×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」  p085 (未定稿)


   神々の歳時記   2月中旬  但し方位による

次は
2月後半
2月後半
または
戻る
戻る

●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起
の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版 http://
www.omatsuri.com/link/linkvex.html

及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-2月」及び奈良観光連盟ガイドブックの「知れ
ば知るほど奈良はおもしろい」06-07冬号より一部引用・転載させて頂きました。

■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記
には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の
詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。

2月中旬 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ 



2/10   


■11弘前城・雪燈籠まつり・・・・・・・・青森県弘前市。例年10日前後〜13日。
なまはげ柴灯まつり(2月10日〜12日)【秋田県男鹿市、真山神社】

■例年-刈和野の大綱引き・・・・・・・・・【秋田県大仙市】旧・西仙北町。500年以上の歴史を誇る西仙北町刈和野の伝
統行事「刈和野の大綱引き」は、刈和野の大町通りで行われます。引き手の怒号、観客の歓声が渦巻き、会場は興奮
のるつぼと化します(☆はメルマガ【なっとく歴史館】 公式サイト: http://1rekisi.jpより転載)。

05/2月10日(木)「刈和野の大綱引き」の詳細 URL  http://www.obako.or.jp/nishisen/
■08福島信夫三山「暁参り」・・・・・・福島・羽黒山・暁詣り。

■07甘酒まつり・・・・・・埼玉。10・11日に狭山市梅宮神社で。平安時代から行なっていると言う。
■07-08荒行満行会・・・・・・法華経寺(千葉県市川市)。

●例年-加賀・菅生石部祭・御願神事(竹割まつり)・・・・・・石川県加賀市、菅生石部神社の御願神事(竹割まつり)。
■09-10-11鬼祭・・・・・愛知県豊橋市、安久美神戸神明社で、〜11日まで。平安時代からの伝統。

国府宮はだか祭【愛知県稲沢市国府宮神社】
■07長浜・盆梅展・・・・・・滋賀・長浜市港町の慶雲館で約300鉢。07年で56回目。2/10日から25日までライトアップ。盆
梅展は以後3/11日まで。市の観光振興課は0749-62-4111

■06-07出行会(日蓮宗)。 
■06-07道論律師忌(聖徳宗)。 

■07大和神社・御田祭・・・・・・・・天理市の大和神社0743-66-0044では此の日に御田の予祝を行なう。 
■07大和高田・御坊まつり・・・・・・・高田御坊・専立寺周辺で。大和高田・商工会議所0745-22-2201

28宣化天皇の命日・・・・・・・彼の陵は橿原市に治定されているが、彼の宮は今の明日香村の檜隈にあったので、其
処からこの日の方位に向かえば「伝・文武天皇陵」を通って倉橋の天王山古墳に至る。

そして逆方位は高取町真弓に塚明神古墳、カンス塚古墳、其れに岡宮天皇陵があるが、特に岡宮天皇陵は古墳の位
置と形がこの日の方位に一致しているので、この日に崩御の宣化天皇陵と確定できる。

従って次の29欽明天皇が檜前から其の日の方位の倉橋に居ついて先帝を弔い、また檜前から逆方位、つまり8/10
日・方位の、今の高取町・市尾山付近に居ついて先帝を日迎えした事になります。やがて此処で欽明も4/15日に崩御
したので市尾墓山古墳、または堺市の大塚に葬られた筈である@































































2/11     


建国記念の日。

■10弘前城雪燈籠まつり(〜14日:例年10日前後)【青森県弘前市】
■11なまはげ柴灯まつり(〜13日:例年10日前後)【秋田県男鹿市、真山神社】
    http://www.omatsuri.com/movie/mizukake.html<動画>

■09-10-11川渡り梵天【秋田県大曲市、伊豆山神社】
■07-09-10-11大原水掛まつり【岩手県一関市(旧・東磐井郡大東町)、八幡神社】  
大原水かけまつり 2月11日 岩手県一関市 http://www.omatsuri.com/movie/mizukake.html<動画>

■07-08わんこそば全日本大会【岩手県花巻市】
●例年-白河だるま市【福島県白河市】

■09-10-11板橋の田遊び【東京都板橋区、北野神社】
徳丸北野神社・田遊び 2月11日 東京都板橋区 
    http://www.omatsuri.com/movie/tokumaru.html<動画>
 
巣守神社の祭り・・・・・新潟県長岡市。04年は2月14日(土曜日)開催し、以後毎年2月の第二土曜日となった。以
下、関係HPから引用する。・・・・・当日、自宅で祭り酒を飲み午後6時30分にフンドシ支度のために栃堀ふるさと交流
会館に入る。御神酒の頂き過ぎと特注大ローソクの重いこと。村を先頭で走り、神社の石段を駆け上がる。

本堂に入った頃は息が切れてギブアップ状態でした。巣守神社『裸押合い大祭』については天正年間、上杉謙信公が
毘沙門天を信仰し当神社に祀り、戦勝祈願、五穀豊穣を願ったのが始まりで、今では五穀豊穣、無病息災を祈願する
お祭りで約300年の伝統があります。

本尊様に使われている御神木は浦佐の普光寺毘沙門堂と同じツバキの木で作られ栃堀は根元で浦佐はその上の部
分を使ったといわれています。太鼓の音と共にふるさと交流会館から本堂に入る第一弾の他に地元の各家々からの
参加、市外、県外の参加者も多かったです。フンドシ男が100人以上押したようです。しっかり盛り上がりました。

社殿に入ったフンドシ男が「押せ、押せ、押せや !!」「さんよ !!(撒与)、さんよ !! 」と福札を催促すると、氏子や各種団体
の代表による神官が天窓より上半身を覗かせ200枚以上の福札を撒きます。ダイレクトでキャッチする若者や下に落ち
た一枚のお札に男達がなだれ込むようにして取り合います。勇壮な祭りも絶好調です。

見どころは本堂の押合いと石段を駆け下りたところの境内にある湧き水のはった大きな石桶にフンドシ男が飛び込む
勇姿です。押し合いを続けて火照った体に冷たい水が気持ちいいこと。外の気温が低いほど、体から熱気があがりま
す。また、押し合いの最中に奥では恵比寿天と大黒天が前もって寄付を含めた富くじの抽選をしています。

また、参拝者には福引の三角クジや御神酒や甘酒、するめコーナーも用意されていました。午後8時30分終了後に支
度会場のふるさと交流会館にて福札番号と景品交換が始まります。家に戻って浦佐と長岡の若い衆と一緒にきな粉餅
を食べました。押合いの後はやっぱりきな粉餅です。参拝者の皆様へ福引と御神酒です。

〒940−0145新潟県長岡市(旧栃尾市)栃堀の巣守神社。問い合わせは栃堀ふるさと交流会館(TEL0258−52
−3521) http://www8.ocn.ne.jp/~kariyada/oshiai.html・・・・・以上、引用。

