http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」  page080080.html



   神々の歳時記   1月上旬 但し方位による

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以下のページは「1月の歳時記」です。・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起
の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版 
http://www.omatsuri.com/mailmag/http://www.matsuri.or.jp/cgi-bin/wf/wforum.cgi

及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-1月」及び奈良観光連盟ガイドブックの「知れ
ば知るほど奈良はおもしろい」06-07冬号より一部引用・転載させて頂きました。

■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年06-07と追加する形で示しています。ただ凡そ
歳時記には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催
日等の詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。

尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。 

1月上旬 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

1月上旬から2月下旬

■諏訪・御神渡・・・・・・・1月上旬から2月下旬に掛けて、平均55日間に海抜759mの諏訪湖では湖面が夜間に急速
に氷結して盛り上がり、1本の 筋となって、東西、或いは南北に現れる。一旦凍った氷が夜間に収縮して裂け、其れが
昼間に膨張して側圧のため裂け目に沿って押し上げ られ、時には湖岸にまで突き上げる事がある。

こうした現象を地元では古来、「御神渡」と言い、神がお渡りになった印しと見て来た。また古来諏訪・下社では遷宮祭
りが1/1日に行われたが今は2/1日に変更。




1/10  日

1月10日
歌会始め 十日戎 初金比羅


●例年-歌会始め。   ●例年-十日戎 。   ●例年-初金比羅。   ▼09初卯日。
    
●例年-山形の初市【山形市七日町・十日町】
★10加賀鳶出初め式(1月5日以降の日曜日)【石川県金沢市、牢川】

★10加賀鳶出初め式 1月10日 石川県金沢市
http://www.omatsuri.com/movie/kagatobi.html「YouTube等の動画」

★10小高のはだか参り(成人の日前日)【千葉県匝瑳市、妙長寺〜八坂神社】
●例年-長浜盆梅展(1月10日〜3月10日)【滋賀県長浜市、慶雲館】
★09勝部の火祭り(1月第2土曜日)【滋賀県守山市、勝部神社】

■07-10十日戎【京都・恵美須神社】・・・・・・京都市東山の八坂神社の恵美須神社から七福神を載せた蛭子船が出て
市内を巡幸するほか、宝恵カゴが出て30ヶ所を訪れる(07/1/5のNHKラジオ深夜便より引用)。
所で、戎さんの縁日は1/10、そして2/8の事始の何れが正しいのか。@

●例年-十日戎【京都府宮津市、智恩寺】  

●天智天皇祭・・・・・・天智天皇が近江の宮でこの日に崩御したとして近江神宮で行われる。日本書紀では671「12/
乙丑3」とし、其れをユリ ウス暦にすれば672/1/7、グレゴリオ暦では1/10)となるためであるが、方位から見れ
ばもっと前の日だった(「12/25」を参照)。

奉射祭・・・・・・祭りの前に四方に矢を撃って神域を清めようとした神事。或いは一定の方向に射って其の方向を示
し、もしくは戦いの前に音の出る鏑かぶら矢を放って合戦(宣戦布告)の合図とした。このため各地のこの種の神事には
独特の意味があり、時期は勿論、行列と進み方の動作の作法や的の数まで細かい規定がある。

1/3日には群馬・一宮町の貫前(ぬきさき)神社で水的神事。12/11の神機織神事の四方拝で使った桑弓と蓬の矢
を用いる。続いて1/7にも奉射神事をするが、此れは鬼退治の意味と言う(おお怖!)。
1/7日には鹿児島・川内市の新田神社で奉射祭(的射の神事)。

1/10松尾神社の奉射式は、京都西七条の御旅所で1/10と1/12に都合二回も行う。能舞台に幣を立て、組的の
裏に鬼の字を書いてブラ下げて、皆で寄って集ってウツのです(イジメの見本?)。

1/12(元は13)日、京都伏見の稲荷神社でも奉射祭(御弓始祭)。祭式の後に神職二人が的場に出て真弓で二回
射る。この弓矢は悪魔を除くと信じる信者から懇望される。また
1/13日には熊本・長洲町の四王子神社で破魔弓祭があり、此れを「的ばかい」と言う。

海に入って矢を奪い合うので裸祭りである。其の切れ端は火除けの護符となる。次に
5/14(昔は旧暦3/1〜3)日には島根・出雲大社で例祭の前に馬場で的射式と流鏑馬(やぶさめ)。由来は大穴牟
遅神が八十神を坂の御尾河瀬毎に追い詰めた古事によると言う。

■07奈良・春日の十日えびす・・・・・・・・・奈良・春日大社の佐良気神社0742-22-7788
■07奈良・長岳寺・節会(網掛け行事)・・・・・・・・・奈良県天理市の長岳寺で山門前に掛けられて21日の初大師には全
員に甘酒が振舞われる。長岳寺0743-66-1051

■07奈良・津島神社・初恵比寿・・・・・・・・・奈良県田原本町。津島神社0744-32-3914

●例年-十日戎-本戎・宝恵駕籠(ほえかご)行列【大阪市浪速区、今宮戎神社】・・・・此処では宝恵カゴ(ほえかご)行列が人
気である。此れは200年前の江戸時代に、旦那衆が料亭の芸妓を籠に載せて練り歩いて参拝する風習を残したもの。

