http://kami.tudura.com 「神々の歳時記」 p134 (未定稿)


神々の歳時記 8月初旬 但し方位による
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このページは以下「8月」です。・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

●イベントや祭典と称する偽祭りが多い中で、昔から本物の祭りを続けて来た事例を此処に紹介し、併せてその縁起
の意味を解説し、方位から正当性を実証する。今月も一部、お祭り専門情報誌 月刊「わっしょい!」全国版 8月号
http://www.matsuri.or.jp/cgi-bin/wforumcgi/wforum.cgi http://blog.mag2.com/m/log/0000026310/ 

及びhttp://www.kotobuki-p.co.jp/index2.html「ブッダワールド行事案内-2月」より一部引用・転載させて頂きました。

■各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示しています。ただ凡そ歳時記
には定例として固定されたものと月の暦で変わるものと星の曜日に従うものとの3種があります。このため開催日等の
詳細は主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。尚、「星の暦」にも雑節・行事を載せています。
 
8月初旬 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★


8/ 1 


■06-07八朔。 ■06-07水の日。 ■06-07観光の日(観光週間)。 ▼07年(旧6/19)。

■岩木山お山参詣・・・・・・・意味は5/15を参照。      
■06-07弘前ねぷたまつり・・・・・・青森・弘前市で7日まで。「ねぷた」祭りの起源は、アテルイが騙されて京都で討たれ
た事「ねぶった」として弔った事が始まりと言われ、昔は川に灯篭を流すものでした。

眠気を流す「眠り流し」でしたが、其れが人形を流す「人形ねぶた」となったのが明治頃。今では青森でも行われるが、
弘前の方が本家本元と言われる。弘前の場合は武者や美人の「ねぷた絵」を描いた扇形を引く「静」の祭りであるのに
対して、青森の場合は、張子の人形ねぷたの周りをハネコが飛び回る「動」の祭りである。

■06八戸三社大祭(7月31日〜4日)【青森県八戸市】
■06-07盛岡さんさ踊り開幕(8月1日〜3日)【岩手県盛岡市】

■長岡まつり・・・・・・新潟・長岡市で3日まで。
阿弥陀堂詣(高野詣)・・・・・・・八葉寺(福島県河東村)。 
八朔祭・・・・・・・不動寺〔客気不動尊〕(栃木県宇都宮市)。 

男体山登拝大祭・・・・・7/31〜8/7。日光の二荒山神社は大己貴命(大国主命)、ほか二神を祭る延喜式名神
大社、下野一ノ宮として、また古くから「日光の大黒さん」として親しまれて来た。

二荒山神社は、奥宮、中宮祠、御本社、本宮と言う4社に分かれているが、奥宮は男体山山頂(海抜2484m)に、中
宮祠は中禅寺湖畔(1280m)に、御本社と本宮とは日光山内に鎮まる。

男体山・山麓の中宮祠から登山道があり、男体山(海抜2484m)と女峰山(2483m)、其れに日光火山群の大真名
子山(2375m)辺りは1.2〜1.3万年前に出来た火山であり、赤城山(1828m)は1251年頃まで噴火していた。

従ってもとの形は崩れていても、日光は父母子の関係で先ず二荒山大神(男体山)が父・大己貴命であり、対する女峰
山が母(田心姫)、そして太郎山(2368m)、または大真名子山と言う図式で信仰されて来た。

所が日光を開いたのは勝道上人(735〜817年)とされている。彼は恐らく下野薬師寺にいた道鏡から37歳年下の
若僧として受戒したのだろう。でも彼は山に登ったとか山麓に寺(中禅寺)を建てたに過ぎない。

其れまでこの広い空間には山と湖だけしかなかったのではなくて、祖神の墳墓を造った人たちがいた。従ってその山を
聖地として誰も足を踏み入れなかったのである。しかし彼は異教徒だから仏力を借りて其の障壁を越えて土足で踏み
込んだ事になる。そして温泉を使って治療し、現世利益を餌に布教したのであろう。

その後に下野から円仁が来て彼の後を継ぎ、定行堂に籠った記録がある(やがて天台座主となった)。その後に天海
が日光に来て、徳川三代の霊地に祭り上げたのである。

所で、何故此処で7/31〜8/7の期間にこの祭りが行われるのか、と言う点について、方位から見れば、男体山・奥
宮から北へ尾根続きで女峰山(2483m)が位置していて、両者の方位が1/30.5←・→7/31に位置するため、此
れは祭日に略合致する。

従って例祭の起源が此処にあると言えます。また男体山を基点に其の前後を見てみると、先ず女峰山の後ろ側の2/
1方位には福島市の日枝神社があり、大己貴命が祭られている。また前側の8/2方位に進めば群馬・宮城村に赤城
神社がある。

其処で赤城との関係を見れば、先ず奥日光の戦場ヶ原には男体山の神と赤城の神とが争ったとする伝説がある事と、
他の赤城神社が豊城入彦を祭っているのに対して、此の村の赤城の神は矢張り大己貴命になっているから面白い。
さて次へ進めば前橋市にも二宮赤城神社があり、矢張り大己貴命が主神になっている。

其処から愛知に飛べば一ノ宮町に本宮山(789m)・砥鹿神社があり、矢張り大己貴命が主神である。次に豊川市と
豊橋市には大社神社に大国主命、石巻神社には大己貴命が主神として祭られている。また角度は1.5日だけズレる
が伊勢の英虞湾を越えた和歌山・潮岬の串本町出雲の朝貴神社にも大己貴命が主神として祭られている。

