http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」  p091  (未定稿)  


  神々の歳時記  3月・下旬   但し方位による
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●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起
の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版 http://
www.omatsuri.com/mailmag/l

及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-3月」及び奈良観光連盟ガイドブックの「知れ
ば知るほど奈良はおもしろい」06-07冬号より一部引用・転載させて頂きました。

■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記
には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の
詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。

3月下旬 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★



3/21 日  



●06-07-10-11春分の日(彼岸の中日)
■08-09御影供(天台宗・真言宗)。 

■07-08観音めぐり・・・・・・・福泉寺(岩手県遠野市)。 
■10初午大祭(〜27日:旧暦2月最初の午の日から7日間)【宮城県岩沼市、竹駒神社】
■07-08-10-11会津彼岸獅子(例年春分の日)【福島県会津若松市・会津盆地一円】

■07-08灯籠坂大師縁日・・・・・・・灯籠坂大師(千葉県)。 
■07-08弘法大師堂御影供・・・・・・・新勝寺(千葉県成田市)。 

■07-08聖徳太子祭・・・・・・・聖眼寺(愛知県豊橋市)。 
■07-08正御影供・・・・・・・神護寺(京都市右京区)。 

■09隋心院・はねず踊り・・・・・・・京都市。22日まで。
■07-08和泉式部忌・・・・・・・誠心院(京都市中京区)では和泉式部にゆかりのある謡曲「東北」を謡い、 霊を慰める法
要。

仁明天皇の命日・・・・・嵯峨天皇の第三皇子。入禅したが淳和天皇の譲位により54天皇となった。在位17年、41歳
の時の嘉祥3/3/21日に崩御。深草陵に葬られて深草帝と言われたとされるが、寧ろ先帝(淳和)を弔うために深草に
御座所を遷してそう呼ばれたものと推定できる。

淳和の命日が5/8日なので、旧内裏からの命日方位が深草になるのです。次いで彼もまた深草に葬られたとすれば、
旧内裏(大極殿)跡からの方位は5/26.5日となる。ユリウス暦に換算すれば850/5/6日となるので、日数にして20日ほ
ども違う。

ただ、この方位の軸上(手前)に皇子の文徳天皇が、父(仁明)の菩提を弔うために嘉祥寺(伏見区・深草坊町)を建て
ているので此処が彼の陵である可能性はある。@

第三の可能性はあるけれども第一の候補地は旧内裏から東にある。3/21日方位には仙洞御所---聖護院---金戒光
明寺---大文字山(466m)と連なるので、其のラインにある筈です。また逆(9/21日)方位には嵯峨・天竜寺と野々宮神
社と其の南に後嵯峨天皇南陵がある。此の三点も彼の陵の第二の可能性がある。

因みに大覚寺は先帝(淳和)皇后が建てた寺である。また梅宮大社には彼が相殿に祭られている。其れは彼の母(嵯
峨皇后=橘嘉智子)が井手の地に有った梅宮神社を今の所に遷祀して彼が公祭としたからと言われるが、元より彼の
命日方位とは別である。

■浄瑠璃寺(九体寺)の伽藍配置・・・・・京都府加茂町。近鉄・加茂駅から0774−76−2390

この寺には池があり、其の池に対面して東西に三重塔と本堂が建っている。この配置から、彼岸の日には太陽が本堂
の真上に沈んで行く。其のとき、池面に映る鈍い光が人々には極楽浄土世界を髣髴とさせる演出になっている。池の
向かいにある本堂には九体の阿弥陀如来が祀られている。

其処からこの寺(九体寺)の寺号となったものである。弥陀は西方浄土のホトケであり、其れに対して東に建つ三重塔
には薬師如来が祀られている。薬師は東方・瑠璃光如来とも言われる仏である。人々はつまり、この池を境にして、西
方と東方との二つの浄瑠璃世界を垣間見たのであろう。尚、この日から5月まで特別拝観が行われる。

■07春の彼岸回向・・・・・・・奈良・宇陀市の室生寺0745-93-2003で。
■07春季彼岸会法要・・・・・・・奈良市の帯解寺0742-61-3861で。
■07春季彼岸会法要・・・・・・・奈良市の霊山寺0742-45-0081霊園本堂で。

■07岸法会・・・・・・・奈良・天理市の長岳寺0743-66-1051で。
■07お会式・逮夜法要・・・・・・・奈良・斑鳩町の法隆寺0745-75-2555で翌日から「お会式」の為、前夜祭として雅楽と声明による厳かな法要。

東西に並ぶ弁天・・・・・・・西日本では3/21←→9/22に掛けて、東西線に四つの弁財天社が並んでいるが、其
れについては殆ど気付く方がない筈である。

近年、東京町田の長谷部様のご指摘があったので調べて見た所、何とこの日の方位には先ず奈良県の天川村の天
河弁天→高野山・弁天岳の丹生神社→安芸の宮島・厳島神社→九州の宗像大社・沖ノ島へと、有名な女神の弁財天
社が並んでいたので す。@

つまり東西に一直線で4つの社に同じ神が弁天社として並ぶ事実を見れば、「偶然」とは言えないだろう。何れにせよ、
弁天様と言えば、インド仏教ではサラスバティエィとも呼ぶ川の神・水神と同じとされているが、「弁天」とは、漢字で見て
も分かるように水神ではなくて実は「天を弁わきまえる」神、つまり聖神でした。

弁天の中でも日本で有名な方としては、天照と須佐之男命の三人娘の一人の市杵嶋姫命であるが、市杵嶋は音が厳
島に通じる。意味は何れも「斎・居着き、五木」である。つまりこのラインは太陽が東西に動くラインであり、定点観測す
る位置にあった。従って弁天とは水神・蛇 神の類では決してなく、また芸能の神とも言えない。

彼女は第一には天を「わきまえる」暦神と言う意味の存在だった。弁天様を特に市杵嶋姫命と言う場合は、記紀では三
女神の一人と明示されているが、この神を祭る神社の中でも各社の例祭日は残念ながら今ではバラつきが見られる。