動画http://www.omatsuri.com/movie/hoekago.html

■07-08-10十日戎-堀川戎(えびす)・・・・・・・・大阪市北区西天満で9日から11日まで。社記によると550年頃創建、文
和(ぶんな)年間(1352〜56)当地に移築したと伝える。祭神蛭子(ひるこ)大神ほか。南の今宮戎とともに商売繁盛の
神様として市民に親しまれ、落語家や漫才師たちが福笹を売る事もあって堀川十日戎として賑わう。

9日10時から地車囃子の奉納。正午には福娘による宝船巡幸(福の神パレード)。また芸能人による「しころ」の奉納、
福餅の授与など11日(手打ち式)まで。

●例年-十日戎-本戎-開門神事【兵庫県西宮市、西宮神社】・・・・・・この西宮にはアマテラスの外に事代主神などを祭
る。事代主神が一般に「恵比寿様」として、また1/9〜11日が此処の例祭(宵戎・本戎・残り福)である。但し方位から
見ればこの祭りは旧暦であり、今のカレンダーでは寧ろ2/11にすべきかと思われる(2/11を参照)。

因みに上記の難波「今宮」と西宮とのどちらが本家かと言えば後者である(8/22を参照)。
さて此処では早く着いた順から3着までを福男とする。

開門神事・動画http://www.omatsuri.com/movie/kaimon.html
●例年-初こんぴら【香川県仲多度郡琴平町、金刀比羅宮】

■07事代主神社・おゆ神楽・・・・・・・四国・愛媛?の同社で(07/1/10NHKラジオ深夜便)。
■11破魔投げ大会(成人の日)【鹿児島市、甲突川畔】

■07お守りさん・・・・・・五島市。平家落人伝説のある当地では、村廻り役がお経の本を持って約800世帯を廻り、家々
の人の頭に経本を翳して祈る(07/1/10NHKラジオ深夜便)。


★06-07-09110番の日。






















































1/11  

                              
▲07初巳。初巳の日は弁財天。 ▼09望・満月1227。

●例年-鏡開き(関東)・蔵開き・・・・・お正月様に鏡餅として供えた餅を下げて、人が雑煮として戴く。
 
▲三沢大火・・・・・・・青森。39年前の今日、一家庭の台所から出火した時、風速29mの強風が三沢市に吹いた。木
造家屋が多かったのに加えて、乾燥期の冬に風が吹けば更に乾燥する。また放水した水もこの時は凍ってしまう状態
だった。一時鎮火した後にプロパンガスのタンクの誘爆が相次いで事態が悪化した。

だが其処に米軍の支援が来たので出火から6時間後に消す事が出来た。消失家屋450棟。一面、戦後の焼け野原
のようになったが一人の死者も出さなかった。其れまでにこの地域は防火意識が高く、避難訓練などをしていたので犠
牲者を出さなかったとも言われる(読売テレビ「今日は何の日」より引用)。

■09きららの里・鳥追い祭り・・・・・・・・・日立市・奥日立きららの里0294-24-2424
■10だるま市・・・・・・・・・筑西市・旧下館大町通りで。筑西市商工観光課 0296-20-1160
■10境だるま(達磨)市・・・・・・・・・茨城県・境町上町裏通り・歩行者天国内で。境町観光協会 0280-81-1319

■09小高のはだか参り(成人の日前日)【千葉県匝瑳市、妙長寺〜八坂神社】

■07-08鉢敲出初・・・・・・空也堂(京都市中京区)では念仏の寒修行として早暁の勤行後、鉦鼓を持ち、托鉢の装いで
市内を巡り、念仏を唱える。

■07嘉吉祭・・・・・・・奈良・桜井市の談山神社では、室町時代から553年続く此の祭りを地元の頭屋の奉仕によって行
なっている。神輿が出るが一般の参拝は不明。
 
49光仁天皇の命日・・・・・・白壁皇子・天宗高紹天皇・後田原天皇//平城宮/平岡陵-田原東陵/天応1/12/丁未23/
782/1/11-1/15。光仁は称徳天皇の崩御により即日皇太子となって同年即位し元号を宝亀と改元した。井上内親王を
皇后としたが大逆のため山部親王(桓武)を皇太子として生前に桓武に譲位している。

つまり彼は平城宮ではなく、桓武と共に長岡宮に移って来ていて崩御されたと推定できる。だから桓武としては長岡宮
から光仁の命日方位に向かった。起点は長岡宮であるが、今の長岡京市ではなくて向日市内の長岡宮跡推定地でも
なく、今の向日神社から少し離れた上植野町である。

其処からユリウス暦の1/11に向かった先が旧・平安京・大極殿になる。但し今の御所ではなくて当時の内裏は今の中
京区・旧大極殿跡である。また其の旧大極殿跡から更に進めば南平岡町がある。彼は先ず平岡陵に葬られたが、平
岡とは大和ではなくて此処(左京区)に有った。

上賀茂神社の神宮寺山の東側の小山、つまり南平岡町の西側に光仁陵が有った筈だ。因みに其の先に木野、其の
先に上蔵地区があるが、そんなに奥に入る必要はなかったろう。因みに長岡から見て、命日の逆方位は長岡天満宮、
水無瀬、大阪・東成区へと至る(1/15平安遷都を参照)。

更に先の光仁の傍証として后の高野新笠の陵も矢張り長岡宮を基点として其の方位に陵を造っている。また仏教では
西暦よりも旧暦で法事をするが、例えば大安寺(奈良市大安寺町)0742-61-6312では彼の命日を旧暦12/23として西
暦の06/1/23日(別項参照)に光仁会として御忌法要を行った。

