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http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」  p143  (未定稿) 


  神々の歳時記      10月初  但し方位による
次は
10月上旬
10月上旬
または
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・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起
の意味を解説し、方位から正当性 を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」メルマガ全国版
http://www.omatsuri.com/mailmag/

及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-10月」より一部引用・転載させて頂きました。

■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記
には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の
詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。


神々の歳時記・10月初 ・・・  ・・・  ・・・ ・・・ ●●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★



10/ 1  


■新湊曳山祭り・・・・・・・富山・新湊市で。
ぷどう感謝祭鳥居焼・・・・・・・大善寺(山梨県勝沼町)では柏尾山の中腹で鳥居形の火焚を行う。
■06-08-09-10瑞饋(ずいき)祭(10月1日〜5日)【京都市上京区、北野天満宮】

■90亀山法皇の命日・・・・・9/15を参照。
天武天皇の命日か・・・・・・・彼は飛鳥浄御原宮にて朱鳥元(686)年、旧暦の九月戊戌朔丙午、即ち9日に崩御され
た。此れを旧暦だから、即ちユリウス新暦で10/1相当になると解釈するのが一般的ですが、そうではない(9/9日を参
照)。

彼は藤原京を造営途中で崩御したので、其の遺志を引き継いで皇后の持統天皇が完成した。彼女は先帝を大内陵に
葬った。だが、其れを今は明日香村の「天武・持統天皇合葬陵」として治定している。@

★06池坊・華道展・・・・・・彼は遣隋使として、あの「日出処天子」の国書を持参した外交官であった。ただ文献上、生没
年月日が不明であるが、大阪南部の太子町には小野妹子墓と言われる前方後円墳がある。しかし此の塚の主である
かどうかは疑問視されている。

ただ彼は、仏前に花を供えたと言う伝承を伝える事から華道の祖と言われ、其の流れをくむ池坊が1400年を記念して
太子町と合同イベントとしたもの。

■06桜井神社の「こおどり」・・・・・・堺市泉北地区の当社で例年10月第1日曜日頃に行う、鎌倉時代の丹塗りと白壁造
りの拝殿(国宝)の前で無形文化財の「こおどり」鉦や太鼓で踊る素朴な古典芸能(国選択・府無形文化財)。此れは
元々ニワ(上神谷)地区の「雨乞い」踊りから始まったとされていて、鉢ヶ峰の国神社に伝わる芸能。

ヒメコと呼ばれる魔除けの紙花を挿した竹籠を背負った鬼神と三尺棒を持った天狗など総勢18人が、鉦(かね)と太鼓の
音に合わせて演じる。当日は国神社で先ず奉納し、道歌を歌いながら練り歩き、桜井神社へ向かいます(一部は06/10
朝日・大阪風物詩より引用)。@

■06広八幡神社・秋まつり・・・・・・和歌山県広川町。
■10印南祭(〜2日)【和歌山県印南町】
★06くえ祭・・・・・・和歌山県日高町。10月、第一土日。

大護摩会・・・・・・・伽耶院(兵庫県三木市)。 

■07みあれ祭・・・・・・・福岡・大島港の海〜広海町・神湊港。 
■07-08-09-10海上新幸祭(宗像大社みあれ祭、放生会)・・・・・・・福岡県宗像市玄海町・大島村、宗像大社で10月1
日〜3日。以下、http://kyuusyuu.jugem.jp/?cid=9「九州・沖縄情報」から引用する。

---場所:福岡県宗像市沖の玄界灘---問い合わせ先:宗像大社=0940(62)1311
豆粒大に見えていた無数の船が、色とりどりの大漁旗と紅白の吹き流しを掲げ、白波をけだてて押し寄せてくる。その
数、約400隻。目前に繰り広げられる海上絵巻に思わず息をのむ。

毎年10月1日、福岡県玄海町沖の玄界灘で行われる「みあれ祭」。同町などに鎮座する宗像大社の秋季大祭序幕に
あたる行事で、「みあれ」は漢字をあてると「御生(みあ)れ」。神様は毎年生まれ変わるとされ、それを意味する言葉だ
という。同大社の祭神は、天照大神の子である宗像大神(辺津(へつ)宮、沖津宮、中津宮の三女神)。

同大社は玄海町田島と、玄界灘に浮かぶ同県大島村の2カ所に、計三つの社がある。田島には辺津宮、大島村の沖
ノ島に沖津宮、同村の大島に中津宮がそれぞれまつられており、年に一度生まれ変わって一堂に会するため、島の二
神が海を渡ってくる旅―それがみあれ祭だ。

今年も十月一日午前八時半、沖津宮と中津宮の両女神をそれぞれ載せた神輿(みこし)が二隻の漁船に移される。
「御座(ござ)船」と呼ばれる。それらの後ろに「供奉(くほう)船」約400隻が縦10列に並ぶ。花火を合図に、大島の大
島漁港を出港。宗像七浦の漁師が舵をとり、神湊港を目指す。

陸では辺津宮(へつみや)が待ち、出港から約1時間後、三女神が出合うと祭の幕が下りる。起源は、中世に行われて
いた御長手(おんながて)神事といわれ、当時は、沖ノ島に生い茂る竹に紅白の布をつるした神の象徴を、数隻の船で
辺津宮に迎える簡素な儀式だった。

中断した時期もあったが、1962年に復活。海の安全と豊漁を祈願して盛大に催されるようになった。大島港から神湊
港までの海上をパレードする「みあれ祭」。見物に適した場所は、神湊港一帯。広く見渡したければ港そばの高台にあ
る宗像大社の頓宮周辺がおすすめ。以上、「九州のお祭り 」から引用。