例えば宗像大社(10/1〜3)→安芸の宮島・厳島神社(旧6/17管弦祭、旧8月15の満月から四日間に玉取祭)→
高野山・弁天岳の丹生神社(不明)→天河弁天(7/16〜17)などである。一見、バラバラに見えるが、何れにせよ、
彼女がどうしてこの数ヶ所に分散したのか不思議におもわれるだろう。

しかも其の中間地点の瀬戸内海・大三島には大山祇つみ神社がある。此処の例祭日は4/22(昔は3/22だった可能
性も)であるが、旧暦8/22には産土(産須奈)祭りがある。西暦にすれば9/22頃になる。この神は「わたしの大神」
とも言われて来た。

「ワタシ」は「渡し」、即ち海神と言われて来たが、先のような方位関係から見れば、実は「東西の受け渡し点」と言う意
味もあった様に感じられる。それにしても何故、この3/21←→9/22の暦・方位に位置して、其の時期を祭りとする
のか、興味ある所です。

参考までに・・・・・四社とも本殿の位置は本日のラインから外れるので問題とはならないが、参考までに本殿の向きを
述べる。先ず、天河弁天が南向き(但し、西に来迎院がある)、高野山・弁天岳の丹生神社も南向きであるが、安芸の
宮島・厳島神社は巽に有って乾を向いている。

そして九州の宗像大社は不明だが、全体が沖ノ島に向いているので本殿も恐らく乾向きと思う。また以上のラインは黄
道に沿ったラインと思われるので北緯とはズレる。

東から西へ北緯34°14′のラインに並ぶのは、天川村の伯母ヶ峰(1267m)、山上ヶ岳(1719m)、稲村ヶ岳(17
26m)、観音峰山(1347m)、那賀町の飯盛山(746m)、粉河町の龍門山(756m)、大三島町の大山祇神社、宮島
の岩船岳、美和町の権見山、大島村の沖ノ島である。

東西に並ぶ名社と遺跡群・・・・・・半世紀も前に書かれた「知られざる古代」(謎の北緯34°32分を行く)によれば、
東西線に淡路島・舟木→堺・鳳大社→日置荘→二上山→桜井市・箸墓→三輪山→長谷寺→室生寺・・・・・→堀坂山→
伊勢の斎宮跡→伊勢・神島・・・・と古社寺や遺跡、そして目印となるような 山が一直線に並んでいる。

NHKのテレビでもこの「知られざる古代」についてドキュメンタリー番組として放送したため、大きな話題となった。この
本は小川光三氏の著作であり、番組担当は水谷慶一氏でした。要するに伊勢湾から淡路島に掛けて、略同じ緯度上
に「太陽信仰のライン」が残っていると言う訳です。そしてヒキと言う地名がズラリと同軸上に点在する。

ヒキは「引、疋、辟、蟇、日置」と色んな文字が宛てられているが、「日招おき」の意味だろう(H17/7/11サンケイ、中
西進・京都市立芸術大学長)。この記事を広田稔氏が郵送してくれたので改めて付記すれば、では果たして何のため
にそうしたのか。

其れが謎のままですから此のラインについて円暦で見れば本日3/21(05年は3/20)、つまり春分の日から秋分の
日に向けて並んでいる事がハッキリする。此れは太陽観測のためのラインであるが、実は古代暦法のために朝廷が敷
設した定点だったと分かる。

昔から日本は武力で権力を取ったのではなく、「暦法」争奪によって統治して2000年の伝統と平和を守った国であり、
其の歴史の永さと武力に頼らないと言う点で世界に比類ない文化を残しました。春分点と秋分点を印す事で方位と同
時に日月星の暦法を確定する天文観測のために日置氏を置いたのです。

次にこの日の祭りとしては例えば葛木二上神社では昔、彼岸の法会(または3/23)には護摩供があり、山上には近
隣66ケ村の人々が群集して賑やかに祭りが行われたとの由来が「西国名所図会」にも残されています。

この神社はかつて「岳の神」と言われ、或いは式内大社となり、後に二上山権現と呼ばれ、当麻寺が祭祀して来たが、
今は麓で豊布都霊神と大国魂神とを祭っている。

次にこの日の祭りとしては例えば葛木二上神社では昔、彼岸の法会(または3/23)には護摩供があり、山上には近
隣66ケ村の人々が群集して賑やかに祭りが行われたとの由来が「西国名所図会」にも残されています。

また「磐座みぃ〜つけた新聞」http://www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/iwakura/asamayama.htmによれば、伊勢の霊
山、朝熊山(あさまやま)の磐座(いわくら)がある。・・・・以下、後日、伊勢の神宮寺について引用予定。

■四天王寺・夕陽丘・・・・・・・・春の彼岸と秋の彼岸の中日には、四天王寺の西にある石鳥居の真ん中に夕日が沈
む。此れは昔からである。其処から浄土観となり、夕陽丘の町名にもなった。因みに四天王寺を縮めて天王寺と言い、
其処からこの辺が昔は天王寺村と言われ、今は天王寺区となっている。

四天王寺は五重塔-金堂-講堂が南北一直線に並ぶ。磁気コンパスのない推古天皇の時代に磁北より正しく真北を測
定して此の四天王寺様式と言う伽藍配置を造っていた。そして江戸時代から毎月21日は弘法大師の縁日で春の彼岸
は例年3/18~21には境内に市が立ち、この日は30万人の人出となり、また冬至の「終い弘法」にはより一層賑わう。

■弘法大師のミエク(御影供)・・・・・・・本日は弘法大師の縁日なので、真言宗寺院では御影供となる。但し新暦になっ
てからは旧暦でする寺、または固定的に4/21とする寺(真言宗)に分かれた。真言宗の総本山・高野山などでは仏教
暦、即ち旧暦の3/21日から「正御影供」として行う。因みに06年は4/18。