また年明けの07/1/23日(旧11/5)に光仁会として、62歳で皇位についた光仁天皇の御忌法要を行う。仏寺では伝統的
に旧暦で弔って来たからです。

-------
因みに元の平城宮を起点とすれば、この時期は冬至の頃になるので平城宮から真北に進めば祝園地区があり、その
東に広岡地区があり、当初は此処にも仮のご廟を設けた筈である。だが実は逆に、平安京に遷都して数年後に広岡
山から田原東(奈良市東部)に移葬したとも今は考えられている。

其れに該当する陵として幕末には後田原陵として治定されてはいるが、其れについて此処では論じない。@
また例えば秋の紅葉シーズンには行楽の名所となる高槻市の神山寺(天台宗)には光仁天皇塔があり、その逆方
位には奈良市に弘仁寺がある。@

次は余談となるが、此処から神峰山寺に向かう途中に一休寺がある。時代は離れるが一休禅師は100後小松天皇の
皇子である。以上、やや屈折した解説になったが、本来神式祭祀でして来た祭り事を仏式で弔うようになった。此れも
過渡期のためなので止むを得ない。

複雑であってもこの辺りの事情を避けて通れば最も肝心な遷宮の原理を見逃す事になるからである。

★10若草山山焼き(成人の日)【奈良市】若草山の山焼き(2004)・・・・・2005年は1/9。以後成人式の前日となった。
●例年-粥占神事(15日に占記配布)【大阪府東大阪市、枚岡神社】

■07-08ちょんな(手斧)始・・・・・・・・四天王寺(大阪市天王寺区)。1400年の伝統を持つ宮大工・金剛組(事典の同項を
参照)による。

■07お弓神事・・・・・・・広島・尾道市の小島で。 

■09ホーランエンヤ(1月上旬)【大分県豊後高田市】
■07-08五大力祭・・・・・・選択寺(福岡市博多区)では盗難除けに御利益があるという五大力菩薩の祭。   

★10破魔投げ大会(成人の日)【鹿児島市、甲突川畔】



























































1/12  
              

■09成人の日。▼09初巳日。
■09念仏数珠回し・・・・・・・秋田県横手市で200年続く。
■07-08初会式・・・・・・薬王寺(福島県日和佐町)。 

■07-08黒岩虚空蔵詣・・・・・・満願寺(福島市黒岩町)では1/12〜13日。 
■07-08三春だるま市・・・・・・福島県三春町字大町。 

■09境達磨市・・・・・・・・・茨城県境町上町裏通りで。境町観光協会0280-81-1319
●例年-青梅だるま市【東京都青梅市】

■07-08俎開き・・・・・・報恩寺(東京都台東区)では手を触れず、庖丁と箸を用い魚を料理する庖丁式。

●例年-奉射祭【京都市伏見区、伏見稲荷大社】・・・・・
■07-08勢観忌・・・・・・知恩寺(京都市東山区)では法然の弟子源智の忌日。  

■07乱声(ランジョウ)・・・・・・07/1/12。奈良・都祁(つげ)村の寺に室町時代から伝わる魔除けの神事で、長さ50cm
の竹棒で床板を三度づつ叩く。 
■06和歌山・川湯十二薬師祭・・・・・・田辺市本宮町。

■09薬王寺の鏡餅上げ・・・・・・淡路市。特大の鏡餅を抱えて歩く。
■09満濃池のカルタ・・・・・香川。巨大なカルタを取り合う。

■09とんちカルタ大会・・・・・・・臼杵市の中央公民館で。
■09破魔投げ大会(成人の日)【鹿児島市、甲突川畔】
























































1/13  


●例年-初虚空蔵。

●例年-木古内佐女川の寒中禊(〜15日)【北海道木古内町、佐女川神社】

■源 頼朝の命日・・・・・・彼は正治元(1199)年正月13日のこの日に鎌倉で年53歳の時に薨去した。但し1/18を
参照。

■08千姫凧(たこ)揚げ・・・・・・・茨城・常総市・橋本運動公園。常総市商工会0297-22-2121
■08小高のはだか参り(成人の日前日)【千葉県匝瑳市、妙長寺〜八坂神社】
■07-08お頭靖曳馬会式・・・・・・身延山久遠寺(山梨県身延町)。

乱声・・・・・・以下http://www16.ocn.ne.jp/~omatsuri/y-junnjo.html「長野県阿南町新野の4大祭り」から引用する。
とほき世ゆ---山に伝へし神いかりこの声を、われ聞くことなかりき釈迢(空国指定重要無形民俗文化財)
雪祭り・・・・・・1月13-14日。

乱声. 大松明点火. 庭能(二夜田楽) . お上り行列. 本殿の儀. 加藍様の儀. 大松明起こし. 神楽殿の儀. 幸法 ...
1月13日---伊豆神社より諏訪神社への渡御(お下りの行列)---試楽(びんざさら舞、論舞、宣命、順の舞)---御神籤
(おみくじ)で舞役を決める。

試楽(正直っきり、海道下り、神婆、天狗、八幡、志津目)、お滝入り(禊を行う)、試楽(びんざさら舞、論舞、万歳楽、
代まつり、面化粧、競馬乗合せ、田遊び)。
1/14日夜〜15日朝には大松明点火---宝舟にエビス大黒様と稲穂を乗せて大松明へ3・3・9度で点火。

