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http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」  p095 (未定稿)


  神々の歳時記   5月・初  但し方位による

次は
5月上旬
5月上旬
または
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●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起
の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版 http://
www.omatsuri.com/link/linkvex.html お祭り掲示板http://www.matsuri.or.jp/wfx/wforum.cgi

及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-5月」より一部引用・転載させて頂きました。

■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記
には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の
詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。
 
   
5月・初 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★



5/ 1   


メーデー。08八十八夜。

■例年2011年は規模縮小-平泉・春の藤原まつり・・・・・・・岩手県平泉町(岩手県西磐井郡平泉町)中尊寺・毛越寺
で5/1〜5日に時代行列、喜多流の演能、延年の舞、泣き祭、宝物展観などが催される。
動画http://www.omatsuri.com/movie/fujiharu.html

●10岩手北上展勝地さくらまつり・・・・・・・・・4月15日〜5月5日の開催。桜並木をのんびり進む「観光馬車」、北上川
から桜を眺める「観光遊覧船」、夜桜ライトアップ、駅東口と桜並木を結ぶ「渡し舟」、北上川上空を泳ぐ「こいのぼり」、
SL・ラッセル車・緩急車一般公開、おいらん道中/桜並木(雨天時中止)。

観桜茶会/民俗村旧大泉家、民俗芸能公演/民俗村演舞場。
■舟形山神社例祭=梵天ばやい(宮城・大和町)。
■07-08天狗祭・・・・・・弥勒寺(群馬県吉井町)。 

■06-07上杉まつり・・・・・・・・山形県米沢町、上杉神社例年4月29〜5月3日。07年は4月29日(祝)〜5月3日(祝。上杉ま
つりは、藩祖である上杉謙信公を祭神とする上杉神社と、2代景勝公、10代鷹山公を合祀する松岬神社の春の大祭
なんですよ(喜)期間中は、露店がたちならび、多くの人で賑わいます!!

また、上杉謙信公が出陣の度に欠かさず行った儀式を、忠実に再現されるのが見ものですね(嬉)米沢市役所 http:/
/www.city.yonezawa.yamagata.jp/(以上、メルマガ「なっとく歴史館」より転載)。

■07鹿島神宮・御田植祭・流鏑馬神事・・・・・・茨城・鹿島市で13:00から。鹿島神宮社務所0299-82-7730
■08-09-10-11くらやみ祭(2011年は神輿等中止)・・・・・・・・・東京都府中市、大國魂神社で〜6日まで。

■08-09-10-11夜高祭(〜3日)【富山県南砺市】
■10御柱祭(〜6月15日:例年干支の寅年・申年の4月上旬〜5月)【長野県諏訪市・茅野市・下諏訪町】
 動画http://www.omatsuri.com/movie/onbasira.html 御柱祭 

■例年-御車山祭・・・・・・・富山県高岡市。高岡・関野の御車山祭。
動画http://www.omatsuri.com/movie/takaoka.html

■09結城神社祭・・・・・・・・・・三重。
■08-09-10-11ゑんま堂狂言(〜4日)【京都市上京区、引接寺】

■07-08狸谷不動尊春季大祭・・・・・・狸谷不動院(京都市左京区)で5/1〜3日。
■09献氷祭・・・・・・・・奈良市・氷室神社で、製氷業者なども商売繁盛祈願。詳しくは奈良市観光センター0742-22-
3900 

■例年-野崎観音無縁仏法要(野崎まいり)・・・・・・・・【大阪府大東市、野崎観音】(5月1日〜10日)
■07-08万部会・・・・・・大念仏寺(大阪市平野区)で5/1〜5日、二十五菩薩練供養がある。 

潮干狩り・・・・・・・・和歌山市で4月上旬から6月下旬。市観光課073-435-1234

佐賀・有田・陶器市。

▲07中国のメーデー・・・・・・・メーデーとは言わずに労働節と言う。此の日から1週間の大型連休(黄金週間)となる。政
府は00年までに、春節、労働節、国慶節(10/1日)を休暇とし、各1週間の黄金週間を設けた。此れまでに16億人以上
が旅行し、6700億元(約10兆円)の経済効果があったと推計している(チャイナ・デーリー07/5/1朝日)。

★09日本赤十字社・創立記念日。






















































5/ 2   


●06-07-09八十八夜。  ▲09旧・灌仏会。

■09大津・御船祭・・・・・・茨城県・北茨城市大津町の佐波々地祇(さわわちぎ)神社で5/2日は宵祭り、5/3日が本祭・磯出
祭り。但し、かつては海上を渡御していたが、今は陸地となったので陸上渡御である。五年に一度行われるので2009
(H21)年の次は2014(H26)年。御船祭保存会0293-46-0135

■例年(2011年は中止)-住吉神社青梅大祭・山車巡行・・・・・・東京都青梅市で5/2〜3日。       
■09鉄砲洲・稲荷神社祭・・・・・・・東京都、5日まで。

■小田原北条・五代祭・・・・・・小田原城址公園ほかで5/2〜3日。

■07-08茶祖栄西禅師法要・・・・・・油山寺(静岡県袋井市)。
■09穂高神社・安曇野・大遷宮祭・・・・・・20年に一度の遷宮。穂高人形の展示と稚児行列。以下http://www.j-alps.net
/blog/Event.phpから引用。

5月9日午前3時、5月の寅の日寅の刻に遷座の儀式が執り行われます。この遷宮の歴史は古く、古文書によれば
1483年には既に遷宮制が確立しており、徳川時代に入り20年毎の式年の大遷宮祭とその間2回(7年目、13年目)小遷
宮が行われるようになり、以後連綿として受け継がれてきました。

また、大遷宮祭の奉祝行事として、「穂高人形飾り物」が奉納されます。穂高人形は、古くから郷土に受け継がれてき
た伝統芸能であり、森の樹々を背景に神話・民話・歴史上の様々な名場面が飾りつけられ、大規模で迫力のある人間
絵巻がこの期間展開されます。

日時: 平成21年5月2日(土)〜5月17日(日) 10時〜20時(穂高人形祭り)
会場:  穂高神社 ※入場無料

内容:大遷宮祭特別神事 … 玄海砂持ち行事、清祓(きよはらい)、本殿遷座(せんざ)祭、奉幣(ほうべい祭を開催。
・大遷宮特別正式参拝 … 期間中9時〜17時まで随時斎行。(新拝殿にてお祓いします・1,000円より)

○奉納芸能 ※期間中、舞の奉納などが毎日行われます。15時〜20時まで
○稚児行列(5月5日14時〜雨天6日)※小さな子供が稚児装束をまとい、町を歩きます。その他、お祭り広場では露天
や物産展など所狭しと出展。

近接する御船会館では通常300円を100円で入館いただけるほか、開催期間中には、「YOSAKOI安曇野」による踊りで
期間中の祭りを大いに盛り上げます。

主催: 穂高神社崇敬式年大遷宮祭推進委員会・穂高神社
お問合せ先: 安曇野市産業観光部商工観光課 〒399-8101 長野県安曇野(あずみの)市三郷明盛4810−1
         電話 0263−77−3111 FAX 0263−77−6060
         Eメール  shoukoukankou@city.azumino.nagano.jp 

●諏訪大社・・・・・・御柱の「里曳き」始まる(2004年)。
■10-11伴旗祭(〜3日)【石川県能登町】

■09飛騨・護国神社祭・・・・・・・3日まで。

■例年-垂井曳山祭り(子供歌舞伎)(5月2日〜4日)【岐阜県不破郡垂井町、八重垣神社】
●06-07-08-09飛騨・一宮・水無神社・例祭。
■08-09-10-11知立まつり(〜3日:本祭は隔年開催)【愛知県知立市】

■伊勢・山口祭・・・・・・・・伊勢神宮では20年に一度の式年遷宮のスタートとなる山口祭。八度拝と言う拍手に始まり、神宮の裏山に設けた斎場に神
職たちと一人選ばれた小学男子が此れから物忌みに入る。

■06-07-08-09第45聖武天皇祭・・・・・・東大寺(奈良市雑司町)で聖武天皇の遺徳をしのぶ法要。稚児行列や鏡池で
の舞楽奉納がある。詳しくは奈良市観光センター0742-22-3900 

「祭り」と言っても、この日は命日だから厳密には祭りではなく、大仏殿で法要の後、南大門まで練り歩く。06年は、聖武
天皇の1250年・御遠忌法要である。彼は東大寺を創建して大仏を造立した。だが740年に藤原広嗣の乱が起きた時に
平城京を離れた事等から、優柔不断でひ弱な天皇と見る向きが強い。

藤原氏をバックに、唐の女帝・則天武后を範に朝廷政治を進めた光明皇后の陰に隠れがちだった。だが「聖武天皇の
彷徨5年」を積極的に評価する研究が増えて来た(06/3/15朝日新聞より引用)。

聖武天皇は東大寺を建立した方ですから此の寺で祭りをするのが当然であるものの、本日は実は彼の命日なので祭
りと言うより弔いの法事に当る。彼は平城宮・正殿で天平勝宝8(756)年のこの日崩御。宝算56歳だった。

彼45聖武天皇は首皇子・天璽国押開豊桜彦尊と言われ、平城宮・恭仁宮(山城)・紫香楽宮・難波宮・平城宮と遷宮し、
更に大仏を建立して後に亡くなったが、其れまでの業績を少し謎解きして見る。

彼が生前に転々と遷宮をした意味が謎の為、今では「天皇の気まぐれ」と理解されているからである。其処で先ず平城
宮から山城方面に遷宮した意味については、彼の父・42文武天皇の日迎えの宮とする祭り事だったと謎解きして置く。
文武命日が6/15日なので、逆方位の12/15日方位に向かった。其処が奈良市北部の相楽地区でした。

其の手前に今も右京・朱雀の地名が付けられているのは偶然の新地名かも知れないが、当時に頓宮(相楽宮)が造ら
れたと先ずは推定して置こう。此処までは人の子として当然の先祖祭りの行為でした。ただ今では恭仁宮が山城の木
津との認識があるものの、未だに所在不明である。

此の為いきなり加茂町の国分寺跡まで進んで掘り返しているので更に述べる。彼は平城宮から次に1/18日方位にも
宮を置いた。此の辺りに離宮を置いたのは、彼の生母(文武天皇の皇后・藤原宮子)の為でした。母の命日(745/7/
19)の逆方位に当たるからです。