野身の宿禰の縁日か・・・・・・・・菅原氏の祖、土師氏の神としての野身の宿禰の命日について記紀などの文献には
ないが、兵庫県龍野市・龍野公園には彼の墳墓とする所がある。其処からこの日の方位に東進すれば高槻市に至る。
此処には野身神社と上宮天神があり、日神山や古墳もある。

そして南には白梅町があるが、梅は菅原道真のシンボルである。つまり先の龍野市と此処は東西線、即ち彼岸のこの
日と9/22頃の方位となるのです。因みに野身神社の例祭日は9/14だったが、明治以後10/14になった。また上
の宮の其れは4月と9月の9日だった。

因みに此処を守って来たのは高槻城主の若宮・永井氏である(9/23を参照)。

■07-08聖徳太子例祭会式・・・・・・・鶴林寺(兵庫県加古川市加古川町北在家424)3/21〜22日。『ウィキペディア』によ
れば、鶴林寺(かくりんじ)は兵庫県加古川市にある仏教寺院。山号を刀田山(とたさん)と称する。

宗派は天台宗、本尊は薬師如来である。近畿地方に数多くある聖徳太子開基伝承をもつ寺院の1つで、太子建立七大
寺の一つとも言うが、創建の詳しい事情は不明である。平安時代建築の太子堂(国宝)をはじめ、多くの文化財を抱え
るため、西の法隆寺とも言われている播磨地方有数の古寺で太子堂(国宝)、三重塔などがある(以上引用)。 

安芸の宮島・・・・・・・・グーグルマップで断片的に見た程度てすが、宮島の南には太平洋。その南から北に弥山--厳
島神社(内宮)--瀬戸内海--広島市の外宮--極楽寺へと、略南北に直線状に並んでいる。其の意味は、夜間に於い
て、北極星を睨んで子午線を確認するためだったろう。

安芸の宮島では同時に、上記のように、春と秋の朝と夕方に、東西線を確定した事が分かります。其れは「知られざる
古代」を著した水谷慶一氏が、既に----伊勢神島--斎宮--(中略)--淡路の舟木までを「古代・太陽の道」として指摘し
ている事からも言えます。

そして実はその先にこの宮島---筑紫の宗像大社・沖ノ島が略同緯度ラインに連なり、何れも弁天、即ち市杵嶋媛命を
ご祭神としています。

弁天とは神仏習合の時代では仏教寺院によってインドの河原神とか妙音弁天とされてしまったが、日本では昔から実
は暦法に於ける「天を弁える女神」でした。日本の暦法は今のような数字の羅列のカトリック式カレンダーではなくて、こ
のように昔から天の方位を地上に刻んだ形として来ました。

年に何度もの祭りの実施のためには、その場は大切な神を迎える訳ですから、どうしても厳格な祭日の確定が必要で
あり、其のためには四方の測定座標を確定して天文を見て、天地一体の厳粛な天文測量による暦法決定が行われて
きた事が此の宮島のケースからも推定出来ます。

■07-08御影供・・・・・・・法界院(岡山市三野町)。 
■07-10-11嫁いらず観音大祭(春分の日)【岡山県井原市、樋の尻山観音】

■07-10-11彼岸市(春分の日〜春分の日の翌日)【島根県大田市】
■07-08彼岸光明会・・・・・・・同慶寺(山口県)。 


































































3/22  




■07-08聖霊会・・・・・・・全国諸寺院3/21〜24日。
■07-08-09奈良・法隆寺・お会式・・・・・・・法隆寺(奈良県鳩斑町)0745-75-2555では3/22〜24日を聖霊会・会式(お
太子さま)として聖霊院と律学院で聖徳太子像を開帳礼讃の法会のほか、舞楽を奉演する。 但し「2/1」を参照。

聖徳太子の法要・・・・・・・南河内の叡福寺。但し「2/1」を参照。
■07-08被岸会・・・・・・・四天王寺(大阪市天王寺区)は露店の賑わいで著名。 

■07鹿児島・霧島神宮「お田植え祭」




■06-07-08-09NHK放送記念日。
■09国連「世界水の日」。











































































3/23 日   

●08-09彼岸明け。

方位と月日・・・・・古来、祭りは方位を基点とし、方位は八方を基準とし、此れを四方四隅(維)と言った。円暦・方位
では先ず真北を冬至と し、其処を基点として時計回りに一周する方位暦なので北東が立春に重なります。以下同様
に、真東が春分、東南が立夏、真南が夏至、南西が立秋、真西が秋分、西北が立冬、そして真北が冬至に重なる。

此れを古来「四至(時)・四立」とも言った。今の月日にすれば冬至と夏至が12/22と6/22となり、其の日から45日
後が立春(鬼門)と立秋(裏鬼門)で、2/5と8/6となります。そして冬至と夏至から91.5日目が春分・秋分(3/23
←→9/21)であり、其の137日後が5/7の立夏(巽)と11/6の立冬(乾)となります。

ただ此れは方位に基づく円暦八方日なので、其れとは別の、星座によって天文台が行う今の赤道中心主義による西
暦月日とは若干ズレます。だが古式祭りは西暦ではなくこの八方から見なければ分からない(事典の彼岸ラインを参
照)。

金砂神社・大祭礼・・・・・・本来は2/22の祭り(2/22-23を参照)だが今回(03年)は3/22-23日にした。改暦の弊害で
月日が一ヶ月ズレた例は全国に無数にあるが、此処の大祭礼も2/22から3/22日に1ヶ月遅らせてしまった。因みに日
立とは地理的方位で肥後と対極に当たる事からの命名と思われる。

肥後・幣立神宮(熊本県阿蘇郡蘇陽町大野=南阿蘇)では時期も元の2/22の対極に当たる8/23に五色人祭とし
て五年に一度の例祭と小祭をしている。日立と肥後は東西線に対して略30度の角度に開いている。此の両社の位置
角度を暦・方位に換算すれば8/22---2/21日のラインになる。