この大祭が7/31〜8/7まで幅があるのは、この熊野までを含めた暦・方位に意味があったからと判断できよう。
まだ精査はしていないものの、神代において、福島からの直線距離にして650kmに及ぶこの霊的な暦線を引いた事
実には驚く。

しかも日光は二荒山と言う補陀洛山は観音信仰の聖地であるのに対して、熊野那智もまた普陀洛渡海の聖地・観音
霊場である。としても読者は「偶然に過ぎない」と思うだろうか。其処で此処で特記したいのは、此処に祭られたのは出
雲の大国主神であり、従って神代には出雲の国の一部だったと分かる点です。

そして現代人はハイテクとしてのパソコンを駆使する事で進化論と科学万能の傲慢な態度になっているが、其れを使っ
ても1枚の紙に斜線を引くのは至難である。其れに対して当時、此れだけの長さの距離に少ない人員と僅かな道具で
一線を画し、しかも山を築いた人たちがいた。

と言う点を認めれば此れを神業として、或いは日本文化の凄さをもっと尊敬出来るのではないかと思うのです。因みに
日光と言う地名の由来は、二荒(フタラ)山をニコウと音読みして、其れに「日光」の漢字を当てたものだ、と言われてい
る。

■06-07草津温泉祭り(8月1日〜3日)【群馬県吾妻郡草津町、草津温泉】

■06-07埼玉・大宮・氷川神社の例大祭・・・・・・この宮は孝昭天皇三年四月未の日、武蔵の国造が出雲から勧請し
て創建したと言われ、ご祭神は須佐之男命ほか二神。本日は例祭日であるが、今は本殿・境内よりはややズレた所か
ら表参道が発して6/17方位から12/17方位に向けて長く伸びて其の長さは二キロ以上に達すると言われている。

恐らく、表参道の正面には神宮寺があり、其れとは別に明治になって本殿を作り、また6/17の暦日方位を旧暦と誤
認して昭和15/7/16日に正遷宮をした等の結果、例祭日も参道も本来の所とズレが出たものと思われる。と述べたが
見直す。例えば「今日は何の日」から引用する。-----8月1日は大宮の氷川神社の例祭です。

氷川神社は全国に200社ほどありますが、そのほとんどが関東の地に集まっており、その中心がここ大宮の氷川神社
です。そして、そもそもこの「大宮」という名前はここに氷川神社の本宮があったために起きた地名です。氷川神社を作
ったのは出雲系の氏族・武蔵氏。

武蔵氏は関東の地を開拓しながら、出身地の出雲の祖神である須佐之男命を祀る神社を作っていきました。「氷川」と
は須佐之男命ゆかりの出雲の肥の川(簸の川)にちなむもので、最初はこの肥の川の川上に鎮座する杵築大宮(出雲
大社)を勧請して建てたとも言われています。

現在の中心地はここ大宮のものですが、あと3つほど重要な拠点があります。ひとつは浦和の氷川女体神社。ひとつ
は所沢の中氷川神社。そしてもうひとつは氷川町の奥氷川神社です。この奥氷川神社こそが最初に建てられた氷川神
社で、関東の氷川神社の発祥の地かも知れないとも言われています。 

以上はhttp://www.ffortune.net/calen/nannohi/index.htm「今日は何の日」より引用。次の所沢・中氷川神社の例祭は
4月 2日(日)10:00〜12:00 山口囃子連・中氷川神社祭礼・所沢市山口/中氷川神社祭礼/居囃子 http://popup6.tok2.
com/home2/akitaavi/jyuu2005yotei.htm「重松流祭囃子」より引用。

奥氷川神社(おくひかわじんじゃ)は東京都西多摩郡奥多摩町氷川178にあり、須佐之男命(すさのおのみこと=素戔
嗚神)を祭る。景行天皇時代(約1900年前)の創建といわれ、氷川神社は関東一円に約220社あり、埼玉県さいたま市
の氷川神社、所沢市の中氷川神社と並んで「武蔵三氷川神社」の一つに数えられる。

境内には、樹齢700年・幹周7.5m・樹高約50mの「氷川の三本杉」がある。(東京都指定文化財)例祭(8月第2土・日曜)
には獅子舞が奉納される。以上http://www.kaiun-goriyaku.com/13j-034.htm「全国開運神社仏閣ガイド」より引用。

氷川神社と中氷川神社のラインは8/6---2/6のラインであり、此れは裏鬼門と鬼門の方角になります。また中氷川神
社の先には埼玉県岩槻市の慈恩寺が有る。慈恩寺(じおんじ)は現在、天台宗、華林山最上院。開基、慈覚大師。創
立、天長元年(824)。

東叡山末の大寺は本坊四十二坊、新坊二十四坊、大寺と知られるが、もっと昔からあったのではないか。其の先には
茨城・猿島町の八坂神社がある。此処は「猿島ばやし」で知られる。所在地 茨城・猿島郡猿島町生子1465。八坂神
社の祭礼(毎年7月15日から22日)並びに神輿渡御に奉納される。

その起因は詳らかではないが、神社創立のころからと伝えられ、江戸時代初期から中期にかけてもっとも隆盛を極め
たといわれている。以前はハヤシといえば、この八坂神社に奉楽される囃子をさすほど近郷近在にきこえ高いものであ
ったが、類似の囃子が頻出するに及んで、猿島の地名を冠して、猿島ばやしと呼ばれるようになった。