因みに新潟浦佐押合い祭りは毘沙門堂裸押合大祭として南魚沼市の善光寺(浦佐毘沙門堂)で3/3に行われる。両
社の位置・方位関係は1/10であり、また上杉謙信(長尾景虎)の誕生が享禄3/1/21、命日が天正6/3/13で
ある。

■07越前「おらいし」・・・・・・福井県で1500年の伝統。以下、http://www.jinja-fukui.jp/contents/saijiki_winter.html#052_
okafutoshrine「福井県神社庁」のHPから引用。祭典名・栗田部・岡太神社のおらいし-----月日時 2月11日、13日。
神社名・岡太(おかふと)神社。場所は今立町粟田部。

趣旨---世阿弥の能・「花筺」の舞台となったところで「おらいし」を「王位莱祀」といって、男大迹皇子(継体天皇)の王
位継承を祝う説もあり、蓬莱祀・莱祀・鳳莱祀・お雷子等、さまざまな記述が残っています。餅で作った繭玉を栗の木の
枝に付けて、俵で作った台座に乗せ松葉で縁どり、それをシュラ(ソリ)に乗せて歌を歌い町中を引き廻します。

「おらいし」は「櫑子」又は「罍子」(ともに「らいし」)と呼ばれた菓子等を盛る「器」を模した姿を表現したもののようです。
「櫑」や「罍」は豊作を意味する字形です。目出たい繭玉をつけた木は神の依り代であり、中世の宴会に付き物だった
島台を大きくして風流化したものです。

島台は神仙の住む蓬莱の島のことですから「蓬莱祀」はよくその内容を伝えています。本来は十三日の行事でしたが、
引き廻しを十一日におこない、十三日には祀りを執りおこない繭玉を別け与える日になっています。明治以前は白山
三社と称されていました。

隣の池田でも昔、小正月に栗の木に繭玉をつけて境内や田に立てたと伝えていますが、左義長やオショウジコウ(お精
霊講)に習合されたようです。

07今尾の左義長(火祭り)・・・・・・・岐阜の大垣西の平田町で2月11日(祝・金)に行われる。この祭りは400年以
上の歴史を持ち、荘厳な「火祭り」「左義長」が秋葉神社の例祭である。此の地は今尾城址であり、また略この日の方
位には大垣城跡が有る模様。

この祭りでは20基の神輿が出るが、詳細はURL http://homepage2.nifty.com/max21/sagityo.htm 
前ページの2/8、及び下記(2/11)の秋葉神社大祭(高知県仁淀村)や椙本神社に続く2/12も参照。

■10「初午大根焚き」・・・・・・・・・・京都市左京区大原、来迎院町の三千院では、11日から14日、8時半から4時半まで、
金色不動堂前の広場で、特別に祈祷した地元・大原産の大根を大鍋で煮込んで参拝者に振舞い、無病息災や開運招
福を祈願する。尚10時と2時に護摩供養。拝観料700円(10/2/9日の朝日記事より引用)。

●08京田辺市の「二月堂・竹送り」・・・・・・・・京田辺市から奈良・東大寺の二月堂に向けて竹を送る。二月堂で3/12日
の「お水とり」のかご松明(たいまつ)に使う竹を送る神事で、昔からの習わし。京田辺市の観音寺地区にはかつて国分尼
寺があった。何故なら東大寺の真北に位置する為であり、其のまた北には若狭がある。

若狭からは二週間前に「お水送り」神事をしている。何故なら東大寺では暦を作る為に方位を確認し、其処から天文観
測をして正月を確定したと思われる。其の為の修二会の最後の行が「お水とり」になる。

■06-07「お綱まつり」・・・・・桜井市のスサノオ神社(大西・江包)で豊作と子孫繁栄を祈る祭り。男綱・女綱の大綱をか
つぎ、神社で合体して「綱の結婚式」を行なう。女綱のほうが先にスサノオ神社に到着する。仲人役がまだ泥相撲をとっ
ている男綱を呼ぶ使いに行くが、7度半行き来があって、やっと男綱が動きだし、厳かに入り舟の儀式となる。

桜井市観光協会0744-42-9111

●07顕彰記念祭・・・・・・・・奈良・斑鳩町の龍田神社で。斑鳩町観光産業課0745-74-1001
●07御田祭・・・・・・・・奈良・田原本町の村屋神社0744-32-3308で、田に見立てた箇所の四方に青竹を立て、「あら田
起し」「あぜぬり」「まんが」「苗取り」「田植え」などの所作の神事がある。

●例年-紀元祭・・・・・・奈良・橿原市。神武天皇が橿原の宮で初代天皇に即位した事を記念する祭典で、07年は皇紀
2667年目、09年は皇紀2669年目を迎え、我が国の誕生を祝う祭りとして、奈良・橿原神宮0744-22-3271に勅使参向の
元、斎行され建国創業の御聖徳を景迎する。

またアトラクションは色いろるが、神振行事として武道大会などがなされる。但し、この神宮は古から有った宮ではなく、
明治になって神武天皇を祭神として創建され、同23年4/2日にご鎮座の広大な神域の新宮であるが、例年20万人が訪
れ、右翼の街宣車も勢揃いして壮観です。

戦前はもっと壮観だったが、戦後はGHQが大化の改新以前の歴史を抹殺した。此のため、今の教育は其れ以前の歴
史を「神話」として見下し、真実を教えなくなった。

●07城南宮・七草粥・・・・・・・・旧正月の神事。

●07-08広瀬大社の砂かけ祭・・・・・・・・奈良・河合町で水神様を祭る広瀬神社0745-56-2065の砂かけ祭りで、稲作の
豊作を願って頭巾を被って砂をかける。今年も雨に恵まれるようにと祈る祭り。砂は雨になぞらえていて、多く飛び交う
ほど雨に恵まれて豊作になり、砂を被れば厄落としになると言う。

最後に、松の枝とワラで出来たお守りと、薄く切った餅が参拝者に撒かれる。
以下、http://blogs.yahoo.co.jp/mimatyu2000/archive/2008/02/09より引用。
----奇祭・砂かけ祭り(おん田祭り)----奈良県河合町の広瀬神社で毎年2月11日に砂かけ祭りが行われる。

この祭りは豊かな実りを祈願する御田植祭(おんだまつり)で、大和の奇祭として有名です。日本書紀によると1300年前に
天武天皇が在位4年(675)にこの地に水の神を祭り、五穀豊穣(じょう)を祈願する「大忌祭」(おおいみのまつり)を始めたと伝
えられており、これが現在の「砂かけ祭」になっている。

砂は雨を象徴し、雨乞いの意味もあるとか? 戦前まではこの祭りの為に大和川から砂をわざわざ運んでいたそうな
のですが、現在は綺麗に砂地が整備されています。見物に来る人は、かなり砂をかけられるので、レインコート、帽子
はお忘れなく。