雪の中を軽やかに舞い終盤に田楽のささら舞を連出し舞う。幸法のまねをして舞うが足の蹴り方が反対。荒々しく機敏
に舞った。もどき放った矢を拾った人は縁起がいいと言われ、毎年 東に向かって放たれる。壱の馬は「太陽」、弐の
馬は「月」とされ、馬の額と被り物にはそれぞれ太陽と月が輝いている。幸法競馬。

■08三十三間堂大法要通し矢(15日前後)【京都市東山区、三十三間堂】

■08若草山山焼き(成人の日前後)【奈良市】・・・・奈良の新年を彩る祭典。正午に号砲、午後4時50分から聖火行事。
5時20分に山焼き祭典。安全祈願の後、大篝(かがり)火に点火。5時50分、花火打ち上げ。6時に山焼き点火。消防団
員300人がラッパの合図で約33fの草地に一斉に火を放つ(08/1/8朝日)。奈良公園管理事務所0742-22-0375

法隆寺・金堂・修正会(しゅしょうえ)------奈良・斑鳩町の法隆寺・金堂の「釈迦」三尊像は釈迦ではなくて聖徳太子
である。修正会は毎年正月8日から14日までの7日間、金堂で厳修されます。法要の分類では『悔過』です。吉祥天・多
聞天を本尊として国家の安穏・万民豊楽・寺門の興隆を祈願し、罪科を懺悔する法要です。

修正会は、神護景雲2年(768)に大極殿で厳修されて以来諸国の寺々でも行われるようになり、既に1241年目を過ぎ
ました。この行法は「晨朝」・「日中」・「日没」・「初夜」・「半夜」・「後夜」の六時に行われます。日中法要に先立って、「大
講堂讃説」も有ります。 

■07-08福もらい十三詣・・・・・・万福寺(岡山県津山市)虚空蔵祭。 

■08ホーランエンヤ(1月上旬)【大分県豊後高田市】




















































1/14  


★08成人の日。    ●例年-十四日年越し。    

●例年-裸参り【岩手県盛岡市、教浄寺】      
●例年-どんと祭【宮城県内 仙台市、遠田郡など各地】

とんど(どんど・左義長)1月13〜15日前後 全国各地
動画http://www.omatsuri.com/movie/tondo.html

■06冬渡祭・・・・・・・宇都宮市の二荒山神社で、午後五時頃から神輿が大通りを渡御し、豊作を祈る田楽舞が奉納さ
れる。以下、http://www.utsunomiya-cvb.org/topics.shtml「宇都宮コンベンション協会」から引用する。●12/15・1/15 
「おたりや」宇都宮二荒山神社---

「おたりや」は、宇都宮市民に一年の終わりと正月の終わりを告げる二荒山(ふたあらやま)神社の夜祭として知られ、
夜中に行われる神輿の渡御や宇都宮市指定文化財の田楽舞が奉納されます。二荒山神社のご神体を下の宮がある
荒尾崎から現在の臼が峰に還座したことが祭礼の始まりと伝えられ、古く838年(承和5)まで遡ります。

一般に神社の還座の儀式は夜中に行われるものであり、二荒山神社でも夜中に行われたことから、これを渡り夜と呼
ぶようになり、後にこれが訛「おたりや」と呼ばれるようになったと伝えられています。

祭礼も、12月15日と1月15日の2回に分けて行われたと考えられ、12月を「冬渡祭」、1月を「春渡祭」と書き、どちら
も「おたりや」と呼んでいます(引用以上)。12/15を参照。

■08だるま市・・・・・・・築西市・旧下館大町通り。実行委員会0296-24-2244
■08境・達磨市・・・・・・・茨城・境町の上町裏通り。境町商工会0280-81-1319

徳川光圀の命日・・・・・・元禄13年12/6甲子だがグレゴリオ暦では1701/1/14になる。彼は28万石で中納
言になるまで笠原水道を完成した外、大日本史379巻を編纂したり蝦夷地に大型船・快風丸を出したが、犬公方・綱
吉に苦言して隠居を命ぜられた。だが領民には「救民妙薬」を配布して慕われた。

やがて70〜72歳の時に今の常陸太田市・西山荘で薨去した。今の西山荘は彼(義公)の薨去後に規模が縮小された
ので、もっと東の西山公園からこの日1/14の方位に進めば光圀の墓所に至るので円暦方位に合致する。@

其処までの途中に瑞龍山がある。以来、此処が頼房(威公)以下、13代藩主・圀順までの水戸徳川家の墓所となっ
た。また瑞龍山と水戸の方位は1/9になる。偕楽園には同方位に御成門、次に好文亭があり、千波湖・千波山に至る。

事実、偕楽園には明治まで光圀を祭る祠があったが、其処から明治7/5/12に遷座して常盤神社029-221-0154として
祭ったものである。

●例年-大磯の左義長【神奈川県中郡大磯町、北浜海岸】 観光かながわNOW1月
●例年-献灯祭(ろうそく祭)・・・・・新潟県西頸城郡能生町、白山神社で。

■07れんさま行事・・・・・・・輪島市。400年前から、子供達が棒叩きして厄払いする行事で、此の頃、家々では正月用
品を片付ける。 

■07-08報恩講・・・・・・・西本願寺別院(岐阜県)で1/14〜15日。 
■07-08-10-11勝部の火祭り【滋賀県守山市、勝部神社】・・・・・1/13日の夜から大蛇に見立てたタイマツに点火し、残
り火を家に持ち帰る。

