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http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」 p149  (未定稿)


 神々の歳時記    11月上旬  但し方位による

次は
11月中旬
11月中旬
または
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戻る

・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起
の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版 http://
www.omatsuri.com/mailmag/

及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-11月」より一部引用・転載させて頂きました。

■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記
には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の
詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。


11月上旬  ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★



11/ 1  


■例年-秋の藤原まつり・・・・・・岩手県西磐井郡平泉町、中尊寺・毛越寺。11/1〜3日。毛越寺の延年の舞奉納があ
り、義経行列が出る。★動画http://www.omatsuri.com/movie/fujiaki.html
 
大荒行入行会 法華経寺(千葉県市川市)。 
聖天祭 常薬院(京都市東山区)。

亥子祭・・・・・・・京都・護王神社の祭り。和気清麻呂公の墓所が、旧大極殿から乾の方角にある。乾とは戌亥であ
り、暦方位に由来するものと思われる。以下、京都御所の西側、蛤御門の向かいに鎮座する護王神社のホームページ
http://www.gooujinja.or.jp/matsuri.htmより引用。

主祭神として和気清麻呂公命(わけのきよまろこうのみこと)、和気広虫姫命(わけのひろむしひめのみこと)を祭る。
護王神社の沿革は、はじめ洛西の高雄山神護寺の境内に和気清麻呂公の霊社として祀られていたが、確かな創建年
は伝えられていない。

古くから「護法善神」と称されていたが、嘉永4年(1851)、孝明天皇は和気公の歴史的功績を讃えて正一位護王大明
神の神階神号を授けられ、明治7年(1874)、「護王神社」と改称して別格官幣社に列せられた。

明治19年(1886)、明治天皇の勅命により、神護寺境内から華族中院家邸宅跡地であった京都御所蛤御門前の現在
地に社殿を造営、姉君の和気広虫姫を合わせ祀り、遷座した。その後、崇敬者により境内に霊猪像(狛いのしし)が奉
納され、いのしし神社とも呼ばれ親しまれている。

11月1日、午後5時亥子祭は、平安時代の宮中の年中行事であった亥子餅の儀式を再現した特殊神事。浄闇の境内
に照らし出された殿上で、あたかも平安絵巻のひとこまのような優雅な神事が執り行われる。因みに此処の大祭は4/4
日を参照。


川湯温泉・仙人風呂・・・・・・・和歌山県田辺市本宮町で11/1から2月末まで。 

■09宇部まつり【山口県宇部市】

★08西都古墳まつり(11月第1土曜〜日曜日)【宮崎県西都市】

■モイドン・・・・・・・・鹿児島・指宿市の揖宿。

■日本では早くも年賀状の宣伝と発売が実行され、日本人の季節感(節度・節目)を狂わす。

06-07-09灯台記念日。 06-07-09教育文化週間。 06-07-09新米穀年度。 06-07-09計量記念日。

★東京株式市場がコンピューターのトラブルでダウン。日本の技術水準が05年に世界に恥を晒した日(06年は再び1
/18日)。

ヒンズー教最大の祭り・・・・・・インド。月影が消えて星が光るこの日の夜は火星が逆行し、金星が輝く。05/10/29、ニューデリーでは3ヶ所で同
時爆弾テロがあり、68人が死亡した。此れに対してシン首相は、「ヒンズー教最大の祭り(11/1)を前に、此れを妨害しようとイスラム過激派がしたもの」と言
った。パキスタンへの反感か、それともカシミール問題の根深さからか。

★古代ケルト暦で言う元旦。



















































11/ 2 

        
庄内百万石祭・・・・・
■07-08-09-10本庄まつり(〜3日)【埼玉県本庄市】11月2日

■目黒・大鳥神社・酉の市・・・・・・・・・東京・目黒。

■天河弁財天社の秋の大祭・・・・・・大祭の後に格調の高い「神事能」がある。日本三大弁天の一つ、奈良・天川村。
大峰本宮・天河弁財天社0747−63−0558
■07-08宇部まつり(〜3日)【山口県宇部市】

06-07-08-09唐津くんち・宵山・・・・・・・・佐賀・唐津市の唐津神社で4日まで。「くんち」は長崎や熊本にもあるが、此
処で言う「くんち」とはお祝いの供物と言う意味で、地元で採れた旬の物を料理して捧げる。11/3は唐津神社から
「山」が西の浜のお旅所に渡り、宮入りする。ヤマを引き入れる「引き込み」が祭りのピークである。

■西都古墳まつり(今は11月第1土曜〜日曜日)【宮崎県西都市】
■例年-おはら祭り(11月2〜3日)【鹿児島市】★動画http://www.omatsuri.com/movie/ohara.html

























































11/ 3  


▼09望

06-07-09文化の日(旧・明治節=明治天皇の誕生日)。
06-07-09「庄内百万石まつり」・・・・・・・山形・鶴岡市の鶴岡駅前周辺。

■本庄・金鑚神社・秋季大祭・・・・・・11/2〜3日。埼玉。本庄の鎮守様として親しまれている金鑚神社・秋季大祭で、
絢爛豪華な山車が10基以上が晩秋の中山道を巡行する。詳しくは「本庄まつり」http://cancun.poke1.jp/honjou/

因みに旧暦11/1には神迎祭を行う。次に方位から見た11/2〜3日については不明だが、実は茨城県には金砂郷
町と言う似た響きの町があって、其の町の中心部から本庄市を見通した方位は9/1←→3/3の位置関係になる。

其の地にも北部に男体山(654m)があり、東西には水府村と金砂郷町に金砂郷神社が並んでいて、大己貴命、少彦
名、其れに日吉権現を祭っている。

それに対してこのライン上の逆側には本庄市と神川町に金鑚神社が二社も並び、此方では天照大神として祭ってい
る。それにしても三箇所の同名の神社が同軸に並ぶのは偶然と言えるだろうか。因みに此処から同軸上を西に向えば
八ヶ岳・権現岳(2715m)、そして高遠町の入笠岳(1956m)と並ぶ。此処には何が有るのだろうか。

お引上げ報恩講・・・・・・・・東本願寺高田別院(新潟県上越市)で11/3〜8日。

■09明治神宮・例祭・・・・・東京。

■06-07-09皿池不動・万灯祭・・・・・東京・足立区。
■白鷺の舞・・・・・・東京・浅草寺。浅草観音は金龍山・浅草寺と言う。10/18には「金龍の舞」があり、12/17〜19
日には「羽子板市」で賑わうなど、此処には年間に凡そ4000万人が訪れると言われる。

大祭・・・・・・・弘明寺(神奈川県横浜市)。 
■例年-箱根大名行列【神奈川県足柄下郡箱根町】★動画http://www.omatsuri.com/movie/hakone.html

■富士宮・秋祭り・・・・・・・静岡・富士宮市の富士山本宮、浅間大社などで、5日まで。

■06「森のまつり」・・・・・・11月3日〜5日の3日間、晩秋の遠州森町を彩る遠州最後の秋祭りです。秋葉街道の宿場
町として栄えた森町に伝わる勇壮な「森の祭り」が行われます。この祭典の3日間は町内の住民だけでなく、遠くからの
帰省客(森の人は正月や盆は帰らなくても祭りには帰るなどと言われる程)などで賑わいます。

