれば各々4/8壬申、4/16庚辰、4/27辛卯である。よって古
来此処では旧暦4/12〜15日を例祭日として来た。

其れを西暦になっても数字だけ踏襲して今も4/14に行っているが、本来は西暦にしてこの日(5/14前後)だった事
が分かる。@

★06京都・松尾大社・還幸祭・・・・・松尾の猛神。ご祭神は大山くひ神ほか1座。秦氏に縁の大社である。「大山くひ」と
は「山を食う」意味。太古、隣接の亀岡には大きな湖があって、人が住めなかった。其の水を流すために山を切って保
津川として京都に流して大きな盆地を造った神名と言う。

神幸祭・通称「おいで」は4月第1日曜日、其れから3週間目の日曜日に還幸祭。松尾大社から4〜6基の神輿と唐櫃が
桂川を渡って氏子地域を巡行して西七条お旅所に止まり、本日の還幸祭には大社に戻る。

但し昔は3月中卯日に出御、4月上酉日に祭礼だった。大社と今も残る御旅所の位置が其の暦・方位を明示している。
暦は無論和式太陽暦だった。因みに08年は5/11日。

■06-07-08-09当麻寺中将姫練供養・・・・・・・・中将姫練供養会式は、奈良県かつらぎ市(当麻町)の当麻寺で行われ
る聖衆来迎練供養会式。中将姫の浄土往生に擬して行われる二十五菩薩練供養。 この寺は昔から不変ではなく、創
建時は二上山の西(河内・太子町)にあったが、天武10年に奈良側に移動した。

本堂も昔は南向きの寺だったが中将姫の後に東向きになったと言われる。さてこの会式は夕方から始まり、観音菩薩 
を先頭にして25菩薩が合掌しながら練り歩く。約千年の歴史を持つが、昔は旧暦の3/14の伝統行事だった(今は当
麻寺のほか、有田市の得生寺でも毎年のこの日に固定して行われる)。

尚、太子町の南に位置する五条市の恋野にも彼女の伝説が伝わる。其の外、寝屋川市にも字は違うが太間町があ
り、其処から当麻寺を通って五条市の山田に直線を引けば6/6方位になります。

■07-08中将姫来迎大会式・・・・・・和歌山・有田市の得生寺で。

■天神崎のライン・・・・・ また例えば南紀の南部町には常福寺・日吉神社があり、其処から見てこの日11/13.5←
→5/14の方位には天神崎がある。其の間には元島に元島神社、そして天神崎の先には途中島や神楽島があり、其
の先に神島があり、対岸の内之浦には山祇神社がある。

其の先は塩津山(516m)から黒島弁天と戎島の間を抜けて太平洋に出る。と言う事は天神とは日吉神か、それとも
大山祇神なのか。弁天か戎神なのか。今となっては何れの神社・主祭神・由緒・例祭日も不祥なので拙速に断を下せ
ないが、何れにせよ、こうした列島は自然の島列ではなくて人為的な造島配置かも知れない。

因みにこのラインの天神崎は熊楠縁りの天然記念物の宝庫であり、近くには白浜温泉もある。其れに例えば逆の11
/13.5方位に進んでも何故か名勝地が多いから不思議である。例えば淡路島の水仙郷、五色浜と慶野松原、其れ
に家島の桂島と松島があり、其の先は岡山・津山市に至る。此処には衆楽園があり、日吉神社も有るのです。

つまりこのラインは神の道として人為的に守って来たものと解釈できそうである。何故そうなっているのかは不明である
が、ニギハヤヒが先ず痕跡を残し、次は高倉下命が神武天皇を案内し、次に熊野修験の役行者が鴨氏の氏人として
ニギハヤヒと高鴨明神を神変大菩薩とした。

其の後の熊野は平家水軍の拠点となり、後に紀州藩も保全に貢献した事だろう。日吉大社のご祭神は大山クヒ神とさ
れているが、実はこの日の方位は鴨氏の神・ニギハヤヒ尊の迎え日に重なる。とすれば、神社名や祭日や祭りの場や
呼び名等が全て違っていても京都・葵祭りと同じ祭りと判る。