よって此処に新宮を造って、1/18日には彼女の御魂を迎えて祝うために離宮とした所と理解できる。でも何れも言わば
私的な法事であるからもし即位前であれば尚更、国事行為ではない。彼は次に恭仁宮(山城)、更に紫香楽宮へと遷宮
を試みた。

其の目的は彼(聖武)が先帝・元正天皇から譲位されて即位した日(2/4日)の方角に新宮を遷す事であり、其の吉日
方位に遷宮して理想的な新世界を開こうとした訳です。中でも此の恭仁宮とする所として現在、「山城国分寺跡」の周り
で掘り返していて、06/11/23日には、「回廊の柱跡を確認した」と言うニュースとなった。

目出度い事だが謎解きの半分にも達していないので此処で解説を試みているのですが、更に彼は紫香楽宮へと進ん
だ。此処に世界一の大仏を建立して理想の仏国土を建設する為に、彼は大陸渡来の仏教暦を併用した。その他の理
由としては、聖徳太子に肖る意味もあって此の地を選んだと思われる。

信楽ならば法隆寺からの太子の命日(2/1日)方位にある岩屋観音とも近く、此処から更に信濃の善光寺まで進めば
太子のラインと交差する。実際、多分同じ意味から天武時代には信濃に遷宮を図ったが失敗している。だが同じ原因
から結果として紫香楽宮も度々火災となった(反対勢力の妨害の放火と言われる)。

この為、田上山の木が其の都度伐り出されて一本の木もない裸の禿山にされたと言う(今の私たちが見る田上山は明
治になって一部植林された山である)。暦法や仏教など、渡来文化に頼ろうとした所に問題が有った。ただ平城宮から2
/4日のラインには今でも新宮神社、其の先に「勅旨」の地名が残る。

其の先にある宮町遺跡を近年発掘して「朝堂院跡」と解釈して発表した。此処に向かったのは1/1日で述べた通り、唐
の正月(春節祭)に倣って仏式で立春の月を迎える儀礼をする為でした。だが其れを国祭とする無理が祟って度重なる
火災と地震に遭って断念して、次に彼は「難波宮を皇都とする」と決定した。

其れは先帝・元正天皇の命日(天平20=748/4/21)に関係する国事行為とするためでした。命日には東大寺で弔い、
其の逆の時期には逆方位の難波宮で彼女の御魂を迎えて祭る為でした。とすれば、此れは正式な国祭である。この為
に大仏が設定されたと本書は解説(4/21を参照)して来た。

当時、聖武天皇は、南大門、中門、金堂(大仏殿)、講堂が南北方向に一直線に並ぶようにした。また講堂の北側には
東・北・西に「コ」の字形に並ぶ僧房(僧の居所)、僧房の東には食堂(じきどう)を造り、南大門-中門間の左右には東西2
基の七重塔(高さ約100メートル推定)を回廊で囲むように建てた。

ただ仏教で祭るためには仏教暦・旧暦でなければ意味がないと考えたに違いない。よって其の日を4/21日=旧暦3/19
己巳とした。この為、難波宮と大仏殿が今でも地図上からも確認できる通り、9/18日←→3/19日の方位で設定されて
いる。其の祭り事をするために彼は再び平城宮に戻った訳です。

以上から彼は決して「気まぐれ」で二転三転の遷宮を繰り返したのではなくて、ヒジリとしての祭り事を仏式で忠実に遂
行しようとした方であり、よって後に「聖武」と漢風追号されたものと推量する。だが其の彼もやがて崩御した。其処で次
の孝謙天皇は七大寺で読経させ、文武百官には白の喪服を着せて朝に夕に挙哀(こあい)を行なった。

陵に関しては続日本紀と延喜式には彼を「佐保村、佐保山の南陵に葬る」とある。命日は天平勝宝8/5/2乙卯であ
る。此の祭りが仏事・法事である以上、当時は仏教暦で行なったのかどうか、について次に宮-寺-陵の位置関係から
吟味する。其の5/2日と言う暦日を仮に旧暦とすれば、ユリウス暦では6/4になる。

だが其の方向には目ぼしい遺跡が無い。よって此の日は和暦(ユリウス暦に近い)と推定する。平城宮から其の5/2日
の方位を見る。そうすると11/1---5/2のラインには西から伝・称徳天皇・高野陵--佐紀(釣殿)神社--平城宮--旧・陸
軍墓地・福祉センター・仔鹿苑に至るので、高野陵と陸軍墓地が何れも彼に関する陵の可能性が強い。

ただ前者は築造方位が称徳天皇の命日に当るので彼女の陵に関係する所と認識すべきです。とすれば後者が彼の
陵であるのか。ただ此れも築造方位が5/2方位ではなくて、東西に伸びているので別人の墓地となる。但し、この5/2日
を極く一般的に旧暦と見て其れをユリウス暦に換算すれば756/5/2=3/29壬午日となる。

そうすると東西に伸びた形でも説明が付く。ただ「此の部分に限って仏教暦に従って葬った」と言う和唐折衷説とするに
は論理的に少し無理がある。では次の東大寺との関係ではどうなるか。東大寺の11/1---5/2のラインには西から、佐
保台第一号緑地--光雲寺--東大寺・大仏殿--東大寺の東塔跡がある。

この内、幾つかについては関連性が認められるものの、彼の墳墓と言うには不十分である。其処でまた平城宮に戻
り、ユリウス暦で見直す。平城宮を軸にした9/26.5---3/29壬午の方位には一体何があるのか。此れは東西線であり、
平城宮と東大寺がある。そうすると意外にも東大寺の西端が彼の陵だったと判明する。

此処は今も古墳状の丘であり、しかも戒壇院・戒壇堂と言う最も重要な場を設えた聖域である。とすれば春3/29壬午日
には此処(墳墓)で弔い、其の先の観音院と手向山八幡宮に御魂を送った(手向けた)。そして逆の秋の9/26日の晩に
は、此処から西の平城宮に向いて日迎えの祭りを行ったものと分かる。

しかも其の先の西大寺・本堂でも同じように西の夕陽に向かって極楽浄土から御魂迎えの祭りをした事が分かる。此
の為に称徳天皇が勅願により天平神護元(765)年に西大寺が建った。ただそうすると今、彼の陵として治定されている
古墳はどうなるのか。

此処は実は東大寺・大仏殿との方位が10/19.5---4/20.5日なので生憎、彼ではなくて先帝の元正天皇の陵(4/21を参
照)と分かるのですが、実は筆者も中々分からず、このページにも此れまで見当違いの事を述べて来た。原因はこの
当時、和式と仏式の暦を併用した為に、実に複雑にしてしまった為です。

ただ伝承は有り難い。此処もまた、「先の人を祭った、後の方の人の名前だけが記憶に残って伝承されたケース」の1
つと言えるので、伝承は軽視出来ない。いや125代の天皇の中で、1代のズレで当っていた事は、62.5%の的中率で当
っていた事になるのですから数万基の古墳を破壊して何も分からなかった考古学の比ではない。

考古学よりも伝承の方がより確かであると分かる。兎に角、治定の伝・聖武天皇陵は彼の陵ではなくて先帝(4/21元正
を参照)の陵だった。其れに対して彼の陵は戒壇院の丘と判明した。

彼は先帝(元正)の為に墳墓を造って即位した。のみならず此の日本を理想的な仏国土にすると言う大義名分によって
先帝の為の大仏造立を国家プロジェクトに仕立てた。当時は近代の様に戦争経済ではなくて、祭りの経済だったから
其れで財政が支えられていた。祭りと言う行事により、公共工事を進めて経済活性化をした事が分かる。

だがマイナス点としては暦法を混乱させた。彼に続く孝謙天皇、及び道鏡(5/17を参照)はこうして神仏習合の原理を
此の時に創り上げた。以来1100年間、神仏混交の時代としたものの、余りに複雑とした為に、今となっては陵の位置を
特定し難くした面も有ると言える。


■大念仏寺の万部お練・・・・・・大阪平野。650年前から続くと言う万部お練。5/2-5/5まで。

■友が島・沖ノ島の方位・・・・・・・修験道の開祖、役行者が法華経28品に従って開いた葛城28宿の第一の地は友が
島であり、其の中心が沖ノ島であり、其処には古墳上の小山(標高120m)があり、其れは略この日の方位を向いてい
る。また其処からこの日の方位に向かえば海南市の藤白神社を通って熊野那智大社に至る。

また逆の11/1.5日方位に進めばは岡山の貴布禰神社に向かう。因みに熊野本宮町では5/3頃に船玉神社祭が
あり、反対の時期の11/3には龍神村で荒島神社祭がある。

■09姫路・護国神社祭。

■岩国・浄福寺の方位・・・・・・・・山口県岩国市の錦帯橋は観光地として有名だが、実は錦帯橋から本日方位に参道
が伸びていて浄福寺に向かう。この寺の住持は現在、山口氏であり、家紋も大内菱で、大内義隆の大内氏直系の末
裔と言われる。所が、逆に11/1日の方位の錦帯橋に向かえば、吉川氏の城山に向かう。

其の途中に吉川家の吉香公園と吉川氏代々を祭った吉香神社があり、その先にロープウェイがあって城山に至るの
だ。吉香神社はこのラインからはズレているが、其れは明治18年に合祀した為だろう。要するに、浄福寺と吉香公園と
は錦帯橋を挟んで対極関係に位置しているのである。

とすれば、詳細は不明だが初代の吉川氏が岩国藩主として此処に祭られ、其の命日と祭りのためのライン(太鼓橋と
参道)と推定できる。

■08-09-10-11しものせき海峡まつり(〜4日:先帝祭は3日)【山口県下関市、赤間神社】
動画http://www.omatsuri.com/movie/sentei.html

赤間神宮の神事・・・・・・・下関市阿弥陀寺町で81安徳天皇を祭る赤間神宮ではこの日に御陵前祭、3日が本殿祭、
そして4日に御神幸祭と、3日間の祭りが行われる。中でも3日の神事には特殊神事がある。これ等は神事と言うより
鎮魂の儀礼である。それに対して凡そ、逆の時期に近い10/7日には「海峡祭」が有り、神楽を奏する。