太鼓・鼓・笛などを使い、曲目も多く、音律も正しいものである。此の部分は http://www.edu.pref.ibaraki.jp/board/
bunkazai/ken/mukeiminzoku/11-7/11-7.html 「猿島ばやし」より引用。

次に先の氷川女体神社は、さいたま市緑区(旧浦和市)宮本二丁目にある神社である。大宮の氷川神社が武蔵国一宮
であるが、氷川女体神社も氷川神社に含める場合、この神社も武蔵国一宮とする解釈がある。主祭神:奇稲田姫命 
配祀:三穂津姫命・大己貴命。

此の部分は http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B7%E5%B7%9D%E5%A5%B3%E4%BD%93%E7%A5%9E%E7%A4%BEから引
用。次も≪見沼での神祀り―御船祭と四本竹≫から引用する。氷川女体神社の最も重要な神事は、『御船祭』である。

『新編武蔵風土記稿』には、『例祭は九月八日、八月十四日にて、其内九月八日は隔年の舟祭りなり、此祭、古へは
社地より廿四五町程隔てて大なる沼あり、其内に神輿を置いて舟に祭れり』と記されている。

隔年の九月八日、神社から神輿を乗せた御座船が見沼を南下し、御旅所で瓶子に入れた神酒を沼の主に供献すると
いうもので、江戸時代の享保年間に見沼が干拓されるまで続けられた。現在神社には、この御船祭に使われた神輿と
瓶子がそのままの形で残っている。

以上http://www.como.ne.jp/pc/zenkokuzinja/hikawanyotaiyuisho.htm 「武蔵国一ノ宮氷川女體神社由緒書き」より引
用。ただ此処は上記の通り例祭日が違うし方位も先の8/6---2/6から離れている。本社から4/21日の方位に位置する
のです。だが本殿から4/26日方位に参道が伸びて「社叢ふるさとの森」へ至る。

其処が地図では前方後円墳の形に見えるので興味深い。また其の逆の10/20日の方位に位置するのが東松山市の
箭弓神社である。ただ箭弓神社の例祭として、箭弓町と松葉町の祭礼日は7月下旬。夏祭である。

当地の祭囃子を調査した「比企地方の祭囃子を調査報告」、「東松山市の文化財その四・東松山市の文化財」による
と、古くは三臺の山車が曳かれてきたようである。以前は旧来の古凍や坂戸市、吉見町に依頼していたが、いまはい
ずれも昭和四十年ころに町内で習って演奏するようになった。

しかし、交流は続いており、今でも祭には坂戸市・吉見町などから応援がある。いずれも夏祭だが、古凍は春祭りでも
演奏する。箭弓町の祭囃子(神田流祭囃子)演奏曲目は、寧波(二ンバ)、四丁目(シチョウメ)、子守唄(コモリウタ)の
三曲である。

此の部分はhttp://hiyou.easy-magic.com/user/index.php?menu_id=0&main_content_type=BOX_CONTENT&mode=
viewcontent&box_content_id=104&PHPSESSID=25fd924634a2c12963d4a7d1bd8540fd 「日本の山車」より引用。では
纏めとする。氷川神社の8/1の例祭日は氷川神社と中氷川神社の裏鬼門・鬼門ラインで略合致していた。

ただ氷川女体神社も奥氷川神社も方位からズレる。以上、方位からは、伝承とは違う事実が出て来たと言える。

虫除会・・・・・・・誕生寺(千葉県小湊町)。
■06-07川崎身代わり不動尊・土用大護摩・・・・・・
■06-07江の島花火大会【神奈川県藤沢市】・・・・・・・・5000発。

箱根神社の例祭・・・・・・芦ノ湖の湖畔で二二ギノ尊、コノハナ咲夜姫、彦火火出見尊の三座を祭る箱根神社の例
祭。

此処は孝昭天皇時代に始まり、式内社ではなかったが、天平宝字元(757)年、玄利老人が東福寺を、また後に万巻
上人が再興して金剛王院として箱根権現をリードし、伊豆山(火牟須比)神社と三島(事代主)大社と共に、かつて三所
権現として鎌倉幕府と後北条氏から篤く崇敬される事となった。

例祭は7/31夕刻から九頭龍神に対して祈る「湖水祭」から始まる。鳥居もほぼ其の方角の湖中に立っている。次に
方位関係を見ると、8/1側に三島市←箱根神社→2/1側の筑波山→茨城・城里(常北)町石塚に至る。三島市には
事代主命を祭る式内社だった三島大社があるが、此処は鎌倉以前は別の所にあった。

現在地では8/7方位(大山阿夫利神社との位置が1/27.5)であるが、旧地について不祥なため此処ではパスする
外はない。因みに其の先は太平洋で何もない。また例祭日の逆方位に進めば、大宮を経て筑波山頂(877m)に至る。

先ず、さいたま市・大宮には前項の氷川神社が5日ズレた位置(7/27.5)ではあるが鎮座しており、例祭日が同じ8
/1である。其の途中に稲荷神社があるので、参道も此処から1/26方位に向けて氷川本殿に向かっていた可能性
がある。

また筑波山には、箱根の二二ギにとっては曾祖父母に当たるイザナギ・イザナミの男女神が祭られているが、南山麓
に今鎮座している筑波山神社は徳一が開いた中禅寺と大御堂に過ぎないので、この場合は無関係である。そして筑波
から次の石塚に向かう途中に春園神社があり、天照皇大神と木之花咲耶姫を祭っている。

姫はニニギノミコトの妃であるから、裏鬼門と鬼門とに分かれて二神が祭られた事になります。このように見れば、この
8/1とする例祭日は決して偶然とは言えないと分かります。@

