http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」 p150 (未定稿) ![]() 神々の歳時記 11月中旬 但し方位による ●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起 の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版 http:// www.omatsuri.com/mailmag/ 及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-11月」より一部引用・転載させて頂きました。 ■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記 には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の 詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。 11月・中旬 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ 11/10 日 ★06松尾大社・上卯大祭・・・・・・京都市。 ■例年-琴平紅葉祭【香川県琴平町、金刀比羅宮】 ■霧島神宮・御神火祭・・・・・・・鹿児島の霧島神宮では此の日、天孫降臨記念祭・天孫降臨御神火祭を行なう。 ■06-07-09秋の全国火災予防運動(11/9〜15日)。 11/11 日 ★07松尾芭蕉祭・全国俳句大会(11月第2日曜日)【宮城県松島町、瑞厳寺・松島海岸】 ★五老山の松明明かし・・・・・11月・第2土曜日。福島県・須賀川市では二階堂一族の鎮魂行事として400年続く火祭り があり、若者たちが150本の大松明で市内を練り歩く外、子供たちが小松明を持って五老山の丘に集まる。 ■都々古別神社の例祭・・・・・・福島・近津村で宮川・久慈川・近津川の合流する大宮地区の八槻にある。古来、奥州 一ノ宮と言われた。都々古和気神とは味耜すき高彦根命であり、出雲の大国主命の息子である。同名の神社が棚倉 町にもあるが例祭日が違う(9/11を参照)。 例祭の外、旧暦1/6の御田植祭、3/2の祈年祭、11/1〜5の古例祭(霜月祭)、11/24の新嘗祭等が有る。 此処への参拝者は各自、苞(ツツコ)と言うものを持参・奉納して祈り、また既に奉納された苞を借り受けて来る。翌年 にはそれを倍にして返す慣わしである。其処から此処がツツコワケ神社と呼ばれた。 或いは土造りの神として土造別となったとの説も有るが、後述の測量器具からとも考えられる。@ 所でこの神は出雲の神であり、有名な所としては奈良・御所市の高鴨神社や土佐にも祭られている。だが御所市では 出雲や鴨については最早不明となった。其れに比べて此処・近津の大宮にはこうした暦・方位が刻まれていたのは実 に貴い。しかも高木地区では小学生が遺物を発見した。その後、考古学者が来て夥しい量の石器を発掘した。 しかし学者たちは祭りや天文に無知であるから、石器は石造模造品と規定し、遺跡の編年も5〜6cと誤解した。だから 言えば、ツツコとは銅鐸(別項を参照)であったろうし、ワケとは其処から糸を分けて八方に張り巡らせて天文と測量を したものだろう。 従って大量の石器は、出雲族が天文暦を作って祭り事を糺し、更に土地を測量するために使ったものと見るべきでし た。また近くには常世の地名も有る通り、此処は要するに古代「日高見国」の中心地として、高木や鉾を建てて祭りをし たのだろう。とすれば縄文以来の確かな伝統の有る由緒の古い祭りと推定出来る。@ この二例の暦日に遺跡が各々合致しているのは、改暦によって宮を移動せざるを得なかった為に、其の弊害を正そう と以前の標しを残してくれたものと推定する(11/14を参照)。 ▲07酉の市の賑わい=新宿・花園神社・ヤマトタケルの縁日(以下http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__ 2674882/detailライブドア・ニュースより引用)・・・・・【PJニュース 06/11月05日】− 日本武尊(ヤマトタケル)の命日であ る11月の酉の日に、東京・新宿花園神社で行われる晩秋の風物詩、酉の市。 今年の「一の酉」の本祭は、4日正午頃から始まり、神社には多くの見物客がお参りに訪れた。熊手を買い求める人も 多く、熱気に包まれていた。商売繁盛の熊手を売る露天商が賑やかに声を上げ、境内や靖国通りには、お好み焼きや 焼きそば、チキンステーキやベビーカステラなどの露店が並び、美味しい匂いを漂わせていた。 この伝統的な行事、大酉祭(酉の市)の由来は、花園神社のホームページによると、「江戸時代から続く年中行事で、 開運招福・商売繁盛を願うお酉さまは、もと武蔵野国南足立郡花又村(今は足立区花畑町)にある鷲神社にその起源 があるとされています。 同社のご祭神は日本武尊(ヤマトタケル)で、その昔、東夷討伐の帰路に花又地に立ち寄り、戦勝を祝したことが縁で、 尊が伊勢の能褒野(ノボノ)で亡くなった後、神社を作りお祀りしたと伝えられています」とのこと。 そんな由来は、知っている人も少ないのかもしれないが、賑やかな雰囲気で晩秋の気持ちのいい都会の空気の中で、 網焼きサザエやタコやイカ焼などを肴に一杯飲んでいる人の表情は楽しげで、連休中日のいい時間になったのではな いか【了】。