この祭りは、1年間をかけ準備が進められ、そして屋台・お囃子・練り・祭り人が一体となった調和のある祭りが催され
ます。詳細ページ:http://www.town.morimachi.shizuoka.jp/kankou/event/morinomaturi.html投稿者:森の石松さん。

■07二木島の早漕ぎレース・・・・・・・・三重県熊野市。神武東征の上陸地の一つで、神武の亡き兄たちへの鎮魂の儀
式を伝承する年2度の祭りだが今は1回になった。二木島湾の東の阿古師神社と西の室古神社の間を太鼓を載せた
関船が巡回後に三回の早漕ぎレースになる。

■07-08-09-10曲水の宴・・・・・・・・京都市伏見区、城南宮で。
■06-07-08明治祭・・・・・・奈良・桜井市の大神(おおみわ)神社。

柴灯大護摩・・・・・・興福寺(奈良市登大路町)。 
■文化の日・舞楽演奏会・・・・・・・春日大社・神苑。詳しくは奈良市観光センター0742-22-3900

崇峻天皇の命日・・・・・・・32祟峻天皇(泊瀬部尊・長谷部若雀命・倉橋天皇)は倉梯(椅)柴垣宮にて祟峻5/11/
乙巳3/592/12/12-12/14にシイ逆により崩御。御陵は倉椅岡上也とあり、また倉梯岡陵とも記している。

彼は今の桜井市内の宮で崇峻5年のこの日に倒れた。蘇我馬子が駒を使って弑逆したものでした。宝算73歳。よって
其の日の内に磯城郡多武峰村倉梯岡上陵に葬られた事になっている。だが事実は桜井市からこの日の命日方位に
向った、法隆寺の西の、藤ノ木古墳の被葬者となったのである。外にも候補者として穴穂部皇子や宅部皇子がある。

近年(88/10月)、此処から2体の遺骨と豪華な副葬品(馬具=国宝となった)が出土して話題となった。ミイラ状の遺体
を真っ赤な布で包んで真綿の敷布団に安置して掛け布をした状態で葬った痕跡があった。だが其れで被葬者を特定す
るのは困難ですから、寧ろ羨道のラインが命日方位と合致するかどうかが被葬者の特定(決め手)となる。

その開口部がこの日の逆方位、つまり先の桜井市の宮に向いているので此処が彼の奥津城と判明する。この日は無
論西暦の今の月日と略合致する11/3日である。

桜井市の宮とは現在の桜井市倉橋の金福寺跡であり、昔は天皇屋敷とか観音堂と呼ばれていた所だ。そしてその近く
に国の史跡となった方墳(天王山古墳)があり、今は崇峻天皇陵とされている丘陵地がある。倉橋溜池の北東にある
平坦な所にある方墳である。だが「天円地方の理」により天皇陵は円墳であって方墳にはしないのが原則でした。

また此の近くには他の古墳も有るようだが方位が違えば全て彼の墳墓とは無関係である。要するに倉橋は彼の陵では
なくて、寧ろ彼の御魂を迎える宮であった。何故此処が宮なのかと言えば、11/3の方位の藤ノ木古墳に葬られたの
で、其の逆の時期の5/3に祭るためでした。

では何故藤ノ木に崇峻がいたのか、と言えば、其れは父・用明の命日ラインだったからだ。命日ラインには皇子たちが
点々と若宮を造っていたが、彼は12番目の皇子だった。父・用明天皇がふたつきの宮を箸墓の西に置いた目的も、敏
達の日迎えの為であり、東田の天理教会の辺りになる。@

つまり此の命日には生駒に面して弔い、また逆の時期の5/3には倉橋から彼の御魂(倉橋天皇)を此処へ迎える御
名であったと。

所で06/11/6の朝日新聞は「古墳見学施設を起工」と報じた。09/3月までに2億円を掛けて石壁を固定し、石室内を見
られるようにガラスの窓を付けると言う。税金を使ってまた財団を作り、銭をとる施設として次の天下りの場とする予定
であるのだろうが、高松塚やキトラ古墳の失敗を此処でまた繰り返して貰っては困る。

■例年-談山神社・蹴鞠・・・・・・奈良県桜井市の談山神社で春秋に行なう。 
■王仁祭り・・・・・・・大阪・枚方市の王仁塚。

★妙見大菩薩・大祭・・・・・・・堺市富蔵380妙見山・感應寺(0722−97−2153)で。大化元(645)年に唐から法道
仙人が来て法道寺と共にこの感應寺を開いて北辰尊星を祭った。大阪の妙見さんは以来、能勢、交野、そして此処
(上神谷)の三箇所となっている。今は身延山(日蓮宗)の末寺。

誕生子供祭・・・・・・・中山寺(兵庫県宝塚市)。
■06野中の獅子舞・・・・・・・和歌山県田辺市中辺路町で。 

■06寒川祭・・・・・・・和歌山県日高川町。今の美山村に天応1(781)年に河内の儀衛門が居住して「梅原の里」とし、
後、阿田木原に遷宮となったが、此処は国常立尊とナギ・ナミを祭る寒川(そうがわ)神社0738-58-0005があり、例年
11/3日が例祭。祭りでは御旅所(河内神社跡)へ渡御し神楽を奉納する。 

宗鑑忌・・・・・・俳人山崎宗鑑の忌日の法会。興呂寺(香川県)。 
■07-08-09-10蓮池の太刀踊り【高知県土佐市、 西宮八幡宮】

■07高松市「塩江温泉篝山湯ノ薬師柴燈大護摩供・火渡り式」・・・・・・篝山湯ノ薬師柴燈大護摩供・火渡り式(かがりやま
ゆのやくし さいとうおおごまぐ ひわたりしき)奈良法相宗大本山・薬師寺による火渡り式は気高く、幻想的な雰囲気!
【開催日時】2007年11月3日(土) 14:00〜【開催場所】湯愛の郷宿泊施設自然休養村センター前広場

【特別展示】「やすんば」(そば処・行基庵裏の休憩所)にて●「墨あかり展」・・・墨アーティスト・樋笠幸三)●「和心伝心
展」(外伝)・・・舞優灯 〜MY&YOU TOO〜、くらふと風船葛堀得感堂、藤本玲湧(革作家)×田尾京子(表装)
【主催】塩江温泉感謝祭実行委員会【お問い合せ先】塩江温泉観光協会 TEL 087-897-0148(平日9:00〜15:00)

投稿者:高松市中央商工会青年部塩江支部 さん---投稿者ブログ:http://e-shionoe.dreamblog.jp/blog/96.html

■08由加山火渡り大祭・・・・・・・・倉敷市の厄除け総本宮・由加神社本宮では、11月2日-3日と火渡り大祭・柴燈大護
摩祈祷(加持祈祷)がある。その他、備中神楽。子供の金毘羅太鼓。児島の瑜伽太鼓。採火式、柴燈大護摩祈祷(加
持祈祷)。ご神火行列、火渡り荒行、 福餅 ・ 福菓子投げ、富くじ(福引き)交換 など。

また、11月3日は11時〜14時まで健康長寿粥接待*以下、http://www.yugasan.or.jp/about-yuga/yuisyo/yuisho01.
htmlによれば、日本三大権現の一つ、また厄除けの総本山として知られる由加山・由加神社本宮は二千有余年の歴
史を持つ神仏混淆のお山。