■ペリー来航150周年記念「よこすか開国祭」・・・・・・神奈川・横須賀市で3日まで。
■清水みなと祭り・・・・・・静岡市清水で3日まで。
■06-07諏訪大社・下社の御船祭り・・・・・・長野市。

■06高岡・七夕祭・・・・・・8/1〜8/7まで。初日は七夕パレードやコンサートがある。
■06岐阜・高山の絵馬市・・・・・・縁起物として観光客に人気の絵馬。山桜神社。

■びわ湖まつり・・・・・・
■07伊崎の竿飛び(棹飛び)・・・・・・・伊勢寺(滋賀県近江八幡市)で水面より高さ10メートルの所に突き出した棹の先
端から湖中に飛び込む肝試しの行事。

千日会・・・・・・・長命寺(滋賀県近江八幡市)。 

妙法写経会・・・・・・・鞍馬寺(京都市左京区)で8/1〜3日、法華経の写経を行う。
大峰入行列・・・・・・・聖護院(京都市左京区)で8/1〜6日頃、数百人の山伏が朝の都大路を行進する。

■06祇園の八朔行事・・・・・・京都祇園の舞妓さんたちが黒紋付の正装で日頃お世話になった師匠さんなどの家を挨
拶に廻る。元々旧暦の八朔にしていたのを西暦でするようになった。

■06千日詣り・・・・・・京都嵯峨・愛宕町の愛宕神社で7/31〜8/1。火伏せの神を祭る愛宕神社は標高924mの山頂に
あり、7/31の深夜から8/1未明に掛けてお参りすれば1000日分の防火のご利益があると言う。7/31の午後9時に夕み
け(御饌)祭、山伏による護摩供養。1日午前2時、朝御饌祭、神楽奉納など。

3歳未満の幼児を連れて行けば、其の子は一生火事に遭わないとの言い伝えも(朝日新聞より)。

■木花咲耶媛の縁日か・・・・・・・大魔王が鎮まる京都市・鞍馬山の先に梅宮大社---徳島・那賀川町に淡島があり、阿
南市には津峯神社・八桙神社・金刀比羅神社・平等寺・加茂谷地区などがあり、対岸にも加太・淡島があって少彦名命
を祭る。津峯神社の主神はかしわ姫、八桙神社は大己貴神、金刀比羅は大物主神であり、何れも加茂の神々である。

ただ梅宮大社では山王神(彼女の父・大山祇神)を(酒解神)として祭る例祭を4/3日に行なう。彼女は酒解子神として
祭るものの生憎此の日に祭りはない。梅宮大社のHPによれば、此の大社のご利益は、祭神・木花咲耶姫(木花=梅
の雅称、又は梅・桜を指す)とニニギノ尊の結婚の後の即授子・安産を祝って米から酒を醸した故事による。

よって、彼女に肖って梅・産(うめうめ)祭を3月第1日曜に行なう。梅が見頃を迎える3月第1日曜日に子授けと安産、
諸々の産業繁栄を祈願し、行事として神酒及び神苑の梅より造った梅ジュースを無料接待すると言う。他方、此のライ
ンに平行して鹿児島の桜島と霧島神宮の位置・方位も8/1日である。

神宮のご祭神がニニギノミコト(天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊)、コノハナサクヤヒメ(木花咲耶媛尊)、ヒコホ
ホデミノミコト(彦火火出見尊)、トヨタマヒメ(豊玉媛尊)、ウガヤフキアエズノミコト(草葺不合尊)、タマヨリヒメ(玉依媛
尊)である。

主な行事の内、御田植祭が3月3日(旧暦2月4日)、狭名田の長田御田植祭が6月第一日曜、南九州御神楽が8月最終
土曜日とあるので、2月4日と8月(最終土曜日)に何とか近い日となる。桜島の噴火を彼女が此の日は酒で宥めて鎮め
ているのだろうか。

平等寺の最勝会・・・・・・・奈良・桜井市の三輪山・平等寺07444-2-6033では、毎年7月1日〜15日に最勝会を行って
いたが今は8/1日になった模様。秘仏十一面観音ご開帳。大般若会。大施餓鬼塔婆供養。今は曹洞宗の小さな寺だ
が元は聖徳太子が開山・開基と伝わる名刹だった。

のみならず其の後も大神(オオミワ)神社の別当寺としての大御輪寺と共に栄えてきた。余談になるが此の寺のエピソ
ードとして島津の落ち武者の美談が伝わる。慶長5(1600)9/15日、関ヶ原の戦いに敗れた薩摩の領主・島津義弘主従
1500人が遂には80余人に減って此の寺に逃げ込み匿われた。

其れを追って来たのが本多忠勝。所が「寺にはいない」と言われて彼は引き揚げたと言うから忠勝もエライ。彼も凄い
が徳川方の追及を恐れず以後70日間も匿った此の寺も立派である。のみならず落ち武者たちが出発の時には寺から
銀子一貫目を貸して堺港まで送ったと言う。よって島津は薩摩に無事着いた。

其の後日談として薩摩は以後毎年米40石を寺へ送ってきたと言う。此の寺が廃仏毀釈で潰れるまで凡そ300年間も恩
を忘れず実行したとは薩摩藩もエライ。因みに明治には全国の1.5万寺が潰された。

だが此処は其の後100年目の昭和52年に、覚信和尚の熱意と其の後を継いだ丸子住職の16年間の托鉢行による悲
願に動かされて小西家が旧地を寄進したと言うから此の方々も素晴らしい。のみならず近在の篤実家10万人の喜捨に
よって復興した。