慈覚大師忌(天台宗)・・・・・・慈覚大師・円仁は天台3世座主。彼は勅により渡唐して、新羅人の建てた五台山で修
業し、金胎密教を幅広く学んで叡山に持ち帰った。声明・念仏は念仏踊りとなり、浄土教の基を開いたので、その後、
法然が浄土宗とした。坐禅は禅宗に伝わり、法華経は日蓮が日蓮宗とした。

こうした事から叡山は仏母山とも言われた。貞観6(864)年の此の日に入定して山門派の祖となった。此の日付けを仏
暦とすればユリウス暦にして2/24になる。方位としては東北になる。山形市には山寺(宝珠山)立石寺がある。今は芭
蕉に縁の寺として観光地になっているが、日蓮は此処に彼の頸があると書き残した。

何故円仁は山形にまで出向いたのか。しかも其の遺骨を叡山から何故山形に移したのか。一つの理由は彼が下野・
都賀野の生まれだった。次の理由は師・最澄が822/6/4ユリウスでは6/26次の座主の義眞が833/7/4に入定した。其
の御魂迎えは12/26〜1/24暦・方位となるからではなかったか。

よって以下立石寺関係のHP「慈覚大師と山寺」から引用すれば・・・・・829 天長6〜 慈覚大師、東北行脚。 832 天長9
この間に大師は、山寺の地に至り、寺院創建すべき地とし、弟子僧の心能と実玄と従者の俗人の何人かを山寺の地
に残留させた。心能は安養院を、実玄は千手院を創建し、慈覚大師の意思に耐えた。

ここに立石寺の基礎が成り、山寺の地名が起り、初めて山寺の地に定住者があるようになった。立石寺の開基は慈覚
大師である。 844 承和11 安慧(安恵)羽州講師に任ぜられ出羽に赴く。

849 嘉祥2 安慧は慈覚大師の弟子で後に天台座主となった人で、滞在中、立石寺の寺容を整えたものと思われる。
860 貞観2 12月 慈覚大師、山寺に立石寺を創建すると伝う。864 貞観6 慈覚大師入定。(正月14日)以上http://
www.kankou.yamagata.yamagata.jp/djst/ymdr/nen.html 社団法人・山形市観光協会より転載。

そして第3は彼の命日方位である。ただ叡山から山形・立石寺は2/8方位に当たるので位置がズレル。24日方位は寧
ろ前橋とか「いわき」である。因みにいわき市には現在、奥州浄土宗総本山・専称寺がある。また前橋の北、渋川市に
は円仁が開基と伝わる天台宗・真光寺がある。

■07三十三間堂・大法要通し矢・・・・・・・京都市東山区、三十三間堂では弓の引き初め。新成人(女性)による「大的
全国大会」。江戸時代から武士たちが118mある本堂の縁側の庇の下を端から端まで射抜いた「通し矢」に因む行事。
約1900人が60m先の直径1mの的に矢を放つ。参拝者には内陣で「楊枝(やなぎ)の御加持」もある。

●例年-裸踊り(修正会)・・・・・・・法界寺(京都市伏見区日野西大道)075-571-0024では五穀豊穣、諸願成就などを願
う修正会結願にあたり、午後7時から数十人の裸の若者たちが「頂礼・頂礼」と叫びながら踊り、牛王札を奪いあっても
みあう。裸でもみあった若者の晒の下帯は安産の腹帯(お守り)として使われる。

■07-08吉祥会結願・・・・・・・薬師寺(奈良市西ノ京町)。 
■07-08吉祥草寺の左義長(茅原大とんど)・・・・・・・奈良・御所市の吉祥草寺0745-62-3472で夕方8時に点火。多勢
の山伏が参加。雌雄の二大トンドに火をかけ、その年の豊凶を占う。

■07-08-10-11念仏寺の陀々堂・鬼走り(だだ押し)・・・・・・・念仏寺(奈良・五条市大津)では4匹の鬼が大松明をもっ
て走りまわる除災招福の火祭で500年余の伝統行事(国の重無民文化財)。
午後4時には無灯火の昼の「鬼走り」に続いて福餅撒き。法螺貝や太鼓の音が鳴り響く中、午後9時に鬼走り〜点火。

長さ1b、重さ約60`の松明を振り翳した父鬼・母鬼・子鬼が境内を走り回って住民の災禍を祓う。
交通の便が少なく分かり難い所だがクライマックスまで間近で見られる。奈良・五条市商工観光課0747-22-4001。

■07信貴山の左義長(納め札焼き大とんど)・・・・・・・奈良・平群町。信貴山・朝護孫子寺の奥の広場に廻り8mの竹囲
いの上の蛇の形の物に点火。朝護孫子寺0745-72-2277。

●例年-どやどや(修正会結願法要)・・・・・・四天王寺(大阪市天王寺区)では牛王の守札を、東西に分かれた褌姿の
若衆が奪い合う。

どやどや 動画http://www.omatsuri.com/movie/doyadoya.html

■19代允恭天皇の命日・・・・・・彼は仁徳の皇子であり、反正の弟であり、この日に崩御して河内の長野原陵に葬られ
たとされている。其れについて今は道明寺北の古墳が治定されているが、その様に故事付けても此処は彼とは何の脈
絡もない所、つまり別人の墓と言う事になる。学問と言う以上は、根拠に基いて理路整然としたものでなくては困る。