●07おんだ祭・・・・・・・・奈良・葛城市の笛吹(葛木坐火雷)神社0745-62-5024で。

●06-07水門(みなと)祭・・・・・・・・和歌山・串本。紀伊大島の水門神社の祭りである。この日は、この日の方位にある
水門神社から、逆方位に当たる対岸の串本港まで、十数人の乗った二隻の競艇(櫂式の伝馬船)が繰り出す。

梅まつり・・・・・・・・和歌山・田辺市・みなべ町で上旬から下旬頃。

■西宮戎大祭だったか・・・・・・古今東西、全国的に寒い冬の1/9〜11までエビス祭りがあり、また此処では外に8/
22に西宮神社から大和田岬に船が繰り出した。

大和田岬は古くは万葉に「百船の泊つる」敏みぬ馬めの浦であり、また平清盛の時には福原の新京と宋との交易のた
めに大型船を泊める所としてこの「大輪田の泊」が重視され、その後に「兵庫の津」と呼ばれ、伊能忠敬の測量図では
御崎村と記してある。さて確かに西宮神社と大和田岬はこの日の暦・方位に合致する。

従って和田岬は西宮エビスのミサキであった事が分かる。この船渡御も長く途絶えていたが近年復活したから素晴し
い。だが折角復活したのにその後2002年からこの日8/22を旧暦と誤解して9/22〜23に変更してしまった。この
西宮にはアマテラスの外に事代主神なども祭られているが、一番慕われているのはこの事代主神(恵比寿様)である。

ただ夏祭りが8/22なのに冬祭りが1/9〜11では釣り合いが取れない。つまりどちらかが改暦の際に1ヶ月読み違
えているのではないか。

今は1/9〜11日が西宮エビスの例祭(宵戎・本戎・残り福)であり、其れが全国的に「戎さん」の縁日として定着してい
る以上、此れを譬え暦・方位からとは言え簡単に覆すのは無理とは思うが検証して見る必要がある。其処で先ず、8/
22〜28については既に別記した。其の先には金毘羅宮で大物主命を祭っていた。

従って夏祭りは西宮エビスから大物主命を8/28.5←→2/28の暦・方位で祭るための事代主神の宮であった事が
ハッキリします。そうすると逆方位が気になります。8月の対極になるのは1月ではなくて2月であろうと仮定しなければ
ならないが、其の方位に向かえば実は叡山に至る。

此処に日吉(ひえ)大社が有り、大山咋クヒ神と大己貴神とが祭られている。@

この神は鴨の葵祭りの前に、八瀬の御蔭神社から下鴨神社に迎えられる神である。この神はまた山末之大神とも言
われ、松尾大社や上賀茂の親神としては別名・丹塗り矢とも鳴り鏑(かぶら)の神ともされるので、スサノオノミコトとか
大国主命とも重なって来るのです。@

■増位山隋願寺・鬼追い・・・・・・03年2月11日(姫路市)。http://www.geocities.jp/ahama_423/page016.htmlによれば、
毎年2月11日に行われる、750年の伝統ある修正会。桝位山虚無僧保存会による献奏から始まる。

鬼追いは本道を舞台に空鬼(薬師如来の化身)が登場、続いて子鬼に扮する子供たちが御幣と竹の杖を手に 「厄除
けや!厄除けや!」 と元気な声が響く、続いて鈴と松明を持つ赤鬼(毘沙門天の化身)と鐘と松明を持つ青鬼(不動
明王の化身)が鐘や法螺貝の音と読経の中で厄落とし・平安無事・五穀豊穣を祈願して踊る。

鬼追いが終わると餅まきや山伏による紫燈大護摩供養が行われる。

秋葉神社大祭 05/2月11日(祝・金)・・・・・・・・(高知県仁淀村)この祭りは200年以上の歴史を持ち、土佐三大祭りの一つとされていて、当日は
不思議と雪になるとも言われます。大祭の特色は伝統衣装に身を包んだ総勢約200人からなる「練り行列」です。

本村、霧乃窪、沢渡の3地区から出た「練り行列」は、岩屋神社で合流し、旧関所番の市川家、法泉寺、別枝地区の庄屋だった中越家を経て秋葉神社へと練
り歩きます。

この道順は、約800年前に平家の落人の佐藤清岩が、遠州(静岡県)の秋葉山をここ岩屋に勧請し、その後、法泉寺、市川家で祭られた後、現在の秋葉神
社に遷座したことに由来しています。メルマガ【なっとく歴史館】 公式サイト:(随時更新)http://1rekisi.jpより転載。この祭りの詳細URL  http://
www.baobab.or.jp/~niyodo/

■07徳島城・弓初(ゆぞめ)・・・・・・・・藩主の御前で弓を射った事に由来する。

■椙本神社の春季大祭  05/2月11日(祝・金) (高知県伊野町)・・・・・・・「大国さま」の愛称で親しまれる椙本(すぎもと)神社は創建1200年を
超えるとされ、商売繁盛、縁結びの神様として高知県内で親しまれています。

春季大祭は土佐三大祭りの一つとも言われる同神社にとって1年で最大の行事で、多くの参拝客がその年の実りや幸福を祈願します。参道や近くの商店街
には多数の露店が並び、夜遅くまで神社周辺は祭りムードに包まれます(メルマガ【なっとく歴史館】公式サイト:(随時更新) → http://1rekisi.jより転載 )。

■07戦国肥後まつり「国衆まつり」・・・・・・・・以下、「三加和町オフィシャルサイト・散策マップ」から引用する。戦国末期
の壮絶な戦いが繰り広げられる!戦国末期に肥後国衆一揆が起こり、その最後の砦となったのが三加和町和仁にあ
る国指定史跡「田中城跡」です。

この戦いを現在に伝えるため、町内外から名乗りをあげた総勢60名の鎧武者が祭り会場内を練り歩き、寸劇のほか
壮絶な戦いの様子を再現する時代祭りです。鉄砲を撃ち、刀を振り回す様はまさに戦国時代にタイムスリップしたかの
ように感じられます。

その他、5人一組で行う「先陣修羅レース」や地元の味を存分に堪能できる「楽市楽座」コーナー等、様々な催しものが
あります。

所在地: 熊本県玉名郡三加和町板楠。
由来:天正15年(1587年)に豊臣秀吉は佐々成政を国主に任命し、「3年間は検地をしてはいけない」との命令の元、肥
後の当地に当たらせました。

しかし、成政は命令を無視し、早速、検地を実行したので和仁氏を含む国衆達による検地反対運動『肥後国衆一揆』
が起こりました。この最後の砦となったのが三加和町の和仁氏の居城「田中城」です。

豊臣軍1万に対し、和仁軍はわずか1千余りの兵で約2ヶ月ものすさまじい戦いを繰り広げ、辺春氏の裏切りにより、とう
とう同年12月5日に落城となりました。 問合せ先:三加和町企画観光課TEL:0968-34-3111 FAX:0968-34-3318 

■09文化勲章制定記念日。






















































































2/12 


★11上杉雪灯籠まつり(〜13日:2月第2土曜〜日曜日)【山形県米沢市】
■10なまはげ柴灯まつり(12〜14日:例年10日前後)【秋田県男鹿市、真山神社】
■08笠間稲荷・初午祭。