また07/9/21日のテレビ大阪の番組で沖ノ島を紹介した。此処は縄文時代からの宝の島であり、宗像大社には8万点
の国宝があると言う。徹製品が多い。此れは海人(わだつみ)族のものとされる。地元では島からは草木1本持ち去っ
てはならないとした上で、島の事で見た事、聞いた事も口外せず、「お言わず様」として護って来たと言う。

今でも女人禁制。上陸する場合は誰もが事前に全裸で海に入って禊をする習わしである。沖ノ島には巨大な岩が有
り、神の依り代とされている。この島の御祭神は田心媛。中津島はタギツ媛、辺津宮は市杵嶋媛としている。以上を宗
像三女神と言う。



■06-07-09北海道・一般鳥獣狩猟解禁。    ■06-07-09労働衛生週間。     ■06-07-09法の日。    
■06-07-09共同募金。     ■06-07-09都民の日。   ▲06亥の子餅。  ▲06八専終わり。






















































10/ 2 日 


天海大僧正の命日・・・・・・・彼は会津の芦名氏、天台宗の僧侶で比叡山では南光坊と称し、周易にも通じて山王一
実神道を興し、江戸崎の不動院に住持して、その後に天海と改め、家康、秀忠、家光の三代の信認を得て大僧正とな
り、日光東照宮を造営し後に家光の快諾を得て江戸城の鬼門に東叡山・寛永寺を建てた。

寛永20/10/2=G.1643/11/13日・遷化(108歳とも)して諡号に慈眼大師を賜った。彼は怪僧とも見られているが実は
当代随一のヒジリだった事が以下により分かる。彼の業績は色々挙げられようが、日光東照宮のような箱物造りより
も、もっと大きなスケールの遺跡を残している。

例えば家康の日光参道として凡そ五間(9m)幅の道路を日光から水戸までの約100kmに及ぶ長さで通していた事を
今でも確認できる点である。此れは空海の高野山へ向かう東西中の各々細い高野街道や東海道53次より遥かに大
規模であり、当時の土木事業のスケールに驚く。

のみならず、この並木道が村人や軍隊が通行するためのものではなくて、単に家康と家光公の年に2回の仏事と祭り
の大行列が何処でも同時に行き違える幅を取った点にある。とすれば其れが戦争や武力の行動のためではなく、モノ
カネ主義経済の産業道路でもなく、祭り事重視の政治姿勢の強調からだったと分かれば驚愕するしかないのです。

さて彼の墓地は日光の大黒山にある@
更に言えば川越大師?喜多院がある。ただ此処はグレゴリオ暦で設定されている。@

また07/3/3テレビ大阪の番組から引用すれば、光秀(7/12参照)と同一人物との説もある天海と初対面の時に、春日
の局は「お久しゅう御座います」と挨拶したと言う。実際、天海は彼女を引き立てたと言う(9/15お江与を参照)。天海に
ついて大阪・本徳寺文書がある。また叡山・長寿院には光秀銘の灯篭がある。

其の灯篭には、光秀の死後の1615年に光秀が寄進した事になっている。死後、彼は南光坊天海と称し、世に出て家康
に仕えたとも推定出来る。光秀と天海の筆跡鑑定でも似ている。天草四郎も実は秀頼の子と言う説もある。春日の局
は「豊臣を根絶やしにする」と言ったと言い、其の通り原城も徹底して破壊された。

また日光東照宮の鐘楼には明智の桔梗紋が散りばめられている。鼓楼は「世の始まり」を意味し、鐘楼は「世の終わ
り」を意味すると言われる。つまり、此れは、「世の始まりから終わり」まで、明智が支配する黙示であると言うのだ。

■08ほうらい祭・・・・・・石川県鶴来町日詰町の金劒宮で10月2日〜4日。各町から造り物と獅子舞が。名物の造り物
は高さが5mもり武者人形などが題材。ほうらいとは神輿を担ぎ上げる掛け声に通じている。07619-2-1111鶴来町商
工観光課。「春眠」石川県の祭り http://homepage2.nifty.com/garand/harumin/maturi/maturi_i.htmより引用。

■10武生の菊人形(〜11月7日)【福井県武生市、武生中央公園】
■06-09京都・北野天満宮・・・・・・・瑞饋祭(1〜5日)。 

■鳳大社・・・・・・・・堺市。昔はこの日に鳳大社・浜宮祭りが有って大変な賑わいだった。其処から今も毎月2の日が縁
日で賑わう。ただこの10月は浜宮祭りを10/5日としている。

■09田辺の弁慶まつり・・・・・・・和歌山県田辺市、第23回「弁慶まつり」。弁慶ゆかりの闘鶏神社で行われる、弁慶伝
説に基づく時代祭り。弁慶は各地にも生誕伝説地があるが、その第一が田辺であり、源平合戦への出陣の様子を再
現した2日の演劇弁慶伝説は圧巻。

3日は市内各地で凡そ1200人が「紀州弁慶よさこい踊り」、物産テント市など盛大な催しと、アオイ通り〜大通りでは、
「弁慶ゲタ踊り」、「よさこいパレード」をして練り歩き、夜には田辺花火大会が行われる。闘鶏神社・田辺大通り・扇ケ浜
ほか。問合せ先0739-22-5064(田辺商工会議所) 。

本日の夕暮れから田辺市湊の闘鶏神社の境内では篝火を焚いて、演劇「弁慶伝説〜熊野水軍絵巻」が上演される。
弁慶と恋人の玉虫、義経らが、境内一杯に集まった観客を魅了する。

此れは約800年前、武蔵坊弁慶と父・熊野別当湛増(たんぞう)が率いる熊野水軍が、白と赤との闘鶏により占って神意を
確かめ、牟婁の江(田辺市扇ケ浜)から出陣し、源氏を勝利に導いたという伝承を再現する。