徳太子の日迎え・・・・・太子に縁りの法隆寺や叡福寺は寺であるから鎮魂の法事を春にしているが、日迎えの祭
りはしない。ただ本日は本来、彼の日迎えの日に当たり、其れを行うべき所が極楽寺だったろう。だが此処は大念仏に
なっているので今は何もない。

大念仏宗は渡来系の良弁が開祖であり、宗祖良忍から、やがて法明上人のときに石清水八幡宮のご託宣により中興
した平野の大念仏寺の末寺に下っているためである。因みに法隆寺と極楽寺の間に太子廟として叡福寺(太子町)が
あるが、多宝塔←金堂←→聖霊殿→廟の位置が、略この方位に向いている。

ただ寺であるから命日法要は2/14頃であり、また墓地であるから日迎えの祭りはない(「2/1」を参照)。

行者会・・・・・・竜泉寺(奈良県天川村)で8/1〜3日。 
■06-07恩智神社・恩智祭・・・・・・八尾市。次の住吉大社との関連である。

■06-07住吉祭り(南祭)・・・・・・7/30-8/1日。先ず装束で着飾った「夏越し女」たちが茅の輪を潜って第一本殿に向
かう。本殿では「熊野舞」の神楽や童女らに「住吉踊り」が披露される。午後からは神輿を担いだ長い行列が堺市の宿
院まで練り歩く。向かう所は住吉頓宮である。

昔は大和川がなかったが、今は交通量の少ない橋を選んで渡って行かなければならない。堺市には「宿院」と呼ばれ
る所が有り、住吉祭りの前夜祭として昔から「堺魚市」が盛んである。何故「宿院」と言うのか、について勝手な解釈を
すれば、其処には今、住吉大社のお旅所があって神輿が入る。

よってこの宿院を住吉大社では頓宮と呼ぶが、本来は神宮寺の宿坊だった事から宿院と言われたものだ。住吉大社
は元は住吉明神と言い、其れとは別に大きな勢力を持つ慈恩寺と言う神宮寺があった。また八尾市に神宮寺と言う広
い山地が今もある。

因みに一休禅師は、慈恩寺の薬師堂にいた森女との間に老いらくの恋物語を残しています。ともあれ、この縁日はま
だ堺との間に遠里小野橋も大和川もなかった時代から祭りを続けて来た。住吉大社から宿院へ大神輿が渡御するた
めに、歌舞演曲を伴った大行列が街道を練り歩く賑やかな祭りでした。

だがこの8/1の祭りも、今は同日に行われるPL花火大会にすっかり人気を奪われて影が薄くなった。そうなったのは
恐らく祭日を変えたからに違いない(「6/30」を参照)。住吉街道は昔、大社から宿院まで真っ直ぐに伸びていたと思
われる。そのラインを地図の上から辿れば、8/1ではなくて1/16から7/17になっている事で判明する。

堺は天正11(1583)年、秀吉の大坂築城に際して、神戸の石屋川から石材が運ばれ、御影石と呼ばれた石が運ばれ
た。所が慶長元(1596)年の近畿大地震で大坂の外港としての堺の町が壊滅した。その為に、大阪には船場と言う新
たな中心地が出来たのである。

更に今から300年前の1704年に中甚兵衛による大和川の付け替え工事があり、此れは大きな功績であるものの大
坂と堺とを分断し、水で割る結果とした。つまり川のなかった所に新川が出来て船や橋を架けて渡らなければ行き来出
来なくした訳であり、其れに加えて、明治六年の改暦で本当の祭りの日が曖昧にされた事である。

其の差は二週間も違ってしまったのです(詳しくは6/30、及び7/16と7/31を参照)。
ともあれこの日は昔、「小山田人足揃ったか」を合図に神輿が出た。担ぎ手が川上に当たる、河内長野市の住吉神社
からやって来たのである。住吉大社から阪堺線を縫うように長い行列が宿院へ向かう。

沿道では各所で踊りを舞い、新大和橋の上でも踊り、宿院へと向かう。だが同日夕方から下記の「PL花火大会」が余
りにも有名となって、歴史あるこの南祭は参加者が減る一方となった。

■06-07PL花火大会・・・・・・大阪・富田林市のPL(パーフェクト・リバティ)教団による花火大会が夕方7:45分から行わ
れ、29万人が集まった(06年)。例年10万発が打ち上げられるこの大会は、教祖が「天国は美の世界」と言う教えから
この祭典になったものと言われる。この後に甲子園の高校野球ではPL学園が活躍する。

志度祭・・・・・・・志度寺(香川県志度町)。
■おかやま桃太郎まつり・・・・・・岡山市。

★06キューリー祭フランスフェスタ・・・・・鳥取・三朝温泉。ラジウム発見のキューリー夫人(ポーランド人)の功に感謝す
る日。8月第一週。フランス国との交流を図りながら盛大なセレモニーなどを行います。天の川お祭り通りでは、屋台・
ビアガーデンなど、楽しい催しがいっぱい。また川の中で行われる仕掛け花火は迫力満点です。

詳しくはhttp://www.jtb.co.jp/ryoren/tottori/misasa/event1.html









8/ 2    


■06-07青森ねぶた祭(8月2日〜7日)【青森市】       
■06-07八戸三社祭・・・・・・

■高崎まつり・・・・・・群馬・高崎市で3日まで。    
■06-07湯河原やっさまつり(8月2日〜3日)【神奈川県湯河原町】

■姫神祭・・・・・・徳島・牟岐町の沖合いの大島で悲恋物語に因む祭りで、漁船による勇壮なパレードがある。
■今治市民のまつり「おんまく」・・・・・・愛媛・今治市で3日まで。
■学制発布記念日。