其のラインの中軸に当たるのが大阪と奈良との間にある二上山(3/21-23を参照)である。そして肥後から見て日立は
冬至の日の出方位に位置し、また常陸から見れば肥後が冬至の日没方位に位置する。このため「日発ち」の地が日
立と呼ばれ、対する「日尻」の意味の「肥後しり」として肥後と変化した可能性が強い。

日立では古は金砂から大津に行列が進み、其処から沖まで神を迎えに、または大津(5/3日の佐波々神社を参照)か
ら船を出した。その名残として此処では磯出大祭礼が行われる。

其れにもまして日立と肥後の両社の距離は1000km(250里)に及ぶ。神代に此の長距離をどうして測定できたのか、
正に神業としか思えないが、05/12/14日の土佐・中川様のご指摘により此の関係が見えて来ました(8/23「幣立」を参
照)。

■07-08結願会・・・・・・・楽満寺(千葉県下総町)で3/23〜4月7日。  
■二上山権現(3/21、及び上記の金砂神社を参照)。




■07-08崇福寺媽祖集・・・・・・・崇福寺(長崎市鍛冶屋町)。

■08-09世界気象デー。


★08復活祭。







































































3/24  



■滋賀・太郎坊・阿賀神社祭り。
■07-08吉祥院・団子祭・・・・・・・吉祥院(京都市南区)。 

■07大神(おおみわ)神社・講社大祭・・・・・・奈良・桜井市の大神神社0744-42-6633では、講員が全国から集まって3/
24〜25日に春の崇敬会・大祭を行なう。

安徳天皇の命日・・・・・・・81安徳天皇/福原宮/六波羅第で治承2(1178)年11月生、屋島に行在後に壇ノ浦にて
文治元(元暦2、寿永4)年3/24日に入水(宝算8歳)。この日、安徳天皇が平氏の滅亡と共に壇ノ浦の御裳川沖の海中
に投じて崩れた。其の近くの岸辺には現在、「みもすそ川公園」がある。

御陵は下関市・阿弥陀寺町。この日は寿永4(1185)年3/丁未24日、ユリウス暦では4/25日−グレゴリオ暦で5/2日に
なる。さて壇ノ浦の戦いで源氏が平家に勝ったのは何故か。義経の兵法が良かったのか、それとも潮の流れが変わっ
た時を待って源氏が攻めたからとも言われている

確かに合戦前に義経は大歳神社で戦勝祈願して長府沖の干珠・満珠島から出陣した。其れに対して平家方は知盛の
領地の彦島に、或いは対岸の田野浦に布陣し、其処からの出陣だった。当初、潮は西の平家方から東の源氏方に向
かって流れたが、昼前には潮の流れが止まり、其れが昼過ぎには逆向きになった。

其れも一因には違いないが、実はこの日の方位、つまり東から西に向かって源氏が攻めたからである。とすれば安徳
天皇の側には三種の神器があっても、方位の力には及ばなかった事になる。無論、三種の神器もこの時、海中に没し
た。

直ぐに鏡と勾玉は回収されたものの剣だけが安徳天皇を抱いた「二位の尼」と共に海中に没して見つからなかったと言
われる。海岸には赤間神宮が建てられ、其処に今も平家塚(七盛塚)があり、有盛、清盛、資盛、教経、経盛以下の名
が刻まれている。

さて、05年にNHKTVの大河ドラマ(義経)の放映の通り、替え玉・「身代わり」説があるので、幼帝が生き延びられた可
能性も強い(※1)が、ともかく天皇に代わって守貞親王が身代わりとなり、逆に安徳天皇が守貞親王として生き延びたの
みならず堂々と、其の「守貞親王」が後・高倉院として、

つまり後堀川天皇の父(太上天皇)として承久3(1221)8/16日まで生きた。因みにこの崩御の直前の5月に承久の乱が
あった。

何れにせよ幼帝(替え玉)は赤間関・紅石山麓の阿弥陀寺に葬られた。勅命により陵上には御影堂が建てられて寺は
勅願寺となった。其の赤間神宮の例祭日は10/7日である。これでは命日の逆方位の祭りとしては矛盾する。ただ此れ
も明治の改暦で対極の9月から10月に1ヶ月ズラせるように行政指導された結果であろう。

それにしても24−7日では17日も違うが、其れは明治8/10/7日に特に官幣中社(後に大社となった)・赤間宮(神宮)と
定められた事に有るようだ。但し、例祭の外に4/23日から3日間、後白河法皇が始めた先帝祭があり、24日には玉串
奉奠があった(今の祭日については未調査)。

また彦島に対峙するように玉城山があり、其の麓に赤間神宮の御濱殿があり、毎年4/25日の先帝祭には神輿がこの
地に渡御したと言われるので、この3/24日の暦・方位の辻褄合わせは出来ていた筈である。

所がそうすると先の「御裳川沖の海中」からの方位は不一致となる。赤間神宮と安徳天皇陵もほぼ南北に位置するの
で命日とは不一致となる。ハッキリ言えば、赤間神宮は無関係と分かる。@

では「幼帝」についても方位から検証して見よう。壇ノ浦から、この日3/24日の方位に進めば、石鎚山の東に土佐・越
知町がある。越知とは「落ち」の響きがある。此処に横倉山があるが、彼は高倉天皇の第一皇子だったので、此処を
高倉に対する横倉とした可能性もある。此処に横倉宮があり、主祭神は安徳天皇となっている。

と言う事は、真偽は兎も角、「この日に崩御した」、と言う名目の元、少なくとも一族や平家が此処に彼の弔いの場を設
ける大儀があり、それに対して鎌倉幕府としては容認する以外なかった所と言えよう。

確かに源氏が平家を滅ぼしたが、天皇家が滅びた訳ではなかったし、その鎌倉幕府の源氏にしてもたった三代で自滅
して、後は平家の北条氏が執権として実質支配したのであるから、関東の平家に対して、西日本の平家として、この横
倉や東西の祖谷山村(香川県)は、隠然たる拠点だった可能性も有ります。