物語の終盤、弁慶が薙刀(なぎなた)を持って舞う場面や、熊野水軍の出陣を前に気勢を上げる場面で、弁慶が迫真の演
技を見せる。翌日は扇ケ浜や田辺大通りの会場で、恒例の紀州弁慶よさこい踊りや弁慶ゲタ踊り、商工物産展などが
催され、会場周辺は祭りムード一色になる。

■本宮・献湯祭・・・・・・・熊野本宮。

■吉備真備の命日・・・・・・姫路市に広峯山と書写山・円教寺がある。前者は彼が勧請した神社であり、京都祇園の元
宮と言われる。後者は花山天皇以来、摩尼殿(如意輪堂、昭和8年再建)があって西国33ケ所観音27番の札所とし
て6本の手を持つ如意輪観音を本尊とする。ほかに四天王(重文)があるが共に秘仏。

1月18日の鬼追いの日のみ一般に公開される。だが謎の寺である。書写山も境内もほぼ吉備真備の命日方位に延
びている。ただ命日が宝亀6/10/2日とあるものの此の頃は暦法が色々で混乱する。壬戌日としても775/9/2、グレゴリ
オ暦11/3、ユリウスでは10/30日となるのです。彼は83歳でなくなった。

姫路市の薬師・増位山・隋願寺(有明城跡)と広峯山とを繋ぐ山道がなだらかに続くので此処も関係するかも知れず、
広峯山には白幣山に荒神社と吉備神社があるので、此処も関係があるかと思われる。

海上神幸祭・・・・・・・福岡・玄海町10/1日〜3日まで。宗像三女神、つまり弁天様を祭る宗像大社の恒例行事・秋季
大祭・ミアレ祭りで、放生会とも言った。宗像大社は、皇室の御祖先である天照大神の姫神様をお祭りしています。こ
の三女神は田心姫神、湍津姫神(たぎつひめかみ)、市杵島姫神(いちきしまひめかみ)。

沖ノ島の沖津宮には田心神、大島の中津宮には湍津姫神、田島の辺津宮には市杵島姫神がそれぞれ、祭られてい
て、この三社を総称して宗像三神・宗像大社と言います。

特に沖津宮のある沖の島からは鏡、勾玉、金製指輪、など約10万点にのぼる貴重な国宝、重要文化財が見つかっ
た。これらの宝物は国家の繁栄と、海上交通の安全を祈る為にお供えされたものであり、その内容や規模の大きさか
ら、沖ノ島は別名「海の正倉院」と言われています。「宗像観光協会案内」より。

宗像大社の秋季大祭に先立ち、9月中旬に大島より御座船を仕立て沖ノ島の沖津宮に向い、まず、田心姫(たごりひめの
かみ)の御神璽を大島の中津宮までお迎えする「沖津宮神迎え神事」が斎行されます。そして10月1日に大島の中津宮
より神湊(こうのみなと)まで、沖津宮と中津宮の神輿をお運びするのが、海上御幸「みあれ祭」です。

1日から多数の漁船の群れが神を迎えに海上に繰り出す。長い幟を付けた船が御座船で、それをお守りしながら進ん
で行く400艘からなる船団はとても勇壮です。神湊では辺津宮の神輿がお出迎えになり、一年に一度、三宮の御神璽
がお揃いになります。

此の祭りは、古くから行われた御長手神事(長い竹に布を付したものを神の印として辺津宮にお迎えした神事)を再興
したものです。尚、沖ノ島は無人島で、今でも女人禁制です。男性でも島に上がる時には”みそぎ”をしてから上がって
います。

因みに大島から沖ノ島への円暦方位は11/1日〜4日であるが、2003の旧暦は10/8日〜11日である。尚、此処では逆
の時期の4/2日に春季大祭がある。












































10/ 3  

            
▼09十五夜。

■三宅島の噴火・・・・・・・S58年の今日、三宅島は最大規模の噴火に見舞われたが旨く避難出来たために死者・不
明ゼロだった。阿古地区の上に90ヶ所の火口が出来ていて家屋の全壊が428棟となl、火山灰が1mも降り積もっ
た。噴火は災難でfあるが噴火があって助け合いが続いているため三宅島の島民は纏まり、共存していると言う。

■08-10田立花馬祭り(2007年は9日)【長野県南木曽町】・・・・・・・長野・南木曽町。細長く割った竹に五色の色紙をつ
けた「花」に3頭の木曽馬を飾って、氏子や小中学生の笛、太鼓と一緒にJR中央本線・田立駅前から同神社までの地
区内を練り歩きます。詳細は右記のURL http://www.nagiso-town.ne.jp/

■ほうらい祭り・・・・・・・石川県鶴来町日詰の金劔宮では二二ギを祭り、10月の此の頃は「ほうらい祭り」をする。岩手
紫波町にも日詰の地があり、9/4には志賀理和気神社の例大祭「日詰まつり」である。無論、日詰の両社の関連性は
不明だが方位関係では8/13--2/12であり、此れを旧暦と見れば西暦の9月や3月に祭りをする事になる。

だが10月の此の「ほうらい祭り」は前田利家公の祭りである。彼は慶長4/3/3薨去、金澤の尾山神社に祭られた。其れ
を旧暦とすれば4月に弔い10月に祭りとなる。

★09ほうらい祭り(10月第1土曜〜日曜日)【石川県白山市鶴来地区】
07-09武生の菊人形(〜11月4日)【福井県越前市、武生中央公園】

■07-09京都・北野天満宮・・・・・・・瑞饋祭(1〜5日)。 
京都・月読神社の例祭・・・・・・・西京区松室山添町。以下http://kamnavi.jp/yamasiro/kadotuki.htm葛野坐月読神社
由緒から引用する。

山城国葛野郡の式内社。創建の由緒が『日本書紀』に記されている。顕宗天皇三年(487年)阿閉臣事代、命を衝け
て、出でて任那に使す。是に、月神、人に著りて謂りて曰はく。 「我が祖高皇産霊、預ひて天地を鎔ひ造せる功有しま
す。民所を以て、我が月神に奉れ。 若し請の依に我に献らば、福慶あらむ」とのたまふ。

