http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」 p086 (未定稿)


   神々の歳時記    2月後半  但し方位による
次は
または
トップへ
トップへ
戻る
戻る

●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起
の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版 
http://www.omatsuri.com/link/linkvex.html

及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-2月」及び奈良観光連盟ガイドブックの「知れ
ば知るほど奈良はおもしろい」06-07冬号より一部引用・転載させて頂きました。

■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記
には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の
詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。


2月・後半 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★



2/16 日  


■この日と8/16(お盆)を縁日とするのが阿弥陀・閻魔大王(浄土十王)であり、実は八幡信仰とも重なる。
さっぽろ雪まつり 2月中旬 北海道札幌市 http://www.omatsuri.com/movie/yuki.html<動画>

■07-08川渡り梵天【秋田県大曲市、伊豆山神社】
★08上杉雪灯籠まつり(2月第2土曜〜日曜日)【山形県米沢市】

■06-07-08-09日蓮聖人誕生会・降誕会(日蓮宗)。 
■06-07-08半僧坊祭・・・・・・方広寺(静岡県引佐町)。

■06-07-08宗祖降誕会・・・・・・本圀寺(京都市山科区)。 
■06-07-08宗祖降誕会・・・・・・本能寺(京都市山科区)。 

■長屋王(ながやのおおきみ)の命日・・・・・・・・・・・天武天皇13年(684年)?生まれ - 神亀6(天平元)年2月12日(729年U3
月16日)46-55歳で自害。兄は文武天皇、姉は元正天皇。夫人は吉備内親王。

奈良時代の皇族、公卿。正2位左大臣。皇親勢力の巨頭として政界の重鎮となったが、対立する藤原氏の陰謀と言わ
れる「長屋王の変」で自害した。

平城宮跡東南のデパート建設予定地で大量の木簡が出土した(其処が長屋王邸跡と判明)。奈良市二条大路南のそご
うデパートの予定が今はイトーヨーカドー奈良店となっている。他方、生駒の東麓(平群谷)生駒郡平群町梨本字前758
に長屋王墓(直径15mの円墳)とその北西150mに吉備内親王墓(直径20mの円墳)がある。

@長屋王邸跡と墳墓の地との方位は8/18日---2/16日であり、つまり彼の命日方位と4日のズレで略合致する。此れ
は4/366=1%の誤差であるから、今の歴史家が当時存在しなかったグレゴリオ暦に換算して見ても無意味なのです。

Aしかも此の2月12日で暦・方位が略合致したと言う事は、当時は今風の数字式の西暦カレンダーではなくて、和暦(天
文方位の太陽暦)だった事が此処でも明確になる。しかも

B此のラインの中間には唐招提寺と矢田寺があって命日などの鎮魂法要の中継点となっていた事を闇に明示してい
る。

C此の事は、彼の御魂が怨霊となる事を恐れた故に寺院による鎮魂の法要だけで済ませて、神として半年後に神式で
祭られる事はなく、従って墳墓も円墳のまま放置されて前方部まで築造される事がなかった事を黙示している。

いや、彼ら夫妻と共に4人の男子を道連れに自害した為、彼を弔う子孫がなかった為でもあろう。ただ4日のズレがある
ので近くの別の古墳が真の陵となる可能性もある。

■06-07-08箸供養・・・・・・・・善能寺(徳島県)。 
★08西大寺会陽(裸まつり)(2月第3土曜日)【岡山市、西大寺】

★08萩・椿まつり(2月第3土曜日〜3月21日)【山口県萩市】

■06-07-08-09全国狩猟禁止。
★09所得税確定申告始。

























































2/17   


▼09下弦0637。
                

■11八戸えんぶり 2月17〜20日 青森県八戸市
八戸えんぶり    http://www.omatsuri.com/movie/enburi.html<動画>

●例年-えんぶり新羅神社(八戸えんぶり)・・・・・・・・2月17日〜20日。青森県八戸市。八戸えんぶりは摺(す)りと形
容される勇壮な舞で豊作を祈願し、青森県県南地方に春を呼ぶ伝統行事です。初日は長者山・新羅神社で奉納摺り
が行われる。

境内は早朝から各組の威勢の良い太鼓と笛、手びら鉦(がね)の囃子(はやし)が響き、各組の太夫が次々に自慢の摺
りを見せる。この後、各組は繁華街に繰り出し一斉摺りに臨みます。

えんぶり大会では、子供たちの摺りを見ることができるほか、えんぶり大かがり火まつりでは、かがり火の中で舞を披
露、幻想的な雰囲気をつくりだします(以上、メルマガ【なっとく歴史館】 公式サイト:(随時更新) → http://1rekisi.jpよ
り転載)。 円ぶりの詳細URL http://www.enburi.jp/

えんぶり  http://www.omatsuri.com/movie/enburi.html<動画>

■06-07ゴボウ講 2月17日・・・・・・以下、引用する。「ゴボウ講」とは越前市国中地区に残っている風習で、毎年2月17
日に5合もの山盛りのご飯をゴボウの味噌和えで食べるもので、このほかにたくあんの丸きり2本、丸揚げのゴボウは2
本、大根の煮しめと焼き豆腐が1丁、お酒は茶碗で飲む豪快なものです。

「報恩講」は、毎年秋の浄土真宗の門徒たちの行事です。厚揚げや里芋のころ煮、味噌汁、精進揚げ、すこ(ずいきの
酢の物)などで、今では一般家庭でも取り入れられています(https://info.pref.fukui.jp/hanbai/s/sf/a7b.html 「福井県
販売開拓課」)。江戸時代から地区の人々が豊作を祈る風習の1つ(07/2/17、NHKラジオ深夜便)。

■09谷汲踊り(豊年祈願祭、雨乞い踊り)【岐阜県揖斐川町、華厳寺】

■06-07-08-09伊勢神宮・祈年祭・・・・・・・・23日まで。この祭りの起源については、「古語拾遺」に、大地主神が御歳神
の祟りを恐れて、この神に穀物の豊作を祈ったとの伝説が語られている外、諸説があるが、略天武天皇朝に「トシゴヒ
ノマツリ」として官祭になった。

トシとは穀物の事であり、大宝令には「神祇官此れを祭る」、とされ、延喜式では、其の祭る神は全国で3132座に及ん
だが、応仁の乱を境に廃絶した。今は伊勢神宮などで古儀の形で祭行されている。他に宮崎の鵜戸神宮では大祭、鹿
児島の照国、揖宿、開聞神社でも祈年祭がある。