此れはこの時期に彼の御霊を神霊として迎える祭りとなる。5/3日を参照。
































































             
5/ 3   


祝日:憲法記念日(★極東軍事裁判開始日)。  
■鬼面奉射神事(青森・尾上町・猿賀神社)。
■09岩手・護国神社祭・・・・・・・4日まで。

■08-09-10鬼剣舞【岩手県平泉町、中尊寺】
■春日神社・例大祭(山形・櫛引町)。
      
■鳥海山大物忌神社・例祭・・・・・・・以下、http://www.kaiun-goriyaku.com/06j-001.htm「全国開運・神社仏閣ガイド」
より引用--- 山形県飽海郡遊佐町の鳥海山大物忌神社(ちょうかいさんおおものいみじんじゃ)吹浦口之宮(飽海郡遊
佐町大字吹浦字布倉1)0234-77-2301。ご祭神は大物忌神(おおものいみのかみ)、月読神(つきよみのかみ)。

蔵岡口之宮(飽海郡遊佐町大字上蕨岡字松ヶ岡51)0234-72-2552のご祭神は大物忌神(おおものいみのかみ)。ご
神徳は「厄除け・家内安全」。鳥海山(2¸236m・秋田富士・出羽富士)上に本社本殿・吹浦に吹浦口之宮・蕨岡に
蕨岡口之宮が鎮座する。

祭神は大物忌神で、社伝には欽明天皇25年(約1400年前)鳥海山上に鎮座した神で倉稲魂命(伊勢外宮の豊受大神
と同神)とあり、また倉稲魂命・豊受大神・大忌神・広瀬神の合神ともいわれている。また吹浦口之宮には月読神を合
祀する。

鳥海山は古代日本の北の境界に位置し、異狄に対して神力を放って国家を守り、大物忌神は穢れを清める神でもあ
ると考えられていた。式内名神大社で出羽国一の宮であり、県内の酒田・大物忌神社や米沢・羽黒神社は当社分霊を
祀っている。

中世神仏混合時代には鳥海山大権現と称し、33宿坊を有する等、修験道場として栄えたといわれ、(鳥海山は慈覚大
師がはじめて登ったと伝えられている)歴代天皇の崇敬篤く八幡太郎義家の戦勝祈願、北畠顕信の土地寄進、鎌倉幕
府や庄内藩主の社殿の造修等代々の武将にも篤く崇敬されたという。

中世、当神社は蕨岡の龍頭寺にて社僧奉仕していたが、明治3年(1870)神仏分離に際し大物忌神社と称し、明治13
年には、鳥海山上の祠を本社とし、吹浦・蕨岡の両社をそれぞれ口之宮と定め、昭和30年(1897)鳥海山大物忌神社
と改称し現在に至る。

鳥海山の本殿は、伊勢と同じく20年毎に建て替える式年造営の制になっている。現在の本殿は昭和52年(1978)に造
営。社宝の北条氏雑掌奉書・北畠顕信寄進状・鰐口一口は重要文化財に指定。7月14・15日の、かがり火を焚く『火合
わせ』神事は有名である。例祭は5月3日(吹浦口之宮)・5月7日(蕨岡口之宮)。以上引用。

■07-08-09-10全日本こけしコンクール(〜5日)【宮城県白石市】
■08艸原祭(そうげんさい)(〜6日)【新潟県妙高市】----※妙高高原大かやば焼は5日

■09八溝山祭礼・・・・・・茨城県・大子町の八溝嶺神社・日輪寺0295-77-0576

04-09大津・御船祭・・・・・・茨城県・北茨城市大津町の佐波々地祇(さわわちぎ)神社で5/2日は宵祭り、5/3日が本祭・
磯出祭り。但し、かつては海上を渡御していたが、今は陸地となったので陸上渡御である。五年に一度行われるので
2009(H21)年の次は2014(H26)年。

以下、http://www.geocities.jp/otutyou/「大津町へようこそ」より引用。平成16年度、常陸大津の御船祭。5月2日 宵
祭り。午後1時〜午後9時(神船渡御:午後1時〜午後4時)、5/3日、本祭りは午後77〜午後9時(神船渡御:午後0時
30分〜午後5時)。

佐波波地祇神社の春季例祭山車巡行が5/3日、12:00〜21:00(小雨決行・雨天順延)に行われます。主催は御船祭
世話人会で御船祭保存会、その他の後援です。次にhttp://www.geocities.jp/otutyou/index.html「常陸大津の御船祭」
から大半を引用。

佐波波地祇神社の神祭は天日方奇日方命外五神と伝われており清和帝貞観元年に従五位下を賜り夙に海上守護の
霊徳により近在の信仰を集めていました。次いで54年12月7日、国選択無形民俗文化財『常陸大津の御船祭』として指
定されました。

この祭りは5月2日は宵祭りで午後1時より空船を御囃子を奏でる中に曳かれ午後9時より関係者による『移魂の儀』が
神殿奥深く厳かに執行されます。

翌日(3日)は本祭りで神船に独特の飾りをなし神輿・宮司・水主・御囃子40余名が乗船し約300名の曳手が両弦のゆさ
ぶりの中にソロバンを敷きつめた路上を巨大な神船の姿が左右にゆれながら進む『曳き船の儀』は勇壮そのもであり
祭りは最高潮に達します。昭和49年より5年ごとに船曳祭りを執行する様に決まった。

そして此の大津は野口雨情の縁りの地なので「雨情の里・港まつり 」をしている。---主催/北茨城市・北茨城商工会・
雨情の里港まつり実行委員会(以上引用)。問い合わせは県・物産観光課029-301-3622FAX3629

------とすれば、偶然にも御船祭(5/3日)のほぼ逆(対極)の時期に当たる。では念のため5/3日と11/3日の暦・方位
を見よう。佐波々地祇神社から11/3日方位に向かえば、仏具山(標高671m)---明神山(標高752m)---墓地石山(標
高580m)が略一直線に並んでいるので、佐波々地祇神社の関係先と推定できる。

更に其のラインと佐波々地祇神社を軸足として鍵の手(L字形)に交差するように黒前神社----東金砂神社----西金
砂神社が並んでいて、其の先が九州に達しているのだ。其のラインが暦方位では2/15.5---8/19日のラインであり、例
えば此処から冬至の日の出が上がる方角と略重なる。

なので此処を日立(常陸)とすれば、日没するのが日後しり(肥後)である。つまり此処は太陽観測と霊的ポイントであっ
た。そして先の御祭神である天日方奇日方命について、旧事紀の記述から考察したhttp://www.dai3gen.net/kamo04.
htm「鴨資料04・事代主系図・陶津耳」によって此の神の系列を見たい。

其れによれば、都味歯八重事代主神(鰐と化して)=三島溝杭女活玉依姫---天日方奇日方命(神武朝食国政申大
夫)の事とある。其の天日方奇日方命=櫛御方命----可茂別雷命となっている。八重事代主神の父が大己貴(おおなむ
ち)神であり、其の大己貴(おおなむち)神を祭っているのが両金砂神社である。

従ってこの事は神々の系列と太陽観測との二つの重大な神代からの事実を今に伝えている事になります。詳しくは3/
23日、または8/23日、肥後・幣立神宮を参照。此の幣立神宮も佐波々地祇神社や金砂の大祭礼と同系列の神々を同
様の祭りで継続的に数年毎に盛大に執行している宮である。

■明治神宮・春の大祭(渋谷区)。            
■塩船観音寺・柴灯大護摩供・火渡り修行(東京・青梅市)。
■妙見宮・例大祭(東京・日の出町)。
5月3日
祝日:憲法記念日
■11鬼剣舞【岩手県平泉町、中尊寺】
■11全日本こけしコンクール(〜5日)【宮城県白石市】
(中止:4日まで「白石市こけしと地場産品市」を開催)
■11八尾曳山祭【富山市八尾町、八幡社】

■11横浜みなとまつり(国際仮装行列)【神奈川県横浜市中央区】(中止)
■11小田原北條五代祭り【神奈川県小田原市】

          
■鳥見神社の獅子舞(千葉・印西市)。
■07-08-09-10横浜みなとまつり(国際仮装行列)【神奈川県横浜市中央区】
■09-10小田原北條五代祭り【神奈川県小田原市】

■07-09静岡・富知六所浅間神社祭。
■例年(2011年は中止)-浜松祭り(凧揚げまつり)(〜5日)【静岡県浜松市、市内各地】
動画http://www.omatsuri.com/movie/hamamatu.html

■07-08-09-10八尾曳山祭【富山市、八幡社】・・・・・・富山市(旧・婦負郡八尾町)、八幡社。

■例年-青柏祭(デカ山祭り)・・・・・・・5/3〜5日。石川県七尾市、大地主神社で、高さ12m、重さ20トンのデカ山と呼ば
れる曳山が三台出て、豪快な「辻廻し」を見せ場とする。石川県・七尾市・大地(おおとこ)主神社と市内各所で5/3日に
宵祭り、4日は本祭り、5日は裏祭り。

07年は能登地震の被災地となった直後で祭りの開催が危ぶまれたが、能登を代表する400年の伝統の祭りを守った。
「エーンヤ」の掛け声と木遣唄が町中に響き、期間中10万人の人出があった模様。
動画http://www.omatsuri.com/movie/dekayama.html
 
■例年-鯖江つつじ祭り(〜5日)【福井県鯖江市、西山公園】

■例年-亀崎・潮干祭・・・・・・愛知・半田市は三州瓦や酢の生産地。豪華な山車が見物。5/3〜4日まで。
動画http://www.omatsuri.com/movie/kamezaki.html
●07 「亀崎潮干祭」の動画がネットで配信!投稿者:mokkun さん。

---私の古希と愛知県半田市の「亀崎潮干祭」(例年5月3・4日開催)が国重要無形民俗文化財指定を記念して、ビデ
オ撮影(延べ10時間)、オフィスネオが編集し、この度「日本のまつり」にリンクされ、web-iTV社が動画配信を致しまし
た。是非会員登録(無料)して、ご視聴下さい。http://www.web-i.tv/

この祭は、その昔、祭神である神武天皇東征の折、海からこの地に上陸したとの伝説にちなみ、山車を潮干の浜へ曳
き下ろしたことからこの名がつけられました。祭りの起源は定かではないが、応仁・文明の頃に始まったと伝えられ、
500年の伝統が受け継がれています。

山車は諏訪の匠・立川和四郎、尾張藩彫師・瀬川治助、東京美術学校・竹内久一、半田の新美常次郎(彫常)ら名工
の手による精緻な彫刻で埋め尽くされ、側面と後面は豪華な刺繍幕で飾られています。また各山車の上では精巧なか
らくり人形が舞い踊ります。