事代、是に由りて、京に環りて具に奏す。 奉るに歌荒樔田を以てす。歌荒樔田は。山背国葛野郡に在り。壱伎県主の
先祖押見宿禰、祠に侍ふ。とある。壱岐郡の式内の名神大社に月讀神社が鎮座、(名神大)、祭神は中月夜見尊、左
月弓尊、右月讀尊とあり、 対馬の古族が日神、壱岐は月神を祀ったのは亀卜と関係しているとのことである。 

壱岐の豪族であった安倍氏は後に中臣氏と祖先を共通としたようである。また京都の当社は松尾の南の山頂に鎮座し
ていたのを桂川辺に遷座させたが、大水などがあるようなので、現在地に遷したようだ。本殿向かって左側に御舟社の
小祠があるが、背後の山は舟の形に見えなくもない。

元々、月神を船神として祭ったのか、 また月神も舟で運ばれるものとして祭られたのか、関わりの深さを感じる御舟社
である。旧鎮座地の歌荒樔田については『京都名所図絵』によれば、「松尾橋より南で、桂川右岸の月読塚の場所(桂
上野町)や、桂の里(下桂村)、下嵯峨斎宮神社などが候補。 

当社の領地であるが、山城各地に禰宣田が分布、また山林や松室に屋地のほか、松尾前の河原田方五町余(梅木原
二段を含む)とあり、この比定地としては、大井川沿いに字河原町、字川原町の名が見えるように松室から桂上野にか
けての地域と思われる。要は移転前の鎮座地周辺と言えよう。歌荒樔田を月読塚の位置とする一つの根拠となろう。

▼09観月の夕べ(10月2〜4日:中秋の名月の日)【京都市右京区、大覚寺】

▼09采女祭(10月2〜3日:中秋の名月の日)【奈良市】
光明真言土砂加持法要・・・・・・・西大寺(奈良市西大寺町)では10/3〜5日に光明真言を誦し、1日3回厳修する。

■08橿原神宮・秋季大祭・・・・・・・奈良県・橿原市の橿原神宮で行われる。橿原神宮は明治23年に新設された歴史
の浅い神宮であり、特に近年の歴史家は誤解によって「神武天皇は存在しなかった」とする偏見から、此処は単に国家
神道の権化として常に批判の的にして来た。

だが、それらは渡来系御用学者やGHQ指令の犬学者の恥ずべき偏見イデオロギーであるから無視して良い。何れに
せよ此処は神武天皇の柏原の宮跡に因み御陵※の修復と共に新設された宮ではあるが、先ず4/3に神武天皇の崩
御の日に因み、大和の地方では「神武さん」と親しまれる「神武祭」がある。@

其れに対して本日の恒例の大祭は正に故人としてのイワレヒコを神として迎える大祭である。

大津皇子の命日・・・・・・・彼は天武天皇の第三の御子として生まれて詩文に優れ、未来を期待された方だった。彼
に関しては普通、「新羅の僧・行心の妖言を信じて俄かに反を謀り」と解説されて来た。だが実は、彼の姉(大来皇女)
が伊勢斎宮で斎王として仕えていた(ヒジリ事典を参照)。 

なので、その姉に会うため伊勢に近づいた事が災いして、持統天皇の朱鳥元(688)年の10/22己巳(または10/3日)、
謀反の疑いで皇子(彼)以下30余人が逮捕された。無論、張本人の僧・行心も掴まったものの、持統天皇は「彼に罪を
問うのは忍びず」として許し、飛騨に飛ばしただけだった。

問題は別だったのだ。問題の第一はこの姉弟が継子だった事と、第二の理由は、当時の伊勢は、天皇以外の者が行
ってはならない聖域(禁則地)であり、従って天皇の主祭権を犯せば皇子・皇族であろうと反逆と見なされたのである
(神宮の祭祀権は天皇独占制だった)。

よって、この日「をさだ(譯語田)の舎に賜死らしむ」。時に24歳。父(天武)が崩御した直後の不幸だった。この日、山
辺の妃・皇女素足にて走り、殉死し、其れが世間の同情を誘った。やがてこの重大事件が伊勢の姉(大おおくの皇女)
にも届き、急ぎ彼女は11/16日に京師(藤原宮)に戻った。そして二上山に向かって悲しみの歌を詠んだ。

翌日この地・京師も震えた(地震となる)。二上山には現在、彼を祭る神社が建っている。また名張には大来皇女が居
付き祀った夏見廃寺がある@








■だんご茶会・・・・・・・大阪・玉造稲荷神社で。

▼09百舌鳥八幡宮・秋祭り・・・・・・・・堺市もず(百舌鳥)赤畑町に鎮座の百舌鳥八幡宮では毎年旧暦の8/14-15日が仲
秋祭(月見祭)で、中秋名月に近い土・日曜日、2009年の場合は10月3日、4日、そして2010年は9/25-26の土日に「ふ
とん太鼓」が繰り出す。氏地の八町、九町の氏神として昔も今も町民の信仰を集めている。

ただ此処ではこの宮の祭りの模様ではなくその由来を述べる。http://www.for-you.co.jp/tour_sakai/back_no/
hatumode/hatumo.htmによれば、----欽明天皇(在位532〜571)の時代に八幡大神の託言によって、応神天皇を祭っ
たのが当社の創起として、応神天皇の他に、仲哀天皇、神功皇后、住吉大神、春日大神を祭神として祭っている。

---としています。其れとは別に、此処では先ず近くの墳墓から解説します。@御廟山古墳(祭10/1日---命日4/2日)の
西端の前方部の岸に立って此の古墳に面して正対すれば、即ち東に面する事になり、同時に被葬者の命日4/2日・方
位に向かっている事になる。