8/ 3   


▼07己巳(つちのとみ)。
■06津軽ねぶた祭・・・・・・
■さんさ踊り・・・・・・05/8/3、盛岡市。太鼓3000ヶを抱えた踊りの大行列が夜9時まで続く。

★06-07竿燈まつり・・・・・・秋田市の竿かん燈大通りで6日まで。250年前から続く。かなりの重量の提灯を素手で上げて
見せる。
■07酒田港まつり(8月第一金〜土曜日)【山形県酒田市】

■06-07沼田祭り(8月3日〜5日)【群馬県沼田市】
■07桐生八木節まつり(8月第一金〜日曜日)【群馬県桐生市】

■07石崎奉燈祭(8月第一金〜土曜日)【石川県七尾市】
■07清水みなと祭り(8月第一金〜日曜日)【静岡市清水区】

■06-07多賀大社・萬燈祭・・・・・・滋賀県多賀町の多賀大社0749-48-1101で8/3-8/5日。黄泉の国の祭神に先祖の霊
の守護を願う祭り。境内に立てられた高さ10m、約50本の柱に、全国から奉納された約12000ヶの提灯を吊るす。夜に
は多賀音頭の総踊り。多賀大社前駅から大社の境内まで踊りながら練り歩く。

また8/5日には多賀発祥の近江神楽を上演する。その他、期間中は太鼓や神楽などのイベントもある(07/7/17朝日記
事)。

■06きゅうり封じ・・・・・・・京都市右京区の蓮華寺075-462-5300では弘法大師が伝えたと言われるキュウリによる疫病
除けの祈祷を7/22〜23と8/4に行う。

藤原不比等の命日・・・・・・養老4(720)8/3(ユリウス暦では9/9)。藤原鎌足の病気平癒を願って大化元年に
夫人(鏡女王)によって山階しな寺が建ったが、彼は其の山階寺を奈良・春日に移して興福寺と改めた。彼は当然、其処
に居着いて実父・天智(12/25)を祭り、やがて薨去したものと思われる。

よって一周忌には境内の北円堂に祀られた。彼の娘が文武天皇夫人となって後の聖武天皇を産み、次の娘がやがて
其の聖武天皇皇后となり、境内に五重塔を建てたtが、聖武天皇は東大寺を建てた。此れは先帝・文武のためではなく
て不比等である可能性が強い。ただ其処から8/3のラインには何もない。@

以上から彼の命日は8/3ではなくて今の暦では8/16になると推定する。因みに天平様式の五重塔は日本で二番
目の高さである。ただその後に興福寺は何度も火災に遭った。平清盛による焼き討ち、次は江戸時代の享保の大火
で炎上した。今の八角北円堂も鎌倉初期に再建されたものと言われ、運慶作の諸菩薩像が残されている。

■蜂蜜の日・・・・・・・・8/3が「はちみつ」と読めるから。










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▼07大つち・三隣亡・一粒万倍日・不成就日。
■07五所川原立佞武多(たちねぶた)(〜8日)【青森県五所川原市】
■06仙人修行・・・・・・・秋田で仙人の地名を残す東成瀬村の村おこし。3日間の仙人体験。

■塩竃港祭り(8月4日〜5日)【宮城県塩竃市、塩竃神社、志波彦神社】
■06栃木・大田原市の余一まつり・・・・・・・・那須与一に因む。

清水みなと祭り・・・・・・静岡市。06年は59回目。8/4〜6日。8/6には1万発の花火を打ち上げる。
★07石取祭(8月第一土曜〜日曜日)【三重県桑名市】
おこない祭(御身無金)・・・・・・・太子寺(三重県鈴鹿市)。 

■06比叡山宗教サミット・・・・・・毎年此の日は延暦寺で各宗教者が宗派を超えて約600人集まる。
■06-07京都・北野天満宮・例祭・・・・・・

称徳(孝謙)天皇の命日・・・・奈良・西大寺は称徳天皇の勅願寺である。よって此の命日の逆方位に彼女の高野陵
がある。其の西大寺は、父・聖武天皇の東大寺に対する皇女の彼女のために道鏡が建立した可能性が高い。但し、
厳密には今の本堂ではなくて、更に120m北と結ぶ。「8/24」を参照。

千日詣・・・・・・・粉河寺(和歌山郡粉河町)。 
★07松江水郷祭(8月第一土曜〜日曜日)【島根県松江市】

■橋の日・・・・・8/4が「はし」と読めるからとか。











8/ 5  


★06航空祭・・・・・・千歳基地ではF15戦闘機の公開とブルーインパルスのアクロバット。其れに米軍のF15戦闘機のデ
モンストレーション。
★06秋田・笠灯・・・・・・06年は6日まで。

■06塩竃みなと祭・・・・・・
■06-07花笠まつり(〜7日)【山形市】開幕・・・・・・やっしょーまかしょの掛け声で約1kmを練り歩く。3日間で約100万人
の人出。

■06栃木の天下一「関白獅子舞」・・・・・・関白山神社で鬼退治の獅子舞。
■06繭玉転がし大会・・・・・・群馬。

★06水戸黄門まつり・・・・・・水戸市市内。06/8/4-6。水戸観光協会029-224-0441

■06浅間神社の「御神火祭り」・・・・・・以下、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用する。---富士宮市
の同社で約20年程前から町おこしの一環として御神火祭りを行っている。8月の第1土曜日からで06年は8/5〜7日。富
士山頂奥宮の神事で採火した神輿が市街地を練り歩いた後、神田川に入り、流れを遡る。