古希を迎えた私も今だ現役を貫いていますが海浜曳き下しは命がけです、ハンド綱(山車の転倒を防ぐ重要な役目で
す)を死守して海へ入ります。これが生き甲斐でまだまだ頑張ります(以上、お祭り情報誌「わっしょい!」より引用)。 

■09知立祭・・・・・・愛知。
■08-09-10-11鍋冠祭【滋賀県米原町】

■06-07-08-10伊庭祭(〜5日)・・・・・・・・滋賀県神埼郡能登川町。以下、http://www.biwa.ne.jp/~futamura/sub34.htm
同じくhttp://www.biwa.ne.jp/~futamura/sub34A.htm「伊庭の坂下し祭り」より引用。

滋賀県東近江市能登川町の伊庭(いば)地区で毎年5月初旬に行われる。この坂下し祭りは,800年以上の歴史を持
ち,近江の奇祭の一つに数えられています。此処は佐々木氏の城跡。

33観音の一つ、観音正寺のある繖(きぬがさ)山の山頂にある繖峰三(さんぽうざん)神社から麓の大鳥居まで,角度のきつ
い岩場の斜面を,若者達が3基の「みこし(重量300〜400kg)」を(そりのように)引きずり下ろす神事です。急斜面に
は岩場の断崖絶壁が続いており,途中には高さ2〜3mもの大岩も有り,手に汗握る危険な見せ場が連続しています。

神社と大鳥居との標高差は170mですが距離は約500m有り,しかも難所続きの行程なので,神輿を3基とも下ろす
のに3時間〜4時間かかります(県の無形民族文化財に指定)。因みに昔は4月下旬から5月上旬の辰己の日に行って
いた。まず神輿を上げて、三ノ宮、八王子、二ノ宮の順に絶壁のある坂道を約1キロ下る祭り。 

■09京都・下賀茂神社・流鏑馬・・・・・・・来る15日の葵祭の無事を祈って約300mの参道を駆け抜ける。 
■06-07-08-09京都・伏見稲荷大社・還幸祭。  
■09京都・梅宮大社・祭。  

■08平城(なら)遷都祭・・・・・・奈良市、平城宮跡で「天平行列」など、色んな催しがある。

■07-08大会式(練供養)・・・・・・久米寺(奈良県橿原市)で二十五菩薩の練供養や餅搗きなどがある。
■07-08戸開式・・・・・・修験道のメッカ・大峯山寺(奈良県天川村)で修験道の中心行場・大峯山の山開き。大護魔が
焚かれ、役行者像拝観も許される。

和歌山・北山川観光筏下り・・・・・・・5/3〜9月まで、北山村。観光協会0735-49-2324
和歌山・真田祭・・・・・・・5/3〜5/5日、九度山町。

■09和歌祭・・・・・・・和歌山市の和歌の浦西の紀州東照宮と和歌の浦周辺で、5/3日、11:30から16:00に、紀州藩初代
当主の徳川頼宣が、亡父・家康の慰霊のために始めた例祭が起源とする400年近い歴史を持つ、同宮の春の例大祭
がある。

見所は、同宮の108段の石段を御輿を担いで駆け下りる「御輿おろし」で、その後、武者や着物姿など、江戸時代の衣
装に身を包んだ約千人の市民からなる「渡御(とぎょ)行列」が、技芸を披露しながら町を練り歩く。雨天中止(09/4/21日
の朝日記事より)。

■11花湯祭(〜4日)【鳥取県三朝町】

■09北条・鹿島まつり・・・・・・・・四国松山市で、毎年5月3日・4日。河野水軍の幟や音頭。以下、http://www.city.
matsuyama.ehime.jp/kanko/1179197_1021.htmlから引用する。

北条の春の恒例の祭典「北条鹿島まつり」は、愛媛県指定無形民俗文化財の指定を受けている伝統の「櫂練(かいねり)
踊り」など、勇壮な海の男たちによる海上絵巻が鹿島周辺で繰り広げられるほか、年に一度の「大注連縄(おおしめな
わ)の張替え」も鹿島海上の伊予二見(玉理・寒戸)(ぎょくり・かんど)で行われます。

また、さまざまなイベントも盛りだくさんです。観光産業振興課〒790−8571 愛媛県松山市二番町四丁目7−2 本館8
階 TEL 089-948-6556

■例年(2011年は前夜祭中止)-広島フラワーフェスティバル(5月3日〜5日)【広島市中区】
■09-10花湯祭(〜4日)【鳥取県三朝町】

■09-11先帝祭・・・・・・・・5月3日 山口県下関市赤間神社で動画http://www.omatsuri.com/movie/sentei.html
 
安徳天皇祭り・・・・・・81安徳天皇は平安宮・六波羅第で治承2(1178)年11月生、三歳で即位後、福原宮に遷宮、
屋島に行在後に壇ノ浦にて文治元年3/24入水(宝算8歳)、御陵は下関市阿弥陀寺町にある。円墳(平家塚・七盛
塚)。命日を寿永4(1185)年3/丁未24とすれば、ユリウス4/25−グレゴリオ5/2(「5/2」を参照)になる。

御喪裾川の沖合いで入水とされるので其の陵は何とか旧暦方位には近い。だが陵の北に赤間神宮があるのは位置
方位では矛盾である。@

因みに其の先に向かえば高知県に至るが、壇ノ浦から4/4方位には横倉山(774m)がある。此処に安徳天皇を祭
る横倉宮と彼の御陵があり、今は宮内庁の陵墓参考地となっている。

其処から更に同方位に進めば越智町の横倉寺に至るが、此処では4/29(みどりの日)に「安徳帝・平家一門の追悼
供養」を修験道伝統の採燈大護摩供として行っている。この日の旧暦なら3/24に当たる年もあろう。横倉寺は0889
−26−1928

此処では、安徳天皇が実は23歳まで横倉で過ごした事や、三種の神器の内の草薙の剣、其れに東祖谷村の語源な
どが分かって来るでしょう。

■例年-博多どんたく・・・・・・福岡市、櫛田神社では、5/3〜4の両日で210万人の人出がある。何百年もの伝統を市
民が伝える松囃子が特に人気で、此れは能の形を4人の童女が舞姫として稚児舞を演じるもの。傘鉾も其れに彩りを
添える(07/5/3日の読売テレビ)。

博多どんたく港まつり 動画http://www.omatsuri.com/movie/dontaku.html

■09福岡・護国神社祭・・・・・・・4日まで。
■例年-沖端水天宮祭(〜5日)【福岡県柳川市】

■例年-那覇ハーリー(5月3日〜5日)【沖縄県那覇市、安謝新港】












































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●みどりの日国民の休日が07年から「みどりの日」)・・・・昭和天皇の誕生日と、緊張する日中関係に配慮したと言う
理由で05/5/13に参院で可決成立し、従来の4/29「みどりの日」が5/4(国民の休日)に入れ替わる事となった。

■鳥海山・大物忌神社・吹浦口之宮・例大祭(〜5日、山形・遊佐町)。        
■09駕籠駆け・・・・・・・・・山形県。
■08牛の角突き・・・・・新潟県小千谷市(旧大和町)などでは400年続くと言われる此の「牛の角突き」をする。

■08大宮神社・例大祭・・・・・・・茨城県行方市。初代玉造城主が始めたと伝えられる祭礼で、5/4-5/5日の節句に行わ
れ、子供たちの健やかな成長と、五穀豊穣を祈願する祭り。御輿、大鉾、猿田彦が旧玉造地区を練り歩き、霞ヶ浦浜
地先で「お浜降り」をし、市街地の「お仮屋」に鎮座する。

山車は3台出て、昼から夜にかけて旧玉造市街地で見られ、オハヤシ踊りが楽しめる(「いばらきエリア情報」より引
用)。

■塚越の花まつり(埼玉・吉田町・米山薬師)。       
■清正公大祭(〜5日、東京港区・覚林寺)。 
        
■例年(2011年は中止)-相模の大凧まつり(〜5日)【神奈川県相模原市】
■07静岡・五社神社祭。
■08-09-10-11(2011年は中止)・・・・・・・流鏑馬祭(〜6日)【静岡県富士宮市、富士山本宮浅間神社】

●06-07-08-09七尾・青柏(せいはく)祭・本やま・・・・・・・・石川県の「能登はやさしや土までも」素朴な人情、能登の風土
のなかに生まれた素朴で巨大な『でか山(曳山)』と言う山車が長さ12m、重さ20トン。

この祭りの日を農耕作業や野外仕事などの季節の変わり目とし、人々の生活の中に深く溶け込んだ、神と人との交歓
し合う、能登路の春を彩る迫力のある最大の祭りです。

神饌を青柏の葉に盛って神前に供え、天下太平五穀豊穣を祈る大地主(おおとこぬし)神社(通称:山王神社)の春の例大
祭「青柏祭」に、各山町から3台の『でか山』が奉納されます。その起源は古く、中世能登守護職 畠山義統の世からだ
とも言われています(以上は、http://www.noto.or.jp/nanao/cci/dekayama/より大半を引用)。

■例年-城端曳山祭り・・・・・・・・富山県南砺市。5/4宵宮〜5日。宵宮では8:00〜神輿の渡御行列出発、各町の傘鉾・
剣鉾・獅子舞が御旅所(伝統芸能会館じょうはな座内)に集まり、8:30頃、春日宮・八幡宮・神明宮の三基の神輿と子
供神輿を先導するかたちで渡御行列が出発します。

渡御行列は御神楽料献納の家々をまわり、午後3時頃神明宮へ還御します。10:00〜 曳山・庵屋台巡行開始、城端
別院善徳寺前に剣鉾と8本の傘鉾・6台の曳山・庵屋台が揃い、曳山・庵屋台は行列となって巡行を開始します。ま
ず、水月寺にある曳山功労者碑へと向かい(10:10頃)、 夜22:00頃まで庵唄を奏でながら氏子町内をまわります。
 
以下、詳しくはhttp://www1.tst.ne.jp/johana-k/festival/hikiyama/main.htmを参照。
●06-07-08-09豊川稲荷・春季大祭。 
            
■07-09岐阜・南宮大社・御田植祭・・・・・・・・・5/4-5日。
■07-09愛知・砥鹿神社祭。

●06-07-08-09多度祭り上げ馬神事・・・・・・・・三重・桑名市多度町の多度大社0594-48-2037では06-07/5/4〜5/5
(休〜祝日)例祭神事として武者姿の少年騎手6人が2m余りの絶壁を人馬一体となって駆け上がる。近年は景気の
好不況が占われる外、勇壮な神事にあやかって商売繁盛、学力向上などを願う人々が参拝する。