また※1として----@熊本・山都町にも伝・安徳天皇御陵が有る。更に「御所」と言う地名もある上、此の町が今、「山
都」と名乗っている事は其れなりの由緒があるのだろう。例えば肥後伝記によれば、安徳天皇17歳でこの地で崩御、土
偶1万体、法華経1千部を納めたとあります(詳しくは山都町HP:http://www.town.yamato.kumamoto.jp/)。@

次にA福岡県那珂川町にも前方後円墳などの古墳群があり、其の中に「安徳大塚」と言うのがあるが、今は私有地で
見学も出来ないようであるが、方位から見ればどうか。@
安徳天皇の命日3/24日、例祭9/21日とは7-4日の違いである。つまりかなり可能性が高いと言える。

更にB鹿児島から定期船で3時間半の硫黄島に渡れば、平家一門に囲まれるようにして安徳天皇墓所がある。彼は
壇ノ浦の戦いで敗れ、硫黄島へ辿り着いたと伝わり、黒木御所跡は最初の住居があったと伝わる場所だ。彼は此処で
66歳の生涯を終えたと言われ現在、御所跡を所有する長浜家は、安徳帝の子孫といわれる。

だが、方位で見る限り、此処では説明がつかないので、取り敢えず安徳帝の子孫の墓所かとも推定する外はない。


ユダヤ・キリスト教・過ぎ越しの祭り(05年)。
































































3/25   ○◎□◇■◆

▼09己巳日。

◆07旧・初午。社日。初午は稲荷神社を何所かに祭っている神社の縁日(2/5を参照)。ただ何故、今頃に旧暦の初午が来るのかと言えば、07年の旧暦2/7が
午の日で、西暦では3/25日に当たる為。また、児童たちが春休みでもある此の時期に敢えて旧暦で行う神社があり、更に小雨で順延ならば07/4/6日となる。
因みに08年旧・初午は3/19日。
      
■例年-道真忌(但し普通は2/25日が多く、所により異なる)。

◆07宮城・岩沼・竹駒神社の初午祭。
■例年-たいまつ祭り・・・・・・東京都江東区亀戸、亀戸天神社による神忌(たいまつ)祭。

◆07(初午の日)初午厄除祈願会・・・・・奈良・西大寺。奈良市観光センター0742-22-3900
■当麻蹴速の祭りか・・・・・・・・9/23を参照。

■06-07-08文殊院文殊会(文殊お会式)・・・・・・・文殊院(奈良県桜井市)0744-43-0002で3/25〜26日。安倍文殊院で
は江戸時代から知恵袋を授ける儀式が3/25〜26日まで行われる。ご本尊の文殊菩薩を奉賛する年に最大の法要。智
恵の御供まきも行なわれる。26日には春のお茶会も行なわれる。

■07-08-09蓮如忌・・・・・・・真宗各本山。 
◆例年-道真忌・・・・・・06年の大阪では梅花がまだ残り、水戸の偕楽園の梅花は今が盛りです。他方で桜の開花が大
阪では一部咲き、関東では三分咲きと言う逆転も見られる。この様に梅と桜が並んで咲く年は火事が多いと言われる。

■例年-菜種御供【大阪府藤井寺市、道明寺天満宮】


■08-09電気記念日。

































































3/26 日   ○◎□◇■◆▲▼☆★



徳川三代将軍・家光の命日か・・・・・東京のJR上野駅から上野公園(東叡山寛永寺跡)に入ると、奥の方に上野の東
照宮がある。ご祭神は徳川家康公、徳川吉宗公、徳川慶喜公となっているが、其れは看板だけかも知れない。1616年
2月4日、家康の見舞いのために駿府城にいた藤堂高虎と天海僧正は、危篤の家康公の病床に招かれた。

三人一つ所に末永く魂鎮まる所を作って欲しいという遺言を受けた為に、藤堂家の屋敷地であった上野に1627年に東
照宮を造営した。1646年には正式に東照宮の宮号を授かり、1651年に3代将軍・徳川家光が大規模に造営替えをした
ものが、現存する社殿である。

其の参道は寛永寺跡に向い、更に浅草寺に向かっていて、其の手前に浅草の伝法院がある。此処は浅草寺の本坊
で、小堀遠州の作と伝えられる回遊式庭園があるが一般には公開していない。其処から先は弁天堂に至る。さて上野
の東照宮の参道も、そして弁天堂までの方位も此の日、3/26日方位になる。

彼の命日は4/20日としているので、本日3/26日とは日数にして25日の差となってしまう。だが此処では敢えて3/26日で
あったと明示して上野に東照宮を建てている訳です。グレゴリオ暦の3/26日であれば当時の和暦では2/5日になる。
そうすると日数の差がもっと大きくなってしまう。

因みに日光の東照宮は天台宗だった。其処の配置は彼の命日を和暦で4/20日とするので、グレゴリオ暦に換算すれ
ば6/8日に相当する。因みに家光のご廟(大猷院)との霊ラインが輪王寺本坊で其の日にクロスする事で一致した(4/20
徳川家光も参照)

其れに対して江戸の上野には同系の寛永寺を天海が藤堂高虎の土地に建てた訳だが、此処を軸として逆方位に向か
えば浅草寺があって更に向島に向かう。其処に家光ゆかりの墨田区・牛島神社が有る。ただ此処は家光所縁の神社
としても、生憎、元の場所から関東大震災後に現在地に移って来た社だった。

牛島神社は家光以前の昔から歴史のある古社であって、家光公がご祭神の一座に入っているとは考えられない。
余談になるが以下、引用すれば----三代将軍家光は本所石原新町の土地を寄進して祭礼神輿渡御の旅所としたとい
う。元の若宮町(現在本所2丁目)の攝杜若宮はこれである。

-----http://nari4mu.cool.ne.jp/03-2--ushijima.htm(以上引用)。彼についてこのように2つの命日がある理由として考
えられるのは一般の暦と仏教暦との相違である。特に当時はヒジリとしての天海が既に亡く、暦法の採用について混乱
したのかも知れない。