次に 新宿・花園神社の酉の市についてhttp://www.h5.dion.ne.jp/~acacia/event/sub4tori.htm「アカシアのイベント」で は・・・・・03年は2の酉まで。最初の酉、11月8日、花園神社氏子青年会のサイトに酉の日について詳しい説明があり ます。以下、一部引用させてもらいました。 花園神社での酉の市の始まりは、淺草で盛んであったのを真似て、明治時代より始まった。戦前では四谷須賀神社の ほうが盛んだったらしいが、戦後になってからは花園神社のほうが盛んになった。 由来としては大鳥神社の祭神である日本武尊が東夷征伐のときに戦勝祈願をし、帰還の時にそのお礼参りをしたこと に因み、日本武尊の命日である十一月の酉の日に行われるようになった。商売繁盛の熊手を売る露天商がずらりと居 並ぶ様は圧巻である。 作家の小椋一葉は酉の市起源を埼玉県北葛飾郡鷲宮町にある鷲宮神社であるという。土師氏族が早い時期花畑(足 立区)の付近に移り住み、分祀された大鷲神社が酉の市の発祥の地となっているという。御祭神も本陣を置いたという 伝承から日本武尊になったという。なお、花園神社名物である見世物小屋は一度は見ておいて損はない。(笑) ■07酉の市(一の酉)(11月最初の酉の日)【東京都台東区、鷲神社・新宿区、花園神社・他東京各地の神社】大鷲神 社・酉の市(以下http://www.enjoytokyo.jp/OD004Detail.html?EVENT_ID=9026「大鷲神社・酉の市レッツ」より引 用)・・・・・・・04年11月2日(火)〜2004年11月26日(金) 花畑大鷲神社。 酉の市発祥のやしろ。もともと古墳があったところに自然発生した古い神社。日本武尊が東征した時には本陣が置か れたと伝えられています。14世紀末頃、尊の命日とされる11月酉の日に、この神社の門前で収穫祭を兼ねた市が開か れたことが酉の市ですの起源です。水運の発達とともに、江戸町民の観光地となったのです。 【場所】花畑大鷲神社【お問い合わせ】03-3883-2908 ▲さてヤマトタケル(日本武尊)などと言えば識者は顔を顰めるか実在しないと否定するが、其れなら彼に纏わる話は 皆嘘だと言う事になります。記紀も嘘、熱田神宮で2000年間も守って来た三種の神器の草薙の剣も嘘だったのでしょう か。また各地の白鳥神社や大鳥神社も嘘で固めた祭りをして来たと言うのでしょうか。 例えば長瀬神社http://www.reihoh.com/access/reihou/katautahilarge.htmによれば、明治3年には三重県告示により 神餞幣帛供進社に指定され、公の手厚い待遇を受けられた。社殿背後の武備塚は倭建命(やまとたけるのみこと)の 御陵とされている。 江戸時代には亀山藩は武備塚を尊の御陵と決めていたが、明治5年、川崎町の王塚が尊の陵墓に指定されることとな る。武備は多気比、建部の訛りと思われるが定かでない。また境内には武備塚の他に車塚古墳があり、その上には明 和7年に建部綾足(たけべあやたり)が日本武尊の臨終を歌った片歌碑がある。 綾足は片歌の祖として尊を慕い、姓も建部と改め、村人を集め御幣川の石を曳いて、この碑を建てたものと言われて いる。境外には宝裳塚、宝冠塚など倭建命の最後を物語る遺跡がある。双子塚http://www.reihoh.com/access/ reihou/futagoduka.htm 日本武尊が双生児(大碓命、小碓命)であったとの伝承がからんで明治初年には日本武尊御陵として申請運動が盛ん であった。1号墳から3号墳の円墳から成り、横穴式石室が開口している(引用終わり)。尚、日本武尊については3/16 も参照。 ▲シャケの日・・・・・・・新潟・村上市だけの祭り。此処ではシャケをイヨボヤと呼び、昔から宝物としていたが、朝日岳 (1870m)から流れる三面(みおもて)川にダムが出来てから鮭がいなくなった。其処で稚魚を育てて三面川に放流す る研究を重ねてやっと鮭が戻って来た。其の感動を忘れないために祭りをする事となった。 其の日の設定について、鮭と言う漢字は魚に「圭」と書くが、此れは11/11でもある事から、この日を「鮭の日」として 祝う事にしたと言う。 ★07嵐山紅葉祭り(11月第2日曜日)【京都市右京区、嵐山】 ■花園天皇の命日・・・・・・・彼は95代天皇だったが、正平3/11/11に崩御とされている(「10/8」を参照)。 ★07京都・空也堂・開山忌。 ■07-08-09-10大極殿祭【京都府向日市】 ■有間の皇子祭り・・・・・紀州・海南市の藤白神社の有間皇子神社。斎明天皇が牟婁の白浜に御幸の時、万葉の悲 劇の貴公子だった彼が19歳で謀反の疑いから此処・藤白坂で命を散らした。つまりこの日は皇子の命日であるから法 事であって祭りは寧ろ逆の時期の初夏になるが、詳しくは「12/11」で記述。藤白神社は0734-82-1123 ■06-07-09世界平和記念日。 11/12 ■酉の市 ★06松尾芭蕉祭・全国俳句大会(11月第2日曜日)【宮城県宮城郡松島町、瑞厳寺・松島海岸】 ■会式・・・・・・・養行寺(群馬県)で11/12〜13日。 ★06岩井・将門まつり・・・・・・・(04年は11/14)茨城・坂東市・国王神社ほかで平将門を祭る。国王神社の杉並木を総勢 100人の勇壮な武者姿の戦勝祈願参詣で始まる。また弓道模範演武のほか、神田囃しがあり、市内交差点では山車5 台が岩井将門太鼓と神田明神将門太鼓が加わり、最高潮を迎える。坂東市観光協会0297−20−8666 ▼09酉の市(一の酉)(11月最初の酉の日)・・・・・・【東京都台東区 長国寺/鷲神社・新宿区 花園神社・他東京各地 の神社】 ■会式・・・・・・・誕生寺(千葉県小湊町)で七歳を迎える児童の厄払い、招福、開運の祈祷がある。 ■会式・・・・・・・本成寺(新潟県三条市)。 ★06嵐山紅葉祭り(11月第2日曜日)【京都市右京区、嵐山】 ★06京都・空也堂・開山忌。 ★長岡京ガラシャ祭・・・・・・明智光秀(7/12を参照)の娘。細川忠興に嫁ぎガラシャ夫人と言われた。忠興と2年間の新 婚生活を過ごした所が此処・勝龍寺城(長岡京市)である。此処はまた父・光秀が山崎の合戦で前線基地として破れた 城となり、しかも大徳寺から見て父の命日(旧暦の7/12)方位に当たる事となった。 彼女は慶長5(1600)年7/17(7/17を参照)に「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」の辞世の句を 残してキリシタンとして38歳で果てた。終焉の地は大阪・玉造。彼女の死は三成の信望を失わせ、同時に夫・忠興が家 康の信を得る事となる。 夫婦の墓は京都と熊本にあるが、此処、勝龍寺城公園(075-952-1146)は92年の城の再建以来、11月第二日曜日に 毎年「長岡京ガラシャ祭」として行うもの。因みに彼女の子孫が先の細川首相である(06/6/24朝日記事から一部引 用)。 ▼09鳳大社「一の酉」・・・・・・・・・堺市の鳳(大鳥)大社。10月中頃、堺市などでは勇壮な地車を曳く躍動感溢れる「ダン ジリ祭り」があり、続く09/11/12日が「一の酉」で鳳大社が賑わう。 ■伊予親王の命日・・・・・・・桓武天皇の皇子。故あって大和・川原寺に幽閉中、母と共に大同2(807)11/12に服 毒自殺。このため平城天皇は其の祟りに苛まれて弟(嵯峨天皇)に譲位した。この日を旧暦とすれば乙未、ユリウス暦 では12/14日、グレゴリオ暦では12/18日に相当する。 さて今、宇治市木幡・六地蔵には伊予親王塚(巨幡陵)があり、また京都市西京区上桂に上桂御霊神社があって彼が 祭られている。其処で此れらの暦日を明日香村・川原寺との方位で検証すれば、陵は12/19、また上桂御霊神社は 12/11方位である。 従って何れも略合致する事になるが、命日方位にある上桂御霊神社に合祀される以前は神社ではなくて近くの寺に祀 られていた事が分かる。神社は寧ろ、明日香村・川原寺の近くに設えなければ意味がないが、当時、謀反者の烙印を 押された者は、譬え天皇と並ぶ地位にあっても神社に祭らなかった。しかし彼は無実であった。 よって関係者が其の祟りに苛まれたのである。 ■49光仁天皇の命日・・・・・本書は08/11/23日まで、「彼は平城京で崩御した」と誤記していました。同時に1/11の項目 で、「光仁天皇の命日」と併記して来ました(1/11を参照)。間違いを此処に訂正しお詫びします。 ★s23/11/12、極東軍事裁判(s21/5/3開始)が東条英機ら7人に死刑判決。 11/13 日 ▼07炉開き・旧亥の子餅。 ★10松明あかし(11月第2土曜日)【福島県須賀川市】・・・・・・・400年の伝統を誇る大松明の後に、少年少女武者行 列、更には須賀川城主・二階堂家の武者行列と続き街の中は祭り一色となる。詳細は下記URLをクリック http://www.city.sukagawa.fukushima.jp/00 (以上はメルマガhttp://nattokurekishikan.fc2web.com/【なっとく歴史館】04 /10/21より引用した)。 ★10とちぎ秋まつり(西暦偶数年11月第2土曜〜日曜日)【栃木市】 ■十夜会・・・・・・・浄真寺(東京都世田谷区)。 ■優婆夷宝明神社・例祭・・・・・・・http://www.mantenbo.jp/arekore5.htmから引用。毎年11月13日は、八丈島の一番 古くから祭られているという神社、優婆夷宝明神社の例祭が執り行われます。この神社に祭られている神様は、優婆 夷姫、または八十八重姫とその子供の古宝丸です。 このお姫様は三宅島に祭られている事代主命のお妃様で八丈島へは古宝丸を身篭ってこの島でお産みになられたと いう説と、既にお生まれになっていた古宝丸を連れてきたという説があるようです。 何れにしろ、八丈島のご先祖さまはこのお二人の神様で、神代の時代にお二人の間に子孫が増え、それ以来人々が 増えて現在にいたったという事ですが、このお話はまた別の機会にご紹介いたしましょう。さて、本番の例祭(13日)に いたるまでには氏子の方々の様々なご苦労があります。その様子をレポートしましょう。 まず、例祭に遡る事一ヶ月前の10月4日には、本年の例祭の大枠を取り決める為の「打ち合わせ」がもたれます。こ こで、境内の夜店・演壇・もてなしなどの設計図を描くのと役割が決められます。次に10月27日、「床がき」です。 これは氏子のがたがたが朝から大きくなった植木の枝を切り払い、落ち葉をかき集め、境内をくまなく掃除し、掃き清 めてお祭りの会場を作っていきます。境内の外では、お神輿を取るのに不都合が無いか、お休み所は大丈夫かと此方 も綺麗に準備します。氏子の女性軍は、この間、お昼食とお夕食の準備、食後の後かたずけとこれまた大変です。 11月9日は「御神幸」、毎年この月の土曜日がこの行事の日に選ばれるようで、この日は午前7時に集合して神社を 出発点に島中の5つの部落にお神輿を繰り出します。 一番遠い末吉地区へは、担ぎ手、世話役の人々は揃いのはっぴ姿でバス2台に分乗し、お神輿はトラックに載せられ て行き現地に到着後はそこでお神輿を担ぎ練り歩く事になります。そうして一日中、島中を回ります。 この日はとても寒い、風の強い日でしたが元気な担ぎ手には何の影響もありようがなく無事に神社に戻った後には、ま たお料理とお酒が振舞われます。