その昔、磐座信仰(巨岩をご神体)と唱え近郊の人々の守護神として崇められ、その後733年(天平5年)に行基菩薩が
十一面観音を祀り、併せて神仏混淆の霊山として崇拝されてきました。桓武天皇の代以来、朝廷の祈願所として繁栄
し、拝殿には菊花ご紋章を拝受しております。

江戸時代中期には備前藩主池田候の祈願所として当権現・由加大神様への信仰は篤く、正月・五月・九月には藩主自
らご参拝になられておりました(その時ご参拝になられた建物が由加神社本宮ご本殿です)。

また、『ゆがさん・こんぴらさん両参り』と云われ、両社をお参りすればご利益が沢山頂けるという『両参り』の風習が広
がり、今も全国津々浦々から信仰されております。過去の歴史などから見ても由加の権現様・大神様は『有求必應』
“求めが有れば必ず應じて下さる神様”として、参拝者祈願者が後を絶たないのが現状です。
 
■07-08-09-10尾道ベッチャー祭・・・・・・広島県尾道市、吉備津彦神社。
■松江どう行列・・・・・・島根県松江市。

■稲穂祭り(キツネの嫁入り)・・・・・・山口県下松市、花岡福徳稲荷神社。
■住吉神社・明治祭・献茶祭・・・・・・長門一ノ宮としての住吉神社。山口・下関市。
■06-07若宮八幡宮・裸祭り・・・・・・・大分県豊後高田市で11月3日〜5日。

■06-07-09唐津くんち・本番・・・・・・・・佐賀県唐津市、唐津神社で11月3〜4日。
★動画http://www.omatsuri.com/movie/karatu.html

唐津くんち・本番は重さ2〜4トンの山が14台、浜のお旅所にお渡り、宮入する。「山」とは獅子頭などの14基のダンジ
リであり、漆の「一閑張り」の作品である。此れを見ようと20万の観客が賑わう。11/4は「山」が凡そ8kmにわたって
笛や太鼓のお囃子で繰り出す。

■07西都古墳まつり(11月第1土曜〜日曜日)【宮崎県西都市】
■例年-大隅弥五郎どん祭り【鹿児島県曽於市大隅】
■例年-首里文化祭【沖縄県那覇市】









































































11/ 4   


■酉の市・・・・・この頃の酉の日に台東区の鷲(おおとり)神社で行われる。一の酉、二の酉、三の酉とあるが、この11
月に三の酉まである年は火事が多いと言う俗信が江戸では広がっていた(「火事と喧嘩は江戸の華」の時代)。但し06
年は11/9。また大阪・堺市の鳳大社の縁日はこの日ではなく毎月2の日。

▲06大酉祭・・・・・の市の賑わい=花園神社・ヤマトタケルの縁日(http://www.hanazono-jinja.or.jp/mt/page/a3.html
「酉の市酉祭」より引用)・・・・・・江戸時代から続く年中行事で、開運招福・商売繁盛を願うお酉さまは、もと武蔵野国
南足立郡花又村(今は足立区花畑町)にある鷲神社にその起源があるとされています。

同社のご祭神は日本武尊(ヤマトタケル)で、その昔、東夷討伐の帰路に花又地に立ち寄り、戦勝を祝したことが縁で、
尊が伊勢の能褒野(ノボノ)で亡くなった後、神社を作りお祀りしたと伝えられています。

中世に後三年の役(1083年)が起きると、兄源義家を慕って清原一族平定に向かった新羅三郎義光が、武具を奉納し、
戦勝を祈願したことから武神として尊崇されるようになりました。江戸時代になると、日本武尊のご命日といわれる11月
の酉の日に、武家は綾瀬川を船で上り、町人は徒歩か馬を使って詣でていました。

しかし、江戸より遠かったため、千住の赤門寺に「中トリ」、浅草竜泉寺で「初トリ」が行われ、吉原を背景とする浅草の
大鳥さま、大鷲神社と隣接する鷲在山長国寺が繁昌するようになりました(天明8年頃=1788年)。「酉の市」は関東特
有の行事ですが、静岡県浜松でも行われています。

かつて徳川家康の駿河国の行事だったものが家康江戸入府とともに伝来したという説もあります。それが前述の起源
と結びついて、武神としての信仰から、商人の守り神へと転化されたようです。日本武尊を祭神とし、尾州徳川家に祀
られたと伝わる新宿大鳥神社は、花園神社の境内に鎮座されています。

その社紋(神社における家紋)は、「鳳凰の丸」が用いられていますB酉の市には開運熊手守、福財布、破魔矢(あたり
矢)が授与されます。新宿の街の発展に伴って参拝する人が増え、浅草おトリさまと並んで山の手随一の賑わいを誇っ
ています(引用以上)。

一の酉:06.11.04(土)、二の酉:11.16(木)、三の酉:11.28(火) 開運、商売繁盛を願って、飾り熊手など縁起物を売る
市が立つ。但し07年は11/11.

▲06酉の市の賑わい=花園大鷲神社・ヤマトタケルの縁日・・・・・・足立区の花畑のお酉様がその発祥地で、特に酉年
には大鳥神社で12年に一度の大祭が行われる。江戸時代にもなると日本武尊のご命日といわれる11月の酉の日
に、武家は綾瀬川を船で上り、町人は徒歩か馬を使って詣でたそうです。

所が、江戸(北千住より江戸ではなかったのです)より遠かったため、千住の赤門寺に「中トリ」、浅草竜泉寺で「初トリ」
が行われ、吉原を背景とする浅草の大鳥さまが繁昌するようになったのです。お酉様の境内ではお囃子が奉納され、
境内は広いためかクルマの音もほとんど聞こえないので安らぎます。 

お酉様では12年に一度の酉年に渡御が行われます(http://www.adachiseikatsu.com/walk/ootori.htmlより一部引
用)。尚、ヤマトタケルの命日については3/16と4/8を参照。

富士・浅間大社・例祭・・・・・以下、http://www.fuji-hongu.or.jp/sengen/index.html「富士山本宮・浅間大社」より引用
する。富士宮市内では3・4・5日の3日間、例祭を祝い附祭りを行います。▼主祭神 : 浅間大神と木花之佐久夜毘売
(このはなのさくやひめ)命。 

起源は、「富士本宮浅間社記」によれば、第7代孝霊天皇の御代、富士山が大噴火をしたため、周辺住民は離散し、
荒れ果てた状態が長期に及んだとあります。第11代垂仁天皇はこれを憂い、その3年(前27)に浅間大神を山足の地
に祀り山霊を鎮められました。

例祭は先ず▼11月3日午前9時に楼門内への宮参り。例祭前日祭の11月3日に本殿では3日間にわたる祭典の無事を
祈念します。▼例祭本祭は11月4日午前10時、本殿にて氏子・崇敬者約200名が集い、雅な装束をつけた乙女が舞う
浦安の舞(うらやすのまい)が奉奏されるなど盛大に斎行します。▼浦安の舞は11月4日午前10時例祭後。

例祭終了後、楼門内仮設舞台にて奉納。乙女らが十二単様の装束をつけ、扇・鈴を持って優雅に舞う姿は、遥か平安
時代を想わせます。▼共同催事として11月4日午後2時。富士宮市内の山車(だし)・屋台(やたい)が神田通に勢ぞろ
いし、一斉に囃子を奉納する行事がある。