更に此の御廟山古墳の主軸の先に此の百舌鳥八幡宮があって、此処は各地に八幡宮が出来る遥か以前から存在し
た事が伺える一例として、応神天皇の母である神功皇后が此処を訪れたと言う伝承がある。従って御廟山古墳は近く
の仁徳天皇陵よりも以前に造られた古墳と分る。

さて、百舌鳥八幡宮の神紋はと「二つ巴」である。「二つ巴」は陰陽紋と似ている。ただ此処の橘は三つ葉に三方剣、
中に×と上下に2点と言う珍しい神紋である。そしてその本殿はA南に面していて、本殿の南面方位はA12/17.5---6/
17.5日である。

略南に真っすぐ向かう参道には一の鳥居と二の鳥居が立つが、その先には一体何があって、果たして何時、どのよう
な神が降臨するのだろうか?(その先に野々宮神社、更に多治速比売神社に向かう)


     
(撮影09/6/20日)

其の先に進めばB御陵山古墳(命日4/8日---祭10/7日)の主軸と交わる。よって此処は、御陵山の被葬者の若宮とし
て仮に「百舌鳥の君」がいたとしよう。彼が此処に居着き、此処で亡くなったので百舌鳥八幡宮に祀られた可能性があ
り、よって今も此処は古墳状の高台にある。

従ってこの宮は、先の@御廟山古墳の被葬者と、後のB御陵山の若宮との二座を葬った墳墓か、或いは二座を祭っ
た宮の可能性がある。そうした由来もあってか、隣接地には今も毘沙門を祀る万代(もず)寺と地蔵信仰の尼寺・光明院
などがあり、http://www.boreas.dti.ne.jp/~npeiji/magvol12.htmlによれば、かつては

-----欽明天皇の時代(在位539〜571年)に8ヶ寺、社家360人、神領寺領八百町歩を領するまでになった(以上引用)。




次に具体的に方位から見よう----祭10/1日・方位-----伝・履中天皇陵の後円部北端(命日1/16の仁徳天皇)-----寺
山赤山古墳---@御廟山古墳---百舌鳥八幡宮---光明院---堺市菩提町1-2-3丁目----命日4/2日方位となります。

次のBは、祭10/7日---A御陵山古墳---命日4/8日である事を主軸が明示している。
であれば、ヤマトタケルの妾(みめ)として、相模の海に身を投じた弟橘姫(命日が西暦110/10/7日)、及び仁徳天皇87(西
暦399)年10/7日、履中天皇の命により次の反正(多冶比ワケ)天皇により殺された住吉仲皇子の可能性もある。

ただ住吉仲皇子については4/10日の「イタスケ古墳」で解明したので、此処は先の弟橘姫と確定出来る。
因みにグーグル地図はhttp://maps.google.co.jp/maps?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&

注:御陵山古墳(ニサンザイ古墳)は、昔は「反正天皇の空墓」と言われ、周濠は御陵池と呼ばれている。
また、履中天皇陵は、地図によってはミサンザイ古墳(石津ヶ丘古墳・百舌鳥陵山古墳)と表記している事もあります。 

さて、彼女は木更津(4/5日を参照)にも祭られているが、当地では此処から更に7`ほど南にある多治速(たじはや) 比売
神社の主神になっている。http://www.geocities.jp/engisiki/izumi/bun/iz050116-01.html多治速比売神社」を参照。
両社の直結方位はB、つまり百舌鳥八幡の本殿の南面方位12/17.5---6/17.5日である。

比売神社の例祭は現在、10/5日に近い日曜日であるから、弟橘姫の命日10/7日に沿っている。
其れまでの間に、大昔は河内湖の中に有ったと思われる深井地区の野々宮神社がある。野々宮はスサノオノミコトを
主神とした神社であり、本殿は東に向いている。だが此の宮は此処では特に関係しない。

重要なのは@ABの関係です。読者を煙に巻くつもりはないが、各社がこのように一連の方位で関係しあっている事を
述べて由来の参考とした。多治速比売神社は、元は荒山宮(こうぜんのみや)と言い、即ち 丹比乃波夜姫、即ち丹治比
之祖として、また女神として安産・縁結び・厄除の守護神として今なお厚く崇敬されている。

此処は女神の宮に相応しく三間社入母屋造で大きな向拝の千鳥破風の朱色の秀麗な社殿である。また今は「花の名
所」の一環として約1,340本の紅白の梅林が堺市の公園となっている。更に此処から10/20日の方位には鳳大社の摂社
として羽衣には「浜の宮」があってヤマトタケルの皇后(両道入姫)を10/5日に祭っている。

さて、@ABの関係を述べる。穂積忍山宿禰の娘だった弟橘姫は、ヤマトタケルとの間に若建王を生んでいた。弟橘
姫の命日が10/7日のため、先ず百舌鳥にA御陵山古墳を造り、その西に若宮として若建王が居着いた。彼は仲哀天
皇の弟に当たる。

やがて彼が6/17日の夜に亡くなったので、荒山宮(多治速比売神社)に葬られた。従って百舌鳥八幡宮が彼の御魂を
迎える宮となった。よって神功皇后の伝承は、此の頃の話であろう。此処で彼を祭ったのは、彼の御子、つまり若宮で
あり、応神天皇と同世代だった。

此処で憶測を加える。----此の八幡宮が「ふとん太鼓」を始めた由来は、恐らく、若い弟橘姫が余りに突然に亡くなっ
た事から、若君が余りに幼く、まだ乳飲み子だった為に神輿ではなく、布団に載せて宮まで運んだ事を物語るものかと
推測します。