其の点で方位から見れば、この日の方位に築かれた古墳としては大和・西乗鞍古墳などがある。また堺市の仁徳天皇
陵に対して履中の後は、反正天皇の時代となり、其の後は允恭天皇となるが、允恭8年には「皇后の妹・衣通姫のた
めに茅渟宮を造って住まわせ、しばしば通った」と記されている(前記の1/14を参照)。

とはあるものの実は彼女のためではなくて、寧ろ仁徳の命日とは逆方位に当たる泉州の南端に若宮を作り、仁徳を祭
ったものと推定する。つまり此処では允恭の代りに彼女が居つき祭り、やがて薨去して近くに葬られた事になり、従って
今も泉佐野市日根野には彼女の墳墓が残されているのである。

■06-07-08エバラ(家原)文殊・・・・・・行基菩薩に縁りの堺市西区の当寺は入学進学・昇運祈願の参拝で賑わい、1/
14-15-16日に「大とんど」を行う。072-271-1505

08会陽(裸祭)・・・・・・・・西大寺(岡山市西大寺町)では数千の裸の男衆が一本の小さい宝木を奪い合う壮観な祭。現在は第3土曜日。
■07奉射祭・・・・・・・・山口・下関市の忌宮神社では1800年前に仲哀天皇が敵を倒した故事に因んで此の祭りをしてい
る。

■08破魔投げ大会(成人の日)【鹿児島市、甲突川畔】
■この頃は何故か帰省ラッシュの時期

■帰省ラッシュの意味・・・・・日本列島は北緯36度の諏訪湖辺りを軸にして腰が折れている。其処から石狩に向かえ
ばこの日1/14方位になり、石狩から諏訪に向かえば7/16方位になる。日本人はこの時期になると、冬は薮入りと
か正月を迎える年末年始の休暇として、或いは夏には東日本の盆送り火もある。

こうした色んな理由をつけて古来、帰省する風習があった。選りによって何故この混雑した時期を選ぶのかとも思う
が、そうしなければ義理人情を欠くとか、一人前の社会人ではないような、何か不安になったり、不思議な気分になって
焦るものです。だからこのシーズンは日本列島では大勢の人間が行き来する場となった。

其れは観光旅行であっても実は先祖供養と祭りへの関与に繋がり、従って神と鬼とが行き来する事になり、結果とし
て、日本人と列島とを元気付けるエネルギーとなって来た(西日本については「2/13」を参照)。

 
 






















































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▼09初・かのえ申日。
▼例年-小正月・・・・・・・小正月(女正月)本来は月の暦でする。
■08-09小豆粥、上元(何れも本来は月の暦でする)。

鏡開き(関西)。    御田植・田植踊(各地・旧暦の地区もあり)。
とんど(「どんど」「どんと」「左義長」と表記することもあり)。

■11ひがしかわ氷まつり(〜17日:1月中旬の土〜日曜日)【北海道東川町】

■男鹿なまはげ・・・・・・・1/1日を参照。         
●例年-裸参り(どんと祭)【岩手県盛岡市、八幡宮】

■07-08火納祭・・・・・・安養寺(岩手県水沢市)。 
■スネカ・・・・・・・05/1月15日(土)岩手県大船渡市。大船渡市吉浜地区に伝わる奇習です。鬼のような面をかぶり、わらみのをまとったスネカ達が
「泣く子はいねが」と大声を張り上げて地域を巡り歩きます。

江戸時代から伝わるスネカは、冬場に家に閉じこもりがちな子どもたちをたしなめ、健やかな成長を願う小正月行事です(以上はメルマガ【なっとく歴史館】
http://1rekisi.jpのメルマガより転載 )。祭りの詳細URL http://www.city.ofunato.iwate.jp/cgi-bin/odb-get.exe?wit_template=
AM040000

■07-08鳥追祭・・・・・・神宮寺(秋田県神岡町)では田畑の害虫を追い払う予祝行事。 
裸まいり(1月第3日曜日)【秋田県由利本荘市、新山神社】

●例年-むこ投げ・すみぬりまつり・・・・・新潟県十日町市(東頸城郡松之山町)、松之山温泉・薬師堂。300年ほど前か
ら伝わる小正月の伝統行事。前年に結婚した初婿を若衆が胴上げして5m下の雪の上に投げ落とすもので、雪国の
祝福。略奪結婚の名残で、よそ者に集落の娘をとられた腹いせが形を変えたとも言われる。

湯本集落に600年程前から伝わる「すみ塗り」は、正月に飾られた門松やしめ飾りなどを積み上げ燃やした灰を雪と混
ぜた墨をお互いの顔に塗りあい無病息災・商売繁盛を願います。

■10-11むこ投げ【新潟県松之山町、松之山温泉・薬師堂】むこ投げ 1月15日 新潟県松之山町
動画http://www.omatsuri.com/movie/mukonage.html

■10-11すみぬりまつり【新潟県松之山町】

■茨城の郷土料理には繭玉もち・小豆がゆが有ります。繭玉もちは、1月14日に餅をついて,食紅で色を付けたもの
と白い餅を楢ならの木に付ける。お供え餅を作り,神棚のお供え餅を取替える。