■08-09-10-11伊庭祭・伊庭の坂下し・・・・・・滋賀県東近江市(旧・能登川町)繖峰三神社。衣笠山の麓の神社から、
重さが500キロを超す三基の神輿を引き吊り下ろす神事で、見せ場は落差が15mの崖(岩場)を落とす所。5/3日を参
照。

■08-09斎王代・みそぎ(御禊)の儀・・・・・・京都市北区・上賀茂神社で15日の葵祭りの主役となる斎王代が禊をする。
■08-09斎王代・みそぎ(御禊)の儀・・・・・・京都市左京区の下鴨神社で15日の葵祭りの主役となる斎王代がミタラシ川
で禊をする。

■09-10-11多度大社・上げ馬神事(〜5日)【三重県桑名市多度町】

藤原旅子の命日・・・・・・・桓武には夫人に藤原旅子(たびこ・第53代淳和天皇ご生母)がいたが、延暦7年5/4、U788
/6/12旅子(30歳)を失う。今、伝・桓武天皇皇后(乙牟漏)陵の北(西京区)には彼女・「淳和天皇御生母陵」がある。
此処は確か五塚原古墳とも呼んだ所である。

桓武は平城から長岡に更に794(延暦13)年10月、新京遷都して翌月平安京と命名する。つまり彼女の陵は長岡からの
方位で造営した事になる。其の方位11/3---5/4にあるのは生憎、先の「淳和天皇御生母陵」ではなくて東竹の里町の
丘である。

では先の「淳和天皇御生母陵」は一体どなたの陵なのか。遷都後の平安京旧・内裏からの方位は8/14---2/13.5を示
している。

■玄奘三蔵会大祭・・・・・・・薬師寺で5/4〜5。詳しくは奈良市観光センター0742-22-3900 
■09人麿神社・すす(煤)付け祭り・・・・・・・奈良・橿原市で、子供たちによる豊作祈願の煤付け。
■一言主神社・春日祭り・・・・・・・奈良・御所市。

■08-09だんじり子供歌舞伎・・・・・・香川県東香川市の白鳥神社で。
■09真鍋島まつり・・・・・・岡山県笠岡市の真鍋島で、「走り神輿」の祭り。以前は9月だった祭りを、帰省が可能な5月
の連休に変更した。
    
■08隠岐(おき)の牛突き・・・・・・島根県。鎌倉時代から続く伝統とも言われる。     

●06-07-08下関・海峡祭(3〜5日)。
■09バンドウイルカとのふれあい・・・・・・熊本県天草市。

▲10糸満ハーレー・・・・・・・旧暦5月4日。即ち2010/6/15を参照。沖縄県糸満市
動画http://www.omatsuri.com/movie/itoman.html

■09沖縄・ヤギの角突き・・・・・・沖縄本島の北端、東シナ海に浮かぶ瀬底島は、周囲約8kmの小さな島である。伝統
的なヤギの決闘・瀬底(そこ)島ピージャーオーラサイ(瀬底山羊愛好会主催)が4日、瀬底島のザ・ビーチゴルフクラブ駐
車場広場で開かれる。

同島内の21頭によるトーナメント戦で、角と角をぶつけ合う激しい頭突きの迫力ある対戦とかユーモラスな対戦も。
 















































5/ 5     


祝日:こどもの日・端午(菖蒲の節句)。 ●08-09立夏。 ▼08旧4/1日。    
●児童福祉週間。5月5日

端午の節句・・・・・・5/5(2004)〜6(2003)は子供の日、端午の節句。3/3の桃の節句が女子の祭りであるのに
対してこの日は男子の祭りとなっている。またこの「子供の日」は毎年五日となっている。この日はまた立夏と重なる例
が多いが、其れは太陽黄径が45°になる方位なので、今のカレンダーでは祝日を固定できない。

よって暦上の立夏は5/5〜6の間を行き来する。因みに立夏は、2004年と05、06年は5/5であり、2002年と03年は5
/6でした。また、「端午の節句」と言う場合は旧暦行事であり、2004年の場合、5/5は旧3/17であり、満月とも重っ
たのでこの日の未明には皆既月食が見られた。06/5/31が旧暦5/5日です。

それに対して、03年5/5は旧4/5、05年の5/5は旧3/27、06/5/5日は旧4/8日、07年は旧3/19日。また立夏は03年が旧
4/6、04年の立夏は旧3/17、06年は旧4/9日、07年は旧3/20日でした。序でながら言えば、端午とは一日の場合の午
前中と午後、一年の場合は前半と後半部との境界点であり、其れを時刻では正午と言い、暦では「端午」としたもので
した。

一年を陽と陰と見た場合、夏を陽とすれば冬は陰であり、夏至を陽極とすれば冬至は陰極になります。ただ現在の日
本の暦で「端午の節句」は先のように旧暦の三月か四月ですが、明治までの日本と今の韓国の旧暦の「端午の節句」
は、五月中気、つまり丁度西暦の夏至の頃になります。

つまり本来の端午は陽の極点でした。また古来、陽は男子、陰を女子と見て来ましたので、其処から端午は男子の祝
日となって来たのです。ですから西暦の立夏を「端午の節句」の行事とするのは非科学的であり、不自然です。

5/5日-----「端午の節句」は旧暦が正しい。五節句とは1/7-3/3-5/5-7/7-9/9-と1/7日以外は奇数の数並びにして来
た。奇数を陽として尊んできた月暦、つまり陰陽暦を農事暦とし、月を愛でたシナの風習からである。

其れを西暦でする今は七草に七草なく、桃の節句に桃の花もなく、五月の端午の節句に菖蒲がなく重陽も菊の盛りと
ならない。此れを主導した明治の改暦と戦後の行政の在り方は文化破壊をして来た事になる。

■09札幌連タコまつり・・・・・・・7mの凧を200匹連ねる(予定)。

■08-09-10-11願人踊・・・・・・秋田県八郎潟町・一日市神社。
■天台寺・春季例大祭(岩手・浄法寺町)。      

■花山鉄砲祭り(宮城・花山村)。 
■09仙台・巨大紙相撲・・・・・・・・1.8mの紙人形による相撲大会。          
■慈恩寺一切経会(山形・寒河江市)。 
      
■11間々田のジャガマイタ【栃木県小山市】間々田八幡宮。    
■榛名神社・端午祭り(群馬・榛名町)。    
■09-10-11(2011年は中止)・・・・・・・艸原祭(そうげんさい)・妙高高原大かやば焼【新潟県妙高市】

■09太太神楽祭・・・・・・・・・・茨城県ひたちなか市。酒列磯前神社029-265-8220

■06-07-08-09東京・府中・暗闇祭り・・・・・・大国魂神社の例祭。大国魂、御霊、小野、小河、氷川、秩父、金佐奈、杉
山の8基の神輿が町中の灯火を消した中、深夜に本町札の辻お旅所に渡御する。ただ御霊大神(大国魂の妃神)の
神輿だけは七社の行列とは別コースを取って裏門へ進む。

300m以上伸びる長い参道が更に3.5kmほど離れた国分寺市の本多八幡神社に向っている。但し両社の位置は1
2/24.5←→6/25の暦・方位になっている(7/20を参照)。暗闇の祭りは物忌み・忌み籠りの風習と言われる
が、暗闇に乗じて風紀を乱す者もあったと言う。詳しくは「府中くらやみ祭り」http://www.geocities.jp/hondabayashi/

http://www.geocities.jp/tamanomori/kokubunnjishi/kokubunnji_hachiman_jinja/kokubunnji_hachiman_jinja.html「国分寺
八幡神社」によれば、国分寺村は古代から続く古い村であるが、村に神社が無かったため、同村にある国分寺の敷地
を借りて、地元の本多氏の屋敷神の八幡宮を遷し、村の鎮守とした。

周辺には国指定史跡武蔵国分寺跡や真姿の池などの湧水、立派な長屋門を持つ農家などがあり、都内でも有数の景
勝地である(引用以上)。さて本日5/5日の祭りを方位から見れば、5/5方位の千葉の富士山に向かい、逆方位の11/4
日に当る武甲山と浅間山に神霊を送る立場の祭りとなる。

つまり巽に迎え、乾に送る意味となり、国府として八方を定めて夜中から暦を観測した名残りかと思われるが詳細不
明。

■09春日部市の大凧揚げ・・・・・・・大凧保存会メンバー100人による。
■09水天宮・例大祭(東京・中央区)。              
■勝矢祭(東京・江東区・香取神社)。

■例年-ぼんでん祭り【東京都墨田区東向島、白髭神社】
■宝の舞(台東区・浅草寺)。 
■07-08鐘供養・・・・・・品川寺(東京都品川区)で火渡りもある。

■香取・御田植祭・・・・・・5/5〜6。             
■玉崎神社・大祭(千葉・飯岡町)。

●06-07-08-09神奈川・国府祭・・・・・・国府祭を「こうのまち」と読む。昔は旧暦5/5に行ったので端午祭、御霊会と
し、粽を神供とした。神輿は六所神社に渡御し、続いて二ノ宮、三ノ宮、四ノ宮、五ノ宮の神輿が此れに従う。この後、
惣社たる六所神社に奉迎使が出向き、惣社神が神集山に向かい、五社の神輿と大矢場で祭典を行う。

以下、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%BA%9C%E7%A5%ADによれば、祭事の中心は「座問答」(ざもんどう)
と称され、象徴劇のように行われる。神を憑依させた一之宮・寒川神社と二之宮・川勾神社の神主が交互に三回ずつ
虎の皮を祭壇に無言で近づけることにより闘争(上座を占めようとする意思)を表現し、

三之宮・比々多神社の神主が「いずれ明年まで」と仲裁の声を上げて終わる。この「座問答」と呼ばれる闘争を1000年
以上行っているとされる。

相模国は相武(さがむ)と磯長(しなが)という2つの国が合併してできた国であるが、相武国最大の神社が寒川神社、
磯長国最大の神社が川匂神社であった。合併後、どちらを相模国の一宮にするかで起こった論争の様子が国府祭の
座問答になったものと伝えられる。