ただ今では「大正2年に梅町が布団太鼓を奉納してから、他町も地車から布団太鼓に改め今日に至った」としている。ふとん太鼓は、堺市内の開口(あぐち)神
社の八朔(ハッサク)祭りなど、多くの他の神社の秋祭りでも見られるが、此の月見祭に担がれる百舌鳥の布団太鼓は、布団を五段に重ねた太鼓台を担いで
練り歩く、実に騒々しい祭りだと筆者は思う。だけど一般の定評は、他社のそれよりも「優雅」と讃えている。

やがて其の方も10/1日に亡くなったので、其の方位に当たる@御廟山古墳(祭10/1日---命日4/2日)が造られた。
其れを造って百舌鳥八幡宮に居着いて祭りを継承したのは、若建王の御子の御子、即ち孫(稚武彦)と分る。彼(稚武
かたけ彦王)は、仁徳天皇と同世代となります。

百舌鳥八幡の一の鳥居とは別に、JRもず(百舌鳥)駅の手前の府道にも石の鳥居が立てられていて、本殿からの方位
が10/30日方位になる(撮影09/6/20日)。




その先には仁徳天皇陵があって其の主軸の南端でクロスする。其処に「孫大夫古墳」があるが、今回はパスする。そ
れよりも此処で指摘して置きたい点は、方位から見て・・・・ヤマトタケルが此の百舌鳥の地で彼女と出会った可能性が
強い。

其れに関して50年前に宮司から聞いた話として、地元の野口氏が09/6/27日に本殿西の末社について語ってくれた。
此処が「ヤマトタケルの遺品を白鷺が運んで来て止まった所」に祭った社であると言うのです。そうした縁から、此処に
御陵山古墳が、次に白鳥陵が造られたものと思います。

其れは地図からも分る筈です。御陵山古墳の示す10/7日の延長線には、堺市石津があり、その先には神戸市垂水区
五色塚古墳(反正天皇陵と推定)の北に至る。其処は現在、舞妓陵の星陵高校となっている。何れも丹治比関連と思わ
れる。

因みに反正天皇は、別名「淡路帝」とも言われた。下記のヤマトタケルの宮が淡路に造られたので、其処に仲哀天皇
が居着き祭り、やがて応神天皇、次は仁徳天皇となり、淡路宮で反正が生まれたからです。とすれば、神戸市垂水区
の五色塚古墳は彼のものと確定します。

淡路の宮からも殆ど1/23日・方位であり、また五色塚の主軸も1/23日・方位の築成であり、其の日が彼の命日だから
です。

次にヤマトタケルに関しては、羽曳野市の白鳥陵が治定されているが、其れではなくて羽曳野市役所に隣接の墓山古
墳が彼の陵(3/16日を参照)である。3/16日の逆方位は百舌鳥を通って鳳大社の北を通過し、浜寺公園を通過して、淡
路島の上畠に至る。近くに妙見山522mがある。

よってタケルの御子が此の淡路に宮を造って仲哀天皇として即位したのです。ともあれ百舌鳥がタケルと弟橘姫との接
点であった事を二つの古墳が方位によって物語っている訳です。
序ながら先の南北ラインについて以下に補足して見る。

北・12/17.5日方位------中山峠(京都府園部町)-----七面神社(能勢町)------法常寺(亀岡市)-----百舌鳥八幡宮
の本殿の南面方位------野々宮-----多治速比売神社------槇尾山・施福寺(和泉市)-----丹生都比売神社(和歌
山県かつらぎ市)-------南・6/17.5日である。

因みに大阪の住吉大社と百舌鳥八幡宮とは子午の位置方位関係にあるが、百舌鳥八幡宮の本殿の南面方位は6/17
日を向いており、その先にある丹生都比売神社では御神事能(6/17日を参照)である。

所で09(平成21)年の祭礼は泉州全体で異変が起きた。今までバラバラだった祭りが、まるでこの10/3日の百舌鳥八幡
の祭礼に合わせたかのように10/3日に一極集中する事になったからです。恐らく今年の9月に敬老の日と秋の彼岸と4
連休とが重なって、各地の例祭が番狂わせになった為と思われるが、岸和田のダンジリも10/4日に試験曳きをする。

それで夜店の露天商たちは一度に各地には出られる筈もなく、各地で歯が抜けたような状態になると気をもむ関係者
もある(野口氏の談話)。まぁこの辺りでは歴史が古くて一番の総本家だからかも知れない。因みに10/3-4日に同時に
なる祭りが

http://www.sakai-hyakucho.jp/danjiri/index.html「堺百町まるごと堺秋祭り」によれば、
ふとん太鼓-----百舌鳥八幡宮、石津神社、華表神社(10/4-5日)
だんじり--------蜂田神社、大鳥大社、踞尾(つくお)八幡神社、日部(くさべ)神社、野々宮神社、石津神社、菱木神社、

           櫻井神社、それに多治速比売(たじはやひめ)神社、美多彌(みたみ)神社となる。
そして09年はその模様が10/18日の13-14時にサンテレビ36CHで放映予定。百舌鳥八幡宮だけで、ふとん太鼓が次々
と18基、此れは圧観です。房が華麗に揺れる所が見せ場。黒房に紙吹雪は土師(はぜ)町の「暴れ太鼓」。

先の野口社長から22年のカレンダーを頂いた中に、「囃し歌」が載っていた。

@石山の秋の月、月に群雲、花に風。風の便りは阿波の島、縞の財布に(五両十両、金五十両)、ゴロゴロ鳴るのは何
じゃいな、地震、雷、あと夕立。ベーラ ベーラ ベラショッショイ。

A牡丹に唐獅子、竹に虎、虎おうて走るは和唐内、まとないお方に知恵貸そか、知恵の中山 千願寺、
千願寺のお住さんは 坊さんで、それゆえ 八朔 雨じゃいな ベーラ ベーラ ベラショッショイ(※)。