何れにせよ此の3/26日のラインに沿って参拝すれば、家光の供養となり、恐らく武運長久と平和のご利益を得るかも
知れません。

■07-08火渡り・・・・・・・浄光明寺(鎌倉市扇ケ谷)では五百束の薪に火を点じ、八坂不動に祈祷する火生三昧の荒行
がある。 
■07-08初午祭・・・・・・・養蚕豊作祈願祭。長谷寺(長野県飯田市)。 

▲09比良八講(八荒)・・・・・・・・琵琶湖に春を告げる行事で、僧侶が叡山から汲み取った水や卒塔婆を琵琶湖に流し
て航海安全を祈る。猟師たちは昔から旧暦2/24の前後に寒気がぶり返し、湖上に風波が荒れ荒む事が多いため漁
船を出さなかった。

「八荒」とは「八方の遠い果ての地」を意味するので「荒れ」ではなかったが、丁度この頃、叡山では法華八講の修法を
するので湖上に船を出して比良(白鬚)明神に祈る法会となった。因みに05年の本日は旧暦2/17(06/旧2/27)。

★06はねず踊り・・・・・・06/3/26(日)、小野小町の居住地と言われた京都山科の随心院の恒例行事で地元の小学生が伝説に因んだ童歌を歌い、小町
らに扮して舞う。「はねず」とは薄紅色と言う古語。同寺の梅園は「はねず梅」が中心。拝観料1000円。09年は3/21日。

蘇我倉山田石川麻呂の命日・・・・・・彼は石川宿禰→満智→系統の蘇我馬子の孫(分家の倉麻呂の子)であった。
大化の改新の大功により孝徳天皇の長柄難波宮の右大臣となった彼は、明日香村・山田に真南と真北に正対した壮
大な伽藍の山田寺を建てた。恐らく父・倉麻呂の菩提を弔うためだったろう。

何れにせよ彼は世に山田大臣と言われたが、やがて義弟の讒言により大和に戻り、大化5年のこの日3/25〜6日
に山田寺で自殺した。其の逆方位には橿原市に石川精舎跡として今も本明寺がある。寺とは言っても、春の命日に対
して、秋には彼を神霊として迎える位置づけにある。

因みに其の先は富田林市←→音羽観音である(関係性は未調査)。

★11雲仙松明武者行列 観櫻火宴 3月最終土曜日 長崎県雲仙市
http://www.omatsuri.com/movie/unzen.html 動画
             


































































3/27   



▼09年旧3月朔・新月0106。但し西暦の3月が旧・弥生と重なるのはあと4日だけ。
■09仁王さまの股くぐり・・・・・・・水戸街道屈指の古刹、松戸市馬橋の萬満寺(まんまんじ)は全国唯一の中気除不動尊
霊場。此れは他山に例のない行事で、仁王像の股をくぐり抜けるとその年は病気にならず子供は丈夫に育つという。

特に高血圧症や脳卒中などの中風には霊験があると伝わっており中気除不動尊ともいわれている。詳しくは、
http://www.geocities.jp/mk88km/2005/051028_Manmanji/index.html法王山萬満寺

年3回(正月三が日と三月と十月の27日から29日)ある祭礼の日で仁王門が開帳され「仁王さまの股くぐり」という珍し
い行事が行われて来た。

■09海雲寺・千体荒神祭・・・・・・・東京。28日まで。
 
■浅草神社・堂上げ・・・・・・・04/3/27(土)〜28(日)、現在は三月の最終土日に掛けて執り行われる。浅草寺・本尊・聖観世音菩薩の示現会の
行事として、古式に則り、浅草神社(ご祭神については「3/18」を参照)の神輿三体を浅草寺本堂・外陣にお上げし、一夜奉安する。神輿の重さは一t、夕刻
から松明の中を一ノ宮、二ノ宮、三ノ宮が荘厳・優美に上る。

■10-11湯立獅子舞【神奈川県箱根町、仙石原諏訪神社】
■07-08-09唐人お吉供養祭・・・・・・・宝福寺(静岡県下田町)。 

■赤目四十八滝「滝びらき」・・・・・・・三重・名張市。山伏による安全祈願の後に一般参加により「火渡り」、「入水神事」
などが開催される。0595−63−3004

■近江神宮・鎮火祭。
■06-07-08-09京都表千家利休忌。

■第6回紀州鉄砲まつり(平成17年3月27日・日)・・・・・・・和歌山県岩出町で開催。古式砲術の演武大会としては、全国一といわれている。各地か
ら鉄砲隊が集い、火縄銃の爆音を鳴り響かせます!これだけの鉄砲隊で射撃すると、迫力満点でしょうね(以上「なっとく歴史館」 http://1rekisi.jp/
narasiryoukan.htmより転載)。 

岩出町役場ホームページ は、http://www.town.iwade.wakayama.jp/ 

★10雲仙松明武者行列 観櫻火宴(3月最終土曜日)【長崎県雲仙市】
「動画」http://www.omatsuri.com/movie/unzen.html雲仙松明武者行列 観櫻火宴。




★キリスト教の復活祭(イースター)・・・・移動祝祭日。
★スプリング・クリーン・・・・・・米国では3月末には年に一度の大掃除です。此れはイースターの前に家を綺麗にしようと言うものでしょう。日本ではお正月を迎
える前の歳末に大掃除をするのに対して3ヵ月のズレです。




















































         

                                                  
                                        

3/28                     ○◎□◇■◆△▽▲▼☆★


●06-07-08東京・品川・千体荒神大祭。

■浅草神社・堂下げ・・・・・・・04/3/27(土)〜28(日)、現在は三月の最終土日に掛けて執り行われる。浅草寺・本尊・聖観世音菩薩の示現会の
行事。浅草神社の神輿三体が浅草寺本堂・外陣に昨晩から一夜奉安されていたが、其の神輿(一ノ宮、二ノ宮、三ノ宮)がこの日には「堂下げ」になり、二天
門から江戸通りを経て駒形堂まで「古式三社祭巡行」を行い、雷門仲見世を経て浅草寺境内に安置され、夕刻には浅草神社に還御する。