通常山車や屋台は時間を決めて市内を回っており、一堂に会するのはこの時だけです。更に▼献詠短歌披講式が有
ります。また▼例祭後日祭は11月5日午前10時。続いて▼富士地区戦没者慰霊祭が11月6日午前11時から斎行され、
同時に▼奉納芸能としては拳聖会・居合道の演武、浦安の舞、神楽、富謡会の謡曲、天間太鼓保存会の演奏。更に 

▼菊花展が11月2日〜11月15日、華道展もある。詳細は先のHPまたは富士宮市宮町1-1 浅間大社 TEL0544-27-
2002 FAX0544-26-3762へ(引用以上)。因みに逆の時期の5月4・5・6日(別項参照)には流鏑馬祭がある。暦日ではそ
うなるがまた方位関係では三社が直列に位置する。

直列とは田子の浦---富士市の浅間神社---富士宮市の本宮(浅間大社)---身延山(標高1153m)奥の院のラインで
あり、西暦の暦日では5/12---11/9日に当る。しかし此処は浅間山とか身延山と言うのではなくて、広く一般に富士信
仰の総本山・本宮と信じられて来た。其れが実は違っていたとすれば、明治の神仏分離により分断されたのか。

春秋の祭りとして一事二方祭の伝統の例祭を今まで守ってくれた事は立派であるが、浅間大神と木花之佐久夜毘売
命の祭りは別に有るに違いない(此処は年に数十回の祭り・行事がある大社なのだから)。

日蓮宗総本山・身延山の奥の院とどう深く関わりあっていたのか。何故此の時期に身延山を拝む形になっているのか
興味が湧いて来ます。

▼因みに別の浅間神社を見よう。例えばhttp://www.shizuokasengen.net/gyouji.html「静岡浅間神社」静岡市葵区宮ケ
崎町102-1 TEL:054-245-1820(代)から引用すれば、駿河国一宮だった浅間神社も同神を祭り、5月1日に御薗茶摘
式、上旬には御薗(みその)献茶祭をしている。また逆の時期の11/3日には明治祭と昇祭を行なう。

此れは浅間神社の木之花咲耶姫命が賎機山に鎮座する麓山神社の大山祇命(父神)の許へ神幸(ご一泊される)意
味の祭典と言う。此の為、神職・供奉員約百名が行列を整えて百段を昇り神幸する。11/4日は「降祭」。ご一泊された
浅間大神がご本社へ帰られる祭典。

昇祭同様ご鳳輦を中心に平安時代の装束に身を包んだ神職・供奉員が、百段を降り、浅間神社まで神幸する(以上引
用)。と言うように由来を詳しく伝えている。つまり此の日の祭りは富士山ではなくて賎機山に鎮座する麓山神社の大山
祇命(父神)の祭りである。

いや市内の賎機山も浅間山も別の方位を向いていて浅間神社と此の日の方位には無い。有るは駿府城と此の日の方
位関係で繋がっているのが分かる。先の富士・浅間神社が頼朝のために存在し、次の静岡・浅間神社は駿府(家康)
を守る為に出来たものと判断できる。要するに何れも富士山の祭りにはなっていない。

では本来の浅間大神とか富士の咲耶姫はどうなっているのか。ソモソモ浅間山と富士山とは南北に110kmも離れた
別々の山ですから浅間神社を喩えセンゲン神社と無理に読ませても富士山の周りに散在しているのが不思議です。
肝心の浅間山周辺には少ないのだ。

例えば、北佐久郡軽井沢町大字追分字神楽殿1157-7に石祠。国府市には浅間山神社として古墳上に石祠。次は
http://www5.big.or.jp/~ejiri/nakasen/vtkaid07.htm「バーチャル中仙道」には---中軽井沢・追分の浅間大明神遥拝の
里宮で大山祇神[おおやまつみのみこと]、磐長姫神[いわながひめのみこと]が祀られている。

当社は流造りで室町時代の様相をよく残している。明治二年、浅間山鳴動の際に明治天皇の勅祭が行われた。---と
紹介している。そしてhttp://homepage2.nifty.com/ma0011/event2005.htm「北軽井沢周辺のイベント」では05/5月2日
(土)長野原町・栗平浅間神社春祭り(北軽井沢)と記録している。 

では次に、一宮浅間神社についてフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用する。浅間神社---山梨県笛
吹市(旧東八代郡一宮町)一宮町一宮1684。主祭神-木花開耶姫命-社格等 式内社・甲斐国一宮・国幣中社・別表神
社。創建-垂仁天皇8年。例祭 4月15日。正式名称は浅間神社(あさまじんじゃ)である。

垂仁天皇8年正月に神山である富士山の山の麓で神祭があったと伝えられる。貞観7年(865年)12月9日に現在地に
遷座した。『延喜式』では名神大社に列し、甲斐国一宮とされた。明治4年(1871年)、国幣中社に列し、戦後は別表神
社となった。とある。

同社について更にhttp://woman.excite.co.jp/season/newyear/list/19/80153/「ウーマン・エキサイト」は---古代、富士
山の麓には日本一の神宮・富士七大神宮があったが、富士山大噴火で焼失、埋没したため、表大宮として富士山本
宮浅間神社、東本宮として寒川神社、そして北本宮として当社が建立。と紹介している。

▼さて纏めに代えて蛇足を加える。浅間山の歴史のほうが古い。ただ天武天皇685年以来、数十回も噴火し続けて特
に天明三(1783)年の大噴火では大きな被害を出したのだから富士山より深刻な問題の山である。しかし此の山の神
を鎮める役目の神社が少ないのでは問題である。

他方、近江には天智天皇の頃に奈良の大三輪から勧請した大己貴(おおなむちの)神を大比延として祭った。此の神は先
の大山祇神と同神である。更に最澄が天台宗を此処から始めて比叡山延暦寺とした。

日吉(ひえ)大社の大祭(山王祭)は今の4月の申の日(今は4/14日に固定)、其の分家の東京の日枝(ひえ)神社は6/
15を例祭とした。申の日と言う事から叡山ではやがて猿が神の眷属となり、日蓮が此処から日蓮宗を立てた。日蓮もま
た北条氏の時の法難にあって佐渡に流される際に猿に導かれて助かったと言う縁起を残している。

平家は神戸の福原とか安芸の宮島、そして熊野水軍などに縁を持つ水神系であったとすれば、頼朝は山岳民族であり
言わば陸軍だった。だから馬で駆け回る狩猟を好み、落馬が元で死去しているが、箱根・走り湯・浅間など山岳信仰の
場を固めていた。山の神の猿から庚申・青面金剛信仰を広めたとも思える。

ただ北条氏は平家であり、水軍や漁師に支えられ、日蓮も北斗妙見と言った信仰を持つ漁師や水軍に支えられてい
た。彼らの身近な拠点が七面山(標高1982m)であり、身延山(1148m)や浅間・山の宮(本門寺)へと分派し、江戸の
富士講とも一体化した。浅間山---一宮・浅間神社----富士山とは南北関係に位置する。