※ベーラベーラとはお米の豊作を願うハヤシ言葉。
----------------- -----------------------------


09/10/3日、百舌鳥八幡宮 ↓09年は10万人の人出だが例年より少なめだと言う。



09/10/3日、野々宮神社、畑山地区のダンジリ ↓





▼09観月まつり・・・・・・・・09/10/3(土)は旧暦の8/15日で十五夜。大阪・河内長野市の天野山・金剛寺・観月堂の「観
月まつり」。

■09本宮・献湯祭・・・・・・・和歌山、熊野本宮。
■09田辺の弁慶まつり・・・・・・・和歌山県田辺市。10/2日を参照。

★10佐保神社・秋の大祭・・・・・・・・・加東市社777番地、ご祭神として天児屋根命、天照大神、大巳貴命(大国主命)を
祭る佐保神社(旧・坂合神社) 0795-42-0406の秋祭り。北播磨第一の大社といわれ、「やしろ」の地名も当社の門前町
として発展してきたことに由来する。毎年10月の第1日曜日の秋まつりは、御輿や化粧屋台が境内を練り回る。

春祭 4月16日(湯立神事あり)に対して秋祭が10月体育の日前々日(宵宮)、体育の日の前日(本宮)、例祭(秋大祭)
10月16日に行われて来た。

とあるものの、方位から見れば9/16--3/16のラインに見える。例えぱ当社の西部の加西市に飯盛山があって、その山
頂が東西に惰円形の古墳状になっていてしかも其の軸線にある。

とすれば、此れも明治政府の西暦への改暦と間違った行政指導によるケースかも知れないが、御由緒について、
http://kamnavi.jp/en/harima.htmによれば----佐保神社は、最初、名前を坂合神社と呼んでいた。所がこの呼び名
が、時代 と共に変わり、佐加穂となり、更に現在の佐保神社となった。
 
御祭神は中央の御殿に天児屋根命、東側の御殿に天照大神、西側の御殿に大己貴命( 大国主命)の三神で、別名
三社大明神と呼ばれていたのは此のためで、また佐保大明神とも称されるようになった。次に当神社の歴史について
少し説明する。

先ず、いつ頃から現在の場所に鎮座されていたか、については、記録によれば、奈良時代の初め(元正天皇の治世)
今から約120年前の養老6年(西暦722年)3月に神託(神の御告げ)を受けた阿倍野三郎太夫(社町野村小部野の人と
伝えている) という翁が、加西の鎌倉峰よりお遷し申し上げたとのことです。

それ以来、当神社は、社町・滝野町・小野市の一部にまたがる広い範囲にわたり、氏神様として人々の深い信仰を集
めて来た。とりわけ、鎌倉時代には尼将軍として有名な北条政子が当神社を崇敬し、本殿の再建や四方に八基の鳥
居を建てさせたりし ている事実から、当時では既にかなり著名な神社であったと言える(以上引用)。

@さて、方位から見よう。当社は西に位置する出雲大社と奈良の春日大社--伊勢内宮の神宮寺である金剛証寺とを
直列で繋ぐ位置にある。つまり日本海と伊勢湾とを結ぶラインの一つとなり、其の暦・方位が10/8--4/9日である。

因みに「播州寺社旧記抄」によれば、「養老の時に佐保社は10石。住吉から佳人来たりて宿を乞い、本地と同じ高貴徳
王菩薩(十一面観音)を祭る。此れが後の酒見明神であり、毎年4月初丑出万飾祓」とある。此の点でも伝承と今の例
祭の時期・方位とが合致する誠に古式を伝えるケースかと思う。

以上、「ヤフー知恵袋」の質問への回答:2010/2/8 から一部転載。

■07宝当神社・祭日・・・・・・・・佐賀県唐津市高島(唐津湾に浮かぶ)。メサ(卓状)玄武岩の島。野崎姓が多い島。ご
祭神は大友宗麟、即ち野崎隠岐守綱吉(ノザキオキノカミツナヨシ)。御祭日とは彼の命日で旧暦8月23日(平成18年は
10/14日)。以下、http://www.h5.dion.ne.jp/~houtou/page003.html「宝当神社」より引用する。

綱吉様の歴史は天文23(1554年)、信州諏訪の国に生誕。幼少の頃より才能があり、哀れみの心も篤く、動議もわきま
え礼儀正しく勇気と力を持ち、当時の人々より大変慕われていました。

後に肥後の国豊後の大友義鎮(おおともよししげ)公につかえ、数度の軍功著しく恩賞を戴く。大友義鎮は、出家した後、大
友宗麟(おおともそうりん)と名乗る。大友義鎮(おおともよしいげ)公は、肥前国草野城の城主として草野鎮永に迎えられる。元
亀4(1574)年3月2日、草野城は、龍造寺隆信の率いる5400騎に取り囲まれる。

野崎隠岐守綱吉と原瀬久太郎久国は、矢面に立ち奮戦。これにより、龍造寺は勢力を失い敗走した。草野城はこれで
安堵したが、草野家の老臣は綱吉の勇力を恐れ、ねたみ、主家に綱吉の居場所が無いように仕向ける。9月21日、綱
吉はやむを得ず三人を引き連れ、夜影に紛れ小船を操りここ高島にたどり着く。

12月29日、龍造寺は、再度草野城に至り連戦の末、草野城を陥城した(平原の合戦)。綱吉公が高島にうつりし頃、当
時世の人は筑前の国吉井の海賊火山神九郎の猛悪異名に恐れおののいていた。ある日の事、吉井荊娯が神九郎の
手下30人余りを率いて、高島の民家を襲った。

穀物や金銭を強奪し、船に積み込み、とも綱を解き、浜辺を去ろうとしていた。これを聞きつけた綱吉は、浜辺に走り
出て飛鳥の如く賊船に飛び乗り、帆柱を引き抜き横一文字に振りまいた。賊徒は、その場になぎ倒され、各自物を取っ
て綱吉たちに向かってきた。