■07-08祈年祭・・・・・桜井市の大神神社0744-42-6633で。
■07二のうま・厄除祭・・・・・・・奈良・大和郡山市の松尾寺0743-53-5023では、此の日、厄除け祈祷厳修、柴燈大護摩
奉修、神楽奉納など。

■07祈年祭・・・・・奈良・橿原市の橿原神宮0744-22-3271の内拝殿で五穀豊穣などを祈願する祭典。
■07岡寺の二の午・・・・・奈良・明日香村の岡寺0744-54-2007で。

■御歳神社・祈年祭・・・・・・・・全国の祈年祭は此処、奈良・御所市東持田の御歳神社(中鴨社)を中心として行われて
いました。御所市には上、中、下の鴨社があり、京都市の上賀茂、下鴨神社より古いと言われる。

柏原厄除大祭・・・・・・・・06/2/17〜18(金土)。兵庫・丹波市の柏原八幡神社の例祭。此処は丹波、但馬、丹後の中
の「三丹一の厄神さん」と親しまれて毎年10万人の参拝者で賑わう。18日の深夜〇時、全ての灯りが消された暗がり
で全国でも最も古式の厄払い神事「青山祭壇の儀」が行われる。

周辺には約250店の露店が並ぶ。雨天決行。観光協会は0795−73−0303(以上は朝日新聞2/16より)。
因みに柏原を此処ではカイバラと読み、この日の方位には妙高山(標高565m春日町)が有り、また逆方位には石龕
がん寺(山南町)や浅香山(316m中町)が有る。

■07-08法界寺三木合戦絵解き・・・・・・・法界寺(兵庫県)。 

★07西大寺会陽「裸まつり」・・・・・・・岡山市西大寺で2月の第3土曜日。お寺で授けられる五福(寿、富、康寧、好徳、
終年)が祈祷された護符に大変ご利益があると評判になり、希望者が殺到したため、室町年間の1510(永正7)年、当
時の住職・忠阿(ちゅうあ)上人がこれを投げ与えたことに始まります。

護符が奪い合う人々によってちぎられてしまうため、護符は紙から木の宝木(しんぎ)にかえられました(以上はメルマ
ガ【なっとく歴史館】 http://1rekisi.jpから転載)。「裸まつり」の詳細URL  http://www.optic.or.jp/saidaijicci/

★08秋吉台山焼き(例年2月第三土曜日前後)【山口県秋芳町・美東町】
■07-08年祭・・・・・・・竜蔵・馬頭観音(山口市大字吉敷)。 

























































2/18 日   


●09雨水2146。▼09二の午。

▼07朔・旧正月・元日・日曜。但し▼08年の旧正月は2/7日・・・・・ 07年の旧暦ではこの日から正月に入る。従って西暦の1月=睦月が重なるのは三日間だけ
で、実は西暦の1月の中身の殆どが旧12月・師走だった。西暦の正月では、七草と言っても野山に七草はなく、初春と言っても小寒、大寒、節分と益々寒さ
が厳しくなる。其れに対して、07年の旧暦の此の元日(新月)は立春を過ぎて明日2/19日から「雨水」ですから、ホンモノの春です。 

★11十日町雪祭り(〜20日:例年2月第2土曜〜日曜日)【新潟県十日町市】

■西浦田楽・・・・・05/2月18(金)〜19日(土)。静岡県水窪町西浦。1300年の歴史を受け継ぐ22人の能衆が、灯明の下で47番の舞を繰り広げ、
五穀豊穣や地域の無事安全を願います。

前半の「地能」では、羽織姿の能衆が農作業を模した舞や、猿の面を付けて踊る「猿舞」などを披露し、「御船渡し」で高さ数メートルの巨大なたいまつに神火
をともします。翌日未明には赤鬼や高砂、治部など先祖伝来の面を付けて乱舞する「はね能」が行われます。能衆が刀や扇を振りかざして舞台を跳ね回り、
熱気にみます。

夜明けとともに神々を山に帰す「しずめの舞」を奉納し、農祭りの幕を閉じます(メルマガ【なっとく歴史館】公式サイト:(随時更新) → http://1rekisi.jp)。 こ
の田楽の詳細URL  http://www.misakubo.com/

■07-08-10-11谷汲踊り(豊年祈願祭、雨乞い踊り)・・・・・・・・岐阜県揖斐川町(揖斐郡旧谷汲村)の華厳寺で大太鼓
をかかえ、凰鳳の羽をかたどった良さ4メートルのシナイを背負って踊る「雨乞い踊り」・豊年祈願祭。
谷汲踊り    http://www.omatsuri.com/movie/tanikyu.html<動画>

■07-08吉田初観音・・・・・・新長谷寺(岐阜県関市)。 

■07-08火渡り大護摩・・・・・・・千福寺(三重県)。 
■07御田祭・・・・・奈良県・田原本町の鏡作神社0744-32-2965で行なう。10時から祈年祭。午後1時から「御田植舞」
「豊年舞」の奉納と牛使いの神事。

■09田村まつり・・・・・・・・・滋賀県甲賀郡土山町北土山469で平安初期の征夷大将軍・坂上田村麻呂※を祭る田村神
社0748-66-0018では毎年2/17-19日に厄除(やくよけ)大祭(田村まつり)を行う。此処は元々垂仁天皇45年(紀元前47年)
倭姫命の神霊を鈴鹿明神と称して祭った所。

後の、弘仁13年(822)嵯峨天皇が坂上田村麻呂の霊を、社に合祀して社号が田村神社となった。毎年2月17日〜19日
の3日間は厄除大祭、4月8日には例祭、7月25日〜27日には万燈祭が執り行われ多くの参拝客で賑わう。鳥居から拝
殿-本殿に、略その1/25日---7/25日の暦日・方位に沿った形で直線的に伸びる杉木立の参道と太鼓橋がある。

昔は境内を旧・東海道が通っていたと言う宮司は田村英治氏51歳。宝生能楽に、能「田村」があるように、此処には田
村麻呂の「神矢」の信仰もあるが、今も厄除と往来安全の信仰がある。境内の東南西部を田村川が囲む。但し最寄駅
はJR貴生川(きぶがわ)駅。

因みに※但し坂上田村麻呂の命日は弘仁2=811/5/23日である。其れに対して彼の父・坂上苅田麻呂が延暦5(786)/1
/7日に亡くなっている。此の日をユリウス・グレゴリオに変換すると2/10-14日となる。従って此の2/17-19日の縁日は、
田村麻呂が父・苅田麻呂を弔う為の年忌だったと思われる。

事実、田村神社と参道の示す1/25日のラインの先に太平寺(甲賀市土山町鮎河1593)0748-69-0339がある。けれど
も検索では出ないので、全く別の栃木・烏山の太平寺について引用する。