また、http://goshuin.kokon.asia/shokoku_jinja/14_samukawa_ichinomiya.htmlによれば-----相模国一宮であると同時
に、八方除の守護神としても有名で、全国に信者を有する。創建年代は不詳。雄略天皇の御代(456〜479)に奉幣が
あったという。

元慶8年(884)正四位下、延喜16年(916)正四位上。延喜式神名帳では相模国内唯一の名神大社である。武家の尊
崇篤く、源頼朝は妻・政子の安産祈願のために奉幣している。大永2年(1522)北条氏綱が、天文15年(1546)には北
条氏康が社殿を再興している。さらに徳川家康からは朱印領100石を寄進された。

祭神については古来、八幡神、菊理媛命〔きくりひめのみこと〕、素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕、稲田姫命〔いなだひめ
のみこと〕、大己貴命〔おおなむちのみこと〕、少彦名命〔すくなひこなのみこと〕等諸説あった。

明治になり、『特撰神名牒』が皇大神宮末社の牟弥乃神社牟彌乃神社〔むみのじんじゃ〕の御祭神である寒川比古命・
寒川比女命とする説を示し、明治9年(1876)この説が採られることになった。

毎年5月5日、中郡大磯町の六所神社に近い神揃山〔かみそりやま〕で行われる国府祭〔こくふさい・こうのまち〕は、六
所宮に祀られる一の宮寒川神社以下、二の宮川勾神社、三の宮比々多神社、四の宮前鳥神社、五の宮格の平塚八
幡宮の御輿が集まる。

また浜降祭〔はまおりさい〕は、寒川神社をはじめ寒川町・茅ヶ崎市にある神社の神輿が、茅ヶ崎の海岸で禊ぎを行う
行事。近年は30余の神輿が参加し、壮観とのことである。
                    
■相模の大凧上げ・・・・・・神奈川・座間市。       

■06-07流鏑馬祭・・・・・・・静岡県富士宮市、富士山本宮浅間大社で。昔は初申祭が4月初申日にあり、初申祭には初
申の日に本宮・山宮両社を参拝し、山宮へ御鉾を渡御する御神幸があるなど、盛大に行われて古くは大祭礼とされて
来た。其れが改暦後に廃れて今の◆流鏑馬祭(5月4・5・6日)だけになっている。 以下、HPから引用する。

◆流鏑馬祭は5建久4年(1193)源頼朝が富士の裾野で巻狩を行った際、武運長久・天下太平を祈り奉納したことに始
まります。5日本祭日には、神前で古式ゆかしく祭典が行われた後、古式流鏑馬が奉納されます。午後からは、鎌倉絵
巻さながらに市内を練り歩き、勇壮な流鏑馬が奉納されます。

因みに浅間大社は頼朝公以来、源氏徳川と関係が深いため幕末には情勢不安が続いた。名門富士大宮司家は、44
代をもって世襲を辞したが、その業績は誇るべきものがあると言う。詳細は〒418-0067 静岡県富士宮市宮町1-1 浅
間大社 TEL0544-27-2002 FAX0544-26-3762

以上、http://www.fuji-hongu.or.jp/sengen/gyouji.html「富士山本宮・浅間大社」より引用。尚、逆の時期の11/3、4、5
(11/4を参照)日には浅間大社・例祭があります。古来4月・9月・11月の申の日に此処で行われた大祭礼のひとつで、
市内では華やかな山車が曳き回され、富士宮囃子(県指定無形民俗文化財)が賑やかに競演される。

■白山比盗_社・梅が香祭・・・・・・鶴来町。
■例年-桃太郎祭り【愛知県犬山市、桃太郎神社】
■07-09熱田神宮・神輿渡御神事。

■10桃太郎祭り【愛知県犬山市、桃太郎神社】
お木曳き行事(陸曳)・・・・・・平成18/5/5〜6/4までの各金土日、神宮に御料材を運搬する。伊勢市観光政策課
0596-21-5565。一日神領民参加は052-589-2689

伊勢二見・大注連縄張り神事・・・・・・・06/5/5(祝)。夫婦岩に新しい大しめ縄を掛け替える神事。二見興玉神社
0596-43-2020

伊勢神宮・御田祭・・・・・・・5月上旬に神宮神田で行う。各種祭典にお供えする御料米の御田植え式が古式ゆかしく
行われる。神宮司庁・広報課0596-24-1111

■猿田彦神社の御田祭・・・・・・三重・伊勢市の伊勢神宮の前で猿田彦大神と大田命(宇治土公家の祖神)とを祭る当
社の祭である。因みに春の例祭は4/5日、秋は11/5日。大田命は、垂仁天皇時に伊勢神宮創建に尽力した。特に此
の時に御刀代田を献じた事に由来するものとされ、植方、楽師、八乙女が奉仕し、うちわ相撲、豊年踊りがある。

頭之宮・獅子頭神事・・・・・・・・三重・大紀町の頭之宮四方神社0598-72-2316ではゴールデンウィーク中、獅子に子
供の頭を噛ませて除災・健康・知育の向上を願う。
■07-08浄真寺したんじょう・・・・・・浄真寺(福井県)。 

■07-08ハナヤマ回し・・・・・・浄善寺(福井市松本)。 
■例年-すし切り祭り(下新川神社春祭)【滋賀県守山市、下新川神社】

八代(ハチタイ)神社・祭礼日・・・・・・・・・ 滋賀県守山市下之郷町246 で綿津見神を祭る、御神紋左巴の神社。社伝に
よれば、徃古、守山郷八代の地を往来する船舶・旅人の守護神として鎮座。中世に至って社殿が洪水により流失、村
民の捜索により、一丁ばかり離れた下見田という地から神像が発見された。

よって発見場所に神殿の建立をという古老の進言もあり、この地に遷座されたと伝えられる。祭礼日は神事(祭儀)のみ
行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合がある。因みにこの付近は下之郷遺跡があって弥生時代中期の
方形周溝墓が30基余り確認されている。北陸系の土器も出土している。

以下、http://www.pref.shiga.jp/edu/content/10_cultural_assets/gakushu2/data/2057/index.htmlから引用すれば、

史跡下之郷遺跡の墓域の一つであると言われ、南北二群に分かれ分布しており、中央の墓道(ぼどう)をはさんで左右
二列に築かれています。こうした方形周溝墓の列状配置(れつじょうはいち)は、野洲川流域の弥生時代の遺跡に見ら
れる特徴であり、当時の社会構成や家族の構成を知るうえで貴重な手がかりとなっています。

また、滑石(かっせき)の製品として、勾玉(まがたま)、臼玉(うすだま)、有孔円盤(ゆうこうえんばん)等の他に、未製
品(みせいひん)、原石も出土しており、集落内で滑石製品の生産を行っていた事が伺える。こうした例は、守山市、栗
東市、草津市の古墳時代の遺跡にも広く見られ、野洲川左岸地域の古墳時代集落の特徴ともなっている。

■御霊神社の例祭・・・・大津市の御霊神社は弘文天皇、即ち大友皇子を祭るが、この日は其の例祭日。本殿は東向
きで其の先には鳥居があり、また本殿の後背地は丘陵地になっている。崩御日は7/23壬子(ユリウス672/8/2
1グレゴリオ8/24)、陵は大津市長等山前陵とされるものの、諸説有って定かではない。

■07不動大祭・・・・・・07年4月29日〜5月6日/京都・三千院。お不動様のご縁日にあたる4月28日にあわせて、秘仏
金色不動明王(平安時代、智証大師円珍作)を特別開扉します。開白の法要では、百味の供物を金色不……以上、
http://event.jr-odekake.net/kinki_n/sja02_05.html「JRおでかけネット」より引用。

●例年-賀茂競馬(くらべうま)・・・・・・・京都市北区、上賀茂神社の競馬会神事。2007年5月5日。堀河天皇の寛治7年
(1093年)より始められた行事。9:00から頓宮遷御(とんぐうせんぎょ)、菖蒲の根合せ等が行われます。乗尻(のりじり)は左右
に分……以上、http://event.jr-odekake.net/kinki_n/sja02_05.html「JRおでかけネット」より引用。

■同上・京都・賀茂競馬・・・・・・上賀茂神社の競馬は約900年前に始まり、鎌倉初期に現在の姿になったとされる。馬
12頭が2頭づつ走る。昔は5/1日に足揃いを行い、5/5日に競(くらべ)馬とした。但し今は6/5日に変更する事もある。

■07例大祭地主祭り・・・・・・・2007年5月5日/京都・地主神社。約1000年の歴史を持つ、地主神社の例大祭。雅楽、
神官、巫女、白川女の列が、13:00頃地主神社を出発します。武者行列、稚児、神輿と合流し、清水坂、……以上、
http://event.jr-odekake.net/kinki_n/sja02_05.html「JRおでかけネット」より引用。

■07-09藤森祭・・・・・・・07年5月1日〜5日/京都・藤森神社。1日〜4日には当町祓いやお位授けの儀式、節句の祭り
などが開催されます。メインは5日で時代行列(武者行列)や戦場の馬術を再現した迫力ある駈馬神事……以上、http:
//event.jr-odekake.net/kinki_n/sja02_05.html「JRおでかけネット」より引用。

■09GW・こども祭り・・・・・・・京都府八幡市のやわた流れ橋交流プラザ「四季彩館」075-983-0129では、此の日、親子
で楽しめるイベントのほか、出店が出る(09/4/21朝日記事より)。

■06-07-08久延彦神社の春の大祭・・・・・・奈良・桜井市の大神(おおみわ)神社の末社の祭り。学業の神。

■09子供の日・舞楽演奏会・・・・・・春日大社神苑。詳しくは奈良市観光センター0742-22-3900
■07-08大元帥法・・・・・・秋篠寺(奈良市秋篠町)。 
■06-07高鴨神社の献花祭・・・・・・奈良の御所市。

野身神社の例祭・・・・・・・以下、http://bansyu.com/0522matoba/matoba.htm「播州野歩記」などから引用する。第
11代垂仁天皇のとき、当時の都であった大和国(奈良県)の当麻蹴速(たいまのけはや)と言う人物が、常々「自分より
も強い者がいたらぜひ力比べをしたい」と豪語していた。

此れを天皇がお聞きになって群臣に「誰かいないか?」と尋ねた所、出雲の国に「野見宿禰」という者がいるとの答えが
有った。彼等は天皇の御前で「相撲」をとって、どちらが強いかを競う事になった。結果は野見宿禰の勝ち、当麻蹴速
は肋骨を折られて死亡した(7/7を参照)。