更にhttp://050687.at.webry.info/200608/article_2.html「御神火祭り」からも引用する。---この御神火祭りは、富士山
頂にある浅間神社で熾した神火を浅間大社へ持ち帰り、町内会や各団体で組織する神輿連の御神火神輿に点火して
町中を練り歩くお祭りです。

この祭りの見所は、なんと言っても浅間大社の富士山湧き水の池「湧玉池」から流れ出る神田川を神輿を担いでの遡
りです。神輿の上では御神火が燃え盛り、その脇には乗り子と呼ばれるお姉さん方が乗り「セイヤ!セイヤ!」と掛け
声をかけ景気を付けます。なかなか勇壮で、血が騒ぐような祭りですよ。・・・・とのこと。

■06-07石取祭(〜6日)【三重県桑名市】
■06ソーラーカー耐久レース・・・・・・鈴鹿市の鈴鹿サーキットで第15回レース。

■06鴨川納涼・・・・・・・京都鴨川に沿った三条から四条の間に約70の店が並ぶ。
■06紀州踊り・・・・・・・和歌山市。紀伊国屋文左衛門に因んで「文だら踊り」。

■06松江水郷祭(〜6日)【島根県松江市】
■06-07久留米・水天宮・夏祭り・・・・・・
■07市来の七夕踊(8月7日に近い日曜日)【鹿児島県いちき串木野市】

■食品衛生週間。











8/ 6 


▼07下弦。
■初盆・・・・・・年内に死者を出した家が、普通よりも一足早く迎えるのが初盆で、この日に海辺の村では笹舟を海へ流
し、山村では路地に茄子の供え物を出し、家には灯火を点けて霊を迎えるが、野辺送りは8/20にする。

■旧暦の盆入り・・・・・・・お盆には7/15と8/15(月遅れ盆)の二種があり、其れに旧暦のお盆があるので都合三回
である。06年のこの日は旧暦の7 /13、つまり「盆入」なので横浜や神戸市の中国人街では関帝廟に参拝して香を
手向ける。

■06-07山形・花笠祭・・・・・・            
★06-07秋田・笠かん灯・・・・・・06年は本日まで。

■06-07能代ねぶ流し(しゃち流し)(〜7日)【秋田県能代市】
■06石崎奉燈祭【石川県七尾市】

■06-07仙台七夕まつり(〜8日)【宮城県仙台市青葉区】
■06-07筑波山ガマまつり・・・・・・茨城県筑波市、筑波山神社周辺06年。観光協会029-836-1111

★06献灯祭・・・・・茨城・笠間稲荷0296-73-0001。06年。

★06潮来・祇園祭禮・・・・・天王山に鎮座する素鵞(ソガ)熊野神社の例大祭で、毎年8月の第一土日月曜の3日間行
われる。祭礼中は大人形などを飾った絢爛豪華な山車が潮来囃子の演奏と共に街中を賑やかに巡行します。初日の
「御浜下り」行事は、全町内14台の山車が参道に集合し、鎮座する天王山から神輿を迎えるもの。

茨城・潮来市観光商工課0299-63-1111。06年(いばらき・鹿行情報より引用)。

★06桑名・石採り祭・・・・・・桑名市の桑名神社・中臣神社・春日神社の祭りで、以前は7/11だったが今は8月の第一
土日。町屋川の河原の小石を俵に詰めて神前に奉納する。市内40数箇所から華麗な山車が出て大賑わいとなる。

開山忌・・・・・・・醍醐寺(京都市伏見区)。

浦嶋神社・例祭・・・・・・宇良神社(浦島神社)。京都府与謝郡伊根町本庄浜191で8月6日〜7日。祭神は浦嶋子。配
祀は月讀命、祓戸大神。由緒について、http://kamnavi.jp/en/tango/urasima.htm「神奈備にようこそ!」から引用す
る。宇良神社とは延喜式神名帳での名前。専ら浦島神社、浦島大明神などと呼ばれる。

浦島伝説は海から寄り付く神の居る所で語られるのであろうが、丹後半島の西側の網野でも住吉の水の江の島子とし
て『万葉集』などに記載されている。筒川の浦島伝説は『日本書紀』雄略紀に記載がある。丹波国の余社郡の菅川の
人瑞江宇良島子、舟に乗りて釣す。大亀を得たり。便に女に化為る。是に浦島子、感りて婦にす。相遂ひて海に入る。

蓬莱山に到りて仙衆を歴り覩る。」とある。『丹後国風土記』にも同様の話が詳細に載っている。筒川の嶼子は仙都で
亀比売の夫として三年の歳月を過ごし、帰ると三百年の月日が経っている。創祀年代は淳和天皇の天長二年(八二
五)浦嶋子を筒川大明神として祀る。

浦嶋子は日下部首等の祖先に当り日下部については『新撰姓氏録』の和泉皇別の条に「日下部、日下部宿禰同祖、
彦坐命之後也」とみえる。彦坐命は開化天皇の後裔氏族である。その大祖は月讀命の子孫で当地の領主である。

浦嶋子は人皇二十一代雄略天皇の御宇二十二年(四七八)七月七日に美婦に誘われ常世の国に行き、その後三百
有余年を経て五十三代淳和天皇の天長二年(八二五)に帰って来た。