烏山の大平寺の創建は延暦22(803)年、坂上田村麻呂が東夷東征の際、戦勝祈願としてこの地に堂宇を建立し千手
観音菩薩像を安置したのが始まりと言われる。従って此の時期の田村神社の厄除(やくよけ)大祭(田村まつり)に限って言
えば、苅田麻呂の弔い、つまり仏事である。

其れに対して略逆の時期に行われる7月25日〜27日の万燈祭こそ、苅田麻呂の日迎え、つまり神事の祭りと分る。

■07出雲大社・福神祭。

■07萩・椿まつり(2月18日〜3月21日)【山口県萩市】
■07秋吉台山焼き【山口県美祢郡秋芳町・美東町】

■07-08木原不動・「湯立て」・・・・・・・熊本県宇土市・長寿寺では大護摩祈祷後、炭火の上を素足で波る「火渡り」と、
熱湯を笹につけて頭から浴びる「湯立て」の荒行がある。

中国は07春節・・・・・・・旧暦の1/1の新月(無月)をお正月として祝う行事を春節と言う。節分前後に年に最大の春
節祭となるが、2004年の場合は旧暦の元日(新月)が1/22日、そして07年は本日2/18日となる。この日は横浜や神戸
の中華街では街中に燈籠を掲げ、街中を龍の舞が練り歩き、彼方此方で爆竹が鳴らされる。

中国では此の元日から約2週間、人々が街に出て夫子(フウシ)廟や関帝廟に初詣したり、鶏鳴寺に繰り出して賑わ
う。
▼07リオのカーニバル・・・・・・・今夜からパレード・コンテストが始まる。07年は殺人事件があったので6000人の警官と治安部隊も出動する。08年
は2/1から2/6日頃。




















































































2/19   


■07雪中田植え・・・・・・・秋田・湯沢市では伝統の此の行事を例年・小学生たちが行なって豊作を祈る。

■西代神社のライン・・・・・・河内長野市に西代神社があって、昔は大梵天、今は国常立命を主神としている。ただ市
内の他の神社と横並びで10/10頃に例祭をしているので残念ですが幸い、@
方位に遺跡が並んでいるので、本来の祭り(旧暦の2月初午としている)がこの日であると分かる。

秋吉台山焼き【山口県美祢郡秋芳町・美東町】
★11西大寺会陽(裸まつり)(2月第3土曜日)【岡山市、西大寺】
         http://www.omatsuri.com/movie/saidaiji.html<動画>

★11萩・椿まつり(2月第3土曜日〜3月21日)【山口県萩市】

★09万国郵便連合加盟記念日。






















































































2/20 日  


▼09廿六夜待ち。
▼10黒石寺蘇民祭(旧暦1月7〜8日)【岩手県奥州市水沢区、黒石寺】
http://www.omatsuri.com/movie/sominsai.html<動画>

●例年-水戸の梅まつり(2月20日〜3月31日)【茨城県水戸市、偕楽園・弘道館】実行委員会029-224-0441      
■09十日町雪祭り(〜22日:例年2月第2土曜〜日曜日)【新潟県十日町市】

■浅間神社(富士山)と開聞神社(鹿児島)のライン・・・・・・・・鹿児島県・開聞神社からこの日、2/20の方位に向かえ
ば、揖宿神社から知林ヶ島を経て日南市の鵜戸神宮に至り、更に進めば伊勢を経て富士山に至り、更に進めば茨城
県・大洗の旭村・子生厳島神社に至る。

浅間神社のご祭神は木花咲夜姫(大山積神の娘)であり、彼女は二二ギノ命の后だった。開聞と揖宿と鵜戸のご祭神
は大ヒルメムチ(鵜戸では二二ギノ命も祭る)であり、伊勢では天照大神、そして子生では弁天様となる。@

●例年-すりばちやいと【福井県鯖江市、中道院】
梅まつり・・・・・・・・和歌山・田辺市・みなべ町で上旬から下旬頃。

★10西大寺会陽(裸まつり)(2月第3土曜日)【岡山市、西大寺】
西大寺会陽 2月第3土曜日 岡山市
http://www.omatsuri.com/movie/saidaiji.html<動画>

★11秋吉台山焼き(例年2月第3土曜日前後)【山口県秋芳町・美東町】


▼09鳴雪忌。


















































































2/21   


■10屈斜路湖のおみ渡り観察会。

■06-07-08増上寺・五重・・・・・・・・・増上寺(東京都港区)では、2月21日〜3月13日に五と言う浄土宗の宗義の秘奥を
伝える儀式をする。
★寅の意味・・・・・・・円暦では2/20.5日の方角が寅の方角である。さて東京港区には善福寺があり、後背部には寺山
があるが、其れが麻布山である。昔は幾つもの山道が頂上を目指していて、頂きには神社だってあった。

今は麻布山・善福寺(今は真宗)と言う寺であるが、此処からかなり離れた所にある虎ノ門も、かつては此の善福寺の
山門であったと言う。境内が其れほど広かったと言えようが、此処では方位の観点で言う。此の寺から虎ノ門は実は丑
寅方位であるが、寺から寅の方位には鹿島神宮がある。

http://kkubota.cool.ne.jp/yanaginoi.html「善福寺」から引用すれば、もと、真言宗寺院で天長元年(824)に空海の開創
という、伝承があり都内でも古い寺院の一つに数えられている。「鹿島清水」が惣門と中門の間にあり、往古弘法大師
が常陸国鹿島明神に乞い得たまいし阿伽井(あかい)なりと。

又土人いわく、鹿島の地に七井と称する霊泉あれどもそのうちの一つは空水なりといえり。昔はその側に柳樹ありして
は一名を「楊柳水(ようりゅうすい)」とも唱える。江戸名所図会では、「弘法大師が鹿島の七つの霊泉の一つをこちらに
移したので鹿島では一つの霊泉が空になってしまった」と言う。

「柳の井」はその名の通り門から本堂に向かって右手の柳の木の下にある。「柳の井」は通称で正式には「楊柳水」と
いい、井戸の脇には「楊柳水銘」の石碑がある。また弘法大師が常陸の鹿島明神に願って得た阿伽井(あかい)である
という説から「鹿島清水」の別称がある(以上引用)。