蹴速を負かした野見宿禰が天皇より恩賞として領地を与えられた(これが相撲の始まりといわれています)。宿禰が朝
廷に仕えていたとき、天皇のおきさき日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)が亡くなりました。当時は高貴な人が亡くなる
と、お側近くに仕える者は、すべて後を追って殉死する習わしでした。

主君を守りお供えをするということで、主君とともに墳に埋められる事になっていました。このような風習に天皇は深く心
を痛められていたとき、宿禰は、「妙案があります」と、申し出て、出雲よりたくさんの土器を作る人を呼び寄せ土で人形
や馬、器物(埴輪)を作らせ、生きた人たちに代えて陵墓のなかに埋めることを提案しました。

天皇はたいそう喜ばれ殉死をすることを禁じ、この方法を取りいれるよう命じられた。つまり宿禰が朝廷の葬送の儀礼
を執り行う役に任じられた。続いて、彼を祭る野身神社についてhttp://www.geocities.jp/engisiki/settu/bun/st060402-
01.htmlより引用する。

摂津国・西成郡鎮座・式内社・上宮天満宮の境内社・【現社名】野身神社・大阪府高槻市天神町 1-15-5(北緯34度51
分22秒,東経135度37分4秒 )【祭神】野見宿祢【例祭】5月5日 例祭【社格】旧郷社 

【由緒】正暦4年(993)5月天満宮を造営/天正6年(1578)高槻城主高山右近天主教を崇めるにより火を放つ/天正18
年(1590)豊臣秀吉社殿を修造社地を寄附/元和5年(1619)松平紀伊守社領を寄進/明治12年5月野身神社に改称し
郷社/戦後再び旧称上宮天満宮に復活/【関係氏族】野見(後土師氏)一族 

【鎮座地】当初よりこの地に鎮座【祭祀対象】氏祖 【祭祀】 【社殿】本殿【境内社】 上宮天満宮の境内社として鎭座す
る。本社に通ずる参道脇の小高い丘上(野見宿禰墳と称す=六世紀の円墳)に鎭座。

社伝によれば、一條天皇の正暦4年(993)5月、勅使菅原幹正朝臣が太宰府に下向せられ、菅公の廟に参拝して贈左
大臣正一位の詔を伝えて、菅公の御霊代と御自筆の画像を奉じて帰路の途に就き、京に入ろうとしてこの地達した
時、神輿が動かなくなった。

「この地は野見の里と称え、この山上には祖廟がある。野見宿禰は菅公の祖先である、神輿の動かぬのも理由のある
ことである。御画像を奉安し宮柱太しく立てて山上に齋祀するがよい」。として、菅公を祀ったのが天満宮のおこりであ
る。野身神社は参道の石段を登り詰めるとすぐ右手に野見宿禰の塚と称される古墳の上に北向きに鎮座している。

元々野身神社の存した所に、後になつて菅公を主神とする社を建立して、何時しか式内野身神社がその境内社として
吸収せられたものと思われる。戦国の天正年間、豊臣秀吉は当社参道「天神馬場」に本陣を置き、明智勢を山崎天王
山に討った。 

鎮座地は和名抄等に見える島上郡濃味の里の北部を占め、野見(後土師氏)一族の居住した処で、その氏人が祖神と
して、野見宿禰を奉祀したる式内野身神社(境内社)の地は蓋しその古墳であらう。

またhttp://www.tcn.zaq.ne.jp/jogu/link1/1_1_2.htmは当社について「日の神、武日照命の天降って鎮座された、此れの
太古の杜、日神山一帯は弥生人の住居跡として銅鐸も出土し、南北に並ぶ四古墳のうち、中央の円墳上には式内古
社の野身神社が在る。

此地は「日本書記」が古代祭儀としての埴輪や相撲の逸話を記した野身宿禰を千数百年も前から斎き祀ってきた島上
郡野身里である。と書いている(以上、引用)。因みに野身神社は高槻市の高槻城跡・城内にもあって延喜式内。今牛
頭天王と称す。此処の生土神とす。 

此処の場合は「例祭九月十四日。摂社八幡宮、八幡町にあり。若宮永井氏の祖神なり」とある。尚、龍野市にも彼の墳
墓が有り野身宿禰神社でも祭られている。現在、野見宿禰は「相撲の神」として両国に祭られているが、彼の神社と墓
と言われているのは龍野市の小高い山の上にあるが、其処まで長く石段が伸びている。

台山中腹にある野見宿祢神社まで通ずる115段の石段。だが石の鳥居の扉が閉じていて、立ち入りも出来ず祭りも
ないようである。上にある野見宿祢神社からは遠く瀬戸内の海まで遠望出来る。神社への参道と新しく建てられた由来
書があり、横綱・栃錦直筆の「力水」と蹲がある。宿祢像を囲んで市民まつりが盛大に行われる。 
                        
彼は相撲の元祖とか相撲の神様と言われて来た為、此処には大相撲の黄金時代を築いた有名力士たちがたくさん参
拝している。明治36年土屋善之助氏ら有志が奔走し墳墓、参道を整備し野見宿禰神社となった。

以来、明治から大正にかけて日本の相撲ファンをわかした84名の力士や行司が寄進した玉垣があり、横綱、千代ノ
山、吉葉山、若乃花、栃錦、大鵬、柏戸、佐田山、朝潮、栃ノ海など地方巡業で龍野を訪れた力士たちが角道隆盛を
祈願している。

此処の由来は「播磨国風土記」にある。野見宿祢が出雲に往来する途中、日下部里(くさかべのさと)に宿り病でなくな
った。其の時、出雲国人が来て、人衆を連ね立てて川の礫を上げて墓を造った。その様子からこの地を立野と号き、
その墓を「出雲の墓屋」と為す、と書かれており、龍野の地名伝承にもなっていっる。 

或いは龍野神社のある的場山中に揖保川から人を連ねてリレー式に石を運び宿禰の塚を築いたとされている。何れ
にせよ石を運ぶたくさんの人たちが、「野に立つ」姿から、人々は「立野」と呼ぶようになり、後に、「立野」が「龍野」と改
められたと言われる。

さて此の野見宿祢神社は104年前の1903年に出雲墓屋伝承地に建立され、“相撲の神様”として角界から信望され昭
和44年頃までは毎年のように大相撲の巡業が来ていた。今日では野見宿祢を顕彰するために「野見宿祢化粧まわし
コンテスト」が開催され、宿祢像を囲んで盛大に市民祭りが開催されている。

何れにせよ、祭りもなく神社も参道も明治にできたとすれば命日が分からない。また龍野藩主・脇坂氏が1862年に祭っ
た龍野神社では野見宿祢神社を合祀して例祭を毎年4/5日から4/11の日曜日としていて、06年は4/9だった。此の日
が旧暦の日付とすれば西暦にして5/5日に近いとも言える。

ともあれ此の当時の出雲とは今の島根県ではなくて、当時は今の奈良・桜井市であったと見たほうが良い。確かに『出
雲国風土記』に「野見野(ぬみぬ)」という地名が出ては来る。今の飯南町赤来の辺りと見られる。また野見宿禰は、上
記の通り垂仁天皇に殉死の弊風を止めて埴輪を用いることを奏上した。

其処から土師連(はじのむらじ)が出て彼らの始祖とされて来たが、彼は天穂日命(アメノホヒ=出雲国造の祖先)の1
4世の子孫であり、出雲国造の一族であって、野見野一帯はこの人の支配地であったと言われる。だが此れほど立派
でかつ子孫が発展し、色々顕彰されている野見宿禰でありながら、現在の出雲では彼を祭っていない。

野見宿禰を祀る有名な神社はないと言う。其れに対して、奈良の桜井市出雲の地は、山陰の出雲より早くから出雲の
地があり、野見氏の縁りの地であり、野見宿禰にまつわる話が色々残っている。例えば桜井市出雲の十二柱神社は、
野見宿禰に縁りの神社として知られ、野見宿禰のものと伝える五輪塔もある。

http://www4.kcn.ne.jp/~s-oki825/roman2.html「8000キロのロマン」によれば、彼は他にも祭られている。

北から進めば、綾野天満宮(滋賀県水口町)---北野天満宮(京都市)---野見神社(高槻市)---大阪天満宮(大阪市)
---石津神社(大阪府堺市)---道明寺天満宮(大阪府藤井寺市)---野見宿祢神社(兵庫県龍野市)---大野見宿禰命
神社(鳥取市)---菅原天満宮(島根県宍道町)---防府天満宮(山口県防府市)---大宰府天満宮(福岡県太宰府市)
 
中でも、.綾野天満宮(滋賀県水口町)の祀神は天穂日命、野見宿祢、菅原道真、菅原淳茂(道真の四男)である。綾野
天満宮にも野見宿祢は祀られているが、「十六菊花葉背横斧鉞」(菊斧)の神紋を現在も使っている唯一の天満宮では
ないだろうか?と。

次に.石津神社(大阪府堺市)の祭神は八重事代主神(ヤマコトシロヌシノカミ)=大国主神の御子。大己貴神(オオナ
ムチノカミ)=大国主神の別名。八重事代主神の御父。天穂日神(アメノホヒメノカミ)=天照大神の御子である。

「野見宿祢(禰)は石津神社の初代の祭主」であったと書かれた表示板があり驚いた。野見宿禰は野見宿禰社に祀ら
れている。野見宿祢(禰)社が菅原道真公社より大きい社であるのは他に例がない。また、石津神社の近くに「野見宿
祢(禰)塚」伝承地があると言う。

また「リハビリ紀行」によれば、先の大野見宿禰命神社(鳥取市)へは4月5日。前日からの雨と疲れが残っていたが、
龍野を出発して鳥取市に向かう。この日、鳥取地方は雨風が強く気温は4度と真冬なみの寒さで、神社前でしばらく天
気の回復を待ったが、よくなる様子も無いので雨中の参拝を決断した。
     
駐車をお願いする為に訪ねた家に前氏子総代の奥さんがおられ、氏子総代さんを呼んでいただけるという思ってもい
なかったラッキーな参拝になった。

大野見宿禰命神社は道路沿いに原始林に覆われた小高い丘の頂上にあり、この原始林はシイ、タブの木、モチの木
等が繁茂し、植物生理学上からみても貴重な原始林であることから国の天然記念物の指定をうけており、往古より野
見宿禰の御墓所として遠方よりの尊信を厚くしている。