厳密には6/15日の方位になる。其処から東京の日枝(ひえ)神社の例祭まで6/15日になったものかと推定する。 


早良親王の命日・・・・・・以下引用:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』早良親王(さわらしんのう:天
平勝宝2年(750年)?〜延暦4年9月28日(785年11月8日)は、奈良時代末期の皇族。光仁天皇の皇子。母は高野新
笠。桓武天皇、能登内親王の同母弟。

761年、出家して東大寺羂索院や大安寺東院に住む。781年、兄・桓武天皇の即位と共に立太子。だが785年、藤原種
継暗殺事件に連座して廃され、無実を訴えるため絶食して淡路国に配流の途中、河内国高瀬橋付近で憤死した。

その後、桓武天皇の長男安殿親王(後の平城天皇)の発病や桓武天皇妃・藤原乙牟漏の病死などが相次ぎ、それら
は早良親王の祟りであるとして幾度か鎮魂の儀式が執り行われた。800年、崇道天皇と追称され、大和国に移葬され
た。その場所は奈良市八嶋町の崇道天皇陵に比定されている。

またこの近くには親王を祀る社である八嶋神社があり、更に北に数キロ離れた奈良町にある崇道天皇社、御霊神社な
どでも親王が祭神として祀られており、その他にも近辺には親王を祀る寺社が点在している。関連先は上御霊神社、
御霊信仰(以上、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E8%89%AF%E8%A6%AA%E7%8E%8Bより引用)。

祟道天皇陵とされる陵が淡路の津名郡下河井(高島)や北淡町の仁井宮本にもあった。彼の祟りを恐れて久野野には
常高寺、其れに霊安寺が建てられたが、其処からやがて改祟道天皇司(五百枝王)を任じて淡路に派遣し、延暦17/3
月に大和に改葬した。八島寺に遺骨だけを移したようである。

遺骨と弓などが二基の神輿で運ばれて西向きの寺に納められたのであって、墳墓は造られず、其の八島寺の創建が
延暦25年であると言う。

但し彼の場合、祟りを恐れて大和では八嶋ノ御霊、祟道天皇と追号して祟道天皇社としたが、隣接地の島田神社に合
祀した(以上の大半を「天皇陵」総覧・新人物往来社より引用)。@別にあと2つの命日(9/28、10/26を参照)。

■神在祭・・・・・・07年は11/19日。この日から出雲の国には神々が集まる。但し、今は出雲大社だが、昔の出雲の国
は今の島根県ではなく奈良県を中心とした近畿一円と北九州でした。島根・大社町の出雲大社で十日まで。

■06宇部まつり(11月4日〜5日)【山口県宇部市】

■06「うすき竹宵」・・・・・・・当日は2万本の竹のボンボリ(雪洞)が並び、7万人が訪れると言う。以下「臼杵市役所」
http://www.city.usuki.oita.jp/top/takeyoi2.htmlより引用。真名の長者伝説より「うすき竹宵」の由来-----臼杵の誇りで
ある「臼杵石仏」は真名の長者と呼ばれる人物によって造られたと伝えられています。

真名の長者は名を小五郎といい、その妻は玉津姫と言いました。また、2人のあいだに産まれた娘は般若姫と言いそ
の美しさと気品は世間の評判となっていました。般若姫の噂を聞いた時の朝廷は、姫を妃として都へ差し出すように使
者を遣わしますが、長者は一人娘と言う理由でこれを拒み、代わりに姫野姿を書き写した「玉絵箱」を献上しました。

ところが、献上された玉絵箱を見て恋に落ちた若者がおりました。それは、後の用明天皇、当時は橘の豊日の皇子で
した。皇子は姫に逢うため草深い臼杵に下り、牛飼いに身をやつして長者のもとに身を寄せ、やがて姫と結ばれまし
た。しばらく幸せな時を過ごしますが、朝廷に呼び戻され懐妊していた姫を残して都へと帰っていきました。

しばらくして姫は玉絵姫と言うかわいい女の子を出産します。そして、般若姫は産まれたばかりの玉絵姫を残し、皇子
の待つ都を目指して臼杵の港から船出します。ところが、途中嵐に遭い、帰らぬ人となりました。悲しんだ長者夫妻は、
姫の供養のため玉絵箱の里帰りを願い出て、朝廷もこれを許されました。

亡き般若姫の姿を描いた「玉絵箱」は長者夫妻にとっては娘。玉絵姫にとっては母そのものだったのでした。暮れ早い
秋の陽はとっぷりと暮れ、里人たちは竹に明かりを灯し暗くなった夜道を明るくしました。このうすき竹宵の般若姫行列
は長者夫妻と玉絵姫が待つここ臼杵へ都から「玉絵姫」と供に帰ってきた般若姫の御霊の里帰りを表現したものです。

小五郎、玉津姫、玉絵姫、そして大勢の里人たちが待ち受ける中、臼杵の港に都から「玉絵箱」を載せた船がつきまし
た。今年で開催10年目を迎える「うすき竹宵」。今年は2万本の竹ぼんぼりが、歴史ある臼杵の町並みを幻想的な空間
に彩ります。

〜七宵〜 7日後の「うすき竹宵」を告げる「七宵」竹ぼんぼりが並ぶ厳かな雰囲気の会場では、まつりの安全祈願と
「玉絵箱」の清めの儀式や、般若姫のお披露目などがおこなわれます。

とき   平成18年10月28日(土)  17:00〜21:00(竹ぼんぼり点火17:00)
ところ  八坂神社 ------------------------------------------

〜前夜祭〜
「うすき竹宵」での雨除け・風除けのお祈りの意味を込め、子どもたちが竹ぼんぼりに火を灯します。
とき   平成18年11月3日(金)(竹ぼんぼり点灯 17:00〜21:00)

ところ  市営第2駐車場、八町大路周辺

◆前夜祭記念コンサート「臼杵で響いた音」  演奏   カテリーナ古楽器研究所アンサンブル
ところ  サーラ・デ・うすき交流ホール  19:00〜
※このほか臼杵市民合唱団の合唱などが行われます。

〜うすき竹宵〜
とき   平成18年11月4日(土)・5日(日)(竹ぼんぼり点灯 17:00〜21:00)
ところ  八町大路・町八町周辺

☆般若姫行列
4日(土)八坂神社 19:20(儀式19:00)⇒稲葉家下屋敷20:25
5日(日)稲葉家下屋敷  19:15(儀式19:00)⇒八坂神社20:25(終了20:40)

■06西都古墳まつり(11月4日〜5日)【宮崎県西都市】

■06-07-09消費者センター解説記念日。












































































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大本願十夜会・・・・・・・善光寺(長野市元善町) 。
■07-08-09-10玉神祭【新潟県長岡市、金峯神社】

■08酉の市(一の酉)(11月最初の酉の日)【東京都台東区 長国寺/鷲神社・新宿区 花園神社・他東京各地の神社】

秋の千部会・・・・・・専修寺(三重県津市)で11/5〜10日。 
■07上卯大祭・・・・・・・京都市・松尾大社。
十夜念仏・・・・・・・真如堂真正極楽寺(京都市左京区) で11/5〜15日。15日には詠歌講、稚児行列がある。

■06四天王寺わっそ・・・・・・・在日韓国・朝鮮人の祭り。

■信貴山の縁日だったか・・・・・・・・・・大坂の東部には天智天皇の頃に造られたと言われる山城址のある高安山(48
8m)があり、その東に信貴山がある。信貴山は北から南に雄岳(434m)、雌岳、そして前方後円墳の形をした南岳
(山名不詳)があり、其処に隣接して信貴山・朝護孫子寺がある。