次の11月10日(日)は島中の人々が楽しみにしている「おまつり」です。この日は午 後5時から境内で色々な催し物が繰り広げられます。 これに先立ち、午後4時がらお楽しみ抽選会の番号札が配られます。境内の中には、「今川焼き」「たこ焼き」「やきと り」「わたあめ」・・・・といった夜店が建ち並び、入口では無料の「くさや」「里芋煮」「おにぎり」などがビール、島酒と一緒 に振舞われます。 プログラムは、部落対抗の綱引きや、舞台での八丈太鼓、吹奏楽などのあとお楽しみの抽選会が行われます。賞品は 島の中の商店、スーパーお酒屋さんなどからの寄贈品で、冷蔵庫、テレビなども。 興味深いものでは、この日のために氏子の漁師さんが時化のなかでやっと釣上げた6Kg級の尾長鯛(島では最高級 のとても綺麗なお魚)というのもあります。ちなみに当満天望からはボルドーワインの紅白詰め合わせ5セットでした。 皆様悲喜こもごもの後は餅まきです。 屋台の上に造られた台と舞台から、この日早い人は午前2時から準備して餅をつきこれを赤ちゃんの拳大の大きさに 丸めたものを大量に準備したものを境内一杯の人々めがけて撒くのですがこの光景、とても壮観でした。これが終わる と「おまつり」は、幕となるのですが氏子の人には後かたずけの作業があり、これが終わってこの日の終了です。 「おまつり」が例祭の本行事と思われがちですが、実は今までの行事すべてがこの13日に執り行われる「例祭式典」の ための前行事です。11時から神主が神様を式典場にご案内することから例祭は始まります。 この式典のために「神饌」という山海の幸がお供えされるなか神主の祝詞、列席者の玉ぐしの奉納など厳かに進み最 後に神様を祭る祠へ神様がお帰りになり、列席者へお神酒が授けられて式典は終わりです。 人々は神様から食物の種をいただき、それを大事に育てて収穫した物を神様へ感謝の気持とともにお供えする、これ が「神饌・しんせん」の意味です。この例祭の席にすわり、その様子をじかに知るとまさにそのとおりと意味をかみ締め る思いでした。 そのあと列席者は大里会館にもどり、神主・世話役から式典が無事終了した報告と感謝の謝辞があり、「なおらい」の 料理・お酒が振舞われて一連の行事の幕となります。昨年・今年と二回、この家業ですので全部に参加する事は出来 ませんでしたが、二回に亘って見たり聞いたりの行事を皆様に報告の意味でレポートいたします(02/11/30日記)。 (以上、引用)。 ■ウルシ祭り・・・・・漆への感謝と業界繁栄を祈願する京都市・虚空蔵法輪寺の祭り。 ■空也忌・・・・・・・・空也堂(京都市中京区)で歓喜踊躍念仏和讃といわれる踊念仏を円形に回って踊る。 ■慈恩会・・・・・・・・薬師寺(奈良市西の京町)で問者と答者に別れた僧の問答がある。慈恩会は毎年11/13日、法相 宗大本山の薬師寺と興福寺が1年交代で催す。同宗の始祖・玄奘三蔵の高弟・慈恩大師(632〜682)の命日に営む。 受験する竪者(りっしゃ)は21日間、「前加行(まえけぎょう)」と呼ばれる準備の行を積む。 横になって眠る事を許されず、ひたすら暗記に励む。そして本日の一連の法要は5時間に及ぶ。詳しくは奈良市観光セ ンター0742-22-3900 07/4/14日には東京国立劇場で慈恩会の模様を再現する催しがあった。会場は声明ファンで満員で、最近は関東から の参列者が多いと言う(07/4/27の朝日より引用)。 ■慈恩会・・・・・・・・興福寺(奈良市登大路町)で僧階の登竜門である講論の行事が長くつづく。詳しくは奈良市観光セ ンター0742-22-3900 ■全国竹の大会・・・・・全国の竹産業者400人が竹の子、竹製品、竹炭の活用、消費拡大を図って15日まで。H15 年の第44回は熊本県大会。 11/14 日 ★10松尾芭蕉祭・全国俳句大会(11月第2日曜日)【宮城県松島町、瑞厳寺・松島海岸】 ■若狭と伊勢の祭り・・・・・・・・5/15を参照。 ■賀茂の臨時祭・・・・・・5/15の葵祭りの逆の時期・方位に当たるこの日には、かつて祭りが有った。所で春の「葵祭 り」で担がれる神は一体どう言う神なのか。彼は5/14の伊勢の方位からミアレ(御生まれ)する神であり、よって其の 逆方位は弔いの方位になる。 伊勢から京都・下鴨神社のラインを通ってこの日の方角に向かえば上賀茂神社(神宮寺)を経て丹後の宮津の金剛心 院と成相寺との間の丹後一ノ宮の籠この神社(元の地は真名井)がある。この宮は凡そ25ヶ所の元伊勢の中の第二、 「吉佐の宮」として知られ、主神として彦火明命(ニギハヤヒ)を祭る古社である。 また其の先は宮津の竹野町・後ヶ浜に至る。何れにせよ、この神の命日は11/13〜4と判明する。よって寛平2年の この頃(11月下の酉の日)から「賀茂の臨時祭」が行われた。とは言え、今はない(次の11/15を参照)。 ★10嵐山もみじまつり(11月第2日曜日)【京都市右京区、嵐山】★動画http://www.omatsuri.com/movie/momiji.html ■06-07-08酒まつり・・・・・・・・奈良・桜井市の大神神社では、古くから醸造の祖神と仰ぐ大神を祭り、拝殿には真新し い大杉玉に取り替えて吊り下げ、醸造の安全祈願を行なう。また其の「シルシの杉玉」を各酒造家・醸造元に授与す る。 ■紅葉祭・・・・・・・那智勝浦町の熊野那智大社ではこの日、この近くで花山法皇が紅葉の美しさを和歌に詠んだ事に 因んで天皇を偲び「紅葉祭り」として和歌を詠む。因みに天皇の命日は2/8なので暦・方位とは直接関係ナシ。彼は 熊野で千日回峰をした。