次に関西では聖徳太子が物部氏を滅ぼす為に此の方角@にある信貴山に毘沙門天を祀った。

■09千葉・人形まつり・・・・・・・勝浦で3万点を展示。

■国府宮はだか祭【愛知県稲沢市、国府宮神社】
■09左義長祭(〜22日:例年2月最終土曜〜日曜日)【福井県勝山市】

■09西大寺会陽(裸まつり)・・・・・・・岡山市、西大寺観音院で、2月第三土曜日。1500発の花火。
■09善通寺大会陽(〜22日:例年2月第四土曜〜日曜日)【香川県善通寺市、善通寺】

■09萩・椿まつり・・・・・・山口県萩市笠山では2.5万本のやぶ椿がある。2月第三土曜日〜3月第四日曜日。人形と踊り
の披露。
★10秋吉台山焼き(2月第3土曜日前後)【山口県秋芳町・美東町】

★06-07-08アレルギー週間(〜23日)。


















































































2/22 日 


■竹駒神社初午大祭・・・・・・・・・2月22〜27日。宮城県岩沼市。稲荷大神に対し五穀豊じょうを祈ったところ豊作とな
り、そのお礼参りとして奈良時代に始まりました。期間中の日曜日にメーン行事「神輿(みこし)渡御」が行われ、行列が
古式ゆかしく市内を練り歩きます。

大名行列の先触れに由来する市指定無形文化財の「竹駒奴(やっこ)」を先頭に、華やかに着飾った稚児や神子が続
きます。所々で、藩政時代から伝わる「毛やり受け渡し」の技を披露します(以上はメルマガ【なっとく歴史館】 http://
1rekisi.jpより転載)。 この祭りの詳細URL http://www.city.iwanuma.miyagi.jp/

■06-07-08太子会・・・・・・・広隆寺(京都市右京区)。

■06-07聖徳太子忌(聖徳宗)聖徳太子の命日法要・・・・・・法隆寺(1992世界遺産)、及び南河内郡太子町の叡福寺な
どで。但し2/1」を参照。07年の此の日は両寺で「太子道をたずねる集い」として法隆寺0745-75-2555から太子御廟(磯
長叡福寺)までの道を歩く。

■ヤマトタケルの命日・・・・・・堺市には古来、和泉国の一宮としてヤマトタケルと大鳥連祖神を祭る鳳大社がある。因
みに社殿は古式の大鳥造り(出雲大社造りに似た造り)。古来、此処は藤原氏で栄え、後にニワイ、鍬ユキ、浜、井瀬
の四社を合わせて大鳥五社と言った。

他に4/13には浜寺公園へ渡御する花摘み祭、7/31には夏祭りとして市内・宿院へのお練り「堺渡御祭」がある。
次に浜宮の例祭日が今は10/5にある。そして和歌山県岩出町の大宮神社の主祭神がまたヤマトタケルになってい
る。此れは偶然だろうか。@

■06-07-08大師祭・・・・・・斑鳩寺(兵庫県太子町)。
 
■「竹島の日」・・・・・・島根県議会が05/3/16、賛成多数で2/22を「竹島の日」とする条例を可決・成立した。こ
の事から韓国側はまたも「反日」運動が高まり、翌日17日には過去最大のデモとなった。北朝鮮も同様に、日本を「強
盗」と批判した。

こうした事を日本では「盗人猛々しい」と言うが、国際常識に照らしても韓国の行為は恥ずべき事ではないか(ヒジリ「竹
島」を参照)。

★09リオのカーニバル・・・・・・・ブラジルのリオデジャネイロのカーニバルが22日の夜(日本時間23日の午前)、最高潮
を迎える。踊りと歌のレベルの最も高い12チームが、二日間にわたって得点を競う催しで、リオ中心部にある6万人収
容の専用会場には、各チーム約4000人のダンサーらが登場する(2/24朝日)。

















































































2/23 


■03-75大祭礼・・・・・・・平成15年のこの日から茨城県では金砂郷町と水府村と言う東西に位置する東金砂神社と西
金砂神社との両社で、72年に一度の磯出大祭礼が略一週間(延べ10日間)にわたって繰り広げられた。両社は大己
貴命と少彦名命を祭る社として、方位としては東と西の、暦・方位で見ると、2/20.5から8/21.5日に位置する。

所が平成15(2003)年にはその一ヶ月後の3/23(旧暦2/1)から一週間掛けて大行列・大祭礼が交互に繰り返し行われ
た。出御は3/22西金砂神社から渡御が始まり、最後は3/31に東金砂神社に還御となる。

此の祭りでは大行列と共に水木浜での磯出大祭礼が昔は圧巻だったと言われるが、外にも未年に行われるこの大祭
礼には「金砂大田楽舞」がある。余談になるが未年には金融恐慌や満州事変、其の前は安政の大獄など、大事件が
多かったので、03年は勿論、次の2075年の祭りも果たしてどんな年になるのかと取り越し苦労されている。

其の他に七年目の未と丑年の小祭礼には小田楽が奉納されて来た。この祭は「磯出大祭礼」が有る通り、山間部の二
つの神社のご神体が平安から江戸時代の装束姿の五百人の行列を伴って海に出て、海水で清めの秘儀を営み、再
び山に帰る、その行程が75km、10日間にも及ぶ大行事である。だから氏子たちは三年前からその準備をする。

所で、神社にも二種の性格があり、東金砂神社の場合は最初に神が日立市の水木浜の磯に現れて、その後にこの金
砂山に鎮座する形であると仮定できる。また坂上田村麻呂が祈願のため多宝塔を此処に建てた。其の由来を伝える
古社であるから神楽を奏する(田楽も伝わるが)のに対して、西金砂神社の元の意味は寺院の立場でした。

此処は大同元(806)年に天台沙門宝珠上人が比叡山の日吉権現を勧請した所であり、其処までは東金砂神社の開
基と同じであるけれども、江戸時代は此処を定源寺と言った。だから神楽ではなくて田楽舞を伝える。

此れは前九年の役の後の、白河天皇の承暦2(1078)年に神霊を慰める余興として奏されたと言われ、其れは無論、
比叡山から寺僧が来て伝えた訳です。例祭日が今一ヶ月もズレたのは、古に折角、真の太陽暦で刻まれて来た方位
暦の指針を旧暦と勘違いして、其れをお上のお達しにより西暦に換算してしまったのではないか。

此処では最古の大祭礼が仁寿元(851)年に行われており、外にも12年と6年毎には中祭礼と小祭礼も行われて来た
が記録が少ない上、72年に一度、つまり一生に一度見られるかどうかの儀式であり、恐らく子供が見た時代の記憶が
古老となった時期には詳しい事も曖昧となり、季節感も薄れてしまうのでしょう。