御本尊は毘沙門天であり、四天王の多聞天としては北を司るとされている。高安山と信貴山は横穴式の古墳群が多い
が、この南岳が11/5←→5/7を指しているので、昔はこの日が縁日であったと推定する。其の主軸の先に鳥居が
あるが、其処までの途中に古墳状の丘Aがあり、緒上神社や信貴山城跡、其れにもう一つ古墳状の丘Bがある。

古墳状の丘Aから大門池を渡る橋が伸びていて、其の先に谷門池があり、其の先に本堂坂にまた古墳状の丘Cがあ
り、其れが11/11←→5/13を指していて、5/13の先にまた古墳状の丘Dがあり、此処を堂山と言い、生安寺と
薬師堂があり、其れに隣接して大狛神社(5/13を参照)がある。

此処は高麗系の神社とされているが、其れは高麗から渡来した、と言う意味と、或いは高麗に派遣された方と言う可能
性もある。この方からD→C→A→南岳と遡れば、明らかに和王の遷宮をしている以上、和人であると推定出来るから
です。

この主軸は乾と巽を向いており、其の前後には豊中市の東光院、逆方位には飛鳥坐神社がある(関連性は不明)。
麓の八尾市は元々物部氏の根拠地だった。其れが雄略天皇の時に志紀県主が弾圧されたと日本書紀に印されてい
るが、その後は聖徳太子も蘇我馬子と謀って物部守屋を倒すために四天王像を作って祈願した。

其の結果、物部氏を亡ぼす事が出来たとして摂津玉造に四天王寺(その後、現在地に移った)を建てた。そして太子は
祟峻3年5月に高麗の僧・惠慈の渡来により彼に師事して五戒を受けている。こうした経緯から見れば、此処は物部氏
に由緒の地区と推定出来るのです。

★パキスタンのイード・・・・・・断食月が明けたこの日、イスラム教で最大の祭り(イード)を迎える。日本の正月に当たる。






















































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★10飯能まつり(11月第1土曜〜日曜日)【埼玉県飯能市】

■09上卯大祭・・・・・・・京都市・松尾大社。

★10宇部まつり(11月第1土曜〜日曜日)【山口県宇部市】
★10西都古墳まつり(11月第1土曜〜日曜日)【宮崎県西都市】


















































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●06-09立冬・・・・・この頃、立冬であるが次項を参照。

方位と月日・・・・・古来、祭りは方位を基点とし、方位は八方を基準とし、此れを四方四隅(維)と言った。円暦・方位
では先ず真北を冬至と し、其処を基点として時計回りに一周する方位暦なので北東が立春に重なります。以下同様
に、真東が春分、東南が立夏、真南が夏至、南西が立秋、真西が秋分、西北が立冬、そして真北が冬至に重なる。

此れを古来「四至(時)・四立」とも言った。今の月日にすれば冬至と夏至が12/22と6/22となり、其の日から45日
後が立春(鬼門)と立秋(裏鬼門)で、2/5と8/6となります。そして冬至と夏至から91.5日目が春分・秋分(3/23
←→9/21)であり、其の137日後が5/7の立夏(巽)と11/6日の立冬(乾)となります。

ただ此れは方位に基づく円暦八方日なので、其れとは別の、星座によって天文台が行う今の西暦月日は毎年移動す
る(若干ズレます)ので、古式祭りは西暦ではなくこの八方から見なければ分からない。

■07-08-09-10保呂羽山の霜月神楽(〜8日)【秋田県大森町、波宇志別神社】・・・・・大森町の波宇志別神社の神楽。
神主・大友氏を斎主とした神楽。

■新潟・又倉神社の神事・・・・・長岡市の金峰神社。王神として大国主命と妃神二座を祭る。頭人の卜定がこの日の
夜に行われる。7/15日「金峰神社」も参照。

★09飯能まつり(11月第1土曜〜日曜日)【埼玉県飯能市】

■07-08-09-10いどり祭【石川県能都町、菅原神社】・・・・・・以下、http://homepage2.nifty.com/garand/harumin/
maturi/maturi_i.htm「春眠」石川県の祭りより引用。「いどる」とは、方言で難くせをつけるという意味。当番の町内で作
った直径1.2mの鏡餅に、他の町内の人々が難くせをつけ、神主が仲裁するという珍しい神事。

能都町鵜川の菅原神社、及び能都町ふるさと情報活性課076-62-2100

▲10酉の市(一の酉)(11月最初の酉の日)【東京都台東区 長国寺/鷲神社・新宿区 花園神社・他東京各地の神社】
★動画http://www.omatsuri.com/movie/1notori.html
 
景行天皇の命日・・・・・・・彼の父・11垂仁天皇は活目尊・活目入彦五十さち尊と言い、父・10代崇神天皇を斎祭った
が、纏向珠城宮にて垂仁/99西暦紀元70/7/3日(または7/14とする説もある)に崩御し、御陵在・菅原之御立野中也/
菅原伏見陵/菅原伏見東陵とある。

ただ今治定の古墳(尼ヶ辻の宝来山)ではなくて、本書では伝・仁徳皇后陵に葬られたと見ている。此のため彼12景行
天皇(大たらし彦おしろ別尊)は、命日の逆方位の1/2日方位に向かった。皇子たちは命日ラインに点在して父を祭っ
た。彼(大タラシ彦オシロ別)も十数人の兄弟の一人として別の宮で父を斎祭った。

やがて彼が12代・景行天皇となったので、纏向日代宮から志賀高穴穂宮に遷ったのである。景行は大垂日子として播
磨の国風土記に登場する。彼は播磨の印南別嬢(わきいらつめ)を誂(つまど)いして賀古の松原に遷宮した。彼女と
の間に皇子を生んだが、やがて彼女が亡くなった。景行は深く悲しんで日岡山頂に葬った。@

その後、日本武尊を追慕して東国巡幸に出る。東国から戻って伊勢に滞在し、翌年9月に纒向宮に帰る。其処から北
に向かって宇治を通過して琵琶湖の和邇に新宮・志賀高穴穂宮として、崩御の三年前にはこの志賀の宮に留まって紀
元130/景行60/11/7日に崩御した。130歳だった。

其処が御陵在・山辺道上也/山辺道上陵/山辺道上陵とされている。ただ今治定の古墳(伝・景行天皇陵)が彼の陵で
あるのか疑問とするので此れから吟味する。@

さて今、大津市穴太には高穴穂神社と言う所がある。そしてその北西部に比叡山ケーブル軌道が通っているが、その
北側に山名不詳の山がある。凡そ300mの山形も、また高穴穂神社からの命日方位とも略合致する。@

宮を守る意味から彼の妹の倭姫命が近畿各地を放浪した上で景行25年に伊勢の五十鈴川の畔に伊勢神宮を造っ
た。偶然にも彼の命日ラインであるが、彼の生前であるから死後の問題ではない。

ただ色々一致点がある。第一点として奈良の宝来山古墳(実は崇神陵)と和邇との位置関係が7/3---1/3のラインとな
る事、次に第2点として奈良の宝来山に対して此の和邇の先にも蓬莱山がある事です。此れは鎮魂の為の寺ではなく
て、垂仁の命日7/3の逆方位の1/2日の方位に当たるので、南に去った霊魂を北側で迎える意味からである。