★11南魚沼市雪祭り(旧:六日町雪祭り)(〜13日:2月第2土曜〜日曜日)【新潟県南魚沼市】
■07-08タニシ祭・・・・・・・・・・長谷寺〔飯山観音〕(神奈川県厚木市)。

■07輪島・櫛比神社の万歳舞・・・・・・・袴姿の舞人と参拝者がともに独特の節回しで「万歳楽土」と唱え、松の枝を振り
かざして豊作を祈願します。走出地区の万歳楽土は県の無形民俗文化財に指定されています。
(開催日) 2月12日午前11時ごろ(走出地区)・2月25日(清水地区)

(場所)  櫛比神社・清水神社 (所在地) 門前町門前・門前町清水
(お問い合わせ先)門前総合支所 商工観光課 電話0768-42-8721(有線8741)。以上、輪島市観光課のHPより引
用。

■09金沢市の涅槃会・・・・・・金沢市の大乗寺デハ、ネハンだんごを作って涅槃会をする。

大津の宮・・・・667年のこの日、大津の宮への遷宮日である。38智天皇は何故近江に遷宮したのか。その理由につ
いて、多くが「其れは日本が663年に白村江で唐と新羅の連合軍に大敗したために防衛拠点を更に内陸部に引っ込め
る必要からだった」と解釈して来たがさに有らず。

そんな解釈は軍略も宗教(祭事)にも無知な学者の陥る迷答でしかない。天智天皇は斎明天皇を先ず661年に飛鳥(後
岡本の宮)で弔ったが、663年、白村江の大敗により、大陸の冊封体制の下に組み込まれる事態となった。当時の暦法
も仏教の導入により既に陰陽暦、即ち月暦使用を余儀なくされたろう。

従って先帝を仏教方式で祭る事になり、月の暦で日取りと方位を決する時代となった。よって667年のこの日に飛鳥か
ら近江に再遷宮し、そして翌668年に此処で即位した。彼は即位と同時に、肉親である父(舒明)と母(斎明)を公的に祭
る祭主となった。祭り事を主宰する天皇とは権力者ではなくてそう言う立場の聖でした。

其処で大津の宮を基点にする事によって土佐の朝倉から近江の堅田(または大津の宮辺り)、そして田村山へと2/1
2方位に連ねる事が出来た。琵琶湖を越えた長浜に有る田村山は、先の34舒明天皇(田村皇子)、または舒明の母
(糠手姫、またの名は田村の皇女)の聖地だったかと思われる。

だが生憎、長浜には田村皇子や田村皇女の伝承はなく、今ではその後の田村村主か田村麻呂将軍の伝承しか残って
いない。よって此れは「勝手な憶測」と思われようが序に言う。古墳状の田村山(標高138m)が矢張り堅田方面を主
軸にして築かれているように見えるのだ。

さて、その堅田の大津の宮に天智が居つけば、更に大坂長柄豊崎の宮の孝徳天皇、其れに加えて同軸上で土佐朝倉
の宮に達する。@

彼の前提とは単に母、つまり37斎明天皇の後継ぎではなかった。実は先の34舒明の太子(ひつぎのみこ)だったのを
先に36孝徳に譲っていたものでした。其れだけの意味の重なり、つまり重要性をもって、彼は土佐から直線距離で32
6kmも隔てたこのラインに宮を遷した訳である(「12/10 天智天皇命日」を参照)。

■金毘羅・愛宕ライン・・・・・・金毘羅・秋葉・愛宕の神は何処か通じる処が有ります(2/8と2/11を参照)。例えば京
都市左京区の金毘羅神社(北に金毘羅山が有る)から逆方位に進めば神山を経て北区・船山(秋葉山)を越えて8/1
4の方位の鳥居本町に達する。

此処は華表地区とも言われる。華表とは鳥居の事であり、其の奥には愛宕神社があるので此処は愛宕神社の門前町
として栄えて来た。

■08京都・伏見稲荷・初午祭。

■10大阪・四条畷神社の例大祭・・・・・・・・四条畷市。ご祭神は楠木正行つら(小楠公)。有名な辞世の句が「帰らじと か
ねて思えば梓弓 無き数に入る名をぞ留むる」。彼は四條畷の決戦において正平3年/貞和4年1月5日(1348年2月4
日) 討死にされ、ご遺体は、現四條畷駅西側に小碑を建て、両脇に楠の若木を植えて墓とした。

従って命日方位に彼の遺跡が今も点在している。
因みに四条畷駅西にある「小楠公墓所」から東に向かって3/27-28日方位に一直線に参道が伸びて、此の四条畷神社
の境内に至る。

従って、3/27-28日に「四条畷・楠公まつり」が開催され、稚児行列などがある。尚、社務所は年中無休で072-876-
0044

■09加古川の壁画公開・・・・・・兵庫県加古川の鶴林寺(かくりんじ)は、山号を刀田山(とたさん)と言い、宗派は天台宗、本
尊は薬師如来である。堂内に壁画の聖徳太子像があることから太子堂と呼ばれているが、元来は「法華堂」と称され
た堂で、本堂手前左方に建つ常行堂と対をなす。

東側壁面に描かれた聖徳太子像は、中世から厨子で覆われ、秘仏扱いとされている(1977年に重要文化財に指定さ
れたが、写真は公開されていなかった。其れを本日から公開。


■粥占神事・・・・・・・鳥取市・大坂八幡神社で鍋に竹筒を入れて粥を炊き、本年の吉凶を占う小正月の神事。
■07-08会陽(裸祭)・・・・・・裸で宝木を奪いあう。安養寺(岡山県美作町)。 

◆例年-菜の花忌(司馬遼太郎忌)。 






   




























































2/13    
       

■帰省ラッシュの意味・・・・・日本列島は北緯36度の諏訪湖辺りを軸にして腰が折れてた形になっている。諏訪から屋
久島に向かえば8/14方位になり、逆に屋久島から諏訪に向かえば、この日2/13方位になる。旧暦では丁度小正
月の頃である。

また西日本から九州に約1000kmに渡って縦断する形で2/28から8/30方位に向かって中央構造線が走ってお
り、こうした事から日本人はこのような対極の盆正月の時期になると、年末年始の薮入りとか迎春などとして休暇をと
り、或いは月遅れのお盆とか8/15の終戦記念日に当たる。 こうした色んな理由から古来、帰省する風習があった。

選りによって何故この混雑した時期を選ぶのかとも思うが、そうしなければ義理人情を欠くとか、一人前の社会人では
ないような錯覚にとらわれ、不安になったり、不思議な気分になって焦るものです。だからこのシーズンは日本列島で
は大勢の人間が行き来する場となった。

其れは観光旅行が目的であっても実は先祖供養と祭りへの関与に繋がり、従ってこの方位を神と鬼とが行き来する事
になり、結果として、日本人と列島とを元気付けるエネルギーとなって来た(西日本については「8/14」と「8/30」を
参照)。