そして小豆がゆは、15日,前日についた餅を入れて小豆がゆを作る。午前中に門松やしめ飾りを外して燃やすので,
「松ひきがゆ」と言う所もある。柿の木に鉈なたで切り込みを入れ,小豆がゆを切り口に詰めれば柿が豊作と言われ
る。これらの郷土料理を作る家庭は減りつつあるようです(メルマガ「いばらき」から引用)。

★例年-利根川たこあげ大会・どんどまつり【茨城県取手市、取手緑地運動公園】(1月中旬の土曜日)

■07-08村松虚空蔵堂祭・・・・・・茨城県東海村。 
●例年-筒粥祭り【埼玉県秩父郡大滝村、三峰神社】

●例年-世田谷ボロ市(1月15日〜16日)【東京都世田谷区世田谷、ボロ市通り】
●例年-こんにゃくえんま(〜16日)【東京都文京区小石川、源覚寺】

■09沼津の「海中みそぎ洗い祭り」----お祭りは、伊豆田方郡の小さな古社、式内名神大社「楊原神社」(大朝神社)
で、例大祭行事の「神輿洗いの儀」 http://www.shinto.org/isri/jpn/forum/forum25/toukou.htm
此の神事を復活して本年で8回目をご奉仕した方が沼津・原田武虎氏(楊原神社氏子総代)。

この神事の時期は寒中の、厳しい禊となるが、場所は昔からの千本松原であり、海も綺麗で風光明媚。だから御用邸
や伊豆長岡温泉があり、観光汽船が出ているし幾つもの人気の高い海水浴場が並んでいる。しかも自然林の山並が
湾を取り囲む。なので旨い魚が良くとれるためか此処には魚河岸もあり、海鮮専門の料理店も多く、名産はひもの。

先の原田氏によれば、楊原神社と大朝神社は共に移動した履歴があるとの事。従って文化財となるような古い社殿で
はないが、両社を結ぶ主軸の位置・方位関係は厳かにも此の日、1/15日のラインでしっかり結ばれている。

■おんべ焼・湯河原町・・・・・・・・湯河原海岸他各所観光かながわNOW1月
■07-08-09熱海・梅まつり(1月15日〜3月15日)【静岡県熱海市、熱海梅園】
■07-08天拘祭・・・・・・可睡斎(静岡県袋井市)で火渡りの行事。 

●例年-野沢温泉・道祖神まつり(野沢の火祭り)・・・・・【長野県下高井郡野沢温泉村、馬場原神社】毎年1月15日、
五穀豊穣(ほうじょう)と無病息災、良縁安産などを祈願して行われる日本三大火祭りの一つで、国の重要無形民俗文
化財です。

見せ場は、高さ18メートルにも及ぶブナの御神木が突き出た、巨大な社殿の前での火付けの攻防戦です。神殿を守
る25歳と42歳の厄年の男衆と、社殿に火をつけようと松明(たいまつ)を振りかざして攻めてくる村人の荒々しい攻防
が続きます(この項はメルマガ【なっとく歴史館】http://1rekisi.jpのメルマガより転載)。

詳細URL http://www.vill.nozawaonsen.nagano.jp/

■09冬の飛騨古川、三寺参り・・・・・親鸞聖人のご恩を偲び町内の3つのお寺、円光寺・真宗時・本光寺を詣でるならわ
しで、江戸時代からのならわし。

★07水中縄切(1月第3日曜日)【福井県三方郡美浜町、日向海岸】
●例年-船だんじり・・・・・三重県北牟婁郡紀伊長島町、長島神社。

●例年-御粥祭・・・・・・京都市左京区、下鴨神社。

■10-11小豆粥で新春を祝う会・・・・・・京都市右京区花園の東林院で本日から月末の11-3時まで、1年間の邪気を祓
い、万病を除くと言われる小豆粥を食べて新春を祝う。「大般若札」とセンリョウの種のサービスもある。

■07-08七福神めぐり・・・・・・泉涌寺(京都市東山区)。

■07-08通し矢引き初め・楊板浄水加持・・・・・・三十三問堂妙法院〔蓮華王院〕(京都市東山区)で三十三間堂大法要
通し矢。江戸時代の通し矢に因んで新成人による弓のひき初め競技会。

平安遷都の原理・・・・・・・・長岡から平安宮に遷宮・遷都となったのは延暦13/10/22、つまり今の「時代祭り」
として知られるが、では其の遷都の意味はと言えば謎とされているため此処で回答を示す。

其の前の長岡京については「6/7」で述べる通り、聖武の光明皇后(藤原安宿媛)が760/7/23に亡くなったの
で、逆方位に遷座して彼女の御魂を迎える場とする目的からでした。このため50桓武天皇(山部皇子・日本根子皇統
弥照尊・柏原天皇)が彼の即位後、初めて長岡に遷都して其の祭り事を主宰する立場となった。

さて歴代天皇はこの頃、46孝謙天皇、47淳仁天皇(淡路廃帝=10/26参照)、48称徳天皇があるが、取り分け先代の
光仁天皇が天応1/12/丁未23(782/1/11-1/15)に亡くなっているため、次の祭り事として桓武天皇が長岡宮(山
城)から光仁の命日(ユリウス1/15)方位に平安宮を造営した事が分かる。