ただ本論では、次の成務天皇の宮と陵も特定出来てこそ時代を通じて説明して実証する事になる。其の点で彼の崩御
によって其の二年後に第13代成務が此の志賀・和邇で即位して倭国の山辺の道上陵に父・景行を葬ったのだろう
か。そうではなくて先の高穴穂山である。

記紀では「山辺の道上陵」としているが、其れが天理市の渋谷向山古墳であるとしても、3/6の命日方位を黙示してい
るので合わない。従って其処は生憎別人を葬った所と分る。彼は志賀で崩御して近くの山に葬られ、志賀・和邇から彼
の命日・再生11/7---5/8ラインの上で祭られた。

其のラインを伸ばせば、京都府下の舞鶴市や丹後半島に向かう。逆方位は滋賀県の南東部から伊勢に向かう。

以下www.fujiclean.co.jp/story/vol08/part102.html 「水の話」から引用する。キノコが身近なところにたくさん生えるとい
うことは、人は古くから食料や薬用に利用していたはずです。「日本書紀」に「栗菌」(種類は不明)というキノコが応神天
皇に献上されたと記述されています。

また、一夜にして田にキノコが生えたため、景行天皇がその田の持ち主に「菌田連」という姓を与え、現在でもその地に
は「菌神社」が建っているところが滋賀県にあります。くさびらとは「傘平」が訛った言葉でキノコのことだとされていま
す。いまでも奈良県の一部ではキノコのことをクサビラと呼んでいます。

次にまたwww.geocities.jp/kmr_tds/kyoumi/ngannso2.htm 「元祖・近江」から引用する。近江で発祥(元祖)の菌の祖神
がある。菌神社(栗太郡栗東町字中沢にあって村社)に先年参詣して調べたが日本唯一の菌神社である。武田折命の
乳母が料田として賜った田に一夜にして菌が生えた。

それを聞いた景行天皇(第12代)が菌田連の姓を賜ったが後に竹田連と改めたという。菌はくさびらと訓じていたため
か、桃山時代にふたたび古名に帰り、菌大明神となっているという。

またwww3.ocn.ne.jp/~x484kok8/hyakuman1.html「土蜘蛛正統記」によれば、B,伊勢遺跡は、守山市伊勢町集落を中心
に広がる弥生時代後期の環濠集落です。集落内部では竪穴住居50棟以上(内5角形住居5棟)をはじめ掘立柱建物、
多数の柱穴、土抗、溝などが検出されています。

遺跡の中心部には柵で四角く区画された内側に床面積80を超える大型建物「主殿」を中心に形式の異なる建物群が
整然と配置された地点があります。この中心区画の西側70mには独立棟持柱建物(祭殿・床面積42)又東側の大洲地
区では同じ形式の大型建物が2棟が有った。

更に南側130mの地点(栗東町野尻遺跡)では屋内に棟持柱のある大型建物1棟が発見されるなど、遺跡の中枢部や
その周辺に大型建物が集中している。恐らく、これらの地点が政治や祭祀を行う重要な場所であったのでしょう。

伊勢遺跡は近江の同時代の集落と比較しても規模や内容で群を抜いていて、2〜3世紀の「クニ」を納める王が住まい
していた中心的な集落であったと考えられます(現地説明会の資料館での展示パネルより)。
彼・景行には多数の子供がいた。

古事記にある皇子が21人、その他の記録による皇子が59人、合計80人もの皇子・皇女がいた。彼らは父の命日・再生
ラインの軸上に点在して父を祭った。日本武尊は既に亡くなり、宮には稚足彦(成務)が残り、五百野皇女が倭姫命に
代って伊勢に居着いた。

こうした遷宮と言う方便、或は祭り事と言う大義名分によって、大和朝廷は各地に皇子を天下りさせて其の地を屯倉
(宮家)として没収し、更に各地の王に白羽の矢を撃ちこみ、彼の娘を宮へ召し上げて人質とし、結果として大和の暦法
と冊封体制に組み込んで覇権を拡大した疑いがある。

よって当時の朝廷をタラシ王朝とも言う。彼・景行も和名では大タラシと呼ばれた。そして以後の時代は、所謂「倭国大
乱」時代に入る。いや、藤原京のような都は唐の長安に習って中央集権化し、やがて大都市に発展するものの、腐敗
が止まらず問題山積の現代社会にした。

其れに比べて此の時代の日本の遷宮は、各時代に皇子たちを放射状に若宮として派遣して地方に点在させた。其れ
は点と線で、遷宮とかもしくは旋宮と言うような方式で聖化を広げて地方の活性化を図ったとも言える。何れにせよ、彼
の後は正式な祭り事は行わず、各地で勝手に墳墓の祭りを行って正史として残らなかった可能性もある。

其の点で例えば藤井寺市の津堂城山古墳も彼の陵の候補地とする事が出来る(詳しくは「6/11成務・2/15応神」の各
項を参照の事)。

以下、09/6/12日に「ヤフー知恵袋」で回答した一節を載せる------古墳上に神社/祠が建っているような古墳は、其
処が例祭の場でもあったからです。何故、古墳の上に神社/祠が建っていて、例祭をしていたのか、と云えば、墳墓は
単なる死者の埋葬場ではなくて、死者がやがて蘇ってくる時の場として設計されていたからです。

神社/祠だけではなく、江戸時代までは寺もありました。寺に各々山号があるのは、墳墓を背にして菩提を弔う役割が
あったからです。神社/祠のケースでは例えば、大阪の羽曳野市に津堂城山古墳があって、その後円部の下に今も八
幡神社が有ります(昔は頂上部にもあった)。

此処は市が買い取って公園にするために掘り返した時に水鳥の埴輪が出土した。墳墓の由来は、ヤマトタケルの父の
景行天皇が11/7日に崩御して此処に葬られた。その後は城として改造された為に今は変形していますが、広い周濠が
有りました。命日が11/7日なので、その逆の時期の5/7日には例祭をしていたものと思われます。

ただその後に此処には城が出来て、城を守る意味から武神としての八幡神社となったので、他の八幡宮と同様に、旧
来は8/15日に例祭を変更したものと思います。でも、此処では5/7日に日迎えの例祭をしなければ、景行天皇の祭りに
はならないのです。

日本の祭りでは命日から49年間は弔いの為の鎮魂の祭りをして、50年目からは日迎えの祭りをしました。何れも皇族
は参列者が多いので、3段くらいの雛段上に貢物を並べ、また幾重もの周庭帯には多数の参列者が並ぶように築造さ
れていました。更に祭りでは古墳の前方部から、その方位に行列をしました。

津堂城山古墳の場合は、その軸上に進めば、彼(景行天皇)の孫の、応神天皇が誉田別命として即位した誉田の宮に
至ります。天皇の新宮は、墳墓の祭りのために存在したのです。

因みに景行天皇陵については、既に宮内庁が天理市の渋谷向山を治定していますが、まだ伝承の一つに過ぎません
し、墳墓は何時の時代も複数あっても矛盾ではない(皇子たちが各々の地で造ったから)。