其れに因み、彼を偲んで和歌を詠む祭りと言われる。 ■伊佐賀神社(伊保さん)例祭・・・・・・簸川郡斐川町大字出西544。出雲の阿菩大神。此の神は味耜高彦根命の孫神 かと言う。http://kamnavi.jp/it/izumo/isaga.htm 参考 『神国島根』、『式内社調査報告』----以上funabiki氏より。上 記の「賀茂の臨時祭」を参照。 ■十夜会・・・・・・・・極楽寺(福岡市極楽寺町)。 ■十夜会・・・・・・・善導寺(福岡・久留米市)。 ■若宮八幡社秋季大祭【裸祭り】・・・・・・・・大分・豊後高田市の若宮八幡秋の大祭は豊作を感謝する祭りで、900余年の伝統を誇り、別名、裸 祭りとも呼ばれる。西大寺(岡山県)、防府天満宮(山口県)と共に日本三大裸祭りとして知られています。桂川の中を胸まで水につかり神輿が川を渡ります。 当日は、市内を「陸組」と呼ばれる白装束の担ぎ手が神輿を練り回し、桂川で「川組」と呼ばれるフンドシ姿の若者にバトンタッチします。約30分間、川の中で 神輿を引き回したあと、再び対岸で待機する「陸組」に引き継ぎます。10数年前から、この川渡し行事を盛り上げるために、市内まちづくりグループの若者たち が「大たいまつ太鼓祭り」を行っています。また、水上ステージでは和太鼓の演奏が行われます。 詳細はURL http://bungotakada.com/index.jsp--------以上は、「なっとく歴史館」より転載。 11/15 日 ■良弁上人忌(日本の華厳宗の祖良弁の忌日)・・・・・・・法華経寺(千葉県市川市)会式11/15〜18日。 ■身代り不動会・・・・・・・・法住寺(京都市東山区)では芸妓の踊りや山伏問答がある。本尊は総ての災厄を引き受け るといわれる。 ■下鴨神社(賀茂御祖神社)の祭日・・・・・・当社は5/15の「葵祭り」で有名だが、其の逆の時期に実は大事な祭礼とし て昔は先の11/14の「賀茂の臨時祭」が有った。今は本日、此の祭礼が行われるが殆ど知られていない。ポイントは河 合神社である(以下、引用について照会中)。新嘗祭、及び07/11/19出雲大社・神迎祭り(神在祭)を参照。 ■06-07-08七五三詣・・・・・・奈良・桜井市の大神(おおみわ)神社。 ■小子部(ちいさこべ)神社の旧例祭日・・・・・・奈良・橿原市飯高町には古来、子部(ちいさこべ)ノ里と呼ばれた地域 がある。小子部と言えば雷神として知られる。元は雄略天皇の命令で繭の蚕(かいこ)を捕まえるべき所、其れを誤解 して嬰児を集めて献上したので小子部連の名を賜った。 次に天皇が雷鳴中、やんごとなき所を彼が見てしまった。咄嗟に天皇は「あの雷を捕まえて来い!」と命じたので、彼 は三諸山の雷を捕まえて天皇の御前に奉ったと言われる。彼に関する神社は兵庫県や和歌山市の岡部神社もある が、此の飯高の小子部神社は式内社。今は隣接地に瑞花院がある。@ 例祭は古来10/15。但し其れが旧暦とすれば今の11/15である。よって其の逆5/17方位を見れば明日香村に雷丘と雷 廃寺跡があり、其の先は酒船石、そして上居地区の春日神社に至る。 ■笛吹神社(葛木坐火雷神社)の鎮火祭------以下、http://library.city.katsuragi.nara.jp/furusato/chinkasai/index. htmlより引用-----御祭神:火雷大神・天香具命・植安姫神 鎮座地:奈良・葛城市笛吹448 葛木坐火雷神社(かつらぎにいますほのいかづちじんじゃ=ふえふきじんじゃ) 持田照久宮司(30歳)。 火の神、火雷大神の心を鎮めるために行われる此の神事には、防災を祈願する意味も込められています。 何時から此の神事が始まったか定かではありませんが、一時廃れていた儀式を復活させようと、5年前から行われて います。宮司による「火起こし」の神事。レトロな発火器具「火きりろくろ」を使うのは結構力がいります。 ---因みに12/12日の野々宮神社の「火祭り」を参照。 ■射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)・霜月例大祭・・・・・・・兵庫県姫路市にある神社。旧・播磨国総社で、姫路城の中曲 輪内に位置する。60年に1度の一ツ山大祭、20年に1度の三ツ山大祭が有名。霜月例大祭は、播磨国総社となった11 月15日を祝って行われ、姫路祭とも言い、神幸祭で神輿が巡幸する。 普段、中央殿は空殿となっているが、例大祭のときのみ、本殿大床中央に神籬を儲け、九所御霊神を祀る。因みに兵 主神は伊和大神であると言われているが疑問であり、また伊和大神が大己貴命(大国主命)の事とも言われているが 根拠に乏しい。 [編集] 一ツ山大祭と三ツ山大祭 ■広峯神社「御柱祭」・・・・・・姫路市広峯山。広峯神社の由緒について神戸大学附属図書館のホームページは、「奈 良時代末の天平六年(734)に、吉備真備によって白幣山に大社殿が創祀されたのがはじまりとされ、天禄三年(972) 年現在地に遷座しました。現在、本殿・拝殿とも国の重要文化財であり、国内最大級の大きさを誇っています。 広峯神社は、素戔嗚尊を主神として祀り、これは古く神功皇后の祭祀に始まるといわれています。貞観十一年(869)に は分霊が山城国葛原に祀られました。これが「祇薗本社播磨国広峯社」といわれるゆえんです。分霊の京都祇園八坂 社が発展したため、広峯社はその末社の感が生じましたが、もとは本社の称を誇っていたのです。 中世からその存在は播磨国の惣社とともに中央に知られており、檀那は播磨国だけではなく、摂津・但馬・丹波・備後・ 因幡・美作・丹後などの周辺諸国までおよんでいました。