とすればやはり改暦の弊害で月日が一ヶ月ズレたとすれば残念でもある(「3/23」、及び「8/23弊立」を参照)。

★08左義長祭(2月最終土曜〜日曜日)【福井県勝山市】
■06-07-08大力尊法会・・・・・・聖護院(京都市左京区)。鎮護国家万民豊楽を祈念する護摩供が行われる。 

●例年-京都醍醐寺・五大力尊・仁王会・餅上げ力奉納・・・・・・・京都市伏見区醍醐寺075-571-0002。不動明王など五
大明王に鎮護国家万民豊楽を祈念する護摩供が行われる。1100年余の歴史があるが、祭りよりも人気があるのは、
男女の参加者が男約150キロ、女約90キロの大鏡餅を持ち上げて時間の長さを競う事。

■07東大寺・花こしらえ・・・・・和紙で椿の花びらを作る。
■06-07-08会式・・・・・法隆寺(奈良県斑鳩町)。 

★08善通寺大会陽(2月第四土曜〜日曜日)【香川県善通寺市、善通寺】
■07くだ粥・・・・・山口県・平尾町・平尾地区では今年の稲の出来を占うとして此の神事をする。 

皇太子・誕生日。





















































































2/24  


■07水沢・黒石寺・裸祭り・・・・・・<日本すきま漫遊記>黒石寺http://www.sukima.com/16_hanamaki01_03/
03kokusekiji.htmから引用。岩手県水沢市(奥州市水沢区黒石町)・妙見山・黒石寺(こくせきじ)。行基が開基、円仁が
中興したという伝説のあるこの地方の名刹。

全盛期には48の堂塔を連ねたというがたびたびの火災で衰微し、今は広大な境内が寺の規模を物語るだけである。
本堂の薬師堂。寄棟造、円柱で柱は太くて豪壮な堂だ。建立は明治17年。2日目に見た大興寺観音堂と同じ大工が建
てたのだという。本堂の右手にはあやしい2階建の建物。本堂と同じく高橋勘次郎の手になるもの。

2階は鐘楼、1階は御供所(ごくしょ)と呼ばれ、蘇民祭とよばれる祭の際、供物を準備する場所になるのだという。蘇民
祭は旧暦1月7日に行われる裸祭で、岡山の西大寺の祭に匹敵する勇壮なものなのだという。
以下、http://www.bunka.pref.iwate.jp/dentou/maturi/maturi/maturi_027.html「黒石寺蘇民祭」によれば、

開催期間 2月中旬(旧暦1月7日〜8日)。問合せ先 水沢市観光協会tel:0197-22-7800

<祭りの概要>天台宗妙見山黒石寺で夜を徹して行われる行事で、薬師信仰をもとに、裸の男と炎の祭りとし、裸参
り、柴燈橙り、別当登り、鬼子登りなどがあり、翌日未明からは堂の前で男たちが東西に分かれ、裸で押し合いながら
蘇民袋を奪い合う。

蘇民袋は護符が入った麻袋で、これを最後につかんだ者の 住む方角がその年、豊穰多福になると伝えられている。 
国の重要文化財である薬師如来坐像や木造僧形坐像、県の文化財に指定された四天王像、木造日光・月光菩薩立
像、木造十二神将像が安置されている(引用以上)。

▼07-08五大尊蘇民祭・・・・・五大堂(岩手県・石鳥谷町)の五大尊蘇民祭・厄除け祭。此の地域には何故か花巻とか
石巻の地名がある。花巻では裸詣りの男たちが蘇民袋を奪いあう。以下http://iwachuu.echna.ne.jp/geino/g_isidori/
kyodo_i12.htm岩手中部の郷土芸能【花巻市】より引用

---花巻市石鳥谷町五大堂の五大尊蘇民祭・厄除け祭。旧暦1月7日にある。裸詣りの男たちが蘇民袋を奪いあう。

貴峰山光勝寺(五大尊神社)に奉納される権現様は、五大尊明王と染めぬかれており、五大尊二不動明王(大日如
来)、隆三世明王(薬師如来)、大威徳明王(阿弥陀如来)、軍茶利明王(虚空像菩薩)、金剛夜叉明王(釈迦如来)とは
仏、法、僧の三宝と国土、及びその人民を守護するという。

仏法伝説の守護尊で家内安全、五穀豊穣の守り神として信仰を深め親しまれている。部落有志たちが、権現様に神楽
の奉納を志し、「大償流神楽」を伝授し、昭和30年五大堂神楽として創建、神事、祝事等々広く勧めた後、昭和55年
後継者不足になり、約15年間跡絶えたが、昭和60年「大償流神楽」の弟子となり伝授し復活した。

現在、伝承活動について後継者不足に苦慮したが、若い後継者により定期的に伝承活動を行い地域の民俗芸能とし
て神事、祝事、文化行事等に出演しながら次世代に継承するため舞の技を磨いている。

■07-08左義長祭(〜25日)【福井県勝山市】
■06-07-08大田原・大田山地蔵尊・春大祭。

■例年-京都・上賀茂の幸在(さんやれ)祭・・・・・・・・・毎年2月24日に京都・上賀茂で行われる幸在(さんやれ)祭。正午頃 
上賀茂で古くより行われている今で云う成人祭。当神社、摂社大田神社、田の神と山の神に15歳の元服を奉告する。 

この幸在祭で15歳になった「あがり」と呼ばれる男の子たちは、大島紬の羽織・着物を着るのが習わしになっている。
京都の祭りなのに何故、九州で作られた大島紬の着物を着るのだろうか?

以上の「ヤフー知恵袋」の質問に対する2/23日に回答。----少し憶測による回答をしてみます。例えば、京田辺市の
指定無形民俗文化財として隼人舞があり、其の起源は、奈良時代に九州地方から移住してきた大住隼人が宮中で踊
ったと伝えられている。

10月15日の例祭に奉納される隼人舞は、近年復活したもので地元の中学生達が古代の衣装に身をまとい、手に剣や
盾を持ち、太鼓や笛の音に合わせて舞を舞うと云う。

さて隼人の地の鹿児島の場合、
http://www.city.kagoshima.lg.jp/_1010/shimin/6keizai/6-4-1a/6-4-1-3...
によれば、特産品が大島紬です。

其処で憶測から云えば、桓武天皇※2が父・光仁天皇※1の菩提を弔うために長岡京から平安遷都をして、その為に
今の上賀茂神社の一角に斎院を造り、皇女を斎王としました。

その一帯は古くからあった大田神社の境内であり、こちらのご祭神は天鈿女命(アメノウズメノミコト)、つまり「天岩戸」
の神話にでてくる、あの舞の名手です。

隼人族は、天皇の祭祀に臨んで隼人舞を奉納する仕来たりがあった為、光仁天皇を祭る為の平安朝の由来に基づ
き、霊前の此の斎院周辺に居住させられたモノと推定するのです。