強い雨風の中を左手の杖と傘を持った右手で手すりで体を支えながら74段ある急で高い石段を途中何回も休みなが
らやっとの思いで登りきりどうにか拝殿前にたどり着いた。靴は泥んこ、ジャンパーは雨でびしょ濡れ、手の感覚は寒さ
で無かった。ちょうどそこへ総代さんがはせ参じて頂いた。

拝殿前で拝礼を済ませたのち、通常は入れない拝殿内に案内していただき、本殿前に跪いて“Sasaokaさんがガンとの
闘いに勝てますように!”と祈願する(と書いている)。大野見宿弥命神社社叢 (オオノミノスクネノミコトジンジャシャソ
ウ) 。所在地は〒680-0934鳥取県鳥取市徳尾80。4月の第二日曜日に麒麟獅子舞。問合せ先 0857-23-4488
 
さて方位から見よう。鳥取の此処は乾・巽に向いた古墳上にある。つまり命日は11/3---5/5日の関係を示している。其
れに対して龍野の的場山と龍野城とが5/2日、また的場山と野見宿禰(墓地)神社とが5/16日を示している。其れに対
して高槻市の上宮天満宮の野身神社は円墳の上にある式内古社とは言え、疑問である。

寧ろ上宮天満宮の北(真後ろ)の小山が彼の古墳であろう。築造方位もこの日の例祭日5/5に向いていて、その先端
に今は乾性寺がある。特に其処までの石段(参道)が更に5/5日の方位に伸びている。彼を祭る神社は他にも各地に
あるが、本日(07/3/24)の結論は此処までとする。

尚、5/5日の方位は、鳥取から堺市に向かう事である。石津神社の看板には「野見宿祢(禰)は石津神社の初代の祭
主」とあるのは、意味が深い。暦・方位から言えば、此処で此の日に亡くなったか、逆に祭られた事になるからです。

中山観音・釈尊誕生花祭り・「子供祭り」(母子息災祈願)・・・・・・・・宝塚市大芝谷の紫雲山・中山寺は太子が開基
である。何故、太子が建てたのかは此れまで謎だった。中山寺には仲哀天皇の皇后(先妻)大仲姫の窟(陵)と伝わる
所が有り、また其の先には奥の院が有って、神功皇后(後妻)に抗して亡ぼされた忍熊王を祭る宮(中山社)がある。

また白鳥窟が彼(忍熊王)の墳墓ともされている。彼こそ実は仲哀天皇と其の皇后・大仲姫の皇子であり、皇統を継ぐ
べき正当性があった。其れに対して太子の素性は、彼らを騙し討ちした竹之内宿禰の子孫の蘇我氏系であるから、ご
祭神とは敵対関係になるので筋違いであり、この寺の開基として彼らを祭るべき立場にはなかった。

だから謎とされたのである。だが、其れも此れから見る方位によって謎が解けて来る。其れに一般の観音は18日が縁
日だが、此処は何故この5/5日が縁日なのか。中山寺と奥の院(中山社)とは、この日5/5の暦・方位に位置する。
其の先は大阪市の桜の宮方面に進むが、更に進めば東大阪(若江岩田)に向う。@

飛鳥に聖徳太子がいた時、「乾の方角に吾を祭れ」との霊夢があった。其処で太子が其の暦の11/4方位に向かっ
て、今の宝塚市内にやって来て「中山寺」を建てた事になる。此れにも因縁があって、太子以前に応神天皇が先の竹
之内宿禰に命じて祭らせたと中山寺の寺伝で伝えていた。

成人してから義理の兄の話を聞いて応神天皇が悲しみ、竹之内宿禰を勅使として大柴が谷に向かわせたが何らの返
答がなく、二度目に向かった時に返答があって白鳥が飛び立って西北(乾)に向かった。以後此処は難波に疫病が流行
った時に霊水が湧き出て治した事から「大悲水」と言われるようになった。

その後、太子が女神(大仲姫)の霊夢を見られて此処に向かった。「乾に向かえば紫雲の立つ峰があり、其処に寺院を
建てれば物部守屋の霊魂を取り除ける」とのお告げだった。よって紫雲山・中山寺を建立して十一面観音像を刻んで
奉り、物部氏を亡ぼしたと伝えている。太子16歳の時だった。

中山寺は金堂にその観音様を祀っている(「宝塚風土記」川端道春著・川瀬書店より)。ただ記紀には香坂王が兎我野
で赤猪に食い殺されたとあるものの、香坂王の命日が記されていない。ただ、方位からはこの5/5と判明する。よって
弟の兎我野の話(諸説有る)は今の北区の地ではなくて先の桜の宮に近い場所だった事になる。@

因みに応神天皇の実母・神功皇后については4/17が命日であり、先の若江岩田で本日のラインと交差する(4/
17を参照)。

そして何故「中山」と言うのか、と言えば、天皇家の素性が中氏(ヒジリ事典の「ナーガ」を参照)であるためだ。仲哀天
皇、大仲姫、神功皇后(息長足姫)・・・・など「中・長」の字が其れを示している通り、ナガ氏の山寺だったと見て良い。
以来此処は元四天王寺と言われ、或いは西国33観音の第一番となった。

其れは西国33観音や長谷寺を開いた徳道上人が長谷寺ではなくて、この中山寺に宝印を埋めたと言う伝承によって
も確かな事実であろう。だが今は第24番札所・中山観音として、また秀吉以後は秀頼を生んだ(5/8参照)安産祈願の
寺として、また真言宗中山派総本山として栄えている。

尚、先のご本尊・十一面観音像は現在の中山寺の縁起書では釈迦の母の姿を写した尊像と説明している。

■08-09-10-11(2011年は中止)真田祭・・・・・・和歌山県九度山町で2キロを真田幸村父子と十勇士など300人の武者
行列が練り歩く。
■09和歌山・護国神社祭。

国宝・朝光寺と鬼追踊・鬼まつり・・・・・・・兵庫・社町・朝光寺の山門(仁王門) 朝光寺は、法道仙人の創立と伝えら
れ、元は北にある権現山にありましたが、平安末期1189年(文治5年)に現在の地に移転したと言われています。

桁行7間、梁間7間の単層寄棟造り本瓦葺の朝光寺の本堂は、1413年(応永20年)に建立されたと伝えられており、
内部は密教寺院本堂の典型を示しています。朝光寺では毎年5月5日に鬼追踊・鬼まつりが開催されます。

朝光寺本堂で大般若経転読法要のあと、朝光寺鬼踊保存会による兵庫県指定無形文化財の「鬼追踊」を本堂正面外
の舞台で奉納します。国宝に指定される朝光寺の本堂、多宝塔、鐘楼(写真は省略)。

朝光寺・鬼追踊の起源は室町時代にあると言われ、翁1人と4人の鬼方(松明の赤面鬼、斧の青面鬼、太刀の黒面
鬼、錫杖の鬼面鬼)で演じられる鬼まつりは、五穀豊穣・無病息災を祈り、松明や太刀を持ち勇壮に舞い踊ります。
つくばねの滝・朝光寺。

つくばねの滝は、国宝朝光寺の正面参道の南側を西に流れる鹿野川にかかる滝で、寺の周辺にツクバネが多く自生
しているところからこの名で呼ばれ、親しまれています。ツクバネはビャクダン科の植物で、果実の形が羽子板で突く羽
根に似ているので、衝羽根(つくばね)と名付けられました。

全国的にも大変珍しく、1983年(昭和58年)10月に社町の天然記念物に指定され、保護されている植物です。 次は
しだれ桜・朝光寺(写真は省略)。以上、http://kobe-mari.maxs.jp/kato/cyokoji.htmより引用。

■07幟まわし・・・・・・・・2007年5月5日/兵庫・出石神社。天日槍命の但馬開発にまつわる祭りの一つ。毎年5月5日に
行なわれ、そろいの衣装を着た宮内少年会の子供らが、竹ぼらの音に合わせて様々なのぼりを立て……以上、http:/
/event.jr-odekake.net/kinki_n/sja02_05.html「JRおでかけネット」より引用。

■09香川・護国神社祭。
■例年-奉納蹴鞠大会・・・・・・・香川県仲多度郡琴平町、金刀比羅宮の表書院で、五穀豊穣を祈ってケマリの奉納を
する。

■07-08練供養・・・・・・弘法寺(岡山市牛窓町)。

■09泣き相撲・・・・・・広島市中区、広島護国神社で、子どもの健康を願う行事「広島泣き相撲」は、行司軍配のもと、
先に泣いた方が勝ちというルールで、法被に鉢巻き姿の赤ちゃんたちの泣き声が観客の笑いを呼ぶ。参加者は生後6
カ月から1歳半までの赤ちゃん数百人。

■例年-日本童話祭【大分県玖珠郡玖珠町、三島公園】(2011年は仮装パレード等中止)

■09諏訪神社・石段のぼり・・・・・・・長崎クンチの諏訪神社で、子供たちが160段の石段を駆け上る。
■09長崎ペーロン・・・・・・・・長崎市。

■久留米・水天宮祭・・・・・・平家に縁のこの宮で7日まで行われ、5日には御座船が出る。

■こども祭り【沖縄県那覇市、沖縄平和祈念公園】






































旧暦5/5 

▼岡山・おしくらんご・・・・・・笠岡市金浦で旧暦・端午の節句に行われる競漕。


























次は5/6日から次ページへ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

■「神々の歳時記」の各項目のご理解には「366円暦」が必要です。円暦は別紙の「日読み1」http://toki.mikosi.com/
page044.htmlで公開していますが、其の実物を希望される方は末尾に従ってご請求下さい。

■尚、各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年06-07と追加する形で示していますので、
*開催日等の詳細には主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。

■「神々の歳時記」に記した例は仮説ではなくて、太陽暦に重ねて古式祭による祭政一致を行っていた古からの日本
文化の原理です。其の具体例を今回、公開したものですが、海外への情報流失防止のため、特に「本文」については0
4/11月から「非公開」としました。

■@マークの付いた以下の部分が「非公開」部分です・・・・・・・@マーク以下には「地理・方位の具体例と其の意味や
暦との関係式」などの詳細を隠しています。この隠れた部分の資料をご希望の方は、「メールフォーム」または「掲示
板」からコンタクト下されば実費で郵送します。

■文中に誤記や間違いがありましたら、恐れ入りますが前項の方法で下記まで御一報賜れば幸いです。尚、参考文献
は巻末に記しました。  

次は
5月上旬
5月上旬
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