1/15の光仁の命日・13回忌に平安宮で弔う意味から延暦13(794)10/22に桓武が天皇として再び遷宮して平安
京とした事になります。だが光仁天皇陵については奈良市・日笠の田原陵が元禄時代に分かった陵として今治定され
ている。此処との関係を吟味した上で論じなければ先の論理も客観性がないと言われるだろう。

ただ此処は言わば土饅頭であって天皇陵として釣り合いが取れない。既に桓武天皇がこの頃、大和に固執して広岡山
から田原東に改葬したとも言われるが、何故広岡や田原なのかについても謎であり、其の謎が解けても命日と方角が
合わない所なので何ら決め手とはならないだろうし、折角だが要するにお話にならない。従って本論に戻る。

光仁は生前に桓武に譲位している。つまり平城ではなく、一緒に長岡に移って来ていて崩御されたと推定できる。だか
ら桓武としては長岡から光仁の命日方位に向かった。其の基点が今の向日神社・向日市・長岡京であり、向かった先
が平安京になる。但し今の御所ではなくて当時の内裏は今の中京区・旧大極殿跡である。

また其の旧大極殿跡から更に進めば南平岡町がある。平岡は大和ではなくて此処(左京区)に有った。つまり其の近く
に旧・光仁陵があった筈(1/11を参照)です。因みに長岡から見て、命日の逆方位は長岡天満宮、水無瀬、大阪・東成
区へと至る。またもう1つ理由がある。高野新笠である。

彼女は光仁天皇(1/11を参照)の后として桓武天皇、早良親王などを生んだが、延暦8/12/28崩御(平安遷都の4年前
でした)。彼女の陵が長岡京の北に指定されているが、其れは生憎別人の墓である。光仁天皇陵をユリウス暦の方位
の平安京・平岡に造ったので、彼女の場合もユリウス暦で見よう。そうすれば790/U1/17となる。

其の方位に向かえば図らずも光仁陵の近くになる。今の幡枝町の北稜高校の東の小山に至る。また其の先には岩倉
実相院がある。

因みにhttp://www.jissoin.com/about/index.html#rekishi「実相院」から引用すれば、此処は元天台宗の寺門派(天台宗
には山門派と寺門派があります)の単立寺院で、ご本尊は鎌倉時代に作られたと伝えられる木造立像の不動明王で
す。実相院は昔から、岩倉門跡とか、岩倉御殿とも呼ばれています。その理由は実相院が門跡寺院であるからです。

門跡寺院とはその寺院の住職を天皇家の血を引く方々が務められていた、格式の高い寺院のことで、代々皇室から
大きな支援を受けて栄えていました(引用以上)。また手前には上賀茂神社がある。此処は昔は神宮寺だった。つまり
光仁と彼女を弔う為に桓武の平安遷都となった原点である。

つまり神社と言うより霊廟だった。よって以後、賀茂齋院と呼ばれて皇子が居つく所となり、伊勢神宮に並ぶ権威となっ
たと思われる。ともあれ、やがて桓武自身も806/4/9-4/13に崩御した。よって其れが明治以来の「時代祭り」の起源と
重なる。時代祭りは桓武天皇の命日(3/17〜4/9〜4/17)の略逆の10/22にもなるのです。

■08都七福神めぐり・・・・・・1月中に京都・宇治市の万福寺(布袋)、東寺(毘沙門天)、六波羅蜜寺(弁財天)、ゑびす
神社(恵比寿)、松ヶ崎大黒天(大黒天)、赤山禅院(福禄寿)、革堂(寿老人)などを巡る。京都定期観光バス予約セン
ター(075-672-2100)。

■10厄除大祭・・・・・・京都府八幡市の石清水八幡宮で、古くは法会と呼ばれる厄除け。祈祷(有料)を受けた人にはぜ
んざいが振舞われる。因みに19日午前10時には神苑で古いお札やお守りを焼納する「神矢神札焼納祭」で、先着1500
人に「厄除開運餅」が配られる。

■06-07石上神宮・古神符焼納祭・・・・・天理市の石上神宮07443-62-0900で厄除けぜんざい振舞も。
■06-07-09-11西大寺・新春初釜・大茶盛式・・・・・・・・・奈良の西大寺0742-45-4700。光明殿では鎌倉時代に叡尊に
始まる初釜で、重さ10kgもの大茶碗で茶を振舞う(有料)。奈良市観光センター0742-22-3900

■06-07吉祥天に因むお香とお茶の会・・・・・・・・・奈良・薬師寺0742-33-6001
■06-07-08大とんど・・・・・・・・・桜井市・大神神社0744-42-6633

■07-08-09左義長祭(トンド)・・・・・・家原寺(大阪府堺市)。えばら寺と読む。行基の家だったが、本尊が日本三大文
殊として知られる為、今では入学祈願の名所である。いや別名「落書き寺」とも呼ばれ、境内には専用の大きなトンド場
が常設されている。此の日は入進学や無病息災を祈って高さ5mのとんどを焚く。

和歌山・卯杖祭・・・・・・和歌山市。
★07大山寺の力餅(1月第三日曜日)【徳島県板野郡上板町、大山寺】

●例年-とんど【鳥取県岩見町】
●年-左義長【徳島県海陽町(海部郡宍喰町)、八坂神社】

■07-08虫封じ・・・・・・竜昌寺(福岡県)。 

■07-08上元祭・・・・・・福済寺(長崎市筑後町)。 
■07破魔投げ大会【鹿児島市、甲突川畔】















































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