★09西都古墳まつり(11月第1土曜〜日曜日)【宮崎県西都市】















































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●07立冬(24節気)。
★09松尾芭蕉祭・全国俳句大会(11月第2日曜日)【宮城県松島町、瑞厳寺・松島海岸】

■白虎隊・・・・・・明治元年9/24(グレゴリオ暦の1868/11/8)、会津若松・飯盛山で自刃の墓前祭(実際の催し
日時は不明)。

ふいご祭り(たたら祭)  新潟県与板町・他 11月8日前後★動画http://www.omatsuri.com/movie/fuigo.html
縁日・・・・・・・日蓮寺(千葉県小湊町)。

■花祭・・・・・・・愛知県北設楽郡東栄町の熊野神社など、この地方では霜月祭りを由来とする花祭りが行われて来
た。旧暦で霜月の祭りをする中で、改暦などでバラツキが出て、この日から翌年の一月に掛けてバラバラに行うように
なった。此処、熊野神社の場合、2003年のこの日は立冬に当たる。

つまりこの祭りは節分と同様、様々な鬼が出て行う祭りであり、先ず大釜に湯を立て、やがて榊鬼や朝鬼などが夜を通
して舞う外、茂吉と言う鬼はへんぺと言う呪術的な歩き方で四方を巡る。締めくくりは周りにその湯を振り掛ける湯囃子
となる。国の無形文化財。

鍛治祭・・・・・・・千手院(岐阜県)。
■07-08-09-10ふいご祭【岐阜県関市】

■10ふいご祭(お火焚祭)【京都市伏見区、伏見稲荷大社】
■例年-かにかくに祭【京都市東山区、白川巽橋際】

夢窓国師忌・・・・・・・・銀閣寺〔慈照寺〕(京都市左京区)。 
■09京都空也堂・開山忌。

■知恩院の開扉法要・・・・・・・知恩院は徳川家康親子の三像が御影堂(国宝)に祀られており、徳川家の菩提所とされ
て来たが、家康の命日は1616/4/17である。@

つまり本来、この日は命日の裏正面に当たる祝いの祭りがあった筈である。何れにせよ、知恩院では家康の没後400
年に当たり、家康の法要に伴う開扉公開としたもの。

明恵上人・献茶式・・・・・・・・高山寺(京都市右京区)。

■例年-ふいご祭(お火焚祭)・・・・・京都市の伏見稲荷大社で、秋の豊作を感謝する祭り。先ず稲ワラを供えて焚き上
げ、次に1.5mの高さに積み上げた護摩壇の杉檜の枝に点火して奉献された火焚串20数万本を焚き上げ、大祓い祝詞
を上げて五穀豊穣や家業繁栄を祈る。

伏見稲荷ではこうして火と煙りで此の時期に神を山へ送り、翌年の春にはまた里に戻って頂くと言う。尚、鍛冶屋はこ
の日に「ふいご祭り」として仕事を休み、鞴を清めて祝った。

また火焚祭は11/9に貴船で、10日には五条天神、15日は諸所の八幡で、16日には諸所の神明社で、22日は広
隆寺で、25日は北野社、第一午の日は祇園社で、各々行われる。

★09嵐山・紅葉祭・・・・・・・・京都市右京区、嵐山で11月第2日曜日。

■06-07ふいご(鞴)祭り・・・・・・大阪・天王寺区の生玉(生国魂)神社の末社の鞴神社の祭り。ご祭神は天目一個神・
石凝矛売神・火之迦具土神であり、引き続き11/12日には火生彦霊神・水はのめの命・埴山比売神を祭る鎮火(ほしづ
め)祭がある。また6月と12月の晦日は八街(やちまた)比古・同比売神・久那土の三神を祭る。

尚、本社の夏祭りは7/9日、例祭は9/9日。 

●たたら祭り(ふいご祭り)・・・・・鍛冶屋の祝い日であり、稲荷のお火焚きの日。地方によってはふいご祭りとも言いま
す。鍛冶屋を始め火を扱う金属工業者、飾り職人、時計師、箔打ち師、石工、屋根屋、理髪店などが 祝日にして仕事
を休み、畳を敷き替え稲荷に参り、神棚に蜜柑、赤飯、餅などを供えて祝います。

以上はhttp://www.echizenya.co.jp/life/nov.html#top「大阪仏壇仏具センター」より引用。

★09赤穂ふれあいの森もみじ祭り・・・・・・・赤穂市/赤穂ふれあいの森、高雄山及び周辺(赤穂市有年横尾)]。08.11.
23(日・祝)、09年は第2日曜日。農産物の直売や芸能活動発表、木工教室等も行われます。※雨天決行!
問合せ/赤穂市農林水産課 Tel0791-43-6840

更に赤穂では07/11/4日(日)に「赤穂 でえしょん祭り」をしている。


▼08出雲大社神在祭(〜14日:旧暦10月11〜17日)【島根出雲市県大社町、出雲大社】
■06防府天満宮御神幸祭(裸坊祭り)(旧暦十月十五日に近い土曜日)【山口県防府市、防府天満宮】

■06-07-09世界都市計画の日。

























































11/ 9  


★08松尾芭蕉祭・全国俳句大会(11月第2日曜日)【宮城県松島町、瑞厳寺・松島海岸】
★06酉の市(一の酉)(11月最初の酉の日)【東京都台東区、鷲神社・新宿区、花園神社・他東京各地の神社】

■大政奉還の日・・・・・・・幕末の慶応3/10/15(1867/11/10)、最後の将軍・徳川慶喜が前日に大政奉還を
上奏したのが本日勅許となり、旧暦24日には将軍職の辞職を請う事になった。

西山派降誕会・・・・・・・永観堂(京都市左京区)。 
★08嵐山もみじまつり(11月第2日曜日)【京都市右京区、嵐山】

■07-08-09-10別府岩戸神楽舞【山口県秋芳町】



06-07-09太陽暦・採用記念日・・・・・明治五(1872)年のこの日に、この年の12/3を新暦の明治6年元日とした。
ただ太陽暦と言っても、春分点から春分点に一巡する星の巡りを基準とした洋式の暦法であり、その正体は数字式の
カトリック教の恒星暦でした。

06-07-09「119番の日」。         



















































11/10  以下、次ページへ続く。・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

■「神々の歳時記」の各項目のご理解には「366円暦」が必要です。円暦は別紙の「日読み1」http://toki.mikosi.com/
page044.htmlで公開していますが、其の実物を希望される方は末尾に従ってご請求下さい。

■尚、各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年06-07と追加する形で示していますので、
*開催日等の詳細には主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。

■「神々の歳時記」に記した例は仮説ではなくて、太陽暦に重ねて古式祭による祭政一致を行っていた古からの日本
文化の原理です。其の具体例を今回、公開したものですが、海外への情報流失防止のため、特に「本文」については0
4/11月から「非公開」としました。

■@マークの付いた以下の部分が「非公開」部分です・・・・・・・@マーク以下には「地理・方位の具体例と其の意味や
暦との関係式」などの詳細を隠しています。この隠れた部分の資料をご希望の方は、「メールフォーム」または「掲示
板」からコンタクト下されば実費で郵送します。

■文中に誤記や間違いがありましたら、恐れ入りますが前項の方法で下記まで御一報賜れば幸いです。尚、参考文献
は巻末に記しました。  


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11月中旬
11月中旬
・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
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