其の家族の方々が朝廷の舞人として、一人前になった事を大島紬を着用して大田神社に報告する、言わば元服の式
をしたのが幸在(さんやれ)祭の由来ではないかと思った次第です。

※1 天応元(781)年12月23日、崩御。※2 延暦25年3月17日(806年4月9日)に崩御(死去)。


■08田辺市の稲荷神社・粥占い・・・・・・・和歌山・田辺市の稲荷神社。
★07善通寺大会陽(〜25日)【香川県善通寺市、善通寺】

▼09南国忌。

この頃、ブラジルではリオのカーニバル。民衆の自然発生的な祭りが発展したと言われる。07年は2/18日から。
















































































2/25  


▼09朔・新月1035。▼09朔(旧暦2/1)。旧暦ではこの日から2月・如月に入る。従って西暦の2月=如月が重なる日
はあと3日しかない。

■10秩父・出原の諏訪神社・・・・・・・伝統の天気占い神事。桃の枝で作った弓を鳴らして天気を占う。
http://www.maido.info/temple/ryoukamisuwa.htm

●例年-和良比はだかまつり(泥んこまつり)【千葉県四街道市、皇産霊神社】
http://www.omatsuri.com/movie/warabi.html<動画>

■11北野梅花祭【京都市上京区、北野天満宮】

■07御ミワタリ神事・・・・・・・・信州諏訪湖。湖面が氷結する事による神事。ただ06年には1/31日にあったが、最近では
凍らない年が多くなり、今年も其の報告神事となった。

★07左義長祭【福井県勝山市】
■07-08嫁見祭・・・・・・・・曼陀羅寺(愛知県江南市)。 

■07-08火渡り神事・・・・・・・・滋賀・野洲市、菅原神社で道真公の命日に当る本日、1万本の護摩木を焼く。其の後、
其の上を渡る。参加者は「足型守り」と呼ばれる紙を持って燃え殻の上を歩き、渡り終えた後に足の裏に墨を付け、足
型を此の紙に押す。持ち帰って寝室の壁に張っておくと願い事が叶うとされる(朝日記事)。

市観光案内所077-587-3710

■例年-京都北野天満宮・梅花祭・・・・・・・・京都市上京区、北野天満宮。梅の花を愛した菅原道真の命日に因んで梅
花を供えるのが、「梅花祭」です。因みに境内には1500本の梅林がある。

本殿の神事では、道真の霊を「なだめる」という音に通じる、菜種(菜の花)を冠につけた神職が、梅の小枝や約40キ
ロの蒸し米などを神前に供えます(以上の一部はメルマガ【なっとく歴史館】http://1rekisi.jpより転載)。
梅花祭の詳細URL http://www.より転載kitanotenmangu.or.jp/top.html

菅原道真は右大臣であったが延喜元年の正月に大宰権師として大宰府に左遷され、配所において同3/2/25薨去
(年59歳)された事を偲ぶ行事。ただ「初天神」は西暦の1/25日と決まっているが、梅花祭は梅花の咲くこの頃でなけ
れば意味がない。

とすれば同じ天神様でも1/25と2/25の所があるから、どちらが正しいのか戸惑う。 其の理由として考えられるの
は二つあり、先ず一つは新旧暦の違いであり、もう一つは例えば九州と関東との地理的相違によって「桜前線の北上」
が移動する様に、梅花の咲く時節の移動によって自然にそうなった可能性です(1/25を参照)。

因みに、卑近な例で言えば、2004年2/24のJR西日本の「梅だより」では、南部梅林が満開、大阪城公園が七分咲
き、京都北野天満宮が「五分咲き」でした。だがもう一つ、彼には飛梅伝説に似た渡唐天神説話があり、実際、かなり
の数の渡唐天神立像が残されている。この話は、江戸時代に流行ったものだが其の由来も結構古い。

先の天神像は、中国の唐の黒衣の衣冠束帯で梅の枝を持っていて禅宗との関連が深い。彼は903年に没したが、伝
説では13cに九州の金持ちの夢に現れて100人の僧によって供養をするように命じた。其処で金持ちは僧を集めた
が100人も集めるのは無理だった。よって其の後を禅宗の円爾が一人で引き受けたと言う。

其れが一夜にしてシナに入宋して帰朝したと言う伝説の僧・東福寺の開祖・円爾弁円(弘安3<1280>10/17寂)
ならば有りそうな話である。しかも道真公が円爾の夢にも現れて、「禅宗に帰依したい」と言ったと言う。ただ此の話は
当時の世間でも余り信じられなかったようである。道真公は遣唐使の廃止を上奏した方であるからだ。

しかも天神は元来、本地垂迹説で十一面観音像であって、別の道真公立像を天神として祀る事にも抵抗感があったら
しい。だが、「道真公も帰依した」と言う話が禅宗の宣伝として使われて広まったようで、また彼が歌の神、文芸の神とし
て親しまれた外にも航海のお守りとして人気が有り、渡唐天神立像が実はシナで作られて量販されたと言う。

南北朝時代から日本と行き来する人たちにとって此れが結構人気が有ったと言うのである(06/2/9kNHKラジオ深夜便
より引用)。何れにせよ、方位から見てみれば案外筋が通っている。@

■06-07おんだ祭り・・・・・・奈良市菅原町の菅原神社は菅原氏の祖地であり、隣接地に旧・菅原寺として盆梅の名所
の喜光寺がある。其の寺とは対極の位置のこの神社の祭りとして「おんだ祭り」が行われる。厄除け、五穀豊穣、家内
安全など、其の年の祈願祭。

祭りの後のアトラクションで翁の面を着けた他主と、牛の面を着けた子供がユーモラスな口上と所作で農耕神事(狂言
形式)を見せる。また奉賛者全員に福引があります。この菅原神社は0742-45-3576 尚、境内では有料の盆梅展が開
かれている。此の頃はまだ三分咲き。奈良市観光センター0742-22-3900

■07華鎮祭・・・・・奈良県・田原本町の八坂神社(村屋神社0744-32-3308)では、五穀豊穣と村人の無災を祈る為に行
なう古典味豊かな神事。

大阪天満宮・梅花祭・・・・・・・・06年の梅の開花は平年より3週間も遅かったとか。
道明寺天満宮・梅花祭・・・・・・・・大阪・藤井寺市。此処は推古天皇時代に土師八島が氏寺(土師寺)として高台に東
西320m南北640mの境内に金堂や五重塔を含めた七堂伽藍を完成した。