それにしても昔通りの祭日を方位で今に伝えていた事には感服する。恐らく此処にも明治の改暦押し付けがあった筈
であるが、旧暦とは別の和暦を熟知するヒジリがいてお上の無知を跳ね返し、古式を守り通してくれたのでしょう。

さて近江の日吉大社では4/12から午の神事があり、14日には船渡御、神幸祭を行うが、岐阜・高山市では4/14
に山王祭を行い、福岡・英彦山でも4/14に神幸祭をするのに対して、東京では現在、6/14〜16日としてしまった。
残念である。

■10神戸まつり(〜16日:5月第3金曜〜日曜日)【兵庫県神戸市】

■06-07-08-09出雲大社・大祭礼・・・・・・・大国主大神だけを祭る出雲大社の例祭で勅使参向の元、3日間16日まで
行われる。元は三月会と称し、陰暦3/1〜3日まで行われ、中世には「山陰無双の節会、国中第一の神事」と言われた
(今は5/14〜16日まで行われる)。さて其の方位に向かえば、瀬戸内海を越えて香川の金刀比羅宮に至る。

此れは偶然として見過ごすべきなのだろうかろうか。@
そして其の先は剣山(1955m)に至る。近くに剣神社があり、同名の神社は福井県にも有ってスサノヲ命を祭るが、此
処(木屋平村)の剣神社の場合も主神が同じである。そして更に進めば高知県の海部町に出る。

金刀比羅宮の例祭日は10/9〜11日であるから、この日5/14日とは無関係に見えるが暦日の採り方については別
項の10/9〜11日の所で検証する。何れにせよ、出雲大社と金刀比羅宮とが暦・方位の一致で繋がるとは意外であ
る。先に、「出雲大社の例祭は元は三月会と称し、陰暦3/1〜3日まで行われた」と述べた。

其の点、金刀比羅宮は本殿・拝殿・書院・社務所が新暦(円暦・方位)の9/1←→3/2のラインで東西に貫かれてい
る。この点では共通項があるとしても無論ハッキリ結びつく訳ではないが、出雲大社と美保神社との位置関係ではハッ
キリしている(3/1日を参照)。

さて、出雲大社は大国主命を祭るお社として、また、其の対極に当たる金刀比羅宮は航海安全の神と同時に、クンピ
ーラと言うインドの神を祭る象頭山・松尾寺と言う神仏習合の場として有名である。にも拘わらず、両社と両神との関係
となると、此れまで謎だった。特に出雲大社は神代の昔から此処にあったものと信じられているが其れは誤解である。

確かに00(H12)年の発掘調査によって「金輪造営図」に相当の三本の巨大な柱が確認された。でも其れは平安時代
の「雲太」と言われた頃の遺物であろう。今は本殿が24m(8丈)だが、当時は48m(16丈)だった。そしてそれ以前は
此処ではなく、亀岡にあり、其れより前の太古は奈良にあって築杵と呼ばれたのである。@@@

それにしても昔通りの祭日をこうして今に伝えていた事には感服する。恐らく此処にも明治の改暦押し付けがあった筈
であるが、旧暦とは別の和暦を熟知するヒジリがいて、お上の無知を跳ね返して古式を守り通してくれたのでしょう。

■吉備津神社・大祭・・・・・主神として吉備津彦大神を祭る大祭は春秋にあり、春はこの日(今は第2日曜日)、秋は10
/19であるが、新旧暦の違いで本当は5月と11月か(11/19を参照)。
 
■07-08普賢祭・・・・・・普賢寺(山口県光市)の普賢菩薩・大供養。 
★大久保利通が明治11年のこの日に暗殺された。

★信楽高原鉄道事故・・・・・・・H3(91)年のこの日にJR西日本(信楽高原鉄道)で死者44名の犠牲者を出した事故現
場(甲賀市信楽町)で07年は16年目の慰霊祭が有る。

★09種痘記念日。















































5月中旬の日曜日

★08珠光忌・・・・・・・・・・5月中旬の日曜日。称名寺(奈良市菖蒲池町)では茶道の村田珠光の位牌と珠光像を祀って
法要を営む。境内で盛大な茶会を催す。







































5/15日 以下、次ページへ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・  ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆

次は
または
トップへ
トップへ
戻る
戻る
TS

パテント・著作権は本会に属します。    「鬼の会」