広峯神社文書は、この広峯神社に伝来した文書であり、現在 広峯神社と同神社の社家肥塚氏および神戸大学附属図書館の三カ所に分散所蔵されています」と述べている。 また別の資料によれば天平5年(733)に吉備真備が創建、その後、貞観(876)年間、畿内外に疫病が蔓延して死人 数知れずと言われ、清和天皇の夢枕のお告げにより分霊が京都に迎えられて祈願されると疫病が鎮まり、都の人々 は大いに喜び盛大な祭りをしたと言う。 また神戸市兵庫区の祇園神社(078-361-3450)にも同様の由緒が有り、貞観十一年(869)にご分霊の神輿が姫路か ら京都に向かう途中に此処(平野)に一泊されたのを感謝して祭ったと言う。何れにせよ、此処は素盞鳴命を牛頭天皇 として祭る神仏習合寺院でした。@ 此処の祭りは2/3節分祭、4/3(第一土日)御田植え祭、4/18祈穀祭、11/15御柱祭が有る。詳しくは0792-84 -4777。因みに4/8頃の生石神社を参照。@ ■兼山廟・秋の大祭・・・・・・・4/25の春の大祭に対して、秋のこの日に行う大祭。高知県・本山町 (町役場・企画課 0887-76-2113)。 ■宇佐の御許山には大元神社(宇佐神宮の奥宮)があるが、此処は欽明天皇の時代に八幡神が初めて御示現にな り、その後転々として11/15方位の亀山の地に神亀2(725)年に造立されたのが今の宇佐神宮の第一之殿である。 ■宗像大社の例祭・・・・・・福岡・宗像市。この宗像大社は昔は田島村田島と言われた所に本社・辺津宮がある。此処 は荒波で名高い玄界灘を望む地である。其処から沖に向かえば大島村に中津宮、更に同村の沖ノ島には沖津宮があ る。 御祭神は其々、多岐都姫命、市杵嶋姫命、多紀理姫命の三人、即ち天照大神と須佐之男命の三女神であり、其の時 の詔により、この二つの島には各々一つづつの玉が置かれ、また其れら二つの宮島に対して辺津宮にはヤタの鏡が 置かれたと言うのがこの宗像大社の由来である。@ 所で宗像神社の例祭日は11/15であるから略一日のズレで例祭日と暦・方位とが重なる事が地図上からも判明す る。だがこの古式大祭(今は12/15になっている)も旧暦時代は10/15〜16に行っていた事と、沖ノ島と大島(中 津宮)との距離だけでも約49kmもあり、この三点の距離が長い。 このために地図によっては方位採りを間違う事もあるので要注意である。 さて、其の逆の5/15.5日の方位に向かえば、若宮町を経て日向市に至る。ともあれ、宗像大社では他に4/1〜2 の春季大祭に対して10/1〜3の秋季大祭(田島放生会)がある。 沖ノ島は女神の島であるが女人禁制であるのみならず、不浄の者は一切駄目。5/27には現地大祭があるが、この 日でも特別な人以外は上陸を許さない。此処は千古の遺跡を残す「海の正倉院」でもある。辺津宮の本殿と拝殿とは 国宝である外、宗像神奉斎の全国六千数百社の総本宮でもある。@ 余談であるが、沖ノ島の西北4海里で明治38年に日本海海戦が戦われた。それ以前にも宗像の神は、元寇の時や神 功皇后が三韓征伐時にも御威霊を顕して来た。よって、古来、国家有事の際には必ず幣使が奉られて来た所だ。 ■06-07-09七五三。 ■06-07-09一般鳥獣狩猟解禁(本州、四国、九州)。 11月中 ■鎮魂祭・・・・・・・・神武天皇元年、及び天武天皇元年以来、11月中のこの日は鎮魂祭が行われた。当時は旧暦時 代であるから「11月中」は西暦の冬至に当たる時期かと言えばさに有らず。祭り事の記録はこの太陽暦で行われた。 但し、当時は寅の日とした。祭神は八神、九座であり、今もその祭式が宮中三殿の賢所八神殿で踏襲される。 其の時に有名な、フルベユラユラトフルベ、或いはタマガエシスナヤ、ヒトフタミヨイツムユナナヤココノタリヤ・・・・等の 謎の呪文が唱えられる(次項に関連する)。 ■旧・新嘗祭・・・・・・・・此の日は古来、天皇が新穀を天神地祇に捧げる日だった。ただ皇極天皇の時から11月の二の 卯の日と決めた(前項、及び出雲の神在祭を参照)。因みに其の日は06/11/22(卯)で豊川稲荷秋季大祭、07/11/17 (卯)であり、市川・中山法華経寺御会式、奈良・談山神社例祭などが偶然重なります。 但し明治6年以来、新嘗祭を11/23日に固定し、戦後は「勤労感謝の日」とした。 11/16 日 ▲06二の酉。 ▲目黒・大鳥神社・酉の市・・・・・・・・・東京・目黒。 ■頭之宮四方神社例大祭・・・・・三重・大内山村で、餅まきなど多彩な催しもある。 ■開山(円爾弁円)忌・・・・・・・東福寺(京都市東山区)。 11/17 日 ▼09旧10/1日・朔。 ■三吉神社・秋季大祭・・・・・・・・・秋田市。 ■06-07-09中山法華経寺・御会式・・・・・千葉・市川。 ■08苗裔祭・ばっこ祭・・・・・・・・以下、http://homepage2.nifty.com/garand/harumin/maturi/maturi_i.htm「春眠」石川 県の祭りより引用。ばっこ祭11月17〜21日。石川県鹿島郡鹿西町能登部上の能登部神社で、17日のしめ縄作りから 始まり5日間行われる。鹿西町産業建設課0767-72-3131 ■白山比盗_社の秋祭りだったか・・・・・・イザナギ・イザナミの神娘、またはイザナミ自身とも見られる菊理媛神を祭 り、加賀の国一ノ宮としての例祭は現在5/6日(同項を参照)である。だがそれでは色々矛盾するので此処で検証す る。白山には三ヶ所の馬場があった。 現代人に馬場と言えば競馬場を連想するが、本来の馬場とは神のミサキ、つまり御前を意味した。此処では登山道で ある。