■09なまはげ柴灯まつり(〜15日:例年10日前後)【秋田県男鹿市、真山神社】
■火振りかまくら  05/2月13(日)〜14日(月)・・・・・・・(秋田県角館町)400年以上の伝統があるとされる行事で、無病息災や五穀豊穣(ほうじょ
う)を願い、燃える俵を振り回します。火振りは、1メートルぐらいの縄をつけた米俵に火をつけて縄の先端を持ち、自分のからだを軸に振り回します。

神聖な火で田んぼの忌を払うという意味があると言われています(以上、メルマガ【なっとく歴史館】公式サイト:(随時更新) → http://1rekisi.jpより引用)。
この祭りの詳細URL  http://www.town.kakunodate.akita.jp/

▲08黒石寺・蘇民祭・・・・・・岩手県水沢市の黒石寺で〜14日(旧暦08/1月7日〜8日)まで。裸の男たちがお札を奪い
合う。
★10上杉雪灯籠まつり(2月第2土曜〜日曜日)【山形県米沢市】

★10十日町雪祭り(2月第2土曜〜日曜日)【新潟県十日町市】
★10南魚沼市雪祭り(旧:六日町雪祭り)(〜14日:2月第2土曜〜日曜日)【新潟県南魚沼市】

●火渡り・・・・・・・・茨城・関城町の辻集落。辻稲荷神社境内で。
■07-08厄除け地蔵尊祭・・・・・・13〜14日。塩沢寺(山梨県甲府市)。 

■07星供祈願会・・・・・・奈良市の弘仁寺0742-62-9303では柴燈護摩を焚き、1年間の無病息災や家内安全を祈願す
る。

テト・・・・・・ベトナムの旧暦の正月の元日(2005)を祝う行事。中国の元日は05/2/9から春節祭。神戸市内ではテトを祝う行事として、この日2/9
はゴクイン(生春巻き)やフォー(うどん)を食べて祝う集いとなった。






































































2/14 


▼10旧正月の元日。春節祭。▼09旧・二十日正月。

■11さっぽろ雪まつり 2月中旬 北海道札幌市

★09大館・アメッコ市・・・・・・400年の伝統。http://www.city.odate.akita.jp/dcity/sitemanager.nsf/
98aeab5db7ae34a949256b0000279dea/65b0afa4f8174ffd4925713a002bb1b8?OpenDocumentによれば、
会場:秋田県大館市字中城20番地、大町中央通りで、

日程:平成21年2月14・15日(土・日曜日) (毎年2月第2土曜日とその翌日)
『この日にアメを食べると風邪をひかない』と伝えられるアメッコ市の起源は、天正16年(1588年)です。当時は民俗
行事でしたが長年行われ続け、昭和47年から現在のように大館市の大町中央通りで開催されるようになりました。

大館市の近くの山から神様がアメを買いにやってくるという言い伝えを再現した「白髭大神巡行(しらひげおおかみ)」や「秋
田犬パレード」を始めとした様々なイベントが両日行われます。

また、会場には枝アメや細工アメなどを販売する露店が立ち並び、そのアメを求めて県内外から約15万人もの観光客
が訪れます。

■07角館・火振りかまくら・・・・・・・以下、http://www.media-akita.or.jp/akita-events/hiburi.html「秋田・冬の行事」より
引用---小正月とかまくら---正月の行事は,その年の始まりとして古くから行われてきた。特に,雪国では季節の移り
変わりを中心に,新しく始まる1年の豊かな生活と幸せを祈願した。

日本の太陰暦は,月の満ち欠けをもって決められていて, 正月は15日の夜の満月が起点とされた。1月1日の大正月
に対して,15日は小正月と 呼ばれた。小正月には,農家は五穀豊穣,商人は商売繁盛を祈願した。さらに各家庭では
無病息災を祈るいろいろな行事が数多く行われてきた。

特に農家の小正月の行事は,その年の作柄を占い,あわせて豊作を願うものであった。 また生活に欠かすことのでき
ない「火と水」という神聖なものに対して感謝を捧げ,永遠にその存在が続くことを祈った。
2.「かまくら」が持ついろいろな意味

---「かまくら」といえば神奈川県の鎌倉市,鎌倉幕府,鎌倉八幡宮が良く知られている。八幡信仰は,古くは国家の大
事に係わる宗教であった。鎌倉時代には武士に崇拝されるようになり,全国各地で武神の信仰がつよくなった。 一方,
秋田には,古くは宮中の「左義長」「吉書焼き」といった旧暦正月の儀式が小正月の行事としていまに伝わっている。

これらの伝統行事も「かまくら」という。さらにややこしいのが,「かまくら」行事の際に作られる 四角や丸い形の雪の室
(むろ)も,雪の中に掘った穴も「かまくら」という。
3.角館の「かまくら」の語源

---「かまくら」の語源については,いろいろと異なった説がある。 角館町では,生活の中心となる「かまど」「釜ど」を,
神が座してる神聖なものとして 大事にしてきた。従って「釜ど」が神座(かみくら)であり,それがなまって 「かまくら」とな
ったと伝えられている。

現在の暦である太陽暦の2月14日は, 太陰暦の小正月にあたり,一ヶ月遅れで小正月の行事が行われてきた。
4.火振りかまくら---「かまくら」は高さ1.5mぐらいの釜どを雪で作り,薪(たきぎ)を入れて燃やす。 また高さ5mぐらいの
長い木に稲わらなどを巻き付けて雪に立てる。これを角館では 天筆(てんぴつ)という。

この天筆に火をつけて正月の門松やしめ飾りを焼き,良い新年を祈願する行事である。火振りは米俵か炭俵に1mぐ
らいの縄(なわ)をつけ,釜どからその俵に火をうつし,縄の先端を持って,燃えている俵を自分の体の周囲を振り回し
て,無病息災, 家内安全などを祈る行事である。

農村地帯では,その地域部落によって異なる小正月の行事が,昭和5,6年頃まで行われていた。が,今ではその面
影もなく,角館周辺では,火振りかまくらだけが 続けられている。
5.期間---火振りかまくら:2月14日夜 6:30〜8:30

▲08黒石寺・蘇民祭・・・・・・岩手県水沢市の黒石寺で〜14日(旧暦08/1月7日〜8日)まで。
★09上杉雪灯籠まつり(〜15日:2月第二土曜〜日曜日)【山形県米沢市】
★09南魚沼市雪祭り(旧:六日町雪祭り)(〜15日:2月第二土曜〜日曜日)【新潟県南魚沼市】

■09館林の雛人形展・・・・・・群馬県。旧秋元藩主の屋敷跡で、14万体を展示する。

平将門の命日・・・・・・・・彼は世に言う「天慶の乱」を起こして平貞盛と藤原秀郷に攻められ、流れ矢に当たって死ん
だ。その命日が天慶3(940)年2/14日と3/14日の2説がある。前説では例えば茨城県岩井市の国王神社は平将門を祭
る所だが、此処では彼の命日を2/14日としている。