常世の国に住んでいた年数は三百四十七年間で淳和天皇はこの話を聞いて浦嶋子を筒川大明神と名付け小野篁は
勅使として、勅宣をのべたうえ小野篁は勅命をうけたまわって宮殿を御造営し、ここに筒川大明神が鎮座されたのであ
る。

又、この神社に伝わるものとして『浦嶋子口伝記』『續浦嶋子伝記』があり『續浦嶋子伝記』の巻首には「承平二年(九
三二)壬辰四月廿二日甲戌、於勘解由曹局江之、坂上家高明耳」伝記と漢詞との間に「干時延喜二十年庚辰臈一作
八月朔日也」、巻末に、「永仁二年甲午八月廿四日、於丹州筒河庄福田村宝蓮寺如法道場、依難背芳命、不顧筆跡

狼藉、馳紫毫了、」とある。これは、延喜二十年(九二〇)の制作で、承平二年(九三二)に注を付したこと、さらに、永
仁二年(一二九四)に浦嶋子物語の発祥の地丹後国筒河庄の福田村にある宝蓮寺如法道場で書写した本が底本に
用いられていることが判る。この永仁二年書写本は現存している。

これらの古伝説は近世のお伽草紙の浦嶋太郎の物語とは様相を異にしている。又、古代より浦嶋神社に対して崇敬
の念は厚く誠に顕著なものがある(以上引用)。次にテレビ大阪が07/9/21放映した番組から以下に引用する。----浦
島伝説は全国各地にあるが、伊根町の浦島明神が最古である。宝物として浦島明神縁起がある。

浦島太郎の本名は水之江の浦島子。与謝郡伊根町の人。日本書紀には478/8月に小舟に乗り旅立ったとある。また
お伽草紙には「10日余り海を進んだ」とある。潮の流れで日本海を北上すれば、時速5キロとして1日に60-70キロ進む
ので、青森の西沖に至る。此処には海底遺跡がある。

其れが竜宮城ではなかったか。津軽の地には亀の付く地名も多く、32ヶ所もある。浦島の地名や亀島もある。此の辺り
では亀を祭っていたようだ。また亀ヶ岡遮光器土偶と言う縄文土器も多数発掘されている地域でもある。また「津軽外
三郡誌」によれば、当時其処には「荒吐はばき文明」が栄えていた。

だが大津波により一夜にして滅んだ。ただ海底には今も人工的な大亀が沈んでいる。十和田湖も実は大火山だった。
海底にも火山が多い。だから津波があったのだろう。浦島神社もあるが今は山の中にあって八大竜神宮ともいい、浦
島太郎も祭っている(以上引用)。

■松江の水郷祭(8月6日まで)【島根県松江市】

■06-07広島平和(原爆)記念日・・・・・・1945年のこの日、広島市は米軍の原爆投下により14万人が犠牲となった。
でも日本人が教会の鐘・カリヨンを鳴らして「平和を祈る」のは変です。

懺悔すべきは「非白人・非キリスト教徒なら幾ら殺しても良い」とする偽善を正義として、原爆を落とした米国の側であ
り、彼らが懺悔して詫びなければ犠牲者の鎮魂にならない(ヒジリ「核兵器」を参照)。

■06-07山口七夕ちょうちん祭(〜7日)【山口市】
■長崎ペーロン選手権大会(8月6日〜7日)【長崎市】

方位と月日・・・・・古来、祭りは方位を基点とし、方位は八方を基準とし、此れを四方四隅(維)と言った。円暦・方位
では先ず真北を冬至と し、其処を基点として時計回りに一周する方位暦なので北東が立春に重なります。以下同様
に、真東が春分、東南が立夏、真南が夏至、南西が立秋、真西が秋分、西北が立冬、そして真北が冬至に重なる。

此れを古来「四至(時)・四立」とも言った。今の月日にすれば冬至と夏至が12/22と6/22となり、其の日から45日
後が立春(鬼門)と立秋(裏鬼門)で、2/5と8/6となります。そして冬至と夏至から91.5日目が春分・秋分(3/23
←→9/21)であり、其の137日後が5/7の立夏(巽)と11/6の立冬(乾)となります。

ただ此れは方位に基づく円暦八方日なので、其れとは別の、星座によって天文台が行う今の西暦月日とは若干ズレま
す。だが古式祭りは西暦ではなくこの八方から見なければ分からない。









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■「神々の歳時記」の各項目のご理解には「366円暦」が必要です。円暦は別紙の「図説」で公開していますが、其の
実物を希望される方は末尾に従ってご請求下さい。

■尚、各行事は別記のない限り新旧暦に関わらず2003年の例に以後毎年追加する形で示していますので、*開催
日等の詳細には主催者にお問合せ頂くか、各ホームページにて御確認下さい。

■「神々の歳時記」に記した例は仮説ではなくて、太陽暦に重ねて古式祭による祭政一致を行っていた古からの日本
文化の原理です。其の具体例を今回、公開したものですが、海外への情報流失防止のため、特に「本文」については0
4/11月から「非公開」としました。

■@マークの付いた以下の部分が「非公開」部分です・・・・・・・@マーク以下には「地理・方位の具体例と其の意味や
暦との関係式」などの詳細を隠しています。この隠れた部分の資料をご希望の方は、「メールフォーム」または掲示板
など、何らかの方法でご連絡下さい。

■文中に誤記や間違いがありましたら、恐れ入りますが前記により御一報賜れば幸いです。尚、参考文献は巻末に記
しました。  



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