だが寛永10(1633)年に石川の氾濫により、坊舎などは北丘の神社境内に移した。此処は道真公が最後に叔母・覚寿
尼を訪れて一首を残して去り、その後、道真公は大宰府で延喜3(903)2/25日に59歳で亡くなられた。其処から土師寺
を道明寺と改め、江戸時代から天満宮として毎年2/25日に梅花祭、其の逆の8/25日には例祭をして来た。

境内には今も梅園があり、また天満宮とは別に、近くに今も尼寺として道明寺(古義真言宗)がある。

■08多治速比売神社・梅花祭・・・・・・堺市泉北。広々とした旧境内地の荒山(コウザン)公園には飛び梅伝説から1340本
の梅があり、五分咲き(3/30日多治速比売神社)を参照。

★07善通寺大会陽(07/2/24日〜25日)【香川県善通寺市、善通寺】
■07松山椿祭・・・・・愛媛・松山市で「春を呼ぶ祭り」として2/24日から。商売繁盛を祈って50万人が集まる。

防府天満宮と太宰府天満宮の意味・・・・・・学問の神様として、各地の天満宮に祭られている菅原道真公は、お生ま
れが6月25日、薨去の日が2月25日であるとして、毎月25日を縁日として各地で仏事や神事や「市」が立って来ました。

ただ、当時の暦法が色々だった為に、明治に西暦に改暦した時に、従来の祭事を旧暦と解釈して、全て1ヶ月遅らせる
ように行政指導があった。よって各地の梅花祭と天神祭がバラバラの時期になった。其処で先ず方位から両社創建の
由来を解説します。

防府天満宮と太宰府天満宮との位置関係は地図か、またはグーグルマップhttp://maps.google.co.jp/maps?sourceid=
navclient&hl=ja&ie=UTF-8&でも確認出来る通り、方位の寅と申の方角に対峙しています。

此れは彼が大宰府で亡くなり、よって防府に向けて弔いをする為に先ずは寺を建てた事になります。彼の命日は2/25
日とされています。よって逆の時期の8/25日に天神祭として彼の神霊を迎える必要があり、此のため、魂が再び大宰
府に戻る為に「天満宮」として建った事になります。

方位と暦の関係については、下記の頁の図をご覧ください。
http://6535.teacup.com/hijiriou/bbs「円暦」

◆日本の暦は数字式のカレンダーではなくて、古来、方位による暦でした。両社の位置関係を此の円暦に重ねれば、2
/19日と8/20日となります。よって防府天満宮では2/3日に牛替え神事、3/25日には梅花祭をしていますが、2009年2月
は15日〜3月1日に梅祭りです。

此れは命日に弔うための神事であり、元の意味は寺による仏事でした。つまり此処の位置づけは元々お寺としての役
割でした。其れに対して太宰府天満宮では安楽寺や観音寺もありましたが、こちらでは彼を死霊・御霊として命日に弔
うのではなくて、命日とは逆の時期の8月25日に神霊として宮に迎える祭りをする所でした。

因みに、防府や大宰府より1ヶ月前には、大阪の天満宮も毎年7/25日に天神祭をしています。其れに対して此の逆方
位には長岡天満宮があり、その先には京都御所や菅天満宮が直線状に並んでいますが、大阪天満宮に対して、此処
のラインは1/25日の方角に位置します。

■07-08文殊会・・・・・・・・正光寺(福岡市大字下麦野)。 
■07-08初午祭・・・・・・・・両子寺(大分県安岐町)。

▲09チベット暦の正月元日・・・・・・・・日本では新月(朔)。中国の弾圧によりダライラマ不在。国民はインドや中国や米
国に散在している中での侘しい正月かと思われる。

★坪内逍遥の忌日。





























































2/26 


▼08旧・二十日正月。
▼10国府宮はだか祭(旧暦1月13日)【愛知県稲沢市、国府宮神社】

06★11左義長祭(〜27日:2月最終土曜〜日曜日)【福井県勝山市】

★11善通寺大会陽(〜27日:2月第4土曜〜日曜日)【香川県善通寺市、善通寺】




★s11/2/26、二・二六事件。





































































2/27 


■06-07-07舞楽・・・・・立石寺(山形市山寺)。 

■木曽川治水工事に尽力した武将とは?!-------宝暦4年(1754)2月27日に、薩摩藩主である島津重年が、幕
府から命じられて木曽川の治水工事に着手する。総工費40満両におよぶ大難工事で、薩摩藩は費用捻出に腐心す
るも、翌年に完成させる。島津重年は、島津氏第24代の当主で、薩摩藩の第7代藩主である。

父は、第5代藩主である島津継豊で、島津宗信の弟である。兄が早死したため、重年が後を継いで藩主になるも、重
年も兄同様、父に先立ち、27歳の若さで死去する。------以上は、メルマガ【1日1分歴史新聞】 戦国武将・幕末志士
が今日甦る!なっとく歴史館 →  http://1rekisi.jpより引用。

★10左義長祭(2月最終土曜〜日曜日)【福井県勝山市】

■37斎明天皇の命日・・・・・・彼女は筑紫の朝倉の宮で崩御された、と言うのが定説であるが、愛媛県越智郡朝倉村
には現在、今治湯浦温泉や笠松山(標高328m)があり、筑紫ではなく此処に立ち寄って、しかも土佐の朝倉の宮(宮の
裏山が赤鬼山)で崩御した。よって其の日の方位に当たる明日香村に向かって川原で喪を行い、後に葬られた。

けれども後に38天智天皇は陰陽暦の方位により、明日香から大津に遷宮した。この近江大津への遷都について定説
は、「白村江での大敗により、防衛ラインを内陸部に移した」、と言われて来たが、そうではなくて事の真実は、先帝(斎
明)の弔いを仏式でするために、宮を土佐からの旧暦方位に従って飛鳥を改めて大津へ再遷宮した事になるのです。

しかもこの軸線を更に進めば長浜の田村山に至る。此処は旧来、坂上の田村麻呂将軍に縁りの地とされて来た。だが
それ以前については田村の村主などの説がある程度で覚束ないが、実は田村の皇子、つまり先の34舒明天皇に縁り
の地とも推定できるのです(「2/12」大津宮、及び「8/24」を参照 )。彼女はかつて舒明天皇の皇后だった。