この2/14をユリウス暦に換算すれば3/25、グレゴリオでは3/30日となる。だが彼の胴体を葬ったとされる神田山(将門
山)には延命院と大威徳将門明王碑が立っているが、国王神社との方角は5/15日となるので前説では矛盾する。実は
彼の胴体は此処、岩井市に埋められ、首だけが京の都大路で晒された。

所が其の首は胴体を捜して北へ飛んだが、岩井市に達せず神田に落ちた、とも或いは、彼の首が京都から江戸を目
指して飛んで行ったとも言われる。@

何れにせよ、神田の首塚は1100年近く不変であり、江戸時代には大手門、其の後は宮中三殿の、何れにも鬼門に当
たる位置(今の大手町1-1-1三井物産近く)に不動である。首塚の位置が不変なのは、移そうとするたび事故が相次い
だ※事から祟りを恐れた為である。

※羽田空港にも神田神社の鳥居が有って、戦後空港工事をしたGHQを悩ませ、また1992年2月にも鳥居を撤去して移
転しようとして事故となったと言われる。

但し神田明神の場合は、この首塚の所にあったものが江戸城築城に伴って北約1/11日方位の現在地へ移転させられ
た。其の神田明神の例祭は古くは9/15日に有って、江戸将軍家の「天下祭」として賑わい、以来、日本三大祭の一つと
もなったが、其れが今は5/10-11日に変わった。

此れは神田神社の三ノ宮に祭られている将門の命日(5/15)に期せずして近い祭日となる。また岩井市に於いては、
現在、11月の第2日曜日に「将門まつり」をしている。@

以上、将門には三つの命日が伝わるが、其れはどれかが間違いと言う訳ではなくて、仮にも暦法の専門家である安倍
の晴明が設定したものとすれば仏暦など各種の暦法を使って事件の顛末を其の都度、地理・暦・方位で刻んだものと
推定する。

以下、「」で回答した中から引用する。回答日時: 2008/4/6 17:05:09回答番号: 48,423,904-----平将門は朝廷にとっ
ての朝敵となったものの、関東の住民にとっては英雄でした。彼の命日は天慶3/2/14日。従ってこの日に彼の縁の地
で慰霊祭をすれば鎮魂になります。また逆の時期の8/14日に日迎えの祭りをすれば彼の御魂が降臨可能となります。

其れについて例えば現在、神田明神では4月3日には春大祭(祈年祭)として、また将門塚前祭を2007年9月20日(木)
に行っている。命日と祭日とが不一致のように見えますが、07年の旧暦では2/16日、及び8/10日になりますので、命日
と祭日に略合致する。なので一応は、伝統保守のケースに当たると言えます。

さて一般に鎮魂は忌籠りなどをして、逆の時期のお祭りは賑やかに行いましたので、平将門の祭りも秋に賑やかに行
ったものと推定します(以上引用)。

▼10旧正月の元日。春節祭(横浜中華街)。

赤山ライン・・・・・・・京都・修学院の奥に赤山古墳がある。標高96m全長120m程だが、梅谷川・浴竜池からの規模
は其の2倍は有る。此の南西部に赤山明神があり、仁和4年(888)天台座主・安慧(あんね)が、師の慈覚大師・円仁
の遺命によって比叡山の延暦寺の別院として建てた。

本尊の赤山明神は、慈覚大師が中国の「泰山府君」と言う陰明道祖神を勧請したもので、天台の守護神であり、また
京都の東北(表鬼門)に当たるとして当院は「方除け」の御利益が期待されているが、厳密には旧内裏からも今の御所
からもズレている。と言うよりも別の意味(下記)があった。

例えば後水尾上皇の修学院離宮御幸の時には、上皇より社殿の修築及び、赤山大明神の勅額を賜った。御神体は、
毘沙門天に似た武将を象る神像で、延命富貴の神・福禄寿である。よって都七福神の1つとされている。また、かけ寄
せの神として商売繁盛の信仰を集めている。

つまり、赤山明神の祭日にあたる5日に当院に参詣して懸(かけ)取りに回ると、よく集金ができるといわれ、商人たち
の信仰も厚く、俗に五日払い(いつかばらい)といわれる商慣習ができたと伝えられている。閑静なこの地には、松、楓
が多く、秋には紅葉の名所として多くの人々で賑う。左京区修学院開根坊町。今の例祭は5/5日。

赤山明神は今は一般に天神様と見られている。よって菅原道真公と此の赤山明神とは毎月25日が古来、縁日だった。
だが「泰山府君」と言うのは陰明道ではなくて、シナ仏教では閻魔様である。つまり旧暦1/15-7/15(盆正月)が縁日で
ある。@

因みに此の相国寺には先の後水尾天皇の髪歯塚がある。以下http://www.shokoku-ji.or.jp/shokokuji/history/
shokokuji_story/shokokuji_story_02.html「相国寺」から引用する。

永徳三年十二月には既になくなっていた夢窓国師を相国寺の第一祖(開山)に追請し、春屋が第二祖(事実上の開山)
として入寺しました。十二月十四日には、義満は亀山法皇の南禅寺建立の例にならい、義堂と共に相国寺に赴き、義
堂と相肩してもっこを担い、土をはこぶこと三度に及んだといいます。

義満の相国寺にかける意気込みが伺われます(引用以上)。つまり2/14と言う日に意味があり、其れは足利義満や相
国寺以前から、また赤山禅院が建つ以前から意味があった。其の意味は赤山古墳の被葬者の命日の裏の暦日であ
り、此の日は彼(または彼女)の御魂を神として迎える日であり、此のラインは其の為のラインであった。@

では此の日が命日の方は何方なのか。

藤原旅子の命日・・・・・・・桓武には夫人に藤原旅子(たびこ・第53代淳和天皇ご生母)がいたが、延暦7年5/4日、
788/6/12に旅子(30歳)を失う。今、伝・桓武天皇皇后(乙牟漏)陵の北(西京区)には彼女・「淳和天皇御生母陵」があ
る。此処は確か五塚原古墳とも呼んでいる所である。

桓武は平城から長岡に更に794(延暦13)年10月、新京に遷都して翌月平安京と命名する。つまり彼女の陵は長岡から
の方位で造営した事になる。其の方位の11/3---5/4にあるのは東竹の里町の丘である。では先の「淳和天皇御生母
陵」は一体どなたの陵なのか。遷都後の平安京旧・内裏からの方位は8/14---2/15を示している。 @

更に其の先には叡山の相輪塔がある。つまり桓武が如何に彼女を愛していたかを此処が物語る。其れをしかし国費で
やったとすれば、言わば暴君でもあったのか。@

いや、バレンタインデーには月並みなチョコレート作戦よりも、旅子を迎える此の方位にカップルで散歩したほうがご利
益があるかも知れません。現代は科学的とか何とか言いながら、世間では実際の所、何の証拠も無いのに宣伝力で
商品を巧みに買わせたり、神不在の偽祭りのイベントで客集めと銭集めしている所が殆どになった。