綱吉は車輪の如く早業で投げ飛ばし、骨折、転倒、流血負傷を負いながらも、賊徒を倒した。生き残った者はわずか5
人であった。5人は、強奪した物を前にして命乞いをし、綱吉は、それをねんごろに諭し許した。その後遠近の賊船は、
綱吉の勇力を聞き二度と高島を襲うことは無かった。

天正12(1585)年、綱吉の嫡男、吉道(姶称主馬之助)高島において生誕。天正13(1586)年8月23日、綱吉は,にわかに
病に冒され再起することが出来ず、高島において逝去(32歳の時)。島民は、綱吉の弔いを厚くし祠を建てて島の大権
現として祀る。

明治34年(1901)年、島の産業である製塩業が盛んになり島が潤い利益をあげた時、お礼として綱吉を祀った当神社
を当島の宝と称え『寳當神社』と記した石造りの鳥居を奉納した。この頃より宝当神社(ほうとうじんじゃ)と呼ばれ親し
まれてきました。

その後、平成に入って当神社の『寳當』の文字にあやかって宝が当あたるということが宝くじファンみなさんからに広ま
り、お参りをされた方の中から当選者が多数出て、テレビや雑誌などに紹介され、宝くじが当る神社として一躍有名に
なって現在に至っています(以上、引用)。






















































10/ 4 日


▼09望。

■例年-二本松ちょうちん祭り・・・・・・・10月4日〜6日。福島県二本松市、二本松神社。日本三大提灯祭りの一つという
より日本一の提灯祭りとも言うのがhttp://www.h3.dion.ne.jp/~paint/maturi.htm ----更に、「祭りの見どころ」をhttp:/
/p133.pcsn.co.jp/~nihonmatsu/maturi.htmlより引用する。

雨天中止の場合、同時間5日・6日に順延となります。一番の見どころ「宵祭り」! この日は各町内から鈴なりの提灯
をつけた7台の太鼓台が繰り出し、二本松神社のかがり火を紅提灯に移します。太鼓台は威勢のいい若連のかけ声と
お囃子を奏しながら、市内を勇壮に練り歩きます。

夜空を赤々と焦がしながら移動する幾千もの提灯は見物客までも熱くし、しかも夜間の運行で全ての町内が揃うのは
この日だけなのです。 本祭り! 5日は、例大祭の最も重要な行事である「神輿渡御」が行われる日です。7町合同引
き廻しも2日目を迎え、午前8時半頃駅前を出発し、午後3時頃まで行われます。

その後、神社では神輿の宮入が行われ、夜は各町内に戻った太鼓台が再び提灯をつけて町内を練り歩きます。祭り
の最終日「後祭り」! 昼は、それぞれの町内を引き廻し、夜は4町と3町のふたつに分かれ、合同引き廻しが行われま
す。一通り廻った後も、名残り惜しさゆえ、なかなかお囃子は止まず、夜がふけるまで満天の空に鳴り響きます。

二本松の提灯祭り----- http://www.h3.dion.ne.jp/~paint/maturi.htmふっくん---10月4日から3日間行われる二本松
の提灯祭り。毎年日程は固定で行われますが、今年は土日開催になります。日本三大提灯祭りの一つとされています
が、私は日本一の「提灯祭り」だと思っております。特に4日の宵祭りがお薦めです。

動画http://www.omatsuri.com/movie/nihon.html

■全国花火競技大会・・・・・・土浦市029-824-2810
★08ほうらい祭り(〜5日:10月第1土曜〜日曜日)【石川県白山市鶴来地区】

■08武生の菊人形(〜9日)【福井県越前市、武生中央公園】
★09田立花馬祭り(10月第1日曜日)【長野県南木曽町】
■08伊勢おおまつり(〜5日:例年は神嘗祭直前の土日)【三重県伊勢市】

06京都「ずいき祭」・・・・・・・北野天満宮で10/4-5日。平安時代から始まったと言う「ずいき神輿」が正午過ぎに御旅
所からスタートし、続いて菅原道真公と妻子の神霊を載せた3台の鳳輦や馬車が天満宮まで巡行する。5日は境内で田
舞の奉納がある。

▼09百舌鳥八幡宮・月見祭・・・・・・堺市で旧8/15日まで。09年は10/3日、2010年は9/25-26日。
■09桜井神社の「こおどり」・・・・・・・堺市。10/1日を参照。
■10御坊まつり(〜5日)【和歌山県御坊市、小竹(しの)八幡神社】
 

■06-07-09里親デー。 







































































































10/5日以降については次ページへ  ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ 

■「神々の歳時記」の各項目のご理解には「366円暦」が必要です。円暦は別紙の「日読み1」http://toki.mikosi.com/
page044.htmlで公開していますが、其の実物を希望される方は末尾に従ってご請求下さい。

■尚、各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年06-07と追加する形で示していますので、
*開催日等の詳細には主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。

■「神々の歳時記」に記した例は仮説ではなくて、太陽暦に重ねて古式祭による祭政一致を行っていた古からの日本
文化の原理です。其の具体例を今回、公開したものですが、海外への情報流失防止のため、特に「本文」については0
4/11月から「非公開」としました。

■@マークの付いた以下の部分が「非公開」部分です・・・・・・・@マーク以下には「地理・方位の具体例と其の意味や
暦との関係式」などの詳細を隠しています。この隠れた部分の資料をご希望の方は、「メールフォーム」または「掲示
板」からコンタクト下されば実費で郵送します。

■文中に誤記や間違いがありましたら、恐れ入りますが前項の方法で下記まで御一報賜れば幸いです。尚、参考文献
は巻末に記しました。  

■♪ ただいま募集中 ♪-----●各地のお祭り情報-----あなたの自慢の祭り、知っているお近くの祭りなどの情報
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