だから二重の意味で大津に遷宮すべき必要性が有ったと推定出来る。

★10善通寺大会陽(2月第4土曜〜日曜日)【香川県善通寺市、善通寺】



























































2/28  

              
■06-07-08一向上人踊躍念仏 仏向寺(山形県天童市)。
  
■中央構造線・・・・・西日本から九州に約1000kmに渡って縦断する形で山脈が連なる。無論、地質構造も此処を境
目としている。方位は2/28から8/30に向かって走っており、地震にも影響している。

■09清水寺・田村堂の御開帳・・・・・・京都市東山区の清水寺では、寺の創建者とされる征夷大将軍・坂上田村麻呂を
祀る国の重文・田村堂の開帳法要。因みに堂内には田村麻呂のと高子夫人の像があり、内部公開は3/1日-5月末ま
で。また来年は1200年忌を迎える。

倭トトビ百ソ姫の命日・・・・・・彼女は神がかり的な女性であったようで三輪の神とのエピソードも伝えられているので
「卑弥呼」とも混同されているが無論、時代が違う。彼女の兄弟は、08孝元天皇と四道将軍の一人・吉備津彦命(彦五
十狭斧彦命)である。

記紀に寄れば其の時代は07孝霊天皇/大日本根子彦太に尊/黒田廬戸宮/御陵在・片岡馬坂上也/片岡馬坂陵/片
岡馬坂陵////孝霊76/2/8///である。この年はつまり西暦・紀元前215年であり、其の7年後の221年には秦の
始皇帝が天下統一する事となる。

と言っても日本人は先ず文献として記紀よりも魏志・倭人伝を引き合いに出して彼女の時代を新しく設定し、178年に
倭国大乱があったとし、237年には卑弥呼朝貢、266年にトヨが朝貢したと言う設定で異論を挟み、それで矛盾が出
れば辛酉説などを仮設して論う。

更に、考古学的にも「纏向からは2c以前の遺物が全く出土していない」と言い、従って「此処は卑弥呼の墓だ」と言い、
記紀を信用しないので敢えて言う。魏志は偽書であり、日本とは何の関係も無い。のみならず付近はかつて大和湖で
あり、湿原であったから纏向地区からは遺物が出土しないのが当然です。

所がこの古墳からはかつて多数の埴輪と布留式土器が出土した。土器については年忌の度に追加される性質のもの
なので其れから編年する考古学的手法は無視して良いけれども、其れでも近年、土器による従来の時代編年が数百
年間違っていた事が問題になって来た。つまり数百年代も時代を遡るデータが揃いつつある。

だからもう十分、紀元前215年まで彼女が実在した事が判明しているのです。さて「箸墓古墳」を見れば、其の陵の角
度から彼女が2/28に亡くなった事が分かる。では何故此処(纏向)に彼女の墳墓が在るのか、と言えば、兄弟とは別
に、父・孝霊天皇の命日方位に当たる曲川に居ついて弔いをする立場だったからです。

よって死後、其の方位に当たる纏向に葬られた事が分かる。とすれば俗説で語られる三輪の神とのエピソードは揺ら
いでくる。三輪山の近くではなくて、生前は10km近く離れていた事が分かるからです(2/8「孝霊」を参照)。

▲07玉置山・三柱神社の宵宮・・・・・・・3/1日を参照。

千利休の命日・・・・・茶人?武人? その正体は?!天正19(1591)年2月13日旧暦2/28。利休の父は堺の
田中與兵衞、母は宝心妙樹であり、彼の名は与四郎(與四郎)で、のち、法名を宗易(そうえき)と号す。商人として茶人
として生きた。「にじり口」を考案し、「回し飲み」も彼が始めた。

彼は信長に仕えて「一期一会」を目指したが秀吉の嫉みにあった。例えば北野大茶湯も10日間の予定を1日で中断さ
れた。その後、堺での蟄居を命じられ、更に京に戻されて切腹させられた。天正19年のこの日、71(74)歳の最後を
遂げた。墓地は堺市の南宗寺、戒名は利休居士(一部、05年当日の読売テレビより引用)。

利休の名は、堺の南宗寺の大林宗套から与えられた居士号で、正親町天皇の勅許によるものである。・・・・・以上はメ
ルマガ【1日1分歴史新聞】 ・・・・・なっとく歴史館 →  http://1rekisi.jpからも引用。

■06鎮西忌・・・・・・・(閏月は29日)善導寺(福岡県久留米市) 。

リオのカーニバル・・・・・・・・ブラジルのリオでは06/2/26からカーニバルが始まり、本日がピークで5.6万人が参加し、70万人の観光客が溢れる。
但し08年は2/1日頃から。

ニューオーリンズのマグディグラ祭・・・・・・・・米国のニューオーリンズ市は、カトリーナに襲われて市域の八割が水没
した。それから半年後のこの日(06/2/28)、年に最大の祭りマグディグラ祭りが行われた。

人口50万人の此の都市には年間1000万の観光客が訪れていたが、今はまだ六割の住民が戻っていない中で行わ
れて、青や赤や金色の派手な衣装の仮面行列が街中を練り歩いた。

▼09逍遥忌。

































































2/29 (閏年のみ)


■08鎮西忌(閏月は29日)・・・・・・・・・善導寺(福岡県久留米市)。












































・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

■「神々の歳時記」の各項目のご理解には「366円暦」が必要です。円暦は別紙の「日読み1」http://toki.mikosi.com/
page044.htmlで公開していますが、其の実物を希望される方は末尾に従ってご請求下さい。

■尚、各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示していますので、*開催
日等の詳細には主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。

■「神々の歳時記」に記した例は仮説ではなくて、太陽暦に重ねて古式祭による祭政一致を行っていた古からの日本
文化の原理です。其の具体例を今回、公開したものですが、海外への情報流失防止のため、特に「本文」については0
4/11月から「非公開」としました。

■@マークの付いた以下の部分が「非公開」部分です・・・・・・・@マーク以下には「地理・方位の具体例と其の意味や
暦との関係式」などの詳細を隠しています。この隠れた部分の資料をご希望の方は、「メールフォーム」か「掲示板」か
らご連絡下さい。

■文中に誤記や間違いがありましたら、恐れ入りますが上記により下記まで御一報賜れば幸いです。尚、参考文献は
巻末に記しました。

■♪ ただいま募集中 ♪-----●各地のお祭り情報-----あなたの自慢の祭り、知っているお近くの祭りなどの情報
をお寄せ下さい。http://6535.teacup.com/hijiriou/bbs ひじり(日知り)掲示板、
またはメールアドレス tjkny@ybb.ne.jptjkny328@ybb.ne.jp (鬼の会)へ、どうぞ。



次は
・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
または
トップへ
トップへ
戻る
戻る

パテント・著作権は本会に属します。    「鬼の会」