僧侶の読経と宮司祝詞が同時に行われるこの祭りは神仏習合時代の「観音祭」(三社祭)の再現と言われる。
   
■07-08大祭・・・・・・・迫間不動尊(岐阜県)。 
■06-07-08-09京都裏千家利休忌。

■07-08お身拭式・・・・・・・薬師寺(奈良市西の京町)0742-33-6001金堂ほか諸堂で。 

■07-08護摩供養・・・・・・・不動院岩屋堂(鳥取県若桜町)。 
■07-08開山忌・・・・・・・三仏寺(鳥取県三朝町)。 

■09穂坂・阿蘇神社・泥打祭・・・・・・・・・・・福岡。 


























































3/29                   


▼09旧ひな祭り。

●09志波彦神社の例祭・・・・・・・・宮城・塩釜。かつて国幣中社としての志波彦神社と塩竃神社があり、かつては荒ぶ
る神々を平らげたと言う信仰から奥州一之宮として崇敬されたが、実は暦・方位の神だったと分かって来ます。さて前
社がこの日、後社が7/10を例祭とする。主神は前社が志波彦神、後社が塩竃神である。

但し前社は昭和13年まで岩切村に有った。元の宮の正確な位置関係を地図の上では確認出来ないが、地名からは
東に遷宮しているのが分かるので、例祭日の9/28←→3/29の暦・方位に近い方位の現在地へ遷宮したものと推
定する。従ってこの例祭は遷座記念祭とも言われる。

所でこの辺りは北緯38°18分に位置するので、志波彦神社の向かって東から東南に30°の方向には七ヶ浜・韮山
があるが、冬至にはこの方角から日の出が有る筈である。また当社の東北には伊勢神明社があり、其の暦・方位は2
/19日になるが、真東からの方角は31.5°であり、此処に向かえば夏至の日の出が遥拝できる訳です。

さて、志波とはどんな波なのかと言えば実は時間の波でした。志波はシバであり、昔は時間を計る事でした。とすれば
シバ彦神とは、時間を観測した日子と言う意味と分かる。よって隣接する塩竃神社では鹿島(日島)・香取(日取り)の
神を祭って来た事になります。

そうした由来からか、この神社の唐門内には林子平の考案による石造りの日時計もあるとの事。だが総社宮との関係
から推察すれば、昔の例祭日は寧ろ8/28←→2/29だった可能性も有る。

と言うもう一つの理由は方位です。総社宮から志波彦・塩竃神社を見れば、夏至の日の出の方位に当たるので、明治
の改暦か、遷宮で変更された可能性があったかも知れない。さて末社の一つに松島湾内の和歌の名所として知られる
まがき島・曲木神社があるが、其の方位は3/8に位置し、氏子三祭と称する3/10の帆手祭に略合致する。

次に本町には矢張り末社の御釜神社があるが、其の方位は更に東南の須賀神社を通って先の韮山辺りに向かう。こ
の方位は暦にして4/26日であり、従って4月の第4日曜日に行われる花祭に略合致する。

他に8/5には港祭りがあり、以上三回の祭りには「荒れ神輿」の異名を持つ重さ17tの神輿渡御がある。また特殊神
事として12/1には嘉津良比祭が行われる。何れにせよ、一年の対極に二つの例祭を続けて来た事には敬服する。

径山木紀忌(黄檗宗)。 
■07-08開山忌・・・・・・・妙厳寺(愛知県岡崎市)。 
■07-08開山忌・・・・・・・西芳寺〔苔寺〕(京都市西京区)。 

■桓武天皇皇后の命日・・・・・・・彼女・藤原乙漏は延暦9(790)閏3/10に崩御した。此れをユリウス暦にすると3/29にな
る。其処で其の方位を見ると現在の平安神宮の東に至る。

此処で桓武天皇の命日方位と交差するのである(「3/17--4/9」及び「6/7」を参照)。また逆方位は雙岡町に至り、近
くに花園西陵があるので、彼女の陵は其の中にあるものと推断出来る。とすれば向日市内に治定されている桓武天皇
皇后陵は誤伝であり、暦・方位から見れば聖武天皇皇后の陵である。






















































3/30                  ○◎□◇■◆



■07-08小迫祭の延年・・・・・・・勝大寺(宮城県金成町)。 

■07茨城・東海村・虚空蔵堂・・・・・・・・十三参りで有名。以下、http://www.taraku.or.jp/cgi-bin/renewal/view.cgi?dnum
=0より引用。創建1200年記念 本尊御開帳・平成19年3月30日〜4月3日。御護摩祈願。村松山虚空蔵堂は、平城天皇
の勅額により、平安初期大同二年(807)弘法大師によって創建されました。

本尊の虚空蔵菩薩は、弘法大師が鎮護国家、萬民豊楽、平和祈願のために、一刀三拝の礼をつくしてお刻みになっ
たものです。当山は平安末期より、約500年の間、領主佐竹氏の保護を受け、近世には徳川家康公より朱印五十石を
寄進され、光圀公の庇護のもと朱印寺として栄えてきました。

現在は真言宗豊山派に属し、伊勢の朝熊虚空蔵尊、会津の柳津虚空蔵尊とともに日本三体のひとつとして、厄払い・
出世開運を祈願する多くの参拝者をお迎えしています。
 
★08はねず踊りと今様・・・・・・京都市山科区の髄心院075-571-0025で、平安時代の歌人・小野小町の恋物語(百夜通
い)を題材にした踊り。ハネズとは薄紅色の衣装の事。境内の梅園前で、ハネズに菅笠を纏った少女たちが童歌に合
わせて華麗に舞う。09年は3/21日。

■06-07-08-09薬師寺・修二会・花会式・・・・・・・薬師寺(奈良市西の京町)0742-33-6001金堂で3/30〜4月5日までの
1週間。夜7時から。続く4/1日(土)は稚児行列、舞楽。2日(日)も稚児行列、奉納太鼓。3日(月)は能楽、狂言。何れも
一時から。最終日の4/5日夜には薬師寺の修二会・結願の「鬼追い式」がある。