そうした事から先の加賀が一番有名となったが、其の外に越前と美濃があり、其の一つが勝山市の平泉寺でし た。此処は白山修験の中心地としてかつては六千坊を擁したが明治から白山神社となった。 其れに対して岐阜県・白鳥町の長滝寺があって、かつては中宮と呼ばれたが今は白山神社と中居神社になっているが 一般に殆ど知られていない。此処も明治の改暦の弊害が見られる。昔は二季大祭として4月と11月の午の日だったの を改暦により5/6日に変えたと言うのです。そうすると謎の祭りとなってしまうので別の観点から方位で検証する。@ 其処で結論として神社の祭りは元々10/17日の秋祭りであり、其の前に命日の4/19日が鎮魂方位なので、春には先ず 弔いの法事を長滝寺で行ったものと判明する。 ■写経会・・・・・・・・・唐招提寺。詳しくは奈良市観光センター0742-22-3900 ■06-07-09談山神社の例祭・・・・・・・・11/17日は藤原鎌足の命日に当り春日舞楽を奉納する。談山神社は元々妙楽 寺と言う寺だったので当然ながらこの日は命日法要だった。此処は幕末まで日本一権威の高い寺だったが、廃仏 毀 釈の嵐には勝てずに、看板を付け替えて神社となった。 だから命日が明治以後は神社の例祭に変わって続けられている。従って此れは鎮魂の法要であり、神社の一般的な ハレの祭りとは違う。此処で行うべき本来の日迎えの祭りは秋とは逆の時期の春の5/18日であろう(次項の11/18を参 照)。ただ此処はこの時期に紅葉の名所となって祭りは賑う。 ■06-07-09将棋の日。 11/18 日 ■06五老山の牡丹焚き火・・・・・11月第3土曜日。福島県・須賀川市。 ■07高崎えびす講。 ■お別時念仏会・・・・・・・・清浄光寺〔遊行寺〕(神奈川県藤沢市)で11/16〜28日、この間唱名念仏をつづける。 ■例年-長野えびす講(〜20日・花火大会は23日)【長野市・他長野県内各所】 11月18日 ■10長野えびす講(〜20日・煙火大会は23日)【長野市・他長野県内各所】 ★動画http://www.omatsuri.com/movie/nagano.html ■藤原鎌足の真の命日は何日か・・・・・・・彼は天智天皇8(669)年10月辛酉16(U11/14-G11/17)に薨去(年56歳)。だ から前記の通り、談山神社の例祭が11/17に行われる。但し、「日本書記暦日原典」では辛酉はこの日、11/18と なる。 一般に、鎌足は自宅で薨去して摂津阿武山に葬るも後に大和の多武峰に改葬した、と言うが、談山神社の伝には、阿 武山ではなくて「摂津の安威山」に葬られた遺骸を、彼の長子の定慧が唐から帰国後の大宝元(701)年に其処から 多武峰に移して十三重塔を建てて妙楽寺とした。其処に鎌足の木像を祀って聖霊院と称した、としている。 虫の良い解説であるが前もって断って置きたい点として、この当時は暦法が渡来暦との関係で混乱した時期であるた め、何れの暦法にも合致するように、複数のラインが引かれ、よって複数の遺跡となっており、古墳、寺、神社が分散し て何ヶ所にも造られていました。 従って「藤原鎌足の真の命日は何日か」と言う設問には実は残念ながら即断できない。各々が採った暦法によって子 孫が別々の命日で設定しているからです。其れにしても定慧は何故、態々河内平野を跨いで奈良の奥へと改葬したの か、と言えば、其れは和式より唐風の仏教暦に従って設定し直した可能性である。 つまり古式とは別のラインを引く事になり、鎌足公の墓地を標高280.9mの阿武山とした場合は、命日ライン上には 茨木市の総持寺があるが高さが低い事もあり、また唐の定慧に鎌足からの夢告もあって談山に改葬した。 平野が広がる大阪には阿武山とレベルが等しい山がなかったので、父の御霊を迎える場としては生駒の東を飛び越 え、飯盛山(314m)の東、更に斑鳩町の松尾山(315m)の此れまた東を素通りした。そうして桜井市の安倍文殊院 を飛び越えれば標高607mの御破裂山に至る。結果として其の麓の多武峰・談山を適地として選んだ事になる。 尤も、生駒の東には生駒市一分にかつて生馬寺があった。今此処は伊古麻都比古・比売と言う聞き慣れない神を10 /11に例祭で祭る往馬神社となっている。其の近くに行基墓のある竹林寺もある。松尾山には松尾寺もある。こうした 旧跡の幾つかは定慧が関係した可能性が有るでしょう。次はこの複雑な関係を方位から読み解く。@ 何れにせよ、先の16〜18日を基準に、定慧が多武峰に十三重の塔と伽藍を造って妙楽寺とし、其の途中には地蔵 菩薩を祭って聖林寺とした。とすれば妙楽寺は菩提寺とか墓ではなくて、実は父の御霊を迎える日迎えの宮だった事 がハッキリします。@@ さて多武峰寺(妙楽寺)は、その後、後醍醐天皇から談山権現の勅号を賜った神社となり、また江戸初期には日光東 照宮を建築する時のモデルとなった。其処から「西の日光」と呼ばれた所であり、しかも幕末まで幕府に対して隠然たる 権威を持つ有力寺院の筆頭に有った。 だが此処も明治二年から談山神社と言う神社風一色に変わった。此処は4/29と11/3の蹴鞠祭で有名であるが、 実は其れよりも下記の神饌に特長がある。今も隔年で四月第二日曜日には神幸祭があり、四年に一度は一の鳥居ま で神輿が渡御する。此れが本来の神社としての祭りである。 けれども談山神社の例祭が11/17日になっているのは、其の日が命日としたからであろう。とすれば祭りは其の逆 の5/18になされるべきであるのに4月にしては形式的な行事になってしまう。よって十月には「嘉吉祭」を行なう。此 の祭りでは「百味の御おん食じき」とか「御奠てん菜」とも呼ぶ神饌を神前に奉る特殊な祭典をする。 