其の点で昔からの日本の祭りは偽装が無い。神が現れて何かが変わる。よってそうした実績が伝統となって続いて来
た訳です。此処については詳しく知らないが、祭りと言うのは御魂の再臨をコースで設定した装置である。実際に若人
が集い、或は此の日と同じ方位で北東から南西に向かえば自動的に熱いムードに変わる流れとなる。

とすれば何れ此処もホットスポットになる可能性が大きいし、筆者も新カップルのご出現を祈る。

■06-07-08-11長谷寺の「だだ押し」・・・・・・・奈良県・桜井市にある長谷寺0744-47-7001の行事は1000年続く伝統行
事である(9/9天武を参照)。先ず本堂で修二会結願の大法要が営まれる。

つまり本来は東大寺の二月堂の3/12日の「お水取り」と同様、正月の時期を正す「修二会」(修正会)の最後の締めくくり
としての、言わば節分と同じ行事でした。所が今は、法螺貝や太鼓が打たれる中を松明を担いだ赤・青・緑の三匹のユ
ーモラスなタダオシの鬼が躍り出て本堂の周りを暴れ回る行事として有名となった。

やがて鬼は長さ4mの松明で追われて出て行く。その後、大松明を持った鬼とその火を奪おうとする参詣者がもみあう
修二会の結願行事で締め括り、閻魔王の印「タンダ」印を参詣者の額に押す。また午王札も配られる。此のタイマツの
破片を持ち帰って祀れば無病息災で暮らせると言われている。

因みに長谷寺(真言宗豊山派)からこの日の暦・方位は、川向に天神山を指しており、其処には今も岩倉があると言わ
れる。暦の上では03年のこの日は旧暦の1/14、即ち、翌日が旧暦の小正月(満月)に当たったが、04年は1/24に当
たり、新月の六日前になった。また07年は旧暦の12/27日に当るので言わば歳末。

「だだ押し」  http://www.omatsuri.com/movie/yuki.html<動画>







▼10旧正月の元日。春節祭(神戸の中華街)。

■08松山椿祭。
■煮干の日・・・・・・・・

▼10旧正月の元日。春節祭(中華街・中国)。

聖バレンタインデー・・・・・・・日本とは逆に、米国では男性から女性に対して贈り物をするのが一般的であり、従って
ホワイトデーもないとか。因みに中国ではこの日を「情人節(チンレンチェ)」と言う。





















































































2/15  


●例年-涅槃会<常楽会>(各宗) 。          

●例年-大曲の綱引き【秋田県大仙市大曲地区、市内通り】

●例年-横手かまくら(雪祭り)・・・・・・・秋田・横手市で2/15日〜16日。400年前に方形の雪室を作った「かまくら」
発祥の地。旧の小正月のこの頃、子供たちが「かまくら」を作って、中に水神様を祭り、夜になるとお灯明を上げてお神
酒と賽銭を奉げ、お参りに来た人に甘酒を振舞う。

そして17日には旭岡山神社へ大きな纏飾りを奉納する「ぼんでん」祭りがある。

■06-07 一遍上人降誕会(時宗) 
★08十日町雪祭り(〜17日:例年2月第2土曜〜日曜日)【新潟県十日町市】

▲11国府宮はだか祭(旧暦1月13日)【愛知県稲沢市、国府宮神社】

■06-07-08遺経会・・・・・・千本釈迦堂(京都市上京区)。

■06-07-08人形展・・・・・宝鏡寺〔人形寺〕(京都市上京区)で門跡尼、寺の秘宝人形、歴代皇后からの下賜人形、御
所人形など珍重なものが展示される。 2/15〜3月31日、10月10日〜11月30日。

■07涅槃会(興福寺)・・・・・・・・奈良・興福寺0742-22-7755では、涅槃画像を奉掛して法要を営む。
■07涅槃会(唐招提寺)・・・・・・・・奈良・唐招提寺0742-33-7900では、お釈迦様が入滅されたとされる2/15日に、其の
遺徳を讃える法要。

■07釈尊涅槃会(三松寺)・・・・・・・・奈良市内の三松寺0742-44-3333。
■07涅槃会(法隆寺)・・・・・・・・奈良・法隆寺0745-75-2555では、お釈迦様が入滅されたとされる2/15日に、其の様子
を描いた涅槃図を掛け、沙羅の造花を供えて供養する法要。

大和をほぼ手中にした戦国武将とは?!----大永3(1524)年2月15日 に、筒井順昭が生まれる。1523年説も
あり。 順慶の父で、信貴山城を居城にして、大和国に勢力を持っていた越智氏や木沢長政などの敵を次々と破って勢
力を拡大し、大和一国をほぼ手中におさめ、筒井氏の全盛期を作り上げる。

配下の武将には、私の大好きな島左近がいます!義を貫いた闘将 島左近の謎を暴く → 以上は、http://sakon.
1rekisi.jp/ メルマガ【1日1分歴史新聞】 戦国武将・幕末志士が今日甦る!・・・・・より引用。 

応神天皇の命日(41年春2月甲午朔戊申)・・・・・・・・応神天皇の事が分って来ると、その子孫に当たる歴代天皇
の宮が芋づる式に判明して来るので、此処が大事なキーポイントとなる。彼は第13代・成務天皇の亡き後、その後継ぎ
として幼帝で即位した。

成務陵は現在は奈良市の北に治定され、また羽曳野市には伝・応神天皇陵があるが、何れも疑問である。成務陵は
実は羽曳野市の伝・応神天皇陵であり、其のため孫の世代の応神天皇が大隈の宮で即位し、日迎えしてこの地に祖
父であり、養父ともなった成務の陵を造った。其の傍に今も誉田八幡宮がある。

其の西側には今も軽の里の地名があるが、この辺りが当時の「軽の宮」であり、其処で崩御した訳ではないが伝・仲津
媛皇后陵に葬られた。其の陵の築造角度もこの日2/15日を明示している。其の方角の先には太平寺地区※があり、
また逆方位には今も野中寺・野々上八幡神社があ る。

よってこの方位、つまり暦では8/15日が彼を迎える各地の八幡宮の例祭となった。因みに仲津媛は成務の弟・品陀真
若王の王女として成務陵に居ついた姫であり、そのため此れも史実にはないが誉田別命を養子として迎えて応神天皇
とした方だ。よって応神天皇亡き後、其の陵に居つき弔ったため、彼女の名前だけが後の世に伝わった事になります。

かつてタラシ王朝とワケ王朝の違いが論じられてもその意味するものとして明快な答えは出なかったが、タラシとは征
服者であるのに対して、「ワケ」とは分家の事であり、コンダワケと言う彼(応神)の和名は、誉田本家から独立した別種
の「分家」と言う立場を明らかにしたものでした。