本尊の薬師如来に人の世の罪を懺悔する薬師けか(悔過)の法要。御本尊に着色した和紙10種類、3000本の造花を
供える事から花会式(はなえしき)とも呼ぶ春の行事。5日は金堂前の舞台で、たいまつを持って暴れる5匹の鬼を、毘
沙門天が鎮める「鬼追い式」が圧巻。

副住職による法話と日替わりで文楽や献香など。詳しくは奈良市観光センター0742-22-3900

★08玉列(たまつら)神社の椿祭・・・・・・桜井市の大神(三輪)神社の摂社として、三輪山の南麓の慈恩寺にて玉列王子神
を祭る当社(式内社・玉椿明神)07444-2-6738では毎年3月の第三日曜日に椿祭りをする。此のころ、境内には数十種類の
花椿400本が見ごろとなる。参拝者には氏子らにより「うどん」の無料サービスなどがある。

また境内には「玉の井」と呼ばれる霊泉や子宝石がある。因みに玉列王子神は大物主神の神子神であり、また同じ摂
社として大宇多の大神神社ではみめ(神女・姫)神を祭っている。此の付近は古代の市、つば市(海柘榴市・椿市)があった
所。当社(玉椿明神)の御例祭は10/12-13日。境内南に阿弥陀堂がある外、薬師堂が現在は社務所になっている。

また本殿奥の山中には巨石磐座(いわくら)がある。

★08多治速比売神社・稲荷祭・・・・・・・・赤丹の社殿が美しい神社。旧・境内地には梅園が広がる。堺市南区宮山台2
丁3番1号 TEL:072(297)0726 毎年3月の最終日曜日に稲荷祭として午前10時から午後1時より奉納のどじまん大
会。終了後、福もちまき。尚、梅、桜の開花期における駐車場は有料。

因みに例祭日は10月5日に近い日曜日の午前9時。以下、http://www1.ocn.ne.jp/~tajihaya/haidenn.html「多治速比
売神社」荒山宮(こうぜんのみや)-由緒から引用。当神社には高山(こうぜん)縁起が伝わる。和泉国大鳥郡の延喜式内社
24座の1つで、西暦530年頃の御創建と伝えられている。

明治初年までは総福寺と併存した神宮寺であったが、神仏分離の際、神社のみとなった。現在の本殿は室町時代の
建造物(天文年間1539年〜1543年に再建)で国の重要文化財に指定されている。主祭神は多治速比売命(たじはやひめのみこと)
女神として厄除・安産・縁結びの神として崇敬が厚い。

また本殿には素盞嗚尊(すさのおのみこと)・菅原道真公も合わせて祀られ、特に道真公は学問の神(天神様)として厚く信仰さ
れている。境内には十三の末社【坂上社(式内社)、鴨田社(式内社)、大神社、住吉社、天照社、八幡社、春日社、熊野社、
白山社、弁天社、稲荷社、福石社、水天宮】があり合わせて荒山宮 (こうぜんのみや)とよばれている。

なお、昭和38年に泉北ニータウンの造成計画に伴い、由緒ある当神社のご神威をさらに発揚すべく境内の整備、拝
殿・参集殿等の大改築を行い現在に至った。

当時社有地の大部分は住宅、公園用地として買収され、神社周辺は堺市の公園として荒山公園 (こうぜんこうえん)と名付
けられ、そこには「花の名所づくり」の一環として市により梅林が整備され、約1,340本の梅が植樹されている。

当神社は荒山公園の中心として緑の森に囲まれ、春は梅・桜・山つつじ、夏は青葉、秋は紅葉、冬は木々に積もる雪
景色と四季折々の眺めは言わん方なく、遠く望めば東に金剛・葛城の連峰南に和泉葛城の連峰 、西には茅渟海に浮
かぶ淡路島と壮大な姿が展開され自然に恵まれた景勝の地となっており、年間を通じて参詣者が絶えない。

























































3/31     

                     


■06-07-08水戸の梅まつり(2月20日〜3月31日)【茨城県水戸市、偕楽園・弘道館】実行委員会029-224-0441     
■赤目・香落・青連寺「青葉まつり」・・・・・・・三重・名張市。3月下旬〜5中旬の予定。名張市観光協会0595−63−
9087
■07防府天満宮・例祭・・・・・・・菅原道真公の命日の祭り(因みに07年の此の日は旧暦の2/13日)。

■09会計年度末。教育基本法公布記念日。学校教育法公布記念日。














































4 月 以下は次ページへ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

■「神々の歳時記」の各項目のご理解には「366円暦」が必要です。円暦は別紙の「日読み1」http://toki.mikosi.com/
page044.htmlで公開していますが、其の実物を希望される方は末尾に従ってご請求下さい。

■尚、各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年06-07と追加する形で示していますので、
*開催日等の詳細には主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。

■「神々の歳時記」に記した例は仮説ではなくて、太陽暦に重ねて古式祭による祭政一致を行っていた古からの日本
文化の原理です。其の具体例を今回、公開したものですが、海外への情報流失防止のため、特に「本文」については0
4/11月から「非公開」としました。

■@マークの付いた以下の部分が「非公開」部分です・・・・・・・@マーク以下には「地理・方位の具体例と其の意味や
暦との関係式」などの詳細を隠しています。この隠れた部分の資料をご希望の方は、「メールフォーム」か掲示板から
ご連絡下さい。

■文中に誤記や間違いがありましたら、恐れ入りますが上記により下記まで御一報賜れば幸いです。尚、参考文献は
巻末に記しました。  

■♪ ただいま募集中 ♪-----●各地のお祭り情報-----あなたの自慢の祭り、知っているお近くの祭りなどの情報
をお寄せ下さい。http://6535.teacup.com/hijiriou/bbs ひじり(日知り)掲示板、
またはメールアドレス tjkny@ybb.ne.jptjkny328@ybb.ne.jp (鬼の会)へ、どうぞ。




次は
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