此れは仏教寺院や神社の祭典とは異質の、皇室の古式遷宮に関わる祭典である。と言う事は、彼の立場が皇室と並 ぶ権威であった事を世間に表明する示威行動であり、少なくとも鎮魂の儀礼とは思えない。此れは鎌足が天皇と並ぶ 存在だった、と言うよりは定慧の出自と権威からである。彼は一説(藤原氏系図)に孝徳天皇の隠し子とある。 此処は其の定慧が、表向きは鎌足の長男として阿武山から其の命日ラインに沿って養父の御霊を迎える祭りの場とし て開基した寺だった。と同時に実父である孝徳天皇の御霊を難波の宮に向けて弔い、また其の逆の時期には神霊とし て此処に迎えるための場としていた。 つまり阿武山と難波からの両方のラインの結び目(交点)として暦・方位と地理的条件からギリギリの選択で選んだ場で あり、定慧が高僧となって鎌足を天皇と同格の儀礼を行う場とした。のみならず、実は公式には出せない裏のご祭神と して孝徳天皇を暗黙の了解の下で祭っていた事になる。 因みに、現在の御破裂山(607m)には直径85mの円墳があり、この山全体が鎌足の墓所とされている。また東照宮の 手本となった聖霊院は神社の本殿となり、また十三重塔は神廟となり、鎌足の木像を安置した事に始まる護国院の跡 地には現在の拝殿がある。定慧は高僧となったが其の弟が藤原不比等である。 不比等は清廉な律法家として内大臣になったが、其れ以前に歴史に緻密な理解があり、其れは先のような父の暦日 設定で悩んだからではないか。長子としての定慧が妙楽寺とした後に、次子としての不比等が其処を神社とした。談山 の名は、中大兄皇子と鎌足が蘇我氏討滅の策を語った所とする由来からと今は説明されている。 けれども、此処は山に囲まれて飛鳥や大和盆地は見えないのであるから、其のエピソードを故事として、其の為に宮を 聖定したとは到底考えられない。つまり5/19には音羽山からの日の出と、次に巳の刻に、吉野から鎌足の御魂を遥 拝する宮だったと推定すべきです。 また、彼・定慧は母の鏡女王が山階に建てた山階寺を厩坂寺とし、平城遷都に従って@春日の地に山階寺を移建し た。其れが藤原氏の後の興福寺であり、此処では今も五月に薪能を奉納するが、此れが能楽界最高の行事となって いる。尚、不比等の薨去後に彼を追福のために興福寺には北円堂が建てられた。@ だが此れでは鎌足の嫡子としての立場を表すものの、厳密には道理に合わず、寧ろ天智(孝徳とする梅原説もある)の 隠し子としての立場を暴露した形となっている。彼は公然と、天智の嫡子として其の日迎えのラインに位置して隠然とし た実力者として万事を宰領したのであろう(「10/31孝徳」を参照)。 それにしても昔通りの祭日をこうして今に伝えていた事には感服する。恐らく此処にも明治の改暦押し付けがあった筈 であるが、旧暦とは別の和暦を熟知する方があって、お上の無知を跳ね返して古式を守り通してくれたのでしょう。■ 尚、旧暦の10/9〜10が孝徳天皇の命日なので、大阪天満宮の創建は長柄豊崎宮の時、その巽の方位に大将軍社と して造られた、との伝えが有る。とすれば豊崎の宮は今の豊崎神社よりも西よりの中津辺りにあった事になる。 ■例年-胡子大祭(11月18日〜20日)【広島市】 ■若宮八幡宮裸祭り(11月18日〜20日)【大分県豊後高田市】 11/19 日 ★06-07-09一茶忌。 ★06-07一茶祭り【東京都足立区六月、炎天寺】 ■長野えびす講・宵えぴす・・・・・・・・善光寺(長野市元善町)。長野市・他長野県内各所で11月19日〜20日。 ■07大峯本宮・天河大辨財天社の観月祭・七夕祭・・・・・・奈良県。天河大辨財天社・電話0747-63-0558では11月19 日 〔月〕 五節句開きの神事(とうとたらり)(旧十月十日)を午前11時から、同時に秋の太々神楽講講社大祭を午前11 時に行う。 ■07出雲大社・神迎祭り(神在祭)・・・・・・旧暦の10月を神無月と言った。其れは此の時期には古来、出雲の国に全国 から神々が集まったからであり、出雲は神在月となるが、地方は神無月となったからだと言われて来た。とは言うもの の、何故此の時期に一体何処にお集まりになったのかが今では分からない。 ただ、逆の時期の5/15が出雲と加茂の縁日である事が分かれば謎が解けよう。昔の出雲の国は今の島根県ではなく て、奈良県を中心とした近畿一円と北九州、つまり西日本全域でした(5/14〜15を参照)。もう1つの謎は、出雲の神が 「縁結びの神」と言われて来た理由である。 具体的にどうして縁結びをするのか、と言うメカニズムについての説明を聞いた事が有りますか。ともあれ、出雲大社 で2003年は神在祭が11/4〜10に行われた。此の年は此の時期が旧暦で10月(神有り月)の10〜17日に当っていたか らであり、07年の場合も西暦11/19は旧暦・神無月の10日に当ります。 ■吉備津彦大神の祭りか・・・・・岡山市の吉備津神社では昔は10/30日、今は10/19に秋季大祭をしているが、古墳 状の山と、参道の向きが11/19方位を黙示している事と、広島で大吉備津彦命を祭る一宮の吉備津神社では11/ 28を例祭日としている。 とすれば、この日がこの神の本来の祭日ではなかろうか(詳しくは「10/19」 岡山市の吉備津神社・秋季大祭を参照)。 ■09-10若宮八幡宮裸祭り(〜21日)【大分県豊後高田市】 11/20 日 以下、次ページへ続く。 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆ ★ ●円系図、円暦、及び本書の工業所有権・並びに本書の著作権は下記に属します。 パテント・著作権は本会に属します。 「鬼の会」 |