さて先の※太平寺地区の先に進めば奈良市・大安寺方面に至るが、此処に石清水の元宮と言う八幡神社がある。大
安寺は百済大寺・高市大寺・大官大寺とも言われた謎の大寺院である。大同2(807)年に僧・行教が大安寺の鎮守(石
清水八幡宮)としたが、其の後の貞観元(859)年に男山へ遷座した。

其れが今の京都の石清水八幡宮の由来である。其れまでの大祭は大安寺祭と称し、8/14日に行った模様。但し現在
の八幡神社の例祭は10/10日になっている。

応神天皇の命日ライン・・・・・・彼は軽島豊明宮で即位した。今、羽曳野市には軽里があるが、其れは伝・仲津媛
皇后陵の軸線に近い所だ。やがて大隈の宮(または明宮)で崩御した。彼の命日が41年春2月甲午朔戊申と言うのは、
旧暦ではなくて和暦(古の太陽暦)の2/15日と言う事である。その事については以下で論証する。

何故彼が大隈の地に宮を造ったのかと言えば、彼は先の成務天皇の婿養子と言う形で即位したからである。従って羽
曳野市の誉田の地から分家した立場であり、よってコンダワケ(誉田別)尊と言われた。前述した通り、今其の羽曳野
市には応神天皇陵と伝わる巨大な古墳があるし、記紀にもそう思わせる記述がある。

だが此処は彼が被葬者ではなくて、彼が其の養父の供養のために世界一大きな墳墓を造り上げた訳である。よって彼
の名声が強く後世に伝わった事になる。ともあれ、彼はこの誉田の地を離れた。本家に遠慮しての事だったろう。@
其れが大隈の宮であり、現在の地図で言えば其れは大阪市東淀川区の大宮神社の近くである。

大阪経済大学の構内も彼の宮址と伝承されている外、桑津天神社の御祭神が髪長媛である(竹鼻氏談)。桑津には応
神13年に彼女が日向 から来て此処で養蚕と織物をしたとの伝承が残る。彼女は三男一女を生んでいるが、この桑津
は先の誉田と大隈との略中間地点に位置していた。

此処には弓矢を持ち、馬上姿の応神天皇らしき掛け軸が残されていると言う(竹鼻氏談)。
ともあれ、彼は成務天皇の命日と合致した形の陵を誉田の地に造って、更に其の軸線の先には大隈宮を作った。そう
すると以下の事柄も結びつく。

大隈と言う地名は鹿児島県にもあり、また橿原市内にもあるので、其の地を断定するのは此れまで無理だった訳です
が、東淀川区には大隈地区や大隈神社がある。但し、此の辺りは河口部と言うよりも当時はまだ大阪湾の姫島と並
び、大隈と言う島だったろう。

今も大阪は「難波八十島」の熟語が残り、摂津は三嶋と呼ばれたし、「大阪八百八橋」の話も残るし、「水都」を自認して
いる。従って歴史的には陸地としての地の利よりも、水運の便の良い水域・地域だったろう。

ただ、淀川は度々氾濫したので、元の大隈宮の位置も移動している所から、宮の特定も至難であるが、淀川の両岸部
には長柄八幡宮や神津神社など、彼を祭る神社が多く、また、中島惣社の末社の外、豊崎神社の末社には水中八幡
宮と言われた神社も有るほど、此処は氾濫した。よって元の皇居は現在、川の底かも知れない。@

此処から此の日の方位に進めば宇治上神社に至り、彼(応神)の皇子(菟道稚太子)も祭られている。因みに、皇子の陵
も近くに現存する。さて、この宇治上神社から更にこの日の方角に進めば、岩間寺に至る。この寺の開祖は泰澄大師
であり、今は西国33観音12霊場である。この辺りには桂が群生しており、更に進めば標高445mの岩間山に至る。

そして更に進めば八日市の正八幡古墳群を経て岐阜に至るが、其の先には信州信濃の善光寺を開いた本田氏が
あ。本田は誉田に音が通う言葉であり、更に進めば福島県の白河に至るが、其の近くの常陸の国には岩間の地名が
あるので、此れも何らかの繋がりが有ったのではないか。

また大阪から逆方位に進めば四国の高知を経て日向から鹿児島に至る。ともあれ、次の仁徳天皇がこの大隈の宮か
ら難波の高津宮に遷宮する事になる訳ですが、矢張りこのラインの上になる(1/16を参照)。

またその後に、応神天皇の五世孫の継体天皇が大和入りに先立って、何故、楠葉に宮を設けたのか、と言えば、矢張
りこの応神の命日ラインに宮を遷す事で、皇位継承の正統性を世に知らせる効果があったと見れば、従来の歴史の謎
もまた一つ解けるのです。もう一度前に戻る。彼は先ず軽島豊明宮で即位した。

羽曳野市には軽里の地があるが、其れは伝・仲津媛皇后陵の軸線に近い所だ。つまり彼の元の宮に近い所には仁徳
によって彼の陵が築かれ、其処に仲津媛皇后が応神の御霊を弔った。よって其の陵は応神や仁徳の名ではなく、彼女
の名が残ったのである。

さぁ、此れで一件落着したかに思ったが、そうは問屋が卸さないもので、鹿児島にも大隈半島がある。其の根っこに隼
人町があり、鹿児島神宮がある。此処は八幡神の総本社とも言われる。八幡神とは一般に応神天皇の事である。

此処から2/14日方位に向かえば、霧島神宮と高千穂の峰の東を掠めて釈迦ヶ嶽(831m)に至り、其の先は宮崎県の
都農に至る。此処に都農神社がある。ご祭神は八幡神ではなくて出雲の大黒様なので、彼との関係先ではない。しか
し更に進めば古市の伝・仲津媛皇后陵に達するのです。

ですから古市が彼の世への入り口であり、また逆に隼人町の鹿児島神宮こそ彼の御霊の再生・蘇りの宮だと判明する
(8/15八幡、及び10/9古室を参照)。


■09秋吉台山焼き(例年2月第三土曜日前後)【山口県秋芳町・美東町】
■07平生町・般若寺の火まつり・・・・・・山口県。以下、http://kirara.pref.yamaguchi.lg.jp/mag/html/20070209/html_
20070209.html「山口きらめーる」から引用。期日07/2月15日(木曜日)、場所 般若寺(はんにゃじ) 。

内容---大畠瀬戸(おおばたけせと)で亡くなったとされる般若姫を弔(とむら)うために約1400年前に創建された般若寺
で行われる火祭り(柴燈護摩法要(さいとうごまほうよう))で、厄よけや無病息災を祈願します。一年を健康に過ごせると
いわれる火の上をはだしで歩く「火渡り行」には、毎年多くの参拝者が集まり、甘酒などが振る舞われます。 

問い合わせは、平生町観光協会・電話:0820-56-5050、般若寺・電話:0820-56-3636 

★s17/2/15、シンガポール占領。






 






















































2/16   以下、次ページへ

次は「2月後半」
2月後半
2月後半
または・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
戻る
戻る

パテント・著作権は本会に属します。    「鬼の会」